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「絶対」の宿命

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 このところ暗い話ばかりで恐縮。それほど、親しかった友の死がショックだった証かも知れない。世の中に絶対という言葉があるとすれば、「生あるものは必ず死ぬ」と言うこと。それが早いか遅いかの違いで、「絶対」の宿命なのである。そんなことは誰しも分かっているのに、ビックリしたり、悲しんだり、悔やんだり…。




 それは、可愛がっていた犬や猫、小鳥に至るまで、すべての動物にも通ずることなのだ。愛玩動物ならまだしも、親兄弟、親しかった友人、知人なら、そのショックは何十倍にも何百倍にも膨れ上がる。「在りし日」を思い起こしながら惜別の念に駆られ、涙を流し、かけるべき言葉さえ失うのである。犬や猫と違ってお互いの意思が疎通する言葉があったり、心があるからに他ならない。それが深ければ深いほど、大きければ大きいほど、悲しみや惜別の念は倍増するのだ。




 別れの最後の儀式は葬儀・告別式。祭壇の遺影に手を合わせて、束の間とはいえ、在りし日を偲び、焼香をして故人を弔う。葬送の流れの中で、瞬時とは言え、ご遺族にも、そっとお悔やみの言葉を。人間、不思議なことに、この一連の儀式が済むと、それまで心の中に重くのしかかっていた«様々な想い»が軽くなり、斎場を後にすることが出来るのである。




 人間の心の踏ん切りと言うものは、これまた不思議。一連の葬儀の中で、火葬やお骨拾いなどがる。親族や極親しい人たちによる儀式なのだが、この二つには参列者の意識・態度に歴然とした違いがある。僧侶による「お別れ」の読経が済み、棺が火葬炉に導かれる瞬間。火葬炉の扉が閉まるまで、特に身近な遺族は泣き崩れるのだ。




 ところが、それから一時間数十分後の、いわゆる「お骨広い」。そこで涙を流す人は誰もいない。施主は菜箸のような長い箸でお骨を受け取り、骨壺へ。まるでゲームをしているようだ。人は屍になっても肉体と言う形がある時と、骨になってしまった時の心の持ち様は180度違うのである。その意味では、火葬は「決別」にはふさわしいのかも知れない。


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 昔、自宅葬で土葬の時があった。自宅での告別式を済ませた後、みんながお寺まで列をなして「野辺の送り」をした。墓地では隣組の当番「穴っ掘り係」が上手に掘った墓穴に縄に掛けた棺を下ろしていく。この時の光景は火葬炉の場合と同じ。ただ、火葬炉の場合は、ボタン一つで扉が閉まるが、土葬の場合、土を掛けなければならないから、時間を伴う。その間の遺族の心中は言わずもがなだ。棺にしがみつき、泣き崩れるのである。




 自宅葬から斎場葬。それと時を同じくするように土葬から火葬へ。野辺の送りもなくなった。だから遺族を除いて故人の墓地が何処にあるかも知らなくなった。お寺というお寺の墓地には、かつての墓標が姿を消した。それに、事の善し悪しは別にだんだん増える家族葬。葬式の在り様は、人の心の在り様まで変えて行くことは間違いない。




 「♪夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る お手々繋いで…」


 お寺はむろん、社会や人の心の変化によってそんな光景は姿を消していく。寂しくもあるが、それが現実なのだ。第一、少子化が進む田舎では、その子供すらいなくなる。




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家族葬の功罪

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 先頃、ショックにも逝ってしまった友の場合も含めて、最近「家族葬」という名の葬儀をよく耳にする。一方で隣組や友人、知人など故人をよく知る人たちの戸惑いは隠せない。「オレたち、どうしたらいいの?」。一見、合理的に見える家族葬は、周囲に波紋を投げていることも確かだ。人の「死」に対する考え方も、心の持ち様も変わってしまうのか。そんな«世相»を反映するように「家族葬」向けの斎場が増えている。




 まだ若い時だった。むろん、現役のサラリーマン。その頃は、今のような斎場葬はなく、みんな自宅葬だった。だからか、葬儀屋さんなどと言うものはなく、葬儀の仕切り、運営は全て隣組だった。ご不幸が生ずると施主は、真っ先に組長に連絡。組長は隣組の全てに、その旨を伝え、揃って弔問に伺い、その場で、葬儀の段取りを決めるのである。通夜や葬儀・告別式などの日程を確認、それを踏まえて帳場(受付)、穴っ堀り、勝手場、寺院担当など、さまざまな係を決めて一連の葬儀に備えるのである。今のような火葬ではなく、土葬の時代だったから、当然、墓穴を掘る係だって必要であることは言を待たない。




 通夜の日から近所どころか、地区の人たちがこぞって集まって来る。一番大変なのは勝手場を預かるご婦人方。なにしろ二日間の三度の飯はむろん、10時、3時のお茶など休む間もない。ただ受け皿となる住宅構造は、今のような近代住宅とは違った«田舎家»だったので、人の収容には事欠かない。




 葬儀を預かる隣組の人たちは、通夜、告別式の二日はもちろん、その後の片づけも含めると、三日も«拘束»された。当時、この辺りは米麦、養蚕の農業地帯だった。多くは農業従事者で、私のようなサラリーマンは、どちらかと言えば少数派であった。お手伝い、つまり葬儀を運営する隣組の人たちはともかく、集まって来る地区の人たちは、語弊を覚悟で言えば、«右央、左央の烏合の衆»。その接待もするのだ。

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 ウン十年も前のことである。若気に至りだったかも知れないが、ある長老格の人に、こんなことを言ってしまつたことがある。




 「みんなが集まって右央、左央したり、その人たちの接待で勝手場のご婦人たちが苦労されることはともかく、二日も三日も休みを取らなければならないサラリーマンは大変。会社、クビになっちゃいますよ。三日目の«後片付け»は前日の夜に繰り上げたら。これからの時代、合理化を考えなければならないのでは…」




 その答えは、こうだった。「人間の最後を飾るお葬式は、いわばお祭り。例えば、結婚式など、あらゆる祝い事は、施主が招待状を出さなければ来てくれない。対してお葬式は、何の連絡もなくても弔問するのです。しかも「香典」という名のお金を持ってね…」。




 自宅葬は完全に姿を消し、斎場葬に代わったばかりでなく、その在り様も変わった。家族葬は、さらに増えて行くのだろう。それと共に人の心の持ち様も変わって行くのか…。少なくとも、かつて村の長老格が言った「人間最後の祭り」ではなくなる。皮肉な言い方をすれば親しい友ですら知らない内にこの世から消えて行くと言った現象すらないとは限らない。




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友の訃報と家族葬

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海上自衛隊HPより


 まさか?。友の訃報は、彼の友人からの1本のメールだった。「横浜の〇〇です。以前(3年前)、横須賀のTさんと共に観艦式(海上自衛隊の観閲式)で、ご一緒させていただいた者です。Tさんが亡くなられたことは、ご存知でしょうか。葬儀は家族葬で済まされています。ご家族が周りの方にお知らせしていないようなので、もしかして、と思い念のためご連絡しました」。びっくりしたと言うより「驚愕した」という言う方が正しいかも知れない。本当に「まさか?」だ。




 今年になってからだったか昨年の暮れだったか、T氏から一本のメールが。「オレ、癌の疑いがあるんだって。検査入院することにした…」。「そうか、生きていれば癌にもなるさ。しっかり診てもらうことだよ」と、一抹の不安は感じたものの、いたわりの返事を返した。その後も何度かメールして来たので、深刻な事態に陥っていることなど知る由もなかった。




 T氏は高校(日川)時代の同級生。卒業後、海上自衛隊に入隊。根っからの努力家で、時と共に護衛艦の操舵室を事実上、預かるほどになった。南極観測にも何度も携わった。船や海上防衛に留まらず、空の防衛などについてもめっぽう詳しく、私たち仲間に、さまざまな角度から解説してくれた。我が家には彼が土産に持って来てくれた「南極の石」がある。


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 勉強家であったことは間違いない。時折起こる海難事故や、ひと頃の北朝鮮による相次ぐミサイル発射など現役時代、蓄えた経験に基づく知識や、新たな情報を交えた解説は興味深かった。時には勉強不足?な政治家やマスコミ、評論家の論調に首を傾げ、我が国防衛の将来を憂いもした。自衛官時代の努力と活躍が実って、若くして叙勲も受けたほどだ。


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 自衛隊の位置づけなどを巡って議論されている改憲論は兎も角、我が国の防衛の在り様は、みんなが考えなければならないことは確かだろう。T氏は退官後、有線放送のDJなどにも呼ばれたこともあったので「何事も現場を知らない、言い換えれば勉強不足な解説や、論評が多すぎる」として仲間同士、彼に「ミッションの役割を」と期待さえしたものだった。




 自衛官の定年は50歳代半ばだという。退官後、«関連企業»?に再就職した。〇〇さんは、そこでの気の置けない仲間だったのだろう。訃報の連絡に感謝のメールを返したら、第2弾の詳報が。それによると、死亡したのは3月1日。もう一か月近く前だった。本人の固い遺志で身内の方は家族葬を選び、親しい友も含めて周囲には誰も知らせなかったらしい。




 恐らく○○さんには後に連絡。それを受けて私への連絡と自衛官時代や再就職時の親しい仲間にメールで流したのだろう。その転送メールには、受信した、かつての職場仲間の意見として、こんな記述も。




 「家族葬(で済ませた)ということ。見守るだけで、そっとしておいてあげましょう…」
○○さんは、そんな仲間の意見を紹介しながら、「少し時間が経ったところで、(仲間内の)偲ぶ会でも開催したいと思います」と結んでいた。確かに、それが正解かも知れない。





 時代と共に葬儀の在り様も目に見えて変化している。形式にこだわらない「家族葬」が増えていることだ。多くは故人の遺志のようだが、T氏のケースしかり。親戚はむろん、親しい仲間たちの「戸惑い」は隠せない。遺影を前にしての霊前に手を合わせることすら出来ないのである。みんな、釈然としない気持ちに陥るのだ。兎に角、今は、それぞれの仲間たちが合掌し、友の冥福を祈るしかない。




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花粉症?

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 勝手な思い込みかも知れないが、思いがけないことってあるものだ。長い間、心房細動(不整脈)の持病で検診治療をしていただいている主治医に「この頃、目がかゆくて仕方がないんですがねえ…」と言ったら、その先生、「ああ、この時季は仕方がないんですよ」と、原因について説明することもなく、すげない返事が。




 そんな出来事を酒飲み話で親しい友に「不満絡み」で話したら「お前、バカだねえ。花粉症に決まっているじゃないか」。正直言って田舎育ちの人間にとって、花粉症など全く無縁の存在だと思い込んでいた。その症状が出ていても分からなかったのである。




 田舎と言うより、山村と言った方が分かり易い山里に生まれ、子供の頃は遊び場となった広場には何本もの杉があり、近くの山は杉や檜と雑木の山。シーズンになると空が黄色くなるほどのスギ花粉が舞った。そんな環境下で、子供たちは杉鉄砲で遊んだ。子供たちと言うより«鼻たらし小僧»だ。その主導的な役割を果たしていたのは、いつも時々の餓鬼大将。




 そんな生い立ちの«成れの果て»。「オレ達は絶対に花粉症なんかにはならない。なるはずがない」と、思い込んでいた。都会育ちで、花粉症に悩む仲間たちには同情すらした。そんな人間が、医者から「そんなことが分からないの?」と言わんばかりに言われ、仲間からは「バカだねえ…」と言われても、信じられないと言うのが正直な今の気持ちなのだ。


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 インフルエンザのシーズンは終わった。しかし、街ゆく人たちにマスクをかけた方がいかに多いことか。知り合いにも多く、話を聞いてみれば、みんな花粉症対策だ。花粉症は杉に留まらず、さまざまな花の花粉に広がつていることは、浅はかな知識の上では知っている。その全てが«他人事»と思い込んでいた自分が恨めしくもあり、恥ずかしくもある。




 花粉症を惹起する医学的、食物学的な根拠はむろん、生活習慣など様々な環境変化があることなど、私のような素人に分かるはずがない。ただ不可解なのは、今や«国民病»と言っても決して言い過ぎではない、この「花粉症」の特効薬が開発されていないことだ。




 花粉症に留まらず、私のような鼻たらし小僧の時代には、恐らくなかった「食物アレルギー」も同じだ。牛乳、卵、蕎麦…。果ては魚に至るまで。食べ物ばかりに限らない。病院での血液検査の際の採血や注射の際のアルコール消毒の時にも、必ず問われるのが「アレルギーはありませんか?」。身の回り、あらゆるところで、このアレルギーに気を配っているのである。




 食物アレルギーは、子供達・未発達の人たちに多いと言う。学校給食の現場では想像を超える気配りと苦労を強いられているのだろう。給食を一律に配膳出来ないのだから、栄養士さんや調理師、果ては給食を指導、監督する先生方の気遣いは大変だろう。




 ある時、某催しの「一日〇〇長」に委嘱した中学生の代表に、主催者は気を使って«上等の寿司»を出した。ところが「僕は寿司が食べられないんです」。生魚は全てダメだという。その食事会はセレモニーの一つ。スタッフは大慌てで、メニューを変えた。一方で、関係者は口にこそしないが、日常、避けて通れないご家庭での食生活に同情した。




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友と「さおり織」

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 へえ~、これが「さおり織」か。はじめて聞く言葉。はじめて見る作品。一見、何処にでもありそうで、これといって変哲があるわけでもないのだが、見ているうちに、なぜか引き込まれる何かがある。色彩や形。伸び伸びとしたデザインで表現されているのだ。それもそのはず。説明によれば、織り方はむろん、デザインなど全てにルールがなく、作者の自由な発想で取り組むのが、このさおり織の特長。その歴史はまだ浅いという。


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 「こんなことを始めました。お忙しいとは思いますが奥様と是非、見にいらして下さい」


 2月の初旬だった。高校時代の同級生のご婦人から一枚の案内状が届いた。「さおり織」の個展開催を告げる葉書で、裏面にはめいっぱい、カラフルな作品の一つが刷り込まれていた。日程は3月初旬の5日間。会場はJR山梨市駅前の展示ギャラリーだった。


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 らせんの階段を昇った2階のギャラリーは、それほど広いわけでも、そうかといって決して狭いわけでもない。手頃なスペースと言っていい展示場の壁には50点前後の作品が。平面空間をあしらうように置かれたテーブルの上には、手にとって見ることが出来る作品が沢山、展示されていた。本屋さんで言えば、いわゆる「平積み」である。




 作品の素材はさまざま。毛糸もあれば綿シルクも。いずれも女性物で、ジャケットやパンツ、マフラーや肩掛けもある。自由な発想で織るのが「さおり織」の真骨頂だから、デザインも何もかもみんな違うのだ。この作者の場合、設計図を作らず、思いのままに織ってしまうのだという。当然お手本もない。だから見るものが斬新に映るのかもしれない。


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 このご婦人、当時、女性が極めて少ない、いわば男子高校に飛び込んで来たくらいだから男性顔負けの、負けん気とバイタリティーがあるのだろう。葡萄の産地・勝沼町で5人姉妹の真ん中に生まれ、甲府の実業家に嫁いだ。やろうと思ったことは一心にやってしまう、そんな根性を隠し持っている。そんな人だから、嫁いでから始めたゴルフも見る見る腕を上げ、ひと頃は山梨県の女子アマ界で5本の指に数えられたこともある。


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 展示会場には10人ぐらいのご婦人のお客さんが。「(さおり織を)始めて1年とは、とても思わないわね。素敵じゃあない。私これ買って行こうかしら。試着していい?」


 「鏡、あそこにありますわよ」


 よく見たら展示作品の一つ一つに小さな値札が。即売もしていたのだ。20,000円を超すものも。民間のギャラリーでは経営手法として、そんなシステムをとるところが多い。現に私のサラリーマン時代の同僚が甲府で道楽のようにやっている喫茶画廊も同じ仕組みだった。借り手は売上の何%かをギャラリー側に支払うのだという。


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 自由な発想でモノを創る。実用品でもある着物といえども芸術の世界である。以前、やはり高校時代の同級生の奥さんが趣味で取り組んでいるキルト展を見せていただいたことがある。こちらはきちっとしたマニュアルやセオリーがあって、それをクリアしながら前に進む。そこから新しい境地を拓いて行くのだという。酒だの麻雀だのと現を抜かしている私のような無粋な男どもをよそに女達は70歳近くになっても次々と新境地を拓いていく。




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布施の心

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 巌松山信盛院(曹洞宗)というのだが、我が家の菩提寺では毎年、小正月が明ける頃、お盆が終わった後と同じように施食会を開く。昔は「施餓鬼会」と言った。差別用語を思わせかねない字面を嫌い、改めたのだろう。檀家は「布施」と「年賀」を兼ね合わせたような、のし袋を懐にして寺の庫裏に集い、温かいそうめんを戴くのが習わし。この寺ではなぜか、いつの施食会もそうめんなのだ。お膳の片隅には、お寺側の年賀の品(飴)と一緒に宗門の地区青年会が夏冬に発行する「寺だより」が。そこには、ある住職さんが「布施」と題して書いたこんな一文があった。



 「最近、ある企業が葬儀のお布施の価格目安を提示し、ニュースになりました。≪お気持ちで≫と言われても具体的な金額が分からず、明朗会計でありがたいという声もあったようですが、布施とは本来どういうものなのでしょうか」



 この住職さんによると、仏教界には「無財の七施」という教えがある。これは金銭ではなく、例えば優しい言葉や笑顔も相手の心を癒す立派な布施。真心が大事で、他人に言われて無理やりすることではない、という。


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 曹洞宗の経典に「修証義」がある。無信心な私なんかに、そのようなものが理解できる訳もないのだが、法事の席などでしばしばお目にかかる。別に考える事がないから、と言ったらお叱りを受けるかもしれないが、そんな時には案外、真面目に経文の字面を追っているのである。これも歳の勢だろうか。難しい言葉の意味を考え込んだりもする。




 その中に「布施とは貪(むさぼ)らざるなり」という一節がある。布施というのは貪らない、執着しない、ということだそうだ。「布施」について書いた住職さんは、こんなことも言っている。



 「人はお金に限らず、さまざまな物事に執着する。それはが原因。それらを減らし、自分が満たされていること、それを知る生き方、即ち、少欲知足の実践の一つが布施といえる」




 「布施」とはまったく奥深い言葉だ。私のような凡人には到底理解し難いものがある。「寺だより」に一文を載せた住職さんが言う布施本来の持つ意味はさて置き、私たち凡人がしばしば戸惑うのもこの「布施」かもしれない。「お気持ちで・・・」と言われても、正直言って、はたと困ってしまう。特にお葬式の場合だ。価格の目安を提示してくれたら分かり易いのに・・・。そんな声をよく聞きもする。




 しかし、提示をされたらされたで、困るのもまた布施。サラリーマン現役時代、甲府に住まいしていた頃のこと。隣組に当たるアパート住まいのお年寄りが亡くなった時のことである。身寄りがない方だったから隣組も含めて関係者は、その金額に頭を抱えた。幸いお寺さん側との≪交渉≫でやっと一件落着したものの、ガラス張りが反って物議をかもしたケースでもあった。お葬式は隣組が中心になっての運営。結婚式と違って「ある日、突然」にやって来る。だから戸惑う。戸惑いは布施だけに留まらない。        




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花は桜

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 松、梅、桜…。そう、花札遊びをやった方なら、みんなご存知。1月、2月、3月の絵札である。松に鶴をあしらった、いかにも正月らしい絵柄の1月、正月が明けて2月になると梅が咲き、それが終わると桜が。昔の人は自然を取り込んだ風流な遊びを見事に創り出した。因みに4月は藤、5月は菖蒲、6月は牡丹、7月は萩、8月はぼうず、9月は菊、10月は楓、11月は柳、12月が桐。10月の楓は「紅葉」(もみじ)、11月の柳は「雨」ともいう。


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 道楽者の花札遊びは兎も角、桜の便りが届き始めた。やっぱり花は桜。人間どもに寒い冬を忘れさせて春の到来を告げ、名実ともにそれを感じさせてくれるのだ。花札遊びにもある「花見で一盃」と洒落込めるのもこの季節のおかげ。用地をお貸ししている隣接のふれあい広場の周りで咲き乱れるソメイヨシノや枝垂桜の下で、親しい仲間たちを招いて毎年開く「花見の宴」は、何物にも代えがたい風情がある。友たちが喜ぶ顔もうれしい。


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 人それぞれ好みは違うのだろうが、桜は、やっぱりソメイヨシノに限る。一足早く咲く河津桜は、気温や土壌が違うこの辺りでは、少々、爽やかさと華やかさに欠けるし、八重桜も見た目の感じが重い。枝垂れの桜も、どちらかと言えば同じだ。「桜吹雪」の桜はソメイヨシノと勝手に思い込んでいる。




 桜が多くの花々の中で人々、特に日本人に愛されるのは散り際の美しさだろう。「♪赤く咲くのは冬の花…」と、歌の歌詞にも詠まれている山茶花も、桜の«前座»を担う梅や椿も、みんな散り際はよくない。間違っても「ハラハラと散る」などと言う形容は出来まい。風情というものには全く無縁だ。。




 山茶花や梅は、花としての«峠»を過ぎても生気を失ったまま小枝にしがみついている。チューリップや牡丹などほとんどの花には「散り際」などと言う形容は当たらない。往年の人気歌手・都はるみが「♪あんこ椿の…」と歌った椿に至っては、花びらではなく、額ごとコロリと落ちる。「散る」とは表現しないだろう。

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 時代劇は茶の間のテレビはむろん、映画館のスクリーンからも姿を消した。でも年配の方ならどなたもが知る「遠山の金さん・こと名奉行の遠山金四郎」の二の腕かけた入れ墨は「桜吹雪」。日本人は入れ墨と言うと顔を背け、悪者扱いするが、桜だけは許容しているのだ。こんなところにも桜の魔力が。



 天気予報で寒冷前線とか、梅雨前線というのがあると同じように、なぜか「桜前線」などと言う言葉さえある。「お花見」と言えば桜。梅やチューリップ、ましてや椿や牡丹に「お花見」という言葉は似合わない。「桜前線」の到来とともに各地の桜の名所では花見客でどこも賑わう。この時季は三寒四温と言われる頃で、決して暖かい時季ではない。夜桜見物や宴は体感的には決して好条件ではないはず。

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 昼間のうちから«場所どり»までして花見の宴を。お酒を酌み交わし、歌い、桜を愛でるのである。桜とは、なんと不思議な花なのか…。「花見で一杯」。お花見の一方で、「こいこい」や「おいちょかぶ」など、花札遊びに興じた若い頃が懐かしくもある。




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春に三日の晴れ間なし

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 学校では卒業式が済み、教職員は人事異動に。もちろん人事異動は教職員に限らない。民間企業も官公庁も、みんな同じ。年間を通してみれば、人事異動は、何もこの時季に限ったことではないが、大きな意味では「人事異動」の名のもとに例年、この時季は大規模に人々が行き来をし、それぞれの社会がリセットされるのである。




 警察や公立高校の幹部人事から始まって、山梨日日新聞には相次いで官公庁の人事異動の詳報が掲載される。ほかの県紙も同じだろう。住民生活に直接、または間接的に関わりのある人たちの動きだ。最も身近な市町村の人事異動もしかりである。人の行き来は、当事者にしてみれば悲喜こもごも。一方、報道を受け止める側にしてみれば、間違いなく、新たな期待である。




 人の動きの一方で、じっと寒さに耐えて来た自然界も新しい季節に向けてリセットを始める。ちょっとばかりの寒さはなんのその。先陣を切って花開く梅を追うように「待ってました」とばかり桜が花開き、カエデなど枯れ木を装っていた樹々も芽吹きの兆候を見せ始める。地面・畑では、この季節の雑草が花開く。冬の雑草は勢いこそない代わりに、しっかりと根を張っていて機械で除草してもなかなか枯れてくれない。




 農家も春の農作業へ体制をリセット。一足早く桃や葡萄の剪定作業を終えた、この辺りの果樹農家は、いよいよ動き出す病害虫を駆除するための消毒作業に余念がない。この消毒作業。お天道様と«相談»だ。雨に降られたら折角の消毒作業もフイになる。




 誰が言ったか知らないが、「春に三日の晴れ間なし」。雨が降らないまでも霞に覆われたり、どんよりと曇ることが多い。「三寒四温」と言われる春先の特徴だろう。「春霞」と言う、何となく風情さえ感じさせる言葉もその一つだ。




 果樹は消毒の手を抜いたら絶対に«もの»にならない。丹念の上にも丹念に消毒を重ねても病害虫は絶えない。桃、葡萄ばかりでなく、柿やリンゴ、はたまた白菜など野菜類も同じだ。弱いものは絶え、強いものだけが生き残る。弱肉強食。人間の眼には確たるものは写らないが、それが自然界の掟なのだ。

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 土筆と並んで春を彷彿とさせてくれるタンポポはその典型。野や畑の隅で間もなく顔を出すだろうタンポポ。この辺りでは、ほのぼのとするような日本タンポポは姿を消して、西洋タンポポに変わった。肥料や飼料に交じって外国からやって来るのだろうが、日本タンポポに比べて一回りも二回りも大きく、第一、逞しい。畑に生える雑草も同じだ。




 今は光線や気温、次々と開き始める花々など視覚的にも体感的にも「春」を実感しながらも毎朝、床を離れるのが億劫だったり、畑に出る時間をためらったりする«中途半端な春»かも知れない。




 でも、小鳥たちは知っている。私が管理機と言う名の除草具を使って畑で作業をしていると、後ろから何羽もの小鳥が。機械で掘り起こされる土の中から出て来る虫をついばむためである。その様は、何とも可愛い。花鳥風月、自然界は季節の変化を敏感に捉えている。




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神頼みの心

鳥居


 本当に祈っているのかと言うとそうでもない。それでは祈っていないかと言うと、それも違う。頼みごとも同じだ。先頃の初詣や、普段、旅行などで寺社、仏閣に参拝した時の心の内だ。神様を信じているとか、いないとかではなく、なんとなく手を合わせ、なんとなく賽銭を投げて、手を合わせている自分に気付く。私だけだろうか。


おみくじ

 ズボラではないとは言い切れないのだが、私自身、そんなにもズボラではないと思っている。だが、はたまた、日常の生活の中で、身近にある神棚に向かっても、これとまったく変わりない自分に気付いて「おれって、ちょっとヘンかな」と思ったりすることがある。そんな私と比べ、女房は毎朝と言えばウソになるが、よく仏壇と神棚に水を上げ、手を合わせている。だから、私だけがおかしいのだろう。



 そんな私でも、神棚の祭り方でずいぶん迷ったことがある。勤めを定年で辞め、甲府から山梨市の実家に戻る時のことだ。私の実家は祖父の時代に建て替えたという築80年以上の昔風の田舎家。大きい事は悪くはないのだが、幾つもの部屋という部屋はみんなふすまや帯戸一枚の仕切りだけ。住みにくいことこの上ない。


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 このふすまなどを取っ払えば、一つの大きなホールになってしまう。その上、天上が高いから、夏場はいいのだが、冬は寒くてしょうがない。そこで、女房とも相談、一部を生活し易いようにリフォームした。居間とキッチンはカウンターを隔ててワンフロアーにし、さらに、そこと、ひと続きの所に書斎とベッドを設けた。つまり、キッチンを伴う居間と、寝室として区切らないベッドと書斎のある部屋は4本の引き戸で自由に開閉できる、文字通りのワンフロアーにしたのである。




 もちろん、それはそれでいい。ところが、はたと困ったのが神棚の取り付け場所だ。神棚の置き場所にはいくつかの条件があるのだそうで、その一つは方角。南、または東向きにし、北、または西向きにはしないのだという。もう一つ、神棚の下を人が通り抜けしないところを選ぶこと、だそうだ。もちろん目線より高い所であることは当然である。


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 そんな所は、いっぱいある、とお思いだろう。ところが、この幾つかの条件を満たす所は、あるようで、ないものだ。夏、冬の冷暖房のためのエアコンだって取り付けなければならないし、部屋全体の調和や美観だって考えなければならない。当たり前のことだが、神棚に足を向けるわけにはいかない。人は寝る時、北枕はしないから、その足側、つまり、その西、または北、南はダメ。そこに方角の南、または東向きの条件が絡むのだ。こう書いている本人だってこんがらかってしまうのだから、お読みになる方はなおさらだろう。


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 人によっては、そんな事どっちだっていいだろう、と言われる方もおいでだろうが、いざ自分のこととなると、案外、縁起や風習に拘るもの。結局、幾つかの条件に適った所は、たったの一箇所だけ。それも、大きさを考えないと全体の調和が取れなかった。神棚の拝殿?には天照皇大神宮の分厚いお札。地域の道祖神や氏神様のお札も。女房は何か頂き物をしたりすると、仏壇と共にお供えしている。言葉には表さないが、えらいいものだ。



神棚2



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富士山は雪化粧上手

富士の山


 あと4~5日もすればサクラが咲き、春爛漫を迎えて行くというのに、窓越しに見える富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。一方の南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。





 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山



 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。

富士山3



 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。




 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。


赤富士



 毎年、4月から5月の中旬になると富士山の中腹に≪農鳥≫が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。




 「富嶽三十六景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。行角など修験者が導いた富士山信仰(富士講)とともに、彼らはユネスコの世界文化遺産登録に一役買った。時空を超えて現代に蘇ったのである。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。





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行く人来る人

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 ひと頃に比べると、日差しは確実に変わった。窓越しの植え込みを見ても、一足早く咲いた白梅は峠を越して花びらに生気を失い、遅咲きの紅梅が多くが蕾を大きく膨らませ、中には開花を待ちきれない蕾も目立つ。茶の間のテレビは日本列島の桜の開花予想を報じ始めた。あと一週間もすれば、南国から桜の便りが届き始めるのだろう。


 自然界の季節移動の一方で、人間さまにとっては「人事の季節」でもある。会社、官庁を問わず、「辞令」と言う名の紙切れ一枚で、人々が往来するのだ。もちろん、その儀式は年度末になるのだが、当然、内示はその前。少なからず、今が最も落ち着かない時期なのである。人々は内示を受けて一様に一喜一憂する。ある会社の人事担当幹部が、こんなことを話してくれたことがある。


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 「人事と言うものは60%の人が納得してくれれば成功。みんなが満足する人事なんてあり得ないんですよ」


 人事は別の角度から見れば、その人の評価や期待度の現れでもある。立場代わって、それを受け入れる側にしてみれば、不満を生ずるのも当たり前。人間誰しもが、それなりの«自信»を持っていたり、希望や夢がある。それと異なる«沙汰»に出会えば、不満や落胆に繋がるのも、これまた当然。人事担当の幹部氏が指摘する40%(不満足)が、それだろう。


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 その良し悪しは別に「辞令」と言う紙切れ一枚で動かされる側は大変だ。部署内や狭い地域、範囲内で動く人はいいが、官民を問わず、「全国一区」で異動を強いられる人たちのご苦労は想像に難くない。«お引越し»に伴う労力や経費だったバカにならないだろう。2月早々、甲府から岡山への転勤(栄転)を内々«沙汰»されたというある官庁の幹部氏は、こんなことを。




 「甲府への赴任は単身だったので、今度も体一つ動けばいいように見えるかも知れませんが、問題は、それなりの家財道具の引っ越しです。引っ越しに手を貸してくれる宅配業界は今、人手不足で四苦八苦。思うように、その日程調整が出来ないんです」


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 そういえば宅配業界の人手不足が新聞やテレビで報じられたことがある。人事異動の季節は«かき入れ時»と思いきや、関係業界のやり繰り、それに甘んじなければならないサラリーマンたち。こんなところにも「人事の季節」の悲喜こもごもがある。因みに、この官公庁の幹部氏、2年前の前任地は札幌。出身地は広島だ。




 私のように現役生活からリタイアした人間にすれば、人事の季節の裏側にある悲喜こもごもに同情こそすれ、気は楽だ。でも、この季節に、まったく無関係と言えばウソになる。地域や各種の民間団体だって人事の季節は無縁ではない。女房、子供を連れての引っ越しこそ伴わないまでも、役員の交代やそれに伴う事務的な引継ぎなど、それなりのわずらわしさとも遭遇する。飛ぶ鳥あとを濁さず、である。

梅の花

 小、中、高や大学生など子供たちにも「人事の季節」は同じ。卒業式や入学式、進学や就職、進級も。そこには大人たちにも共通した悲喜こもごもがあるのだ。あと一か月も経たない内に社会はリセットされ、平成の世も事実上、新しい元号に移行して行く。




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講演の思惑

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 世の中には、〇〇大会、〇〇研究大会と言った、いわゆる研修会や勉強会がある。民間団体であれ、会社、官庁であれ、むろん、その主催者はさまざま。そこに登場するのは「基調講演」と言う名の著名人のお話だ。主催者は、そこにどなたをお呼びするかは頭を抱えるところ。無理矢理でも催しのテーマとフィットさせなければならないし、参加者を魅了する、言い換えれば«集客力»のある人でなければならない。




 いかなる催しにせよ«人を集めること»は必須の課題。「客寄せパンダ」などと言っては絶対に失礼だ。そのことは講師として呼ばれる«先生»も先刻ご承知。参加者の層、言ってみれば«顔»を見ながら話す。大体のプログラムは1時間20分前後。その後に「質問時間」を組むのである。




 おおよそは、そこに登場する«先生»は大方が知る著名な方。テーマやその場に合わせてお話を聞かせてくれる。先日も、自らも関わる社会教育団体が主催した研究大会で、言語学者の講演をお聞きした。講師先生は、ご専門の言語について「国語の四技能」と題してお話ししてくれた。




 大学での講義さながら学生と向き合うような話っぷり。私たちが学生時代接した教授先生とは、打って変わった親しみ易い語り口調だ。因みに先生のお歳は62歳。その話っぷりを見ながら«今時»の教授先生のご苦労、つまり、学生を惹きつけ、飽きさせない工夫を垣間見た思いがした。テレビで人気者になった大学予備校・学習塾の先生をオーバーラップさせたりもした。大学教授に求められるのは専門知識に留まらず、ある種のパフォーマンスも必要なのか。




「ICTやパソコンが普及した今、文字の上手とか下手などと言うことは、どっちでもいい。パソコンがやってくれるんです」


 「ICT機器の進化で外国語の翻訳も寸時。あえて小学生の頃から英語教育をする必要はない。国語(日本語)教育の方が大事だ」




 など、あっちこっちに「オヤっ」と思えるようなお話も。我が国でも第一人者格の言語学者の仰ること。一瞬、首を傾げながらもジェネレーションギャップと頷き、その一方で、学者とか著名人の言動のインパクトに恐れをなしたりもした。テレビのワイドショウなどに登場する«専門家»と言ったり、学者と言ったりする方々のお話も、市井の私たちは「そうか」と、額面通り受け止めてしまうのである。




 講演の後の質疑応答が面白い。大方の質問は、こんな前置きから始まる。


 「先生の貴重なお話、本当に勉強になりました」


 「先生のお話を、これからの人生に役立てて行きたいと思います」


 ご苦労をいただいた講師先生への感謝の気持ちと言ってしまえばそれまで。でも、何事にも言えるだろうが、一方通行ではなく、それぞれが考える場が講演会のような気がするのだが…。毎日氾濫するマスコミの論調だって時にはハスに構えて接することも大切?ではと。




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座敷の雛飾り

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 「灯りを つけましょ ぼんぼりに・・・」

この間、節分、立春を過ぎたと思ったら、もう雛祭り。今年も女房が奥座敷に七段飾りのお雛様を飾った。一人娘が生まれた時、義父母、つまり女房の親から贈られたものだ。もう48年も前のことだ。でも少しも痛んでいない。サラリーマン現役時代、甲府に住んでいた時分は家が狭かったから、そこで飾ることもママならなかったが、今はスペースに事欠かない。こんな時は田舎家はいい。心なしか一つ一つのお雛様ものびのび、生き生きしているように見えるから不思議だ。



雛人形



 娘が生まれたのは昭和45年10月。この年は作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で壮絶な自決を図った年。このショッキングな事件は娘の誕生の一ヵ月ちょっと後だったので鮮明に覚えている。私が28歳になろうとしている時だった。今の娘の年よりずっと若かったことになる。




 48年という歳月。あっという間だった。光陰矢のごとし。雛飾りを眺めながら、しみじみとこの言葉を実感した。ふと、周りを見れば、この雛飾りを贈ってくれた女房の両親と私の親父もとっくに他界。唯一残っていたおふくろも96歳でこの世を去り、数年後には13回忌を迎える。。晩年は自力での生活は困難になって、病院にお世話になっていた。認知症の症状が進んでもいた。主役の娘ばかりではなく、私たちにもこの雛飾りにはさまざまな思い出がいっぱい詰まっているのだ。お袋にとっては認知症下の雛飾りが最後だった。


雛人形3


 田舎でも住宅構造は、どんどん変わり、合理的で、コンパクトな間取りになったので雛飾り、特に大型の雛壇飾りはしにくくなった。だからなのか、訪ねて来る近所の人や女房も含めての友人、知人はみんな自分の事のように大喜びするのだ。そこにはそれぞれの子ども達や自らの若かりし頃の思い出をオーバーラップしているのだろう。その一つ一つの顔は歳をとっても純真そのものである。
 その一人が言った。


「俺のところは男の子。毎年、端午の節句には鯉のぼりと武者のぼりを立てるんです。のぼりを立てるための竹竿が痛んでしまったので、知人にお願いして竹やぶから太い立派な竹を何本か頂いて来た。準備は万端。大きな鯉のぼりが今年も五月の風に泳ぎ、それを上回る武者のぼりがはためきますよ」


鯉のぼり



 自分の事のように嬉しそうだった。他の地方のことは分からないが、山梨では端午の節句に鯉のぼりと共に武者のぼりを立てる。文字通り武者絵をあしらったのぼりで、その丈は10m近くもある大きなものだ。鯉のぼりだって大きい。だから、それを支える竹竿だって、よほど太く、頑丈なものでなくてはダメ。市販の金属製のものだと風の圧力に負けてしまうのだそうだ。杉などの木を使う人もいるが、弾力のある竹の方がいいという。




 女の子にせよ、男の子にせよ、子どもの健やかな成長を願わない親はいまい。桃の節句、それを追っかけるようにやってくる端午の節句。そんな機会に大人たちも自らの子どもの頃を懐かしんでみるのもいい。しかし、我が家もそうだが、一人っ子が気になる。私の兄弟は4人だった。すでに結婚した甥、姪達には「子どもはたくさんがいい」と言っている。自分が歳を取ったらよく分かる。

雛祭り




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師への恩

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 母校は健在だった。同窓会役員の片割れとして母校・日川高校の卒業式に臨席して、そんなことを思った。1時間半の式典の一部始終を目の当たりにして、そう感じたのは私ばかりではなかった。私の隣に座っていた先輩役員は、こんなことを言った。




 「オレねえ、毎年のことだけど、この卒業式に来ると胸が熱くなるんだよ。礼儀正しく、しかも粛々と式に臨む母校の生徒たちを見ると,正直言って何か心を洗われるような気持ちになる。だから、ここへのお招きは欠席しないんだ。今の若いヤツ等、立派だよ」





 どの学校も同じだが、式場は体育館。それなりにビニールカーペットを敷くなど床に養生をするが、紅白の幕などは一切使わない。卒業式特有のある種の華やかさはない。一見、地味にも見えるが、それがいい。校訓でもある「質実剛毅」「文武両道」が逆に際立つのだ。


 
質実剛健
山梨県立日川高等学校HPより


 式は国歌斉唱にはじまり、「仰げば尊し」、「蛍の光」、校歌の斉唱で終わる。もちろん県旗と共に国旗も掲揚してある。ここでは「仰げば尊し」や「蛍の光」を「式歌」ときちっと位置付けていた。だから卒業式が引き締まるのだろう。



 かなり前のことだった。「荒れる卒業式」などと揶揄された時代があった。混乱の嵐が全国を席巻したのである。山梨も例外ではなかった。どちらが先かは別にして、そんなムードは成人式にまで飛び火した。




 いわば若者達の反乱だ。国歌や「仰げば尊し」を歌わないばかりか、校歌すら歌うことをしなかった。山梨の場合、「総合選抜」という入試制度にどう考えても問題がなかったとは言えない。でも自分の学び舎であることには違いない。そればかりか国旗の掲揚をも拒み、学校や教育委員会を慌てさせた。




 その裏には直接的か、間接的かは別に≪教育≫の影響があったことは確かだろう。それが多感な若者達の間で火を噴いた。今でも国旗、国歌を軍国主義の象徴と捉えて止まない≪進歩的な先生≫が教育現場には少なからずお出でになるのだそうだ。教育は、純粋で多感な子ども達を右にも左にも動かしていく。そう考えると怖い。



日川高校卒業式




 「仰げば尊し」を歌わなくなったのは生徒が、ましてや児童が言い出したわけでもあるまい。≪進歩的な先生≫のリードがそうさせたことは明白。「仰げば尊し わが師の恩・・・」。先生は言うまでもなく、親や先輩への「恩」、つまり「敬う心」を教えることを放棄したら、その先がどうなるかは、言わずもがなである。その子どもたちが親になる。今、日本中に氾濫する≪モンスター・ピィアレント≫が一つの象徴だ。給食費は払わない。自己中心で、ちょっとでも不都合なことがあれば学校に怒鳴り込む。自分の子供が先生からゲンコツでも食おうものなら大騒ぎだ。誰でもが分かるはずの≪秩序≫を平気でぶっ壊していく。




 世の中とは面白い。そのモンスター・ピィアレントに閉口し、手を焼いてている先生達は、それを作ったのが自分たちの教育であったことに気付いていない。そうでなければ気付こうとしないのだ。輪廻というか、しっぺ返しなのである。こちらは粛々と行なわれた卒業式の一部始終を見せていただく一方で、そんなことを考えたりもした。


 「目標を日々追い求めることが大事。目標の前には目的があり、その先には夢がある」(校長)、「これからの社会を生き抜くためには受け身の姿勢ではなく、どのような未来を創っていくかと言う目的を自ら考える力が不可欠」(県知事メッセージ)

  卒業生たちへの餞の言葉は若者達のこれからの人生指針となるはずだ。 




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母校の卒業式

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 限られた時間とは言え、厳粛な雰囲気の中に身を置く事の心地よさ。3月1日。今年も母校・日川高校の卒業式に招かれた。卒業生や在校生達の爽やかな一挙手一投足、無駄のない研ぎ済まされた式の進行が「厳粛さ」を醸し出すのだろう。



 「ただいまより山梨県立日川高等学校の平成30年度卒業証書授与式を挙行いたします」



 荻野智夫教頭の歯切れのいい開式の言葉が済むと式場となった広い体育館の後方から在校生が奏でるブラスバンドの演奏が。国歌「君が代」。その音色は厳粛の中にも生演奏だけに迫力がある。卒業生や在校生はむろん、教職員や父兄、私達来賓が全員、起立して国歌を斉唱。卒業式の始まりである。




 正面のステージ天井からは国旗と山梨県旗が垂れ下がり、中央の演壇脇には校旗が。武井多加志校長が、その演壇に立つと卒業生の名前が一人一人読み上げられて行く。「ハイ!」。「ハイ!」…。6つのクラス担任の読み上げに応えて起立して行く卒業生の元気な返事が静まりかえった式場に響き渡った。


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 男性教師に混じって卒業生名簿を読み上げる女性教師は、申し合わせたように和服姿。校長や教頭は式服をまとっていた。卒業生名簿の読み上げが終わると、代表が中央から演壇前に上がり、校長から二つ折りにファイルされた卒業証書を受け取るのである。




 再び登壇した武井校長は胸の内ポケットからおもむろに取り出した式辞を読み上げ、丸山公夫同窓会長やPTA会長ら来賓の祝辞が。来賓席には私達同窓会やPTAの役員、歴代の同校校長らのほか、県議会議員や地元市長、学区内の中学校の校長も。そうした来賓も一人一人、そつなく紹介されて行く。




 式次第に沿って淡々と進められていくのだ。その一つ一つに無駄がない。全体に厳粛さを醸し出す由縁がそこにあるのかも知れない。在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞。これも定番とはいえ、式は第二のクライマックスへ。答辞を述べる卒業生の代表は、3年間の学園生活を振り返りながら、感極まって声を詰まらせ、耳を傾ける人達の胸を熱くした。送辞、答辞の代表は新旧の生徒会長だろう。




 同校では国歌「君が代」の斉唱はむろん、「仰げば尊し」と「蛍の光」を卒業式の「式歌」として、きちっと位置づけている。卒業生が歌い、これに応えるように在校生の「蛍の光」が。これに校歌が続いて卒業式は最後のクライマックスを迎えるのである。もちろん、その伴奏は迫力に満ちたブラスバンドの演奏。ブラスバンドは関東大会や全国大会で上位入賞の実績を持つ吹奏楽部。卒業式のムードはいやがうえにも盛り上がり、ちょうど1時間半のフィナーレを迎えてていくのだ。




 胸に薔薇の花を付けた卒業生達。正面の校旗や正面脇の壁に掲げられた「質実剛毅」(校訓)の掲額を見詰めながら歌う生徒達の目には涙が。卒業式のこんな光景は来賓席のオジサンや在校生の後ろにずらりと座っているお父さんやお母さん達にもみんな経験がある。その経験は私のように60数年前であったり、60年以上、逆に40年、30年前の人もいる。


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 不思議なことに、毎年、同じように繰り返されている卒業式の一コマ一コマが、みんな新鮮に映り、そのたびに心を洗われるような熱いものを感ずるのである。(次回に続く)




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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