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変わる原風景

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 時代が、その時々の原風景や人々の生きざまを変えていくのは自然の成り行き。だれにも止めることは出来ない。でも、ふと立ち止まって考えると一抹の寂しさを覚えることも確かだ。「あの日」、「あの時」。それが1年前であろうが、10年、20年、50年前だって同じ。人それぞれが見た原風景や体験が蘇って来る。だれもが持ち合わせる郷愁の世界なのである。




 もう55年ぐらい前。安給料をものともせず、毎日を我武者羅に飛び歩いた新米サラリーマン時代。赤い灯、青い灯。仕事が一段落ついた夜ともなれば、薄っぺらな財布を胸に、盛り場にも繰り出した。




 その界隈は「錦町」と呼び、その隣は「裏春日」と言った。いわば甲府の夜の歓楽街である。街にはスナックバーがひしめき、ラーメン屋さんや寿司屋さん、お茶漬け屋さんもいっぱいあった。「赤黒」「ローズ」「チャイナタウン」「ムーラン」といったキャバレーも盛況を極め、所々には特殊浴場の「トルコ風呂」も。夜の帳が下りると同時に、それらが一斉に赤い灯、青い灯を点し、酔客で活況を呈していた。


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 その頃はスナックバーを今のように「スナック」と言わずに「バー」と言った。店の中には有線放送で流行歌が。園まりの「夢は夜ひらく」が、なぜか耳の片隅に残っている。よくしたもので貧乏サラリーマンは、それなりの安い店を探す。仲間同士、政治や経済など今考えれば青臭い議論をしたり、カウンター越しに同じ年頃のホステスと話を弾ませもした。それが昂じてゴールインした仲間も。赤い灯、青い灯の歓楽街にも、それなりの青春があったのである。昭和40年代初頭、世の中は戦後の貧しさを忘れ、経済成長へと舵を切っていた。




 県都・甲府。山梨県の玄関口・甲府駅前から南に延びる平和通りの両側には毎夜、赤提灯の屋台が並んだ。特に寒い冬、コートの襟を立てながら飲む熱燗のコップ酒はうまい。冷えたからだの五臓六腑に染み渡った。おでんのからしがツ~ンと鼻をつく。お燗はおでん鍋の隅っこでつけてくれるのだ。




 時代の荒波は、そんな酔客の原風景を何時までも残してくれるはずがない。屋台は跡形もなく消えたし、「錦町」や「裏春日」も様相を一変した。「赤黒」も「ムーラン」などキャバレーもなくなった。




 サラリーマンの悲哀を知り尽くしたホルモン焼き屋の偏屈親爺や屋台の親爺も、おふくろのような赤提灯のおかあちゃんも、みんなどこかに消えてしまった。「昔はみんな、もっと人間臭かったよなあ・・」。歳をとったせいなのだろうか。




 当時、「錦町」「裏春日」の歓楽街を核にした甲府は、なぜか人口1000人比で飲み屋・飲食店が最も多い都市とされていた。飲ん兵衛が多かったのか、はたまた人々の遊戯や娯楽を満たす施設が少なかったからか、とにかく今は、往時の賑わいは見る影もない。確実に言えるのは世相の変化。モータリゼーションの進化が酔客と飲み屋の間を割き、人々の趣味や趣向の変化が新たな産業を生んで、人々の行動を変えた。インターネットなどICT の急速な進歩もその一つだろう。ケイタイやスマホ、PCもない世界が今となっては懐かしい。



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夫唱婦随

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 今更言うことではないが、サッシ窓はありがたい。機密性が強いから外の寒気を完全にシャットアウトしてくれる。冬の日差しとはいえ、そこから差し込む光はほのぼのと温かい。しかしこの辺りの冬は寒く、暖房をしなければ部屋の中でも10度を軽く下回る。恐らく外は3~4度だろう。寒いので外に出るのが億劫になってパソコンに向かった。




 その手を休め、植え込みの向こうに広がる空を眺めると真っ白い飛行線(飛行機雲)が。雲ひとつない澄み切った冬の大空を飛行機雲は西の空へゆっくりと進む。山梨の上空は外国航路になっているようで、この飛行機雲はひっきりなし。成田空港から数分置きに飛び立つジャンボ機だ。この時季、真っ白い富士山を左の眼下に進み、長野、新潟から日本海を超え、中国大陸へ。さらに飛行機はシベリヤのツンドラ地帯を下に見ながらモスクワを経てヨーロッパへと向かう。

 青空


 高度はざっと10,000m、時速800キロぐらいで飛んでいるのだろうが、ここから見る飛行機雲の動きは極めてゆっくり。時折、その先端の機体が太陽光線に反射してキラッ、キラッと光る。米粒ほどの機体から尾を引く飛行機雲は一定の長さで次第にとぼれて消えていく。その後ろにまた次の飛行機雲が。その後にも・・・。航路となる大空は飛行機のラッシュなのだ。300人、400人もの乗客、乗員を乗せたジャンボ機がどうしてあんなにも簡単に飛ぶのだろう。いい歳をしてふと子供のようなことを考えたりもした。




 その大空から目の前の植え込みに視線を転ずると、何匹かの小鳥が木から木へと渡り歩いている。葉っぱを落としたカエデは枝の先端の芽を心なしか膨らませて春を待つ。紅梅や白梅はもう蕾を大きくし始めた。もちろんチャボヒバや五葉の松など常緑樹もあるが、寒いこの時季、虫たちはまだ出ていまい。鳥たちがついばんでいるのは膨らみかけた木々の芽かもしれない。



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 木々を渡り歩く小鳥は一種類、二種類、三種類・・・。ヒヨドリもいれば、オナガドリもいる。いずれも二匹ずつ。番(つがい)だろう。いつもそうだが、我が家の植え込みにやってくる小鳥は、ニ匹ずつである。後になり、先になりながら木から木へ。やがてどこかに帰って行く。当然のことながら種類によって鳴き声は異なる。人間には何を話しているのか分かりようもないが、小鳥の夫婦は仲がいい。夫唱婦随である。我が家は婦唱夫随だ。




 植え込みの剪定は、半分は済ませたが、残りはこれから。背丈が高いチャボヒバなどは脚立梯子を使うのが億劫。つい後回しになるのだ。だんだん、高い所に上るのが怖くなるのである。今の脚立や梯子はアルミ製で軽い。だから持ち運びや移動には極めて便利。ただ軽いが故に安定性に乏しいのが欠点だ。



 特に脚立は怖い。幸い大きな怪我にはならなかったが何度かひっくり返って痛い思いをしたものだ。そこへいくと小鳥達はいい。木から木へ。細い枝や狭い空間でも平チャラだ。「飛んで鳥には叶うまい」「泳いで魚には叶うまい」。人間などちょっとばかり威張ったところで所詮は大した事はない。ボ~っと番の小鳥を目で追いながら、そんなことを思った。




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積雪と富士

農鳥
「農鳥」:富士山NETより

 この冬の富士山は、どこか違う。この時季、いつもの年なら真っ白に厚い雪を冠っているのに何本かの縦縞模様に地肌を晒している。その縦縞は光線の具合で青く見え、そのうちのいくつかは山頂に近いところまで伸びているのだ。もちろん2,000mに満るか満たない前衛の御坂山塊には雪の一かけらもない。




 だからこそ、雪さえあれば、日本一の富士の山の存在感はひときわ増すのだが、拍子抜けの感を免れない。甲府盆地の東北部に住み、毎日、窓越しに望む富士。四季を問わず、富士に雲がかかれば、風を予感し、雪が薄くなると初夏の到来を実感させてもくれる。毎年5月の中頃、残雪が織りなす「農鳥」は、富士山麓地方に留まらず、甲府盆地の農家に田植えなど春の農作業の開始を告げるサインでもあった。「農鳥」は残雪が毎年ほぼ決まった時季、山の中腹当たりに「鳥」の形状をつくることから、いつの世からか、そう呼ぶようになった。




 富士山に留まらず、標高の高い山の積雪量は里の降水量の裏返しでもあるのだ。確かにこの冬、富士山を取り巻く山梨県地方の降水量は例年になく少ない。地元紙・山梨日日新聞に報道されたこの一か月の降水量は平年の0-5%に過ぎない。里は雨でも山は雪。いわずもがな。里の降水量が少なければ、富士の積雪量も少ないに決まっている。




 ブドウ、モモ、スモモ、サクランボ…。果樹農家は冬特有の冷たい青空を見上げて恨めしそう。総じて果樹への影響を心配し始めた。気象異変ととらえ、反動で大雪をもたらすのでは、と警戒する人たちもいる。ここ10年、15年の間には1mを超す大雪で、何度も大打撃を受けた苦い経験があるからだ。




 「人間とは勝手な動物」と言ってしまえばそれまでだが、果樹農家にとっては、大雪は歓迎しないまでも、適度の雪は大きな意味で歓迎だ。雪はジワジワ融けて大地に浸透する。都会にお住いの方々は、そんなことを気にも留めないだろうが、大雨は川となって海に流れてしまう。台地がいっぺんに保有できる雨量は限りがあるからだ。




 このまま現在のような雨や雪が少ないカラカラ天気が続けば、下流域、つまり都市部の水不足に発展しかねない。例えば、山梨県の東部に位置する丹波山村や小菅村は東京の一部や横浜など神奈川県の水源地(林)。富士山の場合も積雪は何十年、何百年をかけて山麓地方に「湧水」となって現れ、人々の生活を潤す。「湧水の里」として観光客の人気を集める「忍野八海」は、その一例だ。富士山に限らず、南アルプスや八ケ岳などの山麓が生み出す«名水»も同じ。


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 雨や雪。その行きつく先は様々。飲料水とは限らない。お酒好きの方なら毎晩お世話になる日本酒やウイスキー、ビールも同じ。ただ、絶対の条件は«名水»であることだ。気の遠くなる話かもしれないが、富士山の降雪、積雪もこれと全く無関係ではない。




 カラカラ天気は人々の健康にも影を。インフルエンザが流行り、小中学校や幼稚園では休校や学級閉鎖も相次いでいる。ここに来て全国的に目立つ住宅火災や山火事も無関係ではあるまい。「♪雨よ降れ、振れ、もっと触れ…」。富士山も冬らしく生き生きするはずだ。




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消えゆく手書き文字

お正月_convert_20110121204847


 松の内が去ったと思ったら、あっ、という間に十四日正月も。一年中でも正月は時が過ぎるのが一番早いような気がする。親しい友や親戚、知人からの年賀状も、もう色あせたような感じがする。年賀状の束は、その顔ぶれを一部変えて、また今年の暮れまで引き出しに入る運命なのである。




 引き出しで眠らせる前、もう一度、目を通すこの年賀状。今、改めて見ても、なんと味気ないものか。みんな、申し合わせたように活字で宛先や名前が打たれ、裏返して本文を見ても印刷の活字。その内容も、似たり、依ったりで、ほとんど同じだ。


パソコン加工



 パソコン普及の功罪はこんなところにもある。パソコンが身近になかった時分は、もちろん、みんな手書きだった。自分もそうだが、字の下手くそな人もいれば、びっくりするほど上手な人もいる。大きな字を書く人や縮こまったような字の人も。また、文章が上手だったり、そうでない人も。




 つまり、みんな個性があったその字が家族の団欒の話題になったり、贈り手の心の温もりを伝えた。一人一人の顔や生活ぶりまでが目に浮かんだ。年賀状一枚一枚に血が通っていた。ところがどうだ。今のパソコン年賀状は大なり、小なり、みんな同じだから味もそっぺもない。決まり文句の本文なんか読むまでもないし、言ってみれば、どなたからの年賀状であるかを確認するに過ぎない。ちょっと言い過ぎだろうか。




 パソコンのソフトメーカーも、こうした声を反映しているのだろう。毛筆に似た字体のソフトを改良したりしているのだが、所詮は作り物。人の心や感情を活字に映し出すことは叶うまい。第一、みんな平均的で、上手過ぎるからいけないのだ。機械が書いた字が人の心を表せる筈がないし、掴める筈もない。





 私は勤めの現役時代、その職責柄、山梨県のいくつかの書道会の新年会や表彰式に招かれた。その名の通り、書家たちの集まりだから、当然のことながら、年賀状はもちろんのこと、日常の手紙も直筆でお書きになるだろう。現に、頂く年賀状はみんな個性豊かな毛筆だ。自分も、こんな字が書けたらと、つくずく思う。

習字

 挨拶をせよ、というので、その都度、私はこんなことを言わせて頂いた。



 「私の年賀状の95㌫以上はパソコンなど印刷文字。どうか自筆の文字を大切にし、それを書くことを教え、育み続けてほしい。そうしないと、日本人が日本人でありながら日本の文字を書くことを知らず知らずのうちに忘れてしまう。そんな気がしてならないのです。先生方はどうお考えになりますか」




 確かにパソコンはいい。この年賀状一つ例にとっても、原稿さえ作れば、備え付けのプリンターで大量に印刷が出来、宛名書きだって、そのソフトさえ組めば自動的にやってくれる。作業に要する時間だって、大幅に短縮できる。




 でも、それだけでいいのだろうか。こんなことに頼っていたら早晩、年賀状の習慣は廃れていくに違いない。現に、若者達はその通信がパンクするほどメール志向に走っている。




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酒飲みの上戸

 弱くなった。そう感ずるのは一つばかりではない。視力であり、思考力であり、体力、つまり持久力であり、あれもこれもだ。もその一つ。「酒?そんなこと、どっちでもいいじゃないか」。多くの人達はそう言うだろうが、私にとっては、これほど「歳」を感ずものはない。視力とか思考力、持久力の低下は、なぜか自然に受け止めるのだが、不思議なことに酒だけは、それらのことに輪をかけて、からだの衰えと妙に結びつくのである。弱くなるのは当たり前なのに、何かしら一抹の寂しさを覚えるのだ。


お酒



 お酒をお飲みにならない方だったら、この気持ちは分からないかもしれない。「おまえ、バカだねえ~」と言われるかもしれないが、毎日、言ってみれば1年365日、お酒の顔を見ない日はない。晩酌をしないと一日が終わったような気がしないのだ。「おまえ、アル中?」。そんなことはない。ただ、惰性と言われればそうかもしれない。



 「お父さん、たまには≪休肝日≫を作った方がいいわよ。毎日、毎日、お酒飲んだら肝臓だって休む暇ないんじゃない。飲む量を減らすとか・・・」


 女房は、しばしばこんなことを言う。「仰せごもっとも」。心の中ではその通りだと思うし、女房の忠告は痛いほど分かる。正直言ってありがたいとも思う。しかし、こちらから返す言葉は「そんなこと、おまえに言われなくても分かっている。人の世話をやくな」。場合によっては、その後ろに「バカヤロウ」がくっつくのである。


 「勝手にしなさいよ。身体を壊しても知らないから・・・」


 そんな夫婦のやり取りは日常茶飯事。女房も、どうやら慣れっこになった。でも困ったものなのか、ありがたいことなのか、女房は今でも忠告の匙を投げていない。


お酒



 類は類を呼ぶと言う。訪ねて来た仲間の顔を見て


 「おい、上がれよ。一杯やろう」「かあさん、熱燗、つけてくれ」


 「せっかくだからお邪魔するか・・・」


 友は、まんざらでもなさそうにニッコリ笑いながら広くもない居間へ。たわいもない世間話をつまみに二人の酒盛りが始まるのである。果樹の収穫が終わり、畑仕事が暇になる晩秋から冬の時期は、酒好きな仲間だったら真っ昼間でもお構いなし。


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 女房も、よく知った亭主の友人のこと、「さあ~、さあ~どうぞ」と、ニコニコしながらお酒を運んでくる。そこそこのつまみの料理も。二人の酒はどんどん進むのだ。ところが、ここでも、やがては女房のブレーキが。よせばいいのに、だまっていない。


 「お二人とも、そのへんにしたら?飲み過ぎると身体によくないですよ」


 「余計な世話を焼くな。おまえの悪い癖だ。そんなことはこっちで考える」


 一緒に飲んでいた友も酒の酔いも手伝ってか


 「奥さん、ご主人の言う通りですよ。お酒っちゅうヤツは飲んでいる人間が一番よく分かっているんですよ。私も女房によく言われるんですがねえ・・・」



 私と同じように分かったようなことを言う。でも、行き着く先はやっぱり二日酔いだ。



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結婚記念日

結婚記念日


 「そうか、今月は結婚記念日だったよねえ」。うちのかみさんは私が持ち帰った盛り花を見てこんななことを言った。この盛り花、私が買い求めたものではない。無粋な私にそんな気が利いたことが出来るはずがない。ロータリークラブの例会でいただいたものだ。




 私が所属させて頂いている山梨ロータリークラブでは、毎月第一週の例会(水曜日)で,その月に誕生日結婚記念日を迎える会員をお祝いする習わしがある。メンバー全員の生年月日や配偶者、結婚記念日が登録されているので、お祝い事は簡単。誕生日には記念の品を、また結婚記念日を迎えた人には、お祝いのメッセージを付けた盛り花を贈っている。




 該当者は贈られた記念品や盛り花を手に1分スピーチをする。1月25日(昭和45年)が結婚記念日の私はこんな挨拶をした。


 「私はこのクラブに所属する前は、結婚記念日はおろか自らの誕生日ですら忘れ、意識もしないまま、その日を通り過ぎていました。仕事の忙しさにかまけた、と言えば方便でしょう。夫婦そろってズボラがなせる業かもしれません。結婚したのは私が27歳、女房が26歳でした。あれから約50年、厳密には49年ですが、当時は初々しくも、それなりに可愛くもあった女房も、体全体に一周りも二周りも肉を付けたばかりか、尻は重くなり、いつの間にか態度もでっかくなりました。そんな我が家は完全に政権交代です・・・」


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 ちょっと調子に乗って「世の中にはチェンジとかチャレンジという言葉がありますが、今更(女房の)チェンジも叶いませんし、第一、それにチャレンジする元気もありません」と。そうしたら案の定、会場からはこんなヤジが。「おまえがチェンジされるよ」。言い得て妙。50年近く経つと家庭の中の権力構造も変化する。




 スピーチをしながら考えたら女房と連れ添って49年もの年月が。あっという間だった。結婚式は今のような洒落たチャペルなんかではなくホテルというか結婚式場の旅館に設けられた神殿。披露宴も畳の大広間で、二の膳、三の膳を前にした招待客が何列にも並んだ。もちろん女房はウエディングドレスではなく内掛け。新郎の私は紋付袴である。その両脇には仲人さんが座った。いつの間にか結婚式に仲人さんの姿が消えた。




 新婚旅行は南紀白浜ハワイなど海外の時代はそのしばらく後のことである。時はマイカー時代がぼつぼつ到来しようとしていた頃。女房が花嫁道具代わりに持って来たトヨタのマークⅡで、開通して5年ちょっとの東名高速をすっ飛ばした。甲府を夕方出て富士五湖の一つ河口湖に一泊、翌日、京都、大阪を経て南紀へ。4泊5日ぐらいの行程だったように記憶している。マークⅡは自らの安給料では買えなかった。



結婚記念日2


 漫談家の綾小路きみまろではないが、あれから50年。女房が変わったばかりか親父も女房の両親も黄泉に行って久しく、認知症が進んだおふくろも旅立って何年も経つ。泣いたり笑ったり、あれほど喧嘩をした私たちも自分で言ってはヘンだが、丸くもなり、いたわり合うようにもなった。「おまえ百まで、わしゃ九十九まで・・・」。お互いそんなに生きられっこないが、最近、白髪が富に目立ってきた。因みにこの言葉の「おまえ」は亭主を指すのである。




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若者達のコピペ

 コピペ? 「コピー アンド ペースト」の略だという。へえー、うまく略すもんだ。感心はしたものの、その意味はさっぱり分からない。テレビで見ていて、パソコンやインターネット用語だと分かった。文章など、さまざまなデータをコピーし、貼り付けることを言うのだそうだ。文字の通りだ。そこでまた、へえー。


コピペ



 家族で食卓を囲んでいた時、娘が晩酌中の私に向かって言った。


 「そんなこと、知らないの。お父さんだってやってるじゃない」


 何を言っているのか分からなかった。


 「俺がやっている?」


 「そうよ。お父さんだってブログ書きながら文章を置き換える時、コピーマークをクリックしてから貼り付けたりしてるじゃない」


 「へえー、そのことか」


 単純に頷いたが、テレビはこのコピペを問題意識を持って取り上げていた。コピーし、貼り付けるというこの単純な行為に頼ってしまうと人間の脳は考えることや創造する能力を退化させてしまうのだそうだ。ここでまた、へえー。


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 テレビを見ていたら、問題視の意味がよく分かった。教育現場、つまり大学や高校、小、中学校に至るまで、このコピペがどんどん入り込んでいるのだそうだ。例えば、大学生にあるテーマで論文を書かせると、学生達はインターネットで、それに近い解説を探して、それを切り張りしながら論文を完成させてしまうのだという。

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 自分で資料を探し、考えながらやれば何日もかかる論文作りをわずか30分足らずでやってしまうという。第一、インターネットからの写しで、自分の考えではないから研究論文とはいえない。このコピペは小、中学校の読書感想文や作文にも今や珍しくなくなったという。私は化け物だと思っているが、インターネットにはなんでもデータが入っている。




 テレビの大学教授は苦笑いしながらこんなことを話していた。


 「学生達の論文を見ていたら、同じ内容のものどころか字句まで同じものがいっぱい。いずれもインターネットからの引用、貼り付けで、ひどいケースだと全体の64%、つまり自分の文字は、文章のつなぎも含めて36%に過ぎなかった」



 子供の頃からテレビゲームで育っているから携帯電話でのメールも空気のようにこなす。パソコンやインターネットも自在だ。私のようなアナログ人間からみれば羨ましい限り。携帯電話を片手に別の事をしながら電話機を見ずにメールを打つ子供たちを見ると「へえー」と尊敬したくもなる。


マウス



 こんな人間からすれば、今の子供たちはものすごく進化しているように見えるのだが、どうして、どうして。幼稚といったら言い過ぎかもしれないが、やっぱり幼稚だ。インターネットの情報をそのままコピペすればすぐにバレてしまうに決まっている。ITは果てしなく進化する。しかし人間の内面はそれに追いついていけないでいる。




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どんど焼き

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 私だけかもしれないが、一年中で時があっという間に過ぎるのが正月のような気がする。三が日、七日正月が過ぎたと思ったら、もう小正月。何事にも「今年こそは」と心を新たにした元日が昨日のような気がする。考えてみれば「今年こそは、今年こそは」と言いながら一年が過ぎ、今にいる。人間とはそんなたわいもないものかもしれない。しかし、そんな短い一年という空間の中で人間何をするか、何をしたかを問われるのかもしれない。




 七日正月と言えば七草粥、小正月、つまり十四日正月と言えば、どんど焼き。この地方では道祖神祭りの一環である。その風習は地域によって異なるが、私たちの地域・山梨市のこの辺りでは「きっかんじょ」と言って子ども達が灯篭を持って各戸を回り、その後で「どんど焼き」をする。各戸を回る子ども達には、それぞれの家でご祝儀を包む。


どんど焼き


 「きっかんじょ」の灯篭は立方体で、子ども達はその時代、その時代に合った文字や絵を書き込む。今も昔も変わらないのが「家内安全」。私たちが子供の頃、灯篭の四面のうち一つに必ずあった「五穀豊穣」の言葉が姿を消して「交通安全」が。競って大きな灯篭をつくり、担ぐ形態だったものが当たり前の時代から、その灯篭は小型化したばかりか、いつの間にか手提げに。しかもそれを持つのは、主役のはずの子ども達ではなく、付き添いのお母さんたち。重い?ものは親が持ってやるのである。




 「五穀豊穣」の五穀は、言うまでもなく米、麦、粟、稗、豆(大豆)。今の子供たちは米、麦、大豆は知っていても粟や稗など知るはずがない。もっともこの五穀は時代によって変化する。この辺りはかつての米麦養蚕の農業形態から一変、果樹地帯に変わって久しい。しかも勉強優先の親の教育も影響して家業の農業を手伝うことをしない子どもが多いから、粟や稗どころか米や麦すら知らない子ども達だっていっぱいだろう。「五穀豊穣」などという祈りの言葉は、子供達にとって「そんなの関係ねえ」ことかもしれない。




 子ども達が各戸を巡回する「きっかんじょ」が終わると「どんど焼き」が始まる。所は地区のふれあい広場。広いスペースの中央にストームが築かれ、午後7時半を期して点火される。真っ赤な火が夜空を焦がすのだ。見上げる火柱の先には満天の星が。田舎に生活していても普段こんな綺麗な星を見たことはない。一等星もあれば、ニ等星、三等星も。冷え込んで空気が澄んでいるからひと際鮮やかに見える。


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 三々五々集まった大人も子どもも赤々と燃える大きな火の周りを取り囲む。しめ縄などお正月飾りを火の中に投げ込む者もあれば、書初めの文字を燃やす子どもも。数珠状に竹竿に針金で吊るした幾つもの団子を火の中で焼くお父さんもいる。大人には一升瓶のお神酒が振舞われる。火の力とお神酒が手伝って、いつしか身体全体が温まるのだ。


習字  


 「きっかんじょ」もさることながら、この「どんど焼き」もだんだん様変わりしている。自然保護の観点から松飾りの松はなくなり、水田がなくなったから藁束もなくなった。勢い、火種の主役は桃や葡萄の剪定クズ。養蚕もなくなって団子も繭玉を模ったものはなくなり、まん丸に。無邪気な子ども達にとって、そんなことはどっちでもいい。




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道祖神の奇祭

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 道祖神村と村の境や村の真ん中、または三差路や村の辻辻に鎮座している。文字通り道案内の神様であったり、村の守り神なのだろう。「村」は「地域」と置き換えた方がいいかもしれない。社のような造りはなく、その代わりなぜか丸石が。男性自身を模った石を祭る所も。天神様や薬師様と明らかに区別できる。私たちの地域では地区のはずれではなく、真ん中、公会堂の脇にある。この表現は逆で、道祖神の脇に公会堂があるのだ。





 私たちが子供の頃は、小正月を前にした七日正月が済むとリヤカーを引いて村の中を回り、松飾りや諸々の正月飾りを集め、道祖神にお小屋を作る。それがどんな意味を持つのかは今も分かっていないが、いわば仮の社かもしれない。門松や藁で作ったお小屋は、雪国の「かまくら」にも似ていて、子ども達はその中で夜を徹して遊びもした。今のようにパソコンもなければ、ケイタイもない。塾もなく、親達も「勉強、勉強」などと言わなかった。悪ガキというのではなく、素朴な田舎っ子達の遊びの舞台だった。




道祖神お札



 このお小屋作りはむろん、十四日正月に定めて行なう「きっかんじょ」祭りの始めから終わりまで子どもたちが運営し、取り仕切った。今のように親達、大人たちの力は借りなかった。今はというと全くの逆。大人がお小屋を作ってやり、お札作りもしてやる。灯篭作りもそうだ。若いお父さんやお母さんの中にはそれすら出来ない人も。お金を出して建具やさんに作ってもらう親も珍しくなくなった。肝心の子ども達の意識も様変わり。自分たちの祭りではなく、親や地域の大人たちに仕方なく付き合っている、というのが実際かもしれない。完全に主客転倒。親掛かりの行事になった。


道祖神2



 道祖神祭りの風習は地域によってさまざまだ。所変われば、そのやり方、中身はみんな違う。若い頃、もっと分かり易く言えば、結婚して間もない27~8歳の頃だった。珍しい道祖神祭りにお目にかかった。今は町村合併で北杜市になったのだが、当時は山梨県の北巨摩郡双葉町と言った。この町のある地域では、私にすれば奇妙な祭りが行なわれていた。恐らく今も続いているだろう。
 



 その祭りとは、男性と女性の性器を餅で作り、道祖神に奉納「おぶっく」として地域のご家庭にお配りするのである。餅は男性が搗き、女性が男女の性器になぞらえた、いわゆるあんころ餅を作るのである。餅の性器は小豆のあんこをまぶしたものだが、それが極めてリアル。神聖な祭りの行事。卑猥な勘ぐりは禁物。みんな大真面目なのだ。しかも、これを作るのは、その地域の新婚さんに限られるというから面白い。しかも檀紙に水引をつけて厳かに包まれた餅(性器)は見事に組み立てられているのだ。それを新婚花嫁が一堂に会して作るのである。




 この道祖神にまつわる奇祭は、双葉町の限られた地域。その地域は「小林」性の家ばかり。つまり、小林性の人たちの祭りなのだ。「子宝」を祈る祭事としても知る人は知る慣わしだという。「毎年、子宝を願う善男善女が全国からやって来る」と話していた。今は鬼籍の人になって久しいが、当時、子宝に恵まれなかった先輩に会社に持ち帰っておすそ分けしたら、その珍しさも手伝って大喜び。因みに、私に一人娘が授かったのもその年だった。




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岩魚の骨酒と二日酔い

 夕べは飲みすぎた。二日酔いで頭がガンガンする。
「あなたはいつもそうなんだから。これからまだ新年会、幾つも続くんでしょう。体も身のうちって知ってるでしょう。まったく懲りないんだから・・・」


酒



 その通りだ。歌の文句じゃないけれど、分かっちゃいるけど辞められないのである。お酒とはこれまた不思議。沢山飲めば、というより自分のじょうごを超せば二日酔いをすることくらいハナから知っている。しかし、それを何十年と繰り返しているのである。二日酔いの朝、それが重度であればあるほど素直に反省し「もうこんりんざい飲まないぞ」と思ったりする。






 ところが、今でこそ今は昔だが、若い頃は街にネオンが輝く頃になると、身体も頭もそんな事をケロリと忘れてしまうのだ。あれほど不快感をもようした身体も快調、快調。元気いっぱい。それから先は言うまでもない。お酒を飲まない人や女房族は「なんて馬鹿な人達だろう」と、蔑みの目だ見るのだろうが、それが男、酒飲みの酒飲みたる由縁である。


酒


 「そんな事が分からねえのか」と、開き直っても見たいのだが、こればかりはその通り。反論の余地がないほど、みんなよく分かっている。「休肝日」という言葉だって知っている。週に何日かお酒を飲むのを休み、肝臓を労わるほうがいいに決まっている。まともな人なら「分かっているのならなぜ」と、言うのだろうが・・・。人間とはらちもない動物なのかも知れない。






 中学時代の同級生達が集まる無尽会。無尽会といっても、あの頼母子講的なものではなく、気心の知れた仲間達がワイワイ、ガヤガヤ、たわいもなく話し、お酒を酌み交わすのである。みんなとっくに定年を過ぎて職場をリタイアしているから出席率は抜群で、月に一度の集まりには14人のメンバーがほとんど全員顔を揃える。





 決まった会場となる街の割烹の店では、この時期だから工夫した鍋物などを出してくれる。酒、ビール、焼酎、ウイスキーなどメンバーの酒肴もさまざま。この日は仲間の一人が岩魚の骨酒を用意して来てくれた。この男は根っからの釣り好きで、地域の漁業組合の幹部も務めている。





 この日のために冷凍保存しておいてくれた岩魚を熱燗の中に入れて飲むのである。岩魚は27~8cmもある立派なものだ。解凍したばかりの物を生のままお燗に入れるのだが、これがまったく生臭くないのである。べっ甲色になった骨酒は味と言い、香りと言い、絶品だ。


お酒


 「どうして生臭くないの?」「こんなでっかいヤツ、どこで釣った?」




 当然のことながらあっちからもこっちからも質問が飛ぶ。そこでまた当然のように、その男の解説が始まるのだ。その解説を肴にまた飲む。本当に、えもいわれぬ程旨いのだから盃が進むに決まっている。そして二次会はお決まりのカラオケ。今度はビールや焼酎。行き着く先は午前様。そしていつもの二日酔いである。明日は別の新年会だ。





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重箱の隅

お正月_convert_20110105000030


 三が日もあっという間に過ぎた。毎日が日曜日の身とは言え、あっという間に過ぎるお正月に後ろ髪を惹かれる思いがする。子どもの頃とは違って、あのなんとも言えないウキウキした心の持ちようは薄らいだものの、やっぱりお正月の気分はいい。なにか晴れ晴れとしていて爽やかだ。

餅_convert_20110105000359


 心機一転。嫌なことや自分にとって不都合なことは「去年のこと」として忘れようとし、希望を持って新しい年を歩み出す。親しい同級生同士、数年前まで週一回ぐらいのペースで麻雀会を楽しんでいたのだが、いつも負け頭の私なんか、「今年は完敗。来年さ」と成績不良を水に流すのである。M氏も同じようなことを言った。年の瀬とお正月。もっと言うならば大晦日と元日は一晩の違いだが、人の心の持ちようはガラリと変わるのだ。




 ご馳走もお正月に食べればお節(おせち)。もちろん、お節の中身はそれなりの理屈がある。それには重箱を用いたりもする。「重箱の隅を突付く」。お節には関係ないのだが、こんな言葉もある。些細なことまで問題視したり、干渉することを言うのだが、ものは考えようで、「重箱の隅を突付く」ことも意味があるし、突付かれてありがたいこともある。


おせち料理_convert_20110105000523


 何年か前の暮れ、このブログにいつもお出で頂く「柳居子」さんからこんなコメントを頂いたことがある。「傑作の枯露柿」と題して書いた枯露柿作りの記事で無知の上にパソコンに頼りすぎの変換ミスが手伝って「硫黄燻蒸」とするところを「硫黄薫淨」としてしまったのが事の起こり。




 「変換ミスの傑作ともいえます。其れらしく思わす言葉ですが、硫黄が付くとやはりそれで通すのは無理のように思います。おせちの重箱をつつく様なコメントで失礼しました。 (後略)」



 いやいや、どうしてどうして。「重箱の隅をつつく・・・」などととんでもない。当の本人が間違いに気付いていないのだから、指摘を受けなければ、ずっとそのまま。自らの間違いに一瞬ドキッとし、その次には感謝の気持ちに。人の間違いを見てみぬフリをしたり、正そうともしない風潮がある中で自分もかくありたいと思ったりする。

鏡餅_convert_20110105000319


 「柳居子」さんとはブログを通じたインターネット上の知り合い。もちろん面識もない。私もちょいちょい、この方のブログ(柳居子徒然‐楽天ブログ(Blog))にお邪魔するのだが、京都にお住まいで、私と少なからず同年輩のよう。ただ違うのは、すこぶる勉強家で、歯に衣着せぬ言い方をする。だから分かり易くていい。




 その一方で気配りもしてくれる。コメントの中身によって送信を分けるのである。私の無知を気遣ってか、今度のコメントはオープンではない「管理者のみ閲覧」に。だから、それをコピペして、このブログに書いてしまったらお叱りを受けるかもしれない。お屠蘇気分の抜けない人間の戯言とお許し願いたい。


七草粥_convert_20110105000706


 三が日が過ぎて、もう七日正月。七草粥だ。お節も飽きて、さっぱりしたお粥の方がいい。第一、お節の重箱は空っぽになった。突付くものがなくなった。




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恩師のご高説

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 「おい、始まったよ。今年もご高説をお聞きするか・・・」


 「若者風に言えばKY(空気読めない)といったところかねえ・・・」



 母校・日川高校の新年同級会にお招きした恩師のご挨拶が始まると会場のあっちこっちで昔の悪ガキが聞こえよがしに、ぼそぼそ。毎年のことながら、この恩師先生のお話は長い。お話というより授業さながら、黙っていれば、いつまでも続くのである。

新年同窓会_convert_20110108220143


 いつもの年なら恩師先生のお話をお伺いしてから「乾杯」して宴に入るのだが、今年の幹事さん、空気を読んで「先生のご挨拶は宴に入ってからお伺いすることといたしまして」と、まずは乾杯。「それがいい。それがいい」と素直に同調する者もあれば、お屠蘇気分も手伝って「そりゃあまずいよ」と混ぜ返す者もいて和気あいあい。





 この恩師先生は国語の先生。出身は甲府一高だが、「オレは日川のヤツ等が大好きだ」と言って毎年1月2日に日川高校前のすし屋さんで開くこの新年会に欠かさず出席してくれる。88歳・米寿を迎えた。でも教え子の私たちと一回り(12歳)しか違わない。若形で、座敷の真ん中に陣取っていなければ、同級生の一人と言っても分からないほどだ。むしろふけ形の教え子より若く見える。



 お話は毎年、干支のご高説から始まる。無駄口や隣同士、ボソボソ話している者がいようものなら「コレ〇〇、黙って聞け。人の話はちゃんと聞くもんだ」と一喝。乾杯が済んだとはいえ、ここでも幹事さんはヤキモキ。いつものように長くなると、みんなの近況報告の時間がなくなるからだ。お歳をお取りになっても勉強家の先生だからお話そのものは面白い。


日本酒_convert_20110108221308



 幹事のブレーキも手伝ってお話が終わると、仲間たちの近況報告。しかし「人の話はちゃんと聞くもんだ」といっていた恩師先生は、どうやら聞く耳持たぬありさま。新年会と言っても当世車事情からお酒を飲めない仲間たちもいる。私のように差しつ差されつ存分に呑んでしまうものもあれば、ウーロン茶で最後まで通す者も。こんな醒めた仲間の反応は厳しい。


 「先生という稼業はいいよなあ。教え子が幾つになろうと、教え子。オイ、コレが通る。教師を除けばシャバじゃあ考えられんよなあ・・・」



 「そうだよなあ。でも考えてみりゃあ、先生稼業は退職するまで、ざっと40年、全て自分より目下の子ども達相手。父兄がいたって人質を取られた父兄。学校という世界は、他にはない特殊な世界かも知れんよなあ・・・。オレ、生まれ変わったら今度は先生になりてえよ」



 改まって文字にすると角が立ったり、失礼のそしりを免れないが、そこは年に一度の同窓の集まり。感ずるままに言いたい放題もまたいい。みんながつかの間、ざっと60年前の悪ガキ時代に戻り、恩師もその悪ガキたちを教え、戒めた若き先生に戻る。20㌔近い甲府にお住まいのこの先生を送り迎えするのも仲間の中の二人。恩師先生は「オレは生きている限りおまえ達のこの会には出る」と毎年言う。先生も先生。教え子も教え子。言いたい放題言えるのがいい。来年も長~いご高説が聞きたい。いつまでもお元気に、と願うのはわたしばかりではない。




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お正月としめ縄

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 どうしてこんなに時が経つのが早いのだろう。うるう年を除いて今も昔も一年は365日なのに子どもの頃や若い時分のそれとは感じ方が際立って違う。アッという間に一年が過ぎる。やたらと短く感ずるのだ。加齢の勢だろうか。西暦では2018年から2019年に、年号では平成30年から31年に、また干支では戌から亥へとリレーする。年号は天皇の退位によって、5月には改まる。平成31年は4か月で閉幕するのである。
 




 松飾りなど正月飾りの飾りつけは大晦日にはしない。「一夜飾り」といって忌み嫌うのだ。「苦」(9)が伴う29日も同じ。我が家では毎年、30日にやっている。神棚にしめ縄とおしんまいを飾り、座敷の床の間には鏡餅のお供えを。薬師如来やお天神様など屋敷神さんにもお供え餅を飾る。おしんまいはいくつかの蔵や物置の入り口にも。




 「苦餅」と言って29日には餅つきはしないが、毎年暮れになると昔は、この辺りでは自前で餅をついた。お供え用の鏡餅はむろん、お正月用のお雑煮やお汁粉、焼餅用の切り餅である。どこの家にもがあって、餅つきは大掃除などと並んで歳末の恒例行事でもあった。あっちこっちのお宅からも餅つきの音が聞こえて来た。


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 餅つきは歳末の風物詩でもあった。ところがいつの間にか、この風物詩は街のスーパーにかき消された。切り餅ばかりでなくお供え用の鏡餅も気軽に、しかも安価で手に入る。鏡餅は素人が作るものとは違っていかにもスマート。飾りつけも上手に出来ていて、大きさもお好み次第。しかもプラスチックでカバーされているので屋外の屋敷神さんなどに供えるにはうってつけだ。いたずらものの犬や猫の餌食にもなりにくい。




 「立派なしめ縄、毎年、毎年、すみませんね」


 しめ縄は近所の親しい友達が手作りしたものを届けてくれる。何気なく戴いていたこのしめ縄。縄のない方が普通の縄と違うことを初めて知った。しめ縄特有の太さとか形のことではない。縄のない方そのものが違うのである。つまり普通の縄は右ないに対して、こちらは左ないにするのだそうだ。お恥ずかしい話だが、この歳になって初めて知った。


神棚



 この友達は小学校時代の同級生。何をやっても器用な人で、しめ縄作りも若い頃、当時のお年寄りから教わったという。しめ縄が自前なら、その藁も自前。葡萄やサクランボを作る一方で2反歩近い水田も作っている。ずっと米麦、養蚕の農業形態を続けて来たこの一帯は昭和30年代半ばから40年代にかけて葡萄、桃を中心とした果樹地帯に一変した。




 「俺たちが食べる米と親戚にあげる米くらい自分で作る」




 果樹地帯のど真ん中で頑固というか、かたくなに水田を作り続けて来た。夏には水を張った田圃から蛙の鳴き声が聞こえ、秋の収穫が済むと今は懐かしい藁積みの≪にお≫も出来る。しめ縄はこの藁を使うのである。


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 これも歳末の風物詩だが、27日から大晦日にかけて街角には正月飾りの露店が並ぶ。この人が作るしめ縄は、そこに並ぶ商売人が作ったものと比べても少しも見劣りしない。同じ同級生でも私のような不器用な人間とは訳が違う。感謝しながら一年間、その神棚に手を合わせる。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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