ハワイと8の因縁

 ハワイ王室最後の女王の婿となったビショップ氏の冠がつけられたミュウジアム(博物館)の建物は威厳をも漂わせる見事な建築だ。その年は1889年というから日本の明治中期である。中身も2,400万点をも所蔵、当時のハワイ原住民の生活や風俗、習慣が一目で分かるよう気を配っている。


ミュージアム


 ハワイの原住民には生活の中に文字というものが無かった時代があった。カメハメハ大王の後を継いだ2世の王(カメハメハの息子)は、このことを憂い、12の文字からなる言葉を作った。いわゆるハワイ語である。アルハベットが26字だからその構成は極めて少ないが、人々に文字による言葉が初めて生まれたのである。3世(2世の弟)は土地を住民に解放する一方、コイン(通貨)や切手を発行、ホノルルをハワイの首都に定めた。こうしてハワイ王朝は国家としての体裁をだんだん整えていくのである。さらに4世(3世の甥)は病院を作り、5世(4世の兄)は日本と平和条約を締結して外交への足がかりを作った。6世は老人ホームを造り、7世はサトウキビ農場を奨励して住民の経済基盤を確立したのである。特に7世は平和条約を足がかりに日本の皇室との縁組を提案している。しかし、この提案は実らず、8世の民間アメリカ人迎え入れにつながっていく。そのころ日本の天皇家がハワイの皇室と縁組をするはずがない。





 王を王室だけで継承したのは5世まで。6世から議会から選ぶ、いわゆる公選制にしたのである。血縁による婚姻から起きる弊害で王位の継続すらままならないハワイ王朝の裏側が透けて見える。例えば2世の兄から王位を継承した3世は、若干10歳であった。



海


 ビショップ・ミュウジアムのエントランスホールには、左側にハワイ王朝最後の女王8世の肖像画が、右側にその婿ビショップの肖像画が大きく掲げられ、その右側の大きな部屋には威厳と威儀をただしたカメハメハ大王から7世までの肖像画が展示されている。エントランスをはさんで右側、さらに2階、3階の大きな展示ホールにはざっと2,400万点といわれるハワイの歴史、文化、自然にかかわるコレクションが並んでいるのである。その一つひとつにハワイと南太平洋諸島の逸話をはらんでいることは間違いない。


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 8という数字。ハワイ王朝8人の王が統治したハワイ諸島8つの島。その統治期間が98年、その終焉、つまりアメリカ合衆国入りの年が1889年みんな8絡みなのである。そしてハワイの州都ホノルルの人口は、今80万人だ。




 ホノルルを中心にハワイには日系人が多い。ひところ3分の1を占めるといわれたが、最近やや減っているという。それにしても、これほど日本の影響が大きい島も世界にあるまい。現に、私たち夫婦がお世話になっている真珠湾が望める高台・ローヤルサミット近くの丘には従兄弟夫婦が暮らしているし、ブログ仲間で、いつもネットを通じて交流させて頂いているマダムさんも、このハワイのどこかにお住まいだ。

ハワイ景色


 ここでは、私のように英語がヘタな人間でも苦にならない。日本語で通じるからで、こんな便利な島はない。無理して英語をしゃべらなくてもいいからだ。





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カメハメハ王朝の終焉

 「七転び八起き」とか「末広がり」といって、わが国では8は縁起のいい数字だ。しかしハワイ王朝にとって8という数字は、結果的にその終焉を意味する不吉なものであった。




 かつてこの王朝が支配したハワイには8つの島がある。南からハワイ島、マウイ島、ラナイ島、マルカイ島、オハフ島、カウアイ島、それに人を寄せ付けない無人島と、個人が所有する島だ。ご存知、州都ホノルルはオハフ島にある。


ハワイ_convert_20090430202936


 アラスカに次いで50番目の州になったハワイ全土の人口は今、ざっと120万人。うち約80万人がホノルルを中心としたオハフ島に住んでいるのだそうだ。一年中アロハシャツとサンダルがあれば過ごせる、まさに世界のリゾート地である。ワイキキの浜辺では1年を通してナイスバデイの若者たちが海水浴やサーフインを楽しみ、リタイアした老夫婦たちものんびり日光浴をしている。白人や黒人に混じって浜辺ではしゃぐ日本人の姿も少なくない。ただ、一年中アロハシャツとサンダルがあれば過ごせるということは、裏を返せば、ここで世界のファッションなどというものは決して生まれるはずがない。


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 ハワイはもともとは一個の王国。あの有名なカメハメハ大王から始まって8人の王様が8つのハワイ諸島を支配するのである。しかし8世でハワイ王国は終焉を迎え、1889年、アメリカ合衆国に組み入れられる。建国から98年、ハワイ王国は100年足らずの歴史しかないし、アメリカになっての歴史も120年足らずということになる。


カメハメハ大王像


 ハワイ王国はどうして100年足らずで崩壊してしまったのか。ホノルルからそう遠くないところにあるビショップ・ミュウジアム(博物館)の学芸員によれば、血族結婚にその原因の一つがあった。ハワイ王朝は代々、王族間で婚姻が結ばれた。そのためか病弱の王が多く、100年足らずで8人が王様を交代するハメになった。ひとりが平均12年3ヵ月しか王位を勤めなかったことになるから、いかに短命政権が続いたかが分かる。


博物館


 そのことに気づいた王室は8世(女王)のとき、その婿に一般人を迎え入れた。しかし時はすでに遅く、8世の女王は20歳台の若さで病死、王家の血筋は完全に絶えてしまったのである。皇室間の婚姻に終止符を打ち、2代に渡って皇太子妃を一般人から迎かえたどこかの国とよく似ている。皇室ではないが、265年続いた徳川幕府の将軍職は15人。1人平均の在職期間は17年6ヵ月。やはり、それほど長くはないが、ハワイ王朝とはちょっと違う。徳川幕府は家柄を重んじた縁組の一方で、万一の場合を考え、後継者を確保する手段として公式に≪大奥≫というシステムを作った。そこには血縁の近い婚姻がもたらす弊害を避けようという意図もあったのである。



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 女王を亡くした婿は王家の全財産を学校や博物館の建設などハワイの公共事業に寄付、98年のハワイ王朝に終止符を打ったのである。その人の名がビショップ氏、この博物館も王朝が崩壊した年に建てられたものだ。
世界のリゾート地としての座をほしいままにしているハワイ。その原点を知る上で欠くことのできない施設である。


ミュージアム
ビショップ・ミュウジアム



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クルージングと出稼ぎ

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 船に乗ることに興味を覚えたきっかけは2年前のハワイ諸島めぐりのクルージング。昨年は海上自衛隊の体験航海に応募、横須賀や清水に飛んで、護衛艦に乗った。水平線に向かってすべるように進む船での航行はいかにもダイナミックで、気持ちがいい。体験航海だから操舵室や船橋(ブリッジ)にも入れてくれる。「面舵いっぱ~い」。海上らしいスマートな白の制服に身を包んだ自衛官が双眼鏡をのぞきながら前方を確認し、操舵室に運行指示を出している。肩と胸には階級章がついていて、それぞれの立場が一目で分かるようになっている。


自衛隊


 面舵とは右旋回、これに対して取り舵は左旋回のことを言う。「いっぱ~い」は30度のことをいうのだそうだ。つまり、船は左右30度の旋回が限度ということか。護衛艦は昔の駆逐艦。自衛隊は「駆逐」という言葉を避けているのだろうか。戦艦も客船も多くはタグボートを使って接岸したり、離岸する。しかし最近ではこのタグボートを使わすにすむ機能を備えた船が増えているのだそうだ。


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 護衛艦と客船は目的が異なるから、もちろん見た目も中身も違う。性能は別にして、双方ともレーダーを積載、船橋や操舵室もほぼ同じだろう。当然のことながら根本的に違うのはミサイルなどの搭載外観の色も違う。客船が極めてカラフルなのに対して護衛艦は敵の視界から見えにくいメタリック色だ。呼称は異なるが、客船でもキャプテン(艦長)以下、幹部は肩、または胸に階級章を付けていて、担当別のクルーの指揮を執っている。


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 例えばレストラン。クルーは幾つかのレストランを日替わりで担当しているようで、あっちこっちで同じ顔ぶれに出っくわして顔馴染みになったりもした。そのクルーばかりでなく、全艦の乗務員に言えることだが、白人より東南アジア人が多いように見えた。主にタイ、マレーシア、フィリピン人のようで、中には黒人もいた。




 日本で言うバイキング方式の大衆レストランはともかく、テーブルに高級ワインやシャンペンを並べ、個々にメニューを渡し、前菜からメーンデッシュ、デザートまでオーダーを取るレストランで、もたもたする私たちに「ジャパニーズ?」と声をかけてきた。「イエス」とこたえると「おげんきですか?」「こんにちは」と、愛想よく片言の日本語で返してくる。グアムの出身だというその男はそのクルーのチーフで、数年前、東京のホテルで接客の研修を受けたという。「研修ではなく、一度は日本に行きたい」とも。


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 東南アジア系のクルーといえば、ハワイに来る時の飛行機の中でも同じような現象を見た。日航機だったが、かつてはスチュワーデスといった客室乗務員のほとんどがタイ人だった。この人たちをリードする日本人のアテンダントに内緒で聞いてみたら、日航では10年ぐらい前からタイ人女性を採用しているのだそうで、さらにフィリピン女性の採用を検討しているという。東南アジア系の採用は何れも人件費削減策に他ならない。ことの良し悪しは別に日本を除く東南アジア人の≪出稼ぎ範囲≫はあっちこっちに広がっている。そのみんなが、それぞれ夢を持って頑張っているのである。





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富士と青木ヶ原樹海

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 いつの間にか立夏が過ぎて、暖かい日が続く。30度を超す日もあるのだから、暑いといった方がいい。でも梅雨時の蒸し暑さや夏の暑さとは全く違う。気温は上がっても、空気が爽やかだからだろう。窓の外の植え込みの落葉樹も、すっかり緑に変わり、いやが上にも初夏の到来を実感させられる。その向こうの御坂山塊の稜線に浮かぶ富士山も雪化粧を薄くして、地肌を見せ始めた。山だって《衣替え》の準備を急いでいるのである。




 真っ白く雪厚化粧した富士は存在感がある。しかし、その化粧をだんだん落として、いくつもの帯状に山肌を見せる始める初夏の富士も、また風情があっていい。山肌の部分は、何故か土色ではなく青く見えるのだ。山頂から下に真っ白い雪に包まれた富士が下になるに従い、融雪のピッチを上げる。言うまでもない。標高の違いだ。



 
 甲府盆地の東部・山梨市に住む人間には、御坂山塊に遮られて、少なくとも五合目より下は伺うことが出来ない。むろん雪はなくなり、土色の山肌を晒しているに違いない。その下には、広大な青木ヶ原樹海が広がっている。そんな富士山は、麓を含めて、ちょっと離れた三保の松原(静岡)をも巻き込んでユネスコの世界文化遺産に登録されている。




 富士山は、ご存知、度重なる噴火によって生まれた山。当然のことながら山肌はむろん、裾野も溶岩流で覆われている。樹海は、その溶岩流の上に形成された原生林なのである。磁気を帯びた溶岩流の大地だから「磁石を狂わす」と言われ、それが世の人々に神秘さを観念付け、近寄り難い存在にしているのだろう。

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 それを計算に入れたのかどうかは分からないが、松本清張は長編小説「波の塔」を書き、結果的に青木ヶ原樹海を《自殺の名所》にしてしまった。樹海で自殺する人は時代を超えて後を絶たず、山梨県は不名誉にも自殺者が多い県のナンバーワン。むろん、山梨県人がそこで自殺するのではない。全国から《自殺志願者》がやって来るのだ。毎年、警察や消防団が行う捜索では何体もの白骨死体が見つかる。


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 若い頃だった。ある大学の要請で青木ヶ原樹海の探検・学術調査に同行取材をしたことがある。松本清張の「波の塔」も自殺の名所も関係ない。全人未踏と言われた樹海の本格踏査が狙い。時は富士山麓が一足早く厳冬期に入る12月半ば。樹海の入口と言ってもいい紅葉台近くにベースキャンプを置き、富士山の一画でもある大室山までの区域の探検・踏査であった。いわば広大な樹海の縦断だ。全行程は1週間だったか10日だったか。




 鬱蒼として神秘的な原生林の中は昼なお暗く、腰ほどの雪に覆われていた。確かに磁石が利かないので、万一の場合を考えて樹々に赤い目印の布切れを付けて進むのである。途中、いくつもの風穴や洞穴を発見、教授を先頭にした学生たち10数人は、一つ一つを図面に。その地質の調査もテーマの一つ。その風穴、洞穴は古代のままで神秘的であった。




 夜は雪を掘り、テントを張ってのビバーク。みんなヤッケの下に新聞紙を入れ、登山靴は胸に抱いて寝た。そうしないと靴はガチガチに凍ってしまうのだ。正直、二度とこんな同行は遠慮したいと思った。窓越しに臨む富士を見ながら、ふと50年も前の思い出が…。




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オオデマリとコデマリ

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 真っ赤に咲き誇るツツジの目と鼻の先で、コデマリ(小手毬)とオオデマリ(大手毬)が白の競演を見せている。ツツジの赤と「テマリ」の白のコントラストも、またいい。同じ白ながらコデマリとオオデマリは、まるで風情が違う。ボタンのような大きな花を付けるオオデマリに対して、コデマリは、枝垂れた枝に小さな花をいっぱい付ける。小さな花は幾つか集まって「群」をなし、その一つ一つが、まさに「手毬」のように見えるのだ。




 名前のイメージからして、この二つは同じ科・属、と思っていたら実は、全く違った。オオデマリはスイカズラ科の植物の一種。別名「テマリバナ」というのだそうで、わが国原産の「ヤブデマリ」の園芸品種。これに対してコデマリはバラ科・シモツケ属の落葉低木。別名「スズカケ」。原産は中国の中南部だという。つまり、何の関係もないのである。


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 ツツジとオオデマリ、コデマリの《競演》が終わる頃になると、今度はサツキが咲き始める。オオデマリ、コデマリは色も形も、それぞれ一つだが、ツツジは花の色も違えば、形も違う。鮮やかな赤もあれば、ピンク、それも白に近いものもあるし、純白な花を付けるものもある。




 ツツジとサツキ。これも私のように無粋な人間には咄嗟に区別がつかない。ただ分かるのは咲く時期が異なることぐらい。5月に咲くのがツツジ、一か月遅れで花開くのがサツキぐらいの認識ぐらいしかない。「時は今、雨がした散る五月かな」。後に「本能寺の変」と言われた«謀反»で、織田信長を討った明智光秀の結果的に辞世となった句である。謀反の日は6月3日。旧暦の五月である。


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 日本列島は東西に長い。だから地域によって開花の時期は、もちろん微妙に異なるだろうが、日本列島のど真ん中・山梨県ではサツキの開花は、やっぱり6月。大雑把にツツジの一か月遅れである。裏を返せば、ツツジとサツキが連続して楽しめるのだ。




 このツツジとサツキには、グレード的に差があるのか。私がいつもお世話になっている割烹旅館のご主人はサツキの盆栽のマニア。専門家と言った方がいい。挿し木から育て、手塩にかけて立派な盆栽に作り上げて、見事な花を咲かせるのである。その数は半端ではない。「正直言って、子供より可愛いんだよ」。そう本音を漏らしたことがある、




 このご主人、何故かツツジには目もくれず、サツキばかり。やっぱり、専門家にとってはツツジとサツキのグレードが違うのか。確かに、名のある盆栽展を覗いてもツツジではなくサツキ。その辺は野暮天には分からない。

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 今が盛りのツツジやオオデマリ、コデマリが散るとサツキが。その頃になると、梅雨の季節がやって来る。人々は、ついこの間まで「サクラ、サクラ」と、「花はこれだけ」と言わんばかりにサクラを愛でていた。周囲はいつの間にか緑に変わり、そこに彩を添える花々も知らず知らずに姿を変える。季節の移ろいは確実に進み、人間の生きざままで変えてゆく。オオデマリ、コデマリの違いやツツジやサツキの違いなどどっちでもいい。サツキの後には鬱陶しい梅雨が控え、暑~い夏ヘと、アッという間にリレーするのだ。。




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孫娘の涙の要求

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 その昔、体制に対する要求や抗議はムシロ旗。直訴を禁じる時代もあった。今はゼッケンやプラカードを掲げてのデモや座り込みに変わった。国会議事堂周辺や沖縄の基地周辺で、テレビに映し出される光景だ。アジ演説のスタイルも変化した。その舞台裏も一皮むけば面白い。本音と建前。奇奇怪怪の場面だってあるかも知れないし、聴くところによれば「えっ?ホント」という現実もある。




 一方、家庭という一番小さな社会にも《抗議行動》はある。これも考えようによっては奇奇怪怪。愚痴や、些細なことに文句を言う女房の《抗議》には、ビクともしないが、幼い孫娘の《抗議》や《要求》には弱い。この四月で4歳になったばかりだが、デモならぬ泣き声と涙で、自分の要求を貫徹することを覚えた。


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 「女の涙には弱い」と言った、どこかの総理大臣がいたが、私は孫娘の涙の抗議には心ならず弱い。最近は、あっちこっちに、この泣きの抗議、要求が目立つようになった。知恵の一つだろう。ショッピングセンターに連れて行き、おもちゃ売り場の前を通りかかると、「あれ欲しい」。むろん値札が読めるわけがないから、お値段との《相談》は関係ない。




 「あれはねえ、飾り物で売ってくれるものではないんだよ」


 貧乏人の貧乏人たる由縁。咄嗟に孫娘の要求を交わそうとするのだが、敵もさるもの。泣きの抗議ばかりか、その場に座り込み。ついには何千円もするおもちゃを買わされるハメに。「泣いたらダメ」と《教育的指導》も効き目無し。「泣く子と地頭には勝てない」。




 茶の間では日常茶判事。さすがに、いぶかしがる母親(娘)をよそに、孫娘の言うなりになる婆(女房)。その気持ちは爺だって分かる。でも…。




 「お母さん(婆)、ご飯の前に(孫娘に)チョコレートやスイーツなど、やったらダメじゃないか」


 「そうよ。お爺ちゃんの言う通りよ。お婆ちゃんは何でも、この子の言うことを聞いてしまうんだから…。そんな習慣、つけられたら困るわよ」

 
 「でも、欲しがっているんだから…。可愛そうじゃあない」


 私も本当のことを言うと、孫娘の喜ぶ顔を見たいのだが、そこは、グッと堪えて「ご飯を食べてからにするんだよ」と戒め、婆やママには「泣いてせがんだら、言うことを聞くんじゃあない」とも言う。しかし、本音は、その反対だ。

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 昔から「年寄り(に育てられた)子供は3文安」という。可愛さのあまり幼い子供の言うなりになるからで、子供を真に育てている親は、それを心良し、と思ってはいない。




 甲府盆地の東部3市(山梨、甲州、笛吹)で構成する峡東地区明るい社会づくり運動協議会の総会で「家庭における親・祖父母の役割」と題して記念講演した東京家庭教育研究所の鷲山佐和子氏は、こんなことを言った。




 「子供に《我慢する心》を教えることも大事。子供はそこから成長していく」


 子供に我慢、とは酷にも思えるが、言われてみれば、その通り。それが爺婆の役目だ。




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孫娘のチャレンジ

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 茶の間と言うより、家中が賑やかになる時がある。甲府に住む孫娘がやって来る日だ。パパやママに連れられて来るのだが、むろん、週末。パパの勤めもさることながら、孫娘も、この4月から幼稚園に。年少さんだ。その合間を縫ってスポーツ教室にも。ママである娘に言わせれば「この子も結構、忙しいのよ」。




 車の後部座席に設えられたベビーシートから解き放たれた孫娘は、家に入るなり「婆、こんにちは」。爺の言葉が出ないのが、ちょっぴり気に食わない。でも、近頃は爺を加えてくれる。そんなことが、また嬉しくもあり、可愛くもある。70も半ばを過ぎたのに、今もなお、たわいもない気持ちが抜けない自分に、ふと、情けない気分になったりもする。




 子供の成長は早い。来る度に«大人»になって行く。裏を返せば、自らが歳を重ねるレールの上にいることも意味する。それは兎も角、子供の好奇心とは凄い。子供たち同士は、もちろん、大人の言動にも、ことごとく興味を持つのである。スマホをやっているパパやママの動きにも関心を持つし、カメラだって同じ。


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 ママ友がSNSでわが子のメッセージ動画を送ってくれば、ママの助けを借りるにせよ、「メッセージ、ありがとう」と、お返しの交信をする。ママや婆(女房)が台所で昼飯や夕餉の料理をしていると、そこにも手を出したがるのだ。「包丁を使うから、ここは危ないのでダメよ」と、戒めてもチャレンジ、チャレンジ。調理台に背が届かないものだから子供用の椅子を持って来て料理に《参加》したがるのである。




 「その顔はなんだ?」。孫娘の顔を見たら口の周りは真っ赤。眉毛は太く真っ黒。ママのお化粧道具が入ったポーチを持ち出して《お化粧》してしまったのだ。まるでピエロのよう。流石に鏡を見る知恵までは備えてはいない。みんなで大笑いしたのだが、子供は大人のやることを、みんな見ていて真似するのだ。考えようによっては怖い存在でもある。


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 ふと70年前の自分を思い起こした。確かな記憶は何一つない。平々凡々に生きる《鼻たらし小僧》であったことだけは間違いない。テレビもなければ、スマホどころか電話もない。車だって同じ。今でこそ、どこの家庭でも一つや二つは転がっているファミコンだってあるはずがない。日常に今のような変化がないので記憶に残る刺激そのものがないのだ。




 時代は戦後も間もない頃。貧乏ながらも子沢山。4人5人は当たり前で、7人8人の兄弟も珍しくはなかった。ICT(情報コミュニケーション技術)などという言葉は存在すらせず、人々は、ただ《食べる》ことが精いっぱいの時代であった。そんな時代と比べれば、今の子供たちを取り巻く環境は月とスッポンほど違う。総じて情報量。ITやICTが子供たちを変えた。車や飛行機が行動範囲を広げた。食べ物に贅沢を言う飽食の時代でもある。




 車の渋滞と喧騒。人々が大移動するゴールデンウィークには、パパやママに連れられて国内はむろん、海外にも飛んで行く。子供たちばかりではない。情報化社会は人々を知らず知らずのうちに未知の世界へ誘導する。アナログ世代の人間と違って、子供たちはその情報を空気のように受け止め、同化してゆく。孫娘のチャレンジは、その片鱗に過ぎない。




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女房と英会話

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 「お父さん、上手でなくてもいいから今時、少しくらい英語、しゃべれるようじゃなくては絶対ダメだよねえ。私は帰ったら英会話を勉強しますよ。絶対・・・」




 ハワイからマイアミに飛び、そこからカリブ海を通ってロス・アンゼルスに向かう船の中で、女房はしみじみ言った。旅行中、言葉が通じない不自由さを、身を持って体験したからにほかならない。





 「お前、去年、アラスカへ行った時も、その前のハワイの時もそう言ったじゃあないか」




 「そうだったかなあ。でも、今度は絶対、勉強するよ。お父さんも一緒にやらない? そうしないと、やっぱりダメだよ」


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 旅行から帰って、現実の生活に戻れば、そんな事を言ったのがウソのように忘れてしまうに決まっている。でも、この時の女房の気持ちはウソでもなければ、かりそめでもない。本当の気持ちだろう。これじゃあダメだと、思うのは女房だけでなく、女房の前では言わないが、俺だって同じだ。





 日本人が多いハワイだったらまだいい。あっちこっちで日本語は聞こえるし、日本人が多いから、相手側も日本語で話てくれる。タクシーに乗っても、買い物のお店に入っても、あまり心配にならない。仮に相手が日本語を話せなくても「日本語、話せませんか」で済む。人間の心理とは不思議なもので、ここでは「なあ~んだ、日本語、話せねえのか・・・」と、なぜか日本人としての主体性を持っているのである。


ハワイ


 ところがどうだ。文字通り海の中に放り出された今度のクルーズでは、右を向いても左を見ても一日中、聞こえてくるのは英語ばかりだ。ノルウエーの船だそうだが、この船には約2,500人の乗客と約1,000人のスタッフが乗り組んでいるのだという。たまたまだったかも知れないが、日本人は私たち夫婦を除いてほとんどゼロ。カルチャーショックなんてもんじゃあない。それを通り過ぎてコンプレックスだ。普段、いくらうるさくても日本語を話してくれる女房が、無性に可愛くなる。女房も女房で普段と打って変わってなんでも「お父さん、お父さん」と、従順だ。


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 豪華賞品に目がくらんで?女房と早速、ビンゴゲームに参加した。広いホールの、ふんわりした豪華なボックスシートで、大勢の人達が日本でもおなじみのあのビンゴゲームを楽しむのだ。ところが、数字くらいなら・・・と思いきや、これだって一筋縄ではいかない。最初は数字の発音が聞き取れないのである。20がトエニーくらいならまだいい。40をホーリー、41をホーリーワンとやるから女房なんかハナからカードの枡を潰せないのだ。




 このビンゴゲームくらいだと早い数字の発音に慣れればなんとか大丈夫。とこらが、シアターでのコントショーとなると、チンプンかんぷん。あの掛け合い万歳のようなものだから話のテンポが命。当然のことながら早口だ。そんなヤツを聞き取れるはずもない。一緒に行った90歳近いハワイの老夫婦は、大好きで、みんなと一緒に笑っている。しらけている私たち夫婦を除いてみんながどっと笑うのだ。その度に悲哀を感ずるのである。





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ダメ人間の開き直り

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 開き直る、という言葉がある。人間とはよくしたもので、どんな場面でも「どうにでもなれ」と開き直ってしまえば案外、怖いものはなくなるものだ。約一カ月間を予定した女房と一緒のアメリカ旅行で、それを覚えた。覚えたというより、知らない土地で、言葉が満足にしゃべれない人間にとって、それより方法がないのだ。





 中学3年、高校3年、そして大学の半分の2年、合計すれば8年も英語を勉強したはずなのに、と自らの情けなさに、恨み節を言ったところで、どうにもなるものではない。もっと一生懸命勉強しておけばよかったと、思ってみたところで後の祭りだ。




 開き直るとはこんなことか。多少は頭の中に残っている文法なんてクソ食らえ、そんなものが役立つはずがない。知っている限りの英単語を並べては話してみる。話すなんてスマートなもんじゃあない。言葉というか、単語の積み重ねに毛が生えたようなものだ。もちろん、悪戦苦闘は否めないが、よくしたもので、大筋の話はどうにか相手に伝わる。


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 ところが、ツアーのことなど専門用語になると、にっちもさっちも行かなくなるのである。でもこちらには困った時の切り札はある。伊達に90歳近い従兄弟の老夫婦をエスコートして来たわけではない。ホノルルに60年、70年近くも住むこの老夫婦はこの太平洋のど真ん中にあって唯一、強~い見方だ。開き直りの安全弁はちゃんとある




 でも、はるばるやって来た日本男児、多少の面子があるから、お年寄りのお出ましを、出来ることなら頂かないようにしたいと思うのは人情というもの。しかし、素直じゃあない、このヘンなツッパリがまた悪戦苦闘を招くのである。




 「ジャパニーズ?」



 「いえー」



 「東京からですか・・・?」


 「あなた、日本語出来るの?」



 「ええ、少しだけ・・・。私、この船に乗る前、東京のホテルで勉強しました」





 レストランでのディナーの折、出会った自らがタイ人というウエーターは、私たち夫婦を日本人とみて、たどたどしい日本語で語りかけて来た。





 地獄で仏。ちょっとオーバーだが、そんな気持ちになった。こんな高級レストランではなく、酒場だったら「おい、一杯やろうよ」と、言いたいくらい嬉しかった。なにしろ、他人と日本語で話すことは初めてだったからだ。30半ばぐらいのこの男が古い友人のように思えた。マイアミを出て、ロス・アンゼルスに着くまで、顔を見るたびに声を掛けた。



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 私が住む田舎の小さな小学校で、この四月から文部科学省の指定を受けて英語科が新設された。一年から六年生までの児童全員が定められたカリキュラムで英語を勉強するという。いいことだ。どちらかと言えば、受験に傾いた英語教育を根本から改めて、頭ではなく、身体で覚える英会話教育を実践して欲しいものだとつくづく思った。そうしないと国際化、グロウバル化が進む社会の中で、日本人は世界に通用しないことを実感した。





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タイタニック青年の気持ち

タイタニック

 船首の甲板から身を乗り出して、大声で何かを叫んでみたくなる。映画「タイタニック」で見せたあの青年がやったように、年甲斐もなく自分もやってみたくなった。映画の舞台は大西洋だが、太平洋も限りなく広い。




 私たちが乗ったノルウエー船は全長がざっと300メートル。高さ14階建てのホテルが、そのどでかい太平洋を静かに動いているといった感じだ。船尾に立てば、白く、太いスクリューの尾を大海原に長~く引き、船首に立てば、地球が丸いことを嫌でも実感させる。180度の視界は、ただ青く、丸く見えるその果ては海の水がこぼれてしまわないかと思えるほど、別の青さの空との境界をぷっつりと切っている。


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 映画「タイタニック」は、港近くの酒場でのポーカーゲームに勝って、その時は幸運にも豪華客船の乗船チケットを掴んだ貧乏青年が主役だ。確かレオナルド・デカプリオが演ずるのだが、その貧乏青年は、とても庶民とはかけ離れた社会に住む若いセレブの貴婦人と恋に落ちるのである。

タイタニック3


 そんなシチュエーションと私たち夫婦を重ね合わせたら笑われるが、その舞台だけは全く同じだ。違うのは若く、カッコいい二人の恋、デカプリオから見れば、水も滴る妙齢な貴婦人との恋だ。貧乏青年というところはなんとなく共通している。なけなしの金をはたいて日本の、それも片田舎からやって来た、いわば年取った山猿。女房の顔を見れば60も半ばの≪貴婦人≫。女房ばかりではない。自らも、お腹の皮を突っ張らせたメタボのおじさんだ。大海原に眼をやりながらタイタニックのロマンと現実が交錯する。


タイタニック4


 「お父さん、船、沈まないでしょうね。私ゃあ、泳げないんだからねえ・・・」


タイタニック2


 日本を出かける前、女房は冗談とも本音ともつかないように言った。夢なんて類の表現ではない。確かに、87年前(1912年)のちょうど今頃、不沈の豪華客船と言われたタイタニック号は、氷河とのさもない接触が原因で北大西洋の海に沈んだ。映画の影響だろう。大西洋にはそんな冷たく、暗いイメージがあるのだが、太平洋は底なしに明るい。


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 船。クルージングにハマったきっかけは、前にもこのブログで書いたが、自衛隊の護衛艦。山梨市の自衛隊協力会の役員を仰せつかったのをご縁に、何度か横須賀や静岡で護衛艦に乗せて頂いたことからだ。海への憧れは言わずもがな。四方八方を山で囲まれた内陸地に住む「甲州の山猿」の生まれながらに背負った夢なのである。


自衛隊5


 理由はもう一つある。陸上の旅行と違って、移動する度にトランクを抱えてホテルを替える心配がないことだ。今度の旅もそうだが、15日間、宿泊する≪ホテル≫は同じ。「何時までにトランクを廊下に出して・・・」とか「出発は朝の何時・・・」といった煩わしさは一切ない。私のような無精者で、面倒がり屋にはうってつけだ。




 船は乗客が寝ている間に次の目的地に移動するから、旅の移動時間も短縮できる。ツアーは寄港地から存分に楽しめばいい。さまざまなコースが用意されているので、お好みで自由に選ぶシステムだ。オプションだから、都合や具合がよくなければ船にいればいい。





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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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