パソコンの功罪

ペン


 「ペンを取る」とか「ペンを走らせる」という言葉は「ダイヤルを回す」と同じように、最早、死語になりつつある、日常にパソコンが普及したからだ。同じ意味合いの「筆」は一足早く、少なくとも我が家の日常からは姿を消した。電話はボタン式になって久しい。




 ヘンな表現だが、文字を書かなければならない人ほど「文字を書かない」。それを生業とする作家や新聞記者たちである。「書く」から「叩く」。原稿用紙に向かうのではなく、パソコンに向かってキーを叩くのだ。役所や会社で書類作りに携わる人だって同じだろう。




 こうしてブログを“書き”、パソコンに“遊んで”貰っている暇な人間ですら、日常で文字を書くことが縁遠くなっている。あるとすれば年に一度の年賀状と、お中元やお歳暮など友や知人からの贈り物に対するお礼状くらいのもの。お礼状は電話やメールで済ませてしまうことが多いので、あえて言えば、年賀状ぐらいのもの。その年賀状だって今やパソコンがやってくれるのだ。


年賀状



 文字の文化を支えたのは、紛れもなく筆であり、ペン・万年筆であった。しばらく経ってボールペンが開発されて、これに取って代わった。もちろん、鉛筆の存在は欠かせないし、子供達の間ではシャープペンが。シャープペンやボールペンには、サンリオのキティちゃんなどの人気キャラクターが施され、ファッション性をも備えるようになった。それほど顕著では無いにしても筆やペン・万年筆にも、もちろんデザイン性はあった。



ペン



 いずれも文字を形成するツールとして、それぞれの場面にあわせて役割を果たして来たのである。署名や記録の手段、そのためのツールとしては、筆や万年筆がその役割を担い、鉛筆やシャープペン、ボールペンは、それを補完するラフなツールであったように思う。




 パソコンの登場は、そんな文字文化を根本からひっくり返してしまったのである。筆であれ、万年筆やボールペン、鉛筆であれ、これまでの文字を書くツールの形態が決まって棒状で、しかも手に持って書いたのに対して、こちらはキーを叩くだけの動作に


キーボード



 それだけではない。パソコンという“革命児”「ペンダコ」という言葉も死語にしてしまった。ペンダコは作家や新聞記者のように文字を沢山書く人の証であり、勲章のようなものでもあった。主には右手中指の第一関節付近に出来るのだ。しかし、今や過去の遺物。そんなものがあったら若い方々からは笑われるに違いない。




 確かにパソコンは便利だ。しかし、そこから流れ出す文字はみんな画一的。当たり前だが、手書き文字が醸し出す個性は言うに及ばず、味のひとかけらもない。女房はよく言う。



 「お父さん、パソコンはいいよね。いくら字が下手くそでも分からないものねえ…」


 似た者夫婦。考える事は同じだ。


 ソフト会社は筆文字を作ったり、さまざまな字体を作ってくれてはいるものの、所詮は人工文字。いくら知恵を絞り、工夫を凝らしたとしても人間一人一人が持つ個性を創造することは出来まい。パソコンは日本の文字文化を雪崩のように変えていく。人間はいつの間にかそれが当たり前と受け止めていくのだ。(次回に続く)



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のんびり屋のせっかち屋

 「俺はいったいどんな性格の人間なのだ」と自問したら「ムチウチ症のあいつ、頭を打ったせいで、とうとうオツムがヘンになっちまった」と言うに違いない。でも私は、こんなことを思うことがある。「俺は短気なのか気長なのか」「鈍感なのか敏感なのか」「せっかちなのか、のろまなのか」「几帳面なのか、無精者なのか」「けちん坊なのか、それとも・・・」。ただ、これだけは分かっている。「バカなのか利口なのか」だ。自覚出来るだけはいいのだろう。しかし、このことを除けば、自分でもそれが分からないことが多い。


道路

 「お父さんは車に乗ると、まるで別人のようになりますね。何もそんなに急がなくてもいいじゃあありませんか。そんなに時間が変わるわけでもないのに・・・。いつもは、のんびり、のほほ~んとしているのに・・・」




 「おいおい、のほほ~んはないだろう」




 一緒に車に乗っている時の女房とのやり取りだ。サラリーマン時代は女房と一緒に車で出歩くことなどほとんどなかったのだが、今では私のプライベイトの用事を除けば、ほとんど一緒。それも運転は女房任せ。こと、運転にかけては女房の方が上手と思っているからだ。今では出かける時、黙っていても女房がハンドルを握る


車


 私は車をノロノロ運転するのが大嫌い。後続車にも迷惑をかけるからだ。場合によってはノロノロ運転が原因で事故を招くケースだってある。山梨市から甲府に向かう約20㌔間のざっと4分の1の区間に片側1車線の自動車専用道路が出来た。ほぼ直線。視界もいい。制限速度は60㌔。この道路を60㌔ならまだしも50㌔、40㌔で走る車が目立つのだ。当然、後続車は数珠繋ぎ。もちろん前には車はいない。1車線だから追い越しようもない。


道路2

 それも通勤時間帯だ。腹が立つ。女房は「そんなに腹を立てることないじゃあない」と言うのだが、男達にはその先に仕事が待っているのだ。後ろからは「ブー、ブー」クラクションの音が。やっぱりイライラするのだろう。しかし、ノロノロ車両は、そんなブーイングもどこ吹く風。人の事など完全に無視だ。わが道を行くのである。それがまた腹が立つのだ。臨機応変。「この無法者め」とお叱りを受けるかもしれないが、状況によってスピード規制への対処だって固いことを言わず弾力的であってもいいじゃないか、と思うのだが・・・。


道路3

 かつて中央自動車道の山梨県区間が開通する間際に、その規制速度を巡って道路を造った日本道路公団と速度規制値を定める公安委員会との間で論争が起きた。特にトンネル内の速度規制だ。道路公団によると、道路には車のスピードに耐えうる「設計速度」というのがある。所要時間の短縮、快適なドライブを主張する公団と安全性、事故防止を考える公安委員会の論争だった。

 もちろん、この論争の軍配は公安委員会に。安全と事故防止を優先するに決まっている。普段、のろまのくせに時として、せっかちになる自分とオーバーラップしながら女房が言う「そんなに急がなくても・・」の言葉をやむなく飲み込んだ。ノロマは嫌い。せっかちな性分は、最近ではめったにしないが、麻雀でも出てしまうのだ。だから、時にチョンボもする。




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振り子とデジタル

時計

 「あの人は振り子のような人だ」と言うと、いつも几帳面な行動をする人を言い、「振り子現象」と言うと、一方に偏った力を元に戻す力学を言う。右傾化すれば左に戻そうとする。車に乗っていてカーブを曲がる時、一方で反対側にも力が働く。いわゆる遠心力の力学もこれと同じだろう。人は、この振り子をさまざまな所で例えに使う。




 振り子は元々、時計の重要な一部であったことは言うまでもない。ところが、この振り子時計、最近、トンと見かけなくなった。我が家にもひと頃までは、振り子の柱時計がいくつかあった。それぞれが気ままに「ペーン、ペーん」と時を刻むのである。折に触れ、ねじを巻くのだが、それぞれの時計に癖があるから、遅れたり、進んだり。刻む時もまちまちなのだ。みんな、のんびりしたもので、そんな誤差も気にも留めなかった。




 アナログからデジタルへ。真っ先に時代の波のあおりを食ったのが、この振り子時計かもしれない。柱に掛けた、いわゆる柱時計も壁掛けのデジタル時計に。振り子の柱時計は今やアンティーク家具になった。それを歌にしたものや、決まった時間に扉を開けて時を告げたハト時計も、みんなノスタルジックな世界に追いやられた。


デジタル時計


 デジタル化はどんどん進んで、いつの間にか電子時計が。一分、一秒狂わないのだ。仮に狂いが生じても、何時か知らぬ間に修正されているのである。電波でコントロールされているのだろうが、アナログ人間の私なんかに、その理屈が分かるはずがない。そんなことを考えると、ひと頃、流行った漫才のギャグではないが「夜も眠れなくなる」。


 


 アナログの柱時計が姿を消す一方で、そのデジタル化は私達の身の回りに新しいタイプの時計を氾濫させた。腕時計や壁掛け時計、置時計、目覚まし時計は当たり前。いつもポケットに持ち歩くケイタイにも付いているし、電子炊飯器やシステムキッチン、風呂場やトイレのコントローラーにも。テレビを点ければ、ここにもデジタル表示されている。


ガス


 一歩外に出ても街頭に、ビルの上に。バス停や駅のホームはむろんのことだ。マイカーにだって・・・。今や腕時計など必要ないくらいだ。でもこれが不思議。腕時計がないとなんとなく落ち着かないし、不安なのだ。習慣とは恐ろしい。我が家の中に限って時計の数(個数・箇所)を数えてみたら、ざっと20を超えていた。まさに時計の氾濫である。


 


 そのルーツを思い起こしてみたら、壁掛け時計や置時計の多くは結婚式や何かの催しの記念品。裏側には往年の新郎新婦の名前が。その新郎新婦は子供さんをもうけ、今では立派なオジサン、オバサンに。時はこんな所にも刻んでいた。


掛け時計


 デジタル時計にも致命的な欠点がある。アナログの柱時計にネジ回しが欠かせないと同じように、電池がなくなれば、グーの音も出ない。デジタルだってオールマイティーではない証だ。それに風呂場やトイレなど、いわばどっちでもいい所に付いている時計は、すぐに狂う。とにかく、デジタルの時計が氾濫する一方で、案外、時間が守れないのが人間。私の田舎ばかりかもしれないが、会合で時間が守られたためしがない。デジタル化がどんどん進んでも人間は、それに付いていけないでいるのだろうか。




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油と農家の今昔

大豆


 ゴマ、菜種、大豆、ヒマ・・・といえば共通点はなんだ。クイズの出題ではないが、答えはである。私が子供の頃、山梨のこの付近の農家では、ゴマや菜種を作った。もちろん、食用油にするためで、ヒマは薬用だったように思う。「ひまし油」といって漢方の下剤のように使ったりもした。葡萄、桃、サクランボなど現在のような果樹地帯になる前の事。主力の米麦、養蚕の農業の傍らで、どの農家も大根や、タマネギ、人参などの野菜ばかりでなく、食用の油まで自らで作ったのである。味噌、醤油は当たり前。


 


 いわゆる自給自足型の農業形態だった。屋敷の片隅にはニワトリ小屋やウサギ小屋。ヤギ小屋もあった。池には鯉が・・・。それがそのまま卵や肉、乳、つまり私達の蛋白源になった。古くなったニワトリは≪潰して≫肉を食べるのだが、この時、おふくろは「骨団子」といって、ニワトリの骨まで子供たちに食べさせた。骨を潰して団子状に。カルシュームの摂取を考えたのである。一方、牛乳ではなく山羊乳。私なんかヤギの乳で育ったようなものだ。もちろん乳搾りは自分たちで。何人もの兄弟が日替わりの当番制で搾った。


ヤギ


 その頃の我が家の、また、この付近の農家の食料自給率は100%に近かっただろう。過去のデータからみてもわが国全体の食料自給率は70%をはるかに上回っていた。それが今はどうだ。政府統計によれば、40%そこそこに落ち込んでいるのである。田舎のこの付近では食料ばかりでなく、暖房や調理のためのまで焼いた。炭焼きをしないまでも、炬燵の火はかまどの消し炭を使った。全てに貧しさの中で育まれた≪生活の知恵≫があった。




 食料需給率を落としたのは経済活動のさまざまな歯車にほかならない。それに人間の飽くなき合理化への欲求が拍車を掛けた。慣れないソロバンをはじいた農家は利益を追求するあまりに集約農業に走った。大根、白菜、なす、キュウリなど野菜はおろか、主食の米まで作ることを放棄したのである。例えば果樹農家は、主力の桃や葡萄、サクランボの生産性を上げるために、米も野菜もスーパーに求めた。ましてや手間がかかるゴマや菜種からの油の製造などするはずがない。

 
葡萄9月 


 平野部での大規模農業はともかく、圃場の構造が変わらない地方の農家も、確かに生産性を向上させた。しかし≪蔵が建つ≫ほどの利益に結びついたかというと、とんでもない話。そこで得たお金は、外国からの米麦や野菜、肉に姿を変えるだけに過ぎない。一方で、大規模であろうが、なかろうが、そこに残るのは農機具の減価償却残留農薬。農機具を例えて、口の悪い人は「機会貧乏」と言う。言い得て妙である。さらに、こうした農家を不安に陥れているのが自らの老齢化と後継者不足だ。一見合理的に見える集約型農業の内側で、さまざまな現実の矛盾に気付きながらも、そこからの脱出はもはや困難。




 そんな農家をよそに、非農家の人達は野菜作りや炭焼きを。只で貸してくれもする農地を上手に使っての野菜作り、果樹作りが年々盛んになっている。いわゆる「一坪農園」。何よりも農薬漬けの農家を尻目に、こちらは無農薬の野菜を作ってニンマリ。炭焼きだって今や趣味と実益。旅した伊豆大島で久しぶりに炭焼き小屋を見てそんなことを思った。




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孫娘はアニメがお好き

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 「爺爺、iパットは?」


 ママやパパに連れられてやって来る孫娘が開口一番、口にするのは、この言葉だ。「直して(充電)おいてあげたよ」。そんな私の言葉に可愛らしく「ありがとう」とニッコリ。その笑顔が終わるか終わらない内にiパットに飛びつくのだ。嬉しそうな仕草が、また可愛い。とにかくアニメが大好きで、食いつくように見ている。黙っていれば1時間でも2時間でも平気。アニメは理屈抜きに子供たちを惹きつけて止まない魔力があるのだろう。




 ママは、そんな娘の行状が分かっていて、家(うち)ではiパットを遠ざけているらしい。孫に甘く、言うなりになる私に対して、時に«いぶかし気»な顔を見せもする。「お爺ちゃんは、この子の言うなりになるからダメよ」。はっきり苦言を呈することも。親にしたら当然。よく分かる。女房も私に目配せして言外に注意を促す。年は取っても«母親経験者»だ。「年寄り子供は三文安」。昔からよく言った。分かってはいるが、やっぱり孫は可愛い。何でも言うことを聞いてやってしまうのである。




 ただ、これだけは口うるさく言う。「目を離して見るんだよ」。夢中になればなるほど前のめりになる。iパットに限らずスマホやどの電子機器も、何故かコントラストが強いので目にいい訳がない。文科省や県教委の調査でも子供たちの視力の低下がはっきりデータとして出ている。電子機器が、その元凶であることは言うまでもない。牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けている幼い子供さんを見るたびに「大人の責任」を痛感するのだ。


キョウカ2


 幼い子には、その善し悪しが分からない。大人なら、というより歳を取れば取るほど目にこたえ、疲れを感ずるから、警戒もすれば、時に敬遠もする。でも子供の眼は、どんな条件の光をも受け入れてしまうのか。大人の頭で考えれば、それが怖い。その辺のことを考えてやらなければ、結果的に子供が少なからず犠牲になると思うのは考え過ぎなのか?




 今と昔の子供達では遊び一つとっても根本的に異なる。IT、ICTなどイノベーションがもたらした電子機器などと無縁な時代に育った子供たちは、春夏秋冬、季節の移ろいと共に遊びの場を自然の中、つまり「外」に求めた。しかし、今は、そのスタイルをガラリと変えた。一概には言えないまでも子供たちは遊びの場を「室内」に移し、そこにはIT端末や、スマホ、パソコンなどの電子機器が。遊びの内容まで変えてしまった。




 電子機器がもたらす生活の合理化はむろん、その根底にあるIT、ICTの進化は人々の情報量を飛躍的に増大させた。子供たちを例にした場合も、鼻たらし小僧で、ろくに勉強もせず、日が暮れるまで外で遊びほうけていたオジサンたちの子供の頃と、今の子供たちとでは情報量はむろん、学力も雲泥の差があるのだろう。ただ一つ優れているものがあるとすれば「創作力」。情報量が乏しいので、遊びの仕方も自分たちで考えざるを得なかったのだ。




 5歳足らずの孫娘が誰の教えも受けず、遊びながらにスマホやiパット端末の操作を覚え、新しいアニメのアプリを次々と見つけ出す。遊びの発見とはそんなもの、と頭では理解できてもアナログ人間にとっては、ただ驚くばかりである。




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蛙っ跳びとウサギっ跳び

ハイビスカス

 行ったり、来たり。私がいつもお邪魔させて頂いている沢山のブログの中に、蛙をハンドルマークに使っている方がいる。その顔はなんともひょうきんで、一度拝見しただけでも忘れない。グリーンの多分、雨蛙だろう。ブログは興味深い沖縄の文化を伝えてくれている。




 は蛇と違って愛嬌がある。「蛇のようなヤツ」とか「蛇の生殺し」などといった具合に蛇はいい例えには使われない。これに対して蛙は「蛙っ跳び」などと、その動きを想像しただけでも面白い使い方をされるのだ。蛙と蛇は体形や行動パターンがまったく違うし、イメージ的にも可愛くもあれば、憎らしくも。「古池や・・」。蛙は俳句にも登場する。

蛙

 「蛙っ跳び」と「ウサギっ跳び」。人間がやる蛙っ跳びは蛙が動く様を真似したものだろう。一般には「ウサギっ跳び」と言うのだが、その様がよく似ているので、ここでは「蛙っ跳び」と置き換えさせて頂く。主にはスポーツの世界で足腰の鍛錬に使った。先輩後輩の間柄が厳しい運動部では何かのペナルティーとして、この蛙っ跳び、ウサギっ跳びを強いられるのだ。これがきついこと、きついこと。歯を食いしばってやったこともある。

ウサギ  
 これも今や昔の話。スポーツの世界でも完全に姿を消した。足腰の鍛錬のために良しとされたこの動作は筋肉運動によくないことが科学的に証明されたのだそうだ。科学とか、へんてこな理屈になぜか逆らう自分を時々、バカだなあ~と思うのだが、釈然としないと言うか、一抹の寂しさを覚えないでもない。




 理屈とか科学。全ての世界に必要だし、基本であることに違いない。特に究極を追求するアスリートにとっては絶対に無視できないことなのだろう。100分の1秒、1,000分の1秒を競う世界では当たり前のことだ。あらゆる無駄や障害を排除し、有効な能力の発揮を求める。またそうしなければアスリート足り得ないのである。


陸上

 ただ、この科学と根性の醸成は別問題のような気がするのだ。水泳や陸上などコンマ何秒を争うスポーツとは対照的なボクシングや相撲など、俗に≪ハングリースポーツ≫と言われる格闘技の世界。例えばだが、わが国の≪お家芸≫とまで言われたこれらのスポーツが、皮肉なことに、この≪科学≫が台頭し始めた頃と符節を合わせるように、どんどん地盤沈下した。いわゆる根性と言うものがスポーツの世界でも、ないがしろと言わないまでもおろそかにされた証のような気がしてならない。根底にあるのは科学万能、理屈の教育にあるのではないかとさえ思ったりする。

 
ボクシング
 極ありふれた日常生活の中で、足腰の筋肉を弱くしているなあ~と思うのが便座のトイレ。あれは確実に足の筋肉の退化に一役買っている。それが証拠に和式のトイレに入った時、座るのがえらいこと、えらいこと。ましてや立ち上がる時もだ。「歳のせいだよ」と言われてしまえば、それまでだが、毎日繰り返す当たり前の動作や習慣は、確実に人間の身体の機能を変えていく。科学とか物理を考えない蛙やウサギはいい。本当の逞しさはそちらの方にあるのかも。




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若い畳屋さんの夢

桜

 「風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせん」




 ご存知、忠臣蔵に登場する播州赤穂の藩主・浅野匠頭(守)の辞世の句だ。「三寒四温」というから、まだまだ寒さが完全に去ったとは言えないが、季節は初夏へ。だんだん日も長くなり、日差しもひと頃とは、確実に違う。



 浅野匠頭が辞世とした「風さそう 花よりもなお・・・」の「花」はもちろん桜。匠頭が殿中(江戸城)・松の廊下で高家筆頭・吉良上野介に刃傷に及び、即日、切腹させられたのは元禄十四年三月十五日。そんな桜の季節も過ぎてみれば、あっという間で、この辺りでも葉桜に変わった。


浅野
浅野匠頭

 松の廊下での刃傷は、公式行事の指南役でもある吉良上野介への賄賂が足りなかったことを良しとしなかった吉良の意地悪が原因、というのが物語の筋書き。賄賂政治。政治の世界は400年近く前の江戸のその頃も、今とそんなに変わらないらしい。




 物語に登場する吉良の意地悪は幾つもあるのだが、その一つに朝廷の勅使接待役に任ぜられた浅野に吉良が座敷の畳替えの慣習を教えなかった下りが。土壇場でそれに気付いた浅野家家臣は大慌て。江戸中の畳職人を駆り集め、一夜のうちに200畳もの畳を入れ替えてしまうのである。

 これも今風に言えば、会社思い、主思いの部下とその営業力、さらに、それを支える普段の人と人との交わりの大切さが。それにしても、この時代、寺社仏閣はもちろん、庶民の家もセレブの武家屋敷もみんな木造建築。当然のことながら大工さんも左官屋さんも畳屋さんも健在だったに違いない。


畳替え  


 わが国の住宅様式はガラリと変わった。木造に代わって鉄筋の建物が増え、木造にしてもモルタル式。少なくとも左官屋さんの出番は減った。家の中に入れば、和室が減ってフローリングの洋室に。畳屋さんだって飯の食い上げだ。職人さんは減る一方だから、いくら会社思いの社員がいたって一夜にしての畳200畳の入れ替えなど神業に等しい。


畳2

 我が家でも数年前、リフォームした折に、だだっ広い田舎家の畳の間をフローリングに変えた。残した畳の間は奥座敷と中座敷の2間だけ。合わせて20畳だが、その畳を入れ替えることにし、親しい友達に知り合いの畳屋さんを紹介してもらった。

 この畳屋さん、40歳そこそこのアイデアマンで新聞やテレビなどに時々登場する。システムエンジニアの仕事に後ろ髪を引かれながらも曽祖父の代から続く畳店を継いだ。1級畳技能士の資格も。



畳4    畳3

 「でも親父や祖父と同じやり方をしていたら、間違いなくこの商売は壊滅する。アイデアと工夫で、その機能や温もりなど魅力をアピールする一方、畳を新しい住宅様式に合わせて改良したり、お客さんや大工さんなど異業種の人達との双方向での情報交換もする」


タタミワールド
画像:「タタミワールド」HPから

 店の名前も「〇〇畳工務店」から「株式会社タタミワールド」に。インターネットのHP(http://www.tatami-world.com)も大工さんたちのHPとリンクするようにした。ドイツやフランスの若い大工さんとの研究グループも立ち上げた。日本の住宅文化と外国のそれを理解し合うための相互交流も始めている。斜陽産業にあえて帰ってきたこの若者の秘めた夢はでっかそう。ホテルや旅館の風呂場に畳が敷かれる時代でもある。

スリッパ
「タタミワールド」の い草スリッパを愛用しています。


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ジェネレーションの違い?

スポーツ

 「それホントの気持ち?」。ジェネレーションギャップだろうか。新聞やテレビで若いアスリート達が事も無げに言う「楽しむ」という言葉だ。さまざまなヒノキ舞台に挑む時はむろん、過酷な練習に対しても同じ言葉を使う。甲府市にあるスポーツジムのプールで泳いだ後、ジャグジン風呂に浸かりながら、そんな事が話題になった。




 陸上の競技や水泳競技・・・。さまざまな種目に挑むアスリート達。栄光の裏には日頃のたゆまぬ努力と過酷な鍛錬がある。マラソンのランナーは毎日、当たり前のように30㌔、40㌔、50㌔を走り込むし、水泳選手は7,000㍍、8,000㍍、日によっては10,000mをはるかに超える距離を泳ぐという。指導コーチの厳しい罵声にも耐える。


スポーツ2


 それを乗り越える精神力がなかったら、およそ世界のヒノキ舞台に立てっこないし、アスリート足り得ないのだろう。もちろん、その人が持つ先天的な能力もある。でも、本人の人並みはずれた努力と精進があることは誰にだって分かる。ヒノキ舞台に立つアスリートとは、それが出来た者達だけに与えられた特権だろう。そんなことは、これといった忍耐力もなければ、根性もない私にだって分かる。その次。勝つか負けるか、コンマ何秒、コンマ0何秒の世界に挑む人達の心の持ちようだ。監督や指導コーチから課せられた厳しい練習メニューもしかり。ましてや、世界選手権大会やオリンピックのようなビックな大会に挑む時、「楽しむ」なんていう心の余裕があるのだろうか。余計な詮索かもしれないが、「楽しむ」などという気持ちは押し殺されてしまうのではないかと素人は思ってしまう。


国旗

 ジャグジン風呂の中で、そんなたわいもない話をしたのは日曜日の昼下がりだった。平日なら男性だと私のような勤めをリタイアした人や家庭のご婦人達。しかし、日曜日とあって50代の現役もいた。たまたまだが、その50代氏は高校時代、水泳競技ではちょっと鳴らしたアスリート。自分ではそのことを一言も言わないが、幾つものタイトルをとり、記録を保持した。むかし取った杵柄。今もマスターズの水泳で活躍している。


プール

 「楽しむという言葉、私にもちょっと違和感がないわけでもありませんが、あれは案外、素直な言葉かもしれません。今の若者は、全てとは言いませんが、プレッシャーというものを、ひと頃の人のように感じないのです。見方を変えれば、プレッシャーに強いんです」




 この人はこんなことも話してくれた。




 「ある年代以前のアスリート達は例えば、国際大会に出る時、恐らく、みんなが日の丸、つまり日本の代表であることをいやが上にも背中に背負った。もちろん、今のアスリート達にそれがないというのではありません。でも、その一方で、アスリートの≪個≫が根付いてしまっているのではないでしょうか。自分を主張することが上手になってきています」


表彰台  

 そんな話を聞きながら昭和39年の東京オリンピックのマラソン銅メダリスト・円谷選手の後の自殺悲劇を思い出した。今の若者にはないプレッシャー以外の何ものでもなかった。今、2年後の東京五輪に向けてまっしぐら。アスリートの皆さん、存分に「楽しんで」…。日本人は目の見えるところでも、見えないところでも、どんどん変わっている。




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末は博士か大臣か

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 「末は博士か大臣か」。幼い頃、記憶力や読み書き、数字などにめっぽう詳しく、周りの大人たちをびっくりさせる子供がいる。そんな時に目を丸くする大人たちが多少のお世辞も込めて言う台詞だ。




 時々、テレビなどに登場してくる神童のような子供たちばかりでなく、巷にもそれに近い子供がいる。若い頃、そんな子供さんにお目にかかったことがある。いずれも知人の息子さんだが、その一人は当時、小学校に入って間もないくらいの歳。動物や植物に興味を持ち、恐らく、親から買い与えられたものだろう。分厚い動・植物図鑑を見て遊んでいるのだ。お父さんは新聞は〇〇新聞、テレビはNHKしか観ないという、ちょっと珍しい方だった。



図鑑


 こちらが面白がって質問してみると、立て板に水で答えが返ってくる。




 「おじさんねえ、それは亜熱帯植物で、原産地は〇〇。〇〇科の植物で、背丈は〇〇くらい。〇〇の頃、〇〇色の花を咲かせる。花言葉は〇〇と言うんだよ」





 その植物の原産地であれ、科目であれ、姿、形であれ、ものの見事に説明してくれる。動物だって同じだ。こちらに問いかける知識があるわけではないので、図鑑の後ろの方にある索引から、これなら分かるまい、と思えるような動・植物を挙げてみると、今度は・・・。


カメ   5   カエル


 「それねえ、〇〇ページに載っているよ」




 そこまで来ると、こちらも大人気なく、むきになりたくもなる。「〇〇は?」「〇〇は?」と矢継ぎ早に質問するのだが、「オジサン、大人のくせに知らないの?」と言わんばかりにニコニコしながら全問正解。


花1   花2   花3


 「こいつの頭の中には、この図鑑がそっくり入っているのか?」





 舌を巻く、と言う表現を通り過ぎて、可愛いはずの子供が咄嗟に憎らしくさえ見える。無知なオジサンのひがみ?そんなオジサンが言う言葉が「この子、末は博士か大臣ですよねえ・・・」




 これに対してお母さんは、まんざらでもなさそうに、こう言うのである。




 「外であまり遊ばず、この子、図鑑ばかり見ているんですよ。困ったものです・・・」




 こんな子もいた。その子は鉄道に興味を持ったのか東京の山手線はもちろん、東海道線、中央線など全国の国鉄(当時)や私鉄の駅名を、これまた立て板に水。そればかりではない。駅名の起こりやそこまでの運賃乗り継ぎ駅に至るまで説明してくれるのである。「この子、大人になったら鉄道博士ですねえ」。そのご両親の答えも、やはり同じだった。


電車


 「使用前」、「使用後」という言葉がある。漫談家の綾小路きみまろではないが、それから30年後、40年後。不思議なことに、その子たちは只の平凡な大人に。大臣でも博士でもなかった。

 

「そんなこと、ありましたかねえ。でもみんな忘れちゃいました」。

 


 子供の頃の優劣。大人になって逆になるケースが往々にして世の常?ガキ大将だったり、鼻たらし小僧だったりした子が社会的には活躍しているのだ。「末は博士か大臣か」。大人への、人生へのレールは子供だったある時期だけを基点に敷かれているものではないらしい。
子供
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草との戦いへの序奏

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 屋敷内、つまり我が家の周りにある1ha余りの畑の冬の草取りを一通り済ませた。冬のうちに生えた雑草は、夏時のそれと違って数倍も数十倍も根を張っているので始末が悪い。サラリーマンのなれの果ての«百姓もどき»には草の種類もレンゲぐらいしか判別出来ないが、この時期が故か種類は、それほど多くはない。




 この除草がこれから始まる雑草との戦いの序奏。冬場の草が根をたくさん蓄えるのは、言うまでもなく寒さと少ない水分に耐えるためで、管理機と呼ばれる除草機を駆使しても思うように枯れてくれない。夏場と違って弱い日差しが、それを後押ししてしまうのである。




 今年の気象は例年とちょっと違う。バカ陽気が続いたせいで甲府盆地は桜と桃、スモモなどが一斉に開花、桜は間もなく「葉桜」に移行する。四月第一週の土曜日に県都・甲府のど真ん中で催される信玄公まつり「甲州軍団出陣」も満開の桜の元ではなくて、桜吹雪が演出に一役買った。余談だが、この「甲州軍団出陣」は鎧武者行列の数でギネスブックに登録されている。1500人を超す軍勢に出陣の下知を下す今年の信玄公役は俳優の渡辺大。県の内外から詰めかけた見物客は、壮大に繰り広げる戦国絵巻に拍手喝采するのだ。


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信玄公祭り:朝日新聞デジタル


 果樹農家は、そんな優雅な戦国絵巻に酔いしれている訳にはいかない。特に桃を栽培している農家。例年だと桜の開花と一週間以上のタイムラグがあるのだが、バカ陽気はそれを一緒にさせてしまったばかりか、開花期間も短縮した。スモモも同じだが、モモは人工授粉が欠かせない。バカ陽気のせいで開花している期間が短いので農家はてんてこ舞い。そればかりか、受粉のための花粉取りが間に合わないのだ。




 人工授粉をしなかったら結実しないのである。花粉取りは摘花と合わせて行う。分かり易く言えば、人工授粉の花粉は摘花した花から採取するのだ。花が散ってしまえば、人工授粉はおろか、肝心の花粉さえ採取出来ないのである。「アルバイトを増員して、なんとか間に合わせた」。1haを超す桃園を耕作する農家の主は、ホッとしたように話してくれた。




 バカ陽気とは言え、大きな意味では、季節の移ろいは正直だ。カエデ、カシ、カリン…。つい先ごろまで枯れ木同然だった落葉樹は新緑を蓄え始めた。春というよりは初夏の風に吹かれてハラハラと舞う桜の花びらの下では黄色い水仙の花が。常緑の椿は真っ赤な大きな花を。ツツジもボツボツと花を咲かせている。いずれも今年は開花が早い。サツキは一か月遅れだ。椿とは不思議な花で、桜やモモ、スモモのように「ハラハラ」散るという形容はし難い花。時季が来ると丸ごと落下するのだ。「首が落ちる」と言って病気見舞いには敬遠される花でもある。
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 椿は樹や葉っぱがみんな同じようでも付ける花はさまざま。真っ赤な大輪もあれば、淡いピンクもある。カエデも一口にカエデと言っても付ける葉っぱは、これまた様々。緑色のものもあれば、赤いもの、深紅に近いものや黄色いものも。文字に表せないほど、まさに多様だ。今はどの色も淡い。若葉である。




 中には「紅葉する」秋までに七変化を遂げるものもある。初夏から夏,秋にかけて黄色を順次、変化させる種類で、中には様態を変えて枝垂れるものも。一口に「カエデ」などと言いきれない味わいがある。カエデとは変わった樹木で、種類によっては春の芽吹きから「紅葉」するのだ。

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タバコは不思議な商品

タバコ 

 タバコを吸う人間は今や、悪者。悪者といわないまでも嫌われ者で、肩身の狭い存在であることは間違いない。電車や飛行機ばかりではない。レストランに行っても、ホテルに行っても、みんな禁煙。会社、官庁のオフィスにも灰皿がない。私達、田舎の公会堂や公民館などの集会施設もダメ。家に帰れば、かみさんや娘が嫌な顔をする。



 「俺達、喫煙家は一体どうすればいいんだ」



 頭に来て文句の一つも言いたくなる。確かに嫌煙権はある。でも喫煙権だってあるはずだ。麻雀をしていても親しい仲間でさえ、タバコを吸うと嫌な顔をする。ついこの間まで同じようにタバコを吸っていた者までもだから釈然としない。それが分からないわけでもない。タバコを吸う人間でも一旦、部屋の外に出て、その部屋に戻ると臭いこと臭いこと。タバコの臭いが部屋中を蹂躙しているのである。その瞬間は嫌煙者の気持ちが分かり過ぎるほど分かる。でも・・・。


空港  
 


 喫煙家の私が言いようのない、わびしさを覚えるのが外国旅行の時。飛行機に乗ってしまえば吸えないから、搭乗前に喫煙所を探すのだ。確かにどこかにはある。やっと見つけてホッとする思いで中へ。いる、いる。同じような仲間が。そのスペースは畳の大きさにすれば4畳半か6畳足らず。みんな「吸わなければ損」と言わんばかりに黙々とタバコをすっている。自分もその一人のくせに、不思議にもそんな人達がバカに見えるのだ。相手側もみんな、そう思っているのだろう。何ともいえない不思議な光景なのだ。



喫煙室

 

 成田空港。不思議な光景はまだある。煙でモーモーとした喫煙室の壁に設けられたテレビからは、エンドレスでタバコのコマーシャルが。マイルドセブンを初めとした国産タバコやケントなど外国タバコのコマーシャルが次々と流れて来る。そればかりではない。「タバコの起源はマヤ文明の昔から・・・」。タバコの起こりやタバコと人間の関わりまで解説しているのである。

 

  マヤ絵文書

マヤの絵文書「タバコを吸う神」
画像:JT

 これもビジネス、転んでも只では起きない商業魂と言ってしまえばそれまでだが、飛ばす飛行機はもちろん、とてつもなく広い空港構内からタバコを締め出そうとしている割には、なんとも歯切れが悪い。タバコをお吸いにならない方は、こんな所に来ないし、第一関心もないだろうからいいが、もし、こんなことを小難しい嫌煙家が知ったら目くじらを立てるに違いない。

タバコCM      CM       


 私もついついやってしまうのだが、日本人はくわえタバコや歩きながらのタバコも平気。自分の車の中だからと言ってしまえばそれまでだが、くわえタバコでハンドルを握る若い女性だって珍しくない。こと、タバコに限って言えば、日本人ほどマナーの悪い国民はいない。昨年、数日間の韓国行きと約一ヶ月間のアメリカ旅行をしたが、そんな光景は一度も見なかった。「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます…」。どのタバコの箱にもこんな注意書きが。喫煙者もそれを知っている。世の中、商品と名の付くものは無数にある。しかし「健康に悪い」と言って売っている商品は一つもない。不思議な商品だ。




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我が家の金庫と実権

札束


 組織お金があれば動くという。特に役所にあっては、人や金を扱う部署は目に見えない力を持つ。今は財務省だが、かつての大蔵省もその一つ。政治の世界にあっても権力者といわれる人達は、この二つを備え持っている。「政治とカネ」で、度々、渦中に入るどこかの国のボスもそうだ。どこで貯めたか知らないが、庶民にはおよそ縁遠い何億円ものお金を事も無げに右から左に動かし、何十億円もの資産を持って権力を振るう。そんな話を年中、聞かされていると、本当は縁遠いはずの私達庶民も、へえ~、と思うくらいでびっくりしなくなるから不思議だ。




 大蔵大臣。この言葉は家庭やグループなど市井では財布を握る人のことを総称する代名詞に使う。今はその大蔵省がなくなって財務省になってしまったから、この「大蔵大臣」は「財務大臣」に置き換えられるのだろうが、やっぱり「財務大臣」ではピーンとこない。同じように文部省唱歌もそうだ。文部科学省唱歌と置き換えるのだろう。


財務省
財務省

 そんな、らちもない話はどっちでもいい。我が家ではやっぱり「財務大臣」ではなく「大蔵大臣」。「総理・代表」は痩せても枯れても私だが、「大蔵大臣」ポストはかみさん。我が家の金庫、金庫などと言えるたいそうなものではないが、薄っぺらにしても財布は完全にかみさんに握られた。どこかのボスとは比べようもないし、一緒にしたら「このバカ」と言われるのがオチだ。小さいながらもカネを握ると、かみさんの権力は絶大になる。今年1月25日で結婚48年になった。もはや「総理大臣」とは名ばかりで、我が家では政権を乗っ取られたに等しい。でもそれでいいと思っている。奪還しようなどと思っていない。


お金

 かみさんに財布を委ねて久しい。考えてみれば、サラリーの支給が給料袋から銀行振り込みに変わった頃と時節が符合する。薄っぺらにしたって給料袋をポンと差し出す亭主の私にも、それなりの自負と大局観があったし、受け取る側の女房だって少なからず、ありがたさを感じたに違いない。


財布

 ところが、この給料が目に見えないところで銀行口座に入ってしまえば、話は別。本当に汗水たらして稼ぐ亭主の存在は薄らいでいくのだ。子供だって頭では分かっていても学費や小遣いを直接貰うのはお母さん。いつの間にか≪交渉相手≫は違ってくる。家庭という小さな社会でもお金は人の心を動かすのだ。ひがみでも愚痴でもない。私の場合、給料袋の時代から女房にポンと渡してきた。それが私の哲学だった。つまり、お金の管理は≪大蔵大臣≫に全権委譲。その代わり≪総理≫が使うお金は問答無用。時には≪機密費≫も。もちろん支出伝票なんか必要ない。≪大蔵大臣≫にしてみれば、腑に落ちないと思うこともあっただろうが渋々出して来た。吹けば飛ぶような我が家の金庫。どう扱おうが、私は干渉しないことに。こんなお金の動きも本質的には、どこかとあんまり変わらないかも。




 お金はその社会が大きかろうが小さかろうが、確実に何らかの影響をもたらす。良くも悪くも人をも動かすのだ。当然そのお金を動かしているのも人間。うちのかみさん、その両方をいつの間にか握った。形式的にはナンバー2だが、今や主のような顔をしている。これもどこかのボスたちと同じ・・・?




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小学校の同級会

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 人数こそ少ないが、懐かしい友が顔を揃えた。小学校の同級会である。卒業は昭和30年の春。今はみんな75歳に。世に言う「後期高齢者」になった。机を共にしたクラスメイトは35人。うち集まったのは10人を僅かに割った。数が少ないようだが、実を言うと、35人のうち、9人は既に鬼籍に入り、さらに消息が分からない人もいる。総じて足腰すら弱り始めたこの年齢にしては、まずまずの出席率としておこう。




 私たちが生まれたのは昭和17年の遅生まれと18年の早生まれ。いわゆる戦争真っただ中であった。戦禍を免れ、何人かの疎開組も。そんな仲間たちは卒業を境に、それぞれの«故郷»に帰って行った。卒業を待たずに帰った人もいる。残る仲間は、中学校までは一緒。その後は進路を分け、特に女性は、やがては嫁いで姓や生活の舞台を変えた。みんな散り散りになり、男女を問わず、今も地域に残っているのは僅かに5人。遠くは福岡や香川にいる人も。近隣の市が多いが、東京、埼玉、神奈川、長野など近県在住者も目立つ。




 同級会は何年ぶりだろう。最初は卒業の数年後。まだボコ(子供)の頃で、二度目は35年ぐらい前。その次が10年ぐらい前であったように記憶している。回を重ねる毎に出席者は減少するのは当然か。いずれにしても、みんな久しぶりの再会であった。男性は頭に白いものをいただき、その白いものすらなくそうとしている人も。それぞれが見るからに、いい歳を取った。


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 「戦中」という言葉が代弁するように幼少期は食べるものにも、着るものにも事欠く時代であった。戦後とはいえ、入学時もその延長線上に。やがて日本は復興への槌音を強めて行くのだが、小学中学年までは、まだ「配給物資」などと言う言葉が生きていた。クラスに3~4足の短靴が配給になり、くじ引きで分け合ったこともある。短靴と言えば聞こえはいいが、今考えれば、古い長靴の上部を切り取ったような粗末なものであった。




 女の子の髪の毛には、シラミ(虱)は当たり前。水質しかり、日常の衛生状態が悪かったので男女を問わず、お腹の中に回虫が寄生するのは、これまた当たり前であった。保育園、幼稚園もなかった。小学校でも今のような給食制度はなく、みんな弁当を持って行くのだ。米の「供出」が残っていた時代で、弁当は麦飯。母親は窯の中で上に浮いた麦の部分を出来るだけよけて弁当を作ってくれたものだ。テレビが放送を開始したのが28年。むろん画面が波打つモノクロ。もちろん電話も含め一般家庭にあるはずがない。そんな社会環境であった。


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 同級会の会場となった甲府・湯村温泉郷の甲府富士屋ホテル。宴席にくつろいだ仲間たちは、それぞれの「今」はむろん、そんな昔を偲んで話題は尽きなかった。人間とは不思議で、「その時」が貧しかったり、苦しかったりすればするほど、記憶が鮮明で、それ自体が懐かしさを増幅し、力強さ・不屈の精神に代わるのである。起業し、大きな会社を作り上げた男もいれば、地域でも名だたる篤農家も。郵政業務に貢献、叙勲を受けた者もいる。




 いじめっ子もいれば、いじめられっ子もいた。そんな小学校時代の「あの日あの時」がみんな良き思い出。参会した仲間たちは、子供の頃にタイムスリップ。夜の更けるのも忘れていた。1年生から6年までの担任教師は4人。いずれもすでにこの世を去った。一足先に逝った9人の仲間と共に黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りしたことは言うまでもない。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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