増える家族葬
また友が逝った。中学時代の同級生だった。同い年の友の死はつらい。自分と重ね合わせてしまうからかも知れない。肉親との別れとは、また違った複雑な気持ちになるのである。
山梨県には高普及率の県紙・サンニチ(山梨日日新聞)があって、その紙面の一角には「おくやみ欄」が。どんな忙しい時でも毎朝、必ず目を通す。その欄は大きく膨らむ時も、小さいこともある。病を持つと暑さ、寒さが体に敏感に跳ね返る。夏の暑い時期や、これから寒さが増す時期になると、この「おくやみ欄」が膨らむことも確かだ。ショックに感ずるのは自分と同世代の«登場»が目立つことである。
「おくやみ欄」は故人となられた方の職業や年齢、一連の葬儀の場所、喪主の名前などがコンパクトにまとめられている。喪主に限らず、息子さんや娘さんのお名前もあるので、故人との関係も分かる。病名はご遺族に配慮してか、掲載されない。この人の訃報はこの「おくやみ欄」には載らなかった。告知をお断りして「極内輪だけで故人を送ってやろう」。奥様や息子さんなど、ご家族の思いが働いたのだろう。事実、弔問客も極めて少なかった。「家族葬」と言って、そんなタイプの葬儀がだんだん増えているのだという。
斎場は富士山の麓・富士吉田市下吉田にあった。私たち甲府盆地に住む者たちにとっては御坂山塊を隔てた富士山麓地方・「郡内」と呼ばれる地域の一角。御坂トンネルを越えてからも、いい道路が出来、1時間あれば行けるようになった。従来、富士五湖の一つ・河口湖を経由しなければ行くことが出来なかった富士吉田市や忍野村、その先にある山中湖村も、«直線コース»で行くことが出来るのである。道路網の整備は時間距離を短くしている。
死因は膀胱癌。訃報を知ったのは、友が後に住むことになる山中湖村に嫁いでいて、家族ぐるみでお付き合いをしていた、やはり中学時代の同級生からであった。「施主は内輪の葬儀にしたいらしいけど、故人は生前、あなたの話をよくしていたので、お知らせしたの」。そんな計らいがなければ、«最期の儀式»への立会もなかったに違いない。事実、私たち二人を除けば、同級生はゼロ。故人の親戚の姿も見えず、どうやら奥様のご両親やご兄弟たちと、ほんの一部の地元関係者に過ぎなかったよう。
甲府盆地と「郡内」と呼ばれる富士山麓地方では、同じ山梨県であっても、様々な点で風習や習慣が異なる。お葬式も、この地方では「香典袋」(「ご霊前」)は使わず、現金丸出しの伝票処理。香典返しの品も、その金額を問わずに手ぬぐい、またはタオル一枚。その代わり、お祝い事は「ハデ」。七五三から始まって成人式、結婚式、厄年、さらに各種の受賞に至るまで、誰もが競うように豪華にするのだという。
この男は中学を卒業後、県立の工業高校に進み、いつの間にか東京でIT企業を立ち上げ、オーナー社長として、あれよ、あれよという間に従業員800人もの会社に育て上げた。しかし一族の後継者に恵まれず、会社を身売り。晩年は山中湖村の別荘を作り替えて自宅とする一方、オーストラリアに別荘を持ち、夏と冬の住まいを交互に使い分けていた。そんな恵まれた生活が、皮肉にも古い友人や親しい友を減らして行ったように見えてならない。
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