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美人とのすれ違い

赤トンボ



 芽を出した大根畑で草取りをしていたら、赤とんぼが飛んでいた。秋の到来を実感する瞬間だった。でも残暑はきつい。今日も30度を超しているだろう。額の汗を首にぶら下げた手拭で拭いながら、その赤トンボを目で追っていたら、その先に真っ白い蝶ちょが。はて? この時期に、こんな蝶ちょがいたっけ。春じゃあなかったか。いかに、自然に無頓着に過ごしていたかを実感した一瞬でもあった。





 問題は、白い蝶ちょだ。これまでなら確実に、ヒラヒラと舞うこの蝶ちょを、可愛らしく思い、目を細めて追っただろう。だが違った。瞬間的に、追っかけて捕まえ、すりつぶしたくなった。「お前は異常性格者か」と、ひんしゅくを買うかもしれないが、異常性格でもなんでもない。単なる立場の問題だ。実はこの蝶ちょ、無邪気に初秋の空を舞う赤とんぼと違い、ちゃんと目的があるのだ。可愛らしく、舞っているようだが、実は魂胆があるのである。


蝶


 やっと芽を出し、二枚葉になったばかりの大根の葉っぱの裏側に、次々と卵を産み付けるのだ。この卵はやがて蝶の幼虫となって、大根の葉っぱを食いつぶすという寸法である。よほどののうてんきでも、可愛い、などと言ってはいられまい。汗だくで種を蒔き、晩秋というか、初冬の収穫を夢見ている百姓にとつては天敵以外のなにものでもない。





 蝶ちょへの恨み節はさておき、残暑はあってももう秋だ。日が暮れれば庭先の植え込みからはコーロギや鈴虫の鳴き声が。私はこの時期になると毎夜のように密かに外へ出る。虫の音を聞くためではなく、ある美人に会うため だ。




 「お父さん、毎晩、外に何しに出るの」。女房の疑いを込めた問いかけに「美人に会いに行くんだよ」と、言ったら「なに馬鹿なこと言ってるのよ」と、これまた、けげんな顔。庭先の月下美人を見に行っていることを知った女房は「ああ、そうか。もうそんな季節になったんですねえ」。うちの女房、極楽トンボで、季節感がねえのかなあ。


月下美人2



 我が家の月下美人は何年か前、親しい友が鉢植えで持って来てくれたものだ。昨年も見事な大輪を三つも四つもつけた。色といい、形といい、まさに美人である。なんともいえない気品も備えている。才色兼備である。その上、なんともいえない、いい香りを放つ。シャネルやエルメスなど世界の香水ブランドでもこの香りはつくれまい。ご存知、月下美人は夜、花を開き、一夜にして萎む。「美人薄命」という言葉はここから来たのだろう。



月下美人1



 今年はその美人とすれ違いになってしまった。マージャン会や無尽会で、留守にした夜に咲いてしまったのである。シワだらけに萎んだ≪昔の美人≫がいくつもぶら下がっていた。私が「美人、美人」と言うものだから女房は何を勘違いしたのか「お父さんねえ、≪美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」と言うんだよ」と。「じゃあ、救いようのないブスはどう言うんだ」と聞いたら「一円玉ブス、と言うんでしょう」。「そうだよなあ、これ以上、壊しようがねえものなあ」。「お父さん、美人に逃げられたからといって八つ当たりはよしてよ」と笑っていた。とにかく美人との再会は来年までお預けだ。







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おかんなりさん

 鬼がトラの皮を肩からまとい、首に数珠のようにかけて太鼓を叩いている。鬼だから二本の角を出しているが、決して怖くはなく、笑っているようで実にユーモラスだ。雷さま、雷神の絵である。誰が書いたのか知らないがうまく表現したものだ。


雷さま



 その雷が今年はやけに多かったような気がする。こうしてパソコンを叩く窓越しの闇に稲妻が走ったかと思うと、間髪をいれずにゴロゴロっと雷鳴が響き渡る。その次に来るのが雨だ。真っ昼間の雷鳴だってある。



 物事にハマルとは不思議なもので、畑にいても直感的にパソコンのデータが気になる。いつも野良着のズボンに押し込んでいる携帯電話で家にいる女房に連絡してパソコンの電源を落としてもらうのである。



 今のことだから、雷へのガードぐらいしてあるのだろうが、そんなことがよく分かっていないアナログ人間は電源を切らなければ不安なのだ。「どっちみち使わないのだから、外に出るときぐらい電源を落としておけばいいのに」と、女房は言うが、そこがズボラ人間の成せるワザだ。



 この雷、日本人は、なぜか敬語をつけて呼ぶ。「おかんなり」「かみなりさん」。さらに頭に「お」を、尻に「さん」を付けて「おかんなりさん」とも言う。童謡であり、文部省唱歌の「富士山」では、その一節で「雷様」と歌っている。インターネットで調べてみたらこの歌の作詞は 巌谷小波という人だそうだ。



 ご存知、歌詞はこうだ。


     「あたまを雲の上に出し 四方のお山を見渡して 雷様を下に聞く 
冨士は日本一の山」


富士山  


 富士山は3,776m。「雷様を下に聞く」のだから雷は少なくと 3,700m以下の所で発生することになる。ちなみに富士山の高さは「ミナナロウ富士山のように」と覚えればいい。いい歳して馬鹿なこと言ってるじゃないよ、と言われるかも知れないが、飛行機の上で雷を聞くことはない。ところで、雷をどうして敬語で呼ぶのだろうか。昔から怖いものの例えで「地震」「雷」「火事」「親父」という。語呂との絡みもあるのだろうが、雷は地震の次だ。雷神という言葉があるように人々が恐れ、慄いた存在であった証だろう。




 もう一つ。私にはそれを科学的に説明することは出来ないが、昔から農家の人たちは「雷が多い年は豊作だ」と言った。その根拠は雷が空気中に窒素を合成するからだそうだ。ご存知、窒素はリン酸、カリと共に植物の3大栄養素の一つ。それを只で作り、五穀豊穣をもたらしてくれるとあったら、やっぱりありがたい神様だ。



 雷の次の「火事」は別として、「親父」はそんなに怖い存在だったのだろうか。地震や火事ほどではなかったが、やっぱり親父は怖かった。しかし今の親父はどうか。威厳がなくなっているどころか、うかうかしていたら子供に金属バットで殺されかねない時代になってしまった。親父が「おかんなりさん」を落とせなくなったのである。






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巨峰と朝顔

朝顔


 よくしたものだ。「異常気象」と、散々言われた猛暑が去って、時季を狂わしてまで鳴き続けていた蝉の声が消え、その代わりに赤とんぼが。その下では淡いピンクや白のコスモスが花開いている。気温の著しい低下もさることながら自然界はしっかりと季節の変化を捉えている。人間達は暑いだの、寒いだのと大騒ぎするが、自然界は黙って反応し、かしましいと言うか、小うるさい人間どもに決定的な答えを押し付ける。


コスモス


 「今年はダメだった。気象異変には勝てませんね。でもねえ、俺と女房が精魂込めて作った葡萄。味をみてくださいよ」

コスモス2


 隣村の牧丘町に住む知人が4㌔箱入りの巨峰を届けてくれた。この人は30代にして小学校の先生を辞め葡萄農家の跡を継いだ。以来、奥さんと二人三脚で1町歩近い葡萄園を耕作して来た。息子さん夫婦もやっぱり学校の先生。こちらはお父さんの跡を継ぐ考えはないという。80歳を超した。でも、そんなことにへこたれているわけには行かない。二人とも思いっきり元気を装っている。




 巨峰は昼間と夜の温度差、つまり寒暖の差がないとダメ。黒くいい色がこないんです。昼間の猛暑、よしんばそれはそれでいいんですが、夜の気温が下がらないとダメ。あの連日の熱帯夜ではねえ・・・。どうにもお手上げですよ」


葡萄


 奥秩父山麓にある山梨市の牧丘町。この辺りは山梨が誇る葡萄郷の中でも屈指の巨峰の産地。標高が500mを超し、昼間と夜間の温度差が、その座を揺るぎないものにして来た。




 山梨は言わずと知れた果樹王国。葡萄、桃、サクランボ、スモモ・・・。何でもある。その中核が桃と葡萄だ。開花期である春先、気象異変に見舞われたかと思えば梅雨時の長雨。これで終わりと思ったらヒョウ害や夏場からロングランの猛暑である。果樹農家にしてみればダブルパンチどころかトリプルパンチ。まさにノックアウトだ。




 果樹王国の中でも葡萄は主力。言ってみれば東西の横綱だ。桃は春先の気象の乱れで、いわゆる核(種)割れを起こした。商品にはならない致命傷。片や葡萄は開花期にぶつかった気象の乱れに加えて梅雨時の長雨。肝心な消毒が出来なかった。出来ても追っかけてくる雨が消毒液を流してしまうから効き目なし。勢いバンプ病やベト病を招いた。


 これにダメを押したのがヒョウ害と夏場の長期にわたる猛暑。被害は果樹農家ばかりではない。不作であれば市場価格は値上がりする。消費者は例年の何割り増しかの巨峰や甲斐路を食べさせられているのだ。ただ、どんどん勢力を広げているシャインマスカットは救世主だ。値段がいいのはむろん、病害虫にも強い。ブドウ栽培農家は密かにニンマリである。


朝顔2


 牧丘の知人は、そんな話をひとっ話しての帰りがけ、庭先で咲くアサガオの花を見て「こいつは強いねえ。病気もつかねえ」と、羨ましいというか、感心するようにつぶやいた。動物もそうだが、植物は強い。人間が手をかけてくれる桃や葡萄はいいが、アサガオやコスモスなどなどは暑さや寒さ、長雨ぐらいにへこたれていたら行く先は一つ。淘汰、消滅の運命しかない。それにしても今、我が家の庭先で咲いているアサガオはすごい。西洋アサガオというのだそうだが、さらに霜が降りる頃まで咲き続けるのである。



朝顔3         朝顔4


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紙風船と越中富山の薬屋さん

紙風船

 「シャボン玉飛んだ♪ 屋根まで飛んだ・・・♪」


 そう、童謡「シャボン玉」の歌い出しだ。この歌を聴いたり、口ずさんで心を洗われる気分にならない大人はいない。今の歳が幾つであれ、誰にもあった幼い頃を髣髴とさせてくれるのである。紙風船だって同じだ。赤、白、青、黄色、紫・・・。


 何色かに彩られた紙風船は、普段は折りたたまれていて、空気を吹き込むと丸くなるのだ。紙製で、しかも小さくはない空気穴が開いているので、風船はいかにも頼りないのだが、女の子達はそれを上手に上に突いて遊ぶ。男の子も女の姉妹の中にいれば一緒に遊んだ。




 私の場合、この紙風船を見ると、なぜか越中富山の薬屋さんを思い出す。子供たちにとって薬なんかどっちでもいい。そのおじさんがくれる風船の方が楽しみなのだ。今のようにゲーム機もなければ、パソコンや、ましてインターネットもなかった。やがて一般家庭にも入って来るのだが、テレビだって満足にない。電波障害や故障でピー、ピーいうラジオが情報や娯楽の主流だった時代だ。


風景3



 越中富山の薬屋さんは毎年、決まった頃にやってくる。いわゆる家庭常備薬の訪問販売である。どこの地域でも同じだったのだろうが、我が家の場合も、この薬屋さんが必要と思われる風邪薬や胃腸薬、消毒薬に到るまで一括して置いて行く。翌年、その集金と薬の補充、入れ替えにやって来るのだ。薬屋さんは拠点拠点に親しいお宅を持っていて、その家では三度のメシも一緒。一宿一飯。泊まって行きもする。




 そこには理屈なしの人間関係信頼関係があった。考えてみれば、身分を証明する何かを持っていた様子もない。お互いの信頼関係以外の何物でもなかった。今、世間を騒がすオレオレ詐欺や手当たり次第に騙してしまう訪問販売の悪者がウソのよう。いつからこんな世相に変わってしまったのだろう。「人を見たら泥棒と思え」とは言わないまでも嫌な世の中になったものだ。


 薬屋のおじさんがくれる紙風船は今風に言えば景品グッズ。越中富山の薬屋さんのトレードマークでもあった。夜は子供たちと遊んでくれ、行商旅で見た面白い話も聞かせてくれた。一年中、全国を歩き回っているのだから話題も豊富。山梨の片田舎に生まれ育ち、情報が少ない子供たちにとって、おじさんの話は新鮮だった。大人たちだって同じだろう。一宿一飯のお返しでもあった。


彼岸花


 あの越中富山の薬屋さんのおじさんたちはどこに行ってしまったのだろう。薬に限らないが、あらゆる商品の流通・販売形態はガラリと変わった。一つ薬を例にとっても一歩外に出れば薬局はもちろん、ドラックストア、物によってはコンビニでも手軽に手に入る。紙風船でのんびり遊んでいる子供なんか見たことはない。


 第一、紙風船など、沢山のグッツが子どもたちの遊びから消えた。変わって登場したのがゲーム機やケスマホをツールにした遊び。遊びのパターンは屋外から屋内、複数から個人に変わった。遊びの知的なレベルアップの一方で、個人主義と自己主張はどんどん強くなる。のんびりした時代に生きたオジサンは、そんな子供が怖くなることさえある。こんな風潮の加速は、恐らく誰にも止められない。




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庭先の異彩

百日紅の花


 ヒマワリや百日草の花が姿を消して、我が家の庭先で、今、異彩を放っているのは百日紅(さるすべり)とアサガオ。ちょっと地味だが、真っ白いユリも捨て難いアクセントの役割を。百日紅はピンクの花を山盛りにつけ、アサガオはブルーの大輪を棚いっぱいに咲かせている。百日紅は恐らく100年以上、年輪を重ねた古木。幼い頃、近所のわんぱくどもと木登りした頃と幹の太さは変わらない。そう考えると、樹齢は、もっと古いのかも知れない。




 植え込みの手入れを、自らするようになって、剪定作業をし易いように樹の頭を縮め、形を整えたせいもあって花のバランスも良くなった。と、勝手に思い込んでいる。近くに«二世»の百日紅も加わってピンクの花の競演だ。周りの樹々は、もう緑の貯えをやめ、どちらかといえば、紅葉への準備を始めた。百日紅とアサガオの花の競演も見方を変えれば、行く夏を惜しんでいるようにも見える。




 百日紅はその年に延びた小枝に穂先のような形状を作り、その穂先いっぱいに貯えた蕾を次々と咲かせていく。「百日紅」(さるすべり)とは、うまい名前を当てたもので、まさに百日紅(ひゃくしちこう=紅)だ。むろん、同じ花が百日も咲いているはずがない。それぞれの帆に蓄えた無数ともいえる蕾が、次から次へとリレーして花を咲かせるのである。




 百日は、もちろん100間の意味ではなく、百日草や八つ手、山の八ケ岳と同じように「長い」や「沢山」の総称。百日紅の開花期間は、ざっと60日。おおざっぱに7月下旬に咲き出し、9月の下旬まで花を付ける。むろん、その年の気象や樹勢によっても異なる。

百日紅1


 百日紅は逞しい樹木で、放って置くと、どんどん大きくなる。だから花を付けると存在感はひとしおだ。車で走っていても、あっちこっちで目を引く。歌にある「赤く咲くのは・・・」などというロマンチックなものとは程遠い。でもこの時季、周囲に異彩を放つ花であることは間違いない。




 一方、アサガオ。このアサガオは種を付けない。在来種ではなく、台湾が原産だそうで、我が家の場合、母屋の敷石の下で株となって越冬、春になると逞しくツルを伸ばす。屋根まで届く網の棚を作ってやり、花を楽しむ。夏場には格好の日除けにもなる。花は7月下旬から咲き始め、11月の声を聞くまで楽しめる。

アサガオ


 直径15cmぐらいある大輪で、色は濃いブルー。それ専用のツルに鞘のような蕾を付け、次々と花をつけるのである。そのツルは繁茂するといってもいい大きな葉っぱの表に出て来て花を前面に出す。だから花の大輪がひと際クローズアップするのだ。ただこのアサガオ、種がないのに元はどうして繁殖したのだろうか。そんなことを考えると、漫才やコント風に言えば「夜も眠れない」?




 百日紅やアサガオの足元で、あちこちに咲く白百合も淡泊ながら風情がある。外来種だそうで、背丈は在来種の鬼百合や山百合と違って2mをざっと超す。その先っぽに、ほぼ直角にラッパのような純白な花を付けるのだ。その«ラッパ»は時期が来るとコロリと落ちる。種を鳥が運ぶのか、風が運ぶのか、我が家の周りには年々、この白いラッパが増える。




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為せば成る…

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 「為せば成る 為さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ為なり」


 江戸時代、窮地ともいえる財政難に追い込まれた藩を見事に立て直したという米沢藩主・上杉鷹山の名言である。この言葉(句)、遡って戦国時代の甲斐の名将・武田信玄の句をパクった、という説もあるが、ここではそんなことはどっちでもいい。




 まさに言い得て妙。人類が存続する限り、普遍の哲学と言ってもいい。誰にも分かる。その通りだと思う。でも、実践できるようで、出来ないのが、このことかも知れない。だからこそ、時代を超えて今も語り継がれているのだろう。ズボラな私のような者には、いつも首から架けておきたいような言葉だ。




 「(第71回毎日書道展で)毎日賞を受賞することが出来ました。(甲府で開く会派の)書道展に出品しますので、ご覧いただければ幸いです」



 サラリーマン現役時代の同僚から残暑見舞いが届いた。その中に、こんな一文が。この男、幹部としての職場の定年が視野に入った頃、「オレは退職後、書道塾を持つ」と決意してカルチャーセンター・山梨文化学園に師と定めた先生の門を叩いた。むろん、勉強は職場がはねた夜の時間である。そう言っては失礼だが、取り立てて字が上手という男ではなかった。




 甲府駅前の山梨県立図書館で開かれた展示会は彼が所属する昭書会が主催、山梨日日新聞社・山梨放送、山梨県書道会などが後援。会員79人の力作と毎日書道展の入賞作品3点が並んでいた。何事においても«凡人»の域を出ることが出来ない私に他人様の作品を評価する眼なぞありっこない。ずらりと並んだ力強い作品群に、ただ圧倒された。


書道1



 そんな中でも彼の作品はひと際異彩を放っていた。会場のメーンに展示されていることや元同僚という贔屓目だけではない。入賞作品の「輝籠淵」は6尺×2尺の大作=写真。もう一つが5尺×9尺の「精華」=写真=だ。「すごい。あの男が、こんな字を書くようになったのか」。正直な驚きであった。作品の前に釘付けになった。




 彼が仕事の傍ら書家を目指したのは10年以上前。その間の定かな努力の在り様は知る由もない。でも人知れない努力があったことは間違いない。かつて、山梨日日新聞社・山梨放送が主催、2万人近い人たちが参加して開く山日・YBS席書き大会で大会大賞(最高賞)を受賞した高校生が「毎日、500枚の書道紙を費やして練習した」という話をしていたことを思い出した。




 そんな言葉の裏にあるのは「努力」以外の何物でもない。Challenge、Chance、Change。この三つの言葉は、相互に関係し合っているような気がする。挑戦、機会、変化。スペルも「lle」と「c」「g」が違うだけ。いずれも「Cha」で始まり「e」で終わるのだ。ChanceとChangeは「c」と「g」の一字違い。挑戦しなければ、変化は生まれないし、その挑戦には、それなりのチャンスを伴う。




 パソコンは人々から文字を書く習慣を奪い取ろうとしている。文字は「書く」ものから「打つ」ものに変わりつつあるのだ。暑中見舞い、残暑見舞い、アッという間にその時季がやって来る年賀状…。いずれも大勢はパソコン文字に。とりわけ、毛筆は稀有になった。しかし、それに接した時、何とも言えない「温かみ」を感ずるのは私だけか…。




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瓢箪からコマ

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 「お爺ちゃん、チビちゃんの腕の湿疹が消えているわ」


 6歳になる孫娘の母親でもある娘が素っ頓狂な口調ながらも嬉しそうに、そんなことを言った。


 一泊2日で熱海に海水浴に連れて行って帰郷した翌朝のことであった。孫娘の右腕の肘の内側に出ていた湿疹がものの見事に消えていたのだ。湿疹は牛乳瓶の底ぐらいの範囲に、いくつもの小さなブツブツが。その一つ一つが赤く膨れ、痛々しかった。




 母親は隣町の皮膚科に連れて行っては診てもらっていたが、一向に治らなかった。このお医者さんは、患者さんが朝早くから行列を作るほどの人気の専門医。塗り薬や飲み薬を処方してもらっていた。周囲の心配をよそに、当のご本人は平気。気にしている様子もない


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 海水浴はパパとママ、それに私たち爺婆の5人。甲府から迎えに来て山梨市の我が家を車で出たのは午前7時半。10時前には熱海の海水浴場に着いた。御坂峠を越し、朝霧高原、御殿場、乙女道路を通り、箱根を経て真鶴から熱海に。山梨から熱海は2時間半の距離になった。道路交通の整備はありがたい。




 パパやママ、それに滅多にない爺婆まで伴った海水浴行きに孫娘が喜ばないはずがない。幼稚園のプールで着るお気に入りの水着に着替えて早速、海に。夏休みの真っ盛りとあって、午前10時前というのに浜辺は家族連れでいっぱい。中にはナイスバディーの若者グループも。浜辺はカラフルなパラソルやテントで一面に花が咲いたよう。




 そんな雰囲気が子供心をくすぐらないはずはなく、孫娘は終始大はしゃぎ。大人だってはしゃぎたくなるくらいだ。浮き輪を使って波と戯れていたかと思ったら、浜辺で砂遊び。炎天下にあってもヘイチャラ。一緒に遊んでやるこちらの方が音を挙げたくなる。子供は疲れを知らないのか…。




 孫娘の腕の湿疹の治癒は、この海水浴行きが功を奏したことは事実。灼熱と言ってもいい、炎天の太陽光と海水のコラボ。はたまた夕方と翌朝のホテルの温泉。そのどちらかが医学が処方する薬を凌いだことは間違いない。




 その両方かも知れない。共通しているのは塩分。私たち家族がお世話になったのは海水浴場から車で僅かなところにあるリゾートホテル・熱海後楽園。海辺の岬のようなところにあるせいか、温泉水は塩分を含んでいて塩辛い。この温泉水が孫娘の湿疹治癒に効いたのかも知れないのだ。


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 孫娘にとって、そんなことはどっちでもいい。パパやママ、それに爺婆との海水浴が、よほど楽しかったらしく「今度はいつ来る?」。そういえば、今は一児の母親である娘が、ちょうど孫娘と同じ頃、今は亡き親父やおふくろを連れて何度も伊東や下田に海水浴に来た。




 その娘も四十路。押しも押されもしない母親になった。娘が今の孫娘と同じように海で、はしゃいでいた頃がついこの間のような気がする。気付いたら女房共々、後期高齢者。何時しか、あの頃のオヤジ、おふくろの歳に。あっ、という間であった。




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大根の播種

赤とんぼ




 何時しか、暑苦しいミンミンゼミの鳴き声が消えて、空には赤とんぼが。屋敷と言わず、畑と言わず、あっちこっちで咲いていたヒマワリは黄色い花びらを落とした。その下で咲いていた百日草やユリも峠を過ぎて、今では見る影もない。流石に花にはまだ早いが、コスモスが順番を待っている。




 花というものは、咲いているうちが花。まさに«蝶よ花よ»だが、最後はだらしない。「散り際」などと人に愛でられるのは、春の桜ぐらいのものだろう。勢いのある花ほど最後は始末が悪い。たくさんの種を付け、地に落ちれば来年と言わずに所かまわず、発芽する。特にヒマワリは沢山の種ばかりか、背丈も大きく、幹も太くなるので、後始末に閉口するのだ。


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 特殊の大型はさみで切り倒して、種がなるべく落ちない内に畑のあっちこっちに山積みして燃やすのだが、どうしても種は落ち、それが来年へと繋がってしまうのである。我が家では毎年この時季、そんな作業が一日がかりで続く。




 「お父さん、来年はもうヒマワリはやめましょうね。それはともかく、もう大根を蒔かなきゃあ…」



 畑でヒマワリの後始末を手伝ってくれていた女房が、促すように言う。我が家では毎年、9月4日前後をメドに大根の種を蒔く。二人暮らしの我が家だけでは、僅かでいいのだが、娘の家や女房の姉夫婦、それに親しい家に差し上げる分まで作るのだ。秋大根は主には冬の時期の沢庵の漬物用。幸か不幸か畑だけは事欠かないので、作付け面積にはこだわらない。




 むろん播種の床づくりは私の仕事。持病の腰痛が邪魔して、作業は決して楽ではないのだが、女房が用意した塩入のペットボトルの水を飲みながら汗だくで畝を作って行くのだ。播種は女房の仕事。概ね30センチ間隔で蒔いていく。大根は発芽率がいい。ひと頃は3粒ずつ蒔いたが、2粒で十分。複数で播種するのは植物が持つ競い合う習性を考慮してのこと。




 問題は発芽後の病害虫対策。うっかりしていると、蝶々が若葉の裏に卵を産み、その幼虫が葉っぱを舐めるように食い荒らしてしまうのである。発芽のタイミングで「オルトラン」という殺虫薬を蒔くのだ。「♪ちょうちょ、ちょうちょ菜の葉にとまれ…」。人間とは勝手なもので、立場によって、そんな蝶々を摺り潰したくなるから不思議。




 大根は数ある野菜の中でも極めて逞しい。発芽率もいいし、生育も早い。9月に種蒔きすれば11月には収穫できるのである。「ど根性大根」だとか、「大根役者」、女房が「失礼しちゃうわ」と怒る「大根足」…。そのキーワードは総じて「逞しさ」だ。都会の方々が「アスファルトの割れ目から大根が…」と、大騒ぎするのもその一例。「大根役者」はいつまでも人気が出ない(当たらない)役者の比喩である。

大根


 「当たらない」は食品学上も的を射ていて、大根を食べて食中毒を起こしたという話は聞いたことがない。日常の食卓でも、刺身など生魚のツマに使われるのも大根が持つ「殺菌」効果に他ならない。食べて良し、おろして良し、刺身のツマにしても良し…。そう遠くない冬の時季、おでんの定番は、やっぱり大根。残暑も、やがてウソのように消えてその先に…。




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朝顔の花

朝顔


 よくしたものだ。「異常気象」と、散々言われた猛暑が去って、時季を狂わしてまで鳴き続けていた蝉の声が消え、その代わりに赤とんぼが。その下では淡いピンクや白のコスモスが花開いている。気温の著しい低下もさることながら自然界はしっかりと季節の変化を捉えている。人間達は暑いだの、寒いだのと大騒ぎするが、自然界は黙って反応し、かしましいと言うか、小うるさい人間どもに決定的な答えを押し付ける。


コスモス


 「今年はダメだった。気象異変には勝てませんね。でもねえ、俺と女房が精魂込めて作った葡萄。味をみてくださいよ」

コスモス2


 隣村の牧丘町に住む知人が4㌔箱入りの巨峰を届けてくれた。この人は30代にして小学校の先生を辞め葡萄農家の跡を継いだ。以来、奥さんと二人三脚で1町歩近い葡萄園を耕作して来た。息子さん夫婦もやっぱり学校の先生。こちらはお父さんの跡を継ぐ考えはないという。80歳を超した。でも、そんなことにへこたれているわけには行かない。二人とも思いっきり元気を装っている。




 巨峰は昼間と夜の温度差、つまり寒暖の差がないとダメ。黒くいい色がこないんです。昼間の猛暑、よしんばそれはそれでいいんですが、夜の気温が下がらないとダメ。あの連日の熱帯夜ではねえ・・・。どうにもお手上げですよ」


葡萄


 奥秩父山麓にある山梨市の牧丘町。この辺りは山梨が誇る葡萄郷の中でも屈指の巨峰の産地。標高が500mを超し、昼間と夜間の温度差が、その座を揺るぎないものにして来た。




 山梨は言わずと知れた果樹王国。葡萄、桃、サクランボ、スモモ・・・。何でもある。その中核が桃と葡萄だ。開花期である春先、気象異変に見舞われたかと思えば梅雨時の長雨。これで終わりと思ったら夏場からロングランの猛暑である。果樹農家にしてみればダブルパンチどころかトリプルパンチ。まさにノックアウトだ。




 果樹王国の中でも葡萄は主力。言ってみれば東西の横綱だ。桃は春先の気象の乱れで、いわゆる核(種)割れを起こした。商品にはならない致命傷。片や葡萄は開花期にぶつかった気象の乱れに加えて梅雨時の長雨。肝心な消毒が出来なかった。出来ても追っかけてくる雨が消毒液を流してしまうから効き目なし。勢いバンプ病やベト病を招いた。これにダメを押したのが夏場の長期にわたる猛暑。色付きに待ったをかけたのである。被害は果樹農家ばかりではない。不作であれば市場価格は値上がりする。消費者は例年の5割り増しの巨峰や甲斐路を食べさせられているのだ。


朝顔2


 牧丘の知人は、そんな話をひとっ話しての帰りがけ、庭先で咲くアサガオの花を見て「こいつは強いねえ。病気もつかねえ」と、羨ましいというか、感心するようにつぶやいた。動物もそうだが、植物は強い。人間が手をかけてくれる桃や葡萄はいいが、アサガオやコスモスなどなどは暑さや寒さ、長雨ぐらいにへこたれていたら行く先は一つ。淘汰、消滅の運命しかない。それにしても今、我が家の庭先で咲いているアサガオはすごい。西洋アサガオというのだそうだが、さらに霜が降りる頃まで咲き続けるのである。



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ホームレスは不労者

風景


 子どもの頃、しばしば、浮浪者がやって来た。当時、この辺りは今のような果樹地帯の形成には程遠く、米麦養蚕の貧しい農村地帯だった。そんな農業形態は戦後の昭和20年代はおろか、30年代後半の高度経済成長の足音が聞こえて来る頃まで続くのである。米麦は供出制度があり、養蚕が大切な現金収入の手段、といった時代であった。ちょっと注釈をつけるとすれば、その養蚕の衰退が果樹への転換の引き金となり、今の果樹王国の形成を導いた。日本の養蚕の衰退、消滅は安い韓国産生糸の出現だったことは誰でも知っている。




 浮浪者のことを、この辺りの人たちは「お乞食(おこんじき)」と呼んだ。子供心にもいかにもぴったりの言葉だと思った。汚い身なりで、物乞いをして歩くからだ。服ともいえないボロボロの布をまとい、日焼けした浅黒い顔は、剃刀なんか何日も当てないから、髭ボウボウ。お碗片手におこぼれに預かりそうな家を回るのだ。その風体こそ違うが、歳末、僧侶が修行の一環で行なう「托鉢」に似ている。そんな托鉢を例えにすると坊さんに叱られるが、なにしろ「お乞食」「浮浪者」という言葉がぴったりだった。


風景2


 世の中全体、戦後の貧しい時代だから、子ども達だって、今のような恵まれた身なりや食生活をしていたわけではない。貧しい農家の経済がそうさせたのである。でも親達は無し無しのお金をお碗に入れてやり、お米をも持たせた。そんなうしろ姿を見たのか、子供たちも、これこそ無し無しの小遣いの中からニ円、三円と恵むことを覚えた。ウキウキと心を弾ませて行く祭りのお小遣いが30円、40円の時代である。




 ところが、ある時、その「お乞食」の本領を見透かしてしまうような出来事に出っくわした。学校からの帰り道、川べりの林で仲間と道草を食っている時のことだ。物乞いをしていた「お乞食」がそれまで着ていたボロボロの服を小奇麗なスーツと着替え、それを風呂敷に包み、颯爽と自転車で立ち去るではないか。髭はそのままだが、髪には丁寧にクシを入れているのだ。子供心にも「この詐欺野郎め」と思ったものだ。




 それからうん十年。わが国は経済大国と言われるようになった。よく考えるとホームレスはいるが、物乞いをする「お乞食」はいなくなった。そのホームレスの一人とワンカップの冷酒を飲みながら話した。東京・隅田川の川っ淵に自ら設けたダンボールやビニールシートの小屋を根城にする浮浪者だ。たまたまかもしれないが、出合ったホームレスは脱サラ男。「堅苦しい会社勤めが嫌になった」という50男だった。「俺たちゃあ、何不自由なく暮らしている。決して強がりなんかじゃあねえ」と言い「自由が財産だ」とも言った。


隅田川1


 このホームレスは「みんな自分自分。他人のことは分からねえが、大なり小なり、みんな同じだと思うよ」とも言う。子どもの頃、出合った「お乞食」と今の「ホームレス」。呼び名こそ違うが、共通した言葉に置き換えるとしたら「不労者」。これこそまさにぴったりの言葉だ。文化人とか評論家と呼ばれる人たちは、もっともらしく政治の貧困だとか、社会構造の欠陥を指摘する。でも何の事はない。平和ボケ日本の落とし子なのではないのか。分かり易く言えば、仕事嫌いの「不労者」だ。




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宝の山

 そう言えばホームレスが集団で歩いている所なんか見たことがない。東京・隅田川の川っ淵で知り合ったホームレス男が言うように、それが習性のようにみんな一人で行動している。昭和30年代、東京の上野に近い「山谷」に集まって暴動を起こした労務者とは違う。その暴動は、職を求めての一揆だった。 



隅田川桜2


 「どうしてかって?そんなの分からねえよ。俺の場合は、人と話をすることなんて面倒臭くなっちまった。この川っ淵にいる連中、みんな行動パターンが違うんだ。それぞれが宝の山(ゴミ置き場)を持っているし、メシを食う(捨てたものを拾って食べる)レストランや料理屋も違う。言ってみりゃあ、独自のテリトリーを持っているのさ。みんなメシのタネだから大事にするさ。穴場を人に教えるようなことは、誰だってするもんか」




 「そりゃあそうだよなあ・・・」



 「ダンナねえ、ダンナたちゃあ、俺たちを蔑んで見たり、時に生活に困っているだろうと同情もしてくれるようだが、俺たちゃあ、ダンナたちが考えているほど困っちゃあいねえ。欲しいものがあればなんでも手に入る。前にも言ったが、手に入らないのは家と棺桶ぐらいのものだ。宝の山のゴミ置き場を二つ、三つ回れば、いいのさ」


隅田川東京タワー


 「今使っている毛布が汚れて、取り替えようと思えば、もっといい毛布があるし、ビニールシートの小屋を補強しようと思えばそれもある。中に敷く絨毯だって転がっている。これを運ぶのに自転車が欲しいと思えば、これだって簡単。こんなものは持って来ても置く所がねえから困るが、大型家具の箪笥やソファーだってある。冬場、寒い時にはガスコンロを探すんだ。使い残した携帯用のガスボンベイだって捨ててあるから暖を取るのに十分。俺たちゃあ煮炊きはしないけど、お茶くらい沸かそうと思えば、それも出来るぜ。俺はもう読まねえけど、暇つぶしに本の一冊も読む気になりゃあ、それも出来る。マンガ本から小難しい学術書まで何でもある。時にゃあ、金庫だって落ちている。これだけは、俺たちには必要ねえがねえ・・・。風呂? 銭湯に行くくらいの小銭、たばこ銭と同じよ」




 ホームレスのオヤジは浅黒い顔をほころばせ、ニコリと白い歯を見せた。我が家では日常、ゴミ出しはかみさんの役目。しかし、車で走りながら見かける粗大ゴミ置き場の光景を頭に浮かべて、ホームレスのこのオヤジの話が一つ一つ頷けた。「日本という国はいい国さ」。二人でワンカップの冷酒を飲みなら交わす言葉の節々に出てくるこの言葉は、もっともらしく言えば、平和ボケし、物を平気で粗末にする私たちへの痛烈な皮肉だ。


隅田川2



 政治の世界では子供手当てや高校授業料の無償化などが議論され、実現している。その一方で街のあちこちにあるゴミ置き場に転がる真新しい勉強机や子供用の自転車・・・。カバンやランドセル、参考書や辞書だってある。ゴミ置き場を「宝の山」というホームレスオヤジの目には政治が真面目くさってやっている政策がどう写っているのだろう。あと3ヶ月もしないうちに師走がやって来る。NPOや行政は「ホームレス対策と救済」の名の元に今年も日比谷公園などで炊き出しをしたり、手当ての支給をするのだろう。善政ぶった、こうした動きに当のホームレスたちは「シャバのヤツらバカだねえ」と笑っているかも? (この続きは次回で)




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日替わりメニュー

 ホームレス男は物好きにも東京・隅田川の川っ淵くんだりまで押しかけていった、まあ変わり者の私に話を続けた。


 「俺たちゃあ、言ってみりゃあ、日替わりメニューで三度のメシを食っている。夜を中心にして一週間の食事計画を立てるのさ。今日は寿司、明日はフランス料理、あさっては中国料理といった具合にね。そんなものに飽きたら和食だって食う。昼間は前日の夕方確保しておいたコンビニ弁当。これはなかなか店ごとに捨ててくれないから見つけるのに苦労するんだよ。朝?これも一流のパン屋さんの裏口に行けば売れ残りとはいえ、真新しい、しかも、うまいパンが手に入る。牛乳やお茶など飲み物は、コンビニなどの売れ残りで十分。言っとくがねえ、これも一流の店を狙うのがコツさ」




 「もちろん、上げ膳据え膳でこんな上等なものを食っているわけじゃあねえ。くどいが、一旦は捨てたものだ。店側にしりゃあ、俺たち社会のクズのような人間でも、腹痛でも起こされて、開き直られたりでもしたらかなわんもんな。だから俺たちが欲しがっていることが分かっていても、一旦はポリバケツに捨てるわけさ。でも人間、捨てたもんじゃあねえ。同じ捨てるにも、そっと置くように捨ててくれるんだ。ありがてえじゃあねえか。そんな時、顔でニコッと笑って心の中で手を合わせるのよ」


屋形船隅田川


 「これもくどいがねえ。プライドというものが、ちょっとだってあったらそんな技、つまり、いくら真新しいといったってポリバケツのものを食うことなど出来ねえよなあ。俺たちゃあ当たり前だが、レストランに行ったり、それどころか三度のメシを食うカネなんかねえ。プライドなんかクソくらえさ」




 「でも、プライドをかなぐり捨ててしまったら人間寂しいねえ。そうは思わんのかい?」



 「そんなの温ぬく生きているダンナたちの言い分さ。第一、そんなものがあったらホームレスは出来ねえし、やっちゃあいねえ。まあ、惰性がねえといったらウソになるが、みんな結構、当たり前にやっているのさ。強がり言っているわけじゃあねえけど、俺の場合、こんな生活、そこそこ楽しんでいるんだよ」




 「この隅田川の川っ淵にいる連中、みんな同じなのかい?」



 「そうだと思うよ。みんな自分、自分。付き合いなんかねえから分からんが、そうでなきゃあ生きていけねえもんな」


夕焼け隅田川2


 「今飲んでいるタバコはどうするんだい?」




 「これだけは誰も捨ててはくれん。仕方がないからお金を出して買うのさ。そのくらいのカネ、朝ゴミ置き場をひと回れば、すぐ作れる。ダンボールやビールの空き缶さ。これ、そこそこのカネになるんだよ。これも蛇の道は蛇。俺たちのようなヤツらを相手に商いをする業者がちゃんといるんだよ。ゴミ置き場は俺たちにとっちゃあ貴重な宝の山さ。なんでも手に入る。ないのは≪家と棺桶≫くらいのもの。日本は贅沢な国だと、つくづく思うね」。(この続きは次回で)




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栄養過多のホームレス

隅田川アサヒビール本社

 初めはけげんな顔で私を見、ポツリ、ポツリと、しかも面倒臭そうに話していたホームレスのオヤジが、だんだん饒舌になった。



 「みんな、俺たちを犬、猫以下に見るどころか、まるで汚いものでも見るように遠巻きに通り過ぎるのに、ダンナも変わっているねえ。こんな隅田川の川っ淵まで好き好んで来るんだからねえ・・・」



 「あんたに変わり者呼ばわりなんかしてもらいたくねえね。恐らく、そこそこの給料を貰っていた会社を飛び出し、その上、女房まで捨ててホームレスをやっている、あんたにねえ・・・」




 まあ、そんなことは、どっちでもいい。お互い、気を許したせいか、それとも3合近いワンカップの冷酒を飲んだせいか、見知らぬ者同士がいつの間にか友達のような会話をしていた。「普段、他人と話すことなどほとんどない」と自らも言うホームレス男。隅田川下りで船の上から見て興味を持ったとはいえ、山梨くんだりからノコノコとやって来たヘンな男。やっぱり変わり者同士に変わりはない。だからこそ気心が通じ合うのかもしれない。


隅田川東京タワー


 「ところでメシのことなんだけど、毎日どうしているんだい。カネだってあるわけねえし・・・。人ごととは言え心配になるよ」



 「ダンナ、やっぱり俺たちのこと、なんにも分かっちゃいねえな。三度のメシ寝起きをする場所の確保は、俺たちが何をさて置いても考えなければならないことさ。それが出来なきゃあホームレスは出来ねえんだよ。そうでなきゃあ、日本中からホームレスは消えちまうよ。蛇の道は蛇。俺たちホームレスはホームレスで、みんな知恵が働くんだよ」



 「へえ~、そんなもんかねえ・・・」


隅田川


 「ところでダンナ、この一週間、どんなもの食った? 寿司食ったかい?フランス料理や中国料理食ったかい? 俺たちゃあ、そんなもの年中、食ってるぜ。みんなと言ったら言い過ぎだが、この隅田川の川っ淵に巣を食う俺たちの同類は、大なり小なりうまいものを食っているはずだ。お陰で俺は、このところ栄養過多になっちまった・・・」




 「稼ぎもねえ、あんたらに、そんなこと出来るわけねえじゃあねえか」




 「それが出来るんだよ。蛇の道は蛇といっただろう。レストランや料理屋、それも高級のねえ・・・。コンビニだって行く」




 「高級レストラン? 料理屋?」




 「俺たちゃあ、予め高級と思われるレストランや料理屋の裏口を回ってみるんだ。そうすりゃあ、そこで何時、どんな物を、どう捨てるかが分かる。翌日からその時間に合わせて行くのさ。しっかりしたレストランや料理屋ほど、その時間に狂いはねえんだ。それを存分に頂くんだ。前にも言ったろう。プライドさ。これだけは捨てなきゃあ出来ねえ技なんだぜ。日本はいい国さ。消費期限とか賞味期限というヤツがあって、食べ残しじゃあねえ、真新しいものを目の前で捨ててくれるんだ・・・」(この続きは次回で)




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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