クモの巣状の地下鉄

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 涼しい。東京の、ある地下鉄のホームだ。「生き返えった気がするねえ…」。一緒にいた5~6人の山梨からの«お上りさん»は、誰ともなくそう言った。今年の梅雨は空梅雨か。天気予報を覆して、その日も雨はなく、暑かった。




 エスカレーターを何度も乗り継いでホームに降り立った時、一瞬、冷風が汗ばんだ全身を心地よくなぜた。私ばかりではなく、みんなが生気を得た思いをしたはずだ。前の車両が行った後なのか、上下線ともホームのお客さんはまばらであった。




 ひと呼吸置いた時、仲間の一人が、こんなことも。


 「確かに涼しいけどねえ…。でも、この冷風で地下鉄構内の空気をかき回すわけだから、俺たちが吸っている空気は埃だらけさ」




 なるほど。そう言えばそうだろう。でも、涼しいに越したことはない。この冷風、地下鉄ならではのサービスだろう。JRなど地上駅だとこんなサービスは、やりたくても出来ない。一方、地下鉄側だって、構造上、自然の換気は無理だから空気浄化の装置は備えているはずだ。兎に角、汗ばんだ体に冷風は一服の清涼剤にも思えた。




 気が利く、と言ったら、ちょっと失礼だが、仲間の一人が「これ一枚持っていると便利だよ」。構内のスタンドに置いてあったのだろう。「地下鉄路線図=SUBWAY MAP」を持って来てくれた。それを見た別の一人が言った。




 「地下鉄って、こんなにあるのか。東京の地下は地下鉄だらけ。まるでクモの巣だ」

 地下鉄だらけ、と言うのも、言い過ぎだが、B5版のカラープリントに収められた「地下鉄路線図」は、路線と駅名でびっしり。私のような田舎者は、このガイドマップがなかったら乗り換えもさることながら目的地まで行くことすら出来ないと思った。


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 学生時代だった昭和30年代の後半から40年にかけての東京は国鉄(現JR)とチンチン電車とも言った路面電車が主流だった。もちろん地下鉄がなかったわけではない。今にして思えば、あのチンチン電車が懐かしい。一区間でも、終点まで乗っても15円。貧乏学生には、いい乗り物であった。




 やがて来る車社会の到来は、その路面電車を地下に追いやり、地下鉄の整備をどんどん促していった。地下鉄はさらに進化していくのだろう。ビルが密集した都市部であればあるほど地上での交通網の整備は難しい。今、着々と進むリニア中央新幹線だって都心部は、山手線の品川と田町の中間付近を起点にして地下を走ることになっているし、山梨、岐阜、愛知とリレーするコースも山が多いので大部分がトンネル、つまり地下だ。




 わが国に初めて地下鉄が走ったのは浅草―上野間。創始者は山梨県出身(現在の笛吹市一宮町)の早川徳次だ。「いつか、きっと東京中がクモの巣のように地下鉄で張り巡らされる日が来る」と言っていたという早川は今、草葉の陰で、「そら見ろ」と、ほくそ笑んでいるに違いない。地下鉄の元祖・早川徳次の胸像は、かつては東京・銀座の数寄屋橋公園に、今は地下鉄東銀座駅に近い連絡通路に建っている。。
 一方、早川は家電大手「シャープ電気」(早川電機)の創業者でもある。こちらは台湾企業に買収される憂き目に。創る者、潰す者。時代の成せる業だけでは済まされない条理と不条理がある。若い頃見た早川徳次の胸像を思い出しながら不思議な気分になった。




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役者の妙技

市原悦子


 正直、稽古に裏打ちされた役者とは凄いと思った。語り口調はむろん、声の強弱、話の間合…。いわゆる話術と計算された身のこなしである。稽古が作り上げた血肉に他ならない。千葉県人権擁護委員連合会がホストになって千葉市のオークラ千葉ホテルで開いた関東ブロック大会に講師としてやって来た女優・市原悦子さんの講演だ。




 人権擁護委員の関東ブロックは1都⒑県連(東京、千葉、茨城、埼玉、栃木、群馬、新潟、長野、山梨、神奈川、静岡)で構成されている。大会にはその代表約450人が臨んだ。市原さんは劇団「俳優座」の所属。舞台はむろん、テレビにも出演しているので、茶の間でもお馴染み。どこの局かは覚えていないが「家政婦は見た」の名演技が今でも印象に。


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 講演のテーマは「私の選んだ女優の道~朗読とトークの世界~」。市原さんは80歳を超えている。純白なドレスに身を包み、頭の左側には大きな白い造花を付けて颯爽と登壇した。1呼吸、2呼吸…。口を開かない。だから聴衆は舞台に引き付けられる。やおらに口を開いた市原さんは貧しかった戦時中の市川での生活をゆっくりと、生々しく語り始めた。




 市原さんによれば、やがて演劇に興味を抱き、俳優座へ。「人間(生き様)はみんな違っていい」という。「稽古、稽古。とにかく稽古が好きだった」。そこに市原さんの役者魂と役者としての原点や今があるのだろう。やがてトークはグリム童話の朗読に変わっていくのだが、ここでも聴衆を引き付けてやまない。«芸»とは何か、を見た思いがした。お金を貰う、と言うことの意味をも改めて知らされた。若いタレントさんの、そう言っては失礼だが、口先だけのトークとは、どこか違う。




 人権擁護委員連合会の関東ブロック大会は11都県が持ち回りで毎年開いている。代表でやって来る委員さんも同じで、人権擁護委員の年齢は、その制度の性格上も比較的高い。平均では、恐らく65歳を超えているだろう。世の中で一般的に言う高齢者の集まりかも知れない。お若い方々とは、ちょっと違うのだろうが、2時間近い講演をしっかり聞いていた。聞いていた、と言うより、聞かされてしまった、と言った方がいいかも。




 大会は一方で、理事会や委員会、総会(代議員制)も開かれるが、全体的には、その報告や講演、研究発表、意見交換会などが中心。その内容はともかく、多くの人が職域や業界、あるいは趣味のグループなど、大会とか研究会といった類の集会に参加した経験がおありだろう。失礼な言い方だが、おおよそ面白くも、それほど勉強になるものでもない。




 その内容は概ね、冒頭のセレモニーがあって基調講演や研究発表と続く。最後は懇親会(レセプション)。なぜか、法務省関係は、飲食を伴うこの懇親会を「意見交換会」という。そんなことはどっちでもいいのだが、プログラムの中心に据えられた基調講演や研究発表は、正直言って形ばかりで面白くない。元来、ズボラな私なんか時として、うつら、うつらするのがオチ。ハッと気づいて目を開け、テレくさ交じりに周りを見渡すとやっぱり…。ところが今回は違った。私も含めて居眠りしている人は誰もいなかった。勝手な言い分かも知れないが、講演とは聞かせる側の責任。面白くなかったら居眠りもする。




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船のパイロット

船のパイロット   


 パナマ運河は、アメリカからその管理運営権を勝ち取ったパナマ政府にとって、まさにドル箱に違いない。運河を通してもらう経費は半端なものではない。航行する船に乗り込んで船内アナウンスをする広報担当嬢によると、この運河で働く職員はざっと9,000人。この人数から類推しても、いかに経費がかかるか、おおよそ見当がつこうというものだ。運河の構造や歴史をアナウンスするこの担当者も運河の職員の一人なのである。大西洋―カリブ海―パナマ運河―太平洋の航路を持つ客船だから、運河を紹介するアナウンスくらい自前でやればいいのに、と思うのだが、港湾労働者、海の男達の掟なのだろう。


自衛隊


 海の港には、一般には知られざる≪掟≫がある。それぞれの港にいるパイロットと、そのパイロットの指示に従って船を押すタグボートの存在だ。空の港・空港で飛行機が勝手に離発着できないのと同じである。飛行機はいかなる事があっても管制塔の指示を受けて航行しなければならないのだ。飛行機のパイロットには離発着の裁量権はない。


タグボート


 飛行機の機長に当たるのが、言うまでもなく船では船長。大海では船の航行の一切を指揮するが、港への入港、また出港は全てその港のパイロットに指揮を委ねるのである。パナマ運河もそうだが、港の沖合いまで来ると、どこからやって来るのか、モーターボートの男が船に乗り込む。港のパイロットである。モーターボートは航行中の船のデッキにピタリと張り付き、パイロットを乗り込ませるのだ。港を出港する場合も同じで、船を沖合いまで出すと、迎えに来たモーターボートで航行中の船から帰って行くのである。


 

 掟と言うより、港の安全管理上、欠かせないシステムなのだ。パイロットは港の隅々まで熟知している。次々にやってくる船舶を安全、的確に港に迎え入れ、また沖に出すのだ。その秩序を崩し、万一、港の中で事故やトラブルでも起こしたら、大混乱を招くばかりか、場合によっては港としての機能を失うことになる。


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 パイロットの指示で船を動かすのがタグボート。パイロットのモーターボートと前後してやって来て、船の両側にピタリと付いて押して行くのである。入港にしても、出港にしても全ての船舶は、この2艘のタグボートに全面的にお任せ。見ていると、こんなに小さな、たった2艘のタグボートのどこにそんな力があるのだろう、と思うほど大きな船を自在に操るのである。




 船が桟橋に接岸、ブイにロープがかかると、パイロットの任務は終わる。タグボートもどこかに姿を消す。出港の場合は、港のはるか外の沖合いまで誘導、Uターンするのだ。船はだんだんスピードを上げ、さらに沖へと進んでいく。パイロットはそのスピードを上げる船から巧みにモーターボートに乗り移って帰って行くのである。

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 客船であれ、軍艦であれ、船の航行指揮はブリッチ(船橋)で執る。そのブリッチは船首の一番高いところにあって、実際に船を動かす操舵室は別の部屋。つまり、ブリッチから操舵室に指示が流れて船は動くのだが、恐らく、入港、出港時は港のパイロットとタグボートにその全てを任すのだろう。タグボートは、いわば操舵室の役割を果たすのだ。






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陸のタグボート

ボート

 PANAMA KANALは中央アメリカのパナマ地峡を横断して、カリブ海と太平洋を結ぶ運河である。具体的にはカリブ海側のクリストバルという港から太平洋側のバルホアという港までの全長82kmの水路を言うのだ。




 閘門式を採用しているのが特徴。つまり、カトゥンの三段式の閘門、ペトロ・ミクルの一段式閘門、ミラプロレスの二段式閘門で構成されている。分かり易く言えば、閘門は船舶を高低差の大きい水面で昇降させる装置。二つの水門で仕切られた、いわばプールのような閘室を駆使して船を標高27メートルの丘陵に持ち上げ、また下ろしていくのだ。



陸のタグボート


 順を追って説明すると、2,500人を超す乗客と約1,200人の乗員を乗せた船は、カリブ海側の港・クリストバル港から運河を11km航行、川をせき止めて造った人造湖・カトゥン湖へ入る。そこからパナマ地峡の背骨ともいえる丘陵地帯を掘削して造ったクレプラ掘割へ。次いでペトロ・ミゲルの閘門で船は、標高17mまで下げられ、さらにミラプロレスの閘門で海水面まで下げられるのだ。そこから約13㎞航行すると太平洋側のバルホア港に着くのである。この間の所要時間は約8時間。


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 一番の見所は、閘門と呼ばれる扉で仕切られ、水が増えたり、減ったりする水路を船が航行する瞬間だ。往復だろう何本かの水路があって、私たちの船の隣の水路では、3艘のヨットと、それほど大きくないタンカーが同じように太平洋方向に静かに移動していた。その場面はちょうど最後の閘門、つまり太平洋側の港の海面水位まで下げていく瞬間だから、プール状の水路の水はどんどん吐き出されていく。船は見る見る水路の底に沈んでいくのだ。その水位が海面とひとつになったところで、観音開きの分厚い鉄の扉が開いて、船は何事もなかったように海水面に出て行くのである。





 ここでの船は自力での航行はしない。水路の両側には電車のレールのようなものが敷かれてあって、そこを機関車のようなものが両側から等距離に船と繋いだロープで引っ張り、慎重に誘導するのだ。タグボートについては次回、改めて触れるが、このレールの上から誘導する両側の機械は、いわば≪陸のタグボート≫みたいなものだ。


陸のタグボード3


 もちろん、専門的な呼び名があるのだろう。船内アナウンスの広報担当者は当然、この事にも触れているのだろうが、英語を聞き取れない日本人、いまさら地団駄を踏んだところでどうにもならない。


船


 私たちが乗った船は、このパナマ運河を航行する最大級の大きさなのだろう。船体と水路の両側のコンクリート壁の間は1m足らず。≪陸のタグボート≫は、そのどでかい船体を両側のわずか1本のロープで、事も無げに運河を渡してしまうのである。水路のコンクリート壁に船体の一部と言えどもこすろうものなら、船は万事休す。そこに立ち往生せざるを得なくなるのだ。パナマ運河は中東のスエズ運河と並んで世界の海のバイパス。大小を問わず世界の船がひっきりなしに航行するのである。造った人達のロマンもさることながら、運行を管理する人達のロマンも平凡な私にも伝わってくる。





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パナマ運河の感動

パナマ運河2


 感動した。思わず拍手したくなった。どでかいホテルのような客船が山の上の人造湖から流れる水をせき止めた運河を次々と渡って、標高約27mの丘陵を越えて別の海に出るのである。大西洋・カリブの海から82㌔、そこはもう太平洋だった。ざっと100年前にやってのけたアメリカ人の開拓魂の逞しさと男達のロマンに思いをはせる一瞬でもあった。




 カリブ海を挟んで大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河。PNAMA CANALだ。完成が1913年というから、その計画を思い立ったのはさかのぼって1800年代。今のような重機もなかった時代、アメリカ人は人力で大西洋と太平洋を繋げてしまうという途方もないことを思い立ったのである。山のてっぺんに人造湖を作り、その両側に掘割の運河を作った。



パナマ運河3   パナマ運河4


 当時、大西洋と太平洋を行き来するには南アメリカの南端をぐるりと廻るしか方法がなかった。それへの船舶の所要日数はさっと65日。それを、わずか8時間に短縮したのだ。経済効果ひとつとっても計り知れない。マラリア、黄熱病。その舞台裏でさまざまの苦難と犠牲があったことも事実。一方で、その利権を巡って隣接国の紛争やアメリカを中心にした関係国の綱引きが行なわれたのも無理はない。経済効果にとどまらず、軍事戦略まで絡むのだから、一口には言い表せない複雑は歴史があったのだろう。





 北アメリカ大陸の南端、フロリダのマイアミを出港した船は、大西洋を航行、細長く横たわるキューバ沖を這うように進んでカリブ海へ。途中、南米・コロンビアに寄った後、このパナマ運河を渡るのである。出港から4日目の午後。船内アナウンスはパナマ運河航行を告げた。マイアミからロス・アンゼルスまで15日間のクルージングのいわば第一のクライマックスなのだ。


パナマ運河5  


 ある者は自分の部屋のテラスから、ある者は7階のデッキや13階、14階の甲板から一斉に外を。誰ともなく歓声が上がり、みんな思い思いにデジカメのシャッターを切った。船はタグボートに両側を押され、ゆっくりと進んでいく。閘門と呼ばれる堰に入ると、また別の機械が。その間、船内アナウンスは運河の構造や建設、完成までの歴史を説明する。




 アナウンス嬢は船の職員ではなく、運河の広報担当職員だ。走行中の客船に、どこからともなく、やって来た一艘のモーターボートが沖あいでピタリと張り付き、広報担当者を乗せるのだ。この広報担当は運河を渡りきり、太平洋の沖あいに出ると、また走行中の船からモーターボートに乗り移って帰っていくのである。


パナマ運河1


 説明によれば、パナマ運河は二重のコンクリート壁と導水管からなる代表的な閘門式の運河。水深は一番浅い所で14m。幅は33~109m。川(チャグレス川)をダム(カトゥン・ダム)でせき止めて、水面標高27mの人造湖(カトゥン湖)を設け、その丘陵(ゴールド・ヒル)地帯の両側に深さ14メートルの掘割を造ったのである。




 分かり易くいえば、閘門式といわれる仕掛けのプールに乗って、徐々に山に登り、また降りていくのである。へえ~、よくこんなことを考えたもんだ、と感心せざるを得ない。詳しくは次回にお話しすることにしよう。




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梅雨の紫陽花

紫陽花  


 雨には紫陽花が良く似合う。雨というより梅雨と言った方がいいかもしれない。我が家の紫陽花は今が見ごろ。植え込みのあっちこっちで花を咲かせている。直径20cmを超すような大きなものもあれば、ひと回りもふた回りも小さいものも。白っぽい花がやがて青く、また紫にも変わる。紫陽花とはよく言ったものだ。その表情は、その時々、見事に変化する。梅雨の合間、夏の日差しを浴びれば、いっそう爽やかに、雨に打たれれば梅雨空の鬱陶しさをぶっ飛ばしてくれもする。


紫陽花3

 紫陽花は思ったより逞しい植物である。放って置くとどんどん枝を増やすし、大きくもなる。だから私は花が終わった後の夏以降、秋口に毎年、かなり乱暴ぐらいに傷めてやる。株が大きくなると周りの植え込みとの調和を損なうからだ。ただ、ここ1~2年の経験からすると、あまり傷めすぎると花は確実に小ぶりになる。


紫陽花2


 初春が梅なら、春爛漫は桜。そしてこの時期の梅雨とくれば花は間違いなく紫陽花だ。日本の四季の中で欠くことのできない存在である。梅や桜と間を置いて全国の紫陽花の名所がテレビや新聞で紹介され、名所はどこも見物客で賑わう。見物客は梅雨空なんて何のその。傘を差してでも足を運ぶのである。梅や桜には雨は似合わないのだが、不思議と紫陽花には雨傘がよく似合うのだ。


雨傘  


 「○○には○○がよく似合う」。どこかで聞き覚えのあるフレーズだ。そう。あの太宰治が「富嶽百景」の中で書いた「富士には月見草がよく似合う」である。その碑は山梨県の御坂峠にある天下茶屋のすぐ近くに建っている。御坂峠は富士五湖のひとつ・河口湖の高台にあって、正面に雄大な富士を望むことが出来る。


富士には月見草が良く似合う

 この付近には月見草の姿は見えない。太宰が富士によく似合うとした月見草がどこのものだったかは私には分からないが、ここに、その碑が建立されたのは天下茶屋が拠り所であることは間違いない。太宰は天下茶屋に2ヶ月あまり滞在、未完の小説「火の鳥」を執筆。その時の体験を基に書いたのが「富嶽百景」だ。だから、この天下茶屋には一年を通して太宰をしのぶ人達が訪れるし「桜桃忌」には大勢の太宰ファンが集まる。



 月見草は、その名の響きからロマンチックにも聞こえるが、どこの野辺にもありそうな、しがない花だ。夕方に咲き、日中は花を閉じるから人の目には付きにくい。紫陽花のように、どこにでもありそうでいて、どこにでもない花とは違う。いわゆる野辺の花である。甲府盆地のど真ん中を流れる富士川の支流・笛吹川の土手には、かつていっぱい咲いていた。しかし、いつの頃からか、その姿をほとんど見かけなくなった。


紫陽花4

 紫陽花のような逞しさや人気もない。太宰が「富士には月見草がよく似合う」と書かなかったら、とっくに人々の頭の中から忘れ去られていただろう。俳句や短歌にもしばしば登場する紫陽花。一方、太宰に取り上げられて永遠に残る月見草。この二つの花は、はっきりと明暗を分ける。紫陽花に向けてカメラのシャッターを切りながらそう思った。





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カジノの友達

 街  

 「ヤマーダサン オゲンキデスカ」

 カリフォルニア州サンディエゴの町のど真ん中で後ろから駆け寄ってきた5~6人の若者達に声お掛けられた。白人や東南アジア系の男達に混じって黒人の女性もいる。みんな親しみを込めてニコニコ笑っている。



 「オオー、アイム ファイン サンキュー、エブリバデー ハウアユー」




 旧知の友たちに会ったような気持ちになった。。継ぎ足しの英語、英語なんてシロモノではないが、この若者達としばらく話した後、それぞれと握手して別れた。




 私の脇で、ハトが豆鉄砲でも食ったような顔で私を見詰めていた女房が言った。


 「お父さん、知り合いなの?でも、こんなアメリカの真ん中で、外人の知り合いに出会うなんて、不思議ね。こんなこと、あるのかしら」


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 「お前はバカだなあ。こんな所に俺の知り合いがいる訳ねえじゃねえか。ハワイでの日本人だったらいざ知らず、ここは白人どころか、スパニッシュの方が多いところだぞ。第一、外国人に顔馴染みなんかいるはずがねえよ。カジノだよ、カジノ


カジノ


 このブログをお読みの方々は、ここまでだったらまだお分かりにならないかもしれないが、女房は私のタネ明かしをすぐ理解した。


船


 15日間にわたった大西洋―パナマ―太平洋クルーズのフィナーレを明日に控えた5月2日の昼下がりだった。豚インフルエンザの発生で、アカプリコなどメキシコ2箇所の寄港をすっ飛ばしての、計画外の寄港地・サンディエゴだ。ざっと2,500人の乗客は、3日ぶりに船を降りて事実上、最後となった一日を思い思いに楽しんだ。


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 この日は土曜日。約1,200人の乗組員には曜日は関係ないのだが、この寄港地では昼間営業が出来ないのか、カジノのデーラー達も街の散策を楽しんでいたのだ。私の「カジノだよ、カジノ」の一言を簡単に飲み込んだ女房は



 「そうだよね。お父さん、船に乗ってから毎晩、カジノ通い。きっとカモみたいなお客さんだもの、カジノの人たちとも親しくなるはずよね」



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 皮肉たっぷりだ。でもその通り。毎晩、毎日、ギャンブル好きの人たちで賑わう船のカジノで、英語をしゃべらない、いや、しゃべれないのは自慢じゃあないが俺一人。デーラー達にとっては≪手の掛かる存在≫に違いない。勝負に強くもなく、ただ一人の日本人だから、目立つに決まっている。名前だって覚えない方がおかしい。 


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 事実、私がカジノに行くとデーラー達はニコニコしながら一つ覚えのように「ヤマーダサン、オゲンキデスカ」と声を掛け、ある時期からゲームの要領を教えてくれたりもした。それを見ている白人や黒人、その≪中間≫のお客達もフランクで、いつしか言葉が分からなくてもお友達に。レストランやプール、ボウリング場でも声を掛け合うようになった。



プール


 カジノは、洋上ではフリーに営業するが、港に停泊中はクローズになることが多い。寄港地の国や州でカジノが禁止されている所は営業できないのだ。ギャンブルとは関係ないが、7階の廊下の両側にずらりと並ぶ免税店も、接岸中はシャッターを下ろすのである。






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ハワイの地殻変動

 「日本人、とりわけ日本の女性が、来てくれなかったら、ここに軒を並べるブランドショップは、恐らくやっていけなくなるでしょうね。ここで毎日見ていると、日本の女性は入れ替わり立ち代りやって来ては、高級ブランド店の紙袋を提げて帰って行くのです」

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 ワイキキから程近いアラモアナショッピングセンターの一画に設けられているインフォーメーションスタンドの女性は、感心するようにこんなことを話してくれた。このスタンドは海側に向かって一番左側の1階端にある。街路をはさんで軒を並べるルイヴィトンとディオールの店のちょうど反対側の隅だ。まん前の角には「SIROKIYA」が。何年か前には確か「白木屋」だったような気がしたが、なぜか横文字に変わっていた。


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 女房が「お父さん、買い物が嫌ならここで待っていてよ」と言い残して、ショッピングに≪奔走≫している間、ブラブラ歩いてこのスタンドにやって来たのだ。そこではまだ可愛さを残す40歳がらみの日本人女性が、それぞれのお客さんを使い分けるように、英語と日本語でショッピングの問いに応じていた。





 この女性は十数年前、東京の八王子市からハワイに来て、このインフォーメーションの仕事をしているのだと言う。私が住む山梨と八王子は70キロ足らず。親近感を覚えた。


アラモアナ4


 「おもしろ半分、と言ってはいけないが、私もいくつかのブランド店を覗いてみたんです。そこにいるのは日本人ばかりでした。外国人は行かないの?」




 「そんなことはありませんが、ほとんどが日本人です。ここでは、みんな、日本人はお金持ちと思っています。バックひとつとっても10万、20万円は当たり前。50万、60万円もするものをポンポン買っていいくのですから・・・。あの袋の中にも、間違いなく何十万円もするバックや財布などが入っていますよ」




 有名ブランド店の紙袋をぶら下げて目の前を帰って行く若い日本人女性を目で追いながら、こんな解説をしてくれた。


ヴィトン  

 「あなたは欲しくない?」


 「私だって、元々日本人ですから、欲しくないと言ったらウソになりますが、よく考えたら馬鹿馬鹿しくなりました。今では欲しいとも思いませんね。第一、そんなお金があったら、違うところに使いますよ。見栄だけではご飯、食べられませんからねえ」




 ちょっぴり皮肉混じりに、こんなことも言った。その案内嬢によると、ここ数年、ハワイを訪れる日本人観光客は減り続けている。アラモアナショッピングセンターも確実に打撃を受けているという。日本人観光客の減少とは関係ないが、そことほど近い所にあった「ダイエー」はいつの間にか「ドンキホーテ」に看板を変えていた。




 1時間半も経った頃だろうか。女房が帰ってきた。「何、買って来たの?バック、買わないのか?」「買うわけないじゃない。第一、そんなお金ないもん」



 手には娘と友達に頼まれたという口紅と、大衆向きで有名なABCストアーのチョコレートをどっさり吊るしていた。やっぱり貧乏人の女房だった。内心、不便にも思った。


ABCストアー



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人種の坩堝アラモアナの街

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 ワイキキから車でそう遠くない所にあるアラモアナショッピングセンター。そこはショッピングセンターというより、それ自体が大きな街だ。香水や時計、めがね、バックなど世界の一流ブランドの店がずらりと軒を並べ、一日中、大勢の人達で賑わう。




 ハワイ、特に州都・ホノルルがあるこのオアフ島は、いわば世界のリゾート地。一年中常夏の島だから、世界中から、それぞれのスタイルでバカンスを楽しむ人達がやってくるのだ。こうした人達のショッピングロードでもある。もちろんショッピング街の構成は、ブランド品ばかりではない。地元の人たちのお買い物広場でもある。


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 アメリカ本土のどこかは定かではないが、このアラモアナをしのぐショッピングセンターが出来て、その規模では全米№2となったというが、世界の知名度からすれば№1だろう。恐らくこのオハフ島にやってくる観光客で、ここに来ない人はいないといわれるくらいのスポットである。




 そこにはショッピング好きの人間達をひきつける魅力を十分に備えているのだろう。日本、とりわけ山梨の田舎からやって来た女房でさえ、ここに来ると嬉々とする。その気持ちも分からないわけではないが、私の場合、到底そんな気持ちにはなれないのだ。




 サラリーマンを辞めて「毎日が日曜日」の今、スーツも要らなければ、ネクタイやワイシャツ、靴だって要らない。スーツひとつとってもメタボになって体が入らないものも含めて、長いサラリーマン人生の中で買い込んだものがいっぱい。どうせ着ないのだから処分したいくらいだ。普段、忘れっぽいのでバックは持たないし、ブランド趣味などさらさら持ち合わせていないので、時計やサングラスなどにも興味がない。あらゆるものが機能的なもの、一つかふたつあればいいのだ。




 「お父さんて、ヘンだよね。マージャンや競馬、カジノなんかのギャンブルに使うお金はなんとも思わないのに・・・。まったくヘンよね。物だったら残るんじゃない」


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 女房には、よくそう言われるのだが、自分でも不思議なくらい興味がない。醒めているといった方がいい。




 とにかく女房の買い物が済むまで街路のベンチで座って待つことにした。これが面白い。ここは世界の人種の坩堝といってもいい。目の前をさまざまな人種の人達が行き交う。白人もいれば黒人もいる。私のように黄色いのもいれば、それよりちょっと日に焼けた人達もいる。目つきからロシアやドイツ人らしい人もいた。日本人らしい若者達も。でも中国や韓国人との区別はしにくい。年老いた人は比較的少ないが、デブもいればスマートな人もいる。なぜかブスが少ないから不思議だ。ここを歩くと綺麗に見えるのかもしれない。


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 目の前にはルイ・ヴィトンが、すぐ後ろにはディオールが。面白半分、覗いてみたら、いるいる。日本人女性たちが・・・。年の頃は2~30代から40代。スマートな黒いスーツの紳士然とした店員が日本語で丁重に応対していた。店内には10人近い女性がいたが、いずれもグループではなさそうだ。みんなのお目当てはどうやらブランドのバックらしい。




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曙大豆の贈り物

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 宅急便が届いた。中身は「曙大豆」の種。人権擁護委員活動でお世話になった知人からの贈り物であった。「曙大豆」は知る人ぞ知る珍種。粒が一般の大豆より大きく、甘みが強いのが特長。だから枝豆として食べるのに最適。本当に美味しい。私のような左党には、うってつけなビールやお酒のツマミになるのだ。




 この「曙大豆」、山梨県の南部・身延町で生まれた古くからの特産。身延町は日蓮宗の総本山・身延山久遠時のある町、と言った方が分かり易いかもしれない。静岡県寄りの町である。地域性が強く、生産量が限られているので、入手が難しく、世間では「幻の大豆」ともいう。特に収穫期が短いために市場に出回りにくく、希少性が強いからだそうだ。

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曙大豆:身延町商工会から

 曙地区のある身延町は富士川の右岸。町の商工会はブランドを守り、育てようと懸命で、どうやら種の流出には少なからず気を配っているらしい。種をお送りいただいた方は、富士川を挟んで反対側の市川三郷町に住まわれている。曙地区の知り合いから分けていただいたものを、送ってくれたのだろう。




 実は、この曙大豆の種をいただくのは、一昨年に次いで二回目。昨年は前の年に収穫した種を蒔いたのだが、多くに虫が入った。身延町商工会から出て来る種は厳選されているばかりか、きちっと消毒が施されていることは明らか。収穫時の品質がまるで違う。わが国の枝豆の産地は新潟県。そんなことを言っては失礼だが、それより確実に旨い。

曙大豆1


 もともと私は百姓の倅。子供の頃は大根や白菜、サツマイモやジャガイモ、サトイモなど各種の根菜類とともに、当たり前のように小豆や大豆を作った。ただ、この大豆、枝豆で食べる発想はまるでなかった。日常は蛋白源として煮豆で食べ、味噌、醤油の原料になった。その頃はみんな自家製の味噌や醤油を食べたのである。



 むろん、枝豆といった嗜好品とは作る狙いが違うから、作付面積だって広い。畑ばかりでなく、田圃(水田)の畔にも蒔いた。水が漏れないように田圃の周りに築いた畦に立ちカンナの柄で一定間隔で穴をあけ、2~3粒ずつ種を蒔くのである。自給自足に近い農家の生活の知恵。大豆は植物性の蛋白源として重要な意味合いを持っていた。

 大豆は「大いなる豆」の意味から名付けられた。「大いなる」はむろん、「偉大な」とか「立派な」という意味を持つ。日本人は古来、大豆を、その栄養価からも珍重し、生活の中で重く受け止めていた証だろう。


曙大豆2

 時代は下って今は…。特に果樹地帯に一変したこの辺りでは、大豆を作る農家は全くなくなった。味噌、醤油はむろん、煮豆だって食べたければ、スーパーから買ってくればいい。そのほとんどが輸入物だ。恐らく、アメリカのカリフォルニア辺りから来るのだろう。その過程では少なからず、化学処理が施されているから保存も効く。




 世の中は良くも悪くも変わった。TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉結果云々が取りざたされ、反対だの賛成だのとかしましい。「鎖国時代」ではあるまいに…。「グローバル経済」という言葉が生まれて久しい。EUの欧州がいい例。ご苦労ない百姓のなれの果ては、そんなことを思う。地域性が強い、もっと言えば地域限定の曙大豆もやがては、更なる品種改良が加わるかも知れないし、大きな荒波に飲まれるかも。




 兎に角、明日は、いただいた種蒔きをする。収穫の秋、美味しい枝豆を食べるのが楽しみだ。お裾分けするご近所の人たちの喜ぶ顔も目に浮かぶ。




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世界のリゾート地

マイアミ海5

 えもいわれぬエメラルドグリーンの海と背を分けるように大きな弓状に水平線まで延びる白浜。その広い白浜を挟んで海の反対側に何本も林立するビル。ホテルだろうかマンションだろうか。それともコンドミニアムか。その間に間に高い椰子の木が。ハリウッドのマフィア映画にでも出てきそうな広い屋敷の豪邸も見える。まるで絵葉書のような光景だ。

マイアミ4


 ここなら半袖のカラフルなシャツにサングラス、スーツなら薄手の白が似合いそうだ。弓状の浜辺は、私たち関東の人間が湘南や伊豆の海岸で見るそれとは大違い。真っ白く、どこまでも伸び、その白さと空の青さ、海のエメラルド色が見事なコントラストを見せていた。ハワイのワイキキもいいが、スケールはそんなものではない。

マイマミ2


 船からは一人一人のナイスバディーは見えないが、恐らく想像に難くないだろう。水平線まで続く白い浜辺では、表情こそ見えないものの沢山の人達が太陽に裸をさらし、のんびりと夏のバカンスを楽しんでいた。静かに大西洋の沖に向かう船から飛び降りて、ナイスバディーがいっぱいだろう、その白浜に行ってみたい衝動に駆られた。




 私たちは海に近い空港に降り、そこから程近いホテルに一泊、そのまま船に乗ってしまったからマイアミの街そのものはつぶさに見ることが出来なかった。しかし、ここはハワイと共に世界のリゾート地。ハワイをしのぐとも言われている。ハワイでもそう思ったが、こんな所で第二の人生を過ごせたらなあ~と、儚い夢が頭をよぎったりもした。


マイアミ5


 日本人にとってはマイアミよりハワイのほうが身近なリゾート地なのだろう。ハワイは成田からは、ざっと6,000キロ、空路8時間足らずの距離。それに比べマイアミは、少なくとも時間、距離共にその倍近くあるだろう。現に私たちはハワイからロス・アンゼルス経由で10時間以上かかった。日本の飛行機と違ってサービスが悪いノースウエスト機での10時間は、乗換えがあったにせよ、いささかうんざりしたものだ。




 マイアミの浜辺はどうであったか分からないが、帰りに再びワイキキに寄ってみると、いるいる。白人達と比べると一回りも、ふた回りも小さいが、ナイスバディーの日本の若者達が大はしゃぎで波に戯れていた。大西洋のマイアミからパナマ運河を経て太平洋を北上、ロス・アンゼルスまで15日間のクルージングを終えてホノルルに戻ったのは5月3日。日本のゴールデンウイークの真っ只中だから無理もない。日本、いや山梨はこの頃からずっと雨だったらしいが、ワイキキの空はいつものように抜けるような青さだった。


ハワイ


 ワイキキと並ぶハワイの観光スポットといえば、アラモアナショッピングセンター。ここにも日本人はいた。私は日本でもそうだが、女房のショッピングのお供は、まっぴら御免こうむっている。どうして女というヤツは、こんな表現をしたら世の女性からお叱りを受けるかもしれないが、買い物となるとこんなにも嬉々とするのか。この歳になってもまだ分からない。




 「お父さん、嫌なら、そこで待っていてね」


 お世辞にも普段、それほど機敏に動くでもない女房が目を輝かせて飛び回るのだ。





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エメラルドの海

マイアミ海2   

 やがては紺碧の海に変わるのだが、マイアミの海はエメラルド色だった。エメラルドグリーンといった方がいいかもしれない。4月19日午後4時、ざっと2,500人の乗客と1,000人を超す乗員スタッフを乗せた豪華客船「NORWEGIAN」は、動いていることすら分からないほど静かにマイアミの港を出港、15日間のクルウジングのスタートを切った。





 さすが北アメリカの南端、午後4時といっても日差しは強い。しかし焼き付けるような暑さではなく、全く爽やかだ。涼しい風と混じって心地いい。表現の仕様がないほど美しいエメラルドグリーンの海に、デッキに出ていた乗客は一様に歓声を上げた。隣にいた女房も同じように感激したのだろう。


マイアミ海  


 「お父さん、綺麗だね。こんな海、見たことないよね。写真撮ってよ。写真・・・」



 まるで子供のようにはしゃいだ。私は、そのエメラルドグリーンの海をどこを見るともなく真っ直ぐ眺めながら、女房との新婚旅行、南紀白浜の海を思い出していた。その時も、これほど見事なエメラルドグリーンではなかったものの、その素晴らしさに感動したものだ。




 私が28歳、女房が26歳。もう38年、いわば40年も前のことだ。昭和45年1月。この頃、日本列島の真ん中・山梨からの新婚旅行といえば、この南紀白浜あたりがせいぜい。思い切って足を伸ばしたとしても九州・宮崎くらいだったのだろう。それから間もなくハワイ、グアム、そしてアメリカの西海岸、東海岸、ヨーロッパと日本人新婚旅行のエリアは世界に広がっていくのだが、その時分は海の向こうなど思いもよらなかった。



マイアミ海4  


 大学を出て社会人となったのは昭和40年。通勤の足といえば50ccのバイク。仕事の足も同じだった。中古のマイカーを持てたのはそれから数年後のことである。昭和45年といえば、今の天皇が美智子さまとご成婚されてちょう10年。東京五輪を経てわが国は高度成長路線を走り、3C(カー、クーラー、カラーテレビ)などという言葉が生まれた時代だった。





 新婚旅行の足は女房が花嫁道具の一つとして持って来たマークⅡ。 富士・河口湖に一泊、その足で山中湖から籠坂峠を越えて東名高速に乗り、京都、大阪、南紀へと向かったのである。エメラルドグリーンの海は、ドライブ中に見た、恐らく白浜か勝浦あたりの太平洋だ。その海は私たちがこれからパナマ運河を経て、やがて見る中南米の海と繋がっていたと思うと感慨深い。やや傾きかけた冬の柔らかい日差しに照らされて、きらきら輝くエメラルドの海が40年経った今も瞼の奥に鮮明に焼きついている。


マイアミ海7

 「お父さん、ダメじゃない。早く写真撮ってよ」


 同じように見たはずだが、40年も前の南紀の海や、まして新婚旅行のことなどみんな忘れてしまっているのだろう。女というヤツは現実的で、およそロマンなどというものは持ち合わせていないのだ。ただ目の前のものだけを見てはしゃぐ女房の声を聞くともなく聞きながらそんな事を思った。


マイアミ海6

 「早く、早く・・・」。振り向いて見た女房の顔は丸々太り、ウエストも大きなお尻とほぼ同じだった。そういう自分も出っ張ったお腹をデッキの手すりに引っ掛けていた。


マイアミ   



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出会いの不思議

プール  


 「はじめまして・・しおんです。素敵なところにお住まいですね。私はスキーの指導員をしていたので未だに山を見ると滑りたくなります。毎年、元旦はフジテンスノーリゾートで富士山を見ながら初すべりです。昔、スポーツブランド商社だったので私もアメリカのコロラドのロッキーの山の中(VAIL)に2年住んでいました。(後略)」


 

 人の出会いとは不思議なものだ、とつくづく思った。これはブログでお知り合いになった「しおん」さんから頂いたコメントだが、そのちょうど前日、米・コロラド州のコロラドスプリングのご婦人から山梨の私の自宅に一本の電話を頂いていた。

 
出会いの不思議3


 このご婦人は女房と二人して加わった大西洋―パナマ―太平洋クルーズ中に知り合った3組の夫婦連れグループの一人である。3組ともご主人はアメリカ人。ご夫人達はいずれも日本人だった。座間の米軍キャンプなどで知り合って結婚、アメリカに渡って、もう4~50年の歳月が経つという。


出会いの不思議2  

 「ジャパニーズ?」


 船の13階のプール脇にあるオープンの展望サロンで、何やら英語で話していた夫婦連れに話しかけたら、3組のご夫人達は一斉に私の方を向いた。そのうちの一番若そうなご婦人が口を開いた。


 「あなた、日本人?奥さんと二人だけで来たの?元気いいわねえ。この船、2,500人以上お客さん乗ってるけど、日本人誰もいないよね。あなた方、度胸いいわ」


出会いの不思議5


 神奈川県の町田市出身だというこの奥さんは72歳で、まるで江戸っ子のような口調で話す。カイゼル髭を蓄えたご主人が兵役の後、警察幹部を経て、今は悠々自適の年金生活であること、3人のご婦人が町のスポーツジムで知り合い、家族くるみの付き合いをしていること、標高が高くて雪が多く、日本からのスキーヤーも多いコロラドスプリングのことなどを話してくれた。


出会いの不思議4


 この奥さんによると、兵役が志願制度のアメリカでは兵隊さんへの待遇は恵まれているようで、この人のご主人は現在、50万ドル以上の年金をもらっている。20年以上の兵役をした人たちは医療費もタダ。中にはベトナム戦争に行ったというご主人もいたが、この人達には年金額がさらに上乗せされる仕組みになっているのだという。




 アメリカはいうまでもなく不況の最中。こうした高待遇を当て込んで、兵役志願の若者達も増えているのだそうだ。オバマ大統領のイラク撤退とアフガンへの軍の増派政策。その裏側での若者志向の一端を見た思いだった。コロラドに住んだ、という「しおん」さんのコメントはひょんな所で私たち夫婦のアメリカ弥次喜多道中に結びついた。



不思議な出会い2


 洋上で出会ったコロラドの人達ご夫婦の、ご主人達はいずれも在日経験があるせいか、みんな親日的だった。もちろん日本語は話せない。でも、私の継ぎ足しとも言える英語に一生懸命答えようとしてくれた。日本人の奥さんとの間に生まれた子供、そして何人ものお孫さんもいる。家庭では日本語が消えたという。私たちと久しぶりに聞く日本語がたまらなく懐かしそうだった。 




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真珠湾の見える丘

ハワイ家2

 アメリカ旅行でハワイ滞在中は従兄弟の家にお世話になった。そこは真珠湾が見下ろせる閑静な住宅街であった。それぞれかなりのスペースを持った住宅はいずれも平屋建て。上手に区画整理されていて、街路も広く、圧迫感が微塵もない。のどかな感じを受ける。申し合わせたようにそれぞれの家には木で出来た自動シャッター付きの車庫がついていて、屋根は瓦ではなくブロックの木造りである。木造りのシャッターはどこの家も格子模様だ。




 平屋建てと併せて屋根に重量感がないのも街全体に圧迫感を感じさせない理由かも知れない。木のブロックを重ね合わせた屋根は雨の音をうまく吸収してくれるようだ。時々スコールのような雨が降ったが、少しもうるさく感じなかった。

 

ハワイ家


 これも申し合わせたように庭には刈り込み形の植木が幾種類も植栽してある。平屋建ての住宅との調和のためなのか大きな樹木は植えていない。玄関ドアを開けて中に入ろうとすると、従兄弟から「待った」がかかった。靴は外に脱いで家に入るのだそうだ。少なくともこの住宅街の家のつくりは同じだが、みんなが玄関の外で靴を脱いで入るのではない。従兄弟夫婦は日本人。欧米人のように外と内が土足の生活様式ではない。そんな詳しい説明はしなかったが、頭ではすぐうなづけた。でも、その違和感は滞在中ずっと消すことは出来なかった。ちょっと改良したらいいのにと思ったのは一緒に行った女房も同じだろう。玄関に上がりかまちがないのだから靴は外に脱ぐしかない。





 車庫はどの家も車2台が入るスペースを確保しているが、家の前の道路にはそこに入り切れない車が止まっている。夕食後、散歩がてら広い住宅街を20分ほど歩いてみた。何気なくそれぞれの家の前に止まっている車をみているうちにその車種を調べてみたくなった。結果は何とここでは90パーセントが日本車だった。ちなみにトヨタ車が大半を占めた。



車中

 ハワイには定期バスはあるが、鉄道も地下鉄もない。だから日本の田舎のように車がなければ1日とて過ごせないのである。一家に2台、3台はあたり前。成人の数だけ車を持たなければならないから、その量が多いのは当然だ。この国の車の所有率はすごく高いだろう。朝夕のラッシュ時は日本と同じようにすごい。ただ日本と違うのは道路が10車線、12車線と広いからまさに車の洪水だ。その解消策かどうか分からないが、時差出勤を採用している企業が多いのだそうで、朝4時、5時に出勤するサラリーマンも多いという。組合が強いこの国のこと、きっちり8時間労働だから帰りも早い。午後1時、2時には帰宅しているサラリーマンも多いのだ。




 ハワイは小さな島の集まり。アメリカ全土で見た場合、国土が広いから鉄道や地下鉄、それに定期バスをくまなくネットワークするわけにはいかない。車産業が発達したゆえんがそこにあるし、車がなければ一日も過ごせない現実がそこにある。ただ、この車産業、トヨタやホンダ、日産、マツダ、三菱など日本車に40パーセントのシェアを取られ、さらに追い上げられているのだから心中穏やかではないだろう。現に経営危機に陥っている有力メーカーも出てきているという。さてオバマ大統領はどんな救援策を取るのだろう。





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ハワイと8の因縁

 ハワイ王室最後の女王の婿となったビショップ氏の冠がつけられたミュウジアム(博物館)の建物は威厳をも漂わせる見事な建築だ。その年は1889年というから日本の明治中期である。中身も2,400万点をも所蔵、当時のハワイ原住民の生活や風俗、習慣が一目で分かるよう気を配っている。


ミュージアム


 ハワイの原住民には生活の中に文字というものが無かった時代があった。カメハメハ大王の後を継いだ2世の王(カメハメハの息子)は、このことを憂い、12の文字からなる言葉を作った。いわゆるハワイ語である。アルハベットが26字だからその構成は極めて少ないが、人々に文字による言葉が初めて生まれたのである。3世(2世の弟)は土地を住民に解放する一方、コイン(通貨)や切手を発行、ホノルルをハワイの首都に定めた。こうしてハワイ王朝は国家としての体裁をだんだん整えていくのである。さらに4世(3世の甥)は病院を作り、5世(4世の兄)は日本と平和条約を締結して外交への足がかりを作った。6世は老人ホームを造り、7世はサトウキビ農場を奨励して住民の経済基盤を確立したのである。特に7世は平和条約を足がかりに日本の皇室との縁組を提案している。しかし、この提案は実らず、8世の民間アメリカ人迎え入れにつながっていく。そのころ日本の天皇家がハワイの皇室と縁組をするはずがない。





 王を王室だけで継承したのは5世まで。6世から議会から選ぶ、いわゆる公選制にしたのである。血縁による婚姻から起きる弊害で王位の継続すらままならないハワイ王朝の裏側が透けて見える。例えば2世の兄から王位を継承した3世は、若干10歳であった。



海


 ビショップ・ミュウジアムのエントランスホールには、左側にハワイ王朝最後の女王8世の肖像画が、右側にその婿ビショップの肖像画が大きく掲げられ、その右側の大きな部屋には威厳と威儀をただしたカメハメハ大王から7世までの肖像画が展示されている。エントランスをはさんで右側、さらに2階、3階の大きな展示ホールにはざっと2,400万点といわれるハワイの歴史、文化、自然にかかわるコレクションが並んでいるのである。その一つひとつにハワイと南太平洋諸島の逸話をはらんでいることは間違いない。


ミュージアム2
 

 8という数字。ハワイ王朝8人の王が統治したハワイ諸島8つの島。その統治期間が98年、その終焉、つまりアメリカ合衆国入りの年が1889年みんな8絡みなのである。そしてハワイの州都ホノルルの人口は、今80万人だ。




 ホノルルを中心にハワイには日系人が多い。ひところ3分の1を占めるといわれたが、最近やや減っているという。それにしても、これほど日本の影響が大きい島も世界にあるまい。現に、私たち夫婦がお世話になっている真珠湾が望める高台・ローヤルサミット近くの丘には従兄弟夫婦が暮らしているし、ブログ仲間で、いつもネットを通じて交流させて頂いているマダムさんも、このハワイのどこかにお住まいだ。

ハワイ景色


 ここでは、私のように英語がヘタな人間でも苦にならない。日本語で通じるからで、こんな便利な島はない。無理して英語をしゃべらなくてもいいからだ。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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