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暖冬も不吉な予感

梅1


 庭の白梅が満開。どちらかというと、花は峠を過ぎたかも知れない。隣では一足遅い紅梅が蕾を膨らませている。赤く、白く咲き誇った生け垣の「冬の花」・山茶花は、既に花を散らせた。カエデやカリン、柏、ザクロなどの落葉樹やコテマリ、オオテマリなども芽吹きの準備を始めている。自然界が当たり前に毎年繰り返す次の季節への序奏である。


山茶花3


 今年は例年にない「暖冬」だという。私のような鈍感人間でも、その暖かさは肌で分かる。でも、やっぱり寒い。これは歳のせいだろう。植木の剪定や、やり残した葡萄の剪定など仕事は山ほどあるが、外に出るのが、つい億劫になって炬燵で丸くなるのだ。


   山茶花4


 そんな無精者の人間をよそに自然界は一見、与えられた気温やお天気に文句ひとつ言わずに次の季節に«それなりの»準備をしているように見える。しかし、地球という自然界だって、我慢ばかりしている訳ではない。我慢の域を超えて集中豪雨と言う名の大雨を降らせたり、竜巻などの突風、果ては、とてつもなく大規模な森林火災まで惹き起こす。




 地球が異変を起こしている?その典型が温暖化だろう。当たり前の地球を人間の都合で壊してしまった証であることは間違いない。近年、日本のみならず、世界中で繰り返される災害は、身勝手な人間どもへの鉄槌かも知れない。




 中国・武漢に端を発した新型コロナウイルス感染症も、その一つかも。新聞やテレビ、ラジオは毎日、その動向をトップニュースで伝え、朝、昼のワイドショウ番組は、それ一色。感染症は世界中に広がり、罹患者や死者の数はどんどん更新されて行く。地球上の人間全てが他人ごとではなくなった。暖冬は、もっと大きな異変の予兆かも。




 コロナウイルスは、旅行や各種の大型イベントはむろん、ちょっとした催しにも波及して中止、中止の連鎖。こうしてパソコンを叩いていても地域の防災無線からは市や県の催し中止の放送が。世界最大のイベント・オリンピック、パラリンピックへの波及まで取り沙汰されているのだ。人々の行動委縮に留まらず、経済、景気にも重大な影響をもたらすだろうことは、私のような門外漢にも容易に想像できる。




 「お父さん、ユネスコの懇親会、中止した方がいいんじゃないの」


 私が主催者で、3月、石和温泉峡で開く予定の県連加盟団体幹部懇親会を女房まで心配してくれる。局地的、世界的はさて置き、流行した感染症はこれまでにも決して少なくなかった。しかし、これほど世界中を震撼させた感染症は類を見ないだろう。みんながみんな我が身にオーバーラップして神経を尖らせているのである。所属させていただいている山梨ロータリークラブの創立50周年記念式典も中止の憂き目に。関係者は断腸の思いだ。




 「明日は我が身」。そんな不安ばかりでなく、ヘイト、つまり風評被害も惹き起こし始めている。計り知れない経済活動への影響だけでなく、人の心まで蝕もうとしているのだ。まさに«国難»と言ってもいいだろう。


 そんな時も時、情けないのは、国会での先生方のやり取り。やれ「対応が遅い」だの「早計だった」だのと政府や関係機関への追及ばかり。「こうしたらどうだろう」とか「ああしたら・・・」と言った提案もなく、鬼の首でもとったように追及のための追及に終始する、特に野党の先生方。それで«国難»を乗り切れるの?この問題は党利党略の問題ではないんだよねえ…。

 厳しい追及は一見、痛快にも聞こえる。でも、それは時と場合にもよる。違うんでしょうか…。




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神頼みの心

鳥居


 本当に祈っているのかと言うとそうでもない。それでは祈っていないかと言うと、それも違う。頼みごとも同じだ。先頃の初詣や、普段、旅行などで寺社、仏閣に参拝した時の心の内だ。神様を信じているとか、いないとかではなく、なんとなく手を合わせ、なんとなく賽銭を投げて、手を合わせている自分に気付く。私だけだろうか。


おみくじ
 ズボラではないとは言い切れないのだが、私自身、そんなにもズボラではないと思っている。だが、はたまた、日常の生活の中で、身近にある神棚に向かっても、これとまったく変わりない自分に気付いて「おれって、ちょっとヘンかな」と思ったりすることがある。そんな私と比べ、女房は毎朝と言えばウソになるが、よく仏壇と神棚に水を上げ、手を合わせている。だから、私だけがおかしいのだろう。


 そんな私でも、神棚の祭り方でずいぶん迷ったことがある。勤めを定年で辞め、甲府から山梨市の実家に戻る時のことだ。私の実家は祖父の時代に建て替えたという築90年以上の昔風の田舎家。大きい事は悪くはないのだが、幾つもの部屋という部屋はみんなふすまや帯戸一枚の仕切りだけ。住みにくいことこの上ない。

障子12



 このふすまなどを取っ払えば、一つの大きなホールになってしまう。その上、天上が高いから、夏場はいいのだが、冬は寒くてしょうがない。そこで、女房とも相談、一部を生活し易いようにリフォームした。全体に手を付けたら収拾が大変だし、第一、費用だってバカにならない。居間とキッチンはカウンターを隔ててワンフロアーにし、さらに、そこと、ひと続きの所に書斎とベッドを設けた。つまり、キッチンを伴う居間と、寝室として区切らないベッドと書斎のある部屋は4本の引き戸で自由に開閉できる、文字通りのワンフロアーにしたのである。



 もちろん、それはそれでいい。ところが、はたと困ったのが神棚の取り付け場所だ。神棚の置き場所にはいくつかの条件があるのだそうで、その一つは方角。南、または東向きにし、北、または西向きにはしないのだという。もう一つ、神棚の下を人が通り抜けしないところを選ぶこと、だそうだ。もちろん目線より高い所であることは当然である。

神棚

 そんな所は、いっぱいある、とお思いだろう。ところが、この幾つかの条件を満たす所は、あるようで、ないものだ。夏、冬の冷暖房のためのエアコンだって取り付けなければならないし、部屋全体の調和や美観だって考えなければならない。当たり前のことだが、神棚に足を向けるわけにはいかない。人は寝る時、北枕はしないから、その足側、つまり、その西、または北、南はダメ。そこに方角の南、または東向きの条件が絡むのだ。こう書いている本人だってこんがらかってしまうのだから、お読みになる方はなおさらだろう。

1



 人によっては、そんな事どっちだっていいだろう、と言われる方もおいでだろうが、いざ自分のこととなると、案外、縁起や風習に拘るもの。結局、幾つかの条件に適った所は、たったの一箇所だけ。それも、大きさを考えないと全体の調和が取れなかった。神棚の拝殿?には天照皇大神宮の分厚いお札。地域の道祖神や氏神様のお札も。女房は何か頂き物をしたりすると、仏壇と共にお供えしている。言葉には表さないが、えらいいものだ。



神棚2



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世論は化け物

 「百万人と言えども、われ往かん」


今の時代では、何か古めかしい響きさえある言葉だ。お前はどうだ? 俺? 気概としては持ちたいのだが、さて・・。やっぱり「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の類かな。


1


 この言葉、正しいと思ったら勇敢、果敢に物事に立ち向かっていくことを言う。その根本を一歩間違えると、一転、頑固オヤジ、偏屈人間に成り下がる。しかし、しがない私達のような市井の人間はともかく、国の将来を左右する政治家の先生方には、少なからずこの気概をお持ちいただきたいものだ。茶の間で、アホ面してテレビを見ながらそんな事を思った。世論なんてクソ食らえ。国家百年のため・・。そんな先生がいたっていい。





 柄でもない、ちょっと堅苦しい話になるが、大勢いる、あの衆参両院の先生方が「世論」の名の元に、みんなで右往左往している。言葉を変えれば、その「世論」を背中に背負って、言いたい放題。そこには政治家としての「自分」があるようには見えないのだ。世論、という百万の味方を背にしていると思っているからか、その顔は自信たっぷり。


国会議事堂


 でも、この「世論」とはいったい何者だろう。ヘンな世の中、こんなことを閣僚や政党のボスが言ったら、その日のうちに首がすっ飛ぶのだろうが、この「世論」というヤツ、私は、得体の知れない、いわば、化け物だと思っている。政治家先生だって、むやみに「世論」を言うわけにはいかないから、新聞やテレビ、いわゆるマスコミの論調を引き合いに出したり、多くはそこが実施する「世論調査」のデータを楯にする。




 さて、その世論調査である。新聞やテレビがその都度明記するサンプル数は、およそ3,000。全国でである。当然、回答率は100%というわけにはいかないから、いつも、その数は1,600~1,700。多くても2,000に満たない。一億2,000万人分の、その数だ。統計学的にはそれでいいのだそうだが、感覚的には、なんとなく首を傾げたくなる。


電話



 調査の手段は電話。私の家も過去に、たまたまその対象になったことがある。感情移入を避け、調査の公正化を期すためだろう、音声はコンピュータ。そこで、はたと考える。男女とか年齢が偏らないだろうか。独り暮らしならともかく、一家で電話に出る場合、確実に主婦・女性の方が多いはずだ。もちろん、統計学的には回答者の中で分析すればいいのだろうが、全体的なウエイトは主婦層に掛かっていることは間違いない。住民票の台帳を基にした、かつての調査方法と比べればかなりラフだ。




 そんなことはどっちでもいい。問題は、結果的に「世論」として世に出て来る個々の回答だ。身近な問題ならいざ知らず、内閣支持などといったら、私なんか、何を判断基準にしたらいいのかわからない。勢い、知らず知らずのうちに新聞やテレビの論調に左右されている。特に今のテレビのように、良きにつけ、悪しきにつけ、ことある度にあの大合唱をされたら、しがない私なんかどっちだって行ってしまう。ただ、私たちが普段、野良や炬燵でするお茶飲み話と、国会の先生達やマスコミが言う「世論」とは、何か、ちょっと違うことが多いような気がする。誘導されているような気がして。私ばかりだろうか。



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女房と手紙

 「お父さん、ハワイに手紙、書いてよ」

 「お前が書けばいいじゃないか」

 「だって、私、ヘタだもん。頼みますよ」


手紙2


 私の従兄弟で、ハワイに住む老夫婦からの度々の手紙を受け取った後、女房とこれまた度々交わす会話だ。従兄弟は89歳。その連れ合いは87歳。このところ、私たち夫婦がハワイに行ったり、あちらの夫婦が日本に来たりして交流する機会が案外多く、その度に世話役となる女房の方が、この老夫婦とは仲がいい。


海



 望郷の念もあるのだろう。近況を伝える手紙や写真、贈り物が度々届くのだ。女房もまた枯露柿を作れば枯露柿を、それに山梨の名物・鮑の煮貝や老夫婦の健康を気遣っては日本の栄養剤を送ってやっている。普段、腰が軽く、フットワークがいい女房は郵便局に行っての贈り物の処理は苦にならないようだが、なぜか手紙となると二の足を踏む


エアメール   ペン


 人間、不思議なのか、当たり前なのか、女房も70の半ばを超すと、威張ったもので、時に、亭主に対して高飛車にモノを言う。ところが、こんな時ばかりは極めて低姿勢。「お父さん、頼みますよ・・・」。



 「バカっ、手紙くらい、お前が書け」


 「でも・・・」



 手紙っちゅうもんはな、自分の思ったことをそのまま書けばいいんだ。うまく書こう、なんて考えるから、億劫になるんだ。継ぎ足し、継ぎ足しでいいんだよ。うまい手紙なんて味もそっぺもないじゃないか。むしろ、まずい手紙の方が味があり、親しみや、温もりがあるんだよ。途中で間違えたら、二本棒で消して、また続ければいいじぁないか」



 「お父さんはそんなこと言うけれど、そんなに簡単にはいかないわよ」



 こんな時、私は絶対に手を出さないことにしている。いくら言ってもダメ、と悟った女房は自分で書き始めるのだが、そっと見ていると下書きをしているのだ。



 ここでまた「バカっ、下書きなんかするヤツがあるかよ。うまく書こうとしたらダメ、と言っただろう」と言ったら、女房はまた「でも・・・」。


手紙



 女房ばかりではない。私たちは手紙というものを本当に書かなくなった。もう正月から2ヶ月近くも経ってしまったが、年に一度の年賀状も決まりきった印刷文字。年賀状は出すからまだいい。暑中見舞いや寒中見舞いなんか忘れてしまった。あっという間に日本中、世界中を席巻したケイタイのメールというヤツがこれに取って代わった。


ケイタイ2_convert_20110722215531  


 そして文章などとはおよそほど遠い、あの絵文字の氾濫だ。絵文字が使いこなせないアナログおじさんのひがみ、と、お若い方々から叱られるかもしれないが、この絵文字は確実に日本語をダメにし、日本人の文章力を弱めていくと思っている。絵文字ファンの皆さん、ごめんね。毎日ポストに入る郵便物はダイレクトメールと公共料金や税金の請求書くらいのものだ。いまに、本来の郵便屋さんはいらなくなる?




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お葬式の不思議

生花2


 地元紙の山梨日日新聞は、紙面の一角に「おくやみ欄」を設けて、毎朝、県内の物故者と、その葬儀の日取りを伝えてくれる。地域別に整理してくれているから見易いし、第一、便利だ。当たり前だが、結婚式などのようにお祝い事の場合は、招待状が来るから分かる。見方を変えれば、その招待状が来なければ、行けないし、行かない。




 しかし、お葬式は別だ。招待状が来るわけでもないから、何らかのルートで連絡がない限り、お伺いすることが出来ない。だから、このお悔やみ欄は便利で、必ず目を通す。うっかりすると、友人、知人はともかく、そのご家族となると、お悔やみを仕損じかねない。ご不幸を後で知って、改めてお悔やみに参上するハメになるのだ。こんな時はいい訳タラタラである。


お焼香


 病人やお年寄りが最も身体にショックを受けるのは、暑さと寒さ。だから、ご不幸が起き易い時期は夏場であり、冬場である。新聞のお悔やみ欄も、それを顕著に物語っている。この冬はいつになく寒い。正直なことに、新聞のお悔やみ欄もやたらと大きい。




 この一年、お葬式にお伺いする回数がいつもより多かったような気がする。特に、夏から秋にかけてだ。昨年の夏が異常に暑かったためだろう。誰もがそうだろうが、私も親戚や友人、知人はもちろん、地域の人達のご不幸には、何をさて置いても焼香にお伺いする。年齢なのだろうか、結婚式など慶事は少なくなる半面、ご不幸の葬儀に行く回数がやたらと多くなった。

葬儀


 山梨の場合、葬儀の弔問は、特別の都合でもない限り、通夜と告別式の両方にお伺いするのが半ば慣例だ。弔問者は黒の礼服(略式)を着て列を作り、僧侶もお経の中身は違っても、同じようにお経を読む。だから弔問者の数は通夜、告別式共にほとんど変わらない。




 東京や埼玉、神奈川など他都県の葬儀にお伺いしたことがあるが、一般の弔問客のほとんどは通夜の一回。告別式は親族、つまり、お身内の方々中心のようにお見受けした。通夜に、焼香に来る一般の弔問客の服装を見ても、ネクタイだけ変えて、スーツは平服。会社の帰りに弔問するケースが多いという。いかにも都会の合理性が浮き彫りになっているように見えるのだ。




 いつ頃から葬儀当日に行うようになったのか分からないが、いわゆる、ぶっつけ七日と呼ばれる初七日法要の仕方も違う。東京などの方式が親族中心であるのに対して、山梨は多くの一般をも巻き込み、参列者は100人,200人は当たり前。多いケースでは斎場には入りきれないので、ホテルなどで300人を超す規模の法要も。


盛り籠


 各地に斎場が出来て、かつての自宅葬はほとんど姿を消した。農協、つまりJAも参入して斎場業界は、そのシェア拡大にヒートアップ気味だ。人間、誰しも迎える終末。遺族が受け持つ葬儀の仕方も所変われば、である。いつかはみんなが行くあの世へのお見送りもさまざまで当たり前か・・・。




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犬の散歩

犬


 庭の植え込みと葡萄園の向こうを東西に走る幅六尺弱ぐらいの古道を、近くのおばさんが大きな犬に引かれるようにして通る。ふと、机の脇を見たら、時計の針は午後五時ちょっと過ぎを指していた。この散歩、毎日の日課のようで、決まってこの時間に通る。今日は寒い。おばさんは、夏場に農家の主婦が日焼けを防ぐために、両方の頬まで包むように使う大きなつばつきの帽子を頭からすっぽり被って、寒さに完全武装といった格好だ。





 ひと頃より、陽が長くなった。あたりはまだ明るい。こうしてパソコンを叩いている私と目が合ったのか、おばさんはぺこっ、と頭を下げた。私も窓越しに頭を下げた。立ち上がって窓を開け、手招きをすると、おばさんはニコニコしながら石の門柱の間を通って、30mぐらいのじょう口をゆっくりとこちらに入って来た。


裏道3


 「毎日、よく歩きますねえ」



 「この犬、繋ぎっ放しじゃあ、可愛そうだからねえ・・・。でも、本当は自分のため。言ってみりゃあ、このワンちゃんに一緒に歩いてもらっているんですよ」



 おばさんは、足元に静かに座り込んだ身長7~80cmもありそうな大きな犬をいたわるように見ながら



 「私等、こうでもしないと、一日中、なんぼうも歩かんですもの。野良に行くのは軽のトラック、買い物も、もちろん車ですもんねえ・・・」



 「そうだよねえ。俺も、ここに帰ってきてからというもの、本当に歩かなくなっちまった。寒いから家に籠ってパソコンなんか叩いていりゃあ、なおさらだよねえ。暖かくなったら万歩計でも買って、歩くことにするか・・・」



 「そうですよ。人間歩かにゃあいけませんよ。この辺でも、みんなよく歩いていますよ。お若い人だってねえ・・・」



 「ところで、おじいちゃんの足腰はどう・・・」



 「それが、あんまりよくないんですよ。特に寒い時期だからねえ。病人と二人暮しだと、こうでもして、外でも歩かないと、気がめいっちゃいますよ。私ゃあ、このワンちゃんと話しながら歩くんですが、知らず知らずのうちにワンちゃんに愚痴を言ってるんです・・・。さあ、ぼつぼつ帰って、おじいちゃんの夕飯の支度、しなきゃあねえ」




 おばさんのご主人は、もうとっくに80を過ぎている。体の具合も悪いから、もちろん畑仕事なんか出来っこない。やっと、かなりの面積の葡萄園やサクランボ畑を耕作してくれる人を探して委ねたという。



 「おばさん、ほうれん草、持って行ってよ。俺が作ったもんだから、大したもんじゃあないけどねえ」



 「いつも、済みませんねえ」。年老いたおばさんは新聞紙に包んだ、ほうれん草を小脇に抱え、また犬に引かれて帰って行った。その小道を、このおばさんとすれ違うように中年の夫婦がやっぱり犬を連れて歩いてきた。陽はすぐ西の山にとっぷりと沈もうとしていた。


裏道2




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結婚式の今昔

指輪2_convert_20110218222850


 桜が咲き乱れる春爛漫には、まだしばらく時間がかかるが、その前座を担う梅は、あっちこっちで花開き、これと歩調を合わせるように人間達の営みも春の幕を開けた。若者達の結婚式もその一つ。春の結婚シーズンの到来である。


ブーケ


 カレンダーを見たら「友引」だった。知人の息子さんの結婚式にお招きを受けた。甲府の湯村温泉郷にある甲府富士屋ホテルの披露宴会場。黒のスーツに白のネクタイ姿の男性陣、和服を着飾ったご婦人方が沢山のテーブルを埋めていた。招待客の数はざっと見ても300人近くいるだろう。



 「大変お待たせしました。新郎新婦のご入場でございます」



 男性司会者の甲高いアナウンスと共に会場の照明が落ち、中央の扉が開いて新郎新婦が登場。ちょっと強めのBGM.と嵐のような拍手。スポットライトに浮かび上がった晴れやかな若い二人は、いっぱいの笑顔をこぼしながら会場正面の雛壇に着く。司会者は地元テレビ局の若手アナウンサーだった。


結婚式4


 披露宴の始まりである。ここまでは、このブログをお読みいただく≪経験者の皆さん方のそれ≫も、大なり小なり同じだっただろう。まったく違うのは仲人さんの存在だ。かつては新郎新婦の両脇には二人の縁を取り持った仲人さんご夫妻がいて、「それでは、新郎新婦のご紹介も合わせまして、媒酌人としてのご挨拶を・・・」と続くのである。




 ところが、この仲人さんがいつの間にか雛壇から消えた。この20年ぐらいの間だろう。ひと頃は結婚式の脇役として重要な役割を果たした媒酌人・仲人さんは、その言葉すら死語になったと言っていい。その過渡期で、恐らく方便だろう、「人前結婚式」などという言葉を使ったのだが、これもほんの一時。若者達は、あっ、という間に新しい結婚式のスタイルを作った

結婚式3


 ただ変わらないのは招待客の多さと宴の中途で行なう余興だ。山梨だけかもしれないが、招待客の数は200人、250人は当たり前。多いケースだと300人、400人、時には500人前後の大型の披露宴もある。若い二人にそんな広い交際範囲があるわけではないから、こちらは親側の判断。ただ、このド派手な披露宴、不況とどのように連動していくのか・・。


結婚式2


 一方、親達とは関係なく、若い二人が仲間達と演出する余興というヤツだ。新郎新婦の勤務先の上司や親の知人でもあるお歴々など、いわゆる主賓のご挨拶や何人かのスピーチが終わると、それを待ち受けていたように始まるのが宴の余興である。もちろん、「愛は二人のため」?など結婚式にちなんだ歌をカラオケで歌うくらいはちっとも珍しくない。


結婚式1


 ドタバタと言ったら若い方々に叱られるかもしれないが、若者達はさまざまの芸を披露するのである。どこで調達するのか貸衣装をまとい、役者さながら化粧までして登場するのだ。みんなの呼吸を合わせなければならないので、事前の練習もしているのだろう。まるで子ども達の学芸会さながらである。今の若者達は表現力が豊かになっているのだろうか。それとも、だんだん強まる自己主張の現われ?とにかくみんなが楽しそうにやっているのだからいいのだろう。水をかけることもあるまい。結婚式の今昔である。




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春の便り

梅の花


 「お母さん、が咲いたぞ」

居間のカーテンを開けながら、台所で朝餉の支度をしていた女房に、そう言ったら

 「そう、咲いたの・・・」


どうやら、家の女房は花より団子らしい。その口っぷりは梅の開花に、これといった関心を示すでもなく、聞く耳を持つでもなしで、まったくのうわの空。


 
梅 白


 そんな女房をよそに、私はなんとなく心弾む思いがした。花開いたのは裏庭の中梅の古木。この梅の木は私が子どもの頃から同じような太さだから、100年、いや200年は経っているのだろう。太い幹にはウロが入っている。毎年、勢いよく伸びる徒長子を丹念に切り落としてやるばかりでなく、大きくなりすぎて、剪定がしにくいので、昨年、頭を大胆に切り落とした。白い花は紅梅と違って淡白だが、春到来を告げるのに十分だ。




 我が家には、この中梅の古木のほか、表庭に豊後梅や小梅、紅梅などが何本もある。いずれも樹齢は100年以上の古木だが、威勢があって、紅梅を除いて毎年沢山の実を付ける。紅く見事な花を付けた、しだれ梅は枯れ朽ちたので、昨年、切り倒した。この時、近所の古老は、古木を切り倒す場合、酒と塩で清め、長い生命を労わることを教えてくれた。



梅 赤



 山梨の人ならだれでも知っているが、甲府の郊外に「不老園」という県内きっての梅の名所がある。水戸の偕楽園や岡山の後楽園とは比べようもないものの、その種類は豊富で、毎年この時期には多くの花見客で賑わう。恐らく、その本数は数千本にも及ぶだろう。


不老園
不老園


 日本人は花と言えば桜だが、梅もまた違った味わいがある。花をめでる、などと無粋な私には縁遠い話とは言え、ひと頃、この不老園にはよく行った。仲良しになった管理人は「これ、持って行って・・・」と、帰りがけに必ず盆栽の鉢をもたせてくれた。その時々、種類を違えてくれるのである。




 ところが、所詮は無粋者。この梅の盆栽が一年ともたないのだ。綺麗に花をつけている時には、水もやれば、手入れもする。ところが、花が散ってしまえば、その存在すら忘れてしまうのである。枯れるに決まっている。見事な枝ぶりに、これまた見事な花を付けた盆栽は、無残な姿をさらし、結局は鉢だけがたまる。そればかりか、親父が丹精込めた松やケヤキの大きな盆栽も枯らしてしまったから、庭の片隅には、この盆栽の鉢がゴロゴロしている。だから、盆栽好きの親しい仲間に差し上げている始末だ。




 ロータリークラブでご一緒させて頂いているメンバーの一人に、めっぽう盆栽好きな方がいる。旅館の経営者だが、庭先には100鉢を超す大小の盆栽が。皐月が中心で、やがて向かえる開花に備えて、形の整った枝には青々とした葉が蓄えられている。花はなくても、それは見事で、見る人を飽きさせない。

盆栽     ぼんあi 


 その一画には紅白の梅の盆栽も。もちろん、こちらはこの時期、葉っぱは付けないが、ふっくら膨らんだ蕾が一輪、二輪と花を開き始めていた。お孫さんを慈しむように盆栽を愛しむこの人の傑作なのである。まだ外は寒い。でも春は確実に、そこまで来ている。


盆栽3



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令和の一休さん

一休さん


 一休さんのトンチ話に「橋」の話しが出てくる。ある時、橋の袂に「このはし、わたるべからず」の立て札が。もちろん、この立て札の「はし」は「橋」。これを見た一休さん、橋の真ん中を堂々と歩いて渡った。キョトンとする周囲やカンカンになって怒る代官所の役人をよそに一休さん、「私は、はし(端)など渡ってはおらん。真ん中を渡ったのだ」と。「はし(橋)」「端」と方便で解釈した、あの有名なトンチ話である。


このはしわたるべからず


 江戸の庶民と役人、それに知識層とも言える坊様が織り成す、いかにものどかなお話である。ところが今はどうだ。ひと頃、テレビのモーニングショーを見れば、総理大臣が演説原稿の文字を読み間違えただの、間違えないのだのとやっていた。「桜を見る会」を巡るやり取りもしかり。大の大人が、それも選良と呼ばれる国会議員の先生方がしばしば本質論議から外れ、議場で目くじら立ててやっているのである。


国会議事堂


 コメンテーターも、「一国の総理たるものが・・・」と、これまた真顔でやっている。新聞を開けば、これまた新聞も。一休さんなら、あの大きな目を細めて「わしらの時代は、もっと大らかだったよ。そんな重箱の隅(端)をつつくようなこと・・・。バカじゃないの。令和の人間はちっちゃくなったもんだ」と笑うに違いない。




 どこから100年に一度なのか分からないが、とにかく100年に一度と言われる不況の最中に、国会ではそんな論議に時間を費やしているのである。間違えるより間違えない方がいいに決まっている。でも、総理大臣だって人間だ。目くじらを立てて、お叱りになる先生方やコメンテーターの皆さん方だって、そんなことの一つや二つ、あるんじゃないの、と間違いだらけ、失敗だらけの私なんか同情したくなる。


一休さん2


 そこでまた、お堅い先生方は「お前達はいい。こともあろうに総理大臣だよ・・・」と言うのだろう。「こりゃあ~ダメだ~」




 私なんかもその一人だろうが、日本人はジョークの通じない国民だと言われる。テレビなどを見ていて、アメリカの大統領もその一人だが、ジョークがお上手だ。緊張した場面であればあるほど、ジョークを飛ばし、その場を和らげる。聴く方も、それを解せるから一笑してチョン。




 考えてみれば、このジョーク、言う方より、解す側の方が大事だ。いくら素晴らしいジョークを言っても、それが分からなければダメ。むしろその場はしらけてしまう。とにかく、ジョークがどんどん飛び出したり、それが解せる日常でありたい。こんな暗い世の中だからこそ・・・。

みんな


 私の中学時代の同級生に、このジョークの、それはうまい男がいる。ジョークと言うより、駄洒落といった方がいいのかもしれないが、とにかく上手だ。毎月一回、14~5人が集まっては、ワイワイ、ガヤガヤ飲むのだが、時には仲間同士で意見が対立することも。そんな時には決まって彼の出番。タイミングよく、ジョークなのか、その駄洒落が飛び出す。



 この一発で、酒席に何とはなしに漂った重苦しい雰囲気が一変、和やかムードに戻るのである。この男、平成の一休さんだと、私は思っている。


一休さん3


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蛍が一匹

蛍


 蛍?立春を過ぎて間もない、この寒空に蛍でもあるまい。その通りだ。世の中の虫たちが動き出すと言われる啓蟄にさえまだ間がある。ここで言うのは蛍族といわれる寂しい人間のことだ。タバコをお吸いにならない方々には縁がないばかりか、ご存知なくて当然。夜、自分の家であるのに家族から締め出されて、一人寂しくタバコを吸う亭主たちを言うのだそうだ。


タバコ


 この蛍は、夏の時期に限らず、春夏秋冬、一年中生息している。本当の蛍は人間がもたらす自然の破壊で、どんどん減っているが、恐らくこちらはどんどん増えているのだろう。定かなことは分からないのだが、わが国の喫煙人口は、恐らく減ってはいるものの、激減と言うほどでもあるまい。健康志向の年配者が禁煙に動いている一方で、次々と、はたちを迎える若者達や、ダイエット?やファッション?を考える女性がその数を埋めているからだ。




 喫煙人口はともかく、喫煙者はますます悪者扱いされ、隅へ、隅へと追いやられていることは間違いない。バスや電車は当たり前、飛行機も禁煙になって久しい。ホテルや旅館、会社、官庁のオフイスだって同じだ。喫煙者は肩身が狭くなる一方だ。


タバコ



 世の女房族が強くなるばかりの家庭にあっては、何をかいわんやである。小さな部屋でタバコをプカプカ吸われたら嫌に決まっている。部屋の壁や柱ばかりか、衣服まで臭いが染み付く。吸っている本人だってそのことが分かるのだから、吸わない人が不快に思うのは当たり前のことである。




 私も小さな蛍。小さな、と言ったのはそれほどのヘビースモーカーではないからだ。お酒を飲んだり、マージャンをする時以外はほとんど吸わないのだが、晩酌の後、なんとなく、一服が欲しくなるのである。そう言うと「私をバカにしているのね」と叱られるので、大きな声では言えないのだが、女房ならそれほど気に留めないのに娘に「お父さんダメ」と言われるのが怖い。




 仕方なく、そっと外に出て、その蛍なのだ。すると、あっちから一匹の蛍が。近くの中年のオヤジだった。

夜


 「あなたもですか?」



 「ええ、うちは女房がうるさいものですから・・・。佇んでいると寒いので、こうして歩きながら吸うんです。いい訳かもしれませんが、散歩も出来るし、一石二鳥ですよ」



 この中年オヤジは笑い飛ばすように、さらりと言うのだが、その後姿は、やっぱり寂しそうだった。その中年オヤジもそうだろうが、女房達が喫煙をただ嫌がっている訳ではないことはよく分かる。亭主の健康を気遣っているのだ。




 特に娘の場合、「お父さん、身体に悪いよ。だからタバコ、止めて・・・」と、いかにも心配そうに言う。これには本当に弱い。「娘の言う通り、やっぱり止めよう」と、思うのだが・・・。そんな蛍が今夜も寒空に一匹・・・。よわったものだ。




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空っ風とかかあ天下

風景
 立春。二十四節気の一つ、この立春が過ぎたとは言え、いつもの年だと今頃は空っ風が吹き、寒い日が続く。それほどの量ではないにしても雪さえ降る。立春は暦の上のことで、一年中でも最も寒い時期のはずだ。ところがどうだ。立春を前後して、富士山麓地方はともかく、山梨県の甲府盆地は連日、3月中旬並みのバカ陽気が続いている。今日あたりの風は空っ風と言うより、春一番といった感じだ。テレビやラジオによれば山梨だけではない。




 いったい、どうなってるの?これも地球温暖化のせい?などと、しがない私が心配しても仕方のないことだが、やっぱりヘンだ。ハウス栽培は別にして、露地栽培の桃や葡萄、サクランボを作る果樹農家は、木作りのための剪定作業の真っ盛りだが、みんなこの天気の受け止め方は複雑。

桃

 天気がいいから作業は楽だし、はかどる。半面、このバカ陽気につられて果樹の芽吹きが必要以上に早まったら・・・。このままずっと暖かくなるのだったらいいのだが、寒さが戻り、さらに春先の遅霜にでも見舞われたら、柔らかい桃や葡萄の芽はひとたまりもない。農家は確実に大きなダメージを受けることになるのだ。




 ただ、このバカ陽気、ハウスの園芸農家にとっては好都合だろう。一時は、その高騰に泣いた重油の削減にも繋がるからだ。この地方でこのところ急速に産地化が進むサクランボは、わが国の一大産地・山形との時期的な差別化を狙ったものであり、桃や葡萄も出荷時期を早めて、付加価値を付けようというもの。しかし、栽培面積では露地ものの方が圧倒的に多いから、その年の天候は、その成否の鍵を握るのである。

サクランボ


 空っ風。山梨や群馬など内陸地方特有の気象現象だが、山梨で見ている限り、近年、この空っ風がめっきり減った。減ったと言うより、空っ風らしい空っ風が吹かなくなった。私たちが子どもの頃は、毎晩のように雨戸をガタガタ音を立てて揺さぶるほど吹きまくり、人々を寒さで震え上がらせたものだ。




 そんな山梨では、今も「甲州名物かかあ天下に空っ風」という言葉が残っている。上州といわれる群馬でも同じだ。なぜか、この「空っ風」に「かかあ天下」がくっついているのである。そこには同じような気象を生む内陸型の立地条件と、その立地条件がもたらした共通した生活形態があったからのように思う。




 養蚕である。かつて、わが国農業の基幹をなした米麦に加え、この地方では副業としての養蚕が大きく発達した。特に山つき地帯が多い地域では、こぞって桑を植え、蚕を飼った。蚕に「お」と「さん」をつけ「お蚕さん」と人々は言った。そのことからも、この養蚕が農家の生計に大きな影響を与えたことは確かだろう。


繭  

 その養蚕を名実共に担ったのが、甲州や上州のおかあちゃんたち。だから、この地方のおかあちゃんたちの一家における発言力も強かったのだろう。今の、いわゆる、かかあ天下、つまり、むやみに亭主を尻に敷くおかあちゃんとは根本的に違うのである。こんなことを言ったら、世のおかあちゃんたちから袋叩きに遭うかもしれないが、これホント。




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顔を出したフキノトウ

芽


 冷たい冬の雨が凍っては解け、解けては凍る。それを繰り返しながら、だんだん道や畑の土を自然の土に戻していく。土を盛り上げた霜柱がいつの間にか消え、そこから水仙やチュウリップの青い芽が。時折降る雨も氷雨と言うには、もうそぐわない。なんとなくだが、朝が来るのが早くなり、夕方の陽も長くなった。



 「お母さん、もう、フキノトウが出ているかもしれないぞ。畑、見てみたら・・・」


ふきのとう


 早速、庭の植え込みに近い我が家の畑の片隅を見に行った女房が小さな笊にいっぱいのフキノトウを採って戻ってきた。


ふきのとう2


 「ありましたよ。こんなに沢山。天ぷら?それとも酢味噌和え?お父さんはどっちがいいんですか?」


 「うう~ん、俺は酢味噌和えだ。いやいや、天ぷらもいい」



 女房は居間とカウンター一つ隔てたキッチンへ。そんな時の女房の顔は、いつもより生き生きしている。間もなく台所からは、なんとも言えないかぐわしい春の香りが。



 「そういえば、今日は節分だなあ。あいつ(娘)が帰ってきたら、豆まきをしなきゃあ・・・。豆は買ってきたか?」

豆まき


 「そんな事、抜け目はありませんよ。用意は万端ですよ」



 「お前は、いつも間が抜けたことが多いが、こんな時ばかりはしっかりしているな・・・」


 「それがよけいよ。お父さん、いつも一言、多いんだから。まったく・・・」




 山梨には甲府盆地に春を告げる、と言われて近郷近在の善男善女を集めて賑わう大神宮祭という祭りがある。いわゆる節分際だ。6年前の年男に招かれたのをご縁に毎年、豆まきに行っていたから、このところ、我が家の豆まきは女房にまかせっきりだった。今年は、それから開放されて、久しぶりに我が家で豆まきが出来る。

大神宮祭



 大神宮祭の豆まきのように烏帽子、長袴スタイルではないが、家族三人揃っての豆まきもいい。無病息災。今年も家族みんなが元気に過ごせますように・・・。思いっきり元気に福を呼び込もう。ちょっとと言うより、外はかなり寒いが、家中のサッシ戸を全て開け放って「福は内~、鬼は外~、福は内~、鬼は外~」。隣の老夫婦の声も聞こえた。ちょっと、こちらよりトーンが低かった。そういえば、持病の腰が痛むと言っていた。気掛かりだ。今年もみんなが元気でいたいものだ。



 何はともあれ、豆まきが済めば、フキノトウで一杯だ。あのホロ苦い味、あのえもいわれぬ香り。酒のつまみにはこれがぴったりだ。うまい。



 「お母さん、もう一本、持って来い」



 「そのくらいにしたら・・・。そんなに飲んじゃあ身体に毒ですよ」



 ここから先はいつもとまた同じである。



 節分が明ければ立春。と言っても、一足飛びに春と言うわけにも行かない。でも気分的には、これまでとはちょっと違う。よし、明日はやりかけの植木の剪定や、その後始末を再開しよう。周りの葡萄園や桃畑では、やっぱり剪定作業が進んでいる。剪定は木々が水を上げ始める前に済まさねばいけないのだ。いつまでも家に籠っているわけにもいくまい。


節分


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定年退職と女房達

「やまびこさんは引退後、上手に生活されているようですね。うちの夫が定年後、家にずっといると思うと、ゾッとします(笑い)。毎日、通勤が大変で、辛いことも分かるのですが、毎日、出掛ける所がない、というのも辛いことでしょうね」


家


 東京にお住まいの方だろう。私のブログをお読み頂いている「らいり」さんからの、こんなコメントを拝見しながら、ふと、東京の知り合いのことを思い出した。もう20年近く前のことだが、会議か何かで上京した時のことである。後ろから私の名前を呼ぶ声がした。こんな東京のど真ん中で私を知っている人なんかいるはずがないと決め込んで、振り向きもせずに歩いていたら、息を切らすように駆け寄ってきた人に肩を叩かれた。


東京


 以前、仕事の関係でお世話になったことがある大手広告代理店の幹部だった。



 「冷たいじゃあないですか。後ろ姿で、あなたと分かったものだから、駆けて来たんですよ」



 「これは失礼しました。こんな所でお遭いするとは、奇遇ですねえ。ところで、今はどちらの部署に?」



 「私は来年、定年。言ってみれば、もう窓際なんです。だから定年後を考え、仕事が終わった後、料理教室に通っているんですよ」



 「料理教室?」


調理


 「そう。料理教室。私等、サラリーマンは40年近く、自分で飯を作ることも知らずに、せっせと働いてきた。付き合いゴルフぐらいのもので、これといった趣味も持たず、働くばかり。ふと、気づいたら定年。料理教室は趣味と実益の一石二鳥なんですよ。第一、同じような境遇の人達が集まるから面白い。競争も利害もないから妙に心も通じるんです



 「へえ~、そんなもんですかねえ~」



 「あなただって、その時になれば分かりますよ。毎日、家にいれば、そのうち女房だって、たまには自分でおやりになったら・・・なんてことを言い出しかねません。友達? 会社や仕事上の仲間なんちゅうものは、案外、その場限り。生活のリズムが違ってしまうんだから、趣味という共通項でもなければダメ。いずれ、友達関係は消滅しますよ」




この人はこんなことも言った。



「あなたのように山梨の地方に住んでいれば、恐らく、耕す土もあれば緑の自然もある。隣近所の付き合いも。でも、私等、鉄板一枚のドアで隣と遮断されたマンション暮らし。女房と二人きりになった、その様を想像してみてくださいよ」

東京2



東京の日比谷を歩きながら交わしたざっと20年前の会話。あっ、という間にその20年が過ぎた今、この人の言葉の一つ一つが頷ける。そして「らいり」さんが冗談とも本音ともつかないように言う「夫が毎日、家にいると思うとゾッとする」と言う言葉も、よく分かる。




「おじさん達、寂しいこと言ってるね、って?」。そう言う、お若い方々だって、遅かれ早かれ来る道なんですよ。ただ、不思議なことに夫婦喧嘩だけは確実に少なくなります。



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子どもたちのお天神講

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」
ご存知、菅原道真の和歌だ。今年も1月25日、地域の子ども達が私の屋敷の一角にあるお天神さまに天神飾りの奉納にやって来た。


お天神講1


 赤、青、黄色・・・。七夕飾りにも似た大きな笹に色とりどりの短冊が。「勉強が出来るようになりますように」「成績がよくなりますように」「今年一年健康に過ごせますように」。短冊には子どもたちのさまざまな願いが記されている。





 その可愛らしい短冊の内容をカメラに収めようと思っていたのだが、ちょっとタイミングをはずしてしまったせいか色があせてしまい、時期をを失した。それはともかく、お天神講は、小正月の道祖神祭りと共に、この地域の子ども達の一大行事。お天神さまは、もしかして学業の成績を上げてくれるかもしれないから、子ども達にとっては道祖神よりありがたい存在かもしれない。

お天神講


 このお天神講、今の子供たちはどんな形でやっているのか定かではないが、私たちが子供の頃はある意味で盛大だった。子ども達はお米や野菜を持ち寄り、各戸持ち回りで、今風に言えば食事会を開くのだ。裏方のお母さん達は大きな釜で炊き出しをした。わいわい言いながら食べた、お母さん達が作ってくれた真っ白いご飯、サトイモや大根、人参などの煮っ転がし、熱い味噌汁・・・。うまかった。この歳になっても、その味は忘れられない。


白米


 リーダー役の6年生は自転車で隣町の文房具屋さんに行ってノートや鉛筆、消しゴム、筆箱、下敷き、クレヨンなどを調達して学年別に配る。いわゆるプレゼントである。それも、嬉しかった。その頃の家は、今のような住宅構造と違って田舎風の造りだったから、内部のふすまを取っ払えばいっぺんに大きな部屋になる。子供たちはそこで腹いっぱい食べ、一日をなんとなく遊ぶのである。戦後の貧しい時代だった。






 菅原道真は、生まれたのも、没したのも25日。それも丑年だった。だから、子ども達の天神講もその日を充てているのだろう。ものの本によれば、わずか5歳で和歌を読み、11歳で漢詩を作った。14~5歳の時には「天才」と言われ、後に「文道の太祖、風目の本主」と仰がれた。天神講は、庶民の教育機関として寺子屋が普及した江戸時代、書道の上達や学業の成就を祈願して行われるようになったという。


湯島天神


 お宮は、おしなべて皇室を祭ったもの。わが国で平民を祭ったお宮は徳川家康の東照宮(日光と久能山)と菅原道真の天満宮だけ。このうち、東照宮は徳川家が自らの権力でなさしめたものだが、天満宮は、ちょっと違う。庶民の人気とは裏腹に左遷されたり、不遇を受けた道真が亡くなった後、天変、地変が相次いだことから、時の権力・平安京が祭ったものだ。道真の怨霊を恐れたのである。

お天神講3


 お天神講の子ども達にとっては、そんなことはどっちでも良かった。たらふく美味しいご飯を食べ、ノートや消しゴムをもらうことの方が喜びだった。俺達「成績がよくなりますように」なんて短冊、書いたっけ?子ども達が奉納した短冊を見ながら今の子供たちとのレベルと世相の違いをまざまざと感じた。そしてなによりも違うのは子ども達の数・短冊の激減だ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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