ゆく年くる年

 門松


 大晦日からお正月。何事もないように時は流れるのだが、一年中でもこの時が最も新鮮で、心が改まる時期でもある。新しい年を迎えるスタイルは人さまざま。共通しているのは来る年こそはいい年でありますようにと願う気持ちだろう。嫌なことは全て忘れ、新しい年へ心を新たにする。



大石神社

 我が家では家族揃って菩提寺に参り、除夜の鐘を突いた後、近くの神社に初詣をする。大石神社と言って250段近い石段を登ると、その名の通り直径30m以上もある奇岩に囲まれた社がある。無住の神社だから地域の人たちが交代で管理しているのだ。長く、急な石段を登るのが年々きつくなる。若い時とは違う。残念だが、歳は正直に反応するのだ。


   大石神社       
      
 
 NHKは恒例の紅白歌合戦を終えると、流れるように、これまた恒例の番組「ゆく年くる年」に。全国の寺社仏閣を結んで、新年を迎える各地の表情を伝えるのである。テレビから流れる除夜の鐘の音に暮れ行く年を身体に感じながら防寒の身支度をして初詣に出かけるのだ。厳松山信盛院まで車で2~3分。




 参拝者が代わる代わる鐘を突く。寒い。鐘楼前の広場では赤々と大きな焚き火が。未明の夜空には満天の星が光る。いつもと同じようにある空だが、ゆく年くる年の夜空はいつものそれとはなぜか違って見える。焚き火を囲みながら振舞われる甘酒がうまい。寒風にさらされたからだが温まる。「明けましておめでとうございます」。会う人ごとに新年の挨拶を交わし「今年も宜しく・・・」。ほとんどが顔なじみだ。




 除夜の鐘は大晦日から元日に掛けての古くからの慣わし。煩悩を鐘に託して打ち払う。その数は108つ。私達は、面白がってと言ったら不謹慎だが、みんなで思いのままに突いている。しかし、正しくは大晦日のうちに107回を突き、年が明けたら最後の108回目を突くのだそうだ。しかも、そのペース配分も大切で、1回目から大晦日分の107回と新年の108回目までが均一になるのが正式だという。しかも鐘を突く力のバランスも強弱を交互にするのが作法だそうだ。「ゆく年くる年」のテレビに登場する全国の名刹から流れる除夜の鐘は、恐らくそんな作法にのっとっているのだろう。


鐘

 108つ目の鐘が鳴るとお正月。新しい年の始まりだ。一般家庭では少なくなったが、会社、官庁の玄関先にどんと居座る松飾り。「松竹梅」が誰の目にもお正月の到来をいやが上にも印象付ける。言うまでもなく「松竹梅」はおめでたいものの代表格。モノの本によれば、松と竹と梅は「歳寒の三友」と言われ、この三つが一枚の絵に描かれているものを「三友図」という。


松飾り

 さて、この三つの順序。昔から松・竹・梅の順で、これをイレギュラーして言う人はいない。その理由は単なる語呂という説もあれば、最初のは、季節によって葉っぱを落とす竹や梅と違って厳寒にも強く、いつも緑を蓄えるからだという説も。まあ、そんなことはどっちでもいい。お正月は、また旨い酒が飲める。2日は母校(日川高校)の同級会だ。卒業以来、欠かさず開いていて、57回目を迎える。懐かしい友との酒が楽しみだ。




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年の瀬のキーワード

神社

 ある年代以上の方なら誰でも知っている。テレビの人気番組に「連想ゲーム」というのがあった。その連想ゲームならずとも「すす払い」とか「大掃除」といえば、誰しも年末を思い起こすに違いない。文字通り一年の垢を払い落として、すがすがしい気分で新年を迎えようという行事なのだ。神社やお寺でのすす払いは、テレビや新聞などで歳末の風物詩としてクローズアップされ、それを見た人々は改めて年の瀬を実感するのだ。




 このすす払いとともに一般家庭の年末行事のひとつに、障子の張り替えがあった。子供の頃だった。この辺りでは「うどん粉」と言ったのだが、おふくろが小麦粉(うどん粉)で作った糊で家中の障子を張り替えるのだ。その頃の田舎家は間仕切りといえば、ほとんどが障子かふすま。もちろん、贅沢なケヤキの帯戸もあるが、その数は少ない。



障子12


 おふくろと言うより、母親、いや、お母ちゃんといった方がいい。鍋にいっぱい作った糊とハケを巧みに使って障子を張替えて行くのである。破れたり、汚れた紙を剥ぎ取り、障子の桟(さん)を綺麗に洗ってからの作業であるのはいうまでもない。




 冬休みの子供たちも母さんの手伝いをするのだが、なにしろわんぱく盛り。今のように一人っ子、二人っ子ではなく子供が多いものだから、一人がいたずらすれば、脱線は停まらない。昭和20年代も終わりの頃、モノクロのテレビでは力道山がオルテガやライト兄弟、ルーテーズといった外国人レスラーを相手に空手チョップで活躍するプロレスが子供たちの人気だった。夕方は大相撲中継だ。もちろん画像は今の地デジなどとはほど遠く、粗末なものだった。時々、ジャー、ジャーと音を立て、波打った。


力


 力道山人気。子供たちが真似しないはずがない。母親が丹念に張ったばかりの真新しい障子の升目めがけて、みんなで空手チョップの嵐。快いと言うか、手頃の音を伴うものだから、いたずら盛りの子供たちにとっては痛快至極。母親にとってはたまったものではない。張り替えたばかりの障子は4人も5人もいる悪ガキの手で穴だらけになってしまうのである。叱られるのは言うまでもない。しかし、今のお母さんたちのそれとはちょっと違った。今にして思えば、おふくろは子供たちのいたずらを、ある程度、許容していた。そんな母親の気持ちが分かってか、やがて上の子は下の子のわんぱくを戒めたりもした。考えてみれば昔の親は偉かった。子供たちにいたずらの良し悪しを考えさせるゆとりがあった。ゆとりというより、沢山の子供を怒りきれなかったのかもしれない。


襖  


 障子は一般家庭からどんどんその量を減らしている。畳の和室がフローリングの洋間に変わるなど住宅構造が大きく変化しているからだ。我が家を見ても障子の面積は半分どころか3分の1に減った。個室化で壁やドアに姿を変えた。数少なくなった障子だって子供が少なくなったり、核家族化によって家族そのものが少ないから、破れもしなければ、汚れもしない。我が家ではここ何年も障子の張替えなんかしてない。大掃除も同じで、高性能の掃除機があるから女房が時々、その掃除機を掛ければいい。障子の張替えも大掃除も年末の風物詩足り得なくなった。面倒な仕事はゴメンだが、それもなんとなく寂しい。


フローリング


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誕生会と忘年会

料理

 250人くらいがいただろうか。山梨県甲府盆地の東部、御坂山塊の一角にあるゴルフ場のクラブハウス。クマやイノシシ、鹿の料理もあれば飲み物では沖縄の泡盛も。山梨県中小企業中央会の会長職を退いて、今は野にいる方が毎年この時期に開いてくれるパーティーである。自らの誕生会を口実に親しい友を招いての一足早い忘年懇親会だ。昼間は親睦のゴルフをし、パーティーに臨むのだ。私は、腰を痛めてしばらくゴルフをやらないのだが、別のお付き合いから毎年、この催しにお招き頂いている。


花


 ゴルフ場のクラブハウスだからキャパシティーには自ずと限界がある。生い立ちからか経済人が多いが、政治家もいれば、出席者の職種はさまざま。幅広い付き合いの縮図がそこにある。主催者であり、ホスト役でもあるこの人は、冒頭のご挨拶でこんな話をした。





 「私は先頃、82歳の誕生日を迎えた。多くの方々のご協力も頂きながら、食も心を込めてご用意した。存分に楽しんで頂きたい。私は子供の頃から、食べるものは自分ひとりで食べるな、と親から教わった・・・・」



 この人は、言外に分かち合うことの大切さをさらりと話した。もちろん、主催者の挨拶だからそんなことを言うのが狙いではない。が、なぜか「食べるものは自分ひとりで食べるな・・・」という言葉に重い何かを感じた。この人とは歳が一回り以上も違うのだが、私も確かに同じことを親から教えられた。親と言うより大人たちと言った方がいい。ふと自らに置き換えてみた。「俺達は子供達にそんなことを教えただろうか・・・」。


フルーツ


 この時間ならぼつぼつ勤めから帰宅しているはずの娘の顔を思い浮かべた。その世代に今、食べ物を≪分かち合う≫という考えがあるだろうか。飽食の時代と言われる中にあって、分かち合うどころか、食べ物を粗末にすることが平気になった。大人たちも何時しか貧しかった時代を忘れてしまった。そんな事を考えていたら、久しぶりの友がビールグラスを片手に私の前にやって来た。


 「やあ~、ご無沙汰していまして・・・。お元気ですか」



 「あなたが獲ったクマや鹿の肉、ご馳走になっていますよ」




 パーティーは立食形式。主催者が用意してくれた上等の泡盛をストレートで頂きながら話が弾んだ。この人は山梨県の茅が岳山麓に住み、運送業を手広く営む社長さん。狩猟が趣味でその時期には茅が岳や八ヶ岳の山麓一帯で仲間達と鹿やクマ、イノシシなど大物を追う。私は毎年、この人のお相伴に預かって、その獲物に舌鼓を打ちながら旨い酒を飲む。もちろん、この日のパーティーの珍しいご馳走もこの人によるものであることは言うまでもない。


ワイン  


 主催者の人脈は広い。この人のようなハンターもいれば、ワイン会社の社長や酒屋のオヤジもいる。頂いている上等な泡盛も、ご婦人たちが和気合い合いと傾けているワインも、そんな仲間達からの差し入れかも。みんなが言わず語らずに≪分かち合う≫ことを知っている。主催者にとってはむしろ高くつくのは言うまでもないのだが、その分かち合いがみんなの和を作っているように思えた。主催者の隠居は「私は生ある限りこの仲間達とのパーティーは続ける」と挨拶を結んだ。




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チラシとボーナス

チラシ



 「お父さん、今日の新聞、こんなに沢山、チラシが入っているわよ」


 「そうか?明日はボーナスサンディーだものなあ・・・」


 「みんな、ボーナスが出たんですねえ。でも、うちは関係ないよねえ」


 女房はおろか、私だって女房がポストから持って来た新聞の折込チラシを見るまで世の中がボーナスシーズンを迎えていることなど眼中になかった。年金生活といったらわびしくなるから、そうは言いたくないのだが、そんな生活になってぼつぼつ12年。ボーナスという言葉も頭の中から消えていた。




 いつものことだが、女房は新聞の中身より、そこに折り込まれるチラシの方が興味があるらしい。茶の間に広げて、楽しそうに見ている。家電のチラシもあれば、衣類や食品、おもちゃのチラシもある。三つ折の、どでかいものもある。


チラシ2


 「お父さん、こんなに大きいチラシもあるよ。それにしても、みんな安いわね」


 その後に、こんなこともつぶやいた。


 「それにしても、こんなに安売り競争をしていいのかしらねえ・・・。テレビで言っていたけど、デフレが進んでいるんだよね・・・」




 我が女房にしては、思わぬことを言う。毎朝、新聞の中身より先に丹念にチラシに目を通している女房と違って、私はチラシなんかあまり見たことはない。特別これといって欲しいものがあるわけでもないし、毎日食べる物だって女房任せだから、チラシの中身に関心もなければ、興味もない。あるとすれば、今はまっているパソコンくらいのものだ。



チラシ3



 楽しそうにチラシを見る女房を見て、思わずデジカメを向けたら、普段は物事に敏感ではない女房「お父さん、私なんか写さないでよ。今朝はまだお化粧、していないんだから・・・」。咄嗟にブログのカット写真に使われると思ったのだろう。



 「バカっ。お前を撮るんじゃあないんだよ。チラシだよ。チラシ・・・」



 カメラを向けると咄嗟にポーズをとろうとしたり、何よりもお化粧や身だしなみを考える。女の本能のようなものか。「この歳になっても我が女房、女であることに違いないのか」。内心、おかしくなった。




 チラシからボーナスを連想して、今も現役で頑張っている、かつての職場の後輩達の顔を思い浮かべた。「みんなボーナスもどんどんカットされているんだろうな」。この不況下にあって、どの企業だって業績はよくないはずだ。女房が「沢山・・・」というチラシの量だって、ひと頃と比べれば、格段に少ない。それを折り込んでいる新聞自体だって、そう言ってはクライアントに失礼だが、ろくな広告は入っていない。新聞社も自社広告で穴埋めしている。この二つを見ただけでも経済界や友のボーナスの中身まで透けて見える。




 私達が現役を退いた時もバブルがはじけて不況のトンネルに入っていた。でも地方への波及は遅く、ボーナスもそこそこもらえた。しかし、今は何時抜けるかも分からない真っ暗なトンネルの中。正直言って現役の後輩達に同情したくなる。ここは我慢しかないよ。




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振り込め詐欺にご用心

ATM2


 「お母さん、振り込め詐欺になんか引っかかるなよな」


 「私なんか、どんな電話がかかってきたって、騙されるようなへまはしませんよ」


 「バカ言え、そういうヤツがすぐ引っかかるんだよ。娘やおふくろでもヤツらに仕掛けられたら一発さ」



 地域防災無線で今日も繰り返される振り込め詐欺の被害情報と注意を呼びかけるアナウンスに、女房と交わした会話である。女房は最後にはこうだ。



 「お父さん、大丈夫、大丈夫。うちには何百万ものお金をポンと振り込むほどのお金、ないもん」


 これには一本とられた。バカな夫婦のこんなやり取りはともかく、≪振り込め詐欺に注意≫のアナウンスはこのところ毎日である。




 「山梨市役所と日下部警察署から振り込め詐欺に注意のお知らせをいたします。昨日、山梨市内の70歳代の女性が振り込め詐欺の被害に遭いました。山梨市の職員を名乗る男から電話があり 『 後ほど社会保険庁からも連絡があると思うが、お宅は社会保険料の未払いがある。連絡があり次第お金を振り込んでください 』 と言われ、この女性はATMから振り込んでしまいました。市役所はこのような電話はいたしません。もしこんな電話があっても絶対に振込みをせず、市役所か警察にご連絡、ご相談ください」



ATM4



 防災無線については前にもこのブログで書いたが、こうした注意情報は各地に設けられた地域基地局から市内全域に一斉に流れる仕組みである。振り込め詐欺の手口は、保険料の未払いや子ども、孫の交通事故を装ったものなどさまざま。市役所や県庁、警察などを言葉の上で巧みに絡ませて騙すもので、ターゲットはお年寄りや主婦。1万数千世帯ぐらいの山梨市内で毎日、誰かどうか被害になっている勘定だ。





 犯人は東京なのか大阪なのか分からないが、日本のどこかで電話を使って大量の仕掛けをしているのだろう。私はこうした騙しの電話に出っくわしたことはないが、言葉は極めて巧みなのだろう。皆がみんな「私は絶対、引っかからない」と言いながら、巧みな言葉に騙されてしまうのである。



ATM3


 被害の連続にたまりかねたのか今日はこんなアナウンスも流された。


 「市老人クラブ連合会は明後日、地区公民館で、悪徳商法予防講習会を開きます。お年寄りや主婦の皆さんのご出席を・・・」



 市役所や警察が老人クラブとタイアップして地域ごとに振り込め詐欺予防の出前講座を計画したのだ。毎日のように出る被害から類推すれば、ものすごい数の騙し電話がかかっていることは容易に想像できる。



 「私だけは絶対騙されない」。そんなあなただって引っかかるかも。普段、亭主の言葉なんかに敏感に反応しない女房も、娘のことでも引き合いに出されれば・・・。石川五右衛門ではないが「世に盗人の種は尽きまじ」とはよく言ったものだ。悪いヤツは今日もどこかで暗躍している。





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俺は粗大ゴミ

ゴミ置き場


 もう年末が近いのか。地域防災無線から流れる「粗大ゴミ回収のお知らせ」のアナウンスを聞いて、そんなことを思った。私達の地域の場合、粗大ゴミは通常のごみ収集とは別に、年に数回、日時を指定して回収している。年末が中心だ。有料(テレビや冷蔵庫などの電化製品)と無料があって、業者を巻き込んだ大掛かりな回収である。




 この地区は旧村の岩手村(昭和の合併で山梨市に)という所で、今の世帯数は500戸ほどのこじんまりした地域である。回収の指定場所は、この時期は休眠状態に入っているJAの果実共選所前の広場だ。年末にはちょっと早いようだが、市内を一巡するには今から始めないと間に合わないのだろう。



 「粗大ゴミの回収だそうよ。お父さんも行くんでしょう」



 アナウンスを聞いていた女房がかる口を叩いた。



 「おい、おい、俺は粗大ゴミかよ」



 「冗談よ、冗談。お父さんが粗大ゴミであるわけないでしょう」



 女房はちょっと言い過ぎたと思ったのか、ニヤニヤしながら慌てて打ち消した。でも、よく考えてみれば今の俺は女房にとって粗大ゴミみたいなものかも知れない。風が吹いても嵐が来ても毎朝、決まった時間に出勤し、月末にはきちんと給料を運んできた数年前までと違って、今は、毎日が日曜日。時に、やぶせったい存在に違いない。


family.jpg



 三度の食事だって作らなければならないし、箸の上げ下ろしまでとは言わないまでも、いなければ聞かなくてもいい小言だって聴かなければならない。ナスやキユウリ、白菜や大根、サツマイモやサトイモ、そんなものを作る百姓の真似事だって、ほとんど女房も一緒。今はこまごました家事を考えれば一日の仕事量は女房の方が多いのかも知れない。





 人間とは、夫婦とは面白いものだ。毎日、朝から晩まで忙しく仕事をしていた頃は、少なくとも≪粗大ゴミ≫などという言葉を口にしなかった。そこには無意識のうちにも給料という名の生活費を稼いで来てくれる≪一家の主(あるじ)≫としての受け止め方があったのだろう。「のどもと過ぎれば・・・」。先人はうまいことを言ったものだ。給料の運び屋を辞めて5年も経つと、女房たちはいつの間にかその≪ありがたさ≫を忘れてしまう。
妻

 「お前は今、誰のおかげで飯を食っていると思っているんだ」
時々、女房の言葉の節々が妙に引っかかって、冗談とも本気ともつかない、こんなことを言うことがある。世の女房族のみなさんには案外分からないかも知れないが、男には「沽券(こけん)」というものがあるのだ。

夫

 サラリーマン時代からそうだが、私は、家事は一切、女房に任せている。その代わり給料は全部女房に渡して来た。それをどう使おうと口を挟まないことにしている。今は銀行振り込みになったが、給料袋の時代もずっと丸投げした。先日の「振り込め詐欺」についてのブログ記事で、私は被害者にならない事を前提に人ごとのように書いたのはそのためだ。お金と言うお金は全て女房任せ。騙されても振り込みようがないのだ。





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長い夜

冬景色4  


 寒い。朝、布団から離れるのが億劫になるばかりか、畑に出るのも億劫になる。この時季、特に差し迫った畑仕事はないのだが、なんにもないわけではない。肥料掛けもあるし、植木の剪定だってしておかなければならない。剪定で出来たクズを畑で焼却処分するのも一仕事だ。




 「お父さん、サツマイモ、持って来ましたよ」


サツマイモ2


 ニヤニヤしながら言うのだが、家のかみさんの連想力は素晴らしい。亭主が畑で精出す剪定クズの焼却もかみさんにかかったら「焚き火」。格好の焼き芋の場だ。銀紙に包んだり、濡れ新聞に包んだりして火の中に投げ込むのである。焼き芋もいいが、「少しくらいは仕事の手伝いをしろよ」と言いたいのだが、まあそれもいい。かみさんのささやかな楽しみなのだ。かみさん流の「焚き火」云々は別に、農作業の合間での焼却作業は正直言って暖を取るのにはいい。つい、かみさんの焼き芋作りに同調してしまうのである。冷え切った体が温まる。



冬景色3


 私は若い頃からなぜか帽子嫌い。夏の暑い時期でもよほどのことがない限りかむらない。しかし、冬場の寒い時期、帽子が体の防寒にいいことに気付いた。特に毛糸の帽子を深めにかぶるのだ。温かい。毛糸だから圧迫感もない。麻雀仲間の同級生M氏がいつもこの毛糸の帽子をかむっているのが頷ける。髪の毛が薄い人にはうってつけなのだろう。


冬景色2  


 冬の夕暮れはいかにも寒々しい。しかも日没が早く、4時半を過ぎれば薄暗くなり、5時といえば真っ暗。「夏場だったら暑さを避けて、この時間から畑に出るのだが・・・」。昼間の時間が短いと、なにか損をしたような気にもなる。日没が早くなると勢い、夕飯も早くなる。


冬景色


 サラリーマン時代は、もちろん、日没と夕飯は関係なかった。5時、6時はまだまだ仕事の真っ最中。ましてや風呂に入って晩酌など考えもつかなかった。第一、かみさんと向き合って夕飯など食ったことなどなかった。

冬景色5


 職場をリタイアして10年を過ぎた。そんな生活が当たり前になった。太陽のサイクルでの生活は、いかにものんびりしている。でも何か物足りない。特に日が短いこの時季は、やたらに夜が長く感ずるのだ。本を読むのもいいが、歳のせいか目が疲れる。そう考えると、パソコンを覚えてよかった。夜の時間つぶしにはうってつけなのである。



 「お父さん、炬燵でおやりになったら・・・」


 晩酌を済ませて机に向かう私に、かみさんは、いつもそう言う。でも必ず机に向かう。その方が頭も身体もシャキッとするのである。



 「いつまで続くのかしらねえ。第一、そんなことしていて肩が凝らないのかしら・・・」


 かみさんはそんなことも言うが、どうしてどうして。子どもの頃のように嫌々ながらする宿題と違って好きでやることというのは恐ろしいもの。肩も凝らなければ、目だって疲れない。むしろ、かみさんが言うこのパソコン遊びがなかったら、こんな長い夜をどうしたらいいの、と考えてしまいもするのだ。




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焚き火と焼き芋

青空


 昨日の終日の雨とうって変わって今日はいい天気になった。空は雲ひとつない。秋の時期なら「抜けるような青空」と言うのだろうが、この時期だとそうはいかない。地上からの放射熱が上昇して空中に水蒸気の層を作るから秋の空とはどこか違う。




 「冬の空は下から見上げるといい青空に見えるが、空の上から見るといつも霞がいっぱい。特に都市部、つまり、住宅街の上空はそれが顕著。オフイスや家庭から放出される暖房熱のためだ。航空写真をとる場合、雨の少ない冬の時期は好都合のように思われがちだが、案外駄目。こうした暖房熱が少ない山間部はすっきりと下が見えるのですが・・・」



 ヘリコプタやセスナ機で航空写真を撮ることが多い知り合いのカメラマンがこんな話をしてくれたことがある。


飛行機と空



 今、朝の8時半。窓越しに見える富士山は、下界では雨だった昨日、雪の衣を厚くして青い空にくっきりと浮かび上がっている。東側の四分の一ぐらいの部分を朝日でまぶしく輝かせている。残る影の部分は青白い。そのコントラストが壮厳な富士を演出してくれる。下界と違って、そのうち、この富士の上空で風が起これば東斜面の雪が吹雪となって舞い上がる。その光景もまたいいものだ。





 こうしてパソコンを叩いているデスクの窓越しに見える富士は、30mぐらい先にある石の門柱のちょうど左側の肩に浮かんでいる。門柱の手前には種類の異なるカエデやイチョウがあるが、今は枯葉を落とし出して、みすぼらしい姿をさらけ出そうとしている。一ヶ月ほど前だと、イチョウは黄色に輝き、種類の異なるカエデはあるものは黄色に、またあるものは真っ赤に燃えていた。高く伸びた棕櫚(しゅろ)や各種の常緑樹の緑とマッチして見事な紅葉を見せてくれた。


富士山



 地面を見れば、その残骸ともいえる落ち葉がいっぱい。一足早く落とした柿の葉っぱなどとともに枯葉のじゅうたんである。ものの哀れさすら覚えるのだが、そんな感傷的な事ばかり言ってもいられない。厄介者を熊手でまとめては燃やすのである。そう、あの童謡にもある落ち葉焚きだ。


落ち葉 秋 紅葉_convert_20121206193103


 「お父さん、サツマイモを持って来ましょうか」



 普段、気が利かない女房がこんな時ばかりは嬉しそうに飛び回る。そのためでもないが、今年は我が家でサツマイモを作ったからいいが、昨年などは3~4㌔先のスーパーまで行ってサツマイモやホイル用の銀紙を買って来るのである。普段、用事を言いつければ、なんやかやと理由をつけては逃げてしまうのに、嬉々としながら率先するのだ。



サツマイモ3



 女という動物は元来、焼き芋が好きなのか。まあ、それはともかく、濡れ新聞紙やホイルに包んで焚き火の中に放り込んで置くと、確かにうまい焼き芋が出来る。濡れ新聞紙やホイルの銀紙まで用意して焼き芋をしたい女房の気持ちも分からないでもない。何より、冷え込む一方の冬空の下では、焚き火は暖かい。この機会に剪定で切り落とした植木の枝も処分するのだ。焚き火。そういえば、都会では味わえないかも知れませんね。





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冬に向かう里の秋

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 里の秋は、どんどん深まって行く。深まるというより冬へとバトンタッチしているのだ。街路樹のイチョウ並木は黄色い葉っぱをハラハラと風に落とし、我が家の植え込みのカエデも紅葉の盛りを通り過ぎた。常口の前を東西に伸びる3尺程度の細い古道沿いに垣根代わりに植えられた山茶花が「今度はこちらの出番」とばかり開花し始めた。秋は山から里へ。ついこの間まで紅葉狩りの行楽客で賑わった山間の渓谷は人影をなくし、もはや冬のたたずまいである。自然界は季節の移ろいを見事に表現してくれる。


山茶花_convert_20101205223708


 紅葉を織り成す代表格は、何と言ってもカエデであり、ナナカマドウルシだろう。とりわけナナカマドは鮮やかだ。ナナカマドは火に燃えにくい木だそうで、七回も釜戸に入れないと燃えないことからその名が付いたという説がある。ウルシなどと共に真っ赤に染まり、周囲の松や杉など常緑樹と、これまた見事なコントラストを見せるのだ。


もみじ2_convert_20101205223801


 「もみじ」という植物はない。一般に「もみじ」と言われるのはカエデだ。このカエデにもさまざまな種類がある。我が家にも大小10本近いカエデがあるのだが、それぞれがみんな違う。真っ赤に色付くものもあれば、深紅や淡い赤、茶色っぽいものもある。それぞれが独自の色合いを表現するのである。初夏、若葉の色合いもまた異なる。ほとんどが緑の葉を付けるのに、まるで黄金色の葉っぱを付けるものもあるのだ。




 逆から言えばカエデは「もみじ」とも言われ、紅葉を「もみじする」とも言う。可愛い赤ちゃんの手を「もみじのような手」などという。若い女の子達は紅葉したカエデの葉っぱを栞代わりにする。カエデは古来、人々の心や生活に深く溶け込んでいる。料亭の会席料理にしばしば添えられるのもこのカエデ、つまりもみじだ。街路樹のイチョウが落とす銀杏も茶碗蒸しの具の定番。


イチョウ_convert_20101205223910


 イチョウが葉っぱを落とす頃になると、なぜか東京・永田町のイチョウ並木を思い出す。国会議事堂と衆・参議員会館の間を走る街路樹である。この辺りを毎日、仕事で歩き回っていた若い時分のことである。35~6歳、東チョン時代であった。品川に近い泉岳寺にある知り合いのホテルで仲間たちとしこたまお酒を飲み、朝帰りした。出勤にはちょっと早いが、なにせ単身赴任。そのまま仕事場に直行。地下鉄国会議事堂前で降りると、そのイチョウ並木の下で通勤途中のOLたちが競うように銀杏を拾っているのである。場所が場所。OLたちは国会職員や議員秘書だ。あっという間に落ちた銀杏は跡形もなくなる。


国会議事堂_convert_20101205222706


 「へえ~、こんな所に銀杏のなる木があったのか」。普段、何気なく歩いていた街路で再発見させられた思いだった。ご存知のようにイチョウは全てが銀杏を付けるのではない街路樹は一般的に実を付けないイチョウを植える。実が入り、落ちた銀杏は表現し難い異様な臭いを放つ。これが嫌われるのだろう。でも珍しさが先行するのかOL達はなんのその。「この銀杏、美味しいですよ」とお訪ねした議員事務所の秘書さん。「これは首相官邸から何本目のイチョウの木の下から拾ってきたものだね」と言ったらびっくりしていた。ともかくお陰でこの街路のイチョウで実を付ける木を今でもみんな覚えている。





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醤油の味

醤油
画像:ヤマサ醤油

 「珍しい苗字ですね。どちらのご出身?」



 九州の大分です。元々は岐阜県の郡上八幡。その昔、先祖は稲葉一徹の国替えに従って移り住んだようです」



 「へえ~、そうなんですか。では、世が世だったら・・・」



 「いや、いや。下っ端の家臣だったんでしょう」


 石和温泉郷のリハビリテーション病院で、ムチウチ症のマッサージ・PT(理学療法)治療を受けながら、療法士の先生と、たわいもない会話を交わした。電流も含めたハリ治療は約1時間。首の牽引が10分。PT治療が30分。週に一度のハリを除いて、こちらは2日から3日置きに受けている。首を吊られている牽引の時は話をするすべもないが、それ以外はたわいもない話をするのだ。年恰好から見れば50歳代後半とお見受けした。




 大分と言えば別府温泉のある所ですねえ」



 「私の所は、そことは少し離れていて、ちょっとした醤油の産地として九州では知られた所です。関東の人達には馴染みがないと思いますが、私なんか、こちらの醤油は、どうしても馴染まないんです。味も風味も全く違うからです。山梨に来てもう7年になりますが、醤油だけは今でも大分から取り寄せています。家の女房は栃木県宇都宮。関東の出身です。その女房も同じことを言うのですから、やっぱり歴然と違うのでしょう」

かつおしょうゆ       花嫁      ゴールデン紫      
画像:大分フンドーキン醤油さんから


 「へえ~、同じ醤油でも所変われば、そんなに違うんですかねえ」



 「ある時、関東の大きなメーカーが大分への進出を図ったのですが、失敗に終わりました。人間、長い間慣れ親しんだ味と言うものは、簡単には代えられないんでしょうね。ひとつ大分の舌と言うより九州の舌と言ってもいいかも知れません」



 この理学療法士さんは、こんな話もしてくれた。


 「私は学生時代、関東で寮生活をしました。当然のことながら、そこには全国から学生が集まりますよねえ。そこで何とも驚いたのはです。お正月に食べるアレです。出てくるのは四角というか、長方形の切り餅でした。私達の九州では餅といえば、みんな丸いんです。お正月に飾るお供えの一番上にあるようなアレです。みんなで焼いて食べる時、角切りされた平べったい切り餅がプ~っと膨らむのを見て、不思議でなりませんでした」


四角餅


 逆に私達、関東の人間からすれば、丸い餅など信じられないし、ましてや、その焼き餅がプ~っと膨らむことを想像しただけでも滑稽でしかない。所変われば品変わる。風俗も習慣も、また細かく見れば、日常でさりげなく接している、さまざまなものの形や、人間が味覚として感ずる舌も違うのだ。


丸餅


 醤油ばかりではない。食の味付けひとつとっても関東と関西は、まるで違うと言う。その境はどこなのだろう。わずか一日とはいえ、時の政権を賭けて東西両軍が激しく戦った、あの「天下分け目」の関が原の合戦。その舞台・岐阜県に近い名古屋あたりと言う人もいる。狭い日本。でも、やっぱり広い。




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山の神

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 都会にお住いの方なら、ビックリされるかも知れないが、私たちの地域には「山の神」の祭典と言うのがあって、餅投げをして祭りを祝う。その日は11月の最終日曜日か、12月の第一日曜日。60軒足らずの小さな地区に大正年間から伝わる祭りで、地区の5軒ずつが順繰りに「お祭り当番」を担当して行事の一切を取り仕切るのである。



 「大正年間から伝わる…」と言っても、その歴史に定かな記録がある訳ではない。祭りの前日から「山の神」の祠(ほこら)がある広場に立てられる大きな、2本ののぼり旗に記された年号が根拠に過ぎない。少なくとも大正年間の初頭、場合によっては、それ以前の明治の時代から伝わっているのかも知れない。そう考えると、のぼり旗が伝える意味は大きい。


 「今時、餅投げでもあるまい」と、おっしゃる方もいらっしゃるかも知れないが、のぼり旗が示す大正年間の初頭からの祭りとして、100年を超す歴史と伝統を刻んでいることだ  けは確か。投げる餅は紅白の切り粉餅。お正月などにいただく餅と違って、もち米をいったん粉にした後、搗(つ)いたものだ。食べての味わいもある。



 ひと頃は「お祭り当番」が祭りの前日、この餅を搗いた。最近では業者に委ね、かつての
ような«裸»のままではなく、ビニールの袋に入れるようになった。祭りの舞台となる広場は地区のほぼ中心。公会堂の横にあって、その2階や隣の家の2階から沢山の切り餅を投げるのである。その光景は全国の寺社仏閣で行われる節分会の豆まきを想像していただければいい。老若男女が無心になって子供のように上から投げられる餅を拾うのである。





 ここには「山の神」ばかりでなく「道祖神」やお蚕の神様「蚕影さん」も祭られていて、道祖神祭は小正月、「蚕影さん」は3月の最終日曜日が祭りの日。道祖神祭は子供たちを中心とした行事となっていて、祭りの運営は子供クラブと育成会。「蚕影さん」も「山の神」の祭典と同じように餅投げをする。

道祖神1 道祖神お札


 昭和30年代の半ば、果樹地帯に変身する前のこの辺りは米麦養蚕地帯であった。食生活に直結する米麦の作付けの一方で、養蚕は農家のかけがえのない現金収入の道であった。「蚕」の字の頭に「お」の字を付け、その下には「さん」をつけて「お蚕さん」と言ったことからも蚕を重く見ていた人々の心根が分かろうというもの。字そのものだって「天の虫」と書く。餅投げの後は「山の神」と同じく公会堂で祝杯を挙げ、お酒を酌み交わすのである。




 ものの本によれば「山の神」は、文字通り山を支配する神。山の神を崇める信仰は日本全国どこにでもあった。しかし、その姿を変えたり、いつの間にか消えて行った。神事と餅は昔から深い関わりがあることは、ご存知。家を新築し棟を上げる時(上棟式)でも必ず餅を撒いて家内安全を祈り、地域に披露した。でも山を大切にする心は何処に。一方で災害が…。




 「山の神」という言葉は家庭内にも生きている。俗に頭の上がらなくなった自分の妻のこと。特に口やかましくなった妻を言う。その昔、人々は山に畏敬の念を抱き「山の神」を祭った。しかし、時代は変わり「山の神」は、私たち男どもの身近かに«君臨»。家庭の中で動かしがたい存在に…。家庭の「山の神」もさることながら本来の「山の神」の軽視は禁物だ。



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冬への助走 里の秋

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 街路樹のイチョウ並木は、黄色い葉っぱを次々と落とし始め、我が家の植え込みの落葉樹も何時の間にか葉っぱの数を減らし始めた。紅いもの、黄色いもの。一口に言ってしまえば、それまでだが、その二つでは割り切れない微妙な色の違いを見せるカエデ。晩秋と言うのか、初冬と言うのか、そんな中途半端な時季の樹々の表情は多彩であり、また風情もある。




 木枯らしと言うには、まだ実感が沸かない風に揺られ、三枚、四枚と葉を落としていく落葉樹。まだ紅葉の域にはあるとはいえ、流石にひと頃の鮮やかさはなくなった。あと一週間、10日もすれば、全ての葉っぱを落とし、丸裸に変身するのだろう。ひと頃までは紅く、黄色く燃えていた周囲の山も茶色の枯葉になったばかりか、枯れ木に変化を見せ、こちらは見るからに寒々しい冬の佇まい。私たちが住む里へと季節のリレーを終えている。



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 植え込みで、一足早く葉っぱを落とした百日紅やザクロ、カリン、杏子…。畑の柿やリンゴ、ブドウも次々と葉っぱを落としている。こちらは篤農家と、そうでない農家との違いは、くっきり。篤農家のブドウ棚は、確実に葉っぱを落とすのが遅い。それだけ木に勢いがある証拠だ。肥料の施しなど日ごろの管理の良し悪しの表れで、私のような素人でも周りを見渡せば一目で、その違いが分かる。





 樹々の勢いの良し悪しは、来年の収穫に影響を及ぼすことは言うまでもない。街路樹にせよ、植え込みにせよ、ブドウやモモのように果実の収穫とは関係のない樹木だって同じこと。施肥や土壌によって落葉は前後する。イチョウやケヤキの街路樹。紅葉はむろん、次々と葉っぱを落とす様は、晩秋、初冬の寒々しさを演出、それはそれなりに風情をもたらすが、沿道のご家庭やオフィス取っては、どちらかと言えば厄介者。毎日、掃除を強いられるからだ。




 4反歩ほどのブドウ園(ピオーネ)を全て切り、«百姓もどき»を決め込んだ私にも、その後の除草や、野菜作りは残されているし、母屋やお蔵を囲んだ表と裏の植え込みはいつも通り管理しなければならない。それにブドウ園の跡地とは別に甲州百目や富有、御所など結構の広さの柿畑も二か所ほどある。こちらは、もう、とっくに葉っぱを落として丸裸。



葡萄畑1



 果樹地帯のこの辺りは枯露柿の産地でもある。ところが、今年は«裏年»なのか、天候不順の影響なのか、原材料となる甲州百目などが不作。もちろん、富有など柿全般だ。我が家の
畑も例外ではなく、しっかり実る前に黄色くなって落ちてしまった。僅かに残った柿の実は「子守り柿」として小鳥の餌に。それでも剪定作業はしなければならない。




 剪定は夏の間に伸びた徒長枝の切除が中心。むろん木づくりが狙いであることは言うまでもない。毎年のことだが剪定は梅や杏子、百日紅の木から始め、カリン、ザクロ、葉を落とすのが遅いカエデなどの順に進めて行く。梅は早咲きのものは蕾を膨らませているので、剪定の時期としては遅いのだろう。




 落葉樹の中で一番特異なのは柏の木。この木だけは葉っぱを枯らしながらも一枚たりとも落とさない。春になり新しい芽吹きを待つのである。「逞しい子供に育って欲しい」。端午の節句に用いられる「柏餅」の由来はそこにある。柏の木の生命力に因んだものだろう。



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去来する友の在りし日

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 祭壇の上でほほ笑む同級生の遺影に手を合わせながら、在りし日の思い出が走馬灯のように去来した。同級生と言っても机を並べたのは中学生時代の一時期。卒業後、二人は普通高校と工業高校とに進路を分けた。当然のように二人の交流は、ほとんどなくなった。生活の舞台が違ってしまったのだから、当たり前と言えば、当たり前。




 それから、かなりの年月が経った。若いと言っても、恐らく40歳も半ばを迎えようとしていた頃だろう。誰とはなしの発案で、同級会が開かれた。250人近くいた学年の3分の1ぐらいの仲間が集まっていただろうか。隣に座っていたT子さんが、囁くように、こんなことを言った。




 「今、遅れて入って来たS君、あなたと仲良しだったわよね。きっと、ここに来ると思うけど、私、びっくりしたの。就活中の娘が受験したいという会社のパンフレットを持って来たのよ。『どれどれ…』とばかり、その会社案内を開いたら、従業員800人を率いるIT企業の社長としてS君の挨拶文が載っているじゃあない。写真があったからすぐ分かったわ」


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 向かい側に座ったので否応なしに目が合い、オレのお膳の前に。「お久しぶり。ご無沙汰しっ放しで…」。しばらく酒を酌み交わした後「ここ、そっと抜け出せないか?オレ、おまえに相談したいことがあるんだよ」と。連れて行かれた先は、彼が予め用意しておいたという、山梨市では名のある割烹料理屋の座敷だった。車は当時とすれば珍しいベンツ。




 「何だ。かしこまって相談とは?」


 「ズバリ言わせてもらうけど、お前に、うちの会社に来てもらいたいのだよ…」


 「バカいえよ。オレはお前と違って、しがないマスコミ人間。IT の世界に縁もなければ、金を使うことは知っていても、稼ぐことを知らない世界に生きている人間。そんな人間を引き込んだら、お前の会社、潰しちゃうぞ。お前が従業員800人もの企業を作り上げたことは、さっき聞いた」


 「そう言うと思ったよ。でもねえ、技術は技術屋に任せればいいし、営業は営業に委ねるさ。お前には、これまでの経験を生かした総括、つまり、何でも言いたい放題、気付いたことを言ってもらう、いわばオレに限らず、会社にとっても重要な相談役だよ」




 お断りしたことは言うまでもない。彼は言った。会社が時流に乗って急成長したとは言え、時代感覚を見失ったら「明日」すらない業界であること、何よりもトップにいる自分が«孤独»であることや周りとは対照的に自らが«高卒»という潜在する«ひがみ»も打ち明けた。




 「バカ言えよ。トップが孤独であることなんか世の常。学歴?韓国じゃあるまいし、今の世の中は実力の世界だよ。自信を持ってバンバンやりゃあいいじゃないか」


 こんなことがきっかけで二人は昔の友に戻った。オーナー会社であるが故の悩みか、身内の後継がいなくて、会社を身売りするハメになったこと、そこから生じた何十億円もの資産の処理など、何でも腹を割って相談して来た。しがないオレに応えられるはずがない。一見、恵まれた人間にもオレのような貧乏人には分からない悩みはあるものだと思い知った。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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