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「不自由と不幸は違う」

風景


 「私は(目が)不自由だけど、不幸じゃあない。そんなことを思ったことは一度もありません」



 この人は、はっきりとこう言い切った。その顔は極めて明るく、その話し方はあっけらか~んとしていた。甲府市で鍼灸マッサージの治療院を開業している先生。今は59歳のお歳だが、27歳の時、突然襲った目の病で光を失った。失明である。そのいきさつを話してくれたことがある。


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 「その頃、私も、どこにでもいるようなサラリーマンでした。仕事、仕事で夢中に毎日を過ごしていました。ところが、ある日を境に目がかすむようになり、医者の診察を受けたのです。医師の診察結果を聞いた時、頭の中が真っ白になりました。『残念だが、あなたの目は光を失う』と言うのです」


光1  

 その病気、症状から治療するすべがないと言うのだ。完全失明を宣告されたのである。この人の、その時の驚き、これから先への不安と言いようのない暗闇への恐怖・・・。心のありようは手に取るように分かるし、察するに余りある。「もし、自分がその立場にいたら・・・」と考えると、同情以上のものを禁じ得なかった。




 この人は強かった。もちろん動転したという。しかし、動転などしている余裕はなかった。時間がない。われに返った時、それまで夢中でやって来た仕事と会社に決別、やはり甲府市内にある県立の盲学校の門を叩いた。これからの人生の活路を鍼灸マッサージの仕事に求めたのだ。少しでも光があるうちに勉強しなければならなかったという。


光

 鍼灸マッサージ治療院を開業して30年を超えた。甲府に住んでいた時分、ギックリ腰による腰痛や四十肩、五十肩で悩んだ時、随分お世話になった。なぜか息が合う。先生というより友達のような真柄である。山梨市の実家に引っ込んでしまったこともあって、しばらくご無沙汰気味。甲府に出た折に治療方々、覗いてみた。元気で頑張っていた。




 面白いと言ったら言葉が適当ではないかもしれないが、この人は治療室の隣にある居間のテレビをいつもつけている。もちろんテレビなんか見っこない。音を聞きながら仕事をするのだ。ニュースであれ、バラエティー番組であれ、≪見える≫のだという。




 「私は言葉さえ発してくれれば、みんな見えるんです。歌手であれ、タレントさんであれ、30年ちょっと前までの人だったらまぶたの裏にあります。若い方々は分かりませんが、それでも声を聞けば、私なりに、その表情まで想像できるんです。富士山の積雪やダイヤモンド富士が話題になれば、その光景も、またやがて来るお花見だって、分かりますよ。目の見える人より、想像力は豊かですから、場合によっては普通の人が見えないものまで見えるかもしれませんね・・・」


富士山

 あっけらか~んと、しかも事も無げに言う。「障害を不幸だとは思わない」と言い切る。この先生の方が目の見えるはずの私達よりはるかに周囲が見え人の心も見えているのかも。




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春の息吹フキノトウ

 「お父さんあったわよ」


 「そんな大きな声で・・・。何があったんだ?


 フキノトウよ。フキノトウ。お父さん、好きでしょう。酢味噌和えだったわよねえ。それとも天ぷらがいい?」


ふきのとう

 フキノトウ(蕗のとう)は、フクジュソウ(福寿草)と並んで春の使者。有頂天といったら言い過ぎかも知れないが、女房は、嬉しそうに声を弾ませていた。それを聴いた私だって心が弾んだ。このところヤケに暖かい。「5月上旬の気温です」。居間のテレビはそんなニュースを伝えていた。「今年は春が早いのか・・・」。いやが上にも近づく春を感じた。


ふきのとう2

 私は田舎育ちだからフキノトウなど野生のものがそれ程珍しくも、ましてや、それを見て驚きもしないが、土がない町育ちの女房にとっては、少なくとも私より新鮮に写るのだろう。山梨市の田舎に越して来て、もう10年以上経つ。でも、その感激は色あせていないようだ。事ある度に「田舎、田舎」と、いぶかしがる女房もこんな時は、まんざらでもなさそうな顔をするのである。





 我が家の蕗は、友からいただいたものを庭の植え込みと畑の間に植えたものがかなりの面積に増え、毎年、春はフキノトウの天ぷら酢味噌和えで食べる。蕗になったらキャラブキとして、コクのある味を楽しむのだ。フキノトウは畑に大根を抜きに行っての帰りに見つけたようで、女房は片手に大根、もう一方の手に三つ、四つのフキノトウを持っていた。してやったり、と言わんばかりに窓越しの私に見せた。


大根

 大根は抜いたばかりだから土だらけ。葉っぱはこの時期、さすがに勢いをなくし、黄色味を帯びている。一昨年までは秋に収穫して沢庵漬などにしてしまったが、昨年秋は全部抜かずに野ざらしのままにしてみた。冬の温暖化を逆手にとってみたのである。藁やダンボールで霜対策さえしてやれば十分越冬してくれることが分かった。昔、親父たちは比較的暖かそうな所を選んで大根を土の中にいけて保存した。確実に進んでいる地球温暖化は生活の知恵をも変えているのだ。




 「スが入る」。都会の方だと、こんな言葉は分からないかもしれないが、大根をそのまま畑に置くと、芯、つまり中心部分がスカスカになったり、果ては空洞になってしまうのである。自らが生きるために、花をつけ、種を作るために自らの身体を食うのだ。一方、人間だって馬鹿じゃあない。そうなったら、そうなったで今度は菜の花のようにして食べる。畑で摘み立てのそれは、おしたしにすると絶品だ。



菜の花

 菜の花はもちろん菜っ葉の花。そのおしたしを食べるまでには、まだちょっと間がある。それまで、しばらくはフキノトウの味を楽しむことにする。女房が言うように天ぷらもいいが、私はやっぱり酢味噌和えがいい。この時期、晩酌のつまみには、これが一番。「お父さん、飲みすぎちゃあダメですよ」。これを言わなければ、いい女房だが・・。お酒には必ずブレーキをかけるのだ。




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水差しの水とワイン

★


 講演を終え、楽屋の控え室に戻ってきた茂太(モタ)さんは、なんとなくしょげていた。





 「今日の講演は、どうも、あとひとつ乗りが悪かった。聴いていて、良くなかったでしょう。こういう時は、いつも気分が落ち込むんです」




 「いやいや、そんなことはありませんでしたよ。面白いお話でした」





 「演壇の、あの水差しがお水ではなく、予定通りワインだったら良かったんだが・・・」



ワイン

 若い女子社員が差し出したおしぼりで手や顔を拭った茂太さんは、しばらくは浮かぬ顔だった。茂太さんとは精神科医で作家の斉藤茂太さん。ご存じない方がいるとすれば、あのアララギ派の詩人・斉藤茂吉のご子息と言えば誰でも知っている。「どくとるマンボウ航海記」の北杜夫のお兄さんでもある。何年か前に故人となられた。本来は「しげた」(茂太)とお読みするのだろうが、なぜかファンには「モタさん」で親しまれていた。


斉藤茂太  

 もう30年ぐらい前のことだ。今は取り壊してなくなったが、山梨県庁前にあった県民会館ホールに、このモタさんこと斉藤茂太先生をお迎えして文化講演会を開いた。演題は忘れたが、モタさんは講演前の控え室で、お世話役に充てていた女子社員に「水差しの中身をワインに替えて欲しい」と言ったという。




 「バカ言え。水差しにお酒など入れちゃあいかんよ。モタさん一流の冗談だよ。冗談」



 モタさんの≪要望≫をけげんな顔で伝えて来た女子社員に言った。入れるとすれば赤ではなく、聴衆席からは水と区別がつかない白ワインだが、ハナから冗談と思い込んでいるのだから答えはひとつ。ワインの産地・山梨へのリップサービスくらいに受け止めたのだ。





 そうと鬱が激しいご性格とお見受けした。前の晩、甲府市内のホテルの座敷で懇談の場を持ち、お酒をご一緒した。飲むほどに愉快な先生で、面白い話がポンポン飛び出すのである。その一方で、精神科医らしい人間の心理を突いたこんな話も。




 「私ゃあねえ、プロ野球のセ・パ両リーグの選手を長男、二男、三男と言うように、その位置づけで分析したことがあるんです。そうしたら面白いことが分かりました。九つのポジションの中で、長男がいないポジションがあるんです。どこだと思います?」
 

 「さて・・・」




 セカンドですよ。セカンド。このポジションはショートを含めたサード側にも、またファースト側にも気配りをしなければならない。一般論で言っても、昔から≪長男の甚六≫というように、長男は二男や三男と比べ周りへの気配りがヘタなんですねえ」


野球


 「もうひとつ、人の笑いを誘う商売、つまり、漫才師なども同じ。長男というのはその生い立ちから言って、どちらかと言うと堅物で、無器用。人に笑われるようなことは嫌うのです。その点、二男の場合、上を見たり、下を見たり、いわゆる柔軟性に長けているんです。半面、長男が多い職場は銀行。堅物にはうってつけです」




 一つ一つが長男である自らに置き換えても頷けた。今の歳になったら、水差しの水とワインの機転くらいは利くのだが・・・。少子化が進む日本。一人っ子にも長男と同じことが言えそう。天国のモタさんは何と言っているだろう?




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けちん坊と無駄遣い

 ジキルとハイド。二重人格。そう言ったら、ちょっと刺激的かもしれないが、人間、おしなべて二面性を持ち合わせているような気がする。二面性というより多面性と言った方がいいかもしれない。私なんかその典型だ。自分ではお金やモノに執着しないというか、大らかなタイプと思っていたが、意外とけちん坊な自分に気付いて嫌になることがある。


マネーー


 飲み屋街から夜遅くタクシーで家に帰る。「その塀の切れ目でいいよ」。タクシーが止まる寸前、メーターがカチッと廻るのだ。その瞬間、ワンメーターの90円が妙に損をしたような気がするのである。お酒に酔っていてもだから、根っからのけちん坊だろう。店を出る時、女の娘に千円、二千円のチップをやるのにだ。




 こんな経験もある。サラリーマン現役時代だが、東京に出掛け、仲間達とのお酒やカラオケ、時には麻雀で遊び過ぎて終電車に乗り遅れる。しかし、明日の仕事を考えれば帰らざるを得ない。当然、足はタクシーしかない。当時、私が住んでいた甲府の家までは東京から距離にして120㌔から130㌔はある。その頃でもタクシー料金は、帰りの高速道路代やチップを入れると6万円近くになった。

マネー


 承知の上だから、それはそれでいい。しかし深夜の高速道路。スピードは時速100㌔を超す。メーターは「カチ、カチ、カチ」と回転、その音に酔いが覚める思いをしたものだ。6万円近いタクシー代は、一回としたら決して少なくはない。終電車に間に合うように遊びを切り上げればなんでもないのだが、そこがお馬鹿さん。そんな事が何度もあった。




 でもそんな無駄遣いも「俺もバカだなあ」と思うくらいで、それほど気にもならないのだ。ところが、不思議なことに普段、家の前で「カチッ」と廻るワンメーターの90円は気になるのである。俺って少し頭がおかしいのかなあ、と思うことすらある。


小銭


 麻雀や競馬だって同じだ。元々勝負事に弱い私だから大抵は負け組。その金額はお上に申し訳ないので、ここでは詳しくは書けないが、90円でも100円でもないことだけは確か。今は馬鹿馬鹿しくなって足を洗った競馬に至っては一日で10万、20万負けることも珍しくはなかった。不思議なことに、これも苦にならなかった。「また次があるさ」とあっけらかんとするのだ。ある意味ではこれが勝負事の魔力なのかもしれない。




 こんなことをかみさんが知ったら、恐らく即倒するだろう。何しろ新聞折込みのチラシを見てはデパートのバーゲンを目の色を変えて飛び回り、大根が一本10円、20円安いといっては遠くのスーパーへ。男と女の違いといってしまえばそれまでだが・・・。その女房だって高い車のガソリン代を払い、挙句の果てに帰りに車でもこすれば、世話はない。見方を変えれば、女房は女房で、それを結構楽しんでいるのだ。そんなものかもしれない。

小銭2

 政治の世界では「無駄の排除」を目くらまし?に事業予算の削減に躍起だが、庶民は大なり小なりこんなバカなことをしているのだ。税金の無駄遣いは困るが、人間、大きな目で見れば無駄があるからいいのかもしれない。女房はいつも言う。「お父さんは、お酒やタバコばかりでなく、麻雀や競馬。一生のうちでは家が建つわね」。女房はバカな亭主の行状を先刻ご承知? ともかく俺はけちん坊なのかバカなのか。その両方かもしれない。




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お寺の鐘の今昔

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 いつの間にか日が長くなった。ひと頃まで4時半ともなれば辺りを暗くし始めた陽が、今では6時近くまで明るい。季節の移ろいの証でもあるのだ。何かちょっとずつ得をしているような気がする。これからも知らず知らずに日は長くなり、あと数か月もすれば7時半過ぎまで陽がある。一日の長短でさえ損得を感ずる人間とは不思議な動物だ。




 「♪夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る…」


 まさに、そんな童謡がピッタリの鐘の音が、この辺りでも聞けた。近くの寺からも、川の向こうの隣村からも響いて来た。遠ければ遠いほど、その鐘の音は余韻を残し、人々に一日の終わりを告げた。一日の安寧を実感し、心のどこかで、その安寧に感謝する瞬間でもあった。外で遊んでいた子供たちは家路につき、野良にいた農夫は仕事を収めた。


鐘


 こんな光景は、都会にお住まいの方には分かるまい。ところが、その田舎でも、そんな光景は«今は昔»になりつつある。坊さんが«手抜き»をしているのかどうかは知らないが、最近、とんと鐘の音など聞いたことがない。少なくとも一日の終わりを告げる鐘撞きは僧侶の務め、などと言ったら坊さんからお叱りを受けるかも。お寺が地域の人々の心の拠り所であった時代は終わったのか。素朴な古里は消えてゆく。




 そんなお寺さんに代わって登場したわけでもないだろうが、地域ごとに取り付けられた行政防災無線から童謡「花かげ」のメロディーが。隣村からはやはり行政無線の「夕焼け小焼け」が流れて来る。私の地元・山梨市は6時に、隣村の甲州市では5時半に流すのである。コンピュータにセットされているので、春夏秋冬、決まった時間に、それぞれの市の全域に流れる仕組みだ。朝は7時に15秒前後のチャイムが鳴り、お隣からは6時半になると「野ばら」のメロディーが。




 山梨市の場合、「花かげ」のメロディーにしたのには理由(わけ)があった。もう10年近く前になるだろうか、当時の区長会の理事会で選曲を協議。作詞家が同市(牧丘町)出身の大村主計であったから選曲に全く異論はなかった。「♪十五夜お月さん ひとりぼち 桜吹雪の花かげに…」。誰でも一度は口ずさんだことがある童謡だ。




 田舎も知らぬ間に姿を変えている。お寺の鐘は行政無線から流れるメロディーに代わり、のどかな田園風景もなくなった。ブドウ、モモ、サクランボ、スモモ…。そのいずれにもハウス栽培もどんどん取り入れられている。機械化も進み「お天道様」との付き合い方も変わって来つつある。




 鼻たらし小僧や、わんぱく小僧はおろか、子供自体が減った。少子化の波は地方を直撃。この地域の小学校の今年の新入学児童の数も、恐らく5~6人だろう。全校で60人を割って久しい。学校統合が喫緊の課題になりつつあるのだ。




 この傾向は山梨県のどの地域でも大なり小なり同じ。20年前、30年前には、全体では350校前後はあった小中学校が半減どころか、それを下回る勢いで減少しているのである。お寺の鐘に代わって毎日決まって流れる「花かげ」や「夕焼け小焼け」のメロディーが、時代の反映と感ずるのは私だけだろうか。こんな光景は、一つ山梨に限ったことではないはず。お題目だけの「地域創生」では地方は沈没する。たまに鳴るお寺の鐘は、それへの«引導»にも聞こえる。




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新聞・週刊誌と選良

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 日本の政治は誰が動かしているの? 決まっているじゃあないか。新聞やテレビと週刊誌、それに評論家先生だよ。もちろん、これ、ジョーク。シンクタンクでもある霞が関の官僚を«事務局»とした時の政権であり、広い意味で与野党を問わない政治家先生たちに決まっている。私たち国民は選挙で、その政治家を選び、国の舵取りを委ねているのである。だから、政治家を別名「選良」とお呼びしているのだ。




 でも、茶の間でアホ面してテレビの予算委員会(国会中継)を見ているオジサンは、柄にもなく首を傾げたくなることがいっぱい。本来、是々非々でなければいけない審議が一から十まで与野党の対決構図丸出し。よしんば、時の政権を監視する立場にあるのが野党だから、それはそれでいい。しかし、政党・政派にこだわらない良識の府・参院は別のはず。




 合点がいかないのは、攻める側にある野党の質問。目立つその切り口は「○○新聞の報道によると…」と、今朝出がけに見て来た、とは言わないまでも、新聞報道が質問のネタ。自らや政党として、確たる調査に裏打ちされた追及とは、到底思えない。

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 答弁に立つ大臣も後ろから官僚が手渡すメモを棒読み。質問者に割り振られた持ち時間いっぱいに、バカバカしいとさえ思える質疑が続くのである。与野党を問わず、政治家先生には「国政調査権」という伝家の宝刀があるはず。「借り物」ではなく自前ではダメなの?




 予算委員会だから、時の政権のあるべき姿勢や、民主主義のあるべき姿に至るまで包括的にただすのは当然。でも、「新聞の報道」を頼りにするからセンセーショナルに終始して、自ずと大局とかけ離れる。ひねくれ者にはマスコミの注目を意識?しているようにも見えるのだ。新聞報道は、政治家先生の質問のためでもなければ、予算委員会のためでもないんだよね。予算委員会と言いながら予算の中身の議論はお目にかからない。




 私たちテレビを見ている人間には分からない所でのし烈な取材競争の産物なのだ。それを自らの質問のネタにし、まるで鬼の首でも取ったかのようにしているから滑稽だ。そんな見方でテレビを見れば、政治音痴のオジサンも予算委員会が面白い。これホント。失言という名の「言葉狩り」。こちらは野党と新聞のお家芸だ。




 面白いのは政治家先生のスキャンダル追及。不倫疑惑がその一例。ここでも「週刊誌の報道によると…」だ。何故か、この種の«火付け役»は決まって週刊誌。専売特許だ。でも不思議なことに新聞は政治家先生が予算委員会などで取り上げると、申し合わせたように一斉に報道し始めるのである。週刊誌へのリンクがあるかどうかは別に、新聞は«口火»は切らない。これ、不思議。でも週刊誌が蒔いた種は政治家先生の質問と、新聞の«追っかけ報道»で、どんどん燃え上がるのだ。週刊誌側は内心、ほくそ笑んでいるに違いない。




 巧みなのはテレビのワイドショー。新聞や週刊誌の記事をネタに1時間、2時間の番組を作ってしまう。自社の取材など全くなく、あえて言うなら新聞や週刊誌の記事を整理したパネルづくりくらい。そこへ評論家先生をお呼びして論評していただくパターンだ。そのコメンテーターの人選は意見、考えが分れるように仕組んで、いわゆる両論併記。ポピュリズムを意識したり?露骨な«アク»もあるから、また面白い。




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どうしたらいいの?

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 嫌な世の中になったもんだ。毎日とは言わないまでも、地域住民向けの防災無線から「振り込め詐欺・オレオレ詐欺に注意」のアナウンスが流れる。




 「こちらは山梨市役所と日下部警察署です。只今、管内で振り込め詐欺とみられる電話が数件かかって来ています。不審な電話があった場合は、すぐ警察にご連絡ください」
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 一方では仮想通貨や大量の重要データのハッキング。いずれも人間のなせる業。人間の皮を冠った狐と狸の化かし合いだ。子供たちが学校に行けば、「知らない人に声をかけるな」と先生から教わる。「声をかけられても応じてはいけない」とも。裏を返せば、他人を信用してはいけない、ということに通ずる。




 そんな指導の半面、「あいさつ運動」を促す。子供たちは面食らうに違いない。「声をかけるな」と「あいさつ運動」は、誰が考えても相容れない。オジサンが子供だったら「僕たちどうしたらいいの?」と、先生に問い質すだろう。




 他人のものを盗んだり、人を拉致して殺したりもする。石川五右衛門に「世に盗人の種は尽きまじ」と、言わしめたように、昔から泥棒はいたのだろうが、訳もなく人を殺傷する「通り魔殺人」のような凶悪な事件は、少なくともオジサンたちは、あまり耳にしなかった。中には「人を殺してみたかった」などと、こともなげに言ってのける若者すら出て来る始末だ。




 その原因は「学問偏重の教育の欠陥。倫理や道徳教育をないがしろにしたり、«個»の行き過ぎた助長のツケ」と言ったら、テレビ出演で、もっともらしく仰る評論家先生みたいだが、とにかく困ったものだ。算数や国語、理科、社会…。確かにペーパー学問も大切。でも、それを身に着けるのは人間。骨になるのは倫理観や道徳観に他ならないと思うのは間違いか。こんなことを言うと、事ある度に倫理や道徳を戦中教育と重ね合わせて«角»を立てる«先進的な先生方»には、お叱りを受けるかも。ぼつぼつ、そんな教条主義を捨てる時期に…。




 IT、ICT。電子機器の目覚ましい発展・進化が皮肉にも新たな犯罪を生み、社会不安の元凶にもなっている。メリットとデメリットは、常に裏返しに存在するものだ、と言ってしまえば、それまでだが、人の心を傷つけたり、犯罪に結び付くことだけは防がなければならない。電子機器メーカー側にも間違いなく責任の一端がある。セキュリティーは責務だろう。




 電子機器であろうが、なんであろうが、高度なものであればあるほど、造る者がいれば、壊すものや悪用する者が出て来るのは世の常。そのイタチごっこは続き、犯罪も質を変えて行く。子供たちの「いじめ」だって、時代の波を明らかに反映。スマホやパソコンなどの電子機器が介在しているのである。オジサンたちの子供のころのような対面型、いわば暴力型のいじめは姿を消しつつある。表面化しにくい、潜在化・陰湿化へと姿を変えているのだ。

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 例えは悪いが、暴力団の抗争や資金集めも「切った、ハッタ」から潜在化、高度化?しているという。「オレオレ詐欺」、「振り込め詐欺」にも、そんな暴力団の影が。一つ言えるのは、ICT機器を駆使した犯罪はスペースも腕力も、さらには男女の区別もいらない。要は悪知恵だけを磨けばいいのだから怖い。「世に悪知恵の種は尽きまじ」。くわばら、くわばら。




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身近に迫るイノベーション

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 「お父さん、あのアナウンサーの人たち、お化粧がヘンね。嫌に白っぽいじゃあない」
茶の間で夕餉の晩酌をしながらテレビのニュースを見ていた私に向かって女房が、何気なく言った。カメラはニュースを伝える男女二人のアナウンサーを時々、アップで捉える。確かに二人の顔は、不自然に白っぽい。答えは簡単。局の担当美容師の化粧の仕方がヘタだっただけのこと。





 高画質化するテレビの進化は怖い。以前には見抜かれなかった化粧の善し悪しまで極めてリアルに捉えてしまうのである。4K だの8Kだのとアナログ人間には、詳しい理屈は分からないが、どんどん画質が進化していったら、人間の毛穴まで映し出してしまうのだろう。昔のような「どうらん化粧」は、とっくに通じなくなっているし、ほんの些細なごまかしをも許されなくなるに違いない。




 画質もさることながら、テレビは形や、様々な形態まで、いつの間にかガラリと変えた。社会の進歩とは裏腹に、年を追うごとに故障が出て来る人間が、病院(医院)の待合室や、その後の薬局で何気なく眺めているテレビはみんな壁に掛かっている。茶の間のテレビだって同じで、ちょっとした脚に乗っているだけ。画面が「ジージー」音を立てて波打ち、大きなお尻をしたブラウン管時代は遠い昔のこと。みんな忘れた。

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 茶の間のテーブルの上にはiパットやスマホが。そのいずれにも様々な機能が搭載されているので、テレビに飽きたら、それで遊べばいい。時折鳴る電話も紐付きの加入電話ではなく、スマホだ。加入電話はどんどん数を減らしている。街の公衆電話は言うまでもない。こちらは«絶滅»の時期もそう遠い先ではあるまい。




 様々な業界、というよりすべての業界と言ってもいい。そうした業界の心臓部を担っているのがIT・ICTの世界だ。そのイノベーションは行き着く所を知らない。各種の業界の中で、勢いは、まさに独り舞台といった感にも見える。貧乏人は、すぐに«稼ぎ»に関心を向けるのだが、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏しかり、世界の長者番付の上位は、このIT・ICT業界を引っ張る人たちである。ビル・ゲイツ氏はアマゾンの創業者ジェフ・ベソス氏にトップの座を譲った。この業界だって生きるか死ぬかの«戦争»を繰り広げている証だ。




 ママのスマホやiパットで無邪気に遊ぶ孫娘。5歳にも満たない幼児が、誰に教わるともなく、遊びながらに使い方を覚え、お気に入りのアニメ動画を探す。黙っていれば、一日中、遊んでいるのである。その知恵?にはびっくり。70以上も違う孫娘に文句なく脱帽だ。それよりも子供たちを、どこまでも惹きつけて止まない開発者に頭が下がる。
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 ただ、このスマホやiパットの画面は、極めてコントラストが強い。大人の私だって目が疲れるのだから、子供の目にいい訳がない。「目を離して見るんだよ。そうしないと、いまに牛乳瓶の底みたいな眼鏡を掛けなければならないようになるよ」。スマホなどの普及は、データ的にも子供たちの視力を低下させている。IT・ICTのイノベーションの裏では、逆手に取った犯罪ばかりか、人間の生態にも変化をもたらすのか。





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等級の使い分け

自衛隊
陸上自衛隊HPより引用:自衛隊記念日観閲式


 自衛隊の、ある地方組織の幹部執務室。応接ソファーに席を勧めてくれた部屋の主は、濃緑色の制服(陸上)姿。肩には3つの星と銀線2本の階級章が。1等陸佐である。胸には赤や青、黄色とカラフルな功労賞を付けている。いかにも幹部自衛官らしい。銀線2本は佐官の証。因みに1本は尉官、3本は将官だ。自衛官には「将」~「2士」まで16の階級がある。




 1等、2等、3等。この等級、何故か珍しいものに出会ったような気がした。おしなべて等級は世の中からどんどん消えている。例えば、列車の「1等車」、「2等車」は、姿を消して久しい。列車が蒸気機関車から電化した頃を境に多分、なくなっていた。「1級酒」、「2級酒」と格付けを区別していたお酒も後を追った。私たちが若い頃には「合成酒」というヘンな酒も。果物共撰のランク付けも「秀」とか「優」に。数字は使っていない。




 お酒は「1級酒」の上に「特級酒」というのもあった。必ずしも言い換えとは言えないまでも今は「大吟醸」、「吟醸」などという言葉を登場させて«並み»のお酒とランクを分けてもいる。付加価値を付けて料金を違えていることは言うまでもない。


酒


 列車やお酒と並べるのは、いささか憚りもするが、春、秋の叙勲にも1等から5等までの分類が。例えば「勲〇等瑞宝章」といった具合だ。これも数字に代えて「文字言葉」に置き換えた。ただ、私たち市井の人間には、その「格付け」が分かりにくい。その点、数字はズバリだから言を待たない。




 この等級外しは、大人の世界にとどまらず、子供の世界にも波及しているのだ。小学校の運動会でも、例えば、100m競争やリレー競技は「1等」、「2等」を付けずに「優勝」、「準優勝」に。かつては、ゴールインした順に先生や児童など競技の管理担当者が駆け寄って「1等」、「2等」の旗をかざしたりもした。




 こうした等級外しの根底・背景には、いずれも「差別」イメージ解消の意図があるのだろう。差別の解消はいいことだし、言い換えれば、差別があっていいはずがない。でも、差別解消の名のもとに、形ばかりの理屈や教上主義的な考えが優先している、と言ったら言い過ぎか。1等、2等をなくした列車だって「自由席」、「指定席」、「グリーン席」に置き換えたに過ぎない。航空機だって「エコノミー」、「ビジネスクラス」、「ファーストクラス」がある。総じて、数字によるランク付けがなくなっただけで、仕組みは変わっていないのである。




 面白いことに自衛隊には、1,2,3のランク付けが生きていて、«世の中の流れ»に逆らっているようにも見えるが、誰も不思議とも思わず、«教条派»だって注文も付けない。陸、海、空を問わず自衛隊の階級制度は、根本的には旧軍隊と全く変わっていない。つまり旧軍隊の「大」、「中」、「小」を「1」、「2」、「3」に置き換えただけだ。例えば「大佐」を「1佐」、「中佐」を「2佐」、「少佐」を「3佐」に。尉官も全く同じ。


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 専守防衛、シビリアンコントロールを旨とする日本。先の大戦の反省から旧軍隊を全面否定しているのだから、階級などの呼び名も同じにしておくことは理屈に合致しないのだろう。ここだけは世の中の流れとは逆の1,2,3が生きている。一面で皮肉な現象だ。




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健康寿命は山梨が首位

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 山梨の「健康寿命」はなぜか高い。厚生労働省の調査によると、男性は73・21歳で第一位、女性は76・22歳で第三位。前回調査までは女性も第一位で、男女仲良くトップの座にあった。このデータに対して役所は、山梨県民の癌検診の受診率が高いことや無尽が盛んな県民習慣を上げている。無尽は、社会的なネットワークが高齢者の孤立を防いでいる、というのである。精神的なリラックスと程よい刺激になっているというのだろう。




 「癌検診の高受診率」は頷けもするが、「無尽による社会的ネットワーク…」は、いかにも役人らしい「取って付けた」分析。そんな単純なものだろうか。気候、風土はむろん、医療や生活環境、食生活…。果ては県民性まで様々な要素が絡まっての結果だろう。机上で簡単にコメントするほど人間の健康は容易く(たやすく)表現出来ないだろうし、寿命まで分析出来るものではないのではないか。




 ここで言う健康寿命や人間の平均寿命は文字通り「平均」。健康寿命とは人間が健康で活動的に暮らせる期間で、WHO(世界保健機関)が提唱した指標だ。つまり、平均寿命から病気、衰弱、認知症などによる介護期間を差し引いたもので、0歳の者が健康で何年暮らせるかを示した数字である。

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 寿命のすぐ隣り合わせにあるのは間違いなく「死」だ。健康寿命だとか、平均寿命の捉え方は漠然としているからいい。しかし、人間、寿命・死期をストレートに伝えられたら穏やかではいられない。私のような小心者だったらノイローゼになってしまうに違いない。人間はいかなる者も自分の死期を知らない。それがいい。




 どんな立派な説を唱える宗教学者や衆生を前に説法するお坊さんだって、絶対に分からないはずだ。神や仏がいるのかどうか、不信心な私にはこの歳になっても分からないのだが、「神のみぞ知る」でいいのだろう。だから人間は死ぬまで屈託なく生きていられるのだろう。




 健康寿命や平均寿命を損ねる成人病。死亡率ではそのトップクラスにある癌をめぐって告知の是非が論議される。癌の死亡率が高いことは誰でも知っている。だからこそ当事者には知らせないで、そっとしていてやることが何よりではないのか。「終末への準備が出来る」などと«冷静»に捉える方もお出でだろうが、自らに置き換えて人間の精神力とは、おしなべて、そんなに強いものではない。




 「知る権利」云々、というが、生死、特に「死」に関しては「知らないでいる権利」があってもいい。知ることによって、逆に心痛、心労を増幅させ、余命を削る恐れだってあるかも知れないのだ。人間なんて、口では強がりを言うが、内面はそんなに強くない。




 「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」。織田信長が本能寺の変で舞ったと言われる謡曲。1582年のことだ。それから430年余。健康寿命、平均寿命は、ぐ~んと延びた。食生活や医療機器の進歩、さらには人々の生活環境や行動パターンに至るまで、様々な変化がそうさせたことは間違いない。中でも医療の進歩は大きな存在。特に医者の役割、倫理観はひときわ増すに違いない。それにしても人間の健康寿命は僅か70歳台だ…。




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雪代の洪水

富士山


 春には珍しい大雨が止んで、カラリと晴れた青空に真っ白に雪化粧し直した富士山が見事に姿を見せた。太宰治の「富士には月見草がよく…」(富岳三十六景)ならぬ、富士には真っ白い雪がよく似合う。「富士山はこうじゃあなくてはいけない」。前衛の御坂山塊が屏風のように黒く立ちはだかるので、ことさらに富士の峰が勇壮に浮かび上がるのである。桜には、まだ間があるが、目の前の庭先で花開く紅梅や白梅と何故かマッチして見える。




 「春雨じゃ、濡れて行こう」。時代小説に出て来た月形半平太さながら、下界にもたらす春の雨は柔らかい。数日来の音を立てて降った雨は、それには似つかない。でも富士山は、まだ厳冬期を脱しきれていない。あの強い雨が富士山を一夜のうちに厚化粧に変えたのだろう。見るからに化粧が厚い。




 女性の化粧は、スッピンの時とは打って変わって美しく、軽やかに姿を変える。一方、富士山のそれ(雪化粧)は、美しさばかりではなく、堂々たる風格と存在感を醸し出すのだ。真っ白い化粧が朝日を浴びれば、見事な赤富士に、夕日を浴びれば、真っ赤な夕焼け富士に姿を変える。時には雲をあしらって、さらに、その表情を変えることだってある。


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 春は一雨ごとにやって来るという。もちろん霊峰・富士は下界のそれと時季(期)のタイミングを異にするが、下界と同じように春への準備を始めている。私のように甲府盆地から眺めている富士と実態は異なる。雪化粧を濃くしたり、薄くしたり…。濃くする時とは裏腹に、薄くするときには「雪代」という名の洪水をもたらすのである。




 雪代は半端ではない。あの厚化粧を落として下界に流すのだから、想像に難くないだろう。富士山の歴史が地元に、それへの備えをさせているからいいが、仮に備えがなかったら麓の街は洪水で水浸しになることは間違いない。むろん今でも川という川は濁流で溢れる。あまり歓迎は出来るものではないが、春の風物詩でもあるのだ。




 雪代は、何も富士山に限ったことではない。積雪をもたらす山なら、大なり、小なり同じ現象を生み出す。私のすぐ近くにある奥秩父山系の乙女高原(秩父多摩甲斐国立公園)や数年前、あの噴火で大惨事を惹き起こした木曽の御岳山など2,000m級の山だって同じ。雪代・雪解けの水は山肌を削り、下へ下へと土砂を流して山を痛めるのだ。富士山を大きく損傷している「大沢崩れ」も、そのいたずらに原因がないとは言えない。




 富士の積雪は、下流にも洪水をもたらす«ならず者»だけではない。積雪は何百年もの年月をかけて地下に潜り、温泉はむろん、良質な飲料水として人々の喉を潤すのだ。富士山に留まらず、3,000m級の北岳を有する南アルプスを抱えた山梨は、水の宝庫と言っていい。ご存知の方はご存知。あのペットボトルでなじみ深い飲料水の生産量では日本一。世界への輸出も進んでいる。




 富士山の雪解け水は湧水となって忍野八海(南都留郡忍野村)をも形成、今や外国人観光客をも惹きつける神秘な池として人気を博しているのだ。もちろん、富士五湖も、その一例。富士山が化粧を落とすと、下界では春を飛び越えて一足飛びに夏が来るのだ。

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「応援節」とボロ市

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 「♪…ボロは着てても~心は錦 どんなものにも恐れ~はせぬぞ…」


 その昔、学生たちが歌った「応援節」の一節。例えば大学の街とも言ってもいいほど、その数が多かった神田では、歌は「ここ~はお江戸か神田の~街か~…」で始まる。歌の前には口上ともいえるセリフが付く。この「応援節」は、神田に留まらず、多くの大学で、その地域(街)に置き換えて歌われ、全国の高校にも波及して行った。




 歌の真髄はバンカラで、純粋な学生気質であった。元々この歌の発祥は関西の近大だという。それが大学の街と言われた東京・神田に飛び火、日大や、中大、明大で歌われるようになって全国に広がったという説が有力。著作権は発祥の近大にある、とも言われている。


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 学生の街と言われた東京・神田は、大学が次々と郊外に引っ越して、その様相を変え、そればかりか「古本屋の街」と言われた神保町も様変わりした。確実に大学移転のあおりを食った。今の神保町には、かつての面影はない。

 あれほど沢山の古本屋が軒を並べて、よくも商売が成り立ったものだ、とだれもが思ったものだ。兎に角、お目当ての書籍が安価で手に入るものだから、貧乏学生にとっては福音。思わぬ掘り出し物の書籍だって手に入ることも珍しくなかった。いわゆる«神保町の消滅»は当時を知る人にとって一抹の寂しさを残す。




 歌の文句に出て来る「ボロを着てても」とか「心は錦」、「紋付き袴」、「六寸高歯」、ましてや「母校のためなら…」などという言葉や気質は、現代には似合わない。でもオールド派には、得も言われぬ郷愁がある。先頃、山梨市民会館で開かれた高校同窓会支部の懇親会で、往年の応援団が、この「応援節」を披露。会場を埋めた100人を超す同窓は見事な「振り」を見せる«応援団長»に合わせて歌った。その顔はみんな青春時代にタイムスリップしていた。




 東京・世田谷には「ボロ市」の愛称で親しまれる「市」があるという。どこの局か定かではないが、その賑わいと「市」の魅力を特集で伝えていた。放送によると、12月と1月の年2回、二日ずつ(いずれも15日と16日)、代官通りを中心とした通称「ボロ市通り」で開く。歴史は古く、安土桃山時代に遡るというから伝統の祭りだ。


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 沿道には700を超す露店が並び、骨董から、おしゃれな雑貨、食品に至るまで何でもあって、目利きには«掘り出し物»もいっぱい。お客さんは近郷近在に留まらず、欧米や東南アジアなど外国人も、どんどん増えているという。ここでもインターネットが媒介、「ボロ市」は、国際色まで強めているのだそうだ。

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 アイデアを凝らした新製品に留まらず、骨董など古き技法を駆使した伝統工芸品は、古き「学生歌」や「応援節」のように、どこかで慕われ、その命を繋ぎ、後世に伝えられて行くのだろう。一方で、古いものを捨て去ろうとする風潮だって隠せない。

 第一、「ボロ」などという言葉は今の子供達には通じないし、母親だって衣服の「ボロを繕う」ことすらしなくなった。道具となるミシン、針や糸に至るまで家庭の中から姿を消しつつある。

 身の回りが全てに「使い捨て」の風潮をエスカレートさせている。その歯車はもう変えられないのか…。ただ、若者たちがわざと穴を開けて履くジーンズは影を潜める«ボロ»への新たな憧れなのだろうか?…。




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田舎者の脚力

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 「肥満の解消には歩くことが一番。2㎞でも3㎞でもいい。毎朝歩いたら、いかがですか…。私は毎朝、女房と4㎞ぐらい歩くのですが、体重の抑制や体調管理にはてきめん。効果抜群ですよ。肝心なのは続けることです。1か月もすれば必ず効果が表れます」




 もう80歳近くになる先輩だが、メタボな人間を見るに見かねてか、度々そんなことを言ってくれる。仰る通りだ。「よし、オレも明日からやろう」。一旦はそう決意するのだが、「明日から、明日から…」で、日を送り、結局は…。ズボラ人間のズボラ人間たる所以だ。




 この人は近所に住む農業従事者。今でもブドウやサクランボを1ha近くも手掛ける篤農家である。こんなことも言う。




 「俺たち百姓は一昔前までは、確かに手や身体はむろん、足を使った。でも、機械化が進み、その必要がなくなった。遠い、近いを問わず、自宅から畑までは軽トラック。むろん、帰りも同じ。畑での作業は、消毒にせよ、除草にせよみんな機械。歩いたり、昔のように身体を使わなくても済むんです」




 農機具の機械化や除草剤など農業を取り巻く環境はどんどん変わっている。篤農家と言われる人ほど機械化による作業の合理化が進んでいるのだ。歩くことばかりでなく、力仕事も格段に減った。ブドウやサクランボのハウス栽培に至っては、コンピュータ制御で内部を管理するのだ。剪定や収穫など腕の疲労を和らげる補助ロボット(器具)の使用も。

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 一昔前のように農作業に鍬や鎌、立ち鉋を使うのは、私のような«百姓もどき»だけ。ましてや手にタコを作るような人間は、笑われ者でしかない。一方で、しっかりした農家ほど«運動不足»という皮肉な現象を生むのである。歩行による健康管理は農家の人たちにも喫緊の課題になっているのだ。




 朝に夕に、ウオーキングをする人たちが目立つようになった。夫婦連れが多く、犬を連れている人たちも多い。「実は、犬は私たちのウオーキングの先導者なんです」と。つまり犬を飼えば、散歩をさせてやらねばならない。犬への愛情からも必然的に人間も歩く(歩かされる)、という訳だ。我が家の植え込みの向こうを走る、自動車の通行が不可能な狭い古道は、今や、こうした人たちの格好のウオーキング・ロードになった。


裏の道1


 私は与えられた役職絡みの会議で、しばしば東京に行く。そんな時、自らの足の衰えをいやが上にも実感させられる。乗降ホームでの歩行、JRや地下鉄の乗り継ぎ…。その長さにうんざりするばかりか、歩くのが嫌になって、正直、その場に座り込みたくなる。歩行ペースも遅く、遥か後ろから来るハイヒールのご婦人に、どんどん追い越される始末だ。


都会


 普段歩く習慣をなくしたツケ以外の何物でもない。毎日の生活が車、車。僅かな距離の隣の家に行くのも車だ。ドア・ツウ・ドアの車社会にどっぷり浸かってしまった。




 田舎者ほど歩かない。公共交通機関が少ないから、勢いマイカーに依存する。都会にお住いの方々と全く逆な日常になってしまったのである。その皮肉な現実に甘んじて歩かなくなる。必然的に足腰が弱くなる。悪循環のサイクルが私たち田舎者の健康を蝕んでいるのだ。




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春の使者

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 「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花…」


 誰もが知る、菅原道真の歌一節。我が家の白梅や紅梅も一輪、また一輪と花を付け始めた。いずれも植え込みの古木だ。76の歳になる私が、子供の頃から、この時季になると必ず花を付けているのだから、恐らく親父、あるいは祖父の時代からのものだろう。雨風や夏の暑さ、冬の寒さにも黙って耐え、決まった時季に花を付けて春の訪れを告げるのである。




 梅は、ある意味、不思議な花。世には春の代名詞のように言われながらも«本当の春»が来ると、そっと身を引くのだ。足元に黄色い水仙が咲き、桜が咲く頃になると完全に世の中から忘れられる存在に。「梅に先発する山茶花があるじゃないか」とおっしゃる方がおいでかも知れないが、山茶花は歌の文句にもあるように「冬の花」だ。


山茶花3


 帯状の垣根代わりにしている我が家の山茶花も、知らないうちに紅白の大きな花を散らして、梅へ季節の禅譲を済ませた。草木は花のバトンをリレーしながら、黙って四季の移ろいをリードして行く。人間のように、その時々、寒いの、暑いのと騒ぎもせず、しかも開花の時季も大きくは狂わすことなく季節の移動に一役買うのである。


山茶花4


 野辺の雑草だって樹木と変わらず逞しい。同じように春への準備を急いでいる。これまで静かにしていた畑の雑草も所々に青い芽を見せ、«百姓もどき»を困らせる準備をしているのだ。庭の植え込みへの小鳥の数も目立って増えた。草木の芽はむろん、樹木に宿る虫たちが動き出したことを意味する。




 人間の世界にも「おしどり夫婦」という言葉が。窓越しにボ~っと庭の植え込みを眺めていると、オヤっと気付くことがある。やって来る小鳥はみんな2匹ずつ。聞いてみないと分からないが、恐らく番(つがい)・夫婦に違いない。木から木へ、後に先にと渡り歩くのも、引き揚げて行くのも一緒だ。人間のように時として夫婦喧嘩などしないのだろうか。腹を満たせば、仲良く帰って行く。帰る先・«小鳥のお宿»は、知る由もない。




 朴念仁には定かな名前は分かるはずがないのだが、庭先の植え込みを飛び回る小鳥の種類は片手では済まない。でも分かるのはメジロとモズ(百舌鳥)ぐらい。このほか頭の黒いのもいれば、尾っぽの長いヤツも。一つ気付くのはポピュラーなスズメが少なくなったことだ。もちろん、この現象は今日や昨日に始まったことではない。




 元はと言えば昭和30年代の半ばに遡る。それまで米麦養蚕の農業形態を続けて来たこの辺りは果樹地帯に。勢いスズメとの共生の源となった穀物が消えた。その上、住宅構造、特にスズメの格好の巣になっていた住宅の屋根の作り方が変わって«住み処»を奪われた。童謡「スズメの親子は仲良し子良し」などというフレーズも、どこかに行ってしまった。




 梅に鶯。春をイメージする定番。鶯は数ある小鳥の中でも、何故か気品を備え、日本人には一目置かれている。「ホォ―ホケキョウ」。その鳴き声がモノを言っているのかも知れない。
その鶯もスズメと同じように影が薄い。代わって席巻しているのは獰猛と言っても言い過ぎではない小鳥たちだ。春夏秋冬。今は春を待つ自然界も日一日と変化を遂げている。





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ノッポな棕櫚の強さ

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 春一番が今日か明日かというのに、冷たい強風をもたらす木枯らしの話を持ち出すのもヘンだが、樹々を揺らす木枯らしと、春一番に代表される風の音は比べようもない。季節の移ろいは人間がいくら強がりを言おうとも動かしようがなく、自然の力には遠く及ばない。そのくせ、人間は「寒い、寒い」と言って嫌ってきた木枯らしを、いつしか忘れ、春一番の南風を想定するのだ。




 よく考えれば、人間とは我儘(わがまま)で、自分勝手な動物かも知れない。でもそれでいい。そうでなければ、明日への希望もなければ、夢もない。人は折に触れ「朝が来ない夜はない」とか「春が来ない冬はない」という。そこに自らの生き様を置き換えて希望をつないだり、奮起を促したりする。日常のマイナス思考脱却の転換点にもするのだ。人間とは、そもそも我儘のようで、実は真面目な動物なのかも知れない。




 そこへいくと自然界は、黙っていて、そこはかとなく、したたかだ。樹々も草花も大地も寒い冬をジッと耐え、暖かい春を待つ。人間のように「寒い」の「暑い」のと文句も言わずに春夏秋冬、季節の移ろいまで«身をもって»人間に教えてくれるのだ。もっとも私たちが当たり前に感じている四季は、地球上すべての地域にあるのではない。




 ハワイのような常夏の地域もあれば、一年中«冬»の寒さが当たり前だったり、その正反対の地域だってある。そこに暮らす人々は、これも当たり前に、それを受け入れ、それぞれの生活文化を形成するのだ。日本のように四季があるから、寒いの、暑いのというのであって、だからこそ、それに合ったファッションも生まれるのだろう。「パリコレ」と言われ、世界のファッション界をリードするフランスがいい例だ。




 風。台風やハリケーン(南半球)のように、とてつもない力を発揮する風もあれば、人々の心や体を和ませる爽やかな風もある。樹々は大抵の強風にも耐え忍ぶ。持ち前のしなやかさからだ。それを持ち合わせない樹々は«痛い目»に遭うのは当然。手足ともいえる枝を折り、根こそぎ倒れる樹だってある。




 樹々の中でも、細っぴのくせに背丈だけは他に負けないのが棕櫚(シュロ)の樹。ヤシ科の常緑樹で、暖地に自生するワジュロと中国原産のトウジュロ(唐棕櫚)があるのだそうだ。我が家の石門の近くにある棕櫚は、どうやら唐棕櫚のようで、背丈は10m以上もある。3本の林立で、少なくとも100年以上、いや200年ぐらいは経っているかも知れない。子供のころから同じ姿でそこにあるのだ。

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 その年数はともかく、長い年月、風雪、特に強風を伴う大型台風にも、びくともせずに耐えて来た。「棕櫚は3本一緒に植えるもの」。誰かに聞いたことがある。«のっぽ »が故にお互いに根固めさせる意味合いもあるのだろう。




 てっぺんに掌状の葉をつけるが、その葉は長い柄を持つ。下から枯れ、人はその枯れ枝を切り落としてやるから掌状に深く裂けた青い葉を上部に残して、幹はのっぺらぼう。それが風の抵抗を抑えているのだろう。人間と同じで、デブより細身の体の方がしなやかなのかも知れない。




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肺炎とCT画像

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 目の前のパソコンに映し出されたCT(Computed Tomography=コンピュータ断層撮影)画像を見ながら呼吸器内科のドクターは言った。三度目のCT検査を踏まえた診察だった。




 「う~ん…。もう大丈夫です。肺炎の影(症状)は消えていますね…」


 肺炎騒ぎの発端は昨年暮れも押し詰まった頃。あとで考えれば、咳と熱を伴った具合の悪い体を押して朝の早い行事に出たのがいけなかった。その行事は母校・日川高校ラグビー部の全国大会「花園」への出発式。その日の朝は特に寒かった。




 私には、そもそも「心房細動」(不整脈)という持病がって、定期的に同じ病院の循環器内科で診察を受けていた。読んで字の如く、脈が一定のリズムで打たない病気(症状)で、放っておくと血栓が出来て、その血栓が心臓に飛びつくと「心筋梗塞」、脳に飛びつくと「脳梗塞」を惹き起こすのだという。予防薬として血液をサラサラにする投薬を朝晩欠かさない。今、私が一番怖いのはこれだ。「あなたの行きつく先はそのどちらかですよ」。他人事だと思って…。もちろん、親しさからの注意の喚起と忠告であることは言うまでもない。

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 たまたま、その定期診療の日。「先生。オレ、熱と咳が出るばかりか、身体が怠くて…」と言ったら、「心房細動」の検査で出て来た血液検査のデータを見たドクターは「これは異常だ」。すぐにレントゲン、さらにCT、MRI (Magnetic Resonance Imaging=磁気共鳴画像)と、検査を重ね、「明らかに肺炎」と、私を隣の呼吸器内科へ。最後は抗生剤の点滴と翌日の診察の予約。朝9時に病院に行った私が病院を出たのは午後4時過ぎだった。




 「先生、大阪の花園に行かなければならんのですが、何とかなりませんか…」


 「バカ言っちゃあいけませんよ。ドクター・ストップという言葉を知りませんか。ドクター・ストップ!ドクター・ストップ!」


 花園行きを断念したことは言うまでもない。


 女房は言う。


 「肺炎の予防接種をしなきゃあいけない、と言ったでしょう。あなたは、無茶ばかりで、いつも私の言うことを聞かないんだから。まったく…」




 75歳の人たちには「高齢者肺炎球菌予防接種」の補助金制度があって、確かに山梨市から期限付き(平成29年4月1日~30年3月31日)での公費助成(1回4,000円)通知が来ていた。後の祭りとは、このことだ。この補助制度は65歳から、5年周期であるらしい。




 肺炎を起こしたのは初めて。若い頃から、「風邪なんか、ちょっと深酒、そうでなければ玉子酒でもグッと飲んで寝てしまえば治るもの」と信じ込んでいた。でも65歳を過ぎた頃から、それが通じなくなった。今では、いったん、風邪を引こうものなら、完治するまで2週間も、3週間、いやもっとかかる。体力の低下のためだろうか。




 巷では3月に入った今もインフルエンザが流行っているという。おかしな年だ。4歳半の孫娘もどうやら、インフルエンザらしい。田舎の我が家に一晩預かった女房は「38度9分も熱があるわよ。明日、幼稚園を休ませて病院に連れて行かなきゃあ…」と、大騒ぎ。当の本人はケロっと。子供は熱にめっぽう強い?。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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