詐欺と盗人

サギ


 「お母さん、振り込め詐欺に騙されるなよなあ・・・」

 「私なんか、そんなにのろまじゃあ、ありませんよ。お父さんじゃあ、あるまいし・・・」

 「おい、おい。ひと言、余計じゃあないのか?



 今日も地域の防災無線から流れる振り込め詐欺防止の啓発放送を聴きながらの女房との何気ない会話である。女房は「絶対に引っかかりっこない」と断言するが、こういうタイプがいざとなると一番危ない、と私は思っている。なぜかって?娘はいい歳をしているのに、一人娘のためだろうか、今でも、どちらかと言えば過保護気味だからだ。こういうタイプは、ひとたび、巧みに仕掛けられれば、一発だろう。


電話




 「こちら山梨市役所と日下部警察署からお知らせします。今日、山梨市内の70歳代の主婦に電話があり、その女性の息子を装って、俺の携帯の番号が変わったので控えて欲しい。また電話する、と言っていったん電話を切り、改めてATMへのお金の振込みを求めてきました。このような電話があった場合、絶対にお金の振込みはせず、警察へ・・・。また定額給付金の支払いを理由に、手数料名目で現金の振込みを求める電話もかかっています。定額給付金の支給に手数料はありません・・・」




 こんな内容のアナウンスが毎日のように繰り返されているのだ。予防、警告のための放送にとどまらず、実際に被害に遭ってしまった事例も。その放送をよそ事のように聞いている側から見れば、これほど度々警告しているのに・・・と思うのだが、振り込め詐欺の被害は絶えない。よほど巧みな手口で仕掛けてくるのだろう。女房が言うように、みんなが、私だけは引っかかりっこない、と思っていているのに・・・。



 「石川や 濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」


 ご存知、石川五右衛門の辞世だが、悪いヤツは、今も昔も次から次へと出てくるものだ。五右衛門から時代は下って江戸時代の「白波五人男」のひとり・弁天小僧菊之助や、あの名台詞「問われて名乗るもおこがましいが、産まれは遠州浜松在、六十余州に隠れもねえ賊徒の首領たあ~・・・」の日本駄右衛門、さらに時代は下って江戸後期の鼠小僧次郎吉。


白浪五人男



 いずれも名うての盗賊に違いはないが、そこには何かしらの愛嬌があった。歌舞伎や庶民が集まる芝居小屋の演目にもなったりしたからだろうか、なぜか憎めない。特に鼠小僧次郎吉は、お金持ちの大名や武家屋敷ばかりを狙い、自らも義賊を標榜したという。




 ところが平成の盗人はどうだ。ATMやケイタイなどITを巧みに駆使し、弱い立場のお年寄りや女性をターゲットにしているのである。ATMを駆使して途中の「足」を消しているから捜査当局にとっても始末が悪い。再三の防災無線による警告のように、みんなで注意するしかないのだろうか。



 とにかく、一刻も早く捕まえて、五右衛門のように、釜茹(煎)でにでもしたらいい、というのが私たち庶民の感情だ。京都の古刹・南禅寺の山門という晴れ舞台まで用意して「絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金とは、ちいせえ、ちいせえ」などと、大見得を切らせるわけにはいくまい。





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墓所の風景

墓


 その人が建立した墓所甲府盆地を一望でき、その向こうに富士山の雄姿が望める湯村山の中腹にあった。春といっても頬をなぜる風はまだ冷たい。なにしろ小高い山の中腹だし、そこから見渡す見事な眺望のせいもあってか、その風は一層爽やかだ。墓所建立の竣工法要に参列した人達が誰ともなく「いい所ですねえ」と、つぶやいた。




 もう60年以上も前、富士山麓に程近い御坂山塊の麓の片田舎から、山梨県の県都・甲府に出てきて運輸業を興した。この人の手腕、力量がモノをいって、会社は着実に業績を伸ばす一方、人柄、人望が手伝って、次第に山梨県経済界の重鎮としての座を不動なものにした。80歳になったのを機に県内の中小企業を束ねる経済団体の会長職を退き、後進に道を譲った。



風紀2


 自らの人生に、ひとつの区切りをつけたのだろう。墓所建立の法要を済ましての、おときの席で、大勢の来賓を前に「やっと念願が叶ってホッとした」と、自らの80年の来し方を振り返った。その顔は経済界の重鎮でも、企業を率いる会長の顔でもなかった。一人の年老いた柔らかな人間の顔に戻っていた。




 「建設中も大勢の人が見に来てくれたんですよ」と、控えめながらもこの人が言うように、墓所は掛け値なしの立派なもの。広く囲んだ玉垣の中には中央に大きないしぶみと、その両側に石塔が。左側の石塔にはこの人の戒名が、やはり健在の奥様のものと並んで刻まれている。もちろん、お二人の戒名の一字は紅。「慶徳院和山宗睦大居士」。戒名の一字「大」がこの人を誰にも分かるように物語っている。


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 中央のいしぶみには大きな文字で「孝順」の二文字が刻まれている。墓所建立法要のあとの、おときの席で、この「孝順」を揮毫した臨済宗向岳寺派の管長と、墓所建立の施主であるこの人は、それぞれの立場で、この言葉の奥深い意味を説いた。いつの世にあっても普遍な親や先祖への敬い、感謝、畏敬の念・・・。みんなが頷いた。


孝順


 管長は、挨拶の中で、こんなことも話した。

 「最近の風潮として≪個≫を重んずるあまりに人と人との絆がどんどん弱くなっている。例えば、一番小さな社会である家庭を見ても≪個≫を優先し、親子や家族の絆が希薄になって、そこから家庭内暴力など、さまざまな問題を露呈している」




 そんな僧侶のお話を拝聴しながら「確かに」と頷いた人は多かっただろう。≪個≫を尊重することは決して悪くない。しかし、それが一人歩きすると「自己虫」がどんどん増える。身近な日常でも度々出っくわす「自己虫」。これからの日本は、いったい・・・。




 ところで戒名。この人のそれに、さりげなくというか、重々しくついている「大」の一文字には大きな意味がある。この人の人となりを見事に表しているのだ。社会への貢献もさることながら、広い意味での先祖を敬い、お寺、宗門への貢献度がその基調になっているのだ。権力の象徴でも、ましてやお金でもない。その人がどう生きたかにほかならない。霊園の大小を問わず「大」とか「殿」の文字がつく戒名は少ない。





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赤か黒か

1


 「赤と黒」「赤と白」「白と黒」「赤、青、黄色」「青と白」・・・。

色を充てた言葉や題材は私たちの日常で、決して少なくない。「赤と黒」はご存知、19世紀中期のフランスの作家・スタンダールの長編小説。「赤と白」はハチマキだったり、紅白歌合戦のように、対抗戦に用いる色。「白と黒」犯罪や疑惑などをめぐって、よく使われる「白か黒か・・・」のあれだ。「赤、青、黄色」は言うまでもなく信号の色「青と白」東西を表す色だ。因みに北は黒、南は赤だ。





 結婚式やお葬式など、祝儀、不祝儀の儀礼の時に使う、のし袋も「赤と黒」である。数日前のことだが、この「赤と黒」で、ずいぶん迷った事がある。こんなケースだ。さて、皆さんならどうします?

赤か黒か



 知人が自らの墓所を建立、その竣工と合わせてご先祖の供養、つまり法要を営むというのだ。この方は、80歳を超えられた山梨県経済界の重鎮で、普段、懇意にさせていただいている関係もあって、ご招待を頂いた。そこまではいい。問題はその次だ。




 そこに行くのに、こちらの気持ちを表す「のし袋」が必要。そこで、はたと困ったのがか」である。墓所の竣工だったら、当たり前のこと「赤」ののし袋。一方、ご先祖の法要も、というと、もちろん「黒」である。墓所の竣工にウエートがあるのだから、お祝いの赤でいいのだろうが、その後の法事がなんとなく心に引っかかるのである。


赤か黒か2


 結局、お前はどうしたって?私は迷った挙句「ご香料」としたためた赤ののし袋を胸のポケットに納めて出かけた。「赤か黒か」で戸惑ったのは、やっぱり、私ばかりではなかった。この行事に参列した、いわゆる来賓は年配者ばかり。竣工と法要のセレモニーを終えて、甲府市内のホテルでのおときの席に臨む前、あっちこっちで「赤?」「黒?」でボソボソと。中には赤と黒、二つののし袋を胸に潜ませて臨機応変の「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式のお客さんも。




 しかし、この迷いは、おときの席での菩提寺住職のご挨拶でいっぺんに吹っ飛んだ。いい歳をした私たちのたわいもない迷いを知ってか知らずか「立派な墓所の竣工、おめでとうございます」から始まった。施主の菩提寺は山梨県甲州市塩山にある臨済宗向岳寺派の総本山向岳寺。そこの管長だから説得力もある。


赤か黒


 そう言われてみれば何と言うことはない。般若心経などの読経が響く墓所を囲んでいるのも紅白の幕だし、お寺さんのご挨拶も「おめでとう」。のし袋だって赤に決まっているじゃないか。あとで考えればそうなんですよ。「只今から○○家の法要を・・・」と始まったおときの神妙な席も、みんなの迷いが吹っ切れたのか、途端に明るくなった。




 ところで、みんなが持って来たのし袋は赤?それとも黒?それが分からないんです。どうしてって?それが、施主側が「お心遣いはご無用」とハナから受け取らなかったのである。そうなると「これでいいのか」とまた引っかかるのだ。とにかく「赤か黒か」、みんなの胸のポケットに入っていた、のし袋の色を見たいものである。





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富士山は化粧上手

富士の山


 あと4~5日もすればサクラが咲き、春爛漫を迎えて行くというのに、窓越しに見える富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。一方の南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。





 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山



 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。

富士山3



 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。




 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。


赤富士



 毎年、4月から5月の中旬になると富士山の中腹に≪農鳥≫が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。




 「富嶽三十六景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。行角など修験者が導いた富士山信仰(富士講)とともに、彼らはユネスコの世界文化遺産登録に一役買った。時空を超えて現代に蘇ったのである。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。





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春爛漫への序奏

 赤く咲いた冬の花・山茶花がいつの間にか消え、その後を追うように淡く咲いていた庭先の白梅もすっかり花を落とした。一足遅れで満開になった紅梅も春の嵐にハラハラと散った。その足元では水仙が黄色い花を。紅白の梅からバトンを受けたように、今度は杏が大きな木に薄いピンクの花をいっぱいに咲かせている。

花



 は梅と同じで木に勢いがある。だから太い徒長枝を秋口に強めに切り落としてやった。昨年までは、剪定の時期が悪かったのか、大きな木をしているくせに、ひとつも実をつけなかった。それとも、一本だけだと、自然受粉が出来ないのか。杏のことは定かではないが、例えば、サクランボの場合、必ず二本以上植えろ、と教わったことがある。現に知人の家の庭先にあるサクランボは、太く、樹勢はあるのだが、ひとつも実をつけない。




 子どもの頃、我が家と隣の家の畑を挟んだ境に大きな杏の木があった。6月頃になると、熟した黄色い実がポタポタと落ちる。その杏の甘酸っぱい味が今でも忘れられない。その木の代わりのように、我が家の庭先で大きくなった杏の木を見上げながら、今年こそは、実をつけてくれよ、と祈るような気持ちだ。もう80歳近くになる隣のおじさんにも≪懐かしい味≫を味合わせてあげたい。


花4



 「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」という言葉がある。「サクラ切るバカ」はアメリカの初代大統領・ワシントンの幼年時代のエピソードから来ているのだろうが、確かに、ウメは切らない方がバカ。若ければ若いほど、樹勢が強く、放って置くと藪のように大きくなってしまう。そうなると風通しや、陽の当たりも悪くなるから、実をつけにくくなくなるのである。特に、徒長枝の剪定は絶対条件。杏だって同じだ。


花2


 杏の木の足元では、蕗が一面に緑の丸い葉をつけて地面を埋めている。酢味噌和えや天ぷらにして食べたフキノトウは、もはや見る影もない。その傍らで椿が一輪、二輪と真っ赤な花をつけ始めた。裸になって久しい何本ものカエデも枝の芽を徐々に膨らませ、葡萄園の下ではハコベラが小さな赤紫の花を一面に咲かせている。


 フキ


 窓越しに真っ白い雪をかぶって浮かんでいる富士山も、ひと頃のような冷たさを感じさせない。むしろ優しく見えるから不思議だ。薄っすらとかかる春の霞がそうさせているのだろう。


花3


 そういえば、昨日の新聞には、気象台が発表した東京のサクラの開花宣言の記事と写真が載っていた。平年より5日、昨年より4日も早いという。サクラの開花宣言は春到来の証である。しかし、実際には気象台が指定する標準木に数輪の花をつけたのに過ぎない。本当のサクラの花を見るのはまだ先だ。今はいわば、春爛漫への序奏なのである。


庭で


 花は蕾から三分咲き、五分咲き、八分咲きがいい。今年はどうやら満開が早そう。4月の第一土曜日には甲州・山梨の一大イベント・甲州軍団出陣がある。いつもの年なら満開のサクラの下で、戦国絵巻が繰り広げられるのだが、今年はサクラ吹雪の中での出陣になりそう。それも風情がある。甲府の街は大勢の観光客で、今年も賑わうだろう。





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ちゃんこ料理とお相撲さん

 ちゃんこ鍋 


 大相撲春場所は間もなく千秋楽。ちゃんこ鍋と言えばお相撲さんだが、ちゃんこ料理の店はあっちこっちに出て、ちゃんこ鍋はすっかりポピュラーになった。山梨の郷土力士・富士錦関が高砂親方になる前の尾上親方の時代、親方が経営しているちゃんこ料理屋に案内され、ご馳走になったことがある。車で連れて行かれたので、場所は定かに覚えていないが、東京・北区の東十条だった。



 道路を挟んで一方が大衆向けの居酒屋風、もう一つがちょっとシックな料亭風の店だった。そこで「へえ~」と、驚いたのは、店で働く従業員達全てがお相撲さん。正確にはそのOBだ。親方はこんな説明をしてくれた。




 「あいつらは、相撲界に入ってきた時には恐らく、みんながみんな大関、横綱を夢見ていた。しかし、勝負の世界はそんなに甘いもんじゃあない。それぞれの能力の限界もあるし、相撲取りとして致命的な怪我だってある。そういう連中にとって、こういう場所がないと困るし、言ってみれば、第二の職場なんですよ」


相撲 


厨房で働いているのもお相撲さんなら、愛想よく接客するのもお相撲さん。普通の居酒屋だったら、かわいいお嬢さんだったり、お姉さんだったりするのだが、ここではみんな若い大男達だ。「ごっさんです」に代表されるように、テレビに映るお相撲さんは口数が少なく、どちらかと言えば口下手の人が多いのだが、どうして、どうして。愛想良く、みんな生き生きしている。下っ端の時代、毎日作っていたから、ちゃんこだってお手のものだ。

相撲1 


 親方はこの居酒屋を見せた後「さあ、今度はゆっくり飲みましょう」と言って、料亭風の店の座敷に案内してくれた。「あれっ、どこに行ったのかな」と思っていたら、ふすまが開いて、スーツ姿から一変、羽織袴姿の親方が。「いらっしゃいませ。よく来てくれました」と、びっくりしたことに三つ指をついて挨拶をするのである。



 「親方、そんな事をされると、困っちゃいますよ。どうぞお手をお挙げになって・・・」


 「わたしゃねえ、ここに来ていただくお客さんには、どなたにもこうするんです」




 この親方は、四股名が富士錦の現役時代、やはり山梨の郷土力士で「突貫小僧」と呼ばれた富士桜関とともに押し相撲に徹し、先代朝潮の高砂親方らに「相撲はかくあるべし」と言わしめたお相撲さん。回しをとり、大イチョウを切り落とした親方は、後進の指導にあたる一方で、見事な経営者に変身していた。「そうしないと、若い連中に飯を食わすことは出来んのですよ」と、言外に言っているようだった。




 考えてみれば相撲界(角界)とは不思議な所だ。両国の国技館に行っても、その裏方で働くのは、お相撲さんや、そのOB。みんなで助け合い、いたわり合って生きている。結びの一番、一日の取り組みの終わりを告げる拍子木が鳴れば、弟子も親方もなく、升席をはじめとした場内整理をするし、部屋に帰れば親方が師匠、女将さんが母親代わりだ。


国技館 



 日本相撲協会は、言ってみれば大きな相撲家族なのかもしれない。そこにはまた国技としての「品格」も求められる。変わりゆく若者感覚、どんどん増える外国人力士。さて、私のかつての仕事仲間で、相撲に滅法詳しい向山さんはどう見ているのだろう。





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薀蓄のある言葉

 「いればうるさい、でも、いなきゃ寂しい」
女房のさりげない一言だが、言い得て妙。大げさだが、薀蓄すら感ずる。亭主とは、また、夫婦とは、よく考えてみればそんなものかもしれない。

夫婦

 この言葉は、今は家を空けることなど以前と比べればめっきり少なくなったのだが、それでも仲間との一泊二日、二泊三日の小旅行、飲酒運転が出来ないので宿泊形式でする忘年会や新年会、それに、時折はもつれ込んでしまう徹夜マージャン、そんな時の女房のちょっとした台詞だ。




 若い頃というか、サラリーマン現役時代は、そんな事を言ったり、ましてや感心したりしている心の余裕や暇はなかった。朝起きれば決まった時間には家を飛び出し、帰宅する夜も遅い。時には午前様だって珍しくない。それが当たり前だから、正直言って家も女房も省みたことはほとんどなかった。


夫婦#12860;

 仕事が終われば、仲間と居酒屋へ。仕事をめぐって青臭い議論もすれば、上司や先輩を酒の肴に愚痴も言う。はしごの先に行き着くところはマージャン荘。そこから先はお決まりの午前様。家で待っている女房達はともかく、自分たちにとっては格好のストレス解消策だった。そんな事を繰り返していても疲れなかったし、逆に生き生きしてさえいた。もちろん、振り子のような規則正しい人間もいないわけではない。が、そんなバカなサラリーマンが多かったことも事実。

サラリーマン
 こんなことを言ったら世のお父さん、お母さんから白い目で見られ、ひんしゅくを買うかもしれないが、ここで白状すれば、一人娘が顔を見るたびに、大きくなるのがよく分かった。仕事柄、朝や昼、夜が不規則だから、幼い娘の顔を見ることが少なかったからだ。娘側から見れば、私は時々来るどこかのおじさんみたいなものだったのかもしれない。
子供
 こんな事があった。娘が幼稚園の頃だっただろうか。ある日曜日、娘が友達の家に行ったら、そこには、お友達のお父さんがいて、子ども達と一緒に犬小屋を作り、一緒にインスタントラーメンを食べた。それが、うちの娘にはびっくりするほど特別の事に映ったのだろう。家に帰った娘は母親である女房にそのことを話したという。




 ハッとした。これじゃあいけない、と思った。それからは、時間を見つけては少なからず娘と遊ぶことを心掛けた。休みをやりくりして海にも行った運動会幼稚園の父親参観にも顔を出してやった。その時の、娘の嬉しそうな顔を今でも忘れられない。その娘が今では、このブログ作りやパソコンの先生の一人である。




 夢中と言ったら大げさかもしれないが、そんな若かりし時期、女房だって「いればうるさい、いなきゃ寂しい」なんて、感傷的なことを言っている暇もなければ、余裕もなかっただろう。そうとは思いたくないが、歳をとった証拠かもしれない。それに、甲府での生活から一転、田舎生活が本当に落ち着いていない証かも。それにしても、夫婦とは空気のようでいて、空気ではない妙なものである。

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越冬の大根

大根2

 我が家の大根やサトイモは確実に越冬した。二十四節気のひとつ・啓蟄も過ぎた。そして山梨だって桜も花開いてくるに違いない。もちろん寒暖の揺れもあるだろう。震え上がるような寒さに見舞われることもないとは言えない。しかし、もう冬に逆戻りすることはあるまい。




 ここで言う大根とサトイモの越冬は露地、つまり畑で収穫しないまま冬を越したということである。大根は秋口に、またサトイモは夏前に種(芋)を蒔き、初冬の11月頃、収穫する。大根は、ご存知、沢庵など漬物にする一方、さまざまな方法で保存しながら食卓に乗せていく。サトイモや人参、ゴボウも同じだ。



葱


 言うまでもなく、大根や人参、ゴボウ、サトイモなど総じて秋野菜は、寒い冬が来る前に収穫しないと、凍みてしまい、食べられなくなってしまう。夜から明け方にかけては間違いなく霜がおり、そればかりか気温がグングン下がれば、当然のことながら日中も含めて地面は凍る。水分を多く含んだ野菜は、この寒さにひとたまりもない。
この寒さに耐えるのは春や初夏に向けての野菜、エンドウやタマネギ(写真)などだ。

野菜


 その昔から我が家も含めて、この辺(山梨市)の農家は、暖かい軒先などに、それなりの室を作ったり、比較的湿り気の少ない畑の片隅などに穴を掘って埋けたりして、あの手この手で保存を工夫した。




 いずれも、いったん収穫した後のワザである。大根やゴボウ、人参などの場合、その方法はさまざまで、例えば、穴を掘り、横にして、そのまま埋けてしまう方法や、埋けずに斜めに寝かせて土を被せる方法も。この場合、上向きにしたまま土を被せるやり方と逆さにする方法がある。逆さにするのは大根などが新たな発芽をしないようにするためである。発芽をすれば大根本体の養分を取られ、素が入ってしまうからだ。




 それぞれの方法が一長一短。暖かすぎれば腐ってしまうし、寒ければ凍みてしまう。越冬したとしても、素が入ってしまえば食べられない。そこで、いっその事と、秋に収穫せずに畑で越冬させてみた。もちろん、そのままだと凍みてしまうから、土を盛り、藁などを被せて防寒したのである。


大根


 これがまんまと成功。大根は一本ずつ抜いてくるし、サトイモは必要なだけ掘ってくる。少しも痛んでいない。この分ではしばらく大丈夫だろう。たかが藁。されど藁。この藁の保温効果はすごい。保温の一方で、適当に風も通すからいいのだろう。この地方は早くから葡萄や桃、サクランボなどの果樹に転換され、水田が消えてしまったので、藁がなくなった。




 今は手に入りにくいから、化学製品などの代用品に変わったが、昔は筵(ムシロ)に代表されるように藁をあっちこっちに使った。農作業ばかりではない。寒さや湿度の調整に対する生活の知恵だったのだろう。我が家の藁作戦、実は隣の奥さんの知恵である。この大根やサトイモの露地での越冬、ホントは地球全体を覆う温暖化の影響かも。肌で感ずる寒さも、子どもの頃のそれと確かに違う。昔はもっともっと寒かったような気がする。





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パソコンは利口者

ii.jpg


 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」


 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」



 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」


 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」


キーボード



 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て



 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」



 「へえ~、そんなこと出来るのか?」



 「お父さん、何にも分かっていないんだね」



 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が



 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」


パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。




 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」、「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。





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下手の横好き

花札


 パチンコ、競馬は当たり前。マージャン、花札、チンチロリン・・・。ヘタなくせに、この勝負事が大好き。といってもここ1~2年、パチンコも競馬もとんとご無沙汰だ。凝るといったら聞こえがいいが、どちらかといえばはまるタイプで、ひと頃、毎週のように石和の場外馬券場に通ったことがある。




 「パチンコだの競馬だの、あんな馬鹿馬鹿しいこと、まだやってるの」


 親しい同級生から笑われた。



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 「まだ、じゃあなくて、始めたばっかりだよ」と言ったら、「遅ボケだね」とまた笑われた。その仲間に言わせればこうだ。



 「俺も若い頃、競馬に凝って、薄っぺらの給料をみんなはたいちまった。帰りの電車賃がなくなっちまうんだよ。それじゃあ家に帰れないから、帰りの切符だけは行きの切符と一緒に買っておくんだ。結局、こんな馬鹿馬鹿しい事、ときっぱり足を洗った。あれほど凝った自分が不思議に思えるんだが、今じゃあ、関心もないよ」



「へえ~、そんなもんかねえ」



 遅ボケと言われたっていい。俺はとことんやってやる、なんて思いながら、コンビニから毎週、400円の競馬専門紙を買って来ては一心に研究?馬券場に通った。女房の蔑みにも似た冷たい目線を横目にしながらである。


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 今にして思えば、この仲間の言う通り。馬鹿馬鹿しいと言うより、馬券場に行くこと自体も面倒になった。じちがなくなったのかもしれない。競馬にせよ、パチンコにせよ、およそ、勝負事というものは、その名の通り勝ち負けがあるから、のめり込むのだし、面白いのだ。もちろん、負けっ放しだったら、何をかいわんや、である。



 ただ、競馬やパチンコとマージャンや花札などは、遊び方そのものが根本的に違うのである。一方が自分ひとりの遊びであるのに対して、一方は仲間がいることだ。

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 「今日は何時から?」



 週末ともなればマージャン仲間からお誘いの電話が。こちらからも電話する。もちろん家庭もあれば地域もあるのだから、仕事や用事がないわけではない。しかし、毎日が日曜日の仲間達だから、すぐに面子は揃うのである。面子の中に、かたくなに「午前零時が限度」という仲間がいる。そんな時はいいが、そうでもなければ確実に午前様。




 「体も身のうちですよ」と、ひと頃はいぶかしがっていた女房も今では「言っても駄目」と思ったのか、さじを投げている。8時間、9時間は当たり前。時には15時間20時間の時も。面白い。時間がウソのように、あっという間に過ぎてしまう。





 さて、その勝ち負けだ。総じて上手なヤツが勝つのに決まっている。「お前はどっち?」。私はどうやら負け頭。不思議だが、人には勝負事に強い人間と弱い人間がいる。ちょっとしたジャンケン、編み蛇くじやビンゴゲームだってそうだ。理屈では計れない先天性のようなものを備えた人間がこの世の中には確実にいる。運の強い人間というのだろう。





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食文化の違い

韓国


 日本のご婦人たちが追っかけまでした、あのヨン様ブームはどこへ行ってしまったのだろう。

ヨンさま


 日本と一番近い国・韓国。顔も体形もそっくりだから、言葉をしゃべらなければ、その区別はつかない。でも、当たり前だが、習慣やモノの考え方はまるで違う。食文化だってその一つだ。




 つい先日だが、在日の韓国のご婦人と昼食をご一緒する機会があった。カレーを注文、カレーをご飯にかけたまではよかった。あっ、と思ったのはそれからだ。ご婦人は一緒についてきたポットの小さなラッキョウや福神漬けを載せ、やおらにかき混ぜ始めた。そのかき混ぜ方は、そんな簡単なものではなく、皿の中のカレーライスは、なんとも言えないグロテスクなシロモノに変身していた。


カレーライス


 それを見ながら、ふと、私たちが焼肉屋さんで食べるビビンバを思い出した。親しい甲府の焼肉屋さんのご主人がこんなことを言ったことがある。



 ビビンと言うのは韓国語で混ぜる、はご飯の意味だ。簡単に言えば、混ぜご飯。よく混ぜることが美味しく食べるコツなんです」



 そのご主人というか、社長はカネの器のビビンバを上手にかき混ぜた。よく見ると、やはりグロテスクだが、それほど違和感はない。ビビンバとはそういうものだと思っているからだろう。ところが、目の前のカレーライスはいかにもグロテスク。人間の食に対する概念かもしれないが異様に写るのだ。




 食文化の違いなのである。日本ではかき混ぜる食は少ない。納豆やとろろなど、かき混ぜることによって粘りを生ずるものくらいのもの。盛り付けられた料理を丸ごとかき回すことはない。日本の食文化は味や香り、風味、食感など、いわゆる口や鼻で味わうばかりではなく、目でも食べるのだ。だから、色や盛り付けにも工夫を凝らす。


日本料理2



 考えてみれば、日本料理ほど、繊細な食は世界にないだろう。世界の3大料理と言われるフランス料理、中国料理、トルコ料理。さらに韓国料理やロシア料理・・・。おしなべて、みんな大雑把だ。食べ方ばかりではない。食を盛り付ける器だってそうだ。例えば、フランス料理だって、器のサラも極めてシンプル。


中華



 箸。欧米では主にはフォークやナイフ、韓国や中国では箸を使うが、その箸はカネや竹。これもシンプルである。ところが、日本では、この箸まで凝っている。ホテルや旅館、料理屋さんでは凝った割り箸を使う。そればかりか、綺麗な紙の袋や紅白の水引をもあしらったりする。もちろん使い捨て。古くから衛生面を考えたものだろう。


日本料理


 しかし、この割り箸、ようやく見直されようとしてきた。自然保護、省エネの観点からだ。いわゆるマイ箸の動きである。でも、それによって食の文化が変わるわけではない。





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電報で咲くサクラ

サクラサク



 「サクラサク」、ましてや「サクラチル」なんて言葉はまだ早い。桜の季節までにはあと一ヶ月近くかかるだろう。いつもならとっくに花開いているはずの紅梅もまだ二分咲き。そんなイレギュラーした春を前に受験シーズンが真っ盛りだ。子ども達は志望校目指してねじりハチマキ。そして否応なく運命の合格発表へと移行する。






 年配者ならこの「サクラサク」の5文字には懐かしい響きがあるだろう。そう、この「サクラサク」は合格を伝える代名詞。大学などの構内から郷里の親などに打った電文だ。電報は、その文字数で料金計算される仕組みだから、最短文字が、この5文字なのだ。誰が考えたか、貧乏学生の知恵だったのだろう。「サクラチル」となると、涙の不合格。そんな受験者と、その家族の一喜一憂が5文字の電報に託された時代があったのである。





 お若い方々は「おじさんたち、バカじぁないの。ケイタイやスマホを使えばいいじぁない。電話だっていいし、ファックスだって使えば・・・」と笑うに違いない。しかし、おじさんたちが大学受験の頃、つまり昭和30年代の半ば、特に山梨の田舎には電話すら十分に普及していなかったのである。山梨に限らず、地方は全国どこも同じだっただろう。だから電報が手っ取り早い通信手段だった。その電報も料金を節約するため電文を出来るだけシンプルにしたのだ。「サクラサク」「サクラチル」は、その要件を十分に満たした。


サクラ2



 ちょっと懐古趣味になってしまうが、当時、山梨から東京に行くには国鉄(現JR)中央線で4時間近くかかった。汽車のタイプも蒸気機関車で、窓を開けていようものならトンネルを出た後の顔はススだらけ。そう、あのSLだ。中央線がオール電化され、特急が走り始めたのは、それからしばらくした40年代初頭。山梨や、その先の長野の人々にとって画期的な出来事であった。




 そして今、甲府-新宿間は特急「あずさ」が1時間半前後で結んでいる。富士山麓に近い県境で始まったリニアイクスプレスの実用実験は甲府盆地へと延び、静岡、名古屋へと向かっている。東京―大阪を1時間で結ぶ夢の超特急・リニアモーターカー計画が着々と進んでいるのである。


リニアモーターカー



 電話はいつの間にかケイタイやスマホに進化、大人、子どもを問わず、ポケットの中に入った。だから電報は用無しの存在に。日常生活では確実に忘れられている。密かに息をしているとすれば、結婚式とお葬式ぐらいのもの。あの祝電弔電というヤツだ。それもカタカナ文字の読みにくいものから、ひらがな、漢字交じりの普通の文章。ファックス通信をも加味しているのだろう。




 各種の手帳の後ろを見ると、年齢や計量の早見表などと共に、祝電や弔電のモデルがあって、ナンバーで申し込めるようになっている。NTTの数少ない電報ファンへのサービス。一方、支持者への祝電や弔電に気遣う政治家秘書さんにとっては、日常的におなじみだ。「サクラサク」。早く春爛漫の過ごし易い季節が来て欲しいし、受験者にも思い通りの「桜が咲いて」欲しいものだ。今は「散る桜」は見たくない。


サクラ



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卒業式の感慨

 卒業式1

 どこかの総理大臣ではないが感動した。胸が熱くなって、じ~んとした。久しぶりの感動だった。母校の卒業式で、卒業生が歌う「仰げば尊し」。もう50年近くも前のあの時にタイムスリップ、自らも卒業生と共に心の中で口ずさんでいた。真正面のステージに向かい、恐らく校章や校旗だろう、その一点を見詰めながら、3年間の高校生活を一つ一つ思い浮かべ、かみ締めるように歌う生徒達。その声は式場となった広い体育館に静かに響き渡り、多くの生徒達の目に涙が光っていた。純粋な若者達の姿を見た。





 3月の声と共に、卒業式のシーズンを迎えた。その先陣が大学や高校。山梨県の県立高校では1日、ほぼ一斉に卒業式が行なわれ、大勢の若者達が学び舎を巣立った。母校・日川高校の同窓会役員の立場から卒業式に招かれたのである。正面のステージに向かって中央に主役の卒業生。その後ろに在校生と卒業生の父兄が座っている。前方両側には、右側に校長以下教職員、左側には同窓会やPTAの役員ら来賓が。その数はざっと千数百人。


卒業式3  


 静かに校歌のBGMが流れる中を校長の先導で案内された来賓が着席すると、式の開幕。教頭の開式の言葉の後、卒業生全員の名前が呼ばれ、歯切れのいい返事と共に、一人一人が起立。式場の空気はピーンと張り詰めている。その緊張感がまたいい。ステージ中央の演壇前に進んだ代表に校長が卒業証書を授与する。




 式はこの後、校長の式辞、同窓会長やPTA会長のお祝いの言葉、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞と続き、クライマックスの「仰げば尊し」の斉唱へ。その前の卒業生代表の答辞では、学業はもちろん、ホームルーム活動、生徒会活動、部活動、各種の対外試合、そして苦痛と達成感を味わった競歩大会など3年間の高校生活を振り返った。その声は、感極まったのだろう、途中から涙声に変わった。

卒業証書


 それは自然に醸し出された「演出」だった。そんな後だからなおのこと「仰げば尊し」は唄う者、聞く者の心に響き、胸に沁みる。ふと、来賓席で隣の同窓会役員の顔を見たら目頭に涙を浮かべていた。卒業式という同じ会場で、その主役として自らが歌う「仰げば尊し」、それを聴く父兄や来賓の同窓会役員、そして生徒達を送り出す教職員や在校生。それぞれの立場で、それぞれの感慨をもたらしたに違いない。そして「蛍の光」が。私はなぜか壺井栄の「二十四の瞳」を思い出した。




 この「仰げば尊し」、よく考えてみれば日常的に口ずさむ歌ではない。小学校、中学校、高校・・・。卒業式に限っている。しかし、歳を重ねても人々の心に深く刻まれ、忘れさせない、不思議な力を持っているのだ。一方で、この歌をなくしてしまった学校もあるという。 どうしてだろう。式が終わって、その話題に大人は首を傾げた。


卒業式2


 ひと頃「荒れる卒業式」が話題になったことがある。母校で見る限り、それは微塵もなかった。国歌もきちっと歌い、式の節目節目の「起立」「礼」も爽やか。同窓会長は祝辞の中で、その礼儀正しさを称えながら、現代にも通ずる武士道を説き、人間社会での礼節の普遍性耐える力の大切さを説いた。一方、校長も式辞で三つのはなむけの言葉を贈り、その中で「人を思いやり、人を愛し、人に感謝する心を持ち続けよ」と促した。ここには、どこで勘違いするのか国歌や礼節を軍国主義やナショナリズムに結びつけたがる一部文化人?のアレルギーはなかった。母校は健全だった。




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ザゼンソウの神秘

ザゼンソウ1


 「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬・・・」

そう、あの尾瀬のミズバショウを唄った歌だ。日本人ならだれもが口ずさんだことがあるだろう。この歌の通り、尾瀬のミズバショウが花開くのは夏。私は尾瀬に行ったことはないので、写真のそれしか知らない。尾瀬はともかく、ミズバショウそのものを見たことがない人はかなり多いはずだ。ところがみんな知っているし、ずっと昔から馴染み深い花のような錯覚にさえ・・・。歌の魔力だろう。





 このミズバショウを彷彿とさせるのがザゼンソウ(座禅草)。開花期は夏と初春でまったく違うが、どちらもサトイモ科の多年草だから、ご親戚だろう。ミズバショウと違って、こちらは馴染みが薄く、恐らく見たことはおろか、名前すら知らない方も多いはずだ。そのザゼンソウが今、山梨県甲州市の小倉山の山麓で見ごろ。ここは甲府盆地の東北部、秩父山塊のはずれのような所で、竹森という地域だ。




 「ザゼンソウって見たことあります?実に神秘的な花なんですよ」


ザゼンソウ2



 山梨ロータリークラブでご一緒する仲間が例会の後、その竹森のザゼンソウ群生地に案内してくれた。車で行ったのだが、JR中央線塩山駅から北へ約5㌔、時間にして6~7分の所。いわば塩山駅とは目と鼻の先。眼下に塩山の街並みが見える。




 山あいの人家からちょっとそれて、駐車場らしい広場に車を停め、1~2分歩くと、ある、ある。ザゼンソウがいっぱい。杉木立の中を小川、いや、岩清水と言った方がいいが、その流れの両側にかなりの幅で、帯状に群生しているのである。その群生は山の頂に向かって2~300m延びている。




 岩清水が集まるこの山沢の湿地帯に群生しているザゼンソウは黄色いものもあるが、ほとんどが赤茶色。大きさは15cm前後。仏像の光背に似た形の花弁の重なりが真ん中の胞子を包むように咲いているのである。まさにザゼンソウ(座禅草)の名の通り、花の中で僧侶が座禅を組んでいるように見える。卵型のこの花は別名ダルマソウともいう。


ザゼンソウ3


 回廊のようにジグザグ延びる木造板の遊歩道で、しきりに望遠レンズのシャッターを切っていたアマチュアらしいカメラマンは


 「私たちは毎年、地元の甲州市に見ごろを問い合わせては東京からやってくるんです。華やかさこそないが、ひっそりと山あいの湿地で咲く、このザゼンソウに魅せられるんです。まさに、ひなびた山あいで座禅を組む仏様か観音様。なんとも神秘的な花ですよねえ」



ザゼンソウ4


 この群生地に程近いところに住み、毎朝、ランニングのコースにしているという仲間のロータリアン氏によれば、シーズン中、週末ともなれば大勢の見物客で賑わう。県内外からのお客さんを当て込んで茶店も出るほどだ。ザゼンソウの群生地は、栃木県の大田原なども知られているが、この甲州市の竹森は、自生地としてはわが国の南限。その意味でも貴重だ。



 ただイノシシが天敵らしく、周囲には弱い電流を流す細い鉄条網が張り巡らされていた。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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