何でも真似する孫娘

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 「チビちゃん、その顔、どうしたの?」


 爺に見せようと得意げな顔つきで、ニコニコしながら私の前に現れた孫娘。その顔は口の周りが真っ赤。ママの口紅を持ち出しての仕業であることは一目瞭然。まるでピエロだ。面白いと思う一方で、その無邪気さが何とも可愛かった。4歳になったばかりのことであった。




 それから半年。孫娘は再びママの口紅を差していた。今度は«ピエロ»ではない。差し方が様になっているばかりか、顔にはお化粧が…。

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 「お前、チビちゃんに可愛くお化粧してやったじゃあないか」


 「違うわよ。私がしてあげたんじゃあないのよ。チビちゃんが自分でしたの…」


 女房によると、孫娘はママのポーチをいつの間にか持ち出し、洗面所の鏡を見ながら、口紅を差し、ほっぺ(頬)に化粧をしていたという。むろん、洗面所は大人用に作ってあるので背の低い子供に鏡が見えるはずがない。そこで、子供用の椅子を持って来ての«作業»だったと言う。女房もびっくりするように話した。そっと仕草を見ていたという




 日ごろのママの化粧する姿を見ていての真似であることは間違いないが、男の子なら、そんなことは絶対にしないだろう。真似事にせよ、そこに不思議な幼児の«女ごころ»を垣間見た思いがした。動物的な本能なのだろうか。びっくりすると同時に可愛らしくもなった。何でも大人の真似をする。


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 「サイトウさん」、「私、失敗しないので…」。テレビに出て来るセリフも、いつの間にか覚えて得意気に口にするのである。子供は大人の真似をして成長して行く。大人だってそれが言えるのかも知れない。「臨書」と言って書家の卵は、先輩や先人の書を見習って「書」を身に着け、やがて自分の字を書くようになる。内面的には、子供たちは全て、大人の真似や教えによって大きくなり、やがて«自分»を確立して行く。とても「確立」まではいかないが、自分だって同じだ。




 化粧ばかりではない。最近では着るもの・洋服まで好みを言うようになった。家に居る時も着飾って見せるし、外に行く時も自分のお気に入りの洋服を着る。子供とはとても思えない、おしゃれな一面も覗かせるのだ。


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 少子化は勢い子供への投資を高めていることは間違いない。教育への投資に限らずフアッションへの投資も促している。おおもちゃ、洋服、履物…。デパートやスーパーに入れば、必ずどこかに子供コーナーがあって、子供たちを惹きつけるのだ。子供が欲しがらない訳がない。俗称「ガッチャン」と言うのだそうだが、ミニの玩具を詰め込んだ機械を置く店も。




 私は女房によく言う。「孫の言うなりに買い与えたらダメだぞ」。そんな自分が孫娘にせがまれると「ウン、ウン…」と«要求»に答えてしまう。「お爺ちゃんだって、そうじゃない」。女房は「自分だけ«いい子»になって」と言わんばかりにニヤニヤ。その昔から「年寄子供は三文安」という。年寄に育てられた子供は、えてして良くない、と言う意味だが、正にその通りかも知れない。現に孫に甘い爺婆に娘が苦い顔をする。それが本当の親かも知れない。




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孫娘とハロウィーンカボチャ

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 「あっ、ハロウィーンカボチャだ」。4歳半を過ぎた孫娘は、我が家の物置に収穫したカボチャを見つけて、咄嗟に叫んだ。私たち大人は、カボチャを見て、咄嗟にハロウィーンを連想しない。とりわけ私のような百姓モドキには、食べ物としてのカボチャとしか思い浮かばない。子供の直観力と言うか、連想する力に一瞬、舌を巻いた。

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 絵本やテレビ…。私たちが子供のころと比べ物にならない情報量が子供たちの知識を増大させている証だろう。本屋さんには数えきれないほどの絵本が氾濫するし、図書館に行けば、無料でその絵本が借りられる。テレビの子供向けのチャンネルを開ければ童話や遊びの番組がどんどん飛び出してくる。




 親バカならぬ«婆バカ»チャンリン。女房は週末にはママに連れられて甲府からやって来る孫娘のために、そんな番組を録画しておくのだ。おかげで週末の我が家のテレビは孫娘に占拠されるのである。普段、じっとしていない孫娘も、この時ばかりはじっとテレビを見ているのだ。子供を惹きつけて止まない魅力があるのだろう。作者や番組制作のディレクターに脱帽したくなる。




 歳のせいか、目の前に起こる様々な出来事や現象を自らの子供時代にオーバーラップしたり、比べてしまう。時代が違う、と言ってしまえばそれまでだが、カボチャを見てハロウィーンなどと言う言葉を絶対に連想しなかった。広い農地を抱えた«どん百姓»の家に生まれ、米麦、モロコシなど穀物やサツマイモ、ジャガイモなどの根菜類こそあれ、ほかの食物には窮する生活の中にいた子供にとって考えることすらできないこと。しかも、貧乏人の子沢山。第一、「ハロウィーン」などと言う言葉は聞いたこともなかった。


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 グローバル社会という。地球を丸ごと包むインターネット。情報網の驚異的ともいえる進化によって、人々は情報を思いのままに入手出来る。茶の間に座っていても、世界の出来事がテレビから、ラジオから場合によって、リアルタイムで飛び込んでくるのだ。情報は「得るもの」、「求めるもの」ではなく「セレクトするもの」、「切りすれるもの」に変わった。




 4歳半の孫娘にしてみれば、見るもの、聞くもの、みんな珍しいものに違いない。その一つ、一つを興味深く、貪欲に、しかも身体で飲み込もうとしているのだろう。だからこそ、子供は日に日に成長していく。1週間ごとにやって来る孫娘を見ていて、先週よりは今週と成長していることが手に取るように分かる。




 電子ゲームだのスマホ、ましてやテレビすらなかった時代の«鼻たらし小僧»。毎日、外を飛び回り、缶蹴りやかくれんぼ、馬乗りなどで無邪気に遊んでいた自分がみじめに思う半面、懐かしくもある。




 孫娘が言う「ハロウィーンカボチャ」は、私が作った西洋カボチャ。ブドウの木を切ってしまって«空き棚»になった、かつてのぶどう棚に弦を這わせた、いわゆる「天空カボチャ」。地べたに這わせた旧来の栽培方法と違って、色付きも、味もいい。第一、地べたに着く部分が変色しないから、孫娘が言う「ハロウィーンカボチャ」には、うって付けかも知れない。




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お年寄りの歓声

 ふれあい広場にお年寄りの歓声が戻ってきた。


 「1番ゲート通過」「3番にタッチ」



 ゲートボールを楽しむお年寄り達だ。広場の脇にはミニバイクや軽自動車が止まっていた。年の頃は70代から80代の女性ばかり7~8人。あれっ、あんなおばあちゃん達、この地域にいたっけ?見慣れない人たちばかりだった。多分、別の地区の人たちだろう。

ゲートボール

 この地域は、どこの地方にも珍しくない少子化と高齢化が進む一方。ここでは少子化はさて置くとして、70代、80代のお年寄りはいっぱいだ。これに60代も加えれば部落人口の大半は、いわゆる高齢者である。一方で、少子化のツケが、まるでボデイブローのように響いて農業後継者不足が深刻になりつつあるのも無理はない。




 我が家の植え込みと小さな畑をはさんですぐ近くにある、このふれあい広場には特別の思い入れがある。こうしてパソコンを叩いていても歓声が聞こえるほどのの距離にあるということもさる事ながら、広場を地域にお貸しした当事者であるからだ。かつて梅畑だった10アール弱の広場だが、そこから挙がってくる歓声は、なぜか我が事のように嬉しくなるのである。より多くの人たちのふれあいの場になって欲しい、そんな思いだ。




 普段、年に一度の防災訓練やわずかな子ども達のブランコ遊び、夏場に夕涼みがてら花火を楽しむ近所の家族ずれなど、限られたような利用頻度だった。お袋が元気だった6~7年前は天気さえよければ毎日のようにお年寄り達がゲートボールを楽しんでいた。しかし、いつの間にか広場からお年寄り達の歓声が消えて久しかった。

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 お年寄りはいっぱいいるはずなのに、とお思いの方もお出でだろうが、ゲートボールのようなチームゲーム、特にお年寄りの遊びは誰か音頭とりをする人がいないと駄目のようだ。ゲームとか、お年寄りに限らず、音頭とりのある、無しはすべての事のまとまりの良し悪しに繋がるのだろうが、とにかく広場からお年寄りの姿が消えていた。




 私には、若い頃だが、ゲートボールに不思議なご縁があった。まだ40代の前半だった。当時、勤務していた新聞社の会長が山梨県ゲートボール協会の会長に就任したのがきっかけ。その橋渡しをしたことや、当時の会社でのポジションもあって、協会の筆頭理事に着かされてしまったのだ。会長が本業で忙しい時には、陰に陽にその代役をやれ、ということらしかった。





 県の体育協会の中でも、競技人口では最も大きい方の団体だから、もちろん、そのための副会長もいれば、理事長もいる。ただ、協会側にしても会長にしても、その間をつなぐパイプ役が欲しかったのだろう。生い立ちが生い立ちだから、へんてこりんな理事であった。協会幹部なのでゲートボールの競技そのものを熟知し、審判員の上級資格を持っていて当然。私には何もなかった。しかし、面白い仕事だった。新聞社が主催する大会にも多く携わった。おかげで山梨県内の主だったゲートボール愛好者とも知り合った。広場で歓声を上げる人たちの中にも顔見知りがいるのではと思ったのだか・・・。時代が変わっていた。



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夫婦喧嘩は犬も食わぬ

 パンダのランランではないが、うちの女房にはヒゲではなく、「トントン」「ブータン」という愛称がある。どうして「トントン」「ブータン」なのかを文字で書くと角が立つのでやめることにするが、その女房を呼ぶ時、この「トントン」などのほか「お母さん」と呼んだりする。


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 これに対する返事で、女房の心中の雲行きが分かるから面白い。不機嫌なときはこうだ。


 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃないわよ」



 もっと雲行きが悪くなると「あなた」が「あんた」に変わるのである。おっしゃる通りで、俺のお母さんではない。お袋が元気な頃、私が女房を「お母さん」と呼ぶものだから、調子が狂ったのか目をパチクリしたものだ。「あんた、とはなんだ」と、ちょっと声を強めたら、言い過ぎと思ったのか口をつぐんだ。




 私の場合、大抵の事なら、怒らない。ただ、言い訳だけは嫌いだ。ちょっとした女房の言い訳がきっかけで口論、これがエスカレートして、いわゆる夫婦喧嘩になるのである。例えばこうだ。



 「こんな天気の日に、何も洗濯なんかしなくてもいいじゃないか」



 「しょうがないじゃない。雨ばかり降っているんだもの」



 「少しは後先、考えてやれよ」


 「考えてるわよ」


 「言い訳するな。少しは考えてやれ、と言っているんだ。バカめ」


 「バカとは何よ」


 「バカだからバカと言っているんだ」



 我が家の夫婦喧嘩はざっとこんな具合で、この場合、私が洗濯など、天気のいい時にやればいいのに、と、注意したのがきっかけ。たわいもない事から、ちょっとした口論となり、それがエスカレートするのである。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とはよく言ったものだ。



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 その後を見ていれば分かるが、女房はかなりカッカとしている。しかし私の方は少しもカッカしていないのである。私の何気ない注意を≪売られた喧嘩≫と勘違い?したまでのこと。「考えてやれよ」と言われたときに「そうだよねえ」と言えば、そこで口論にも喧嘩にもならなかったはずである。



 私は結婚式の挨拶で時々こんなことを言うことがある。「夫婦だからこそ喧嘩する。どんどんすればいい。ただ喧嘩は売るもので、買うものではない。買わなければ本当の喧嘩には絶対にならない」と。八つ当たりして猫を蹴飛ばす、なんて話もあるものねえ。




 話のきっかけが何であったかは忘れたが、長野に行った時、道の駅の温泉で出会った大工の棟梁と名乗る親爺さんがうまいことを言ったのを思い出した。



 「女はとかく、目先だけでものを考え、後先考えずに直感でものを言う。だから怖いんだよなあー。そこへ行くと、男はそんなバカなことはしねえ」




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朴歯の高下駄

 間もなく、母校・日川高校同窓会の集まりの日がやって来る。毎年11月3日、その総会を名目に旧制中学から今の高校までの同窓生達が懇親の場を持つのである。会場となる母校の体育館は≪日川バカ≫といったら先輩達に叱られるかもしれないが、母校への愛着や青春時代の郷愁豊かな同窓生達で埋まる。

日川高校同窓会のページ

日川高校1


 プログラムは往年の応援団が高校時代さながら、学ラン破れ学生帽朴歯の高下駄姿で校旗を掲げて入場、校歌、応援歌の合唱で幕を開ける。同校は,半年後には117周年を迎えるが、幸い、旧制中学時代から校章はもちろん校歌も変わっていないから、旧制の大先輩から若者までが心を一つにして歌う。どの顔も、どの心もそれぞれの青春に思いをはせる瞬間である。


応援団1


 校歌は「天地の正気、甲南に・・・」で始まるのだが、その三番に「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち・・・」という一節がある。この歌詞をめぐって、数年前、一部の屁理屈やさんが「現代にそぐわない」と、訴訟を起こしたことがあるが、そんなことはみんなどこ吹く風。伝統の応援歌と共に力いっぱい歌うのだ。一家で親子3代、4代この校歌を歌う人たちも珍しくない。



 日川高校は旧制甲府中学、現在の甲府一高に次いで山梨県では古い伝統を持っている。バンカラの校風をみんながよしとしていて、そのバンカラの最たるものが応援団だ。ところが今、この学校には応援団に入部する男子生徒が少なくなくなって久しいのだという。私自身も「ええ~?」と耳を疑ったのだが、ホント。応援団長は女生徒だという。



 時代も変わったもんだ、と思うのは私ばかりではない。多くの同窓生がそう思っているに違いない。ごく最近になって、やっと一人の男子生徒が「これではいけない」と入部してきたという。そんな話題が山梨日日新聞に紹介されていた。そこには学ランに破れ帽、朴歯の下駄姿で胸を張る女性応援団長の勇姿が。「(男が駄目なら)私達が応援団の伝統を守り、引き継ぐ。新入部員の男子をしっかりしごいて立派な後継者を作る」と、コメントするその応援団長に思わず拍手を送りたくなった。




 朴歯の高下駄。学ランとはちょっと違うが、詰襟の学生服とこの朴歯の下駄は子供の頃、早く着たり、履いてみたかった思い出がある。なぜか、そうすると、ちょっぴり大人になったような気分になるからだった。急に背丈が大きくなったような気分になったり、カラン、コロンと歩く様にあこがれた。背伸びをしてみたい年頃だったのかもしれない。


高下駄


 そんな子供の頃の思い出が懐かしくなって、朴歯の高下駄を探してみた。朴歯の下駄はおろか、下駄を売っているお店が少なく、見つけるのに一苦労。よく我が家に遊びに来る女房の学生時代の同級生のご主人が、千葉の自宅近くで見つけて送ってくれたのである。子どものように嬉しかった。ところが、平らなところでないと不安定で怖い。とてもカラン、コロンという訳にはいかない。忍び寄るバランス感覚の衰えを思い知らされた。

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感覚の衰え

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 道路交通法によって、75歳以上の人たちの自動車免許更新時に義務付けられた認知症検査。即座の判断力や記憶力を中心としたペーパーテストは採点の結果、3段階にランク付けされるのである。大きくは2種類。つまり講習時間の長短と病院での診断。まず75点以上を取れば講習時間は2時間で済むが、それ以下の45点までは3時間に増える。それ以下は病院行き。医者の診断次第で運転免許の更新が出来なくなるのだ。




 「おじさんねえ、認知症だの認知症検査、医者の診断書…。オレ達には関係ないよ」


 このブログをお読みいただいている、ほとんどの方々は、そうおっしゃるに違いない。


 「でもねえ、やがては皆が通らなければならない道なんです。アッ、という間に、そんな時がやって来ますよ。当の私だって、本当はその自覚がないんです」


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 さもないテストなのに満点(100点)が取れない。僅かだが90点を割った。試験官は「これだけ取れば立派ですよ」と、社交辞令で言ってくれたが、この言葉の陰には「あなたの年齢では…」の言葉が隠れていることは確か。「後期高齢者」などという言葉を他人ごとのように思っていた自分が、自らの歳を再認識させられる瞬間でもあった。




 僅か数分前に見せられた絵を覚えていないばかりか、視力検査、視角検査でも低下がはっきり。「新聞や雑誌は裸眼で読めるよ」と強がりを言ってみたところで、和英を問わず、辞書のあの小さな文字は全くダメ。若い頃は、本を読むのはいつも夜だったが、今はその気にすらならない。それどころか本を読む習慣そのものまで、どんどん薄れていく。視力の低下が原因しているのは間違いない。小さくて見にくい字を、どうしても見なければならない時に備えて、眼鏡型の拡大鏡を買い込んだ。テレビコマーシャルに出て来るアレ。結構便利だ。




 高齢者の事故は増える一方。考えてみれば、当たり前だ。体力にとどまらず、運動機能や視覚機能、咄嗟の判断能力や機敏性など、あらゆる機能が衰える。我が国の高齢化のペースは私たちの想像以上。少子高齢化は調査・分析データが、はっきり将来を見通している。




 アクセルとブレーキの踏み間違い、高速自動車道での逆走…。最近では、こともあろうに鉄道の踏切を交差点と勘違い、線路上を車で走ったケースも。他人ごとのように言ってはお叱りを受けるだろうが、そんな事故が新聞やテレビを賑わせる。正直言って、自分だってアクセルとブレーキを踏み間違えそうになって慌てたことがある。トンネルの中で、急に車幅が狭く感ずるようにもなった。友は言う。「それが老化現象の兆候だよ」。


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 認知症検査では実際にハンドルを握っての運転チェックも。最初は3~4人を一度に乗せて試験官が教習所のコースを一周。その後、一人ずつコースを回るいつものパターンだ。前段のペーパー検査を踏まえているせいか、こちらは、どうやら甘く、形式的のよう。一通りのドライブチェックを終えて、車を降り際に尋ねてみた。「オレの運転、ズバリ何点?」。




 試験官はニヤニヤしながら言った。「55~60点ですね」。新たに免許を取ろうとしたら間違いなく落第点だ。発進時の前方・後方や交差点などでの左右の確認。進路変更のウインカー操作や、送りハンドルしかり、«慣れ»がもたらす欠点。認知症以前の問題である。




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認知症の検査

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 「これからモニターテレビに動物や植物、乗り物や家具など20種類の絵が順番に映し出されます。これを覚えてください。声を出して言ってみると覚えやすいと思います」




 甲府市内の自動車教習所の一室。3人の試験官のうちの一人が、まず交通標識や各種のマーク、交差点や横断歩道近くの走行などの注意点について話した後、こんなことを言った。


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 道路交通法によって75歳以上の人たちの自動車運転免許証の更新時に義務付けられた「認知症検査」の一コマ。受講者は、30人は楽に入る教室に8人。のちに行う運転実技の試験との時間配分を考慮しての人数調整だろ。




 私のようにこの11月、75歳を迎える«一年生»はむろん、それ以上の人もいる。男女バランスは、ちょうど半々ぐらい。学校の教室と比べたら少なからず違うが、みんな何十年も前の児童、生徒さながら、真剣に教官の説明や指示事項に耳を傾けた。もちろん私だって同じ。考えてみたら、こんな雰囲気の中で人の話を聞いたり、これから間違いなく出されるテストを受けることなど日常ではあり得ない。

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 モニターテレビの画面が消され、両脇の2人の試験官が何枚かに綴られた問題用紙(プリント)を配布。




 「それではこれから、皆さんに幾つかの設問をさせていただきます。ただ、こちらのゴーサインが出るまでページは開かないでください。『止(や)めてください』の合図が出たら即座に鉛筆を置いてください」




 «生徒»はみんな自分より年上とあって教官の言葉遣いや振る舞いは、いたって丁寧。学校とは違うところだ。最初のページは「あなたの年齢は?」、「今日は何日?」、「今の時刻はおおむね何時?」…。次のページは白紙。「紙に出来るだけ大きく時計の絵を描いてください。丸でも四角でも構いません。そこに11時10分を示してください」。教官の指示が。




 「なんだ!簡単じゃあないか」。心の中でそう思った。みんなも同じだったに違いない。ところが、その次。「今度は記憶力の検査です。講座の冒頭、モニターテレビで20枚の絵を見ていただきました。プリントの空欄に、それを全て書いてください。用意。始め」。




 半分ぐらいまではスラスラ書けた。しかし、その後が…。わずか20分ぐらい前、声まで出して覚えたはずの絵が思い出せない。「はい、鉛筆を置いて」。その間1分足らず。その次のページは「動物」とか「花」、「家具」、「電化製品」といった具合にヒントが示されているので、こちらは簡単。高齢者に対する、ちょっとした思いやり・サービスかも知れない。それでも一つ二つは書けなかった。記憶力の低下を思い知った。




 そう言えば、記憶力の低下どころか、モノ忘れ現象は日常茶飯事。まず困るのは字(漢字)を忘れること。パソコンなどに頼り過ぎる現代生活のせいにしているが、実は認知症への助走路を知らず知らずに走り始めているのかも知れない。もっと著しいのは人の名前を忘れることが多くなったこと。親しい人、それも対面していて、その人の名前が何としても出て来ないのだ。考えてみれば異常だ。若い時にはそんなことはなかった。(次回に続く)




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秋の虫のオーケストラ

 「うるさいほどの鳴き声」と、表現したら、なんと情感に乏しい人、と蔑まれるかも知れないが、今、我が家の庭先の植え込みとその周囲からは毎夜、虫の音がすごい。恐らく、鈴虫やキリギリス、コオロギなどだろうが、私には判別できない。どうやら分かるのは鈴虫くらいで、本当はキリギリスもコオロギも鳴き声を知っている訳ではない。


鈴虫


 とにかく、その鳴き声は、虫とは思えないほど大きく、明け方まで続くのである。「うるさい」ほどに感ずるのは、我が家が田舎で、車の騒音も聞こえなければ、ご近所の家もちょっと離れているので、人の話し声も聞こえないからかもしれない。寒さと共に虫の鳴き声が途絶える冬場は何の音もないから≪シーンという音≫がする。何らかの騒音が日常的な都会人には理解できないだろうが、本当なのである。



 若い頃はその≪静かな騒音≫が嫌で、音がする都会にあこがれたこともあった。我が家はちょっとした高台にあるから、子供の頃は近くを流れる笛吹川の水の音が聞こえたものだが、上流にダムが出来たことによって、水量が激減、いつの間にかその音も消えた。



 ≪静かな騒音≫を紛らわしてくれているのが虫の音だ。こうして部屋の中でパソコンを叩いていても、近くの居間で勝手に鳴っているテレビの音に負けないほどの虫の音が外から聞こえてくる。夕食後、決まってタバコを吸いながら外に出るのだが、そっと歩く足音にも虫たちは敏感に反応する。ぴたっと音が止み、通り過ぎるとまた鳴き出す。


夜の庭


 母屋から植え込みを過ぎて、ちょっと離れた石の門柱の脇の道沿いに腰掛けて、一人静かにタバコを吸っていると、暗闇の中で、あっちこっちから虫の音が。それも無数といっていいほどの鳴き声だ。ステージで聞く100や120のオーケストラなんてものではない。


 
 どでかい自然をステージにした虫たちのオーケストラの演奏を聞きながら、遠くに黒く連なる山塊の麓に見える帯のように小さく光る家々の灯りをボーッと眺める。あの光が笛吹市一宮町神沢の友の家だろうか、とか、あれが甲州市勝沼町の親戚の灯りだろうかと、思いを巡らしてみたりする。その間も虫たちのオーケストラは絶え間なく続くのである。


虫


 今、鳴いている鈴虫は、もちろん野生のものだ。かなり前のことだが、甲府に住んでいた頃、会社の同僚の中に鈴虫をふ化させる事が得意の人がいて、時期になると、しばしば、その幼虫をもらっては金魚鉢のようなガラスの器で飼っては部屋の中でその鳴き声を楽しんだものだ。騒音と雑音の中で忙しく仕事をして帰った自宅で聞く鈴虫の音は、つかの間の憩いであり、安らぎだった。

 

 かつて鈴虫のふ化は珍しく、毎年その時期になると新聞の話題になった。しかし、実際はそんなに難しいものではなく、そのことを知った同僚は、自分でふ化することを覚え、毎年大量の鈴虫の幼虫を生み出しては私達にくれたのである。今もふ化をさせ続けているに違いない。


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 田舎の実家に戻って、毎晩、うるさいほどの虫の音を聞いていると、あの頃が無性に懐かしくなったりもする。人間とはわがままで、贅沢な生き物である。





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秋の長雨

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 春雨前線や秋雨前線。それが日本列島に雨をもたらすことぐらいは気象予報士でもない素人の私にだって分かる。でも、どうして、こんなに雨の日が続くのか。来る日も来る日も雨。新聞やテレビの週間天気予報を見ても、雨マークや曇りマークのオンパレードだ。こんな年も珍しい。




 「天高く馬肥ゆる秋」。「天高く…」は言うまでもなく、秋の抜けるような青空の代名詞。「清々しく健康的」な秋を象徴する言葉でもある。誰でもが抜けるような青空を連想するだろうし、そこからは「実りの秋」をもイメージする。そんな言葉がウソのような毎日が続いている。この秋、「抜けるような青空」など見たことがない。




 果樹地帯になると同時に、水田が消えて久しいこの辺りは「黄金の稲穂」とか「黄金の海」などと形容する言葉は消え失せたが、山梨県の西北部に残る米穀地帯でも、恨めしく雨空を仰いでいるに違いない。それどころか稲の刈り取りすらままなるまい。


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 その一方で、畑の雑草は伸び放題。ブドウの収穫はおおむね終わったからいいが、野菜作りをする農家にとっては、その妨げとなる雑草の退治に頭が痛い。ナスやキュウリ、トマトなど夏野菜は収束に向かい、今は大根や白菜の成長期。双葉の時期は通り過ぎたとはいえ、これからが大事な時期である。雑草との競争になったら少なからず勢いをそがれるに決まっている。




 そこに蝶。産卵期で卵を産まなければならないので、天気にかまわず、飛び回る。大根や白菜の若い葉っぱに卵を産み付ける。その卵はすぐに幼虫となって葉っぱを食い荒らす。この時季、葉っぱは柔らかいから、まさに食い時。うかうかしていたら一晩のうちに葉っぱの芯だけ残して丸裸にされるのである。




 そんなことは子供には分からない。都会にお住まいの方だって同じだろう。子供は雨と言っても家の中でジッとしてばかりいられないのか、4歳半になる孫娘が可愛らしい長靴と雨傘姿でママと一緒に外へ。「アッ、蝶ちょだ」。大根畑まで入り込んで蝶を追いかけて大喜び。


 「♪ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉に止まれ 菜の葉が飽いたら桜にとまれ…」


 唱歌「蝶々」の一節だ。ここで言う「ちょうちょ」は春に舞う蝶だが、この時季の大根や白菜、もっと言えば、俺たち百姓にとっても天敵。「なんと残酷で情緒がない」と、白い目で見られるかも知れないが、捕まえてすりつぶしてやりたいくらいだ。大根は若葉のこの時季、根元の周りに虫除けの薬をまけば、何とか防御できるが、結球する白菜は時季、時季に消毒しなければダメ。だから私は、白菜は作らないことにしている。



 「ど根性大根」などと巷で言われる大根は、確かに発芽率はいい。2~3粒ずつ蒔いた種は、ほとんど生いた。間引きも終えたが、その周りには雑草が日に日に勢いを増している。大根畑は雑草で青くなる。雨空を眺めて手が出せない百姓もどきの心中がお分かりいただけるか。いつかは終わるだろう、この長雨。その後には冬への移行を告げる霜がやって来る。里芋も掘らねばならない。野暮用の合間を縫わなければならない百姓もどきも結構忙しい。




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竹馬の友の絆

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 78歳だった。葬儀・告別式の祭壇に飾られた遺影は、ずっと若い時のもの。なおさら参列者の涙を誘った。我が国の平均寿命から見ても若い。一時期までの健康状態からしても普通ならもっと長生きしても不思議ではなかった。



 でもこの男には大きな«前科»があった。もう何年か前のことだが、農作業中に脚立から落ちて瀕死の重傷を負ったのだ。致命的とも思える頭の損傷。市内の病院に担ぎ込まれ、結果的には九死に一生を得た。元々は国鉄(現JR)マン。定年退職後、実家で農業を営んでいた。何をやっても器用な人で、ブドウ作りでも、野菜作りでもみんな上手にこなした。



 特にエンドウ作りには定評があって、周囲も舌を巻いたほど。農閑期には友と一緒に結婚式場の調理場でアルバイトの仕事もした。だから料理にも結構詳しかった。我が家でお茶を飲みながら、真っ赤に色づいた庭先の紅葉を見ながら、「あのモミジの一枚を料理にそっと添えたら、料理は一味も二味も変わって来る」と、女房にさりげなくアドバイス。ゴツイと言っては失礼だが、風貌に似合わぬ、繊細さも持ち合わせていた。




 深い友人関係を表す言葉に「竹馬の友」とか「刎頸の友」というのがある。この人には、そんな言葉がうってつけの仲間がいた。小学校、中学校時代からの同級生3人組で、周りから見ても羨ましいほどの信頼関係を築いていた。


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 困ったことがあれば腹を割って相談し合うし、農作業が忙しければ、手伝い合った。恩賜林組合議会の役員も一緒になって引き受けるなど、地域貢献にも一役買った。小学校や中学校の同級会幹事役も当たり前のように引き受けて万年役で奔走した。おかげで、同級会は休むことなく、ずっと続いたという。




 でも、そんな3人組にも第一次の不幸が訪れた。8年前、一人が逝った。癌だった。残された二人は憔悴した。その分、二人は絆をより一層深め、強めた。リーダー格で気立てのいい男は、農作業中の事故で大きなハンディを背負った残る一人を親身にいたわった。残された男の心中は察して余りある。この人とは私も親戚、兄弟のような付き合いをしている。




 「あいつは頑固のところがあって『病院に行って診てもらわなければダメだ』と言っても言うことを聞かないんですよ。貴方からも言ってやって下さいよ」




 事故の後遺症が出始めていることを誰よりも知っていた友は、3歳違いの私によく、こんなことを言ったものだ。1キロちょっと離れたお宅を毎日のように訪ねては子供や孫の世話までしていた。「病院に行け」の言葉の裏には「もしものことがあったら、どうするのだ」という無二の親友への気遣いがあった。




 訃報の第一報はむろん、この人に。この日はたまたま地区の河川清掃の日で、一緒に作業をしていた私に、ケイタイ電話を切りながら「あいつ、眠ってしまった」と一言。言外に「来る時が来てしまった」と言わんばかりにポツリと言った。逝ってしまった男への哀悼の念はもちろんだが、最後の竹馬の友を亡くしたこの人の気持ちが痛々しかった。同時に先に逝ってしまった二人の顔を偲びながら、友達とは、人間とは、かくありたいと思った。




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孫娘の運動会

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 「お父さん、今度の土曜日は、空けておいてくれなければ困るわよ」


 「なにかあるのか?」


 「何言っているのよ。チビちゃんの運動会じゃあない」


 女房は孫娘の運動会行きが楽しみで仕方がないらしく、私にそんな念押しをした。




 「天高く馬肥ゆる秋」だとか、「実りの秋」、「食欲の秋」、「スポーツの秋」など、この時季を形容する言葉は多い。「スポーツの秋」が代弁するように、運動会の季節でもある。週末ともなれば、各地の幼稚園や小学校、中学校の運動会が真っ盛り。


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 孫娘は4月生まれの4歳。この春、甲府市内の某大学付属幼稚園の年少組に入った。運動会の会場は体育館。それも、2階の両サイドとステージに向かって正面には何段もの観客席を備えていて、そこだけで、ざっと1500人の観客を収容出来るのだそうだ。学園には中学や高校もあって運動会にとどまらず、入学式や諸々の大型行事に使うのだろう。


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 一昔前はプロレスやプロボクシングの会場にもなった。子供のころ力道山やシャープ兄弟、白井義男の試合を観戦したこともある。当時は、山梨県内には、そんな興業を出来る体育館はなかったのである。懐かしくもあった。




 園児は年長さん、年中さん、年少さんに分かれていて、それぞれの人数は75人前後。いずれも3クラスずつだというから、1クラスが25人前後。«学年»は赤、青、黄色の帽子で分けていた。«競技»は駆けっこやリレー競争、障害物競技や親子一緒のプログラムも。さらに入園予備軍に配慮した「宝拾い」ゲームもあって、これも親子参加のプログラム。来年度の園児確保の戦略も見え見え。




 スピードこそ違え、園児たちは上手に演技をこなす。先生の指導で何度も練習したのだろう。みんな真剣。一挙手一投足が可愛い。二階のスタンドを埋めた«観衆»は、その一つ一つに拍手喝さい。一人の園児にパパ、ママはむろん、爺婆、それも両方の爺婆が。親バカならぬ、爺バカ、婆バカが、また微笑ましい。私たち夫婦も爺婆チャンリンだ。


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 運動会は午前9時から正午までの3時間。緊張気味で演技を披露する園児より、スタンドの方が喜んでいる、と言った方がいい。スマホやビデオカメラ、望遠レンズを装着したカメラで我が子や孫の演技を、それは嬉しそうに追っかけていた。自分もその一人。一生懸命シャッターを切る自分に気づいて可笑しくなった。




 この日の園児は、行くのも帰るのも爺婆も含めて一緒。普段の通園は園児バスが巡回。それも隣接の笛吹市も含めて甲府市内一円と言っていいほど広範囲でバスを走らせる。どこの幼稚園、保育園も同じで、それぞれの経営の裏側では、し烈な園児獲得合戦を繰り広げているのである。




 幼稚園や保育園不足が社会問題化している東京など大都市では、考えられない現象だろう。競争に負ければ、潰れる以外に道はない。過酷な現実がある。人口の大都市集中とそれに伴う予算のアンバランスな投下。地方は疲弊する一方。幼稚園の運動会にもその影が…。




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友と温泉

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 「秋の陽は釣瓶落とし」とはよく言ったものだ。知らず知らずに日暮れが早くなり、一方で冷え込みすら感ずるようになった。猛暑だの、真夏日だのと言っていた、つい先頃までがウソのよう。衣服も半袖から、長袖へ。それでも足りずに上着も。季節の移ろいは正直だ。街路のイチョウも色づき始めた。




 この時季、湯けむりがよく似合う。我が家にやって来てくれた二人の友を山間(やまあい)の温泉に案内した。甲府盆地の東北部、山梨市の我が家の周辺には〈ひなびた〉温泉がいくつもある。いわゆる温泉郷・温泉街の湯とは、一味も二味も違う。特に露天風呂は周囲の自然と四季折々に融和するから心地いい。




 友を案内したのは、小高い山のてっぺんに近いところにある、その名も「ほったらかし温泉」。我が家から車で10分ちょっと。JR中央線山梨市駅からだと5分足らずの所で、山梨市が第三セクターで造った「フルーツパーク」を自らの庭のようにしたホテルの裏の山道を、ちょっと上った所だ。ホテルの名前はズバリ「フルーツパーク富士屋ホテル」。


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 山を切り開いて作った温泉だから、駐車場も含めた敷地面積も広い。内風呂を一歩外に出ると3つの大きな露天風呂が。もちろん男女は別々。同じような作りになっているのだろう。湯加減はその時季、時季に合わせてくれているから丁度いい。金曜日の夕方だったが、大勢の客で賑わっていた。




 この温泉は眺望ではピカ一。真正面に連なる御坂山塊の上には富士山がポッカリ浮かぶ。その下には甲府盆地の家並みや、ブドウ、桃の果樹地帯がワイドに広がる。少なくとも甲府盆地の3分の1は望めるのだ。陽が落ちれば、家並みの灯りが宝石を一面に振りまいたようにキラキラ光る。あいにく、この日は上空が雲に覆われ、富士は望めなかったものの、下界の甲府盆地は見事な〈宝石〉を見せてくれた。


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 「お~、素晴らしい。こんな眺めのいい温泉は初めて」


 二人は口を揃えた。いずれも«全国区»で異動を強いられる公務員。一人は広島県、一人は長野県の伊那谷出身。ともに組織をリードする立場だ。「山梨はいいですねえ~」。例え、社交辞令にしても自分のことのように嬉しい。郷里のこと、仕事のこと…。まさに裸の付き合い。話は弾んだ。我が田舎家で、もてなし料理を作って待つ女房をよそに時間を忘れた。




 東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡…。広い駐車場に並ぶ車は県外ナンバーが多い。旅の雑誌やテレビなどで取り上げられることが多いせいもあるのだろう。フルーツパークを中心に付近一帯は「新三大夜景」に指定され、近年では誰ともなく「恋人の聖地」というようになって、若いカップルのドライブ客も多い。メディアの力は大きい。




 湯上りのビールは旨い。我が家に戻った二人の客を囲んで、夜遅くまで盃を交わし、話が弾んだ。サラリーマンにとって生活環境まで変えなければならない異動は避けて通ることは出来ないし、それが宿命。苦もあるが、見方を変えれば、新しい人との出会い、自然や風俗、習慣に触れるチャンスでもある。職場をリタイアした人間にとっては羨ましくもある。




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大根の間引き

 10月の始めだというのに冷え込みが目立ち始めた。こんな年も珍しい。葡萄など果樹農家はもちろん、行楽客相手の観光農園も痛手だろう。我が家の畑も雨続きのあおりを食って、草だらけだ。一番気がかりなのは大根畑。サツマイモやサトイモ、トウノイモ、落花生などは成熟して、収穫真近かだからいいが、大根は今からが成長期。しっかり草くらい取ってやらないと、草に負けてとぼれてしまうのである。植物の世界だってサバイバルなのだ。


サトイモ


大根はほうれん草などと違って発芽率は高い。我が家の場合、蒔いた種はほぼ100%発芽した。ところが、雨や野暮用を理由に草取りを怠ったら、発芽したはずの大根もいつの間にかダウン。30cm位の等間隔に列で蒔いた大根は、あっちこっちで、まるで歯が抜けたよう。「雑草のよう」という言葉どおり、雑草は強く、逞しい。


大根1



 雨が止むのを待って、畑に出た。大根より大きくなった雑草を取り、3つ、4つにかたまった小さな大根を間引きしていくのである。今ではホームセンターに行けばローラー式の小さな腰掛があって、中腰にならなくて済むから、腰痛持ちでも多少は楽だ。ただ、畑は長雨をたっぷり吸い込んでいるので、地下足袋は泥まみれである。


大根4



 通りかかった隣のおじさんが愛想良く話しかけてきた。


 「よくやりますねえ。わたしゃあ腰が悪いから草取りがどうも苦手でねえ。大根の中の草だから除草剤を使う訳にもいけんし、よわったもんです」



 この人はかなりの面積の桃や葡萄を栽培する果樹農家だが、80歳近くなって「もう果樹作りは無理。困ったもんですよ」と、よくこぼす。隣の畑に眼をやると、あっちもこっちも草まみれ。我が家と同じように小さい大根と、ツルを張ったサツマイモが雑草にうずもれていた。




 我が家もサツマイモを植えたが、実を言うと、畑に草をはやさないためだ。サツマイモは実に逞しい野菜で、グングンとツルを張る。だから草を≪食って≫くれるのである。サツマイモは、本当は植えるのではなく、差すのである。種芋から出た芽を20cmぐらいに伸びたところで切り取って、盛土の列に30cmぐらいの間隔で差していくのである。いわば、さし木で、根がなくても100%根付く。今年はゴールデンウイーク中の5月3日に差した。土地がそれほどよくない所でも出来るので栽培は簡単だ。


大根3


 雑草の話に戻るが、今では篤農家といわれる人ほどこの雑草を気にしない。忙しくて、気になんかしていられないこともあるのだろうが「草生栽培」という名の≪草との共生≫方法を取っている。ただ、これは果樹栽培に限ったことで、野菜作りには通用しない。



 だから、本格派の果樹農家は自家用の野菜作りなんかしない人が多い。そんな手間をかけるのだったら、買って食べた方が安いというのである。山梨市などこの地方は果樹地帯だから水田は完全といっていいほど姿を消し、農家はお米も買って食べている。野菜作りは、いわば趣味か農家のなれの果てといったところかも知れない。





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立小便の告白

 ワイン


 旅行中のバスの中や外で、尿意をもようした時ほど困ることはない。数年前の事だ。ロス・アンジェルスのハリウットに近いビバリーヒルズの街を歩いている時、その尿意をもようしてしまったのだ。ホテル「ハイアット」のレストランで、夕食をとりながらワインをたらふく飲んでしまったからいけなかった。夜でもあったから、道からちょっと脇にそれて・・・。日本ではそれほど罪悪感がない立小便もさすがに気がとがめた。


ワイン2  

 この失敗談を来日中のハワイの従兄弟老夫婦にうっかり話してしまった。その従兄弟は真面目顔で、私を叱った。
 


 「そんな事をしたら、アメリカでは後ろに手が回るんだよ。日本人は全般にマナーが悪い。立小便など、何をかいわんやだが、タバコだって歩きながら吸ったり、公園でもどこでも吸いたがる。大声で話しながら歩くのも日本人だ」



 確かにそうだ。日本と違って、外国を歩いていて道端にタバコの吸殻一つ見たことがない。空港やホテルの外に設けてある数少ない喫煙所にたむろすのは、ほとんど日本人だ。自分もその中の一人と思うと赤面ものだが、日本に帰るとまた・・・。




 この際、白状してしまうのだが、ロス・アンジェルスからラスベカスに飛んだときの事。よく考えてみれば,これもお酒が原因の失敗だった。カジノで夢中になってのゲーム中、尿意をもようしてトイレに立ったが、トイレが見つからない。黒のタキシードに身を包んだ従業員に尋ねるのだが、トイレという言葉がなんとしても伝わらない。そのうちに我慢できなくなってゼスチャーで、なりふりかまわず伝えようとしたが、これも駄目



 相手も困って日本語の分かる従業員にバトンタッチ。「ああ、レストルームですね」と指差したのはすぐ目の前のネオン。どでかい字で「RESTROOM」と書いてあった。笑い話にもならないお粗末な話だが、その時はまずそこに駆け込むしかなかった。これも恥を忍んで従兄弟に話したら「トイレでも分かるはずだがなあー。でもレストルームがいい。バスルームでもいいんだよ」と、教えてくれた。




 このトイレ騒動にはオチまでついた。用を足して、さっきまでの自分がウソのように、すっきりとした気分でレストルームを出て来たまでははいいが、今度は自分が戻るはずのテーブルが分からない。このカジノは私達が宿泊したホテル「ベネチアン」の1階を全部使ったように見えるほど広いスペースをとっていて、いわば、迷子になってしまったのだ。


ベネチアン


 ご存知の方はご存知。このホテルはそれ自体がひとつの街といった方がいいほど、ドでかいから、カジノの大きさも想像できよう。ゲーム中、ビールでもブランデーでもスコッチでもバニーガールがにこやかに持って来てくれるのだから酒量も増えようというものだ。酒好き人間の嵯峨、それが失敗を誘うのである。分かっちゃいるけど・・・である。


ラスベカス

 カジノでいつもやるのはブラックジャック。21と9、それにカードと花札の違いだけで、ゲームの原理は日本のオイチョカブと同じだ。速い展開の繰り返しだから時間の経つのも速い。裏を返せば負けるのも早いのである。立小便と同じで、女房族にとっては非難の的かもしれない。





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朝顔の大輪

朝顔2


 朝顔、昼顔、夕顔。これに「寝顔」を付けくわえると、一転、無粋になってしまうのだが、ここで取り上げたいのは粋な朝顔の花。今から1,100年以上も前の奈良時代に中国から遣唐使によってわが国に伝えられたという朝顔は、庶民の間で大きなブームを巻き起こした江戸時代に品種改良が進み、観賞用植物に変わったのだそうだ。


朝顔  



浮世絵にもいっぱい描かれているから、朝顔は下町の夏をいや応なく連想させてくれる。その朝顔が、今、我が家の庭先で見事な大輪をいくつも咲かせている。「いい品種の朝顔だから植えてみて」と、近所の人がくれた園芸用のポットに植えつけたものだ。直径10~11cmもある大輪は赤もあれば青もある。これまでもさまざまの朝顔を見てきたがこんな見事なものにお目にかかったことはない。


朝顔2  


 持って来てくれた人が「いい品種」と言うだけあって、改良品種であることは十分に理解できる。だが、作り方を明らかに失敗。園芸用のポットから大きな鉢に植え替え、ツルを這わせる棒を2本立て、横棒も渡すなど工夫したまではよかったが、縦の棒が短過ぎたのである。分かっているようで分かっていない。無知とは恐ろしいものだ。朝顔のツルはグングン空に向かって伸びるのだが、途中で支えを失うから、下に落ちるしかない。




 ツルは折り返した途中でくちゃくちゃになるばかりか、地に落ちたツルは土の上をどんどん這うのである。その勢いは逞しい。一面が瞬く間にツルだらけになる。そこでは決して花を付けない。空中でなければ花を咲かせない植物なのだろうか。


朝顔3



 この朝顔とは別に、ぶどう園の周りでいっぱい野生の朝顔が咲く。花の大きさ、美しさは比べものにならないが、これも逞しさでは負けない。支線を伝わってぶどう棚にどんどん這い上がるのである。在来種ではない。恐らく、肥料に混じって外国からやってきたものだろうが、繁殖力は強く、自然に落ちた種は来年、何十倍にもなって生えてくる。一般雑草用の除草剤では枯れない。




 昼顔や夕顔も同じだ。野生とか、観賞用を問わず、私達の身の回りには見慣れない植物がいっぱい。花好きの女房がやたらに買ってくる鉢植えや土に下ろす花を見ても、およそ日本のものとは思えない、名前すら分からないものばかりだ。畑や道端の雑草だって「こんなもの、あったっけ」と、思うものがいっぱいだ。タンポポなどは、在来種は完全と言っていいほど駆逐され、葉っぱがギザギザした逞しい外来種に変わった。みんな肥料や飼料が媒介しているのだろう。


庭の花



 朝顔は東京の下町の夏を連想させる。爽やかな花をポツンポツンと飛ばした朝顔の緑で涼をとる庶民ののどかな暮らしを髣髴とさせてくれる。一方、朝顔は「源氏物語」の五十四帖の巻きの一つに登場する。もっとも花ではなく、作中人物だが、その朝顔は源氏に好意を抱くのである。



 失敗作とはいえ、立派な大輪をつけた我が家の朝顔。花が終わったら種を取り、欲しい人に分けてあげたいと思ったのだが,実はこの朝顔、種を付けない。霜が降りる11月初旬まで花を付けているのも特徴だ。朝顔の季節ももう終わりに向かう。





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初体験のMRI検査

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MRI


 MRI検査。初めての体験だった。まるで棺に横たわり、火葬の炉に入って行く仏の気分のようだった。「バカ言うんじゃあねえよ。そんなこと体験したヤツがいるわけねえじゃねえか」。その通りだ。世界中に火葬の炉に入った経験をお持ちの方はお一人としていない。例えが悪い、とお叱りを受けるかもしれないが、正直、そんな気分になった。



ムチウチ



 私の場合のこの検査は、ムチウチ症を治療するための手段である。備え付けの手術台のような台に横になり、頭を固定されたうえでドーム状の狭い空間の中に押し込まれていく。その中は真っ白。しばらくすると断続的に大きな音がする。それを何回も繰り返すのだ。「ブー」「ブー」。「ブ~」「ブ~」。「ドゥー」「ドゥー」。ドームの上からなのか、下からなのか分からない。三種類ぐらいの音が聞こえてくる。お世辞にも快適とはいえない響きだ。





 MRIとはMagnetic Resonance Imagingの略。磁気共鳴画像というのだそうだ。「いい歳をして・・・」と笑われるかも知れないが、MRIもレントゲンと同じように放射線検査だと思っていた。MRIの頭文字が持つ意味が分かれば磁気によるものくらいは分かるのだが、検査を終えて身支度をしている間にしてくれた検査技師の説明に「なるほど」と思った。




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 検査技師さんの説明によれば、機器から出す磁気と電流、それに検体である人の身体に流れる電流が絡み合って画像となる。検査機器を操作するのにへリュウムを使うのだそうだ。検査中、断続的にする大きな音はそのための音だという。ニコニコしながら話してくれる技師さんの説明に「へえ~」と頷いてはみたものの、自分でひっくり返って怪我をし、ヒイヒイ言っているトンマな田舎者に物理的な理屈なんて分かるはずがない。





 分かったのは放射線を使って検査するレントゲンと違い、こちらは磁気を使っているということだ。だから入れ歯に至るまで金属類は全て取り除く。医療機器の進歩は目覚しい。自分が直接その恩恵にあずかる患者の立場になると、いやが上にも、それを実感する。巷に結核患者が少なくなかった子供の頃、胸部レントゲン検査のフィルムを見て、すごいことが出来るものだと目を丸くしたものだ。魔法にも似た不思議を感じたものである。



病院



 ところがどうだ。今やレントゲンなんか当たり前。例えば人間ドックに行って胃の検査をするとする。苦しいというか、嫌な思いをして胃カメラを飲むよりバリュームを飲んでのレントゲンの方が・・・と、一瞬思うのだが、どうしてか内視鏡検査を。そんなことを思うのは私ばかりではないだろう。バリュウムによるレントゲン検査で疑問点が見つかった場合、もう一度、内視鏡検査をしなければならないことを知っているからだ。その内視鏡のカメラや管の大きさ、太さはかつての半分、いや、それ以下になった。



胃1




 「頭でも何でも輪切りして悪い所(疾患)を見つけてしまうんだってよ」



 CTスキャナーが開発された時、特に脳疾患を持つ人達や、その関係者は一様にびっくりしたものだ。恐らくMRIはその上のレベルを行くのだろう。私のムチウチ症をブログで知って見舞いの電話をしてくれた友は近く、肝臓のMRI検査をするのだという。一方、ブログの威力もすごい。ロータリークラブでご一緒させて頂いている仲間達にも心配をかけた。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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