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春の淡雪

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 「春の淡雪」とはよく言ったものだ。弥生・3月も押し詰まった28日朝、山梨市のこの辺りはそれまでの雨が雪に変わった。ぼた雪という言葉が時季として適当かどうかは分からないが、その雪はいかにも水分をはらんで重たそう。




 雨足ならぬ«雪足»は速く、風情など微塵もない。「♪粉雪舞い散る…」などと歌にあるような冬の雪とはまるで違う。それでもあたり一面を真っ白にした。2cmぐらい積っただろうか。しかし、雪が止んで2時間と経たない内に、多少の名残は残しながらも雪は消えた。




 庭の枝垂れ桜や牡丹桜はもう満開。ピンクの花が燃えるよう。淡いソメイヨシノも8分咲き。沢山の雪ではないにしても、思いもかけない出戻りの冬将軍に、いささか面食らったに違いない。桜は春を象徴する花。どう見ても雪は似合わない。一足早く葉桜に変わった河津桜は「オレ達にはいいお湿りさ」と言わんばかりに緑を濃くした。


 

 「お父さん、この雪で桜、散ってしまわないかしらねえ…」


 女房は、いつものようにたわいもないことを言う。少なからずダメージを受けるのだろうが、自然界は人間様などとは比べ物にならないほどしたたかだ。明日、天気になれば、何事もなかったように、また元気な«顔»を見せる筈だ。




 この時季、いつもの年なら我が女房殿、「ご近所にも声をかけてお花見をしましょうよ」というのだが、流石に今年はその言葉が出ない。コロナウイルス感染症騒ぎは、こんな田舎のお気楽・極楽おばさんと、のんきなおじさんの内面にまで影響しているのである。




 週末に当たった28、29日、いつもなら全国の桜の名所は花見客で賑わったに違いない。ところが、居間のテレビが伝える花見所は何処も閑散。東京・上野公園では規制線が。それどころか東京都は都民に「不要、不急の外出」を控えるよう躍起になって促していた。テレビは上野公園ばかりでなく、銀座や浅草、若者たちに人気の渋谷や原宿の街並みを映し出すのだが、もちろん何処も閑散。その一方で、商店経営者の«悲鳴»だけが聞こえてくる。




 山梨県では4月早々、県都・甲府市の玄関口・甲府駅前の平和通りや舞鶴公園を舞台に繰り広げる「信玄公祭り甲州軍団出陣」を早々に中止。それに関連する石和温泉郷の笛吹川河原での「川中島合戦絵巻」も。武田信玄公は山梨県民にとって永遠のシンボル。「信玄公まつり甲州軍団出陣」は最大イベントだ。


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山梨県HPより


 あまたある花の中で、桜ほど人の心を捉える花はあるまい。残念ながら今は映画やテレビで時代劇は影を潜めたが、あの「忠臣蔵」では浅野内匠頭切腹のシーンには満開の桜が。「遠山の金さん」の背中には桜吹雪の入れ墨。日本人には受け入れ難い刺青だが、何故か桜だけはOK?間違いなくみんなが拍手喝采するのだ。桜の花は天下御免なのだろう。桜は数多くの歌にも歌われたり、学生服のボタンや小中学校の校章にも使われている。





 「散る桜 残る桜も 散る桜」。陽気なイメージの一方で哀愁を込めた、こんな句や「葉桜」という言葉だってある。コロナウイルスはそんな日本人の感傷も何もかもみんなぶっ飛ばした。何もかも包み込む「白銀の世界」とまではいかなかったまでも季節外れの「春の淡雪」が恨めしくもあり、心に染みもする。




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コロナと外来語

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 中国・武漢に端を発したコロナウイルス感染症は、アッという間に世界中に広がり、その感染者数は50万人を超えたという。一人の感染者が別の一人に感染させれば、今すぐにも100万人になる。つまり、ネズミ算的に感染者の数が膨らむ、と考えたらゾッとする。感染症との戦い方を一歩間違えたら…。




 ウイルスとの戦いを戦争に例える人がいる。確かにそうだろう。それも内戦などと言う規模のものではなく、世界大戦だ。その規模は戦争史上最大と言っていい第二次世界大戦どころではない。まさに世界中の国々、その一人一人が、みんなコロナウイルスとの戦いを強いられているのである。一歩対策を誤れば、老若男女を問わず、とんでもない数の命が危険に晒されるのだから、«対岸の火事』では済まされまい。

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 朝起きて新聞を開けば、コロナ、コロナ。一面から社会面に至るまで、コロナ騒動で塗り潰されている。テレビを点ければ、これまたコロナ、コロナ。どの局のワイドショウ番組も「手を変え、品を変えて」のコロナ一色。「いささか、やり過ぎじゃあないの」と思えるくらいだ。そう感じるのはアホ面して、それを見ている私ばかりではない筈だ。




 「今日はいいお天気ですねえ…」


 「暖かくなりましたねえ…」


 私たちが人とお会いして挨拶代わりに、よく口にするのは、その時々の天気や気温が多い。そこにはのどかな日常があり、言外に相手を思いやる「何か」がある。一見意味もないような、さりげない言葉に温かい「心」を感じ取りもするのだ。ところが今、口をついて出て来るのは…。「困ったものですねえ…」。挨拶のキーワードは決まってコロナだ。




 クラスター(感染者集団)、パンデミック(世界規模の感染拡大)、オーバーシュート(爆発的な感染拡大)、ロックダウン(都市封鎖)…。一つの事象を巡って、これほど外来語が飛び出すのも、これまで例をみないだろう。まさしく外来語の氾濫、アッという間に日本人に«感染»して広まった。「こんなに外来語を使わなくていいのに…」。そう思う。河野太郎防衛大臣が「誰にも分かり易い日本語に置き換えたら」と、不必要?な外来語使用に疑義を呈したとか。まったく、その通りだ。




 日本人は案外、外来語が好きなのかもしれない。日常の会話の中でも、いたるところに外来語をちりばめるのだ。時として、それによって会話がスマートに?なるような錯覚さえ覚えるから不思議。そのくせ、日本人の多くが外国語は苦手。中学の3年、高校の3年、大学の少なくとも2年、合わせて8年間も英語を勉強しながら私のように話すことすら出来ない日本人がいっぱい。




 大規模イベントはむろん、各種の会議・会合、果ては無尽会という名の仲間同士の飲み会に至るまで中止、中止。勢い、家に居る時間が増え、テレビに向き合う時間も増す。そこで否応なく見せつけられるのは、ワイドショウという名のコロナのオンパレードである。明らかに、それが元でバカげた食料品の買い占め騒動などを惹き起しているのだ。




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越冬の大根

大根2

 我が家の大根やサトイモは確実に越冬した。二十四節気のひとつ・啓蟄も過ぎた。そして山梨も桜が満開。。もちろん寒暖の揺れもあるだろう。遅霜に見舞われることもあるかも知れない。しかし、もう冬に逆戻りすることはあるまい。




 ここで言う大根とサトイモの越冬は露地、つまり畑で収穫しないまま冬を越したということである。大根は秋口に、またサトイモは夏前に種(芋)を蒔き、初冬の11月頃、収穫する。大根は、ご存知、沢庵など漬物にする一方、さまざまな方法で保存しながら食卓に乗せていく。サトイモや人参、ゴボウも同じだ。



葱


 言うまでもなく、大根や人参、ゴボウ、サトイモなど総じて秋野菜は、寒い冬が来る前に収穫しないと、凍みてしまい、食べられなくなってしまう。夜から明け方にかけては間違いなく霜がおり、そればかりか気温がグングン下がれば、当然のことながら日中も含めて地面は凍る。水分を多く含んだ野菜は、この寒さにひとたまりもない。


         この寒さに耐えるのは春や初夏に向けての野菜、エンドウやタマネギ(写真)などだ。

野菜

 その昔から我が家も含めて、この辺(山梨市)の農家は、暖かい軒先などに、それなりの室を作ったり、比較的湿り気の少ない畑の片隅などに穴を掘って埋けたりして、あの手この手で保存を工夫した。




 いずれも、いったん収穫した後のワザである。大根やゴボウ、人参などの場合、その方法はさまざまで、例えば、穴を掘り、横にして、そのまま埋けてしまう方法や、埋けずに斜めに寝かせて土を被せる方法も。この場合、上向きにしたまま土を被せるやり方と逆さにする方法がある。逆さにするのは大根などが新たな発芽をしないようにするためである。発芽をすれば大根本体の養分を取られ、素が入ってしまうからだ。




 それぞれの方法が一長一短。暖かすぎれば腐ってしまうし、寒ければ凍みてしまう。越冬したとしても、素が入ってしまえば食べられない。そこで、いっその事と、秋に収穫せずに畑で越冬させてみた。もちろん、そのままだと凍みてしまうから、土を盛り、藁などを被せて防寒したのである。


大根

 これがまんまと成功。大根は一本ずつ抜いてくるし、サトイモは必要なだけ掘ってくる。少しも痛んでいない。この分ではしばらく大丈夫だろう。たかが藁。されど藁。この藁の保温効果はすごい。保温の一方で、適当に風も通すからいいのだろう。この地方は早くから葡萄や桃、サクランボなどの果樹に転換され、水田が消えてしまったので、藁がなくなった。




 今は手に入りにくいから、化学製品などの代用品に変わったが、昔は筵(ムシロ)に代表されるように藁をあっちこっちに使った。農作業ばかりではない。寒さや湿度の調整に対する生活の知恵だったのだろう。我が家の藁作戦、実は隣の奥さんの知恵である。この大根やサトイモの露地での越冬、ホントは地球全体を覆う温暖化の影響かも。肌で感ずる寒さも、子どもの頃のそれと確かに違う。昔はもっともっと寒かったような気がする。





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パソコンは利口者

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 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」


 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」



 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」


 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」


キーボード



 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て



 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」



 「へえ~、そんなこと出来るのか?」



 「お父さん、何にも分かっていないんだね」



 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が



 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」


パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。




 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」、「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。





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下手の横好き

花札

 パチンコ、競馬は当たり前。マージャン、花札、チンチロリン・・・。ヘタなくせに、この勝負事が大好き。といってもここ何年間、パチンコも競馬もとんとご無沙汰だ。凝るといったら聞こえがいいが、どちらかといえばはまるタイプで、ひと頃、毎週のように石和の場外馬券場に通ったことがある。




 「パチンコだの競馬だの、あんな馬鹿馬鹿しいこと、まだやってるの」


 その頃、親しい同級生から笑われた。



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 「まだ、じゃあなくて、始めたばっかりだよ」と言ったら、「遅ボケだね」とまた笑われた。その仲間に言わせればこうだ。



 「俺も若い頃、競馬に凝って、薄っぺらの給料をみんなはたいちまった。帰りの電車賃がなくなっちまうんだよ。それじゃあ家に帰れないから、帰りの切符だけは行きの切符と一緒に買っておくんだ。結局、こんな馬鹿馬鹿しい事、ときっぱり足を洗った。あれほど凝った自分が不思議に思えるんだが、今じゃあ、関心もないよ」



「へえ~、そんなもんかねえ」



 遅ボケと言われたっていい。俺はとことんやってやる、なんて思いながら、コンビニから毎週、400円の競馬専門紙を買って来ては一心に研究?馬券場に通った。女房の蔑みにも似た冷たい目線を横目にしながらである。


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 今にして思えば、この仲間の言う通り。馬鹿馬鹿しいと言うより、馬券場に行くこと自体も面倒になった。じちがなくなったのかもしれない。競馬にせよ、パチンコにせよ、およそ、勝負事というものは、その名の通り勝ち負けがあるから、のめり込むのだし、面白いのだ。もちろん、負けっ放しだったら、何をかいわんや、である。



 ただ、競馬やパチンコとマージャンや花札などは、遊び方そのものが根本的に違うのである。一方が自分ひとりの遊びであるのに対して、一方は仲間がいることだ。

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 「今日は何時から?」



 ひと頃は週末ともなればマージャン仲間からお誘いの電話が。こちらからも電話する。もちろん家庭もあれば地域もあるのだから、仕事や用事がないわけではない。しかし、毎日が日曜日の仲間達だから、すぐに面子は揃うのである。面子の中に、かたくなに「午前零時が限度」という仲間がいた。そんな時はいいが、そうでもなければ確実に午前様。




 「体も身のうちですよ」と、いぶかしがっていた女房も「言っても駄目」と思ったのか、さじを投げもした。8時間、9時間は当たり前。時には15時間20時間の時も。面白い。時間がウソのように、あっという間に過ぎてしまう。





 さて、その勝ち負けだ。総じて上手なヤツが勝つのに決まっている。「お前はどっち?」。私はどうやら負け頭。不思議だが、人には勝負事に強い人間と弱い人間がいる。ちょっとしたジャンケン、編み蛇くじやビンゴゲームだってそうだ。理屈では計れない先天性のようなものを備えた人間がこの世の中には確実にいる。運の強い人間というのだろう。





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ダンススポーツの魅力

ゴルフ   パレット


 70半ばを過ぎても人間、やってみたいことはあるものだ。職場を退いて時間が出来たせいもあるのだろう。あれもやりたい、これもやりたい。やりたいことはいっぱいある。例えば、改めて毛筆も習ってみたいし、も描いてみたい。釣りや、仕事に追われ、思うように行けなかったゴルフも心機一転・・・。時間なら十分にある。だってじっくり読もう。




 ところが、これがみんなダメ。根っからの無精者のせいだろうか、明日から、明日からと言っているうちに、職場をリタイアしてから、あっという間に10年以上の歳月が過ぎてしまった。手近かな読書がいい例で「よ~し、今度は・・・」と思って沢山買い込んできた本が机の脇に積みっ放なし。いわゆる「積ん読」である。人間の心理とは不思議なもので、積んでしまった本は興味が半減してしまうから、また新しい本を買う。「積ん読」の繰り返しだ。


本



 野球やサッカー、ソフトボールなどスポーツは、ハナから諦めている。メタボの人間が、その真似事だって出来っこないからだ。ただ、出来たらいいな、と思うものはある。現に年取った方でもおやりになっているスポーツもあるのだ。


大会1



 先頃、山梨市にある県立の体育館で開かれたダンススポーツ大会を観にいった。もちろん、無粋の上、自らがメタボ人間であることを自覚しているから、本気でやろうなどという不遜な考えもないし、特別の関心があったわけではない。この大会を主催する山梨県ダンススポーツ連盟の会長さんは、ユネスコの活動を通じて、もう50年以上の付き合い。そんな事を言ったら叱られるが「顔を見せてよ」と言われれば、嫌だとはいえない。
ダンス

 
 いわば義理で大会会場を覗いたのである。ところがどうだ。昭和61年のかいじ国体のバスケットボール会場にもなった体育館の中は、選手達の気迫や優雅さに満ち溢れ、見る者を圧倒、その魅力の虜になった。広い競技スペースで踊る十数組ずつの選手達、その周りで次の出番を待つ選手はもちろん、スタッフが取り囲む。観客だって少なくない。ざっと見ても7~800人はいるだろう。ワルツやタンゴの曲が会場いっぱいに響き渡る。


大会2



 気遣ってくれた会長や副会長の案内で来賓席へ。頂いたプログラムを見ると、午前10時から午後5時まで、昼食時間をはさんで競技スケジュールがびっしり。ラテンとスタンダードの二部門で、B級からD級、続くランクの1~6級の選手達が技を競うのである。スタンダード部門はワルツタンゴ、ラテン部門はルンバチャッチャッチャなどだ。


大会3


 知り合いの前会長さんの話によれば、スタンダードはかつてのモダンを呼称変更したのだという。大会名は山梨県大会を銘打っているが、事実上の関東甲信大会。地元山梨はもちろん、東京、埼玉、千葉、神奈川など各都県と一部東海の選手達が参加しているのである。特に、この大会では選手カップルの合計年齢が120歳以上スーパーシニア140歳以上ウルトラシニアの両選手権も併設。私たちと同年代、いや、それ以上の人達が颯爽と踊っているのである。女性は赤、青、黄色、ピンクのドレス、男性は燕尾服姿で。背筋がピーンと伸びていた。説明をしてくれた前会長さんは間もなく80歳。まだ現役だという。見るからにお若い。スポーツダンスの効果だろう。つい「俺も」なんて考えたくなる。



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左手一本のシュート

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 時の経つのは早い。日本中を騒然とさせた、あの東日本大震災からもう9年。しかし、震災、特にあの化け物のような津波が残した爪痕は、あまりにも大きく、傷は癒えていない。津波は深刻な原発事故まで誘発。未だに生まれ故郷に戻れない人たちも多いのだ。そんな恐怖の震災9か月前の20106月、富士山麓の山梨県富士吉田市にある鐘山総合体育館で、人々の心を和ませ、勇気づける感動のドラマが生まれていた。



同体育館では全国総合体育大会(インターハイ)のバスケットボール山梨県予選が。そこで脳性出血で利き腕の機能を失くした選手が鮮やかな「左手一本のシュート」を決めたのだ。人々を勇気づける、この出来事は当時、新聞でも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。


 シュート3

2010年6月、高校の公式戦に初出場し、いきなり左手一本でシュートを決める田中正幸さん=山梨県富士吉田市の鐘山総合体育館、河合博司撮影
2010年6月、高校の公式戦に初出場し、いきなり左手一本でシュートを決める田中正幸さん=山梨県富士吉田市の鐘山総合体育館、河合博司撮影

障害を乗り越えて高校の公式戦に初出場、左手でシュートを決める田中正幸さん(右)
=河合博司氏撮影


 
 この選手は山梨県立日川高等学校3年生のバスケットボール部員・田中正幸君。当時18歳。中学時代は1試合で30点以上の得点を挙げたことのある名選手だった。むろん、県選抜選手としても活躍。しかし、高校に入学する3日前、誰もが予期せぬ出来事が。自らの希望で事前参加した同校の遠征試合先で、脳内出血で倒れてしまったのである。





でも、強かった。10日間にも及んだ昏睡状態から、奇跡的に生還。苦しいリハビリを乗り越えて1年後、同校に復学。しかし、右半身に麻痺が残り、利き手の右腕は使えなかった。それでもバスケットボールを諦めず、後輩の指導など部活をサポートする一方で、後輩たちの練習の合間を見てはシュートの練習を黙々と続けていた



「左手一本のシュート」は、そんなひた向きな努力と根性から生まれたものだ。田中君の後ろ姿に感動した仲間たちは「何とか田中君を公式戦に…」と図った。障害を負った一人の少年のバスケットボールへの執念にも似た飽くなき情熱と仲間たちが育んだ友情は、燃ゆる青春のドラマを紡いだ。





「『左手一本のシュート』がテレビでドラマ化されたんです」

そう教えてくれたのは日川高校のM教諭。監督でもなければ部長でもない。当時の教科・クラス担任である。よほど嬉しかったのだろう。恩師とは有り難いものだ。当時のバスケットボール部の仲間たちや監督、コーチの喜びようも想像に難くない。どんな苦労や困難も言葉で言うのは易しい。でも、それを乗り越えようと必死に闘う姿は、確実に周りにいる人たちを感動させ、元気づける。言葉には言い表せない「魔力」にも似た力を持っているのだ。


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田中正幸さんを演じる中川大志さん(左)と田中さん
=TBS・HPから


テレビドラマは314日夜9時からBS-TBSで、同局の開局記念番組として放送された。ロケは同校でも行われている。田中君役は映画やテレビドラマ、CMで活躍中の中川大志。母親役には永作博美が。2時間のドラマだ






最近、いわゆるマイナースポーツが脚光を浴びたり、見直される動きが。嬉しいことだ。昨年、日本中を沸かせたラグビーワールドカップは、日本中を熱狂させ、米プロバスケットボール・NBAでの八村塁選手の活躍は日本のバスケットボールフアンに期待と夢をもたらした。「左手一本のシュート」も同じで、障害を持つ人たちのみならず、多くの人々を元気づけた。ドラマの主役となった田中さんは今、28歳。都内の建設会社で活躍中だという。






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庭のサンシュウの木

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 黄色い花がいっぱい。我が家の庭のサンシュウが咲いた。


 稗つき節に「♪庭のサンシュウの木 鳴る鈴かけて 鈴の鳴る時ゃあ~」と歌われる、あのサンシュウだ。花をいっぱい付けたとは言っても、このサンシュウの木は、昨年植えたばかりの僅か1mにも満たない幼木である。




 宮崎県の民謡で、日本人なら誰でも知っていると言っていい「稗つき節」。日頃、何とはなしに口ずさみながら、恥ずかしながらこの歳になるまでサンシュウがどんな木かはむろん、どんな花を付けるのかも知らなかった。




 「それなら、私が苗木を見つけてきてあげますよ」


 親しい仲間が、たわいもない酒飲み話をきっかけに、その苗を持って来てくれた。知り合いの苗木屋さんに頼んで、取り寄せてくれたのである。




 白梅が散って、紅梅が咲き、その足元では黄色い水仙の花が。その向こうでは、今では見上げるほど大きくなった河津桜が満開。杏子の木もピンクの花を付け始めた。自然界は物言わず、どんどん装いを変えて行く。この時季に咲くサンシュウは、やっぱり春の花だ。




 稗つき節は源平合戦の一つ・壇ノ浦の戦いで敗れた平家の女性落人と若き武将の悲恋の物語を歌ったものだという。民謡ならではの節回しのせいか、何とも言えない味わいがある。そこに歌われた意味が分からなくても、つい口ずさみたくなるのだ。




 サンシュウは中国の浙江省と朝鮮半島中・北部が原産。漢名は「山茱萸」。この音読みが和名の由来だという。街路樹としてもお馴染みのハナミズキやヤマボウシと同じミズキ科に属して、秋にはグミのような赤い実を付ける。その赤い実を珊瑚に例えて、「アキサンゴ」とも言われるのだそうだ。




 近くで咲く水仙の花と比べると、サンシュウの黄色はやや濃い。今はちっちゃな木なので迫力はないが、色が強いせいか、周囲への存在感はある。




「お母さん、あのサンシュウ、もっと広い所に植えてやればよかったなあ…」


 「お父さんは、私にはいつも『苗木を植える時には大きくなった時のことを考えて植えろ』と、言っているクセに…。ご自分のことはタナに上げるんだから…」




 この木は大きくなると5m~10mになるという。人間とは咄嗟の思慮に欠く動物なのか。いや、いや私たち«弥次喜多夫婦»だけかも知れない。いつも行き当たりばったりのことをしている。田舎がゆえに植える場所には事欠かないのに、そんなことを繰り返しているのだ。


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 非農家育ちだから仕様がないとはいえ、女房の場合、それが特に顕著。ホウレンソウやチンゲン菜、春菊など葉物野菜の種を蒔かせれば、後先考えずにビッシリ蒔いてしまう。お蔭で、間引きの手間がかかる。いつも苦言を呈す側なのに今度ばかりは女房に一本取られた。


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 黄色い花をいっぱい付けた小さなサンシュウの木の向こうで、ピンクの花を満開にした河津桜。10m近い木になった。よく考えたらこの桜も、途中で広い所に植え替えた。新たに庭木に加わった「庭のサンシュウの木」も近々、植え替えねばなるまい。






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食文化の違い

韓国


 ちょっと時を遡るが、日本のご婦人たちが追っかけまでした、あのヨン様ブームはどこへ行ってしまったのだろう。

ヨンさま


 日本と一番近い国・韓国。顔も体形もそっくりだから、言葉をしゃべらなければ、その区別はつかない。でも、当たり前だが、習慣やモノの考え方はまるで違う。外交問題でもことごとく噛み合わない国民感情の在り様もしかり。食文化だってその一つだ。




 つい先日だが、在日の韓国のご婦人と昼食をご一緒する機会があった。カレーを注文、カレーをご飯にかけたまではよかった。あっ、と思ったのはそれからだ。ご婦人は一緒についてきたポットの小さなラッキョウや福神漬けを載せ、やおらにかき混ぜ始めた。そのかき混ぜ方は、そんな簡単なものではなく、皿の中のカレーライスは、なんとも言えないグロテスクなシロモノに変身していた。


カレーライス


 それを見ながら、ふと、私たちが焼肉屋さんで食べるビビンバを思い出した。親しい甲府の焼肉屋さんのご主人がこんなことを言ったことがある。



 ビビンと言うのは韓国語で混ぜる、はご飯の意味だ。簡単に言えば、混ぜご飯。よく混ぜることが美味しく食べるコツなんです」



 そのご主人というか、社長はカネの器のビビンバを上手にかき混ぜた。よく見ると、やはりグロテスクだが、それほど違和感はない。ビビンバとはそういうものだと思っているからだろう。ところが、目の前のカレーライスはいかにもグロテスク。日本人の食に対する概念かもしれないが異様に写るのだ。




 食文化の違いなのである。日本ではかき混ぜる食は少ない。納豆やとろろなど、かき混ぜることによって粘りを生ずるものくらいのもの。盛り付けられた料理を丸ごとかき回すことはない。日本の食文化は味や香り、風味、食感など、いわゆる口や鼻で味わうばかりではなく、目でも食べるのだ。だから、色や盛り付けにも工夫を凝らす。


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 考えてみれば、日本料理ほど、繊細な食は世界にないだろう。世界の3大料理と言われるフランス料理、中国料理、トルコ料理。さらに韓国料理やロシア料理・・・。おしなべて、みんな大雑把だ。食べ方ばかりではない。食を盛り付ける器だってそうだ。例えば、フランス料理だって、器のサラも極めてシンプル。


中華



 箸。欧米では主にはフォークやナイフ、韓国や中国では箸を使うが、その箸はカネや竹。これもシンプルである。ところが、日本では、この箸まで凝っている。ホテルや旅館、料理屋さんでは凝った割り箸を使う。そればかりか、綺麗な紙の袋や紅白の水引をもあしらったりする。もちろん使い捨て。古くから衛生面を考えたものだろう。


日本料理


 しかし、この割り箸、ようやく見直されようとしてきた。自然保護、省エネの観点からだ。いわゆるマイ箸の動きである。でも、それによって食の文化が変わるわけではない。





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電報で咲くサクラ

サクラサク



 「サクラサク」、ましてや「サクラチル」なんて言葉はまだ早い。本当の桜の季節までには、もう少し時間がかかるだろう。暖冬でイレギュラー気味の春を前に受験シーズンが大詰めを迎え、子ども達は否応なく運命の合格発表へと移行している。ただ、今年は例年と全く違う。受験生たちはコロナウイルス騒ぎに大きく翻弄されているのだ。 






 それはともかく、年配者ならこの「サクラサク」の5文字には懐かしい響きがあるだろう。そう、この「サクラサク」は合格を伝える代名詞。大学などの構内から郷里の親などに打った電文だ。電報は、その文字数で料金計算される仕組みだから、最短文字が、この5文字なのだ。誰が考えたか、貧乏学生の知恵だったのだろう。「サクラチル」となると、涙の不合格。そんな受験者と、その家族の一喜一憂が5文字の電報に託された時代があったのである。





 お若い方々は「おじさんたち、バカじぁないの。ケイタイやスマホを使えばいいじぁない。電話だっていいし、ファックスだって使えば・・・」と笑うに違いない。しかし、おじさんたちが大学受験の頃、つまり昭和30年代の半ば、特に山梨の田舎には電話すら十分に普及していなかったのである。

 山梨に限らず、地方は全国どこも同じだっただろう。だから電報が手っ取り早い通信手段だった。その電報も料金を節約するため電文を出来るだけシンプルにしたのだ。「サクラサク」「サクラチル」は、その要件を十分に満たした。


サクラ2



 ちょっと懐古趣味になってしまうが、当時、山梨から東京に行くには国鉄(現JR)中央線で4時間近くかかった。汽車のタイプも蒸気機関車で、窓を開けていようものならトンネルを出た後の顔はススだらけ。そう、あのSLだ。中央線がオール電化され、特急が走り始めたのは、それからしばらくした40年代初頭。山梨や、その先の長野の人々にとって画期的な出来事であった。




 そして今、甲府-新宿間は特急「あずさ」が1時間半前後で結んでいる。富士山麓に近い県境から始まったリニアイクスプレスの実用実験は甲府盆地へとグングン延び、静岡、名古屋へと向かっている。東京―大阪を1時間で結ぶ夢の超特急・リニアモーターカー計画が着々と進んでいるのだ。つい先頃はJR山手線品川―田町間に、このリニアの起点駅ともなる「高輪ゲイトウエイ駅」が開業した。実用実験線の起点・山梨県境までは地下レールで結ぶ。 


リニアモーターカー



 電話はいつの間にかケイタイやスマホに進化、大人、子どもを問わず、ポケットの中に入った。だから電報は用無しの存在に。日常生活では確実に忘れられている。密かに息をしているとすれば、結婚式とお葬式ぐらいのもの。あの祝電弔電というヤツだ。それもカタカナ文字の読みにくいものから、ひらがな、漢字交じりの普通の電文。ファックス通信をも加味しているのだろう。




 各種の手帳の後ろを見ると、年齢や計量の早見表などと共に、祝電や弔電のモデルがあって、ナンバーで申し込めるようになっている。NTTの数少ない電報ファンへのサービス。一方、支持者への祝電や弔電に気遣う政治家秘書さんにとっては、日常的におなじみだ。「サクラサク」。早く春爛漫の過ごし易い季節が来て欲しいし、騒ぎのコロナウイルスも消えて、受験者にも思い通りの「桜」が咲いて欲しいものだ。今は「散る桜」は見たくない。


サクラ



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ぽつーンと一軒家

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 何処のテレビ局か知らないが「ポツンと一軒家」という番組がある。グーグルで、人里離れた山の中の文字通り「一軒家」を探し、そこで暮らす人を訪ねるインタビュー番組。ディレクターさんには申し訳ないが、一見、たわいのない番組のように見える。でも結構、人気があるらしい。




 それが証拠に、山付きの畑での茶飲み話や、仲間同士の酒席でも話題になることがある。どのシリーズも宇宙衛星を駆使したグーグルで山の中の一軒家を引き寄せて見せるのだが、今のネット・IT社会ならではの手法だろう。




 人気タレントを充てたインタビュアーは、麓の人達を巻き込んで、お目当ての「一軒家」に辿り着く。軽自動車で行く険しい山道が、いかにも«山奥»を演出してくれる。そこに忽然と現れる「一軒家」は、いずれも山奥とは思えないようなさっぱりした住宅なのだ。




 家の中には冷蔵庫や洗濯機…。周りには自給自足のための畑が。玉葱やジャガイモ、ナス、キュウリ、トマトなどの野菜がなんでも採れる。放し飼いの鶏や草っ原にはヤギも。ヤギ乳は牛乳に代わるたんぱく源だ。そこに住むのは、決まって独り暮らしか、年老いた夫婦。いずれも、あっけらか~んと「ぽつ~ンと一軒家」での生活を楽しんでいるのである。




 「誰もいない、あんな山奥で、一人暮らしだったり、夫婦二人だけで寂しくないのかしら…」


 観るともなく一緒にテレビを見ていた女房が独り言のように言う。


 「そうだよなあ…」と相槌を打ちながらも、自らに置き換えて観ている自分に気付いた。何となく共感出来るのだ。40年以上も実家以外で過ごした後、サラリーマン生活に終止符を打ったのを機に生まれ故郷の山梨市の田舎に戻って10年ちょっと。

 親元にいた高校までの18年間はともかく、学生時代の4年間と社会人となって単身赴任した東京生活の2年を除けば、そのほとんどを甲府で過ごした。




 甲府は東京などの大都市とは比較にならない地方の都市。それでも昼夜を問わない車の騒音、住まいが病院に近い所だったせいもあって救急車の音、それに、いつも何とはなしに感ずる人通りの音…。それに比べれば、今の田舎暮らしは雲泥の差だ。でも「ポツンと一軒家」と違うのは、都市部のように隣接していないにしても隣近所があり、いざという時、助け合う絆があるということである。




 若い頃は総じて都会での生活に憧れた。高校を卒業した後、実家の農業を見限り、東京に飛び出したのもそのせいだ。そこには言い知れない活力があった。雑踏や夜のネオンにも元気をもらった。田舎生まれ、田舎育ちの反動かも知れない。

 しかし、今は都会での生活などまっぴら御免だ。自らが歳を取った証拠、と言ってしまえばそれまでだが、たまに行く東京の雑踏や慌ただしさがたまらなく鬱陶しい。度々、足を運ばなければならない甲府でさえも同じだ。これと言ってとりえのない田舎家に戻ると、何故かホッとするのだ。


都会


 山の中の「ポツンと一軒家」で暮らす人の気持ちが分かるような気がする。ここにはコロナウイルス騒ぎもなければ、処世の煩わしさもない。第一、時間の流れが実にゆっくりしているように見える。今の世の中、一見しての不自由は、実は贅沢かも…。


  考えてみれば、軽自動車一台あれば、里への買い物も出来る。傍が考えるほど不自由ではないのではないか。人間が競うように便利を追い求める風潮へのちっぽけな反動なのか、「ポツンと一軒家」を自分の生活に置き換えて、憧れにも似た気持ちになった。




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みんな中止、中止…

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 お笑いになるかも知れないが、私が今、一番大事にしているのは手帳。財布なら、自分のだらしなさ、と諦めもつくが、手帳を失くしたら大慌てする。第一、今は財布の中身だって言わずと知れている。「もったいないことをした」で諦めもつく。




 一方、手帳は会議・会合であれ、仲間との飲み会の約束であれ、そこにみんな集積されているのだ。法事などいわゆる仏事や、いつもは、この季節だと結婚式のお招きだってある。結構、タガをはめられて出歩くことは多い。もう一つ大事なのは、手帳の一番後ろに一覧にしてある住所録。電話はスマホに記録されているからいいが、アナログ人間にとっては大事なメモである。




 言ってみれば、手帳は人との約束事、社会との交流の«記憶装置»なのだ。これを欠いたら、社会の義理や信用はゼロ。「たかが田舎住まいの、リタイア人間のおっさん、分刻み、時間刻みで動くわけでもあるまいに」と、お笑いになるだろうが、その頻度が少ないから返って始末が悪いのだ。若い頃、つまり現役時代なら、朝起きて「今日は何…」、「明日は何…」と手帳など見ずに頭の中で整理して行動出来た。ところが、今は、明日、明後日どころか、今日のことまで定かな記憶に自信がないのだ。1週間後、一月後は言わずもがなである。




 そんな自分をわきまえているので、各種の通知や電話連絡があると、必ず手帳に書き留める。逆から言えば、そんな習慣がついてしまったから、自分の頭に記憶することを忘れてしまったのかも知れない。「電話帳」を備えた携帯やスマホが普及したせいか、人間は電話番号を記憶する習慣も、いつの間にか失くした。自分の携帯電話番号すら覚えていない人だっているはずだ。




 この電話番号一つ例にしても紐付き電話の時代は、親しい仲間や隣近所、仕事によってはお得意様、さらには主な公共機関などの番号まで頭の中にあった。どんな人でも10や20の電話番号を記憶していたはずだ。ケイタイの«記憶装置»がその習慣を喪失させた。我が家では私も女房も加入電話が近くにあるのに、ケイタイに依存だ。街角から消えつつある公衆電話ボックスの中で、スマホで話をしている若いカップル。笑うに笑えない現象だってある。




 私にとっては唯一の記憶装置であるこの手帳が今、二本棒で次々に消されている。新型コロナウイルス感染症騒ぎは、田舎住まいの、こんなおっさんの手帳まで忍び込んでいるのだ。毎週一回、山梨市内の割烹旅館で開くロータリークラブの例会は今月いっぱいの中止を決定。その後は様子を見ながら…。山梨県でも2人目のコロナウイルス感染者が出て、県内に緊張感が走った。恐らく4月以降の中止も避けられまい。

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 同クラブは今年、創立50周年。市内のフルーツパーク富士屋ホテルで大勢の来賓を招いて開く記念行事を中止、それに並行したIM(インターシティ ミーティング)も。ユネスコの県連代表の立場で関わる県教委の社会教育振興フォーラム、「信玄堤」で知る人ぞ知る市内・万力林の「赤松保存」行事も中止。あれもこれも、みんな中止、中止だ。


 気付いてみれば、一か月以上先まで手帳は二本棒だらけ。毎年、来賓の立場でお招きを受ける母校・日川高校の卒業式も「規模の縮小」とやらで、今年は急遽ナシ。入学式も同じだろう。同校の卒業生仲間の無尽会「18日会」もすっ飛んだ。年代を超えた地域の人たちの集まり「20日会」は何とか踏ん張った。

 山梨ロータリークラブには54人の職業人、つまり企業経営者の仲間が。私のようなサラリーマン経営者はやめてしまえばただの人。でもオーナー経営者はそうはいかない。みんな、このコロナ騒ぎには翻弄されっ放しだ。「うちなんか、90%のお客がキャンセル」。観光バス会社の会長は、泣くに泣けない悲鳴を上げていた。




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ザゼンソウの神秘

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 「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬・・・」

そう、あの尾瀬のミズバショウを唄った歌だ。日本人ならだれもが口ずさんだことがあるだろう。この歌の通り、尾瀬のミズバショウが花開くのは夏。私は尾瀬に行ったことはないので、写真のそれしか知らない。尾瀬はともかく、ミズバショウそのものを見たことがない人はかなり多いはずだ。ところがみんな知っているし、ずっと昔から馴染み深い花のような錯覚にさえ・・・。歌の魔力だろう。





 このミズバショウを彷彿とさせるのがザゼンソウ(座禅草)。開花期は夏と初春でまったく違うが、どちらもサトイモ科の多年草だから、ご親戚だろう。ミズバショウと違って、こちらは馴染みが薄く、恐らく見たことはおろか、名前すら知らない方も多いはずだ。そのザゼンソウが今、山梨県甲州市の小倉山の山麓で見ごろ。ここは甲府盆地の東北部、秩父山塊のはずれのような所で、竹森という地域だ。




 「ザゼンソウって見たことあります?実に神秘的な花なんですよ」


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 山梨ロータリークラブでご一緒する仲間が例会の後、その竹森のザゼンソウ群生地に案内してくれた。車で行ったのだが、JR中央線塩山駅から北へ約5㌔、時間にして6~7分の所。いわば塩山駅とは目と鼻の先。眼下に塩山の街並みが見える。




 山あいの人家からちょっとそれて、駐車場らしい広場に車を停め、1~2分歩くと、ある、ある。ザゼンソウがいっぱい。杉木立の中を小川、いや、岩清水と言った方がいいが、その流れの両側にかなりの幅で、帯状に群生しているのである。その群生は山の頂に向かって2~300m延びている。




 岩清水が集まるこの山沢の湿地帯に群生しているザゼンソウは黄色いものもあるが、ほとんどが赤茶色。大きさは15cm前後。仏像の光背に似た形の花弁の重なりが真ん中の胞子を包むように咲いているのである。まさにザゼンソウ(座禅草)の名の通り、花の中で僧侶が座禅を組んでいるように見える。卵型のこの花は別名ダルマソウともいう。


ザゼンソウ3


 回廊のようにジグザグ延びる木造板の遊歩道で、しきりに望遠レンズのシャッターを切っていたアマチュアらしいカメラマンは


 「私たちは毎年、地元の甲州市に見ごろを問い合わせては東京からやってくるんです。華やかさこそないが、ひっそりと山あいの湿地で咲く、このザゼンソウに魅せられるんです。まさに、ひなびた山あいで座禅を組む仏様か観音様。なんとも神秘的な花ですよねえ」



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 この群生地に程近いところに住み、毎朝、ランニングのコースにしているという仲間のロータリアン氏によれば、シーズン中、週末ともなれば大勢の見物客で賑わう。県内外からのお客さんを当て込んで茶店も出るほどだ。ザゼンソウの群生地は、栃木県の大田原なども知られているが、この甲州市の竹森は、自生地としてはわが国の南限。その意味でも貴重だ。



 ただイノシシが天敵らしく、周囲には弱い電流を流す細い鉄条網が張り巡らされていた。




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マスコミ公害?

公害

 企業犯罪と言ってもいいイタイイタイ病や水俣病…。果てはちょっとした河川や水路の汚濁に至るまで「公害」、「公害」と騒がれた時期があった。しかし、最近では、この「公害」という言葉がどこかに行ってしまった。我が国の高度成長がもたらした«落とし子»と言ってもいい言葉であった。




 人々は自らに都合の悪い事象を何でもかんでも「公害」という言葉に置き換えたりもした。中には「スズメの鳴き声がうるさい」と訴える笑い話のようなケースも。その頃、「公害」という言葉がつけば何でも記事になり、ニュースになったようにも見えた。荒廃した戦後の日本。その復興に我武者羅に走った私たち人間。「公害」は、その陰で人や環境を置き去りにしてしまったツケともいえるものでもあった。




 そして今…。毎朝の新聞はむろん、テレビやラジオは一日中、新型コロナウイルス感染症騒ぎだ。こちらは温室ガスなど地球を丸ごと壊そうとしている人間どもへの鉄槌なのかも。中国・武漢に端を発した、この感染症は世界に広がり、罹患者や死者の数は日ごとに更新され、留まることを知らない。定時のニュースばかりでなく、どの局もワイドショー番組で競うように放送するのである。生活の全てに、このコロナウイルスを結びつけるのだ。

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 正直、うんざりする。国会中継にテレビのチャンネルを移すと、ここでもコロナ。もちろん、国会の場で論議するのは当然。でもその中身は…。不毛と言ったら言い過ぎだろうが、攻守はお決まりのパターン。野党は執拗に初動の対応や熟慮の不備を突き、片や政府側は防戦一方。言葉を変えれば非難の応酬だ。どう見ても前向きな議論とは聞こえない。




 かつての公害騒ぎと今度のコロナウイルス騒ぎは本質的に違う。「公害」が明らかに人為的にもたらされたものとすれば、「コロナ」は、現段階では得体が定かではないウイルス感染症。いずれかは、その発生経路や得体そのものも解明されるのだろうが、それが出来なければ決め手、つまり抜本的な手立てなど打てるはずがない。そんなことは誰だって分かる。




 何とかして拡大を最小限にとどめ、被害を抑えるしかない。非難に終始し、責任論に明け暮れたところでしようがあるまい。「政府が悪い」、「行政が悪い」と言っているばかりでは何の解決策にもならないはずだ。国会議員・「選良」と呼ばれる先生方はむろん、ワイドショー番組で、口先だけで大そうごもっともなお話をする評論家先生にはウンザリする。医療の専門家でもないのに言いたい放題だ。





 番組では政府答弁を切り取って並べたり、新聞各紙の見出しや論調を並べて、「ああでもない」、「こうでもない」とやっている。政府が「子供達への感染拡大を防ぐ」と言って全国の小中、高校、特殊学校に「休校」を促せば、「その根拠は何か?」、「事前の議論が足りない」とやる。「小田原評定」という言葉をご存知か。




 そもそも得体の知れない感染症相手。絶対的な決め手などあろうはずがないし、もしあったら世界中への感染など、とっくに食い止めたはずだ。結果的にコロナ騒ぎを煽ってしまっているマスコミ。かつてのオイルショックでも起こしたトイレットペーパー買い占め騒動が再現したかのよう。私たち市井の人間は、いつもマスコミに踊らされるのだ。くわばらくわばら。




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孫のいる風景

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 週末が待ち遠しい。サラリーマン現役時代のことではない。孫娘がママやパパに連れられて田舎の我が家にやって来る日だ。「指折り数えて…」と言ったら子供じみているし、第一、大げさだが、そんな気持ちにもちょっと似ている。




 山梨市の田舎で、後期高齢者の夫婦二人暮らし。お天気で、家に居る時は野良に出て百姓の真似事をし、一方で、仰せつかったボランティアのような活動や、仲間と「無尽会」という名の飲み会など、そこそこ毎日、外に出る。でも夜は旅行や日帰りがままならない遠方での会議でもない限り、夫婦二人一緒。


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 そこで何時も話題になるのが孫娘のことだ。この4月小学校に入る。その学校はランドセルを使わないというので、制服を贈ってやることにした。喜ぶ顔が楽しみだ。



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 孫娘は山梨市の我が家と20キロほど離れた甲府でパパとママの3人暮らし。離れて暮らす私たち両親を気遣ってか、ママは度々、娘の動画を送信して来る。先日は長野県の白馬高原で雪と戯れ、スキー遊びをする写真や幼稚園の卒園発表会などの一コマが届いた。


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 「上手に滑っているじゃあないか。スキー、いつ覚えたんだ」


 「私なんか子供の頃、こんなに上手に滑れなかったわよ。第一、親も連れて行ってくれなかったもの…。こんな立派なスキーやウエアーもなかったわよね」


 ふと70年も前を思い起こしたりもした。スキー愛好者も今は減少傾向だとか。


 「これ、チビちゃん?卒園発表会、上手にやったようね」


 娘が撮った動画を食い入るように見る。二人とも孫を慈しみながら童心に戻っていた。


 3月3日は桃の節句。お雛祭りだ。孫娘がやって来たのを機会に、お雛さんの飾りつけを。この雛飾りは娘が生まれた時、女房の実家の両親が贈ってくれた七段飾り。もう50年近く経つが、新品同様。どこも傷んでいない。七段飾りは場所をとる。小さな間取りの娘の家ではスペースに事欠くので、毎年、田舎家の我が家で飾ることにしているのだ。




 「これはねえ、ママが生まれた時、ママの爺爺と婆婆が買ってくれたものだよ」


 孫娘にとって、そんなことはどっちでもいい。内裏様や五人囃子などのお人形を箱から取り出しては大はしゃぎ。


 「お爺ちゃんが笑ったり、ニコニコするのは、チビちゃんが来た時だけねえ…」


 女房は、いつもそんなことを言う。確かにそうだ。女房と二人きりだと、笑うこともなければ、ニコニコすることもない。夫婦とはそんなもので、それでいて、何となく意思疎通が出来ているから不思議。孫娘は普段、これと言った変化のない我が家を明るくしてくれる。


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 兎に角、孫は可愛い。娘には叱られるに違いないが、娘がこの孫娘と同じ頃、こんなに可愛がってやっただろうか。仕事、仕事で追われ、娘どころか家庭さえ振り返ることもしなかった。その間に、いつの間にか大きくなってしまった? これホント。




 「お爺ちゃん、チビちゃんが、こうして我が家に来てくれるのもそんなに長くはないわよねえ…。あと何年かしら?少なくても中学生になったら、ダメでしょうね」




 「そうだよなあ…。お友達やクラブ活動の方が良くなるんだろうなあ…」




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天国って何処?

空


 「お爺ちゃん、天国って、何処にあるの?」


 「地図にはないんだ。それはねえ、死んだら、みんなが行く所だよ」


 「死ぬって どういうこと?」


 6歳になる孫娘が、居間の片隅に張り付けてある世界地図を横目に無邪気に問いかけて来た。大人たちの、ちょっとした会話や茶の間のテレビから流れる些細な言葉にも疑問を持つのだ。

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 「天国」。それが何処にあり、どんな所か、実は私ばかりではなく、人間誰一人知らない。宗教観、せんじ詰めれば人間が作り上げた「気休めの世界」でしかないのだ。




 先頃、野球の野村克也元監督が逝った。テレビでコメントを求められる人たちは一様に言う。「今頃、沙知絵夫人と天国で再会しているだろう」と。この「天国」は葬儀の弔辞にも登場する。みんなが使い、分かっているようで、実は分からない不思議な言葉である。




 天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄。仏教がいう六道だ。天国も地獄もその一つ。みんな死後の世界である。「生前に善いことをした人間は天国に行き、悪いことをすると地獄に堕ちる」と、子供の頃、親から教えられた。子供に対する戒めの言葉でもあった。


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 孫娘は、この4月には7歳。小学校に入学する。子供の成長は早い。ついこの間までよちよち歩きをしていたと思ったら、今では家の中、外を問わず自由、闊達に飛び回る。幼稚園の3年間でお友達と仲良く遊ぶことも覚えた。学習塾やピアノ、体操などの教室にも行く。




 「あなたは、私が美容院に行って来ても気付いてくれないのに、チビちゃんだけは『お婆ちゃん、奇麗になったね』と、言ってくれるんだよ…」




 女房は私の無関心をなじるように、そんなことを言う。女房の«グチ»はともかく、周りの大人達の一挙手一投足はむろん、表情の変化まで敏感に捉える子供の感性は半端ではない。




 テレビから流れるコマーシャルや何気ない言葉、音楽にも、すぐに反応する。「仕事探すなら~インデード」とか「チコちゃんに叱られる」、「バカ言ってるんじゃ~ねえよ」と言った言葉や「♪〇〇アメリカン」などという歌の節回しも何時の間にか覚えるのである。




 子供は日常で見るもの聴くもの、何でも吸収してしまう。観察力もすごい。悪気はないのだが、私は「バカ」という言葉を、つい口にする。ある時、孫娘は「お爺ちゃんは、お婆ちゃんに『バカ』と言うね。いけないことよね」と、母親に言ったという。ドキッとした。子供は大人の言動や、その良し悪しを、ちゃんと見ているのだ。ちょっぴり怖くもある。

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 観察力は大人より旺盛かもしれない。それが知恵となって、子供達を成長させていくのだろう。平々凡々と生きている私なんか、この孫娘に知恵も行動力もやがて追い越されていくのだろう。その前に「何処にあるか分からない天国」へ行ってしまうのかも…。  




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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