心に染みる童謡

雨宮知子


 今年は「童謡100年」だという。1918年(大正7)創刊の児童雑誌「赤い鳥」が「童謡」という言葉を世に出した。老若男女・子供から大人まで、誰でもが口ずさみ、忘れることの出来ない歌。私のような«音痴人間»でも、自然に口ずさめるばかりか、年齢を超え、時代を超えて歌えるのが間違いなく童謡だろう。




 童謡歌手・雨宮知子さん。山梨県は笛吹市一宮町の出身。「郷里で歌うのは9年ぶり」というコンサートを聞かせていただいた。会場は同町の「いちのみや桃の里ふれあい文化館」。実は、雨宮さんとは昨年12月、人権週間に因んだ全国中学生人権作文コンテスト山梨県大会の表彰式(甲府地方法務局・山梨県人権擁護委員連合会主催)のアトラクションに出演いただいたのがご縁。「もう一度、聴いてみたい」と、思っていた矢先のステージだった。



 プログラムは15分のインタバルを挟んでの2部構成。1部では「早春賦」、「朧月夜」「やさしい時間」、「ピアノSolo♪」「♪みんなでうたおう♪」、「カラー・オブ・ザ・ウインド」。2部は「ピアノSolo♪」、「みかんの花咲く丘」、「かあさんの歌」、「七つの子」、「15夜お月さん」、「さとうきび畑」、「折り鶴」。うち「ピアノSolo♪」は終始伴奏を務めた栗原正和さん。


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 ざっと300席のホールは超満員。20代の若者から40代、50代、60代、70代…。中には幼い子の手を引いた80代のお爺ちゃんも。第1部の「♪みんなでうたおう♪」では「花の街」や「「どこかで春が」、「どじょっじょふなっこ」、「春の川」、「ちょうちょう」、「うれしいひなまつり」、「花」などを、ステージと客席が一緒になって歌うのだ。そこには年齢の垣根もジェネレーション・ギャップもなかった。




 童謡の良さはそこにある。歌謡曲や次から次へと生まれて来るニューミュージックとは、また違った味わいと、魅力が。世代間交流の懸け橋になっているのだ。童謡は日本の四季折々の自然や、どこにでもある生活の一コマを綴っている。そこには自然ばかりでなく、人やモノへの愛も込められているのだ。だから、世代を超えて人の心を打つのかも知れない。日本の伝統文化と融合した新しいコンテンツを創造している、と言ってもいい。

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 聞けば雨宮さんは、私とおない年の父親を早くして亡くした。このコンサートの舞台裏には、人知れず雨宮さんを我が子のように親身に気配りしていた男がいた。私と同じ人権擁護委員を務めている方で、昨年12月のアトラクション・ステージもこの人の尽力があった。土地家屋調査士を生業にしながらも、歌唱にも少しは«うるさい»男なのだろう。




 雨宮さんは第2部の冒頭、自らが作った「~おはなしエプロン~『ももいちろう』」を披露。ご存知、一宮町は桃の生産量では日本一。その桃をテーマにした自作童話の語りである。童謡は不思議と絵画や文芸、芝居ばかりでなく朗読にも融合することを知らしめた。




 童話画家のお姉さんが手掛けた、という可愛い桃の絵をあしらったコスチュームがよく似合う。20分余りの語りが、コンサートの中に見事に溶け込んでいた。世代を超えて歌える童謡は、そのすべての人たちの心の持ち様を浄化する魔力をもっている。童謡を歌いながら悪いことが出来る人間は日本の何処にも絶対にいまい。‘




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漫画と落書き

落書き

 うちの女房はふるっていると言うか、面白い。




 「お父さん、これいいでしょう。上手だと思う?」




 ある研修会で隣り合わせの机に並んで座り、講演を聴いていた私に向かって、女房が自ら書いた漫画を滑らすように差し出した。



 「バカっ。人が話をしているのに、漫画なんか書いているヤツがあるか」





 声を潜めて、そうは言ったものの、その漫画、実に面白い。前の席に座っているオジサンの頭を書いたものだが、はげ頭に何本かの長い髪の毛がミミズのように這っている。もちろん、書かれている側のオジサンは、そんなことは露知らずに、時折こっくりと。後ろの私には、その様と女房の漫画を見比べることが出来るから、思わず噴出しそうになった。


らくがき



 女房は私が所属するユネスコ関係の研修会に義理で連れて来られたのだから無理もない。女房を叱かってしまった引け目からか、反動のように周りを見渡した。何人もが居眠りを。実は私も居眠りを必死にこらえていた。居眠りをしているのは男性ばかり。さすがに女性は誰もいなかった。こんな時の≪知恵≫は女房のように女性の方が優れているのか。真面目顔で講演している講師の先生には失礼千万だが、また噴出しそうになった。




 漫画といえば聞こえはいい。分かり易く言えば、暇つぶしの落書きだ。人間、落書きをする、またしたくなる心理は、どこかに潜んでいる。その場所をわきまえるかどうかは、その人が持ち合わせた理性でしかない。公共的な壁や、公共施設の中でも唯一、密室になる公衆トイレでの落書きがそれだ。




 日常、持ち合わせていることが多いボールペンや鉛筆なら、まだ可愛い。ところがスプレーで壁といわず、電柱や商店街のシャッターに至るまで所かまわず落書きをする奴等がいる。捕まえてぶん殴ってやりたくなるのは私ばかりではないだろう。スプレーもカラフルなものが多いから、大胆至極だ。落書きをする人間と、それを始末する人間のイタチごっこは今日も続いているのだ。





 山梨県甲府市郊外の愛宕山の麓を走る県道沿いにコンクリートの回廊のような壁がある。延長が60mぐらいはあるだろうか。そこはいつも落書きのキャンパスのようで、管理者が消せば書く、書けば消すの繰り返し。たまりかねた管理者は数年前、そのコンクリート壁を本当のキャンパスに見立てて、恐らく近くの中学生だろう、額状に幾つもの絵を書かせた。葡萄の絵もあれば富士山も。

愛宕壁画    愛宕壁画2


 不思議なことに以来、この壁に落書きする人は誰もいなくなった。子供たちが懸命に書いた絵の上に落書きするのはさすがにはばかるのだろう。女房のように自分の紙に密かに落書きの漫画を書いているくらいなら可愛いもの。人様や社会には迷惑ではない。講演をされている先生には失礼千万だが、コンクリート壁のように、それをさせない講演者の知恵と工夫も必要かも。正直言って義理がなければ俺だって漫画でも書いていたかった。ただ、かみさんのように上手に書ければのことだが・・・。




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星のロマンとホタル族

夜空1

 寒いから外に出るのが億劫だが、冬の夜空は美しい。満天に星だ。宵の明星も見えれば、お馴染みの北斗七星も。おうし座やふたご座、こいぬ座、オリオン座も見えるのだろうが、小学校時代、ちゃんと先生の話を聞いていなかったから、分かりっこない。星座の知識があったら、夜空の見方もちょっとは違っただろう。





 私が住む山梨市のこの辺りは甲府盆地の中でも高台だから、満天の星の下と言うか、延長線上には、これまた宝石のように街の灯りがキラキラ輝いて見える。「あの辺りが友の住む石和温泉郷か・・・」。「あの山付きの光は桃の産地・一宮町千米地のあいつの家か・・・」。寒空の下で夜空と夜景を眺めるのだ。何の事はない。女房や娘が嫌がるからタバコを吸うため、仕方なく外に出て目に入る夜空なのだ。


夜景
近所の笛吹川フルーツ公園から見える夜景
「新日本三大夜景」に選ばれました
画像:笛吹川フルーツ公園HPから


 寒い。でも炬燵の中でミカンやお菓子をムシャムシャ食べながら娘とたわいもない話をしている女房には、この美しさは分かるまい。ざまあ~見ろ、と言いたいところだが、やっぱり寒い。何で、亭主の俺が・・・と、思わないでもない。でも、そんな夜空を眺めながらの一服も、まんざらでもない。負け惜しみなんかではない。




 世に言うホタル族。タバコを吸う時、事実上の締め出しを食うのは、何も今に始まったことではない。今ではグズグズ言われる前に自分で外に出る。その時期、時期、星座の位置は違うのだが、冬の夜空はひときわ美しい。空気が澄んでいるからで、夏の夜空、ましてや春の夜空とはまったく趣が異なる。一つ一つの星が氷のように、いかにも冷たく輝いているのだ。


夜空



 一等星、二等星、三等星・・・。満天の星は何事もないように悠然と、堂々と輝くのだが、そのひとつが東の空から西の空に静かに、しかも一直線に動く。もちろん、流れ星ではない。一定間隔で点滅を繰り返しながら飛ぶ飛行機の灯りである。大宇宙の中をゆったりと泳ぐ異端児の星に見えるのだ。




 その後を、またもうひとつの灯りが。その後にも・・・。大宇宙というキャンパスだから一つの空間に見えるが、その間隔は10分前後はあるのだろう。管制塔の誘導で次々と飛び立つ夜の成田空港が目に浮かぶ。山梨の上空は外国航路になっているようで、昼間は白い飛行機雲の尾を引いて同じように飛んでいくのだ。あのツンドラ地帯のシベリア上空を飛んで、ヨーロッパに行くのだろうか。夜8時を過ぎると飛行機はウソのようになくなる。



夜空2


 そんな夜空の星と飛行機を眺めながら、もう30年前になる日航機の御巣鷹山墜落事故を思い出した。 同時に頭をよぎるのが山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」。今の日本航空を暗示さえしている。




 「見上げてごらん 夜の星を・・・♪」



 国民的なアイドル歌手・坂本九も一緒に逝った。高校時代の恩師の一人娘さんも一緒だった。もちろん、今見る定期の航路であるはずがない。東から西ではなく、イレギュラーして南から北へとフラフラ飛んで群馬県の御巣鷹山へ。お盆に入ったばかり、夏の夜の出来事だった。タバコをふかし、寒空を見上げながら坂本九の歌を寂しく口ずさんだ。


空

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不摂生のツケは何時払う

 「人間なんて分からんもんだよなあ。あいつのように、規則正しく、言ってみれば模範的な生活をしているヤツが、病気になり、俺やお前のように、いい加減な生活をしたヤツが病気にならない。神様のやり方、間違っているよなあ・・・」

自然

 つい先頃、親しい仲間が、やはり友達の検査入院の結果を私に告げながら、こんなことを言った。三人は高校時代の同級生。友の検査入院を知らせてくれたのは、このブログでも紹介したことのある男で、大手生命保険会社の理事を定年で辞め、CDのカップリング曲「ふるさと」を作詞したり、地元(市)の教育委員も務めたことがある。




 一方、検査入院したのは、石和温泉郷に程近い所に住むその男と目と鼻の先に住んでいるから、にわか百姓の良き相談相手でもある。私にとっては、こうしてパソコンを叩き、ブログに興味が持てたのも、その男のお陰。私はパソコンの、ブログの師匠だと思っている。足を向けては寝られない立場だ。


パソコン  


 お酒も飲まなければ、タバコも吸わない。早寝早起きをし、健康づくりのため、出来るだけ車を避け自転車で動く。私の家とは約8㌔。それも傾斜地なので坂道が多いが、平気で自転車に乗ってやって来る。奥さんとご一緒に山歩きもする。野草や野の花にも興味を持ち、趣味のクラフトの指導をしたり、農業のNPO法人の指導役を買って出たりもする。やはり奥さんとご一緒の外国旅行だって安易なツアーではなく、リュックを背に自然を愛でて歩く。

 サイクリング2  

 冒頭の友が言うように、まさに模範的な生活をしている男だ。片や、今でこそそれが出来なくなったが、ひと頃は大酒を飲み、不規則の極みをやって来た私達。バカと言われるかもしれないが、一升酒も飲んだ。歳とともに酒量は減ったものの、晩酌は欠かさないし、これまたアホウと言われるかもしれないが、その量は他人(ひと)より多い。不規則な生活態度が一夜で改まるはずがないから、言ってみれば、この男とは月とスッポン


酒

 検査結果は気管支喘息と心筋梗塞。「俺、生死の境まで行って来たよ」。同級会の幹事役をしっかりやってくれた、この男はパソコンのメールで、こんなことを書いて来た。




 「一日一日を大切に風邪を引かないように注意しています」


 その後には「初日の出 富士の高嶺に 紅を引く」という句が。意味深な句だ。それにはこんなコメントも。


 「化粧して紅を差した情景です」



 一病息災という。こういう人ほど長生きをするのが世の常。こうして人ごとのように講釈している、俺達に待っているのは・・・。どうしてって? いい加減な生活をしたツケは何時か払わなければならないような気がする。この男が幹事役をしてくれた同級会にお越し頂いた恩師先生も私達に人生の節制訓を説いてくれた。私たち自身の日常にだって、つまらぬ事で惹き起こしたムチウチ症や階段でこけての怪我という天誅もあった。好意的に解釈すれば、注意信号を出してくれている。




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拍子木の今昔

 拍子木。大相撲や歌舞伎、寄席のファンなら知っている。あのなんともいえない音と響き。ちょっと考えれば、あってもなくてもいいようなものだが、これがなくては始めも終わりもしまらない。お客さんはこの拍子木の音を聞き、これからの土俵や舞台の出し物に期待を抱き、また名残を惜しむ。たかが拍子木、されど拍子木なのだ。 
拍子木
 
 特殊な世界にだけに生き残るこの拍子木。実は、かつては身近にもあった。お若い方々や都市部にお住まいの方々は、ご存知ないかもしれないが、火の用心を呼び掛ける、欠くことのできない道具だったのである。回覧板のように拍子木が各戸をリレーし、毎夜、日替わり当番で、この拍子木を叩きながら地域を巡回するのだ。人々は夜警と呼んだ。




 火災が増えるのは、今も昔も冬の時期。寒い。これといった防寒着がない昔は、ドテラと呼ばれた綿入れを着込んでは拍子木と共に「火の用心」を呼び掛けながら巡回するのである。一晩に2~3回。お父さんに連れられて一緒に廻る子供もいた。時代劇に出て来る人っ子ひとりいない夜道を頬かむり姿で歩くあの火の番を想像すればいい。凍てつく夜空に犬の遠吠えも。夜警が火事のみならず、防犯にも役立った。


消防3

 その拍子木が田舎から消えて久しい。変わって登場したのが法被。持ち回りの夜警を消防団に委ねたのである。消防ポンプも「ガッチャンポンプ」と言われた手動式から高性能の自動の車式に。自主訓練も含めて団員の教育も徹底するようになった。お正月恒例の新年出初め式が中学校のグラウンドで開かれた。県議、市議、区長ら各界代表、消防OBなどを招いて、日頃の訓練ぶりを披露するのである。


 出初めの式は礼式や表彰が中心。礼式は、実戦のポンプ操法と共に欠くことの出来ない規律だ。約2時間、その技を見事に披露した。「俺達にもあんな時代があったなあ~」。観覧席で、かつて消防団長を務めたOBは、後輩達の演技を懐かしそうに見守っていた。その一方で、みんなが共通して頭を痛めるのが消防団員の際立った減少だ。




 この地域でも少子化と若者達の都市部への流出が顕著。地域防災の先頭に立つはずの消防団にも確実にシワ寄せし、その戦力への危惧さえ出てきた。このため区は、自主防災組織としての消防協力隊を発足させた。75歳定年制とし、中高年も含めて主に日中地元にいることが多い人達を中心とした編成である。万一の場合、消防団をサポートするための実戦部隊である。6つの班に分けて毎月、ポンプ操法の消防訓練も欠かさない。




 もちろん、自治体の広域消防もある。「自治体消防に任せればいい」。こんな割り切った声もないではない。しかし、人口密度が少なく、その拠点から比較的遠隔地にある山間地の場合、初期消火などに地元の力は欠かせないのだ。


消防1

 「自治体消防は何をしているのだ」。その声は都市部から地方の田舎へとジワジワと波及している。拍子木が身の回りから消え、特殊なものになった今、自分たちの地域を守る基本的な意識も変わりつつある。親と一緒に拍子木を叩きながら夜警に歩いた子供たちがいつの間にか70歳代になった。拍子木が消え、次には法被もやがて消えていくのか・・。




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節目と人間

ランドセル


  会社や学校には始業時があれば終業時もある。学校の場合、入学式があって卒業式がある。私達の日常生活を時間的に見ても、一日の始まりと終わり、一週間、一ヵ月、一年といった具合に「節目」がある。一年は1月~12月の暦年で言ったり、学校のように4月~3月の年度で言ったりもする。会社は上半期、下半期、さらに細分化して第一四半期、第二四半期といった具合に1年を4分割、売上や業績を整理したり、チェックしたりする。学校の場合も最近では2学期制に移行する所も出ているが、多くは3学期制だ。



 誕生日も節目のひとつ。生きていれば毎年同じ日に誕生日がやってくる。その瞬間にカチっと年齢の時計が廻る。可愛いわが子やお父さん、お母さんの誕生日をささやかなケーキを囲んで祝う家族もあれば、グループで賑やかに祝うケースもある。年老いてくれば、その誕生日が素直に喜べない事だってあるかもしれない。人生の悲哀というか複雑な気分になる事だってあるだろう。 昨夜もたまたま誕生日だった親しい仲間とそんな話をした。




 人間が没すれば一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌といった具合に周りの人がそれなりの法要をしてくれる。もちろん、この回忌は1年ごとにあることは言うまでもないし、仏教では七日、七日が基本。いずれにしても人間、生きていようが、没して仏になろうが、それなりの節目を迎え、重ねて行く。風雪に強い竹にも節があり、樹木には年輪がある。人間も自然界も、みんな節目の中で生きているのである。一年や一日の時間は太陽と地球の関係から作り出したものであり、人間はその中に二十四節気なるものをも当てはめた。
 
 とてつもなく大きく、黙って何事もないように動いている自然界はともかく、さまざまな節目に対する人間の受け止めよう、接し方はこれまたさまざま。サラリーマンは一週間の仕事の疲れを癒したり、自らや家族とのレジャーのための週末を楽しみにし、子供たちは学業から解放される夏休みや冬休みが楽しいはずだ。間もなく春休みがやって来る。 




 私のように勤めをリタイアして、いわゆる「毎日が日曜日」の人間にとっては週末なんか関係ない。曜日だって考えなくてもいい。考えるとすれば、曜日で設定してある無尽会や、地域やグループの会合だけ。多くは日時での約束事が多い。生活の中で月末も月始めも、何の意味も持たないのだ。





 私だけかもしれないが、曜日にとどまらず、さまざまな「節目」がだんだん薄らいでいくような気がしてならない。例えば、年の瀬やお正月。なんとなく慌しく、お正月を控えてウキウキする心の持ちようもないし、お正月だって普段とそれ程変わらない。晴れ着姿に着飾った子供たちの羽根突きや正月を寿ぐ獅子舞もどこかに行ってしまった。デパートやスーパーも年中無休だから「初売り」もなくなった。そんなお正月も、あっという間に過ぎ、2月も間もなく終わる。 


羽子板


 節目の行事もさることながら、気温の変化も人間の感覚をあいまいにしているかもしれない。地球規模の温暖化は二十四節気の一つ一つまで、そのイメージを微妙に狂わせている。私のようなズボラな人間には気候的にも習慣的にもやっぱり節目が必要だ。





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統計の説得力と魔力

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 統計数字がもたらす説得力と人々を飲み込む信頼性は「魔力」とも言える力を持つ。例えば、マスコミや政府機関などが行う世論調査だ。その結果は往々にして世論まで動かしてしまうのである。全国民を対象とした調査のサンプルは、ざっと3,000。回答率はいつも半分に満たず、せいぜい1,200~1,300どまり。国民の0・001%程度の数字だ。




 「統計学とはそんなもの」という。門外漢の私たちは、それを認めざるを得ないが、ちょっと疑問に思うのは調査の仕方。つまり、今や定番になった電話調査だ。かつては住民基本台帳から、一定の法則・ルールに沿って調査対象者を選択。設問の仕方も面接方式だった。これがいつしか電話方式に。これも1対1の対話ではなく、コンピュータによる設問。だから電話に出る人を住民台帳方式のように指定していない。




 我が家だけだとは思わないが、電話に出るのは往々にして女性が多い。我が国の人口構成からすれば、やや女性が多いものの大きくは、男女比率は半々。しかし、女性の電話応対が多いとすれば、データ結果が女性の考え・意識に傾斜するのは当たり前。そこに誤差は生じないのか。もちろん、面接方式の調査の場合も、質問者の口調、果ては人相まで回答者に微妙な影響を及ぼす、という実証分析もあったという。




 電話方式であれ、面接方式であれ、肝心なのは設問の仕方。どのように問いかけるかだ。答えを誘導するような問いかけだったとしたら、結果は言わずもがな。私たちは、調査結果をそのまま受け止めているのだ。

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 もう一つ、新聞の報道の仕方。例えば、一つの事象に対する「賛成」と「反対」があったとする。見出しを「賛成」の立場で取るのと「反対」でとるのとでは、私たち読者の受け止めようは、大きく違うのだ。単純な私なんか、新聞が大見出しで伝えれば、額面通りに受け止めてしまうのである。それが「世論」となってしまうとしたら怖い。




 マスコミは、ある意味、魔物だ。新聞やテレビ、特にテレビのワイドショウなどで繰り返し、繰り返し報道されると、オジサンのような単純人間は、それを、いつしか重大問題のように受け止め、そこでの論調を自分の考えのように受け入れてしまったりもする。




 放送する側は、する側で「日本中で注目を集めた…」という。よく考えたら自分たちが繰り返し大騒ぎしてそうしたものなのに…。むろん人の受け止めようによって異なるだろうが、日馬富士の暴行問題に端を発した、大相撲の大騒ぎがいい例。毎日毎日、まるでキャンペーンとも思えるように番組を組まれたら、いやが上にも«事»を過大に捉えてしまうのも必然。でもウンザリする。「いい加減にしたら!」と、感じたのはオジサンだけだろうか。相撲協会に同情したくもなる。




 先日、ロータリークラブのIM(インター・シテイ・ミーテング)で日本総合研究所主任研究員の「山梨県の活性化」と題する講演を聴いた。終始、統計データに基づく話。「う~ん、いかにも…」。説得力がある。

 講師先生はデータを示す度に聴衆全員に1・2・3の指合図で、その受け止めようを問い掛けるのだが、これが不思議。客観データに基づく話なのに、その受け止め方、感じ方の答えは、みんなマチマチだった。つまり、数字やデータの積み重ねは、時として人々を暗示にかける証拠なのかも…。そもそも人間は数字に弱いのか…。





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音痴人間と自衛隊コンサート

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 海上自衛隊横須賀音楽隊のコンサートを聞かせていただいた。山梨市自衛隊協力会の招聘で実現したもので、山梨市民会館の舞台スペースの関係からかオーケストラの編成は、ざっと40人。実は自衛隊山梨地方協力本部の支援で、このところ毎年、実施している。音楽隊は、横須賀に限らず、第一方面隊のそれもあれば、さまざま。時季によってクリスマスコンサートと銘打つ時もある。




 自衛隊山梨地方協力本部の協力・支援が欠かせないのだが、普通のコンサートとは、ちょっと違って主催者はむろん、市長や自衛隊側の挨拶で幕を開けるのだ。「私はシャイですから…」と前置きしながらも自衛隊山梨地方協力本部長(1等陸佐)は、地元・山梨出身の若き自衛官を紹介、さりげなく自衛隊をアピールすることも忘れない。

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 もちろん、オーケストラは、みんな海上自衛隊の制服(礼服)姿。なぜか、ステージが和やかな中にも引きしまった雰囲気を醸し出すから不思議だ。プログラムは2部構成。1部は「ダンス・セレブレーション」、「詩的間奏曲」、「この道」、「Stand Alone」、「伝説のアイルランド」の5曲。




 15分の幕間いを挟んで第2部へ。「Miracle Shot」、「宇宙戦艦ヤマト・ハイライト」、「歌劇『ラ・ボエーム』より ムゼッタのワルツ~私が街を歩けば」、「Get It On」、「オネステイ」、「レッツ・ダンス」、「スイングしなけりゃ意味がない」と続く。会場を埋めた聴衆は、みんな拍手喝さい。割れんばかりの拍手を送るのである。幕が閉じる前のアンコールの拍手も鳴りやまなかった。




 何年か前になるが、毎年、東京・武道館で開かれる自衛隊音楽祭を何度か見せて(聴かせて)いただいた。あの武道館のホールいっぱいに繰り広げるコンサートは圧巻。一口に言って感動、感激した。全国5方面自衛隊・選りすぐりの音楽隊、それも陸、海、空の全てが一堂に集結してのコンサートだから、聴衆を魅了しないはずがない。

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 吹奏楽や管弦楽、和太鼓…。マーチングバンドによる一糸乱れぬ分列行進演奏もある。アメリカ海兵隊の賛助出演も。約3時間コンサートはあっという間に時間が過ぎる。こんなことを綴っているオジサンは、実は根っからの音痴人間。不思議なことに、いつしか自らの音痴人間を忘れてしまうのだ。腹に響くような豪快な和太鼓の演奏には圧倒されもした。




 白状してしまえば、オジサンの音痴ぶりは半端ではない。困ったことに音符さえ読めないのだ。五線譜の「ド、レ、ミ…」は分かる。でも、肝心の音を正確に出すことが出来ないのである。だから、お恥ずかしいことに、どんな易しい曲の譜面を見せられてもチンプンカンプン。曲がりなりにも歌を覚えるとすれば、耳からの慣れでしかない。




 付き合いのチケット購入や女房のお供でコンサートには度々、足を運んできたものの、眠ってしまうことも珍しくはなかった。毎日を忙しく過ごしていた現役時代と、リタイア後の今では生活環境が違うと言ってしまえば、それまでだが、この自衛隊コンサートや音楽祭は、何故か音痴人間を心ゆくまで魅了してくれるのである。




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今時の若者

 大人たちはよく言う。「今時の若いモンは」と。私だってそう思ったことはいっぱいある。でも、とんでもない。「今時の若いモン」は、少なくとも私たちの子供の頃より、ずっとしっかりしているし、今を憂い、将来を、未来を真剣に考えていると思った。

高校生

 そんなことを痛烈に実感させられたのは高校生の弁論大会であり、中学生の作文コンクールだった。



 高校生の弁論大会。大会は山梨県の高校ユネスコが毎年開いている主張大会だ。ここでは同県下の高校ユネスコ部の代表が一堂に会して持ち時間6分で、それぞれの主張を競うのである。国際理解、相互理解など幅広い見地から意見を述べるのだが、もちろん内容は様々。




 発展途上国における飢餓に言及し、飽食の日本に置き換えて平気で食べ残しをする現実に「もったいない運動」を提唱する者もいた。そうかと思えば国連の現実に疑問を呈する生徒も。米国、ロシア、英国、仏国、中国など世界大戦の戦勝国でリードされている現実への疑問だ。


地球  


 食料自給率40%の日本。それを分かっていながら毎日大量に捨てられている食べ物。民主主義を標榜しながら≪強者支配≫の国連。高校生たちは国際感覚で疑問を呈し、改善を訴えた。もちろんテーマは食料や国連ばかりではない。様々な角度から論じた。




 コンクールだから採点しなければならない。6人の審査員はみんな頭を抱えた。甲乙つけがたいからだ。表彰式で講評役を仰せつかった私はこんなことを言わせていただいた。




 「高校生の皆さんが自らや自分たちが住む社会をしっかりと見つめ、新たなステップを見出そうとしている。その姿勢に感銘した。主張や提言が自らの体験や勉強に立脚しているから説得力もある・・・」




 驚いたのは若者たちの国際感覚だ。たまたまかもしれないが、帰国子女がいたり、夏休みなどを利用した外国での短期留学・ホームステイを経験している生徒が目立った。若者たちはそこで「何か」を感じ取って帰って来ている。


飛行機


 すぐ自分と重ね合わせてしまうオジサンの悪い癖だが、私たちの高校生の頃は外国に行くことなど夢のまた夢。全く遠い存在だったから、むしろ考えにも及ばなかった。「トリスを飲んでハワイに行こう」。こんなキャッチコピーのコマーシャルがテレビやラジオで、ぼつぼつ流れ始めようとしている時代だった。ハワイが外国、いわばあこがれの地だったのである。新婚旅行はまだ国内一辺倒。因みに山梨に住む私たち夫婦の新婚旅行は南紀白浜だった。




 ユネスコの弁論による主張が高校生なら、こちらは「人権」をテーマにした作文。甲府地方法務局と山梨県人権擁護委員連合会が毎年、同県下の中学生を対象に実施しているもので、今年で37回。37年の歴史を誇っている。全国大会に繋がる催しである。ここでも若者たちは、大人たちをハッと思わせるような論陣を張った。それがまた自らの体験に基づいたものであったことは言うまでもない。 




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スマホと若者

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 凄い。足元にも追いつくことは出来ない。若者たちのスマホやインターネットなど、総じてICTの世界への順応性だ。次から次へと開発されるアプリを、当たり前のように吸収し、自分のものにしてゆく。開発されたものが使用(流通)されなければ商品化の意味はないのだから、難度も含めて開発する側は、それへの適応力を見据えている。




 定期バスなど公共交通機関が乏しい山梨は、総じて車社会。とりわけ私のように山梨市の片田舎に住む人間は、車一辺倒、と言ってもいい。バスはむろん、電車に乗る機会も少ないが、時折乗る電車の中で驚かされるのは、スマホと遊ぶ若者がいかに多いかということだ。通勤・通学の時間帯であれば、むろん、サラリーマンや学生さんである。ひと頃、と言ってもスマホなどがなかった時代のサラリーマンは、新聞を見ていた。




 発行本社は、そんなサラリーマンの需要に応えるべく、駅やスタンド売りの新聞に力を入れた。しかも電車の中で読み易いタブロイド判を開発。ヒット商品にもなった。ところが一転、スマホへ。新聞を見ているのは、寂しい定年間際とみられるオジサンぐらい。余計なお世話かも知れないが、通勤客目当てに目論んだ発行元は、その売り上げ減に頭を痛めているはずだ。




 宅配の一般紙だって同じだろう。若者たちの活字離れは進む一方。スマホやインターネットが拍車をかけていることは言うまでもない。いくら活字を大きくしても歳を取れば、活字を読むことが億劫になる。両者の背景は異なるにせよ、活字離れという観点からは同じこと。そんな時代背景を見越して新聞社も新聞の電子化を急いでいる。すでに珍しくはなくなった電子(版)新聞。スマホやインターネットでのニュース発信は、より細かくなっている。


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 若者たちは電車の中であろうが、職場や、休み時間の公園であろうが、スマホと遊ぶ。「遊ぶ」と言ったら語弊があるとすれば、楽しんでいる。仲間同士の交信はむろん、さまざまな情報の入手、買い物や週末の旅行先のホテルやアクセスする切符の予約、さらにはオークションなど、多岐にわたるのだろう。好きな音楽を一人楽しむ人だっている。




 ひと頃、若者たちに人気を博し、ヒット商品と言われた「ウォークマン」は、スマホに、そのお株を取られた。今や多くの人々にとって«万能のツール»と言っていい。スマホでのキャッシュレス決済の実現も時間の問題だという。誰のポケットやハンドバックにも入っているスマホ。限られた人だけのスーパーマンではなく、誰しもの手の中にいるスーパーマンなのである。便利という次元を超えて、人々の当たり前のツールとなった。




 「お父さん、見て、見て…。チビちゃんが今、スキーをしているわよ」

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 炬燵で、のんびりミカンを食べていた女房が、娘から送られてきたスキー場で戯れる孫娘のスマホ写真を見て大喜び。長野県の白馬スキー場でパパやママと遊ぶ4歳半の孫娘の姿が、山梨市の茶の間で、リアルタイムで見られるのだから、女房だって喜ぶに決まっている。「どれどれ…」、普段は会話が少なくなくなりがちな老夫婦にも、勢い笑顔と会話が。スマホは人の心を温めるツールにもなるのだ。一方で、使い方によっては人を傷つける凶器になったり、とてつもない犯罪のツールにもなる。時代に追いついていけないアナログ人間にとっては、それだけが怖い。




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細雪と残雪

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 「細雪」。大阪は船場の旧家を舞台にした谷崎潤一郎の長編小説だ。船場の上流家庭に生まれた4姉妹の悲喜こもごもの日常を綴った作品。若い頃、何度も本を手にし、東京まで観劇に足を運んだこともある。谷崎がこの作品の表題をなぜ「細雪」としたのかは分からないが、「細雪」という言葉には、何とも言えない深い味わいがある。




 読んで字の如く、「細雪」とは「細かい雪」とか、「まばらに降る雪」を言う。そもそも豪雪地帯の北陸地方や東北、北海道には似合わない言葉だろう。「残雪」などと言う言葉ともマッチングしない。雪の少ない大阪、しかも上流階級が暮らす船場が舞台で、しかも気品を備えた4人のお嬢さんが主人公だから「細雪」の表題が似合うのかも知れない。




 降雪と残雪。降雪は、その降り方によって限りない風情をもたらすが、残雪は風情にも情緒にも欠ける。むろん、人それぞれの受け止めようだ。イメージ的にも暖かい大阪の場合、降っても「細雪」だろうから、残雪まではイメージし難い。比較的雪が少ないものの、甲府盆地の場合はちょっと違って、街中は早く消えても山岳部に近い地域では残雪期間は結構長い。比較的暖かい日差しの下でも、なんとなく寒々しさを煽り立て、埃を冠って汚らしくもなる。人々の嫌われ者になり下がるのである。

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 周囲を見渡しても、ブドウなどの果樹園で日当たりの悪い部分、家屋の裏側(北側)や道路にも残り、道路の残雪は夕方から朝にかけては凍結して、ドライバーの邪魔をする。しかし、邪魔者の残雪も果樹農家にとっては密かに微笑む雪。夏場と違って冬の時期は、降雨量は少なく、畑も乾燥しがちだからだ。




 夏場に多い大雨の場合、地面が呑み込めない分は川に流れ込んで、海へ行ってしまう。むろん、適度の雨は歓迎だが、大雨は作物に留まらず人畜にも害をもたらすことは言うまでもない。雪、しかも一度には融けない残雪は、一面で天の恵み。夏場に水不足を生ずるのも、その時季の雨量ばかりではなく、大きな意味では冬場の降雪量にも起因するのである。




 童謡、歌謡曲を問わず、雪や雨は、しばしば歌に引用されて来た。その情景は細雪だったり、小雨。絶対に大雪や大雨は登場しない。日常、私たちが聞いたり、書いたりする言葉も、えてして慣用的で、雨は「しとしと」降り、雪は「しんしん」と降る。「ざあざあ」降る雨や「ドカ雪」と言われるように大降りの雪だってあるのに、表現したがらないのだ。




 年配の方なら誰もが知っている中村メイコさんのご主人で、作曲家の神津吉行さんが、ある時、甲府で開かれた文化講演会で、こんな話をした。このご夫婦は当時、ユニークな子供教育をすることでも知られていた。




 「雨の降り方、雪の降り方一つとっても降る様も、人の感じ方もみんな違う。決めつけて教える教育は適切ではない。特に、子供達には自由な発想をさせるべきだ。例えば富士山の絵を描かせたとする。下から見たものと、飛行機などで上から見たものでは形はまるで違う。乳牛の大きな乳房を見る子供目線と、大人目線では牛そのものの形まで異なるのだ」




 それにしてもこの冬は窓越しに輝く富士山に雪が少ない。富士には「細雪」は似合わない




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仮想通貨の謎?

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 ピットコインだとか仮想通貨と言われても、アナログおじさんには、なんとも理解し難い。通貨が仮想、と言われただけで、頭の中がこんがらかってしまうのである。お金と言う物体が元にあってのカードの使用、決済なら分かる。「おじさん、バカだねえ~」と、お若い方々からは笑われるだろうが、本当に分からないし、頭がこんがらかってしまうのだ。




 電子マネーだから円からドルやユーロ、元、ポンドなど通貨換金の手間や手数料の付加がないことぐらいは、なんとなく理解できる。通貨は古来、その国の信用の上に成り立って来
た。むろん信用が揺らげば、価値は下落する。そのくらいのことは誰だって分かっている。でも仮想通貨は電子マネー。そこからアナログおじさんの頭は混乱してしまうのだ。


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 何百億円もの仮想通貨がインターネットを駆使したハッカーの手に落ちる。電子マネーだから、そのことが起き得ること自体は、何となくだが、アナログおじさんにも想像できる。問題はそこから。«胴元»は、慌てた様子もなく記者会見に応じ、「その被害額を現金で補填する」と、こともなく言ってのけるのだ。500億円に近い損失を出せば、小さな会社なら、ぶっ飛んでしまうに違いない。



 その昔、「赤いダイヤ」という言葉が相場取り引きの世界にあった。小豆を媒体にした先物取引で、むろん、この先物取引は小豆に限らず、広く行われる。原油や、様々な穀物などが、それだ。天候や政情などによって不確定要素が大きい商品である。そこには後先の動きは別に«物»や«お金»が介在するから、いくらアナログおじさんにも理解できる。しかし「仮想通貨」、「電子マネー」と言われるとハナから、こんがらがってしまう。



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 ただ、なんとなく想像できるのは、やがては一万円だの五千円だのと言った現金が必要なくなる時代が来るということだろう。近代兵器として銀行や街角にまで当たり前のように登場したATMでさえ、確実に無用の存在になり下がることを意味する。«近代兵器»でありながら利用者は少なくとも、そこまで足を運ばなければならないし、一方で設置のための費用も莫大なものがあるだろう。犯罪に狙われるリスクだって見逃せない。現に、ATMが大型重機を使って襲われる事件が、あちこちで起きている。




 茶の間に居ながら商品の取り引きや決済までできるのだから、面倒がり屋にはこの上ないシステムだ。面倒な上、刻々と変化する為替レートも寸時に計算、処理してくれると言うスーパーマンである。しかし、正直言ってアナログおじさんには夢の世界であり、異次元の世界。怖くて、それに近寄ることも出来ないというのが本音。




 そんなアナログおじさんの足元では、4歳半の孫娘がママのiパットで遊んでいる。誰が教えた訳でもないのにスイッチを入れて起動。可愛らしい手で画面を動かしては、好みのアニメ動画を飽きもせず見ている。理屈や知識ではなく、本能の赴くままに行動しているのだ。




 爺だったら他人(ひと)に教えてもらうか、「説明書」を見なければ確実に手も足も出ない。その説明書を見ることさえ億劫なのである。無邪気に電子機器を«おもちゃ»に遊ぶ孫娘を横目に「この子が大きくなった頃は、どんな世の中に…」と考えると複雑な気持ちと言うより、空恐ろしくもなる。




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雪の功罪

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 1日から2日にかけ、甲府盆地は、この冬、2度目の雪が降った。野も山も、住宅の屋根も庭の植え込みやブドウ園も、みんな綿帽子を冠り、あたり一面が銀世界に。雪とは不思議で、全ての音をかき消すかのように、あたりを静まり返らせる。動きと言えば、白銀の上に続く野良猫の足跡が、それを伝えるくらいだ。都市部と違って田舎は、そんな静寂さに包まれるのである。世の中の汚れをみんな覆い隠して、心の中まで真っ新にしてくれるような気もする。




 ものぐさの私に代わってサツキやツツジ、ナンテンなど庭の植え込みの雪落としをしていた女房が白い息を吐きながら言う。「お父さん、13~4㎝はあるわよ」。サツキやツツジは上からの重みに弱いので、早く雪を落としたやらないと、«寝癖»が着いてしまうのである。誰も落とし手がなく、«寝そべって»回復しない街路の植え込みがいい例である。




 積雪は前回とほぼ同じくらい。むろん、降雪は甲府盆地ばかりではなく日本列島の広範囲に及んだ。通勤や通学、さまざまな物流に至るまで大きな影響を及ぼした前回と同じように、また、あっちこっちで混乱をもたらすのだろう。




 「お父さん、今日は甲府に行けないわね」


 孫娘の所に行きたかった女房は、ちょっぴり残念そう。甲府盆地は構造的に雪に弱い。特に私のように山梨市の片田舎に住む者は、定期の路線バスが廃止されて久しく、移動手段は唯一、車。その車という«足»を降雪によって奪われたらどこにも動けない。手足をもがれたダルマにも等しい。

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 新聞もいつもより早く届いた。降雪、積雪を見込んで、発行本社も降版時間を早めるなどの手を打ったのだろう。配達バイクのタイヤ痕は雪に埋もれていた。もう大分前のことだが、山梨に戻って来たばかりの新聞発行本社の経営者が、報じられた降雪予報に、新聞作りや後の配送工程の変更指示をしていた担当者に向かって「10㎝や20㎝の降雪予報でうろたえてどうする!北海道や新潟など豪雪地帯なら日常のことだ」と、一喝したことがある。

 


 しかし、その言葉は全く当たらない。山梨の場合、普段、雪が少ないから、慣れもなければ、備えもない。山岳とは言わないまでも傾斜地が多いので、ちょっとした雪でも人々の生活を混乱に導くのである。東京など都市部だって同じ。«帰宅難民»などという言葉が生まれるほどサラリーマンの足を奪い、物流までも止めた。その代償として商品価格の値上がりまで招いたのだ。一方、適度の雪は果樹農家にとっては歓迎。保水効果はジワジワ畑に染みるので雪が一番である。


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 孫娘は今頃、甲府で雪だるまでも作って大はしゃぎしていることだろう。そんな無邪気な姿が目に浮かぶ。私だって「雪見で一杯」と、洒落込みたいところだが、そんな優雅なことばかりも言ってはいられない。4日は立春。暦の上では春。甲府では前日の3日「盆地に春を告げる祭り」として近郷近在から善男善女を集める「大神宮祭」が。節分の日である。




大神宮祭



 雪景色の中での「大神宮祭」は珍しい。暦の春をよそに予報では、まだまだ寒い日が続く。「お母さん、温かい恰好でやれよ」。私に代わって雪かきをする女房の後ろ姿に声をかけた。いつもなら、私がやるのだが、調子のよくない腰を庇ってくれてのピンチヒッターは、結構、雪かきを楽しんで?いる。.




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知らぬは亭主ばかりなり

スパゲティ    サラダ    ピザ   


 昼間、有名ホテルのバイキングコーナーを覗けば、ほとんどと言っていいほどお客さんは女性。オバサン達だ。旅行先でも、映画館でも、観劇コンサートホールでも見かけるのは圧倒的に女性。年末の恒例となった「第九」。山梨県甲府市にある県立のコラニー文化ホールで開かれるコンサートを聴きに行ってもお客の8割方は女性である。数少ない男達は、かみさんの運転手代わりだったり、いわばエスコート役? 「第九」は別だが、そういう私だって義理。行きたくて行っているのではないし、そもそもクラッシック音楽など理解する能力なんか持ち合わせていないのだから、居眠りでもするのがオチ。



指揮

 そんなレベルの人間の僻み(ひがみ)だろうか、オバサンと言っては失礼だが、どの顔もみんな生き生きとしている。レストランやホテルでは楽しそうに料理と向き合う。そこでの話は決まって文化的。ファッションや観劇などの話題だ。中高年に対して口が悪い、あの漫談家・綾小路きみまろなら、どんな言葉で、このご婦人たちを捉え、表現するのだろうか。世の中、100年に一度と言われた不況をまだまだ脱し切れていないが、そんな暗さは微塵もない。





 旅先、特に外国旅行でも、やっぱり日本からの客は女性、オバサングループが幅を利かす。寄り合い所帯のツアーバスの座席を見渡せば、いつも男性は少数派。男、女を問わず、日本人と欧米人の旅行の仕方はまるで違う。集団といったら品がないが、日本人の多くがグループで旅行しているのに対して、欧米人は夫婦連れ。若い人というより、勤めをリタイアした後、のんびり旅行を楽しむといったタイプだ。傍から見て「日本人は金持ち」に見えるのも無理もない。これから春先に向けて「卒業旅行」と言う名のギャルも増える。


旅行

 あっちこっちにお目見えする高級エステはどこも大繁盛。昼間のエアロビックススポーツジムは、お腹や腰に脂肪を貯めたご婦人たちでいっぱいだ。ここでも若いインストラクターを相手にハッスル、ハッスル。息を切らしながら着いて行くのがやっとの、わずかに混じるオジサンたちを尻目に次々とメニューをこなして行くのである。

エクササイズ


 一方、そんな頃、サラリーマンのご亭主たちは職場という戦場で仕事、仕事。昼飯時ともなれば、ホテルのバイキングコーナーならぬ街の定食屋へ。ある統計によれば、サラリーマンの昼食代は、平均では500円に満たないという。値下げ値下げで顧客を集める牛丼チェーン店が、そんなオトウサン達の人気を集めるのだ。毎月のお小遣い? わずかに数千円というサラリーマン氏も珍しくない。

牛丼

 今に始まった事ではないが、世の奥様方に時間を与えたのは家庭の電化。洗濯機や掃除機、電子炊飯器は大きくゆとりを生み出したのである。一方で経済的なゆとりから≪セレブ≫などという言葉も何事もないように使われるようになった。会社を定年退職して田舎で百姓の真似事をしながら暮らす貧乏亭主。昼間の無尽会帰りに我が家に立ち寄った女房の仲間たちの話を聞いていたら「今日のホテルのバイキング、美味しかったわねえ・・」。我が女房もそんな所に。そればかりではない。知らぬ間に健康ジムや手芸など趣味の講座にも。私の場合、今だから見えるが、女房族の行動、知らぬは亭主ばかりなりか・・・。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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