座敷の雛飾り

雛人形2


 「灯りを つけましょ ぼんぼりに・・・」

この間、節分、立春を過ぎたと思ったら、もう雛祭り。今年も女房が奥座敷に七段飾りのお雛様を飾った。一人娘が生まれた時、義父母、つまり女房の親から贈られたものだ。もう40年も前のことだ。でも少しも痛んでいない。サラリーマン現役時代、甲府に住んでいた時分は家が狭かったから、そこで飾ることもママならなかったが、今はスペースに事欠かない。こんな時は田舎家はいい。心なしか一つ一つのお雛様ものびのび、生き生きしているように見えるから不思議だ。



雛人形



 娘が生まれたのは昭和45年10月。この年は作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で壮絶な自決を図った年。このショッキングな事件は娘の誕生の一ヵ月ちょっと後だったので鮮明に覚えている。私が28歳になろうとしている時だった。今の娘の年よりずっと若かったことになる。




 43年という歳月。あっという間だった。光陰矢のごとし。雛飾りを眺めながら、しみじみとこの言葉を実感した。ふと、周りを見れば、この雛飾りを贈ってくれた女房の両親と私の親父もとっくに他界。唯一残っていたおふくろも96歳、この世を去った。晩年は自力での生活は困難になって、病院にお世話になっていた。認知症の症状が進んでもいた。主役の娘ばかりではなく、私たちにもこの雛飾りにはさまざまな思い出がいっぱい詰まっているのだ。お袋にとっては昨年の雛飾りが最後だった。


雛人形3


 田舎でも住宅構造は、どんどん変わり、合理的で、コンパクトな間取りになったので雛飾り、特に大型の雛壇飾りはしにくくなった。だからなのか、訪ねて来る近所の人や女房も含めての友人、知人はみんな自分の事のように大喜びするのだ。そこにはそれぞれの子ども達や自らの若かりし頃の思い出をオーバーラップしているのだろう。その一つ一つの顔は歳をとっても純真そのものである。
 その一人が言った。


「俺のところは男の子。毎年、端午の節句には鯉のぼりと武者のぼりを立てるんです。のぼりを立てるための竹竿が痛んでしまったので、知人にお願いして竹やぶから太い立派な竹を何本か頂いて来た。準備は万端。大きな鯉のぼりが今年も五月の風に泳ぎ、それを上回る武者のぼりがはためきますよ」


鯉のぼり



 自分の事のように嬉しそうだった。他の地方のことは分からないが、山梨では端午の節句に鯉のぼりと共に武者のぼりを立てる。文字通り武者絵をあしらったのぼりで、その丈は10m近くもある大きなものだ。鯉のぼりだって大きい。だから、それを支える竹竿だって、よほど太く、頑丈なものでなくてはダメ。市販の金属製のものだと風の圧力に負けてしまうのだそうだ。杉などの木を使う人もいるが、弾力のある竹の方がいいという。




 女の子にせよ、男の子にせよ、子どもの健やかな成長を願わない親はいまい。桃の節句、それを追っかけるようにやってくる端午の節句。そんな機会に大人たちも自らの子どもの頃を懐かしんでみるのもいい。しかし、我が家もそうだが、一人っ子が気になる。私の兄弟は4人だった。すでに結婚した甥、姪達には「子どもはたくさんがいい」と言っている。自分が歳を取ったらよく分かる。

雛祭り




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神頼みの心

鳥居


 本当に祈っているのかと言うとそうでもない。それでは祈っていないかと言うと、それも違う。頼みごとも同じだ。先頃の初詣や、普段、旅行などで寺社、仏閣に参拝した時の心の内だ。神様を信じているとか、いないとかではなく、なんとなく手を合わせ、なんとなく賽銭を投げて、手を合わせている自分に気付く。私だけだろうか。


おみくじ

 ズボラではないとは言い切れないのだが、私自身、そんなにもズボラではないと思っている。だが、はたまた、日常の生活の中で、身近にある神棚に向かっても、これとまったく変わりない自分に気付いて「おれって、ちょっとヘンかな」と思ったりすることがある。そんな私と比べ、女房は毎朝と言えばウソになるが、よく仏壇と神棚に水を上げ、手を合わせている。だから、私だけがおかしいのだろう。



 そんな私でも、神棚の祭り方でずいぶん迷ったことがある。勤めを定年で辞め、甲府から山梨市の実家に戻る時のことだ。私の実家は祖父の時代に建て替えたという築80年以上の昔風の田舎家。大きい事は悪くはないのだが、幾つもの部屋という部屋はみんなふすまや帯戸一枚の仕切りだけ。住みにくいことこの上ない。


障子12



 このふすまなどを取っ払えば、一つの大きなホールになってしまう。その上、天上が高いから、夏場はいいのだが、冬は寒くてしょうがない。そこで、女房とも相談、一部を生活し易いようにリフォームした。居間とキッチンはカウンターを隔ててワンフロアーにし、さらに、そこと、ひと続きの所に書斎とベッドを設けた。つまり、キッチンを伴う居間と、寝室として区切らないベッドと書斎のある部屋は4本の引き戸で自由に開閉できる、文字通りのワンフロアーにしたのである。




 もちろん、それはそれでいい。ところが、はたと困ったのが神棚の取り付け場所だ。神棚の置き場所にはいくつかの条件があるのだそうで、その一つは方角。南、または東向きにし、北、または西向きにはしないのだという。もう一つ、神棚の下を人が通り抜けしないところを選ぶこと、だそうだ。もちろん目線より高い所であることは当然である。


神棚


 そんな所は、いっぱいある、とお思いだろう。ところが、この幾つかの条件を満たす所は、あるようで、ないものだ。夏、冬の冷暖房のためのエアコンだって取り付けなければならないし、部屋全体の調和や美観だって考えなければならない。当たり前のことだが、神棚に足を向けるわけにはいかない。人は寝る時、北枕はしないから、その足側、つまり、その西、または北、南はダメ。そこに方角の南、または東向きの条件が絡むのだ。こう書いている本人だってこんがらかってしまうのだから、お読みになる方はなおさらだろう。


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 人によっては、そんな事どっちだっていいだろう、と言われる方もおいでだろうが、いざ自分のこととなると、案外、縁起や風習に拘るもの。結局、幾つかの条件に適った所は、たったの一箇所だけ。それも、大きさを考えないと全体の調和が取れなかった。神棚の拝殿?には天照皇大神宮の分厚いお札。地域の道祖神や氏神様のお札も。女房は何か頂き物をしたりすると、仏壇と共にお供えしている。言葉には表さないが、えらいいものだ。



神棚2



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世論は化け物?

 「百万人と言えども、われ往かん」


今の時代では、何か古めかしい響きさえある言葉だ。お前はどうだ? 俺? 気概としては持ちたいのだが、さて・・。やっぱり「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の類かな。


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 この言葉、正しいと思ったら勇敢、果敢に物事に立ち向かっていくことを言う。その根本を一歩間違えると、一転、頑固オヤジ、偏屈人間に成り下がる。しかし、しがない私達のような市井の人間はともかく、国の将来を左右する政治家の先生方には、少なからずこの気概をお持ちいただきたいものだ。茶の間で、アホ面してテレビを見ながらそんな事を思った。世論なんてクソ食らえ。国家百年のため・・。そんな先生がいたっていい。





 柄でもない、ちょっと堅苦しい話になるが、大勢いる、あの衆参両院の先生方が「世論」の名の元に、みんなで右往左往している。言葉を変えれば、その「世論」を背中に背負って、言いたい放題。そこには政治家としての「自分」があるようには見えないのだ。世論、という百万の味方を背にしていると思っているからか、その顔は自信たっぷり。


国会議事堂


 でも、この「世論」とはいったい何者だろう。ヘンな世の中、こんなことを閣僚や政党のボスが言ったら、その日のうちに首がすっ飛ぶのだろうが、この「世論」というヤツ、私は、得体の知れない、いわば、化け物だと思っている。政治家先生だって、むやみに「世論」を言うわけにはいかないから、新聞やテレビ、いわゆるマスコミの論調を引き合いに出したり、多くはそこが実施する「世論調査」のデータを楯にする。




 さて、その世論調査である。新聞やテレビがその都度明記するサンプル数は、およそ3,000。全国でである。当然、回答率は100%というわけにはいかないから、いつも、その数は1,600~1,700。多くても2,000に満たない。一億2,000万人分の、その数だ。統計学的にはそれでいいのだそうだが、感覚的には、なんとなく首を傾げたくなる。


電話



 調査の手段は電話。私の家も過去に、たまたまその対象になったことがある。感情移入を避け、調査の公正化を期すためだろう、音声はコンピュータ。そこで、はたと考える。男女とか年齢が偏らないだろうか。独り暮らしならともかく、一家で電話に出る場合、確実に主婦・女性の方が多いはずだ。もちろん、統計学的には回答者の中で分析すればいいのだろうが、全体的なウエイトは主婦層に掛かっていることは間違いない。住民票の台帳を基にした、かつての調査方法と比べればかなりラフだ。




 そんなことはどっちでもいい。問題は、結果的に「世論」として世に出て来る個々の回答だ。身近な問題ならいざ知らず、内閣支持などといったら、私なんか、何を判断基準にしたらいいのかわからない。勢い、知らず知らずのうちに新聞やテレビの論調に左右されている。特に今のテレビのように、良きにつけ、悪しきにつけ、ことある度にあの大合唱をされたら、しがない私なんかどっちだって行ってしまう。ただ、私たちが普段、野良や炬燵でするお茶飲み話と、国会の先生達やマスコミが言う「世論」とは、何か、ちょっと違うことが多いような気がする。誘導されているような気がして。私ばかりだろうか。



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女房と手紙

 「お父さん、ハワイに手紙、書いてよ」

 「お前が書けばいいじゃないか」

 「だって、私、ヘタだもん。頼みますよ」


手紙2


 私の従兄弟で、ハワイに住む老夫婦からの度々の手紙を受け取った後、女房とこれまた度々交わす会話だ。従兄弟は私と20違う89歳。その連れ合いは女房とやはり20違う87歳。このところ、私たち夫婦がハワイに行ったり、あちらの夫婦が日本に来たりして交流する機会が案外多く、その度に世話役となる女房の方が、この老夫婦とは仲がいい。


海



 望郷の念もあるのだろう。近況を伝える手紙や写真、贈り物が度々届くのだ。女房もまた枯露柿を作れば枯露柿を、それに山梨の名物・鮑の煮貝や老夫婦の健康を気遣っては日本の栄養剤を送ってやっている。普段、腰が軽く、フットワークがいい女房は郵便局に行っての贈り物の処理は苦にならないようだが、なぜか手紙となると二の足を踏む


エアメール   ペン


 人間、不思議なのか、当たり前なのか、女房も70近くになると、威張ったもので、時に、亭主に対して高飛車にモノを言う。ところが、こんな時ばかりは極めて低姿勢。「お父さん、頼みますよ・・・」。



 「バカっ、手紙くらい、お前が書け」


 「でも・・・」



 手紙っちゅうもんはな、自分の思ったことをそのまま書けばいいんだ。うまく書こう、なんて考えるから、億劫になるんだ。継ぎ足し、継ぎ足しでいいんだよ。うまい手紙なんて味もそっぺもないじゃないか。むしろ、まずい手紙の方が味があり、親しみや、温もりがあるんだよ。途中で間違えたら、二本棒で消して、また続ければいいじぁないか」



 「お父さんはそんなこと言うけれど、そんなに簡単にはいかないわよ」



 こんな時、私は絶対に手を出さないことにしている。いくら言ってもダメ、と悟った女房は自分で書き始めるのだが、そっと見ていると下書きをしているのだ。



 ここでまた「バカっ、下書きなんかするヤツがあるかよ。うまく書こうとしたらダメ、と言っただろう」と言ったら、女房はまた「でも・・・」。


手紙



 女房ばかりではない。私たちは手紙というものを本当に書かなくなった。もう正月から三ヶ月近くも経ってしまったが、年に一度の年賀状も決まりきった印刷文字。年賀状は出すからまだいい。暑中見舞いや寒中見舞いなんか忘れてしまった。あっという間に日本中、世界中を席巻したケイタイのメールというヤツがこれに取って代わった。


ケイタイ2_convert_20110722215531  


 そして文章などとはおよそほど遠い、あの絵文字の氾濫だ。絵文字が使いこなせないアナログおじさんのひがみ、と、お若い方々から叱られるかもしれないが、この絵文字は確実に日本語をダメにし、日本人の文章力を弱めていくと思っている。絵文字ファンの皆さん、ごめんね。毎日ポストに入る郵便物はダイレクトメールと公共料金や税金の請求書くらいのものだ。いまに、本来の郵便屋さんはいらなくなる?




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お葬式の不思議

生花2


 地元紙の山梨日日新聞は、紙面の一角に「おくやみ欄」を設けて、毎朝、県内の物故者と、その葬儀の日取りを伝えてくれる。地域別に整理してくれているから見易いし、第一、便利だ。当たり前だが、結婚式などのようにお祝い事の場合は、招待状が来るから分かる。見方を変えれば、その招待状が来なければ、行けないし、行かない。




 しかし、お葬式は別だ。招待状が来るわけでもないから、何らかのルートで連絡がない限り、お伺いすることが出来ない。だから、このお悔やみ欄は便利で、必ず目を通す。うっかりすると、友人、知人はともかく、そのご家族となると、お悔やみを仕損じかねない。ご不幸を後で知って、改めてお悔やみに参上するハメになるのだ。こんな時はいい訳タラタラである。


お焼香


 病人やお年寄りが最も身体にショックを受けるのは、暑さと寒さ。だから、ご不幸が起き易い時期は夏場であり、冬場である。新聞のお悔やみ欄も、それを顕著に物語っている。この冬はいつになく寒い。正直なことに、新聞のお悔やみ欄もやたらと大きい。




 この一年、お葬式にお伺いする回数がいつもより多かったような気がする。特に、夏から秋にかけてだ。昨年の夏が異常に暑かったためだろう。誰もがそうだろうが、私も親戚や友人、知人はもちろん、地域の人達のご不幸には、何をさて置いても焼香にお伺いする。年齢なのだろうか、結婚式など慶事は少なくなる半面、ご不幸の葬儀に行く回数がやたらと多くなった。

葬儀


 山梨の場合、葬儀の弔問は、特別の都合でもない限り、通夜と告別式の両方にお伺いするのが半ば慣例だ。弔問者は黒の礼服(略式)を着て列を作り、僧侶もお経の中身は違っても、同じようにお経を読む。だから弔問者の数は通夜、告別式共にほとんど変わらない。




 東京や埼玉、神奈川など他都県の葬儀にお伺いしたことがあるが、一般の弔問客のほとんどは通夜の一回。告別式は親族、つまり、お身内の方々中心のようにお見受けした。通夜に、焼香に来る一般の弔問客の服装を見ても、ネクタイだけ変えて、スーツは平服。会社の帰りに弔問するケースが多いという。いかにも都会の合理性が浮き彫りになっているように見えるのだ。




 いつ頃から葬儀当日に行うようになったのか分からないが、いわゆる、ぶっつけ七日と呼ばれる初七日法要の仕方も違う。東京などの方式が親族中心であるのに対して、山梨は多くの一般をも巻き込み、参列者は100人,200人は当たり前。多いケースでは斎場には入りきれないので、ホテルなどで300人を超す規模の法要も。


盛り籠


 各地に斎場が出来て、かつての自宅葬はほとんど姿を消した。農協、つまりJAも参入して斎場業界は、そのシェア拡大にヒートアップ気味だ。人間、誰しも迎える終末。遺族が受け持つ葬儀の仕方も所変われば、である。いつかはみんなが行くあの世へのお見送りもさまざまで当たり前か・・・。




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犬の散歩

犬


 庭の植え込みと葡萄園の向こうを東西に走る幅六尺弱ぐらいの古道を、近くのおばさんが大きな犬に引かれるようにして通る。ふと、机の脇を見たら、時計の針は午後五時ちょっと過ぎを指していた。この散歩、毎日の日課のようで、決まってこの時間に通る。今日は寒い。おばさんは、夏場に農家の主婦が日焼けを防ぐために、両方の頬まで包むように使う大きなつばつきの帽子を頭からすっぽり被って、寒さに完全武装といった格好だ。





 ひと頃より、陽が長くなった。あたりはまだ明るい。こうしてパソコンを叩いている私と目が合ったのか、おばさんはぺこっ、と頭を下げた。私も窓越しに頭を下げた。立ち上がって窓を開け、手招きをすると、おばさんはニコニコしながら石の門柱の間を通って、30mぐらいのじょう口をゆっくりとこちらに入って来た。


裏道3


 「毎日、よく歩きますねえ」



 「この犬、繋ぎっ放しじゃあ、可愛そうだからねえ・・・。でも、本当は自分のため。言ってみりゃあ、このワンちゃんに一緒に歩いてもらっているんですよ」



 おばさんは、足元に静かに座り込んだ身長7~80cmもありそうな大きな犬をいたわるように見ながら



 「私等、こうでもしないと、一日中、なんぼうも歩かんですもの。野良に行くのは軽のトラック、買い物も、もちろん車ですもんねえ・・・」



 「そうだよねえ。俺も、ここに帰ってきてからというもの、本当に歩かなくなっちまった。寒いから家に籠ってパソコンなんか叩いていりゃあ、なおさらだよねえ。暖かくなったら万歩計でも買って、歩くことにするか・・・」



 「そうですよ。人間歩かにゃあいけませんよ。この辺でも、みんなよく歩いていますよ。お若い人だってねえ・・・」



 「ところで、おじいちゃんの足腰はどう・・・」



 「それが、あんまりよくないんですよ。特に寒い時期だからねえ。病人と二人暮しだと、こうでもして、外でも歩かないと、気がめいっちゃいますよ。私ゃあ、このワンちゃんと話しながら歩くんですが、知らず知らずのうちにワンちゃんに愚痴を言ってるんです・・・。さあ、ぼつぼつ帰って、おじいちゃんの夕飯の支度、しなきゃあねえ」




 おばさんのご主人は、もうとっくに80を過ぎている。体の具合も悪いから、もちろん畑仕事なんか出来っこない。やっと、かなりの面積の葡萄園やサクランボ畑を耕作してくれる人を探して委ねたという。



 「おばさん、ほうれん草、持って行ってよ。俺が作ったもんだから、大したもんじゃあないけどねえ」



 「いつも、済みませんねえ」。年老いたおばさんは新聞紙に包んだ、ほうれん草を小脇に抱え、また犬に引かれて帰って行った。その小道を、このおばさんとすれ違うように中年の夫婦がやっぱり犬を連れて歩いてきた。陽はすぐ西の山にとっぷりと沈もうとしていた。


裏道2




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結婚式の今昔

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 桜が咲き乱れる春爛漫には、まだしばらく時間がかかるが、その前座を担う梅は、あっちこっちで花開き、これと歩調を合わせるように人間達の営みも春の幕を開けた。若者達の結婚式もその一つ。春の結婚シーズンの到来である。


ブーケ


 カレンダーを見たら「友引」だった。知人の息子さんの結婚式にお招きを受けた。甲府の湯村温泉郷にある甲府富士屋ホテルの披露宴会場。黒のスーツに白のネクタイ姿の男性陣、和服を着飾ったご婦人方が沢山のテーブルを埋めていた。招待客の数はざっと見ても300人近くいるだろう。



 「大変お待たせしました。新郎新婦のご入場でございます」



 男性司会者の甲高いアナウンスと共に会場の照明が落ち、中央の扉が開いて新郎新婦が登場。ちょっと強めのBGM.と嵐のような拍手。スポットライトに浮かび上がった晴れやかな若い二人は、いっぱいの笑顔をこぼしながら会場正面の雛壇に着く。司会者は地元テレビ局の若手アナウンサーだった。


結婚式4


 披露宴の始まりである。ここまでは、このブログをお読みいただく≪経験者の皆さん方のそれ≫も、大なり小なり同じだっただろう。まったく違うのは仲人さんの存在だ。かつては新郎新婦の両脇には二人の縁を取り持った仲人さんご夫妻がいて、「それでは、新郎新婦のご紹介も合わせまして、媒酌人としてのご挨拶を・・・」と続くのである。




 ところが、この仲人さんがいつの間にか雛壇から消えた。この10年ぐらいの間だろう。ひと頃は結婚式の脇役として重要な役割を果たした媒酌人・仲人さんは、その言葉すら死語になったと言っていい。その過渡期で、恐らく方便だろう、「人前結婚式」などという言葉を使ったのだが、これもほんの一時。若者達は、あっ、という間に新しい結婚式のスタイルを作った

結婚式3


 ただ変わらないのは招待客の多さと宴の中途で行なう余興だ。山梨だけかもしれないが、招待客の数は200人、250人は当たり前。多いケースだと300人、400人、時には500人前後の大型の披露宴もある。若い二人にそんな広い交際範囲があるわけではないから、こちらは親側の判断。ただ、このド派手な披露宴、不況とどのように連動していくのか・・。


結婚式2


 一方、親達とは関係なく、若い二人が仲間達と演出する余興というヤツだ。新郎新婦の勤務先の上司や親の知人でもあるお歴々など、いわゆる主賓のご挨拶や何人かのスピーチが終わると、それを待ち受けていたように始まるのが宴の余興である。もちろん、「愛は二人のため」?など結婚式にちなんだ歌をカラオケで歌うくらいはちっとも珍しくない。


結婚式1


 ドタバタと言ったら若い方々に叱られるかもしれないが、若者達はさまざまの芸を披露するのである。どこで調達するのか貸衣装をまとい、役者さながら化粧までして登場するのだ。みんなの呼吸を合わせなければならないので、事前の練習もしているのだろう。まるで子ども達の学芸会さながらである。今の若者達は表現力が豊かになっているのだろうか。それとも、だんだん強まる自己主張の現われ?とにかくみんなが楽しそうにやっているのだからいいのだろう。水をかけることもあるまい。結婚式の今昔である。




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定年退職と女房達

「やまびこさんは引退後、上手に生活されているようですね。うちの夫が定年後、家にずっといると思うと、ゾッとします(笑い)。毎日、通勤が大変で、辛いことも分かるのですが、毎日、出掛ける所がない、というのも辛いことでしょうね」


家


 東京にお住まいの方だろう。私のブログをお読み頂いている「らいり」さんからの、こんなコメントを拝見しながら、ふと、東京の知り合いのことを思い出した。もう20年近く前のことだが、会議か何かで上京した時のことである。後ろから私の名前を呼ぶ声がした。こんな東京のど真ん中で私を知っている人なんかいるはずがないと決め込んで、振り向きもせずに歩いていたら、息を切らすように駆け寄ってきた人に肩を叩かれた。


東京


 以前、仕事の関係でお世話になったことがある大手広告代理店の幹部だった。



 「冷たいじゃあないですか。後ろ姿で、あなたと分かったものだから、駆けて来たんですよ」



 「これは失礼しました。こんな所でお遭いするとは、奇遇ですねえ。ところで、今はどちらの部署に?」



 「私は来年、定年。言ってみれば、もう窓際なんです。だから定年後を考え、仕事が終わった後、料理教室に通っているんですよ」



 「料理教室?」


調理


 「そう。料理教室。私等、サラリーマンは40年近く、自分で飯を作ることも知らずに、せっせと働いてきた。付き合いゴルフぐらいのもので、これといった趣味も持たず、働くばかり。ふと、気づいたら定年。料理教室は趣味と実益の一石二鳥なんですよ。第一、同じような境遇の人達が集まるから面白い。競争も利害もないから妙に心も通じるんです



 「へえ~、そんなもんですかねえ~」



 「あなただって、その時になれば分かりますよ。毎日、家にいれば、そのうち女房だって、たまには自分でおやりになったら・・・なんてことを言い出しかねません。友達? 会社や仕事上の仲間なんちゅうものは、案外、その場限り。生活のリズムが違ってしまうんだから、趣味という共通項でもなければダメ。いずれ、友達関係は消滅しますよ」




この人はこんなことも言った。



「あなたのように山梨の地方に住んでいれば、恐らく、耕す土もあれば緑の自然もある。隣近所の付き合いも。でも、私等、鉄板一枚のドアで隣と遮断されたマンション暮らし。女房と二人きりになった、その様を想像してみてくださいよ」

東京2



東京の日比谷を歩きながら交わしたざっと20年前の会話。あっ、という間にその20年が過ぎた今、この人の言葉の一つ一つが頷ける。そして「らいり」さんが冗談とも本音ともつかないように言う「夫が毎日、家にいると思うとゾッとする」と言う言葉も、よく分かる。




「おじさん達、寂しいこと言ってるね、って?」。そう言う、お若い方々だって、遅かれ早かれ来る道なんですよ。ただ、不思議なことに夫婦喧嘩だけは確実に少なくなります。



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決まり文句

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 朝起きると、真っ先にやるのが窓のカーテンを開けること。当たり前の毎日である。「おや?」。雪だ。外は一面うっすらと雪化粧し、白銀の世界に。既に雪は止み、朝日がまぶしく照らしていた。3~4㎝は積もっているだろうか。今年三度目の雪である。天気予報になかったから一瞬、「おや?」と思ったのだ。




 普通なら“雪の音”を聞く。夜中にトイレに起きて“雨の音”から変わる“雪の音”を聞くのである。加齢現象なのか、それとも前立腺などの身体的な欠陥なのか、私は夜、何度もトイレに起きる。その時、窓の外の微妙な“音”を聞くのだ。むろん、前夜の天気予報がそれを無意識のうちに導いているのであって、「音を聞く」というより、「気配を感ずる」といった方がいいのかも知れない。「しとしと」降っていた雨の音が消え、雪の「しんしん」とした“音”に変わるのだ。




 この「しとしと」とか「しんしん」という言葉。日本人の感性から生まれた言葉だろう。恐らく外国人には理解しにくいだろうし、外国語には置き換えにくいに違いない。「わび」とか「さび」といった言葉と同じ。言葉によって、そこに情景や情感に留まらず、哲学的な意味合いまで込めてしまうのである。古来、日本人のボキャブラリーは豊で、凄い。


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 でも、使い方を誤ったり、固定観念を持ったりすると、ヘンてこりんになったり、人の発想を阻害することだってあるような気がする。昔のことだが、小学校の試験問題に、こんなのがあった。




 片方に「雨」、「雪」、「風」といった用語が並び、片方に「しんしん」、「しとしと」、「ぴゅーぴゅー」といった言葉が並ぶ。これを「正しく線で結べ」という出題だ。求める答えはおおよそ見当がつく。しかし、雨だって、雪だって、いろいろな降り方があるし、風だって、いろいろな吹き方がある。その人の感性によって受け止め方が違ってもいいはずだ。




 葬儀は「しめやかに」営まれる、という。有名人の葬儀を伝える時、新聞やテレビは「○○さんの葬儀が○○斎場で、しめやかに営まれた」と、まるで決まり文句のように伝えるのだ。「しめやかに」という、たった五文字は、葬儀の厳粛さばかりでなく、故人を偲び、その死を悼む気持ちまで見事に包括するのである。でも、ここでも雰囲気の違った葬儀だってあるかもしれない。破天荒なお葬式など、むろん、あるわけがないが、故人の年齢や人柄によっても、その時の雰囲気は微妙に違う。




 「ほお(ほ)ばる」という言葉がある。正月が去って、早くも2月半ば。ちょっと遡ってお正月の餅つきの話だが、ここでもテレビ、ラジオは申し合わせたように「子供達はつきたてのお餅を美味しそうに『ほお(ほ)ばって』いました」と。


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 大人達が固定概念のように使っている言葉とは裏腹に若い方々は、どんどん新しい言葉を生み出していく。私のような野暮で、田舎者のオジサンには分からない言葉がいっぱいだ。中には言葉の乱れをまことしやかに指摘する“先生”方もいる。しかし「言葉」という生き物は不思議。やがて広辞苑に載り、また新聞やテレビに決まり文句のように使われていく。




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春の便り

梅の花


 「お母さん、が咲いたぞ」

居間のカーテンを開けながら、台所で朝餉の支度をしていた女房に、そう言ったら

 「そう、咲いたの・・・」


どうやら、家の女房は花より団子らしい。その口っぷりは梅の開花に、これといった関心を示すでもなく、聞く耳を持つでもなしで、まったくのうわの空。


 
梅 白


 そんな女房をよそに、私はなんとなく心弾む思いがした。花開いたのは裏庭の中梅の古木。この梅の木は私が子どもの頃から同じような太さだから、100年、いや200年は経っているのだろう。太い幹にはウロが入っている。毎年、勢いよく伸びる徒長子を丹念に切り落としてやるばかりでなく、大きくなりすぎて、剪定がしにくいので、昨年、頭を大胆に切り落とした。白い花は紅梅と違って淡白だが、春到来を告げるのに十分だ。




 我が家には、この中梅の古木のほか、表庭に豊後梅や小梅、紅梅などが何本もある。いずれも樹齢は100年以上の古木だが、威勢があって、紅梅を除いて毎年沢山の実を付ける。紅く見事な花を付けた、しだれ梅は枯れ朽ちたので、昨年、切り倒した。この時、近所の古老は、古木を切り倒す場合、酒と塩で清め、長い生命を労わることを教えてくれた。



梅 赤



 山梨の人ならだれでも知っているが、甲府の郊外に「不老園」という県内きっての梅の名所がある。水戸の偕楽園や岡山の後楽園とは比べようもないものの、その種類は豊富で、毎年この時期には多くの花見客で賑わう。恐らく、その本数は数千本にも及ぶだろう。


不老園
不老園


 日本人は花と言えば桜だが、梅もまた違った味わいがある。花をめでる、などと無粋な私には縁遠い話とは言え、ひと頃、この不老園にはよく行った。仲良しになった管理人は「これ、持って行って・・・」と、帰りがけに必ず盆栽の鉢をもたせてくれた。その時々、種類を違えてくれるのである。




 ところが、所詮は無粋者。この梅の盆栽が一年ともたないのだ。綺麗に花をつけている時には、水もやれば、手入れもする。ところが、花が散ってしまえば、その存在すら忘れてしまうのである。枯れるに決まっている。見事な枝ぶりに、これまた見事な花を付けた盆栽は、無残な姿をさらし、結局は鉢だけがたまる。そればかりか、親父が丹精込めた松やケヤキの大きな盆栽も枯らしてしまったから、庭の片隅には、この盆栽の鉢がゴロゴロしている。だから、盆栽好きの親しい仲間に差し上げている始末だ。




 ロータリークラブでご一緒させて頂いているメンバーの一人に、めっぽう盆栽好きな方がいる。旅館の経営者だが、庭先には100鉢を超す大小の盆栽が。皐月が中心で、やがて向かえる開花に備えて、形の整った枝には青々とした葉が蓄えられている。花はなくても、それは見事で、見る人を飽きさせない。

盆栽     ぼんあi 


 その一画には紅白の梅の盆栽も。もちろん、こちらはこの時期、葉っぱは付けないが、ふっくら膨らんだ蕾が一輪、二輪と花を開き始めていた。お孫さんを慈しむように盆栽を愛しむこの人の傑作なのである。まだ外は寒い。でも春は確実に、そこまで来ている。


盆栽3



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蛍が一匹

蛍


 蛍?立春を過ぎて間もない、この寒空に蛍でもあるまい。その通りだ。世の中の虫たちが動き出すと言われる啓蟄にさえまだ間がある。ここで言うのは蛍族といわれる寂しい人間のことだ。タバコをお吸いにならない方々には縁がないばかりか、ご存知なくて当然。夜、自分の家であるのに家族から締め出されて、一人寂しくタバコを吸う亭主たちを言うのだそうだ。


タバコ


 この蛍は、夏の時期に限らず、春夏秋冬、一年中生息している。本当の蛍は人間がもたらす自然の破壊で、どんどん減っているが、恐らくこちらはどんどん増えているのだろう。定かなことは分からないのだが、わが国の喫煙人口は、恐らく減ってはいるものの、激減と言うほどでもあるまい。健康志向の年配者が禁煙に動いている一方で、次々と、はたちを迎える若者達や、ダイエット?やファッション?を考える女性がその数を埋めているからだ。




 喫煙人口はともかく、喫煙者はますます悪者扱いされ、隅へ、隅へと追いやられていることは間違いない。バスや電車は当たり前、飛行機も禁煙になって久しい。ホテルや旅館、会社、官庁のオフイスだって同じだ。喫煙者は肩身が狭くなる一方だ。


タバコ



 世の女房族が強くなるばかりの家庭にあっては、何をかいわんやである。小さな部屋でタバコをプカプカ吸われたら嫌に決まっている。部屋の壁や柱ばかりか、衣服まで臭いが染み付く。吸っている本人だってそのことが分かるのだから、吸わない人が不快に思うのは当たり前のことである。




 私も小さな蛍。小さな、と言ったのはそれほどのヘビースモーカーではないからだ。お酒を飲んだり、マージャンをする時以外はほとんど吸わないのだが、晩酌の後、なんとなく、一服が欲しくなるのである。そう言うと「私をバカにしているのね」と叱られるので、大きな声では言えないのだが、女房ならそれほど気に留めないのに娘に「お父さんダメ」と言われるのが怖い。




 仕方なく、そっと外に出て、その蛍なのだ。すると、あっちから一匹の蛍が。近くの中年のオヤジだった。

夜


 「あなたもですか?」



 「ええ、うちは女房がうるさいものですから・・・。佇んでいると寒いので、こうして歩きながら吸うんです。いい訳かもしれませんが、散歩も出来るし、一石二鳥ですよ」



 この中年オヤジは笑い飛ばすように、さらりと言うのだが、その後姿は、やっぱり寂しそうだった。その中年オヤジもそうだろうが、女房達が喫煙をただ嫌がっている訳ではないことはよく分かる。亭主の健康を気遣っているのだ。




 特に娘の場合、「お父さん、身体に悪いよ。だからタバコ、止めて・・・」と、いかにも心配そうに言う。これには本当に弱い。「娘の言う通り、やっぱり止めよう」と、思うのだが・・・。そんな蛍が今夜も寒空に一匹・・・。よわったものだ。




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ブログと庭先の小鳥

 寒い。本当に寒い。それもその筈。二十四節気の一つ、大寒を過ぎたのだから無理もない。天気がいいので、外に出て、ちょっとは仕事をしなければと、頭では考えるのだが、それが億劫になる。この時期は、農閑期といっても田舎暮らしをしていれば仕事は山ほどある。むしろ、この時期にやらねばいけない植え込みや柿の木の剪定だってその一つだ。ほとんど燃やしてしまうのだが、剪定した枝などの始末もしなければならない。


枝


 イチョウ、カリン、杏、ざくろ・・・。みんな葉っぱを落として裸になっているが、徒長枝は伸び放題。ここで切り落としてやらないと、いい芽が出ないばかりか、そこからまた新しい芽が出て、植え込みがボウボーになってしまうのである。松やチャボヒバ、棕櫚、モミの木などの常緑樹だって同じことだ。


木


 柏の木のようにいつまでも枯葉を落とさず、見苦しいというか、無残な姿をさらけ出しているものもある。この柏の葉っぱは、やがて来る端午の節句で、あの柏餅を包む、おなじみのものだ。周囲の木々がみんな枯葉を落とし、春への準備をするのに、なぜかこれだけはなかなか葉っぱを落とさない。今日も空っ風に吹かれて、枯葉がカサカサ音を立てている。


柏餅


 「明日にしよう」と、そんな植え込みの剪定の先送りを決め込んで、パソコンに向かっていると、庭の植え込みに何羽もの小鳥が。「あっ、あれがメジロか」。いつも見せて頂く東京の「のりぴー」さんのブログを頭に浮かべた。早速、「のりぴーさんのブログ」を訪問。期待通り、今日も見事な小鳥の写真を掲載していた。




 定かなことは分からないが「のりぴー」さんは庭先にミカンやいくつかの餌を置いては、毎日やって来る小鳥をいたわり、望遠レンズでカメラに収めているのだろう。そのひとコマひとコマは実に爽やかで、生き生きしている。メジロもいればヒヨドリやシジュウカラ(四十雀)ジョウビタキも。小鳥というものは、その時々、こんなに豊かな表情を見せるものかと、感心させられたりもする。周囲の植え込みをも写してくれるから、その時の季節感も一緒に伝わってくる。先日は、梅数厘が花開いていた。山梨より東京の方が、春が早いのだろう。


四十雀


 この写真ブログには一口コメントもついている。それによると、小鳥にもはっきりとした力関係があるのだそうで、一見強そうなジョウビタキはメジロが来ると逃げる。シジュウカラはもっと弱いのだそうだ。「のりぴー」さんはカメラのレンズを通して、いつも小鳥達と会話しているから、その力関係や喜怒哀楽まで分かるのだろう。




 そんな事を考えながら、我が家の庭にくる小鳥達を見ていると、無知な自分なりに新たな発見が。「あっ、あれはメジロだ」「ジョウビタキ、シジュウカラもいる」。見慣れぬ小鳥がやってくる、とばかり思っていたら、結構ポピュラーなヤツもいる。.同じ関東の界隈。同じような小鳥が生息しているに決まっている。人間、ちょっと関心をもつか持たないかで普段見えないものも見えたりするから不思議。それにしてもブログとは便利なものだ。


ジョウビダキ


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晩酌の妙

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 私は一年中、晩酌を欠かした事がない。と言っても仲間達と外での飲むこともあるので、厳密に言えば、一年中ではない。正しくは、毎日お酒を飲むといった方がいい。誰が考えても褒められた話ではない。女房からは小言を言われ、心配されたりもする年中である。「休肝日だって必要ですよ。身体あってのモノダネと言うじゃあありませんか…」。全くその通りだ。でも、歌の文句ではないが、「分かっちゃいるけど止められない」のだ。




 「アル中?」。とんでもない。自分勝手に言わせて貰えば、ただの習慣。夕餉の膳で、一杯飲まないと、一日が終わった気がしないし、第一、なんとなく物足りないのである。嫌がる女房への言い訳は「酒は百薬の長、と言う言葉を知らんのか」。百薬の長であるはずがない。そんなことはよく分かっている。世の酒飲みは、飲酒を正当化する方便に、この「百薬の長」をお借りするのだ。




 元をただせば、この「酒は百薬の長」は.お隣の国・中国の諺。「新」の皇帝が国の財政を強化するため、鉄や塩と共に酒を専売にした時のアピール文言。つまり百薬の長を専売の“殺し文句”にしたのである。例えは適当ではないかも知れないが、何処かの国の消費税の値上げの口実のようなものだ。「新」は「秦」と違って、日本人には、あまり馴染みはないが、前漢と後漢の間の僅かな時代である。とにかく私達、酒飲みは飲酒を正当化する口実・方便にしている。よく考えれば、酒飲みとは勝手なものなのだ。




 私の晩酌の“ホステス役”は孫娘。夕餉の時、「ビールとお酒、婆から貰って来て」というと、台所にいる女房から「爺のビール…」と促してテーブルに運んで来る。ジョッキやお酒のグラスも忘れない。


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 「おじいちゃんと乾杯するか?」。


 すかさず女房が台所から「バカなこと子供に教えないでよ」。


 しかし、僅か2歳9ヶ月の孫娘の方が一枚上手。女房の苦言を聞くか、聞かないうちに「まだ子供だもん。大きくなったらね」と。私がビールのジョッキを掲げると孫娘は、吸い口付きのジュースのボトルを合わせて「カンパイ」。無邪気な孫娘が、また可愛くなる。こんなことをいつまでしてくれるのか。私は73歳。孫娘が20歳になるには時間があり過ぎる。


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 お酒を飲み続ける人間が言ってはヘンだが、酒飲みはバカだと思う。まず、お酒に費やす時間。今では酒量も減り、1時間ちょっとで切り上げて、このパソコンの前に来てしまうが、かつてはビータラ、ビータラ時間をかまわずに飲んでいては、女房から嫌がられた。当然、酒量も多くなる。




 これは晩酌の話。外で仲間達と飲む時には、そんな時間で済むわけがない。酒の調子に乗って青臭い議論をしたり、それも同じような話を繰り返すのだ。若い時は、当たり前のように梯子酒。「これじゃ体にいいわけないさ」。もう一つはお金。家で飲む晩酌なら、たかが知れている。でもバーやスナック、クラブでの酒はそうはいかない。もう一つ付け加えれば酒の上での失敗。時間とお金。失敗。計算したら…・。今の晩酌程度だったら可愛い。




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孫娘の成長

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 子供の成長は早い。そのスピードにビックリする。「オジサン今更、何言ってるの?自分だって子供、育てたことあるんだろうに…」。その通りだが、孫娘を見ていて、つくづく、そんなことを実感するのだ。自らの子育て時代は、仕事にかまけて育児は女房に任せっきり。当たり前かも知れないが、今のように“言うなり”に遊んでやることもしなかった。




 それでいて子供の顔は毎日見る。逆に言えば、毎日見るから、日に日に成長する姿に気付かないのかも知れない。母親だったはずの女房だって言う。「私だって、そうよ。娘には叱られるかも知れないけれど、こんなに(孫のように)可愛くなかったわよ。いつの間にか大きくなっていた、という感じ」。親(今は亡き女房の両親)のバックアップがあったからだろう。堂々巡り。よく考えれば、それを今、女房や私がやっているのに過ぎないのである。


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 2歳9ヶ月を過ぎた孫娘は、毎週末とはいかないまでも、月に1度や2度は娘夫婦に連れられて山梨市の我が家にやって来る。住まいの甲府からだと車で、ざっと30分程だが、大抵はチャイルドシートで眠ってしまうのだそうだ。チャイルドシートが、いかに快適に出来ているかの表れかも知れない。娘の子供の頃は、チャイルドシートなんかなかったような気がする。少なくともチャイルドシートの着用は義務化されていなかった。




 眠たそうな目をこすりながらも、私達夫婦の顔を見ると「こんにちは」。婆やママから教わったのだろうが、それが可愛い。こちらはテレビの影響なのか、「タッチ、タッチ」と手を合わせる。大人の握手代わりだ。親バカならぬ“爺バカ、婆バカ”。「お利口になったね」と、頭をなぜてやると、嬉しそうに微笑み返すのである。それが、また可愛い。




 甲州弁で「やたかしい」(落ち着きがなく、うるさい)という言葉があるのだが、一時として静かにしていない。私達のベッドの上で、トランポリンさながら跳んだり、跳ねたり。そうかと思うと、部屋の中を駆け回る。広い田舎家だからそのスペースに事欠かない。「おんも(外)に行こう」。寒空の外にも出たがる。私達は、それに、みんな付き合わされるのだ。

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 「あれ?静かだなあ」と思ったら、テレビの前で子供向けの番組をジっと見ているのである。「お母さんと一緒」といった、大人が見れば、たわいもない番組やアンパンマンのアニメ漫画には釘付けに。普通の番組には見向きもしない。そんなことが分かっているから女房は、孫娘が喜びそうな子供番組を録画しておくのだ。私がニュースやバラエティー番組にチャンネルを変えると、怒ること、怒ること。




 好奇心も旺盛だ。炬燵の上に私や母親のタブレット端末やスマホを置きっ放しにしておこうものなら、キーを叩いたり、ズームして遊んでいる。もちろん使い方や操作の仕方が分かる筈がない。「こんなもので遊ばせたら目を悪くするぞ。テレビだって、もっと遠くで見なきゃあ…」。




 そんなことは序の口。いつの間にかママの化粧バックを見つけて来て口紅を。孫娘の口の周りは真っ赤っか。そればかりだと思ったら眉毛の墨も。なんでも大人の真似をするのである。それがまた、無邪気で可愛い。好奇心や無邪気な行動が子供の成長を促し、糧になるのかもかも知れない。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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