姿を消した雀

 あの雀たちはどこに行ったのだろう。勤めていた会社を定年で辞め、山梨市の田舎に戻ってざっと10年。春夏秋冬、一年を通して、ほとんどと言っていいほど雀を見かけない。寒くて外に出るのが嫌なものだから、こうしてパソコンを叩きながら、ふと顔を上げ、窓越しの庭や植え込みに眼をやっても、そこにやって来ているのは、見知らぬ鳥ばかり。


鳥


 ざっと40年。今の田舎暮らしから見れば都市部での生活といっていいサラリーマン時代の日常で、雀はおろか小鳥そのものを見たこともなかった。正確に言えば、見るゆとりもなく、慌しく過ごしてしまったと言った方がいい。しかし、≪毎日が日曜日≫だと、周囲がよく見えるようになった。


景色


 リフォームして家は少し変わったものの、窓越しに見える庭も植え込みも子供の頃とほとんど変わっていない。のっぺりした幹の百日紅も大きなの老木も、また金木犀銀木犀五葉の松椿、カリン、柏、石榴、杏、石楠花、キョウチクトウ、南天、くちなし・・。みんな昔のままだ。ところが、そこに来る小鳥はガラリと変わっているのに気づいた。


百日紅     庭


 雀の三倍もありそうなカラフルの鳥もいれば、これも大きく、長い尾をピクピクさせながら、いつも番(つがい)でやってくる小鳥もいる。植え込みの向こうを走る電線に、群れを成して飛んできては一列に規則正しく停まる鳥たちも雀ではない。




 かつて、雀は田舎ののどかな風景のひとコマであった。この時期、子供たちは陽だまりに遊ぶ雀を捕まえようと、笊(ざる)の端を棒で支え、その下に米粒をまいて仕掛けを作り、隠れて紐をひいては遊んだ。朝は雀の鳴き声で目を覚ました。春先の産卵期ともなればわんぱく小僧は高い屋根に上って雀の巣を獲った。雀が巣を作るのは軒先。無邪気にも、瓦を剥がして獲るものだから親父にこっぴどく叱られたものだ。


スズメ2


 「親方、少しは雀の巣、ありますかねえ」




 「ねえねえ。わしら、こうして屋根の葺き替えも沢山やらせてもらうが、最近、雀の巣なんて見たことがねえですよ」




 我が家では、昨年の夏、築90年の母屋と四つの蔵、そして二つの物置の屋根を思い切って葺き替えた。親方以下、3~4人の屋根職人が二カ月がかりの工事だった。クレーン車など重機を使っての作業だから、ひと頃よりは楽だろうが、高い屋根の上を軽業師のように飛び回る職人さんたちを見て、さすが、と思った。子供の頃が懐かしい。


屋根修理  
≪屋根葺き替え中≫

屋敷  
 


 「どうして、雀がいなくなっちまったんですかねえ」



 「分からねえねえ。多分で言っちゃあいけねえが、餌が減ってしまったことが原因じゃねえですかねえ。それと、見慣れぬ鳥は地球温暖化というヤツのせいじゃあ・・・」


スズメ  スズメ  スズメ


 そうかも知れない。米麦中心の農業形態から葡萄、桃、サクランボなど果樹地帯に姿を変えたこの地方は穀物が一粒もなくなった。消毒するから虫も少なくなった。雀たちにとっては住みにくい世の中になったのだろう。変わって登場した野鳥は逞しい。柿も食べれば葡萄も食べる。サクランボなんか、うかうかしていたら、丸裸にされてしまう。


屋敷


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子どもたちのお天神講

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」
ご存知、菅原道真の和歌だ。今年も1月25日、地域の子ども達が私の屋敷の一角にあるお天神さまに天神飾りの奉納にやって来た。


お天神講1


 赤、青、黄色・・・。七夕飾りにも似た大きな笹に色とりどりの短冊が。「勉強が出来るようになりますように」「成績がよくなりますように」「今年一年健康に過ごせますように」。短冊には子どもたちのさまざまな願いが記されている。





 その可愛らしい短冊の内容をカメラに収めようと思っていたのだが、ちょっとタイミングをはずしてしまったせいか色があせてしまい、時期をを失した。それはともかく、お天神講は、小正月の道祖神祭りと共に、この地域の子ども達の一大行事。お天神さまは、もしかして学業の成績を上げてくれるかもしれないから、子ども達にとっては道祖神よりありがたい存在かもしれない。

お天神講


 このお天神講、今の子供たちはどんな形でやっているのか定かではないが、私たちが子供の頃はある意味で盛大だった。子ども達はお米や野菜を持ち寄り、各戸持ち回りで、今風に言えば食事会を開くのだ。裏方のお母さん達は大きな釜で炊き出しをした。わいわい言いながら食べた、お母さん達が作ってくれた真っ白いご飯、サトイモや大根、人参などの煮っ転がし、熱い味噌汁・・・。うまかった。この歳になっても、その味は忘れられない。


白米


 リーダー役の6年生は自転車で隣町の文房具屋さんに行ってノートや鉛筆、消しゴム、筆箱、下敷き、クレヨンなどを調達して学年別に配る。いわゆるプレゼントである。それも、嬉しかった。その頃の家は、今のような住宅構造と違って田舎風の造りだったから、内部のふすまを取っ払えばいっぺんに大きな部屋になる。子供たちはそこで腹いっぱい食べ、一日をなんとなく遊ぶのである。戦後の貧しい時代だった。






 菅原道真は、生まれたのも、没したのも25日。それも丑年だった。だから、子ども達の天神講もその日を充てているのだろう。ものの本によれば、わずか5歳で和歌を読み、11歳で漢詩を作った。14~5歳の時には「天才」と言われ、後に「文道の太祖、風目の本主」と仰がれた。天神講は、庶民の教育機関として寺子屋が普及した江戸時代、書道の上達や学業の成就を祈願して行われるようになったという。


湯島天神


 お宮は、おしなべて皇室を祭ったもの。わが国で平民を祭ったお宮は徳川家康の東照宮(日光と久能山)と菅原道真の天満宮だけ。このうち、東照宮は徳川家が自らの権力でなさしめたものだが、天満宮は、ちょっと違う。庶民の人気とは裏腹に左遷されたり、不遇を受けた道真が亡くなった後、天変、地変が相次いだことから、時の権力・平安京が祭ったものだ。道真の怨霊を恐れたのである。

お天神講3


 お天神講の子ども達にとっては、そんなことはどっちでも良かった。たらふく美味しいご飯を食べ、ノートや消しゴムをもらうことの方が喜びだった。俺達「成績がよくなりますように」なんて短冊、書いたっけ?子ども達が奉納した短冊を見ながら今の子供たちとのレベルと世相の違いをまざまざと感じた。そしてなによりも違うのは子ども達の数・短冊の激減だ。





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人権相談のベル

 JR甲府駅に程近いところにある甲府地方法務局の人権擁護委員室。応接用の机の奥にあるデスクの卓上電話が鳴った。時計の針は午前9時ちょっと過ぎを指していた。9時からの人権相談の受付を待っていたのだろう。


人権擁護委員


 「モシモシ、こちら人権相談室です。・・・」


 
 「よろしいでしょうか。私は、名前を申し上げられませんが、実は・・・・」



 ここから先の会話は、書くことは出来ないが、我が子のいじめをめぐる若いお母さんの相談だった。




 山梨県人権擁護委員会連合会が行なっている人権相談は、地域、つまり、市町村ごとの特設相談と、甲府地方法務局や、その出先機関に分かれて毎日開いている常設相談がある。特設相談は隔月、市町村の集会施設で開設していて、相談者はそれぞれの広報での告知を見てやってくる。


人権
人権イメージキャラクター 人KEN守る君



 法務大臣から委嘱を受けた人権擁護委員は、山梨県の場合は218人。市町村での特設相談では、それぞれの地域の委員が終日、会場に詰めて、手分けで相談に応じる。法務局とその出先に分かれての常設相談月曜日から金曜日の午前9時~午後4時まで一人づつ交代で詰めては相談に応ずるのだ。


人権2
人KEN歩みちゃん

 いずれも、いわゆる手弁当のボランテア。私は委嘱を受けて6年だが、この制度の歴史は長い。どの委員もこのボランテアに真剣に、しかも積極的に携わっている。年二回ずつ開いている研修会にもこぞって参加、半日、みっちり勉強する。その運営もとかくありがちな役所任せではなく、自主運営である。私の場合、数年前、県連の事務局長を仰せつかったことがるが、結構、忙しい。盆暗の私を支えてくれた局次長や総括は、もっと忙しい。頭が下がる思いがしたものだ。


本棚


 日常のあらゆる事務も自らの事務局を作って処理するし、編集委員を出して年に何回か、機関紙も発行している。A4版の2ページだが、その名は「結い」(YUI)。題字下には、こんな言葉が。



 「結い、とは田植えなどの時の助け合いのこと。土臭く、温かい言葉です」



 文字通り助け合いであり、思いやりがコンセプトだ。人権擁護活動のひとコマひとコマを柔らかく紹介しているのだが、この中には218人の委員が交代で投稿する一言欄も。ある号では富士吉田市の委員が同市のグループが開いている「人権教室」を紹介していた。




 甲府地方法務局などの常設会場には相談専用の電話が設けられていて、特に子どもには「子ども人権110番」が、またご婦人には「女性の人権ホットライン」が。電話に限らず、そこに出向いてくる相談者も多い。さまざまなケースのいじめ、家庭内暴力、夫婦間や近隣同士のトラブル、虐待、セクハラやストーカー行為、さらにはプライバシーの侵害や名誉毀損に至るまで、そのケースはさまざま。




 一見、何事もないように過ぎていく日常の社会の中で、人権侵害事案はいっぱい起きている。人々の生活が高度化したり、社会の機能が進歩すればするほど、こうした事案が増大する。なんとも皮肉な話だ。




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冬の空

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 春夏秋冬、空は色も違えば、たたずまいも違う。そんなことは、誰だって分かっているし、感じもする。ここで言うのは一般に私達が下から見る空のこと。当たり前だが、普通は、空は下から仰ぐもの。空を見上げ、青空のすがすがしさに、心を晴れやかにし、元気を貰ったりすることもあれば、梅雨空ばかりでなく、季節を問わず、鬱陶しい空に心沈むこともある。




 日常生活の中で、空ほど人々と関わりの深いものはない。その日のお天気とも連動するから、挨拶用語にもなる。「いいお天気ですね」、「今日は雨かしらねえ…」、「あいにくのお天気ですね」と言った具合だ。転じて人間と、お天気切っても切れない関係を持つのである。




 へえ~、と思った。知り合いのカメラマンが、こんなことを言ったことがある。


 「空から見る下界と下から見る空は全く違うのです」




 このカメラマンはニュース写真を担当するから、地上ばかりでなく、空からもレンズを向ける。むろん、ヘリコプターやセスナ機からだ。高度は500㍍前後の低空からもあれば、3000㍍を超す時もある。定かのことは私のような門外漢には分からない。


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 カメラマン氏によれば、下から見て青空でも上空から見ると、曇っていることは、おうおうにしてあるのだそうだ。特に冬の時季。住宅街の上空で顕著だという。原因は家庭から放出される熱。エアコン、ストーブ、炬燵…。ここまで説明されると、私のように鈍い人間でも「分かった」。放出熱が雲のような、いわゆる“モヤ”の現象を生むのである。




 そう言えば、この冬の時季、窓越しに望む山裾は、上空がすっきりした青空なのに“モヤ”の帯に包まれていることが多い。その上の御坂山塊は残雪を残してスッキリと横たわっているし、雪化粧を濃くした富士山が青空を屏風に悠然と座っているのである。ここでお話ししているのは山梨の、それも甲府盆地の外れの田舎のこと。東京都心の住宅密集地の上空だったら、もっと顕著だろう。カメラマン氏が、冬の空を嫌う?理屈が分かる。




 地球の温暖化は、こうした現象の積み重ねだろう。道に溢れる車はむろん、大量の熱量を必要とする工場や各種の企業…。日本ばかりではない。発展途上にあり、ますます“エンジン”がかかる、お隣の中国もそうだ。折に触れ報道される車の排気ガスがもたらす中国都市部の空。半端ではない。青空などと言うものは、およそ無縁。恐ろしさすら覚える。




 この姿は、よその国のこと、として済まされない。PM2・5として日本列島にも飛んで来るのである。13億とも15億とも言われる人口を抱える中国。間違いなく中国の空はもっと、もっと灰色になり、人体への影響ばかりでなく、地球の温暖化に拍車を掛けるだろう。




 当たり前の事だが、冬の空は寒々しい。イチョウやハナミズキなどの街路樹ばかりでなく、ブドウや桃、サクランボ、柿などの果樹園、さらに庭木にいたるまで、葉っぱを落として丸裸。そんな自然界の営みも寒々しさを演出するのである。その自然界も確実に春に向けての芽を蓄え、新しい季節への準備は怠ってはいない。

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 「おんも(外)に行こうよ」。無邪気な孫娘は、外の寒むさをものともしない。誰もいない広場のブランコや滑り台にジ~ジ、バ~バを誘うのだ。周囲にはまだ雪が残っている。


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姿を消した雀

 あのたちはどこに行ったのだろう。勤めていた会社を定年で辞め、山梨市の田舎に戻って8 年半。春夏秋冬、一年を通して、ほとんどと言っていいほど雀を見かけない。寒くて外に出るのが嫌なものだから、こうしてパソコンを叩きながら、ふと顔を上げ、窓越しの庭や植え込みに眼をやっても、そこにやって来ているのは、見知らぬ鳥ばかり。


鳥



 ざっと40年。今の田舎暮らしから見れば都市部での生活といっていいサラリーマン時代の日常で、雀はおろか小鳥そのものを見たこともなかった。正確に言えば、見るゆとりもなく、慌しく過ごしてしまったと言った方がいい。しかし、≪毎日が日曜日≫となった今、周囲がよく見えるようになった。


景色


 リフォームして家は少し変わったものの、窓越しに見える庭も植え込みも子供の頃とほとんど変わっていない。のっぺりした幹の百日紅も大きな梅の老木も、また金木犀や銀木犀、五葉の松や椿、カリン、柏、石榴、杏、石楠花、キョウチクトウ、南天、くちなし・・。みんな昔のままだ。ところが、そこに来る小鳥はガラリと変わっているのに気づいた。


百日紅



 雀の三倍もありそうなカラフルな鳥もいれば、これも大きく、長い尾をピクピクさせながら、いつも番(つがい)でやってくる小鳥もいる。植え込みの向こうを走る電線に、群れを成して飛んできては一列に規則正しく停まる鳥たちも雀ではない。




 かつて、雀は田舎ののどかな風景のひとコマであった。この時期、子供たちは陽だまりに遊ぶ雀を捕まえようと、笊(ざる)の端を棒で支え、その下に米粒をまいて仕掛けを作り、隠れて紐をひいては遊んだ。朝は雀の鳴き声で目を覚ました。春先の産卵期ともなればわんぱく小僧は高い屋根に上って雀の巣を獲った。雀が巣を作るのは軒先。無邪気にも、瓦を剥がして獲るものだから親父にこっぴどく叱られたものだ。


スズメ2


 「親方、少しは雀の巣、ありますかねえ」


 「ねえねえ。わしら、こうして屋根の葺き替えも沢山やらせてもらうが、最近、雀の巣なんて見たことがねえですよ」



 我が家では、数年前の夏、築80数年の母屋と、それよりもっと古い四つの蔵、そして二つの物置の屋根を思い切って葺き替えた。親方以下、3~4人の屋根職人が二カ月がかりの工事だった。クレーン車など重機を使っての作業だから、ひと頃よりは楽だろうが、高い屋根の上を軽業師のように飛び回る職人さんたちを見て、さすが、と思った。子供の頃が懐かしい。


屋根修理


 「どうして、雀がいなくなっちまったんですかねえ」



 「分からねえねえ。多分で言っちゃあいけねえが、餌が減ってしまったことが原因じゃねえですかねえ。それと、見慣れぬ鳥は地球温暖化というヤツのせいじゃあ・・・」


スズメ


 そうかも知れない。米麦中心の農業形態から葡萄、桃、サクランボなど果樹地帯に姿を変えたこの地方は穀物が一粒もなくなった。消毒するから虫も少なくなった。雀たちにとっては住みにくい世の中になったのだろう。変わって登場した野鳥は逞しい。柿も食べれば葡萄も食べる。サクランボなんか、うかうかしていたら、丸裸にされてしまう。





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雪景色

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 出勤はむろん、外に出掛けることもなく、雪かきや雪下ろしもせずに、ただ眺めているだけなら、白銀の世界ほど新鮮で、心が洗われる景色はないだろう。それも暖房が効いた心地よい部屋の窓越しに見る風景だ。




 大雪から一夜が明けた。夏や初秋の時季の台風一過と同じように、前日とはうって変わって青空を見せる。どんよりと鉛色をした空からシンシンと雪を降らせた前日とは対照的。コントラストが強いから目にまぶしい。窓越しの真正面には富士山が。甲府盆地と富士山麓地方を分ける御坂山塊の上に悠然と浮かぶのである。暖冬の影響で、それまで地肌を見せがちだった冨士山は、綺麗に雪化粧をし直した。見違えるような美人になった。




 我が家は幹線道路の国道(140号)から、ちょっと引っ込んだ高台にあるので、普段でも車の往来が少ない。とりわけ表の植え込みを挟んで走る古道は昔ながらに狭い。車は全く通らない。庭も植え込みも、古道に出る常口の道も前日のまま。ただ変わっているとすれば、野良猫の足跡ぐらい。流石に毎朝欠かさずに散歩する常連さんの足跡もない。真新しい雪の上に、ポツン、ポツンと残された小さな足跡は、可愛らしくもあり、それはそれで風情がある。


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 雪は野も山も、畑や家並みも、分け隔てることなくスッポリと包み込むのである。一面の銀世界だ。目の錯覚だろうか、高台から見える遠くの森や林、家並みが心なしか近く見える。白い雪が陽の光に反射することから起こる現象と勝手に思い込んだ。




 弓状にたわんだ電線の上には、小鳥が2~3羽。途方に暮れているかのように見える。普段なら電線の上から見下ろして、木々の間や地表で餌を漁るのだが、何もかもスッポリ雪に覆われた銀世界だと、取り付く島もない。大雪にかこつけて炬燵に居座り、昼間から「雪見酒」としゃれ込む極楽オヤジが羨ましいだろう。「あいつら雪が溶けるまでメシ(餌)は、どうするんだろう?」。ご苦労なしのオヤジでも、ふと、そんなことを考えた。

 大雪


 雪にさえ隠れなければ、我が家の周りの畑には、いっぱい餌があるはずだ。夏の時季、畑の周りに植えた向日葵や、今では自生するようにさえなった百合がいたる所に種を落としている。畑の真ん中にだって、取り残した大豆やインゲンの種が落ちている。除草剤を使わないので、地中にはミミズなどの虫も少なくない。庭の植え込みでは、紅梅や白梅が蕾を膨らませているから、小さな虫たちも静かに動き出している。




 それが証拠に我が家の周りには、いつも沢山の小鳥がやって来る。雀のような小さな鳥もいれば、もっと大きな鳥もいる。その種類は、ざっと10はくだらない。「なんという鳥?」。ただでも無粋なオレなんかに、そんなことが分かりっこないじゃぁないか。




 この辺りは葡萄、サクランボを中心とした果樹地帯だから穀物はほとんどない。小鳥たちにとっては不自由な地域だろう。しかし、敵もさるもの。最近の鳥は葡萄でもサクランボでも食べる。食べなければ生きていけないのだ。ただ、収穫を終えたこの時季、どの園にも餌となる実は一つもない。雪は人間どもに留まらず、小鳥たちにも受難この上ないのだ。喜んでいるのは、学校が休校になる子供達や「さあ、オレ達の出番」と意気込むスキーヤー達だろう。週に一度はスノボー行きを欠かさない息子は、ニンマリしている。




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雪の後遺症

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 「おんも(外)に行こうよ」。


 2歳9ヶ月になる孫娘は、銀世界に変わった窓の外が、いかにも興味深そうで、大はしゃぎ。。炬燵で丸くなっている私の手を引く。この子にとって雪は事実上、初めて。興味を示さない方がおかしい。大人と違って寒いとか、降り続く雪を被る、などといった思慮があるはずがない。


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 18日未明から降り始めた雪はこの冬、甲府盆地を始めて銀世界に変えた。野山や道、庭の植え込みもスッポリ綿帽子を被った。葉っぱをすっかり落とした庭の楓や梅の木は、枝に綿帽子を乗せ、一際黒く見える幹とのコントラストが鮮やかだ。雪の量を増すと時折、その枝が震え、「ドサっ」と雪の塊が地面に落ちる。積雪は、もう30㎝近くに達しているだろう。




 山梨県地方は大雪による苦い経験がある。2年前の2月半ばだった。特に果樹地帯を形成する甲府盆地の東部・峡東地方は大打撃を受けた。葡萄やサクランボのビニールハウスが軒並み倒壊、大きな被害を受けたのである。この時の積雪は1㍍40㎝前後にも達し、山梨県の積雪観測史上、例を見ない事態となった。


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 「もう、あんな被害の二の舞はご免」


 防災無線は前日から繰り返し積雪予報と対策を呼び掛けた。ハウスの上の雪落としはむろん、ハウスの中で普段より多くの重油を焚き、融雪するのである。ハウスで夜を徹した農家も多いはずだ。一方、こちらは一日にしてならないが、路地葡萄の栽培農家は、この冬の異常気象を見込んで、剪定作業を急いできた。繁茂した枝をそのままにしておくと、積雪の重量が増して、葡萄棚の倒壊を招くのである。


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 ローカルのテレビやラジオは朝からひっきりなしに積雪情報や交通情報を流している。JR中央線や数少ない路線バスは運休や間引き運転。公共交通網が乏しい山梨県は、ただでもマイカー依存の生活だ。防災無線も日中から夕方まで、積雪や凍結による車のスリップ事故の防止を呼び掛ける。



 「スリップどころか、これでは出掛けることすら出来ない」



 午後に甲府のホテルで開かれる社友会欠席の連絡を取っていたら、その後の夜、山梨市内の割烹で開かれることになっていた日川高校の同級生で作る無尽会「18日会」の幹事さんから中止連絡の電話が。流石に手回しがいい。夜の路面は凍結が避けられないからだ。機を見て早めの判断は大事だし、物事の先頭に立つ者の使命かも知れない。




 毎月、定例的に開く同級生の無尽会はともかく、年に一度の社友会の欠席は残念。かつて仕事を共にした仲間達や、先輩、後輩が県内外から集うのだ。「何人も『出て行けない』という連絡が入っています」。社友会の事務局を担う会社の総務局職員は、そんなことを言った。



 「このくらいの雪で…。北陸や東北、北海道などの豪雪地帯のことを考えてみろよ」



 仰る通りだが、普段、雪が少ない甲府盆地は30㎝程度の積雪でも右往左往するのである。備えも乏しければ、意識も甘い。毎日、ジジ、ババと無邪気に遊ぶ孫娘に、そんなことが分かりっこない。それがまた可愛い。雪だるまを作ってやった。

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スクラップと日々の情報

 「俺ねえ、先生のお宅にお迎えにいったんですよ。そうしたら、部屋の中は新聞の切抜きでいっぱい。足の踏み場もないほど。それはすごいもんです」


新聞



 同級会で一言ずつしゃべった仲間の一人が80歳近くになる恩師を前に、その近況を垣間見る話をした。私たちと一回りも歳が違うが、見た目も、言動もお若い。しかし、一昨年、奥様をお失くしになって、やもめ暮らし。「足の踏み場もない」の何気ない一言は、年老いた男一人の生活ぶりを見事に表現していた。それはそれとして、山ほどの新聞の切抜きである。歳を感じさせないほどお若い、この先生の秘訣は、ここにあるような気がした。

おじいさん

 毎日の新聞を読んだ後、気づいた記事を切り抜いては、情報と知識の整理をなさっているのだろう。恐らく、今日や昨日始めたものではないだろうから、山にもなるはず。私のかつての職場の大先輩にもこの先生と同じような方がいた。周囲が「切抜きさん」とか「鋏さん」と、あだ名するほど毎日、新聞の切抜きをしていた。


はさみ


 そんな方だから、家の中は、その切抜きの山。ズボラな私なんか、この大量のスクラップをどのように整理し、どう活用するのだろうと、大きなお世話かもしれないが心配すらしたほどだ。そういう自分だって、若い頃、同じ事をしたことがある。ただ、このお二人とまったく違うのは、仕事上の必然があった時だけで、それがなくなってしまえば、ハイさようならである。





 確かに、スクラップは、いざという時、便利だし、そうすることによって頭の中にも残るからいい。しかし、最近のように情報のデジタル化というか、データベース化が進んで来ると、このスクラップするという行為がなんとも前近代的に見えてしまうのである。こうしてパソコンを叩いていても、分からないことに出っくわしたり、かつて新聞に紹介された記事を見ようと思えば、インターネットに接続すれば即座に見れる。大抵の新聞社はそのサービスをしてくれている。スクラップなどしなくてもいいように縮刷版も出していてくれたものだが、こちらは、さすがにあまりお目にかからなくなった。


インターネット



 私たちの情報に対する日常が知らず知らずのうちに変わってしまっていることに気づく。スクラップするという行為が示すように、私たちは情報というものを≪蓄積する≫と言う概念を持っていた。しかし、いつの間にか≪消費する≫に変わった。考えてみれば、使い捨てでいいのかもしれない。




 ただ、知識だけは確実に違う。使い捨てにはしないはずだ。ところが、インターネットなどで検索した知識は、どうしてもその場限りになりがち。私だけかも知れないが、例えば、漢字や、その意味にしても辞書を引いて調べたものは案外記憶に残る。つまり、スクラップするという行為、大げさだが、苦労が記憶を促すのだ。



 「おじさん、すぐ忘れるのって、それ歳のせいだよ」。そう言われれば、返す言葉のすべもない。まだボケは来ていないと思っているが、アナログ人間の自覚だけはある。インターネットを駆使して、どんな情報も知識も集めてしまう若い方々が羨ましい。





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馬鹿と阿呆

 「バカ」

 「バカとは何よ」

 「そんな事ですぐ向きになるからお前はバカなんだよ」

 「なにも、バカなんて言わなくたっていいじゃない。まったく~」


妻

 私と女房のよくある口喧嘩だ。不思議にもこの文字数が示すように、およそ夫婦喧嘩の発端はたわいもない事から始まって、エスカレートするものだ。





 この「バカ」(馬鹿)という言葉。かなで書いても、漢字でも二文字。しかし、その使い方、受け止め方によって喧嘩にもなれば、叱咤激励にもなる。「バカ、そんなことはないよ」といった具合に否定の接頭語的な役割を果たす事だってある。「バカ」に「め」をつけて「バカめ」となると女房はもっと向きになる。





 私はこの「バカ」という言葉を気にもしないし、気にもならない。関西人が「この阿呆」とよく使うように、むしろ、挨拶代わりみたいなものだ。もちろん、親しい仲間、気の置けない仲間同士のことだ。これをどこででも使ったら、失礼千万。

子供


 もう一つ、気にしなくなった訳がある。わんぱくな子供の頃、いたずらをする度に親父から「バカめ」「馬鹿野郎」と怒鳴られた。河原で水浴びをし、近くの畑のスイカ採りの競争をすれば、当たり前だが、見知らぬ親爺から「馬鹿野郎」。この言葉はわんぱく小僧の勲章のようなものだった。
子供2

 「そんな事が分からないのか」「もっとしっかり掃除しろ」。学校に行けば先生から叱られる。その言葉の頭と尻につく言葉はまた「バカ」だ。社会人になって会社に入れば先輩から遅いの、早いので怒鳴られる。ちょっとひどくなると「死んじまえ」だ。その後ろと前にはやっぱり「バカ」が付くのである。考えてみれば「バカ」と言われなかったのは大学の4年間ぐらいのものだ。ただ、そんな教授の顔は一人も覚えていない。






 この「バカ」「バカめ」には、全く悪意はなく、いわゆる親心の叱責であり、親身になっての励ましの意味まで含んだ表現であることが多い。人間、褒められたことなど記憶に残っていないものだが、叱られたことは覚えているものだ。教訓として受け止めているからだろう。叱られた先生や先輩ほど懐かしい。不思議な事に間違いなく親近感が増すのだ。





 これも不思議。叱った方は、それを忘れている。女房が向きになって怒るように深刻なものではないからだろう。ただ、私には一つだけ、反省にも似た「馬鹿野郎」の相手側の反応がある。もう15年ぐらい前のことだが、若い社員を「馬鹿野郎」と怒鳴った。将来に向けて育てたいと思った男だった。その社員は怒鳴られた途端、大粒の涙をボロボロ。「男のくせに、涙を拭け」と言ったら、また涙だ。


サラリーんまん

 同僚幹部が言った。「今の若いのは親や先生から怒られることもなく、ましてや他人から馬鹿野郎、などと言われたことがないんですよね。それが≪いいぼこ≫であればあるほどですよ」。確かにそうだ。親も先生も、ましてや隣の親爺も子供を叱らなくなった。先生や隣の親爺は見てみぬふりだ。





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小正月の道祖神祭り

 「十四日祭礼、お祝い申~せ」
 「家内安全、お祝い申~せ」


 ひと頃より、少しは日が長くなったとはいえ、まだまだ暗くなるのが早い。この夕暮れを待って、子供たちは今年も可愛らしい声を夜空に響かせながら、地域の家々を廻った。みんな手に手に灯篭を提げ、その後ろを育成会のお父さんやお母さん、それに交通安全協会の役員さんが見守っている。


道祖神お札



 十四日正月、つまり小正月、この地域に伝わる道祖神祭りのひとコマである。道祖神祭りの風習というか行事は、地域によって、みんな違うのだろうが、この地域では毎年、1月13日の夜、「きっかんじ」といって灯篭を担いで家々を廻り、五穀豊穣家内安全無病息災を祈った。




 この時ばかりは子供たちが主役。子供たちは七日正月が過ぎたところで、家々の松飾りや正月飾りを集めて道祖神場に「オコヤ」と呼ばれる小屋を作り、道祖神を祭るのである。今は生活改善や自然保護のため、松飾りをせずに、紙の代用品の松飾りになってしまったので、子供たちはこの「オコヤ」作りの素材集めに苦労しているらしい。米作農業から果樹農業に完全に転換されてしまったから、松ばかりか藁も手に入らない。



道祖神1



 昔のことを言ったら笑われるかも知れない。でも私たちが子供の頃、考えてみたらもう50年以上も前のことだが、その時分は大きな「オコヤ」を作った。東北地方の冬の風物詩でもあるあの「かまくら」にも似て、子供たちはその「オコヤ」でモチを焼いたり、みかんを食べたりして遊んだ。悪ガキ達が集まる夜のコミュニケーションの場でもあったのである。
 


道祖神2



 灯篭も縦5~60cm、横4~50cmもある立方体の骨組みを作って、障子紙を張り、色とりどりのリボンや造花で飾った。灯篭の四面には「家内安全」「五穀豊穣」「無病息災」などのことばを書き込み、デスプレイするのである。子供たちはそれをいかにカラフルに、豪華にするかを競ったりもした。


道祖神


 しかし、半世紀の時はさまざまな面で変化をもたらした。この灯篭一つ例にとっても、子供たちの手作りではなく、みんな親が作ったか、専門家が作ったもの。そのスタイルも竹竿の先に固定して担ぐのではなく、形をぐ~ん、と小さくして、手にぶら下げる方式に変わった。子供たちは「団子食うべし、虫歯の薬、お祝い、申~せ」といった言葉を今も引き継いでいるのだが、その意味すら分かっているかどうか。米、麦、粟・・・。「五穀豊穣」の五穀も見たくても見ることが出来ない。


どんど焼き


 五穀は桃や葡萄、サクランボに置き換えればいい。しかし、肝心なのは祭りを担う?子供たちが激減してしまったことだ。その一方で、過保護のお父さん、お母さんだけはどんどん増えている。「きっかんじ」の行事も、へたをすれば一人っ子に二親が付き添って廻るのだから、子供の数より大人の方が多いのである。子供たちはほとんど親掛かり。育成会のリーダーがちょっと手を抜けば、この伝統行事もあっという間に消滅しかねない。




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消え往く手書き文字

お正月_convert_20110121204847


 松の内が去ったと思ったら、あっ、という間に十四日正月も。一年中でも正月は時が過ぎるのが一番早いような気がする。親しい友や親戚、知人からの年賀状も、もう色あせたような感じがする。年賀状の束は、その顔ぶれを一部変えて、また今年の暮れまで引き出しに入る運命なのである。




 引き出しで眠らせる前、もう一度、目を通すこの年賀状。今、改めて見ても、なんと味気ないものか。みんな、申し合わせたように活字で宛先や名前が打たれ、裏返して本文を見ても印刷の活字。その内容も、似たり、依ったりで、ほとんど同じだ。


パソコン加工



 パソコン普及の功罪はこんなところにもある。パソコンが身近になかった時分は、もちろん、みんな手書きだった。自分もそうだが、字の下手くそな人もいれば、びっくりするほど上手な人もいる。大きな字を書く人や縮こまったような字の人も。また、文章が上手だったり、そうでない人も。




 つまり、みんな個性があったその字が家族の団欒の話題になったり、贈り手の心の温もりを伝えた。一人一人の顔や生活ぶりまでが目に浮かんだ。年賀状一枚一枚に血が通っていた。ところがどうだ。今のパソコン年賀状は大なり、小なり、みんな同じだから味もそっぺもない。決まり文句の本文なんか読むまでもないし、言ってみれば、どなたからの年賀状であるかを確認するに過ぎない。ちょっと言い過ぎだろうか。




 パソコンのソフトメーカーも、こうした声を反映しているのだろう。毛筆に似た字体のソフトを改良したりしているのだが、所詮は作り物。人の心や感情を活字に映し出すことは叶うまい。第一、みんな平均的で、上手過ぎるからいけないのだ。機械が書いた字が人の心を表せる筈がないし、掴める筈もない。





 私は勤めの現役時代、その職責柄、山梨県のいくつかの書道会の新年会や表彰式に招かれた。その名の通り、書家たちの集まりだから、当然のことながら、年賀状はもちろんのこと、日常の手紙も直筆でお書きになるだろう。現に、頂く年賀状はみんな個性豊かな毛筆だ。自分も、こんな字が書けたらと、つくずく思う。

習字

 挨拶をせよ、というので、その都度、私はこんなことを言わせて頂いた。



 「私の年賀状の95㌫以上はパソコンなど印刷文字。どうか自筆の文字を大切にし、それを書くことを教え、育み続けてほしい。そうしないと、日本人が日本人でありながら日本の文字を書くことを知らず知らずのうちに忘れてしまう。そんな気がしてならないのです。先生方はどうお考えになりますか」




 確かにパソコンはいい。この年賀状一つ例にとっても、原稿さえ作れば、備え付けのプリンターで大量に印刷が出来、宛名書きだって、そのソフトさえ組めば自動的にやってくれる。作業に要する時間だって、大幅に短縮できる。




 でも、それだけでいいのだろうか。こんなことに頼っていたら早晩、年賀状の習慣は廃れていくに違いない。現に、若者達はその通信がパンクするほどメール志向に走っている。




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酔っぱらいの七草粥

 七草粥

 「お父さん、今日は七草粥ですよ。ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、お酒の飲みすぎにもいいかもしれませんよ」



 「もう7日か。その前に、ちょっと迎え酒をくれ」




 「駄目ですよ。身体も身のうち、と言うでしょう。さあ~,さあ~、お粥,お粥・・・」



 7日の朝、女房はいつもの年と同じように家族のために七草粥を用意した。七草粥といっても入っているのは、どうもスズナ(大根)スズシロ(かぶ)くらいのものらしいが、これが結構旨い。二日酔いにはこれがいい、と内心思った。


お酒


 七草粥は新春を寿ぐ行事の一つ。古くは中国から伝わった。7日の未明、人々は七草ばやしを歌いながら、包丁で草を叩いて、拍子をとりながら粥を作って神に供え、家人も食べて一年の無病息災を祈った。




 そんな純真な日本の伝統が、いつしかお正月のご馳走ずくめで疲れた胃袋の休養食の意味合いにも。私のように「二日酔いにはこれがいい」などと言ったら神様に「このバチ当たりめ」と叱られるだろう。




 七草は春と秋の二通りあるのだが、ここで言う七草は春の七草。つまり、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロだ。私はこれを覚えるのになんとはなしの語調からスズナ、スズシロ、セリ、ナズナまで行って、ひと区切りして後に続けることにしている。まあ、そんなことはどっちでもいい。

七草

 物の本によれば、七草はそれぞれに効能があるのだそうだ。セリ解毒、食欲増進、神経痛、リュウマチナズナ高血圧、貧血、食欲増進ゴギョウ咳止め、痰きり、利尿作用ハコベラ歯槽膿漏、催乳、健胃整腸ホトケノザ体質改善スズナスズシロ骨粗しょう症、腸内環境改善に利くのだそうだ。




 古来、人々は二十四節気や雑気に合わせて、さまざまな行事や食を楽しみ、生活に区切りをつけたり、気分の転換も図った。それは健康、言い換えれば無病息災であったり、五穀豊穣への祈りだった。夏の土用にはうなぎを食べ、冬至にはゆず湯に入る。春、秋の彼岸には牡丹餅やオハギを仏前に供えたりもする。よく考えれば、日本人は風情というか情感豊かな民族なのである。
おはぎ
 しかし、そんな風習や文化が時代の流れの中で、知らず知らずのうちにかき消されつつあることも確か。このブログで年末年始に触れた時、何人かから、こんな意味合いのコメントを頂いた。




 「家庭の中で親がしなかったら子供たちは知るよしもない。お正月飾りやおせちだってしかりで、私はささやかなりとも、子供たちに教えたいと思っています」


おせち料理


 確かにそうだ。おせち一つとってみても、お母さんが作るものではなく、デパートやスーパーで買ってくるものと思っていたり、お屠蘇とお酒の違いが分からない人が増えていないだろうか。そんな事を基にした家族の団欒や心のゆとりがどんどんどこかに行ってしまうような気がする。




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三が日が過ぎて・・・

お正月

 時がこれほど短く感ずる時期はない。お正月の三が日だ。つい昨日、お正月飾りをして大晦日の除夜の鐘を聞き、なんとなく心改まる気分で元日を迎えたと思ったら、もう6日。働き蜂は、またいつものようにそれぞれの職場に出て行った。二日酔いで朝寝坊の私はさて置き、やはり朝寝坊だった娘や女房は、今日からはそうはいかない。




 女房と娘の朝のバタバタが始まった。女房は娘に朝ごはんを食べさせ、娘はバスを乗り継いで電車で甲府の職場に向かう。8時10分、家を出て、すぐ近くを通る市の巡回バスに乗る。約5㌔先の山梨市駅でJRに乗り継ぐのだ。

朝食  


 甲府盆地の東北部のこの地方では路線バスがなくなって久しい。マイカーの普及が第一の引き金だが、少子化や全般に人口の伸びが停滞している社会現象も背景にある。もちろん、これはこの地方だけの事ではない。仕方なく?走らせている市の巡回バスは朝夕の数本。これに乗り遅れたら大変。娘はもちろん、知らぬ顔ではいれない私たちも、ちょっぴり緊張する朝の時間帯なのだ。




 通勤の仕方こそ違え、同じような朝を繰り返していた8年前までの自分が懐かしい。「お父さん、会社、遅れますよ」。毎朝、女房にたたき起こされた。その自分が立場を変えて娘をたたき起こす側に廻っているのが恨めしくもある。毎日が日曜日の生活ももう慣れた。女房も私が朝寝坊していてもとやかく言わない。40年もの間、働き蜂を続けた亭主にいくばくかの敬意を持っているのだろう。



サラリーマン


 不況、不景気なんていう表現を通り越した今のご時世。どんな職場であっても働き蜂たちは大変だ。「お屠蘇気分」なんてのんびりしたことを言っていたらぶっ飛ばされるに違いない。太平の世だったら今頃、春闘の賃上げ交渉や闘争が新聞の話題になっていた。ところがどうだ。賃上げはおろか、春闘の春の字もお目にかからないほどかすんでいる。「サラリーマンにとどまらず、日本はいったい、どうなっちまうんだ」。毎日が日曜日の年金生活者だって不安になる。






 お屠蘇気分。お正月。といっても、この言葉の実感がない。単なる不況のせいばかりではない。いったい何なのか。歳のせい?ライフスタイルの変化?社会環境?みんな絡んでいるのだろう。お屠蘇気分とお正月気分は同意語みたいなものだ。それがいっぺんにぶっ飛ぶ。なんとなく寂しいし、味気ない。このブログでもどなたか、同じような感想を書いていたから、そんな思いをしているのは私ばかりではなさそうだ。

ダルマ
 6日は二十四節気の一つ小寒。太陽黄経が285度の時をいう。寒の入りとも言い、この日から節分、つまり立春の前日までを寒、寒中、寒の内とも言う。冬の寒さが一番厳しい時期だ。この日からは年賀状ではなく、寒中見舞いに変わる。七日正月、十四日正月があるが、三が日の後の別の意味での区切りでもある。


冬


 年賀状を書きそびれたり、ズルした人は寒中見舞いで補うことになる。うかうかしていると、三が日どころか大きな意味での正月が過ぎて、立春が来る。時の経つのは早い。





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煮干とお神酒

 「尾頭(おかしら)付き」とはうまいことを言ったものだ。鯛でもなければ、平目でもない。煮干一匹である。この煮干がお神酒と見事にマッチしてしまうのだ。煮干?そう、女房達が台所で味噌汁や料理のだし取りに使う、あの煮干だ。



 「新年明けましておめでとうございます」


富士山


 激動と不況の2015 年が行って、何はともあれ新しい年が来た。今年もどうぞよろしく。そして、今年こそは不景気風をぶっ飛ばして、穏やかな、平安の一年でありたい、そう思うのは私ばかりではないだろう。私たちの地区では毎年元日の朝、そんな願いを込めて、新年の拝賀式を兼ねた互礼会をする。氏神様に地区の人達が揃って参拝、一年の平安を願い、隣接する公会堂で、お神酒を酌み交わし、新年の挨拶をし合うのである。


氏神様2       氏神様


 このとき登場するのが、この尾頭付きの煮干。酌み交わすお神酒は公会堂に備え付けの湯飲み茶椀に一升瓶のお酒を注ぐ、いわゆる茶碗酒だ。一升瓶は、その前の拝賀式で氏神の神前にあげたばかりの日本酒である。役員が手分けで茶碗にお神酒を注ぎ、お盆の煮干をまわす。進行役から指名された地区の長老が「地区の皆さんが健康で、穏やかな一年でありますように・・・」といった内容の挨拶をして乾杯するのである。


神酒


 そこには喪中だったり、都合でこれない人達を除いて、一家の代表60人近くが集まる。煮干を噛みながら茶碗酒のお神酒を頂くのだが、これが旨い。それぞれの家庭が用意するおせち料理を食べる前の朝一番のお神酒だから五臓六腑に染み渡る。そのつまみとなるのが煮干。たかが煮干、されど煮干。これが、またいいのだ。つまみというものは、この一本の煮干を除いて何もない。


煮干


 へえ~、と驚かれる方もいるでしょうが、一本の煮干をかみ締めながらお酒を飲んでご覧なさい。へえ~、と思いますよ。不況だの、不景気だのといっていながら毎日、そこそこのものを口にしている今の日本人。仮に、一合の晩酌を煮干一匹でする人はまずいないだろう。一年に一度、それも元日の朝、かみ締める煮干の味は、何かを考えさせられる。


元旦


 この頭付きの煮干というヤツ、この地域でいつの時代に始まったかは定かではない。恐らく、貧しい時代の名残であったり、冷蔵庫など保冷の機器や技術が行き届かない田舎にあって、乾物の尾頭付き、つまり生の魚などを容易に手に入れるすべがなかった頃の名残だろう。乾燥しているから外での神事にはうってつけ。決定的な方便は「お頭付き」だ。


煮干2


 なぜ、鰯の煮干か。そんな田舎の生活環境もあったのだろうが、もう一つ、理由があるような気がする。あの節分祭と鰯、正確に言えば鰯の頭だが、この二つの関係が何かを語っているように思う。魔除けなど、どこかで迷信とか縁起と結びついているような気がする。どなたか詳しいことをご存知の方がおいでならお教えいただきたいものだ。




 新年拝賀式と互礼会。一昔前は、そこに集まる人の多くは「どてら」と呼ばれる冬の家庭着姿だった。しかし、いつの間にかスマートなスーツ姿に変わった。互礼会の前の拝賀式では区長がもっともらしく世界経済から説き起こし、地域に触れて挨拶をするのだ。その内容は今朝の新聞によく似ていた。





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紙の門松

 慣れとか、習慣とは恐ろしいものだ。玄関先に飾る門松(松飾)が簡易式の紙になってもう何年、いや何十年になるのだろう。大きな紙に刷り込まれた松竹梅の門松に少しも違和感がなくなった。「な~んだ。紙か」と言った頃がウソみたいだ。


賀正ポスター


 私たちの地域では区で全世帯の(紙の)門松を一括購入、組長がそれぞれの組の世帯にお届けするのである。昨夜は公会堂で区の役員会を開き、この門松の配布はもちろん、年末、年始の諸行事について打ち合わせた。




 年末、年始の行事のメーンは、なんと言っても新年拝賀式と互礼会。全戸の代表が集まって、地域の氏神様に参拝、その年の地域とそこに住む人達の安泰を祈願し、一年をスタートさせる行事だ。そのために、区の役員が総出で、氏神様へのしめ縄飾りや、その周辺の清掃はもちろん、拝賀式の後、区民がお神酒を交わす公会堂の大掃除もする。




 こちらは女房達の役目。それぞれの家庭で行う大掃除と同じように区民の拠り所になって来た公会堂の一年の垢を洗い落とすのである。毎年その日は30日を充てている。しめ縄や門松など正月飾りは31日の大晦日や29日にもしない。31日の飾りつけは「一夜松」といって昔から嫌ってきた。縁起担ぎなのだが、29日の場合も同じ。こちらは「九」「苦」で、大掃除もしない。もちろん「九餅」「苦餅」といって餅つきもしない。


門松


 松竹梅の門松が絵入りの門松に変わって久しい。かつて、この門松はクリスマスツリーのモミの木と共に、その調達は子供たちの年末行事の一つだった。ちょうど冬休みになったばかりの子供たちは、当たり前のように近くの山に入り、松を取って来るのである。もちろん、子供ながらにも、小さな松を根元から切って来るようなことはしなかった。松の木によじ登り、手頃な枝を切り落として来るのである。




 子供たちは誰に教わるともなく、山を大事にすることを知っていた。今のように、自然保護がうるさく問われたり、第一、そんな言葉が無かった時代である。山は人々の生活の一部だったからだ。山の木は、今の電気やガスに匹敵する燃料、つまり薪であり、その落ち葉は田んぼや畑の有機肥料だった。




 そのことを大人たちはむろん、子供たちも知っているから無茶な伐採はしなかった。むしろ、年に一度の門松採りやクリスマスツリーとなるモミの木採りは格好の枝払いであり、下刈りでもあった。しかし、都会の人達には自然破壊に写ったに違いない。特に、教条的ともいえる自然保護団体にかかったらどうにもならなかったのだろう。


屋台2


 確かにむやみに切ったら自然の破壊だ。だが、間伐と伐採は違う。門松採りはともかく、人々の生活環境の変化は、山の無視を加速させた。松はもちろん、杉やヒノキに至るまで、やらなければならないはずの枝払いや下刈りもしなくなった。お陰で、山という山がいたる所で荒れ放題。そのツケは花粉症惹起の要因にもなっているという。


お飾り


 女房が「九」を避けて早いうちに組の各戸に紙の門松を配り歩いた。クリスマスが済んでつかの間、今度は街角に松飾りやしめ縄飾りの屋台がお目見えした。いよいよお正月だ。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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