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教えるもの?盗むもの?

刺繍展示



 上海から車で小一時間。江蘇省は蘇州市の市街地の一角にある刺繍研究所を訪ねた時、「なるほど・・・」と頷く半面で、なんともいえない違和感を覚えたものだ。作業机を並べ、職場を共にする職人さんがすべて刺繍の裏側を覆面にしているのである。この研究所は私達のような観光客、しかも内外不特定多数の人たちに買い物を前提に見学を許しているのだから、当然のことながら、その道の専門家も虎視眈々と見に来るだろう。伝統の裏技をみすみす盗まれるようなヘマはしまい。


刺繍1



 伝統は守ってこそ伝統。特殊な技術や裏技は守り育ててこそ値打ちがある。そのこと自体は私のような盆暗でも分かる。でもここでは≪職場≫の同僚同士でさえ、その技術を教え合わない。両面刺繍の裏面でのテクニックを外部に漏らさないばかりか、親しい仕事上の仲間にも秘密だという。両面刺繍だから表から差した糸は裏で恐らく特殊なテクニックを施して、また表に返す。これが糸かと思うほど極細の糸を使っての気が遠くなるような連続作業なのだ。




 表側の作業を見る限り、≪気が遠くなる連続作業≫の匠の技を百歩譲って「へえ~」と驚き、賞賛する程度に収めたとしても、気懸かりなのは同時に行なっている裏面での作業。それぞれの職人さんたちが大きな布で覆い隠しているので、まさしく≪裏技≫は誰にも見えない。裏面で糸を返す時に施すテクニックは匠一人一人の固有の財産なのだろう。その技は単なる裏技ではなく、匠たちの修練がもたらす知恵の結集であることだけは容易に想像出来る。


刺繍展示2


 陶芸、彫刻、漆工芸、錬金、宝飾・・・。日本にも伝統工芸といわれるものはいっぱいある。むしろ、繊細な技術に長けた日本人だからこそ、世界的に見ても、その種類や、それに携わる匠の数は多いのだろう。しばしばテレビや雑誌に登場して、その人生を語る匠たち。そこには、それぞれの道を極めたり、極めつつある人達のなんとも表現の仕様がない風格と自信に満ちた顔がある。




 匠とは言わないまでも、おしなべて職人と言われる人達は「仕事は教わるものではなく盗むもの」と、よく言う。「盗む」という言葉がよくないとすれば、優れた技をいかにして自分のものにするかの貪欲さだ。「技を盗め」の反対語は「手取り足取り教える」。生産性を追い求めたり、何事においても忙しい現代社会にあっても、およそ匠とか職人と言われる人達は「手取り足取り」の教え方はしない。


刺繍2


 どんな仕事でもそうかも知れない。「手取り足取り」教わったとしても肝心の教わる側がそれへの意欲がなかったら結局は元の木阿弥。その逆に意欲ある者はその仕事や技術を「盗む」こともする。これも何の事はない。意欲がないものにいくら教えたって所詮はダメ。時間がゆったり流れていようが、いまいが匠や職人の技は技術や知識への貪欲さに源があるのだろう。「手取り足取り」の教育ママ、教育パパは増える一方。そこで無理やり教えたものは≪本物≫にはならない。いつの世も本物の技や知識は貪欲に盗むものかもしれない。




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刺繍の神業

刺繍2


 透き通るように薄い絹地に表側にはダイアナ妃裏側にはチャールス皇太子。パンダやトラの両面刺繍ならまだしも、男と女、顔形も全く違うお二人の顔を両面刺繍するこの技。どう考えても分からない。表と裏側が反対の図柄になるだけのパンダやトラの刺繍ならともかく、全く違う絵を両面で刺繍するのだから、神業以上の神業。不思議を通り過ぎて、キツネにでもつままれたような気持ちになった。




 中国は江蘇省蘇州市の中心街の一角にある刺繍研究所。そのたたずまいは一見、どなたかのお屋敷といった感じ。広い敷地にある幾つもの建物は回廊で繋がっている。もちろん中国風の古めかしい建物で、一階はそれぞれが製品の展示コーナー。二階が主に刺繍の作業場になっていた。二階で作った作品を一階に展示、販売もしてくれる。その値札を見てびっくり。日本円に換算して数万円のものもあれば、数十万円、数百万円、さらに何層もの屏風に描かれた刺繍の置物には一千万円単位の値札が付いていた。




 それもそのはず。一枚の刺繍を仕上げるのに一年も二年も、もっと時間をかけるものだってあるのだという。例えば、パンダやトラ一匹を描くにしても、その毛一本一本を、しかも、その部位に合わせて太さが微妙に違う糸を巧に操りながら一針、一針刺繍していくのである。私のようなズボラな人間なら、まっぴら御免。まさに気の遠くなるような仕事だ。かつて何人かの中国の友人に刺繍のお土産を頂いた。全く何気なく貰っていたが、「あれは、高価なものだったんだなあ~」と、改めて心の中で申し訳なく思った。


刺繍



 二階の広い作業場には、大きな作業台ともいえる机が両方の窓側に並び、職人さんが同一の方向に向かって座り、糸と針を操っていた。職人さんはいずれも女性。不思議なことにどの作業部屋にも男性は一人もいなかった。年恰好は30代から60代くらいまで幅広い。中には、見習いだろうか、20代の若い女性の姿も。刺繍は中国の伝統工芸。片や「水の都」でもある蘇州は刺繍のメッカなのだ。刺繍研究所は古くからの蘇州の象徴であり、誇りでもあるのだろう。


猫の刺繍



 パンダやトラなどさまざまな動物、牡丹や蓮の花、湖や太古の山をあしらった風景・・・。中国の南部、桂林に見る水墨画のようなものもある。職人さんたちは、それぞれが作業台の脇に図案の絵を置き、一針、一針、作業を進めていくのだ。原寸大の図案を見ながら人間の髪の毛よりもまだ細い糸で絹地のキャンパスを埋めていくのだから気の遠くなるような時間と経費がかかるのも当然。その動きは実にのんびりしていて、時にはケイタイでなにやら話している。どの作業部屋にもゆったりした空気が流れていた。


刺繍3



 そんな作業部屋にも極めてシビアな光景が。どの職人さんも自分の刺繍の裏側は見せないのだ。針を刺す裏側での技を隠すように布切れで覆い、そのテクニックを覆面にしているのである。マツタケ採りの名人がその狩場を我が子にも教えないといわれるように、この人たちも、その技はマル秘。ダイアナ妃とチャールス皇太子の両面刺繍も開発者のマル秘中のマル秘。伝統工芸はそうして守られ、後世に伝わっていくのだろう。




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日本人の通り道

  獣道。文字の通り、鹿や熊など獣が通る道だ。山を歩いたことがおありの方なら、そんな「道」に出っくわしたことがおありだろう。人間ばかりでなく、獣だって習慣的に通る道があるのだ。今は女房からでさえ「メタボ人間」と蔑まれるわが身では、山登りどころか、ハイキングに毛が生えた程度の山菜採りだっておぼつかないのだから、そんな道に遭遇するはずがない。今は昔、そんなメタボ人間にだって、スリムで山を自在に飛び回った頃もあったのだ。


乙女高原2



  藪を縫い、曲がりくねりながら伸びる細い道。恐らく、人間には計り知れない動物達の悲喜こもごもの「ホームグラウンド」であり、「生活道路」の証なのだろう。その道のどこかに鹿や熊の親子が・・・。そんな思いを巡らすと、何故か少年のような夢の世界にも、いざなってくれる。毎年夏、ボランティアでユネスコの国際子供キャンプを率いて山梨、埼玉の県境にまたがる奥秩父連峰の乙女高原に行くのだが、あっちこっちに散らばる鹿やウサギの糞に出っくわした時、そこを飛び歩いていた野生動物の姿が頭に浮かぶ。そんな瞬間は結構楽しいものだ。このGW中も、その下見で登った山で何度も出会った。


乙女高原
乙女高原


 人間の通る道を獣道と一緒にしたら叱られるかもしれないが、人間にもそんな道があるような気がするのだ。外国旅行、特にツアー旅行の時である。ハワイであれ、イギリス、フランス、スペイン、イタリアであれ、日本人が歩く道は大なり小なり同じ。その昔、「ノーキョーさん」と揶揄された「旗」を立てての旅行はさすがに姿を消したものの、時代と共に変わる人気スポットは、ツアーを仕組む旅行社が違っても、そんなに変わるものではないらしい。私達はそのことに案外気付かないのだ。

旅行
コロンビアで


 いるいる。どこに行っても日本人に出っくわす。むろん相手側もそう思っているのだろう。二月、三月の春先には、卒業旅行と称した学生さん達、また一年を通しておばさんたちのグループが目立つ。新婚旅行らしい若いカップルだって少なくない。行く先々で日本人に会うものだから、とてつもなく沢山の日本人が外国のあっちこっちを歩いているような錯覚に陥るのだ。




 よく考えてみたら、何の事はない。成田や関空を毎日同じ時間に飛び立ち、同じような観光スポットを歩いているのだから、やたらと日本人に会うのは当たり前。会わない方がおかしいのだ。野生動物の獣道ならぬ人間達の旅行道を歩いているのに過ぎないのである。恐らく飛行機、一機か二機分に過ぎないお客の数だろう。



クルーズ


 それが証拠に、日本のツアーを外れて旅行してみたら、不思議と思えるほど日本人とは出っくわさない。何年か前のアメリカ旅行(大西洋―パナマー太平洋クルーズや、中国旅行(上海、蘇州)では、まったくと言うほど日本人の顔を見なかった。ちょっぴり孤独感を味わわないでもないが、広い外国、それが当たり前だ。出発時間、朝食、荷物出しの時間に到るまで、時間に縛られた旅行はもううんざり。これからは獣道ならぬ旅行道から外れた気ままの旅の方がいい。




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饅頭「小龍包」の味

小龍包  


 餃子でもない。饅頭でもない。ましてやシューマイでもない。「小龍包」というのだそうだ。ミンチにした海老肉と牛肉を具に、餃子のように小麦粉の皮で包んだ食べ物。餃子と違って細長くはなく、丸く絞り込んだ、いわば≪餃子饅頭≫といった感じである。それを酢と千切りにスライスした生姜でいただくのだ。



 上海の中心街に程近い「豫園」の前にある「南翔饅頭店」が「小龍包」を食べさせる最も人気のレストランだそうで、昼飯時を過ぎて、もう2時近いというのに、この「小龍包」目当てのお客さんが列を成していた。日本からの≪おのぼりさん≫の私達夫婦もそこを訪ねた。この豫園界隈は19世紀半ばまで街の中心だった。


店の前で
店の前で


 洋館が並ぶエリアとは違って純中国風の一帯は東京で言えばさしずめ浅草。浅草が浅草寺を中心とした繁華街とすれば、ここは庭園の「豫園」を中心に下町の賑わいを構成している。浅草寺の参道である直線の仲見世通りと、その肋骨のような出店の通り、そこに繋がる六区の歓楽街。そんなイメージとはちょっと異なるが、直線だったり、鍵型だったりする狭い街路の両側には中国風の立派なレストランやお土産物屋さんが並ぶ。その一角には,かつて訪中したクリントン元米国務長官が昼食を摂ったというレストラン「緑波廊」も。



緑波廊        緑波廊2
≪緑波廊


 庭園の「豫園」の広さは別にして、お土産物や飲食店街は浅草ほど広くはないが、華やかさが凝縮されている。たまたま、この日は雨だったが、一帯は人、人、人。上海に来る中国の観光客は、一度は訪れるという名所とあって連日、人の波は絶えないのだそうだ。



 もちろん、「小龍包」を食べさせてくれるのは「南翔饅頭店」だけではない。この店の人気の秘密は海老肉と牛肉の具が醸し出す味もさることながら、その具と皮の間に入った肉汁のなんともいえないジューシーさにあるという。女、子供にはちょっと大き目かもしれないが、一口大の大きさだから食べ易い。まず皮と具の間にある肉汁を吸ってから食べるのが美味しく戴くコツだという。


食事


 テーブルには酢と生姜のスライスが入った白い小皿と一緒に、蒸篭(せいろ)に入った「小龍包」が出てくる。注文の数だけ積み上げた蒸篭の中には15~6個が無造作に並んでいる。この蒸篭一枚分、つまり15~6個食べれば、大抵の人なら満腹になる。円形の蒸篭は木製。もちろん簾のように編んである下敷きも木だ。最近、私達一般家庭では見かけなくなったが、日本の蒸篭と全く同じ。そんなことを言ったら叱られる。元祖は中国だ。


小龍包2


 コスト上の問題なのか、日本では金物の蒸し器に変わっているが、この木製の蒸篭は、極めて理論的、合理的に出来ているのだという。蒸気を蒸篭の木が吸うので、内側に水滴を作らないのだそうだ。古(いにしえ)に考えられたものだろうが、人間が生活の中で生み出した知恵はすごい。レストランの一角では「小龍包」の実演コーナーも。客席側からガラス張りの窓越しに見える厨房では何人ものコックさんが手の平で丸めた具を白い皮で手際よく丸く包む。その手つきは、餃子を作る時のそれと全く同じ。何故か先頃、この国(河北省)で起きた餃子事件が頭を掠めた。



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四川料理と中国酒

料理2
つけ麺


 辛い。何を食べても辛い。口から火を吹きそうだ。東京でも何度か四川料理を食べたことがあるが、そんなものではない。東京でのそれは恐らく、日本人向けに多少のアレンジをしていてくれるのだろう。上海で食べた本物の四川料理の辛さは半端ではなかった




 こんどの中国行きのきっかけをつくり、案内役を買って出てくれた友人ご夫妻は、上海中心街にある四川料理の専門店に連れて行ってくれた。四川料理のディナーを堪能しながら、このレストランが演出する「変面」を楽しもう、という試みをしてくれた。腕時計は現地時間で午後7時半を廻っていた。広いフロアーの予約席はいつの間にか埋まり、私達のテーブルにも次々とコース料理が運ばれて来る。少し離れた隣のテーブルには、私達の黒髪と違って金髪の欧米人らしいご夫婦が。「ワンダフル」「ワンダフル」。


舞台3



 ウェイトレスが運んでくる料理は、「当たり前だよ」と言われるかもしれないが、山梨の片田舎で食べる「中国料理」とは違う。そういっては失礼だが、見た目、その味わいもさることながら、そこに使われる油との絡みがシンプルに感じた。中国料理特有の、あの脂っこさがないのだ。老酒やマオタイの年代物と言われる古酒を飲みながら戴くのだが、これがうまい。でも辛い。メニューによってはみじん切りに散らばる唐辛子を避けながら頂くのだが、やっぱり辛い。そう言いながらも箸が進むから不思議だ。



料理

 勢い、老酒やマオタイ酒の杯も進む。日本では老酒と言えば「紹興酒」が有名。むしろ老酒と言うより「紹興酒」として一人歩きしているのだ。フランスのシャンパン地方で作られるから「シャンパン」と言うように中国の紹興(浙江省)で作られるから「紹興酒」と言うのだが、私なんか、いつの間にか老酒の総称のように使ってしまうことが多い。「スパークリング・ワイン」にしても日本では「シャンパン」の名が通っているので、どこのスパークルング・ワインでも「シャンパン」と呼んでしまうのと同じ。それほど日本では「紹興酒」がポピュラーなのだ。




 マオタイ酒も喉越しといい、胃袋に落ちるまでのあの響きがいい。上等の酒はやっぱりうまい。ロシアのウオッカ、アメリカや南米のテキーラやアブサン、バーボンウィスキーも時々飲むが、これとはまた味わいが違う。今ではそんな馬鹿なことはしないし、出来ないが、若い頃は調子に乗ってというか、粋がって、そんな酒を飲んでみたが、今では頭で知らず知らずにブレーキをかけている。今、家にも何本かのそれがあるが「客人用」。田舎家のリフォームの折に作ったセラーに眠ったままだ。

料理3



 老酒は日本酒とほぼ変わらないアルコール度数だが、マオタイ酒は別格。ロシアのウオッカと同じように脂っこい食の習慣があるからいいのだろう。刺身、酢の物に限らないまでも精進料理のような料理を基調にした日本料理には似合わないのかもしれない。中国料理にせよ、日本料理にせよ、うまい料理を食べ、うまい酒を飲む。人間、これこそ至福の時だ。酒好きの仲間・元郵便局長にも飲ませてあげたいと思った。ただ、そんな中国にあっても、やっぱり日本酒が・・。「日本酒はないの?」と、つい言葉を掛けそうになった。




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生活改善の不合理

 昔、生活改善という言葉があった。日常生活をいろいろな意味で合理化していこうというものだから、まったく結構なことで、未来永劫、その改善はあっていい。むしろ、何時の時代にあっても人々が暮らし易くする工夫は怠ってはいけない。しかし、ここで言う生活改善は、ちょっと違った。暮らしのパターン、特にお金、つまり経費を伴うものに、ことごとく規制をかけてしまうのである。それを今に引きずっているものも多い。


お金



 例えば、祝儀、不祝儀、病気見舞いの金額を決めたがるのだ。その殺し文句、口実は決まって「生活改善」。同じ地区内でも人は付き合いの程度、深さはみんな違うし、過去からの流れも違う。心の中ではみんな一抹の戸惑いを感ずるのだが、何事も「華美に陥らないように」という表向きの精神に反論する余地はない。




 この辺りまでだったらまだいい。地域によっては葬儀の場合の生花を飾る習慣にまでブレーキをかける地域も。お葬式は隣組を中心に運営されるが、施主のお付き合いの範囲は、当然のことながら、その地域にとどまらず、広範囲にわたる。そんな「生活改善運動」を知るよしもない相手側は弔意の印としての生花を届けてくる。さて困ってしまうのが施主側。「地域の約束事だから・・・」と、その生花をそのまま処分してもらったという笑うに笑えないような話さえあった。その量は沢山で、当然のことながら関係者に平身低頭したばかりか、かなりの経費を伴ったことは言うまでもない。


鯉のぼり


 こんなケースも。かなり前の話だが、山梨県の八ヶ岳山麓にある九つの町や村の町村長会は端午の節句にお目見えする鯉のぼり武者のぼりの掲揚自粛を決めてしまった。もちろん「住民の声」を踏まえた「生活改善運動」の一環。「みんなが競い合うようになってはいけない」というのだ。その時から、この地域から鯉のぼりや武者のぼりが消えた。



鯉のぼり2

 「これって、本当に生活改善なの?」



 「俺、そんなに経済的にゆとりがあるわけじゃあないんだが、可愛い初孫のために鯉のぼりや武者のぼりを立ててやりてえんだよなあ~」



 当然のことのようにそんな声が出た。


鯉のぼり3



 〇〇運動。そこには必ず、それなりの提案者がいる。その提案にはそれなりの社会性をはらんだり、一見共鳴できそうな理屈がある。こと「生活改善運動」提案の背景には「みんなでやれば怖くない」といった日本人特有というか、人間の性があるのだ。例に挙げた祝儀、不祝儀、お見舞いの金額規制にしても、鯉のぼりや武者のぼりの掲揚自粛にしても、それを出来るだけ出したくなかったり、したくなかったりする人の思惑が見え隠れする。「思い思いでいいじゃないか」という声の一方で「思いやり?」の大儀が優先するのだ




 みんなを同じにする。かつての小学校や中学校の制服の起こりも同じ。さすがに今は少なくなったが、県や各種団体が外国に使節団を派遣する場合、決まって揃いのブレザーやネクタイを作った。「みんな同じに・・・」。日本は総じて豊かな国になったという。でも、あっちこっちで貧しかった時代の影を引きずって歩いている?




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変面と雑技団

  辛いが、うまい四川料理で腹を満たし、古酒の老酒やマオタイ酒で、いい気分になった頃を、まるで見計らってくれたかのように、どこからともなく拍手が。周りを見たら、それに促されるように、また一斉に拍手が沸いた。上海の中心部にある四川料理専門のレストラン。ディナーショーの開幕だった。

舞台



 20以上もあろう大きなテーブル席がある一階フロアーは、二階まで吹き抜けになっていて、その二階部分の正面には日本の神楽殿にも似た突き出しのステージが。そこからも両側に二階部分の客席が正面の階段まで延びている。歌舞伎座の花道が櫓になって二階に上がったような形。もちろんその部分にも客席がある。どこからともなく京劇の隈取のような面(マスク)をつけ、派手な中国の古典衣装をまとった役者が現れた。ショーの始まりである。


舞台2


 その役者はステージで激しく踊り、動く。面を次々に取り替えながら顔を七変化させるのだ。面(マスク)の取替えは、まさに一瞬の早業変面は中央のステージから左右の花道よろしく客席を飛び回り、正面の階段から一階フロアーへも。お客さんへのサービスだろう。その間にも刻々と面を変えてゆく。アッと言う間の早業だから、どんな仕掛けがあるのかも分からない。食事を終えたばかりのお客はステージに向かって中央の階段付近からカメラのシャッターをパチ、パチ。みんなデジカメだ。

観客



 変面は四川省の伝統芸能「京劇」に対して「川劇」と言われる芸能の一部。正確には「変臉」(へんれん)と言うのだそうだ。役者が顔に手を当てると一瞬に「臉譜」(れんぷ)と呼ばれる仮面が変わる。布の仮面をつけていると言われているが、その技と仕組みは「一子相伝」の秘密。中国では第一級の国家秘密として今なお守られている。変面の技術は特定の男子にしか受け継がれないのだそうだ。


舞台3    変面


 京劇、川劇は言うまでもなく中国の古典芸能。京劇は、あの文化大革命にさらされ、ひと頃、その存在すら危ぶまれた。しかし立派に復活。中国を代表する伝統芸能として今に伝えている。日本でも度々公演されるので、馴染みは深い。一方、これも馴染み深い雑技団のショーも見せていただいた。言ってみれば、こちらはアクロバット・ショーだ。




 やはり上海の中心街にある一流ホテルに隣接したシアターは、1,500はあろう客席がほぼ満席。ツアー客が多く、見るからに欧米人と見られるお客さんも目立つ。たまたまかもしれないが、日本人の姿はほとんどなかった。椅子をステージの天井まで積み重ねながら何人もが斜めに倒立してゆくアクロバットをはじめ、天井から垂れ下がる白い帯にぶら下がって宙を舞うさまざまな演技、蛇のように柔らかい身体を自在に操ってのグラスのショー・・・。日本でも時々、上演される上海雑技団の妙技である。




 若い男女が入れ替わり、立ち代り、2時間半、スリル満点のアクロバット・ショーを繰り広げるのである。ステージ照明も見事。幻想的なドラマに仕立てたプログラムもあって観客は最後まで拍手喝さいだった。変面。雑技団。中国の伝統技の深さを見た。




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中国の変化

虎丘     虎丘2
蘇州・虎丘


 その昔、長安といい、国の都があった西安はおろか、今はその国の首都・北京でさえ、道路という道路は、わずかな中心を除けば、ほんのわずかな車が走るだけで土煙を上げていた。2回にわたってそこを訪れた30年ぐらい前のことだ。北京空港に降り立ち、ひとたび北京の中心部に向かう道路も、その周辺も真っ暗。それどころか、国の玄関口であるはずの北京空港も薄暗く、私達日本人の目には不気味に映ったものだ。


虎丘で
虎丘で


 上海や、ましてや蘇州だって同じ。その時、私達の目に「へえ~」と思わせたのは、上海にあっては黄浦江に面した所に広がる「租界地」だった。周囲の環境をよそに黄浦江の対岸にそびえる古めかしいビル群が異様に映ったものだ。イギリスやフランス、アメリカ・・・。日本の租界地もあった。今回は租界地の対岸ではなく、その租界地側から反対側を見たのだが、その対岸には20数年前に見た租界地より、もっとびっくりするような高層ビルやタワーがそびえていた。


租界地


 今や開発が目覚しい対岸を望む租界地側の方が観光スポットに取って代わったようで、午前9時を過ぎたばかりなのに大勢の観光客で賑わっていた。それも降りしきる雨の中。租界地はその名の通り日本も含めた外交特権地域。つまり中国からお金で賃借したそれぞれの国の使用地である。中国各地からの観光客は目の前を流れるともなく流れる大きな川・黄浦江を挟んで対岸に広がる近代的な上海ビル群を眺め、今は古めかしい租界地の散策を楽しんでいた。ビルラッシュが続く対岸と違って、おっとりとした時間が流れていた。




 その国の、もっと小さく家庭にしてもそうだが、トイレのありようを見ればその生活ぶりや文化の水準がよく分かるという。少なくとも私が体験した30数年前、その頃でも国際都市と言われた上海の一流デパートでさえ、トイレにドアーがなく、しかも水洗とは名ばかりだった。その入り口では無粋な男がトイレットペーパー(手紙)と交換に「使用料」を取っていた。そのデパートは東京で言えば三越や今の伊勢丹である。




 国際都市と言われる上海の一流デパートがそうだから、地方に点在する観光地、つまり名所や史跡は言を待たない。下品な表現に聞こえるかもしれないが、ただ水が流れる上の床から用を足すのである。下に水が流れていれば、まだまし。もちろん、ドアーなんかない。お若い方は知りっこないが、日本の戦後間もない頃を見た思いだった。


TOTO.jpg


 ところがどうだ。地方の一般家庭はどうか知らないが、ホテルもデパートも上海や蘇州の観光地に整備された公衆トイレも見事な水洗に変わっていた。ただ「トイレに紙を流さないで」と、言外に下水道の不備を示す所も。上海はもちろん、そこから遠くない蘇州の観光地は、増加する外国からのお客さんを意識したにわか造りの環境整備に見えた。

 観光地の花壇や、そのあちこちに見られる、飾りつけも、いかにもと思えるようなものもあって、白々しくも見えた。バスやトイレのメーカー・TOTOは強い。一流のホテルやレストランのトイレに行くと決まってメーカーはTOTOなのだ。そのブランドがない所は、たまたまかもしれないが、蛇口のコックが壊れていたり、不具合が目立った。中国産である。




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格差社会

  「あの子、ヨン様みたいね。かっこいいわね」

 大きな丸テーブルの向かい側に座った青年をうかがい見て、隣の女房が年甲斐もなく、しかも嬉しそうに言った。上海郊外の高級マンション団地の一角にあるレストラン。やはり、その団地の中にある自宅に私達夫婦と今度の中国行きのきっかけを作ってくれた友人夫婦を招いてくれた中国人氏ご夫妻はその夜、歓迎の夕食会を開いてくれた。この青年はそのお二人の息子さん。背丈も大きくスマート。気はいいが、でっぷりとしていて、いかにもしたたかな中国人といった感じのお父さんとは大違い。男の目から見てもカッコいい。


レストラン


 ロンドン大学に留学、7年間、英国暮らしをしただけあってか、スーツの着こなしもお父さんとは対照的。その父親と違って日本語はダメだが、さすがに英語はぺらぺらだという。大学を卒業、ロンドンから帰ったばかり。今は上海中心部の高層ビルにオフィスを構える証券会社に勤めるサラリーマンだ。お父さんにとっては自慢の息子のようで、会社がはね、帰宅するのを待って会食の席に呼んだ。どちらかと言うと、無愛想に見える中国人の中にあって、いつもニコニコしていて、見るからに愛想がいい。




 「へえ~、そんなにくれるの?」。その青年の給料を聞いてびっくりした。まだ20歳も半ば、それも新入社員というのに月給は日本円にして30万円を超すという。その話を補足するお父さんの説明によれば、中国における労働者の賃金格差は半端ではない。言葉が適当ではないかもしれないが、頭脳労働者と、そうでない人たちとの格差は際立っていて、2万円、3万円の給料だって珍しくはない。いや、それ以下の人だっていっぱいいるという。

上海


 その日の朝のことだった。私達夫婦は上海中心街にある滞在先のホテルで、朝食をとるために足を運んだレストランでのことである。その時間は定刻の7時より6~7分早かった。朝食会場の係員は電気すらつけずに、ただブラブラ。私達の顔を見て、いかにも迷惑そうに電気をつけ、無愛想に目で私達を迎え入れた。「ニーハオ」。もちろん朝の挨拶もない。このホテルは上海では上のレベルの4つ星ホテル。日本では絶対に考えられないことだ。そんな出来事を会食中の中国人氏に話したら、こんな説明が返って来た。





 「恐らく彼らは、そんなに高い給料を貰っていません。自らの給料と天秤にかけて仕事そのものへの情熱を失っているのです。給料分だけ働けばいい、そんな考えがあるのではないでしょうか。日本と違って、この国ではそんなことは珍しいことではありません」


ホテル


 格差社会は人間の表情まで変えてしまうのか。どこの国だって、どこの地域だって、大なり小なり都市部と地方は環境も、そこに住む人々の生業も違う。当たり前のことだ。多少の言葉遣いや振舞い方が違っても心は違わないはずだ。しかし人間がそれぞれの事象で、諦めたり、ひがんだりした時に、その表情や言動にしばしば現れてくるのかもしれない。日本が経験したあのバブルとはケタ違いに見えるこの国のバブルと、とんでもないように見える格差社会。日本の格差などチョロイ、チョロイ。そんな中国の一端を見た。しかし、その裏側に、とんでもない底力を秘めているようにも見えた。そこが日本との違いだ。




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バブルに踊る

キャベツの置物


 初めて知った。中国では白菜は縁起物だという。私達夫婦を上海郊外の自宅マンションに招いてくれた中国人夫妻は、その夜、マンション団地内にあるレストランでご馳走してくれた後、そこで顔を合わせた親しい友の家へ。やはり、その団地内にあって、自らも言うように友のマンションは、一戸建て、2階造りの見るからに豪勢なお宅だった。


 立ち並ぶマンション群の中にあって、ここは大きな庭付き。エントランスには90cmぐらいはあろう玉(ぎょく)の置物が。形は白菜。真っ白く、本物そっくりのでっかい白菜だった。奥にある居間に行く前に案内してくれたエントランス脇の「サンルームです」と説明する広い空間には大きな玉(ぎょく)の置物が。横2m、縦1mは有にある、この玉は明らかにヒスイ。


上海1


 「これは私がウン千万円で分けてあげたものです。めったに手に入らない代物です」




 これも事も無げに言う。そんな置物や高価な調度品があちこちにあるのだ。広く贅沢なスペースをとったサンルームは半円のガラス張り。もちろん天井がガラスであることは言うまでもない。そこから外を覗くと、横庭のあちこちで淡く光を放つ庭専用の小さな街灯がその脇を流れる小川のせせらぎをも静かに照らしていた。団地にあるマンションはみんな同じではなく、そんな環境をも備えているからお値段もぐ~んと跳ね上がるのだろう。


置物


 このお宅のご主人は見るからにまだ若い。親しい友達と言う中国人氏に訪ねてみたら
「私と11歳違いだから、ちょうど40歳。今は書類のファイルを作る会社のオーナーをしています。もちろん、この会社の業績はいいようですが、なんと言っても私と同じように株式やマンションへの投資がお金を生んでいるのです。そんな億万長者は私達の周りにはいっぱいです。中国では・・・と言ってもいいかもしれません」


置きmの


 仲間のことを、そんな風に説明する、この中国人氏は若い頃は四川料理のコックさんだったらしい。20代から30代にかけて10年近く東京・日比谷の東京會舘に勤め、フランス料理を勉強したという。中野に借りたアパートから西武新宿線や地下鉄を乗り継いで職場に通った。日本語はそこで覚えたのだそうだ。≪億万長者≫になる前、奥さんはタクシーの運転手として上海の街を走っていた。




 「もう一度、東京に行ってみたい。でも日本国政府は許してくれないかもしれません。私にはビザを発給してくれないでしょう」



 「どうして?」




 「観光ビザを遣っての東京生活だったのですが、最後にその手続きを怠り、不法滞在を咎められたのです。もうかなりの年月が経っていますから、あるいは・・・。でもやっぱりダメでしょうね」




 大きな土産物店を仲間と共同経営するこの中国人氏は、かなりの親日家のようで、商いにもJTBや近畿日本ツーリストなど日本の旅行社とも太いパイプを持っている。事業の拡大に日本の何かを求め、模索しているようだった。バブルの最中、と言ってもいい中国で、若い起業家達の「欲と夢」はまだまだ続く?




社会主義と自由主義

上海


 「私達の国は、ご存知のように社会主義の国。でも、それは政治の世界のことで、経済は自由主義。もっと言うなら自由主義以上の自由主義と言ってもいいかもしれません。それが現在の中国の活性化、高度成長をもたす原動力なのです」





 わが国大手通信メーカーの中国現地法人の元社長夫妻と私達夫婦を自宅に招いてくれた中国人氏は、こんな説明をしてくれた。それは途小平以降のことだという。この人は51歳。上海の中心街からそう遠くない所にある高級マンションに奥さんと子供さん2人の4人暮らし。上海万博会場の入り口のような所で観光客目当てにした大きい土産物店を仲間3人と共同経営している。


上海4



 自宅のマンションは10年ぐらい前、500万元、日本円にして7,500万円で買ったものだが、今の資産価値は倍の1億5,000万円はしているという。その一帯は同じようなマンションがいっぱいあるところで、いわば高級マンションの団地だ。団地の入り口にはゲートがあって、専門の警備員が24時間、人の出入りをチェック。万全のセキリュティー体制を敷いている。団地の中には高級品を揃えたスーパーやレストランもあって、そこには気品に満ちた、ゆったりした時間が流れていた。


上海3


 日本の間取りで言えば10畳から15畳もあろうフローリングの居間には高級のソファーが置かれ、家族が見るテレビは日本のソニー51インチ。調度品は見るからに高級品ばかり。まずお茶を出してくれるのだが、その入れ方も高級な茶器と道具を使い、何気なくも中国の作法にのっとっている。海南島で採れたという熟れたマンゴーが美味しかった。




 一人っ子政策のこの国にあって、この家は二人っ子。「どうして?」。そのお父さんによれば、人口抑制は国の政策だから二人目の子供を生めば罰金。ニコニコしながら罰金の話をし、「中にはアメリカなど外国に行って子供を産む人も少なくありません。この場合、国籍との絡みで、罰金はかかりませんが、そのための経費がかかります。罰金も含めて誰もが出来る技ではありません」ともいう。


 言外に中国の人たちの経済的な格差を説明し、そうした手続きの裏で、お役人への賄賂の存在もほのめかすのだ。


 「車の無謀な運転もしかり。この国の今は、何でもあり、なんですよ」


 言葉少なく、ニヤリとしながら言った。ノロマをしていたら負け組、とも。



 上の男の子供さんはイギリスのロンドン大学に留学させた。大学院まで7年間、仕送りをしたという。


上海景色


 「投資のために今の住まいのほか、3つ、4つ買っておいたマンションの一つを7,000万円で売り、仕送りに充てました。持っていれば、これも3倍ぐらいに値上がりしていたでしょう。このほかウン千万円の玉(ぎょく)の置物も息子の留学費用に化けました」


 これも、事も無げに言う。今、まさに中国はバブル経済。お金持ちの人たちや野心家は「この時を逃しては・・・」とばかり、マンションへの投資や株式投資をするのだという。「あなたもやってみたら?」。そんな私への勧めの一方で、バブル崩壊を警戒していた。




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近代国家へのデビュー

上海道路

上海
  


 上海の道路事情は、自動車王国・アメリカを髣髴とさせた。片側5車線、6車線とはいかないまでも、道路は広く、片側3車線、4車線の道路が当たり前のように走る。その道路が対面になっているので余計に広く見えるのだ。高層ビル群の間を、ある時は真っ直ぐに、またある時は立体交差でループを描いて走る。道路を埋めるカラフルな車の洪水と高層ビル群のハーモニーが今や国際都市・上海をイメージ的にも不動なものにしていた。



 「今、走っているこの橋の屋根の上から、橋を吊っている道路両側の曲線の屋根には歩道からエレベーターで昇ることが出来るようになっています。」


雨の上海
●雨の上海●


 街の上、川の上を立体交差で走るこの大橋は東京のお台場のそれを連想して頂ければいい。ループして走る高い橋の屋根に上って360度の眺望を楽しめるとしたら・・・。道路の両側に設けられた広い歩道からエレベーターで橋の屋根に昇ったら面積では史上最大といわれた、かっての上海万博会場もごと一望できかってのたに違いない。



 そればかりではない。60階、70階、80階、90階のビルは珍しくない上海の街にあって、今は最も高い100階建て、高さ474m「上海ワールドフィナンシャルセンタービル」もその全てを望むことが出来るのだろう。このビルはそのオーナーである日本のビル王、不動産王の名前を取って人々は「森ビル」と呼んでいる。設計も日本人建築家である。


上海ワールドフィナンシャル


 許されないからそこからの眺望は望むべくもないが、100階建て474mはいかにも高い。街の中で、下から眺めるのだが、てっぺんは見えないのだ。私達が車で街を散策した時はたまたま雨に煙っていたから余計に雨雲の中。このビルの高さは東京タワーと比較したらいい。東京タワーより140mも高いのだ。普段でもスモックに覆われて、てっぺんが見えることは少ないという。こののっぽビルも間もなくトップの座を譲る。それを上回るビルの建設計画が着々と進んでいるのだ。


東京タワー



 ビルの高層化が進む一方で、車の急激な増大。東京と同じように排気ガスのしっぺ返しはここ上海でも深刻になることは時間の問題だろう。のんびりとした佇まいを見せる中国の中にあって別格と言っていいほど早くから国際都市としての道を歩んできた上海。ここに来てそのペースは一気に加速している。その功罪は、そこに住む人々にとって避けて通ることは出来ない課題になっていくことは間違いない。


上海6


 市民や中国全土からの≪おのぼりさん≫たちの上海展望のスポット・立体道路橋の屋根は、何年前だっただろうか。あの万博の時は展望台としての付帯機能を中止したという。開幕を間近に控えた頃、工事の進捗を視察する政府高官が連日繰り込んで、展望台からの銃による万一の狙撃を警戒していたという。

 むろん、万博が開幕してからも同じ。期間中は中国政府高官にとどまらず、世界各国から要人が訪れた。そこでの事故やテロは国家の威信にかけても阻止しなければならないことは言うまでもない。上海での万博の開催は上海にとどまらず、中国にとって近代国家へのデビュー戦だったかもしれない。





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寒山寺

寒山寺 


 月落烏啼霜満天 「月は西に落ちて、カラスが啼き、霜が満天下に降りて
             いる」

 江楓漁火對愁眠 「川辺の楓が漁火に映え、旅人も旅愁を帯びた眠り
             に」


 姑蘇城外寒山寺 「姑蘇城(蘇州城)の外にある寒山寺から」


 夜半鐘聲到客船 「夜中の鐘の音が(作者の張継が)旅宿している船に
             響いてきた」

楓橋夜泊

 唐の時代中期の詩人・張継「楓橋夜泊」である。漢文の教科書にも出てくるからか日本人には親しみ深い詩。床の間の掛け軸にも好んで用いられる。高校時代、小難しい漢文の授業となると居眠りでもしているのが関の山だったが、なぜかこの詩だけは覚えた。


寒山寺2

 詩に歌われている寒山寺は、中国は江蘇省蘇州市の西郊外にあって、「楓橋夜泊」の詩碑はその境内にある。訪中は今度で三度目だが、一度目の時、北京、西安、杭州、上海などと共に、ここを訪ねた。35~6年前。まだ30代の頃で、言ってみれば、それ程の関心もなく、そこを通り抜けた程度の訪問だった。


寒山寺3

 「今度はじっくり、この詩の古里を訪ねてみたい」。今回の中国行きの大きな狙いの一つでもあった。私達夫婦の案内役を買って出てくれた日本の中国現地法人元社長ご夫妻と中国人氏に、あえてお願いして、その寒山寺を訪ねた。「あれ? こんなお寺だったっけ・・・」。観光客目当ての商店街整備など周囲の環境がガラリと変わってしまったからか、それとも35年以上も前の記憶がざっぱくだったためか、なんとなく別のお寺に来たような気がした。


寒山寺6


 事実、お堂なども一部が改修されたり、大きな鐘も別の所にデンと居座っていた。お目当ての詩碑も境内のあちこちに模刻碑(レプリカ)が設けられ、本体はお堂の回廊のような所に移動、木枠のガラスケースに入って建っていた。外での雨ざらしによる風化を防ぐためだろう。



本物

ガラスケースに入っている「楓橋夜泊」の詩碑


 寒山寺のあるこの辺りは湖沼が多く、その昔、水路の運河が発達した地域。船旅が盛んで、空海も船でこの地を訪れたと言われている。「夜半鐘到客船」。夜半にこの寒山寺からの鐘の音が運河をゆく客船にも聞こえたという鐘はどこにあるのだろう。探してみたが見つからなかった。


 寒山寺は唐の時代からの長い歴史の中で、何度も消失。鐘も日本人に持ち去られた歴史があるのだそうだ。それを悔いた明治の元勲・伊藤博文公が25㌧の鐘を寺に贈ったという逸話も。ともあれ、この寒山寺の鐘の音を聞くと「10年若返る」という、ありがたい鐘なのだ。


寒山寺の鐘  

寒山寺4    寒山寺5

 境内の一画に設けられた工房のような売店では「楓橋夜泊」の掛け軸が。日本人と見たのだろう、中年の中国人女性が私達をその工房へ迎え入れた。そこでは「ご住職さん」といわれる僧が掛け軸に健筆を振るっていた。おのぼりさんらしい中国人グループを追い出すように外に出した、その女性はもっともらしい講釈付きで売り込みに余念がない。


 35年以上も前の時は拓本が主流だった。日本人観光客に飛ぶように売れていた。しかし拓本はすっかり影を潜めた。時代の変化かもしれない。そんな掛け軸を好む人たちが減ったためか、住宅様式の変化で、掛け軸そのものが不要になったせいか。寒山寺には日本人の影も少なかった。

寒山寺7

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友の案内

中国館
中国2010年上海万博★中国館模型

 「私がご案内しますから、是非行きましょうよ。私の女房も一緒にお供します」





 今度の中国行きは、日本の大手通信メーカーが上海郊外に進出した現地法人の社長を、つい先頃まで務めていた方の勧めがきっかけだった。この方は女房の学生時代の友人のご主人。現在は千葉の柏にお住まいで、私が住む山梨の田舎家にもご夫婦でお出で頂き、お泊り頂くこともある。私のようなズボラな人間と違って、理工系の几帳面な方だが、同い年ということもあってか、妙に気が合い、夜遅くまで酒を酌み交わす仲だ。





 「今は、あなたと同じように毎日が日曜日。上海は、少しは知っていますので、まかせておいて下さいよ。この時期比較は比較的混雑しないので、ゆっくり上海を楽しむにはいいかもしれません」


万博看板    万博看板2

中国2010上海万博の看板


 その旅行は4泊5日。貧乏人の私達を気遣ってか、安いツアーを探してくれた。それでもホテルは4つ星。私はギチギチにセットされたツアー旅行はどうも性に合わない。そのことを知ってか知らずか、ツアーの申し込みといっても飛行機と滞在するホテルだけ。いわゆるステイトラベルである。日本人好みの所を日数に合わせてセットする、決まり切ったツアー旅行と違って、気ままに見たい所、行きたい所へ時間にかまわずに行くことが出来るからいい。


ホテル


 女房と二人、甲府を8時50分の高速バスに乗り、成田発15時のエアー・チャイナ機に乗った。上海まではざっと3時間。空港の到着ロビーには先発した友人と、その友達の中国人夫婦が出迎えてくれた。日本との時差は1時間。現地時間はまだ午後5時を少し廻ったばかりだった。空港は第一ターミナルと第二ターミナルに別れていて、規模的には成田をしのぐようにも見えた。



空港2


 でも内部の雰囲気はどこか違う。なんとなく閑散としているのだ。成田空港のようにあらゆる種類と言っていい土産物の店や飲食店街はない。帰りの飛行機。税関を通って搭乗ロビーにもブランドの免税店は成田ほど賑やかではない。動く歩道も途切れ途切れ。その両側にあるのは、一定間隔に設けられたトイレと喫煙コーナーだけ。喫煙コーナーは探さなくても分かるほど、いっぱいあるので、私のような愛煙家には便利。ただスペースはきわめて狭く、煙を清浄する装置もなければ、のっぺらぼうの部屋があるだけ。愛煙家でありながら、モーモーとしたタバコの煙にむせて外に飛び出した。


空港

 空港には出迎えの中国人夫妻が車を横付けしてくれた。この中国人氏は今51歳。日本のサントリーに10年以上も勤めたことのある日本通。サントリーでは佐治社長時代、その通訳を務めたり、山梨県にある同社の山梨ワイナリーにもいたことがあるといい、思わぬ出会いに意気投合。その夜は上海市内の高級レストランで歓迎宴を開いてくれた。


料理1     料理2



 肉、魚、野菜。どの料理をとってもみんなうまい。何よりも年代モノの老酒がいい。やはり年代モノのマオタイ酒が腹に沁みる。この中国人夫妻は日本語がぺらぺら。飲むほどに話が弾んだ。夜が更けるのも忘れた。上海の旅の始まりだった。




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何でもあり

車


 車が泳ぐ。中国・上海を車で走っていた時の実感だった。東京であれ、名古屋、大阪であれ、地方の山梨であれ、車の渋滞は大なり、小なりあるし、珍しくもない。GDP世界第2位を長い間堅持していた日本を抜いて、その椅子に座った中国。そう考えれば、車が多いこと自体は、ちっとも不思議ではないのだが、私達の目から見れば、不自然がいっぱい。片側3車線、4車線を埋める車は、ルールもなければ、思いやりもない。隙さえあれば前に。追い越しに追い越しをかけるのである。S字に車が泳いでいくのだ。




 「お父さん、ここでは私なんかには車を運転することは出来ないわよねえ。日本の右ハンドルと中国の左ハンドルの違いもさることながら、あんな荒っぽい運転は出来ないし、第一、怖くて立ち往生してしまいますよ」


車2


 乗せて頂いていた車の中で、女房がしみじみと言った。知人の中国人が運転する車はトヨタの高級車。もちろん左ハンドルだ。車の運転にかけては普段、私より女房の方がずっとうまい。そんなことを知ってか知らずか、中国人の友はこんなことを言った。




 「ここ中国では前に出た方が勝ちなのです。まあ、言ってみれば、ノロマをしていたら負けなのです。一言で言えば、何でもありなんです。残念ですが、それは全てに通じます」




 「でもあんな乱暴な運転をしていて、よくぶつかりませんね」




 女房がその中国の知人に問い返すように言った。みんな小気味いいほど運転がうまい。それが証拠に、前を見ても、右や左を見ても傷を持った車は一台も走っていないのだ。わき見運転などしている暇はないし、ぶつからないためには四六時中、緊張していなくてはならないだろう。一般道と言っても日本の高速道路にも数少ない片側3車線、4車線の道路、しかも延々と続く車の洪水の中で事故でも起こそうものなら・・・。その時の光景はおおよそ見当がつくだろう。


車3


 ひとたび事故が起きた場合、車が溢れる道のど真ん中で「お前が悪い」「いやお前だ」と、罵り合うのだという。自分の非を認めたらダメ。後ろにどんな交通渋滞が起ころうとも、そんなことはお構いなし。のんびりした警察が来るまで喧々諤々の自己主張を続けるのだそうだ。抗議のクラクションがあっちこっちで鳴らされようとも気にしない、気にしない。そんな話を聞いて、今の中国人の気質を垣間見たような気がした。

車4


 その中国人氏によれば、乱暴な運転をするのは決まってタクシーやバス、トラックなどの営業車。自分の売上収入に絡むから勢い先を急ぐ。タクシーの車種はワーゲンやBMWが目立つ。こうした外国車は中国での現地生産で、日本で走っているそれとはランクも見るからに違う。そう言っては失礼だが、「これなら多少はぶつかっても・・・」と思えるほどだ。観光バスだって同じ。大勢の命を預かるバス。日本ではおよそ考えられないが、乱暴極まる運転は、ここでは平気。恐らく乗客の中からも不安視や文句も出ないのだろう。そんなところにも今の中国人の気質がのぞく。一方、高級車に乗る人は、そんな無茶はしないという。「金持ち、喧嘩せず」である。




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上海で見た車の洪水

上海

 30年以上も前と比較するから当たり前だろうが、その空間がついこの間のように思えるのでびっくりする以上にびっくりした。視界には数十階建てのビル群が並び、今、走っている道路は車の洪水。中国は上海のひとコマである。



上海2

 上海の人口は統計上、1,800万人。これに農村部から流入する季節労働者を加えると3,000万人をはるかに上回るという。中国全土の人口は13億人と言われているが、それはアバウトな数字で、実際には定かではない。このことは地元の中国人の話として後で書くことにするが、とにかく、その縮図のような上海は人、人、人。車、車。活気に満ちていた。



上海3


 私はこれまでにも2回、中国の地を踏んでいる。一度目は1981年。37年前だ。二度目はそれから5~6年後。その間はほとんど変化はなかった。上海、北京、西安、杭州、石家荘、桂林、蘇州・・・。いずれも遊びではなく、仕事でお訪ねしたのだが、その頃の都市はどこも人と自転車の洪水だった。



 人々はみんな紺の人民服に、これも申し合わせたように同じ帽子を被り、黙々と、それもゆったりと自転車をこぐ。決して急ごうともしない。その間を自転車が引っ張るリヤカーや牛馬の荷車が。そのおびただしい数と、えもいわれぬ迫力に圧倒されたものだ。


上海7

 車と言えば、恐らく政府高官が乗るのだろう、「紅旗」「上海」などわずかな高級車と、日本などからの観光客を乗せる大型バスだけ。その乗用車や観光バスは、それ程広くもない道路をまるで我がもの顔で、土煙を上げて走る。観光バスはほとんどと言っていいほど日本の中古車。中には山梨、静岡両県を走る富士急行のネームをそのまま付けたバスも走っていた。そこのけ、そこのけとばかりに鳴らすクラクションの音に一瞬、クモの子を散らすように脇に逃げるのだ。センターラインもなければ、ましてや信号もない。運転手が鳴らすクラクションが≪法律≫だった。その時の政府派遣の案内役は「事故に巻き込まれたら轢かれ損ですよ」と、事も無げに言った。


上海4

 そして今。その自転車は車に代わっていた。トヨタや日産、ホンダやいすゞなどの日本車もあれば、ベンツやワーゲン、BMW・・・。世界の車が。もちろん中国国産の車も多い。それぞれの合弁現地法人が供給しているもので、いずれにしても車が自転車に取って代わった。アリのように自転車に乗って群れを成していた人間が車に乗り換えているのだから、車の量たるもの、おおよその見当はつくだろう。



上海5

 もちろん、みんなが乗用車に乗るわけではない。日本の都市部と同じように定期バスが。どのバスも満員だ。乗用車、バス、トラック。日本で言えば、高速道路のような片側3車線、4車線の道路はどこも車の洪水。そんな光景は東京など日本の都市部にとどまらず、山梨など地方の市街地だって珍しくもない。問題はその交通体系、ドライバーのマナーやルールのありようだ。日本ではおおよそ考えようもない追い越しや割り込みは普通。車線変更も右左折も先に首を突っ込んだ方が勝ち。危ないと思ったり、都合が悪かったらクラクションを鳴らせばいい。車の騒音とクラクションの音が異様なハーモニーを奏でていた。

上海6



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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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