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消えたピンクと御坂山塊

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 ここから直線で15㌔近くはあるだろうか。御坂山塊の襟元まで染めていたピンク色が消えた。そこは日本一の桃の産地・笛吹市一宮町の東部一帯。甲府盆地の底辺部から織りなして来たピンクのジュータンは、時と共にゆっくりと高地へと移動。やがては当たり前のように姿を消して行く。自然は一日たりとも足踏みはしない。




 御坂山塊の上にどっかりと腰を据える富士山は、まだ真っ白。甲府盆地と富士山麓の間の「屏風」のようなこの山塊は、何時ものように青黒く佇み、真っ白い富士山を今日も際立たせているのだ。これといった変哲もない前衛の「屏風」が実は富士山の引き立て役になっているのである。

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 「何の変哲もない」などと言ったら叱られる。御坂山塊は歴史に何度も記された富士山噴火でも溶岩流の防波堤の役目を果たして来た。想像しただけでもゾッとする、あの溶岩流を「体」でがっしりと受け止め、甲府盆地に一滴も入れなかった。何度となく繰り返された富士山の噴火は、遠く江戸八百八町まで溶岩流をもたらしたという。しかし、目と鼻の先の甲府盆地には、それを全く許さなかったのだ。




 そんな御坂山塊の上に腰を下ろしているかのように見える富士山も時と共に表情を変える。真っ白く雪化粧したままとは言え、どこか違う。厳冬期の荒々しい顔とは明らかに異なるのだ。「どこが?」と問われても答えようがないのだが、光線がそうさせているのだろう。




 日常に人々が交わす挨拶の「枕詞」も、ひと頃の「寒いですねえ」が、いつの間にか「暖かくなりましたねえ」に。確かに日差しも目に見えて穏やかになり、第一、一日の陽もグ~ンと長くなった。朝は5時を待たずして明け始めるし、夕方もしかり。6時半過ぎまで明るい。ひと頃と比べれば、一日が4時間以上長くなっている。いつもなら何か得をした気分にもなるのだ。でもコロナウイルス騒動の影は深刻で、今年はそんな気分にはなれない。




 御坂山塊は、向かって左側に奥秩父山系が連なり、そのすそ野を一級河川の笛吹川が流れる。最上川(山形)と球磨川(熊本)と並んで日本三大急流に数えられている富士川の支流だ。笛吹川の源流は山梨市の三富町。埼玉県と隣接する奥秩父山系の一角にある。そうした山や川が醸し出す気象が実はこの地方の特産を生み出しているのだ。




 まだ、そのシーズンには早いが、枯露柿はその典型。笛吹川を挟んで向かい側には、甲府盆地をぐるりと囲む連峰の山々から、ちょっと突き出す岬のように岩手、八幡の小山が連なる。そんな地形や自然が枯露柿づくりに恰好な条件を生み出しているのだという。つまり、この地域を大きく囲む山々が、笛吹川の川風と絡んで、枯露柿造りに適した環境を生んでいるのだという。特産のブドウやモモにもそんな因果関係があるのかも知れない。

農鳥


 一方、御坂山塊の向こうで、雄大にすそ野を引く富士山は、あとしばらくすると中腹に「農鳥」を見せてくれる。「農鳥」は富士山が、ゆっくりと雪解けを始め、その過程で起こる残雪現象。大きな鳥の姿を形成するすることからその名がついた。人々は古来、この「農鳥」の出現を契機に夏の農作業を始めた。初夏。コロナウイルス騒動の中で甲府盆地の農家は今年も本格的に動き出す。でも、その表情は、いつもの年とは違う。




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山が萌える

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 季節の移ろいは確かだ。いつの間にか周囲の山々が萌え始めた。山と言っても標高が低い里山。遠くに見える高い山は、まだ、どす黒く見える。むろん新緑への準備を始めているのだが、里山とのタイムラグは当然だ。一方、私たちが暮らす里は新緑へピッチを上げている。






桜、桜と言っていたのがウソのよう。一足早く葉桜に変わった河津桜はもちろん、牡丹桜や枝垂桜、ソメイヨシノも、すっかり花びらを散らし、新緑への移行に余念がない。


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甲府盆地は桃の一大産地。桜を追っかけて花開く桃の花は、盆地一面をピンクの絨毯に変えるのだが、その絨毯も標高の低い所から高い所に移行するのである。桃畑が集中する盆地の東部。ピンクの絨毯は御坂山塊の「襟元」まで登って行く。毎年繰り広げられる大自然のパノラマショーだ。






一口に新緑と言っても、その様相はさまざま。一概に緑ばかりではない。特に楓はこの時季、多彩な「顔」を見せる。我が家の庭には何本もの楓があるが、みんな色が違う。赤いもあれば黄色いのもある。赤と言っても深紅だったり、紅色であったり…。みんな「顔色」を異にするのだ。


 黄色いものも同じで、中には赤みがかった黄色から次第に真っ黄色に顔を変えるなど「七変化」を遂げるものも。この楓、赤みがかった黄色で芽吹き、次第に真っ黄色になり、夏ごろには緑に。そこが折り返し点なのか、秋に向けて、また黄色く、赤く。いわゆる「紅葉」を織りなすのである。


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松やモミなどの常緑樹はさておき、押しなべて辺り一面の新緑の中でコントラスト豊かなアクセントを施して見せるのである。あと少し経てばツツジが咲き始め、6月になればサツキが花開く。その頃になれば花の先陣を切った梅が実を膨らませ、北海道を除く日本列島は、いわゆる梅雨のシーズンを迎えるのである。

 楓は紅葉狩りの秋より今の方がずっと美しい。


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これらは毎年繰り返す自然界の悠然のドラマ。しかし今年は、そんなドラマが空虚でしかない。少なくとも、この時季特有の爽やかな気分にはなれない。それほどコロナウイルス感染症騒動は人々の心に負の重荷をもたらした。遡って桜にしても、「花見で一杯」などという風流は望むべくもなかったし、第一、そんなことをしたら悪者扱いされたに違いない。






風流の花見酒どころか、ネオンの盛り場でのお酒ですら飲めない始末。一事が万事。人々の行動が、ことごとく抑制されるのだから、ストレスが蓄積されない方がおかしい。家に居たって毎朝の新聞も居間でのテレビもコロナ、コロナ…。ほかに話題はないのか、と思えるほどコロナ騒動一色。今はコロナ感染症に視点を充てれば何でもニュースになる?そう邪推したくもなる。






そんな中で山梨日日新聞に桜や桃、菜の花など各地の「花だより」の写真が載る。ハナミズキの街路樹も。「おうちでお花見」のカットが付いた、いずれもワイドに扱った見事な写真。「こんな時だからこそ」。編集者の嬉しい心遣いが伝わって来る。コロナ一色と言ってもいい紙面や日常の中にあって心を和ませる計らいだ。新聞も決して捨てたものではない。






先が見えないどころか、ますます深刻さを強めるコロナウイルス騒動。そんなことには関わりなく悠然と季節の移ろいを続ける自然界。人間どもの慌てふためきぶりを笑っているかも。新聞やテレビがコロナウイルス感染の終息を伝えてくれるのは、一体いつなのか…。








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人事の季節にも異変

宇和島城  
宇和島城=友人撮影


 サラリーマンは春の人事異動からボツボツ一か月を迎える。行く人、来る人。そこには当たり前のように、初々しさや惜別の念があった。毎年繰り返される、この人事の季節は人々の心をリセットする格好のチャンスでもある。「よし、頑張るぞ」。大なり小なり、そんな決意を心に秘めないサラリーマンはいまい。




 若手やベテラン、平社員や管理職…。そんな立場に関係なく、辞令を手にした人たちは家財道具ごと新天地に移動するのだ。「よろしくお願いします」、「頑張って…」。一方、新入社員は新調したスーツに身を固めて未知なる世界に飛び込んでいく。入社式では緊張しながらも、心を一つにして社長や、それぞれの代表の訓辞を胸に受け止める。




 ところが、こんな当たり前の光景が今年は、ことごとくに、何処かにすっ飛んだ。みんなマスク姿。挨拶の交換もそこそこに辞令のポジションへ。新入社員の場合、当たり前の入社式までカットされるのだから、誰もがかみしめる筈の「感慨」や「意気込み」などというものは沸く筈もない。コロナウイルス感染症は、人事の季節をも一変させたのである。




 「この春から愛媛県で公証人役場を開設することになりました」


 コロナウイルス騒ぎが勃発する前、友人から、こんなメールが。この男は国家公務員。昨年3月までの2年間、甲府で国の出先機関の局長を務め、その4月、岡山の局長に異動した。実家は広島。「定年まで、あと一年あるが、縁あって愛媛の宇和島で公証人役場を開設することになった」のだという。

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宇和島・「天赦園」の藤棚。下り藤ならぬ珍しい上がり藤のアーチ=友人撮影



 因みに公証人役場は、法務省が管轄する国の機関の一部。市町村役場など地方自治体とは異なる。様々な公正証書の作成、例えば協議離婚による養育費などの契約や各種の示談契約書の作成など業務は多岐にわたる。全国には300もの役場があるのだそうだ。新天地に挑むこの男性にもコロナウイルスの拡大が影を落とさなければいいが…。




 コロナウイルスの影は学校にも及んでいることはみんながご存知。うちの孫娘の場合も、小学校に入学したまではいいが、入学式だけで、その翌日からずっと休校。入学式も時間短縮で、いわば形だけ。お母さんやお父さんの参加も制限する始末だった。




 「私も行きたかったんだけど、ダメだって…」


 「当たり前じゃないか」


 ただ一人の孫娘の入学式だけに女房は後ろ髪を引かれる思いらしい。大人気ないが、私だって「行ってやりたい」と思う。孫娘の晴れ姿を一目でも見たいし、記念写真の一枚も撮ってやりたい。「親ならいざ知らず孫の入学式に爺婆でもあるまい」。確かにその通りだが…。

 小学校はおろか大学の入学式や卒業式に両親が付き添うご時世である。私たちが子供の頃は考えられなかったが…。時代はどんどん変わっている証かも。


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 そんな大人の感慨はともかく、当の孫娘。形だけの入学式を済ませただけだから、入学の実感どころか、小学校がどんな所かすら分かるまい。お友達だってできる訳がないし、幼稚園の延長線上に置かれたまま。むろん幼稚園も卒園式を済ましているので、幼心にも釈然としないに違いない。大人も子供も人生の節目をコロナウイルスに翻弄されっ放しなのだ。




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コロナ、ブロブにも感染?

東京コロナ
新宿:西日本新聞


 コロナウイルス感染症は世界中に広がり、地球上の五大陸は、ことごとくにウイルスで汚染された。その脅威と混乱はまるでSF映画でも見ているようだ。政治や経済はむろん、市民生活をも混乱の渦に叩きこんだ。事業所はむろん、歓楽街に至るまで、一時閉鎖を強いられ、街からどんどん人が消えている。それが全国に波及しているのだ。




 人、人、人。その混雑が無言のうちに活気や活力を醸し出していた大都市・東京。その大都市が日中でも人や車を見る見る減らし、夜の新宿・歌舞伎町などは死の街に変わりつつある。大都市とか日本、それどころか世界は…。地球というこの星は一体どうなってしまうのだろうか。




 多分、米国のSFシネマだった。「猿の惑星」という映画があった。時は遡って1960年代の作品だ。なぜか、今でも痛烈な記憶として脳裏に残っている。主演はチャールストン・ヘストン。私たちの世代なら、誰もが知っている名優である。

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 4人の宇宙飛行士を乗せ、米・ケネディ宇宙センターを発進した宇宙船が任務を終えて地球への帰還を目指していた。クルーは地球時間が2670年であることを確認した後、睡眠薬を注射して冬眠状態に。ところが宇宙船はトラブルを起こしたのか、得体の知れない惑星に不時着してしまう。




 そこは猿が支配する、いわゆる「猿の惑星」であった。クルーは猿の社会に翻弄され、葛藤の日々が続く。ある時、海岸で、胸から下が地中に埋まった「自由の女神像」を発見。そこで初めて、人類が営々と築いて来た地球が滅びてしまったことを知るのだ。宇宙から見れば、小さな星に過ぎない地球。されど文明の星。それが核戦争で滅び、こともあろうに人類の振出しに戻ったかのように猿に支配される星になってしまった、という皮肉たっぷりのストーリーだ。




 今、地球を丸ごと未曾有の混乱のるつぼに叩きこんでいるコロナウイルス騒動を、この映画に重ね合わせた。確実に人間のなせる技、と言っていい地球の温暖化。それが一因とみられる気象異変。さらには、その気象異変との因果関係が信ぴょう性を帯びている集中豪雨や北半球でも頻繁に起こるようになった竜巻、等々…。




 身勝手で、傲慢な人間どもへの«鉄槌»とみることは出来ないか。巷には「自己虫」がはびこり、国際社会でも〇〇ファーストなどという言葉が当たり前になった。世界の指導者たちは、口では「協調」だとか「友愛」、「相互理解」という。しかし,他国をも巻き込んで中東などで続く内戦や、世界各地で繰り返される不気味なテロや紛争もしかりで、一つ間違えば、核戦争の危険すらはらんでいるのである。




 朝、新聞を開けば、1面から社会面に至るまでコロナ、コロナ。定時のテレビやラジオのニュースもしかりだ。そればかりではない。時間枠では、ニュース番組の比ではないワイドショー番組は朝から晩までコロナ一色だ。気が滅入ってしまうのは私だけなのだろうか。




 こうしてパソコンに向かっていても、コロナは頭から離れないようになった。1日おきに、たわいもなく更新している拙ブログも無意識のうちにコロナに引っ張られている。ブログにもコロナが«感染»してしまった。会議や会合、飲み会に至るまで中止になって家に閉じ込められる毎日。時折かかって来る電話も挨拶代わりの言葉は「コロナ、大丈夫?困ったものですね」。




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言いたい放題

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 暇を持て余す、ということはこのことか。余計なことを考えずに仕事一筋。忙しく仕事をしている人たちが羨ましい。サラリーマン現役時代が懐かしくもある。会議も、行事も、飲み会も…。みんな中止、中止。コロナウイルス感染症騒動は、人々の行動を抑制するばかりではなく、みんなを家の中に閉じ込めるようになった。それどころか、心の内面にまでもぐりこんでストレスをためる。「仕事に没頭」などという言葉すら、シラジラシク響くのだ。現役サラリーマンや管理者の気持ちが手に取るように分かる気がする。




 私のようなリタイア人間にとつて外に出る機会を奪われたら、家の中で本を読むか、テレビを見るか、パソコンで«遊ぶ»?ぐらいのもの。読書は目がくたびれてすぐに嫌になる。歳のせいだろう。仕方なく、テレビのチャンネルボタンを押す。どのチャンネルもコロナ、コロナ。うんざりするのだ。




 うんざりするのはコロナ一色、というだけではない。どのチャンネルも評論家先生がまことしやかに、ああでもない、こうでもない、とやっていることだ。医療関係者など、その道の専門家ならまだいい。口に泡を飛ばしてやっている評論家先生の多くは、自らの調査や取材もなく、言いたい放題。出掛けに見て来た?新聞の記事を基に、鬼の首でも取ったかのような口ぶりで話す。足で情報収集するタイプは、現実的になるのか、どうも大衆受けしないらしい。




 勢い、大衆受けを狙って多くは政府や行政批判。やれ対応が遅いだの、国は何故お金を出し渋るのか、果ては「この際お金の印刷を」と信じられない意見まで飛び出す。感染予防のため、行政が営業自粛を促せば、一斉に、その補償を訴えてみせる。普段はきれいごとで、眼を背けているカメラもホストクラブやキャパクラ、特殊浴場まで取り上げて、苦境を訴えさせてみせるのである。一方、国会の先生方は、いつものように«揚げ足取り»。それをも、まことしやかに煽り立てるのである。
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 飽き飽きして、パソコンに転ずれば、インターネットも、やっている、やっている。テレビより、もっとリアルで、政治家や芸能人などのツイートを引き合いにして、やはり体制批判。ここでは政治家ばかりではなく、評論家先生の論評内容の是非にも及んで、かしましい。それに一般ユーザーが反応しない訳がない。「そうだ」、「そうだ」と大合唱するのである。




 インターネット・スマホの世界には「炎上」という言葉がある。誰かが「火」を点ければ、アッという間に燃え上がる。そこに共通しているのは「そうだ」、「そうだ」である。体制を批判することは、いかにも痛快だ。それが「そうだ」、「そうだ」の仲間を得れば百人力?炎上に拍車をかけて行く。それで、はたして、この難局が乗り切れるのだろうか。インターネット社会に恐ろしさを感ずるのだ。


畑


 分かっているようで、実は肝心なことは分かっていないアナログおじさん。頭の中をかすめる「運動不足」を考えて、野良へ。自らの力量に鑑みてブドウ栽培を諦めた園は、ただのだだっ広い畑。野良仕事と言っても除草作業に過ぎない。管理機を使っての作業だが、草との戦いは、そんなに簡単ではない。でもコロナから逃げるには、これが一番。非常時にあっては「正解」などと言うものはない。言いたい放題は意味もないストレス解消かも。




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テレワーク

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 世界中に蔓延したコロナウイルス感染症は、これまで聞き慣れなかった言葉を私たちに当たり前のように知らしめた。クラスター(感染者集団)、パンデミック(世界規模の感染拡大)、オーバーシュート(爆発的な感染拡大)、ロックダウン(都市封鎖)…。コロナウイルス感染に関わる用語の一方で、働き方の在り様をも変える「テレワーク」という言葉もその一つ。私たちは今、日常会話の中でも平気で使っている。




 でも待てよ。アナログ人間の私ばかりかも知れないが、よく考えてみたら、その内容を理解しているかというと、そうでもないのだ。「テレワーク」。字面から言葉自体はなんとなく分かる。ところが、「どんな仕組みで仕事をするの?」となると分からない。若し分かったとしても全ての職種で、それが可能である筈はないのだろう。もし、「テレワーク」という名の自宅での仕事が可能だったら毎朝の通勤ラッシュは、すぐにでも解消出来るし、通勤費や通勤時間すら必要なくなる。


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 そんな無邪気なことを考えていたら、こんなメールが。もちろん、本来の用件でのメールの一部であることは言うまでもない。


 「…。職員は事務局に極力来ないような体制を整えつつ、私はこれまでのところ、毎日事務所に来ています。在宅勤務を原則にしていますが、テレワークの体制はセキュリティの問題もあり、当方のような貧乏団体にはシステムや機材を整えるのは難しい状況なのです」




 更にこんなことも付け加えていた。


 「多分、大手企業(大企業)は別として、中小企業にとっては(テレワークは)厳しいと思います。大手企業でも一部の社員は出勤しない訳にはいかないでしょう」

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 メールの主は、東京・恵比寿に本拠地を置く民間団体の事務局長。組織はれっきとした公益社団法人である。政府の緊急事態宣言を受けて事務局を一時閉鎖。事務局長ら一部の幹部を除いて職員を自宅待機にした。都道府県や市町村に組織されている地方団体の束ね役である一方、「寺子屋運動」など海外での事業展開もしている。


 因みに「寺子屋運動」は書き損じハガキを補助財源に、発展途上国に今なお残る「文盲」の解消、つまり識字教育の支援。アフガニスタンやカンボジア、ネパール、ミャンマーなどで取り組んでいる。書き損じハガキの収集は全国で活動する地域組織の力を結集したものであることは言うまでもない。ここでは独自の活動をする地域組織との連携だ。




 このメールの一文は世の中に氾濫した「テレワーク」という言葉の現実を端的に綴っているように思えた。言葉だけが独り歩きし、毎朝、通勤するサラリーマンを根拠もなく疑問視?しかねない私たち。一方、視点を変えれば、コロナウイルス騒動が生んだ「テレワーク」は、これからの働き方の改革の試金石になるのではないかと思ったりもする。




 知事同士の「テレビ会議」も私たちの眼には新鮮に映る。東京など一か所に顔を揃えなければ会議一つ出来ない時代はもう終わった、と早合点すらしてしまうのである。時短だとか、とかく陥りがちな表面だけの働き方改革ではなく、ICT(情報通信技術)やSNSなどのメディアを駆使した手法こそが、これからの働き方を改善に導くのかも知れない。




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墓所の風景

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 その人が建立した墓所甲府盆地を一望でき、その向こうに富士山の雄姿が望める湯村山の中腹にあった。春といっても頬をなぜる風はまだ冷たい。なにしろ小高い山の中腹だし、そこから見渡す見事な眺望のせいもあってか、その風は一層爽やかだ。墓所建立の竣工法要に参列した人達が誰ともなく「いい所ですねえ」と、つぶやいた。




 もう60年以上も前、富士山麓に程近い御坂山塊の麓の片田舎から、山梨県の県都・甲府に出てきて運輸業を興した。この人の手腕、力量がモノをいって、会社は着実に業績を伸ばす一方、人柄、人望が手伝って、次第に山梨県経済界の重鎮としての座を不動なものにした。80歳になったのを機に県内の中小企業を束ねる経済団体の会長職を退き、後進に道を譲った。



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 自らの人生に、ひとつの区切りをつけたのだろう。墓所建立の法要を済ましての、おときの席で、大勢の来賓を前に「やっと念願が叶ってホッとした」と、自らの80年の来し方を振り返った。その顔は経済界の重鎮でも、企業を率いる会長の顔でもなかった。一人の年老いた柔らかな人間の顔に戻っていた。




 「建設中も大勢の人が見に来てくれたんですよ」と、控えめながらもこの人が言うように、墓所は掛け値なしの立派なもの。広く囲んだ玉垣の中には中央に大きないしぶみと、その両側に石塔が。左側の石塔にはこの人の戒名が、やはり健在の奥様のものと並んで刻まれている。もちろん、お二人の戒名の文字は紅。「慶徳院和山宗睦大居士」。戒名の一字「大」がこの人を誰にも分かるように物語っている。


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 中央のいしぶみには大きな文字で「順考」の二文字が刻まれている。墓所建立法要のあとの、おときの席で、この「順考」を揮毫した臨済宗向岳寺派の管長と、墓所建立の施主であるこの人は、それぞれの立場で、この言葉の奥深い意味を説いた。いつの世にあっても普遍な親や先祖への敬い、感謝、畏敬の念・・・。みんなが頷いた。


孝順


 管長は、挨拶の中で、こんなことも話した。

 「最近の風潮として≪個≫を重んずるあまりに人と人との絆がどんどん弱くなっている。例えば、一番小さな社会である家庭を見ても≪個≫を優先し、親子や家族の絆が希薄になって、そこから家庭内暴力など、さまざまな問題を露呈している」




 そんな僧侶のお話を拝聴しながら「確かに」と頷いた人は多かっただろう。≪個≫を尊重することは決して悪くない。しかし、それが一人歩きすると「自己虫」がどんどん増える。身近な日常でも度々出っくわす「自己虫」。これからの日本は、いったい・・・。




 ところで戒名。この人のそれに、さりげなくというか、重々しくついている「大」の一文字には大きな意味がある。この人の人となりを見事に表しているのだ。社会への貢献もさることながら、広い意味での先祖を敬い、お寺、宗門への貢献度がその基調になっているのだ。権力の象徴でも、ましてやお金でもない。その人がどう生きたかにほかならない。霊園の大小を問わず「大」とか「殿」の文字がつく戒名は少ない。





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赤か黒か

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 「赤と黒」「赤と白」「白と黒」「赤、青、黄色」「青と白」・・・。

色を充てた言葉や題材は私たちの日常で、決して少なくない。「赤と黒」はご存知、19世紀中期のフランスの作家・スタンダールの長編小説。「赤と白」はハチマキだったり、紅白歌合戦のように、対抗戦に用いる色。「白と黒」犯罪や疑惑などをめぐって、よく使われる「白か黒か・・・」のあれだ。「赤、青、黄色」は言うまでもなく信号の色「青と白」東西を表す色だ。因みに北は黒、南は赤だ。





 結婚式やお葬式など、祝儀、不祝儀の儀礼の時に使う、のし袋も「赤と黒」である。何年も前のことだが、この「赤と黒」で、ずいぶん迷った事がある。こんなケースだ。さて、皆さんならどうします?

赤か黒か



 知人が自らの墓所を建立、その竣工と合わせてご先祖の供養、つまり法要を営むというのだ。この方は、当時、80歳を超えられた山梨県経済界の重鎮で、普段、懇意にさせていただいている関係もあって、ご招待を頂いた。そこまではいい。問題はその次だ。




 そこに行くのに、こちらの気持ちを表す「のし袋」が必要。そこで、はたと困ったのがか」である。墓所の竣工だったら、当たり前のこと「赤」ののし袋。一方、ご先祖の法要も、というと、もちろん「黒」である。墓所の竣工にウエートがあるのだから、お祝いの赤でいいのだろうが、その後の法事がなんとなく心に引っかかるのである。


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 結局、お前はどうしたって?私は迷った挙句「ご香料」としたためた赤ののし袋を胸のポケットに納めて出かけた。「赤か黒か」で戸惑ったのは、やっぱり、私ばかりではなかった。この行事に参列した、いわゆる来賓は年配者ばかり。竣工と法要のセレモニーを終えて、甲府市内のホテルでのおときの席に臨む前、あっちこっちで「赤?」「黒?」でボソボソと。中には赤と黒、二つののし袋を胸に潜ませて臨機応変の「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式のお客さんも。




 しかし、この迷いは、おときの席での菩提寺住職のご挨拶でいっぺんに吹っ飛んだ。いい歳をした私たちのたわいもない迷いを知ってか知らずか「立派な墓所の竣工、おめでとうございます」から始まった。施主の菩提寺は山梨県甲州市塩山にある臨済宗向岳寺派の総本山向岳寺。そこの管長だから説得力もある。


赤か黒


 そう言われてみれば何と言うことはない。般若心経などの読経が響く墓所を囲んでいるのも紅白の幕だし、お寺さんのご挨拶も「おめでとう」。のし袋だって赤に決まっているじゃないか。あとで考えればそうなんですよ。「只今から○○家の法要を・・・」と始まったおときの神妙な席も、みんなの迷いが吹っ切れたのか、途端に明るくなった。




 ところで、みんなが持って来たのし袋は赤?それとも黒?それが分からないんです。どうしてって?それが、施主側が「お心遣いはご無用」とハナから受け取らなかったのである。そうなると「これでいいのか」とまた引っかかるのだ。とにかく「赤か黒か」、みんなの胸のポケットに入っていた、のし袋の色を見たいものである。





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初夏への序奏

 赤く咲いた冬の花・山茶花がいつの間にか消え、その後を追うように淡く咲いていた庭先の白梅もすっかり花を落とした。一足遅れで満開になった紅梅も春の嵐にハラハラと散った。その足元では水仙が黄色い花を。紅白の梅からバトンを受けた 杏も花を散らせた。その後を追った桜と桃が満開。どちらかと言うと桜は«峠»を超えた。

花


 は一般的には影が薄いが、梅と同じで木に勢いがある。だから太い徒長枝を秋口に強めに切り落としてやった。昨年までは、剪定の時期が悪かったのか、大きな木をしているくせに、ひとつも実をつけなかった。それとも、一本だけだと、自然受粉が出来ないのか。杏のことは定かではないが、例えば、サクランボの場合、必ず二本以上植えろ、と教わったことがある。現に知人の家の庭先にあるサクランボは、太く、樹勢はあるのだが、ひとつも実をつけない。




 子どもの頃、我が家と隣の家の畑を挟んだ境に大きな杏の木があった。6月頃になると、熟した黄色い実がポタポタと落ちる。その杏の甘酸っぱい味が今でも忘れられない。その木の代わりのように、我が家の庭先で大きくなった杏の木を見上げながら、今年こそは、実をつけてくれよ、と祈るような気持ちだ。もう90歳近くになる隣のおじさんにも≪懐かしい味≫を味合わせてあげたい。


花4



 「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」という言葉がある。「サクラ切るバカ」はアメリカの初代大統領・ワシントンの幼年時代のエピソードから来ているのだろうが、確かに、ウメは切らない方がバカ。若ければ若いほど、樹勢が強く、放って置くと藪のように大きくなってしまう。そうなると風通しや、陽の当たりも悪くなるから、実をつけにくくなくなるのである。特に、徒長枝の剪定は絶対条件。杏だって同じだ。


花2


 杏の木の足元では、蕗が一面に緑の丸い葉をつけて地面を埋めている。酢味噌和えや天ぷらにして食べたフキノトウは、もはや見る影もない。その傍らで椿が真っ赤な花をつけている。裸になって久しい何本ものカエデも枝の芽のような葉を膨らませ、葡萄園の下ではハコベラが小さな赤紫の花を一面に咲かせている。


 フキ

 窓越しに真っ白い雪をかぶって浮かんでいる富士山も、ひと頃のような冷たさを感じさせない。むしろ優しく見えるから不思議だ。薄っすらとかかる春の霞がそうさせているのだろう。


花3

 「春霞」と言う言葉も、ボツボツ色褪せようとしている。初夏への助走を始めているのだ。人間どもがコロナ、コロナと大騒ぎしているのに自然界は泰然自若として、いささかも動じようとしない。確かな足取りで季節の移ろいを奏でている。あっという間に「春爛漫」や「春霞」と言った言葉を忘れさせ、梅雨の季節や暑い夏へと導くのだろう。

庭で

 そう考えると人間など、まさにちっぽけな存在に過ぎない。コロナ感染症一つで、世界中が慌てふためき、混乱の渦に困惑を極めているのだ。
 


 

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富士山は化粧上手

富士の山


 甲府盆地は桜と一緒に桃の花も満開。窓越しから御坂山塊の向こうに目を転ずると富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。ここからは見えないが、南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、御坂山塊など前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。





 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山



 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。

富士山3
          秩父山塊の一角・乙女高原の三角点から望む富士山


 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。




 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。


赤富士



 毎年、4月下旬から5月の中旬になると富士山の中腹に「農鳥」が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。




 「富嶽三十六景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。行角など修験者が導いた富士山信仰(富士講)とともに、彼らはユネスコの世界文化遺産登録に一役買った。時空を超えて現代に蘇ったのである。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。総じて山は逞しい方がいい。念押しをするようだが、富士山は「自然遺産」ではなく「文化遺産」なのである。文化の観点で捉えられる山は珍しい。 





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ピンクの絨毯

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 今、甲府盆地は一面、ピンクの絨毯に覆われている。あたり一面に桃の花が満開だ。今年も桜と桃が申し合わせたように一斉に花開いた。かつては桃の開花は桜の花が峠を越すか、散ってからが普通で、いつも桜の後塵を拝した。地球温暖化による気象の変動は、こんなところにも影響を及ぼしているのである。甲府盆地の春爛漫は初夏への序奏とオーバーラップするのだ。




 言うまでもなく山梨県は日本一の桃の産地。その栽培面積は、ざっと2800ヘクタール。収穫量は3万700トンにも及ぶ。そのほとんどが甲府盆地、特に東部の笛吹市や山梨市、甲州市のいわゆる峡東地方に集中しているのだから、それが一斉に花開く様は容易に想像していただけるだろう。まさに辺り一面がピンクの絨毯に様変わりするのである。


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 桃の開花期間は、ざっと2週間。その花は標高が低い所から高い所、つまり御坂山塊に向かって移動する。富士山の前衛でもある御坂山塊は、右側は南アルプスに繋がり、左側は大菩薩峠や奥秩父山系に連なる。南アルプスは右に八ケ岳、その右手に奥秩父山系と、ぐるりと連なって、いわゆる«すり鉢»のような盆地を形成するのである。




 ところで、桃の花は何重かご存知?生食用の桃の花は一部を除いてみんな一重咲き。品種によっての違いもほとんどない。因みに主な品種の数は31種類に及ぶという。一方、いわゆるハナモモと言われる観賞用は八重咲。観賞用だから都市部でも庭先の植木や室内の盆栽などで見かけるかも知れない。桃は生食用、観賞用に関係なく、開花から時間が経つと花弁の色が濃くなる。だから甲府盆地のピンクの絨毯は、時とともに鮮やかさを増すのである。遺伝的な、その仕組みは専門家でも分からないのだそうだ。




 私たち日本人は、花と言えば桜。桃は、いつも、その後塵を拝して来た。しかも桜と違って「見るもの」、「愛でるもの」ではなく、その後の実を収穫して「なんぼ、なんぼ」の存在であった。ところが近年、鑑賞の舞台にも進出するようになった。農家は満開の桃園を花見会場に仕立てたり、切り枝を生け花用に出荷したりもする。桃は桜と違って逞しい。この時季、切り枝をバケツの水に浸しておけば、立派に花をつける。




 ピンクの絨毯をズームアップすると、どの畑にも農家の人影が。家族総出で人工授粉に精出しているのである。桃栽培農家にとっては欠くことの出来ない作業の一つだ。冬場の寒風に晒されながらの剪定作業、そして、この人工授粉、結実したら摘果(摘粒)、実の数を整えたら今度は袋掛け。袋掛けはむろん、病害虫対策。これを前後して何度もの消毒作業をしなければならないことは言うまでもない。

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写真は山梨日日新聞から


 今、農家は忙しさに追われ、正直言って花を愛でている暇はない。一口に人工授粉と言っても、花粉の採取から始めなければならない。コウモリ傘や日傘を逆さに吊るして、花を採り、花粉採取用のミキサーにかけて花粉を蓄えたら、それを毛ばたきで花の一つにつけて行くのだから、考えただけでも気の遠くなるような作業。そんな農家にも今年は、コロナウイルス騒動の影が…。花の向こうには、消費者の購買意欲の低下させて市場価格を動かしかねない怪物が牙をむいているのだ。




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初夏への序奏

 赤く咲いた冬の花・山茶花はとっくに消え、その後を追うように淡く咲いていた庭先の白梅もすっかり花を落とし緑の葉っぱを付けはじめた。一足遅れで満開になった紅梅も春の嵐にハラハラと散った。その足元では水仙が黄色い花を。紅白の梅からバトンを受けたように杏が大きな木に薄いピンクの花をつけつけ、それを追うように桜と桃が。 

花


 は梅と同じで木に勢いがある。だから太い徒長枝を秋口に強めに切り落としてやった。昨年までは、剪定の時期が悪かったのか、大きな木をしているくせに、ひとつも実をつけなかった。それとも、一本だけだと、自然受粉が出来ないのか。杏のことは定かではないが、例えば、サクランボの場合、必ず二本以上植えろ、と教わったことがある。現に知人の家の庭先にあるサクランボは、太く、樹勢はあるのだが、ひとつも実をつけない。




 子どもの頃、我が家と隣の家の畑を挟んだ境に大きな杏の木があった。6月頃になると、熟した黄色い実がポタポタと落ちる。その杏の甘酸っぱい味が今でも忘れられない。その木の代わりのように、我が家の庭先で大きくなった杏の木を見上げながら、今年こそは、実をつけてくれよ、と祈るような気持ちだ。もう90歳近くになる隣のおじさんにも≪懐かしい味≫を味合わせてあげたい。


花4



 「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉がある。「桜切るバカ」はアメリカの初代大統領・ワシントンの幼年時代のエピソードから来ているのだろうが、確かに、梅は切らない方がバカ。若ければ若いほど、樹勢が強く、放って置くと藪のように大きくなってしまう。そうなると風通しや、陽の当たりも悪くなるから、実をつけにくくなくなるのである。特に、徒長枝の剪定は絶対条件。杏だって同じだ。


花2


 杏の木の足元では、蕗が一面に緑の丸い葉をつけて地面を埋めている。酢味噌和えや天ぷらにして食べたフキノトウは、もはや見る影もない。その傍らで椿が一輪、二輪と真っ赤な花をつけ始めた。裸になって久しい何本ものカエデも枝の芽を徐々に膨らませ、葡萄園の下ではハコベラが小さな赤紫の花を一面に咲かせている。


 フキ

 窓越しに真っ白い雪をかぶって浮かんでいる富士山も、ひと頃のような冷たさを感じさせない。むしろ優しく見えるから不思議だ。薄っすらとかかる春の霞がそうさせているのだろう。


花3

 甲府盆地は、今まさにあたり一面はピンクの絨毯を敷き詰めたよう。桃の花が満開だ。その畑をズームアップすると受粉作業を始めた農家の人たちの顔が。冬の間での剪定に次ぐ第2弾の作業。いよいよ果樹の農作業の本格化を意味する。

 昔は桃に限らず、スモモやサクランボなど押しなべて果物は人工の受粉などしなくても実を付けた。ところが«ある時代»から人工授粉なくして結実してくれなくなった。農薬の普及が引き金となったのである。自然受粉に一役買ってくれていた蜂を皆殺してしまったからだ。その分、人間様が手作業でせわしくも、やらなければならない羽目に。まあ、自業自得である。


庭で

 桜や桃に限らず、花は蕾から三分咲き、五分咲き、八分咲きがいい。でも、今年はいつもの年と違う。同じ花なのに花を愛でる気分にならないのだ。コロナウイルス感染症騒動は、それほど人々の心の深層にまで影響を与えているのである。しかし大自然は弛むことなく春爛漫から初夏へと移行し始めている。さて、農家にとって問題は収穫時の桃の価格。消費者マインドの委縮は必至で、農家の表情も明るくない。





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女房と英会話

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 「お父さん、上手でなくてもいいから今時、少しくらい英語、しゃべれるようじゃなくては絶対ダメだよねえ。私は帰ったら英会話を勉強しますよ。絶対・・・」




 ハワイからマイアミに飛び、そこからカリブ海を通ってロス・アンゼルスに向かう船の中で、女房はしみじみ言った。旅行中、言葉が通じない不自由さを、身を持って体験したからにほかならない。





 「お前、去年、アラスカへ行った時も、その前のハワイの時もそう言ったじゃあないか」




 「そうだったかなあ。でも、今度は絶対、勉強するよ。お父さんも一緒にやらない? そうしないと、やっぱりダメだよ」


USA


 旅行から帰って、現実の生活に戻れば、そんな事を言ったのがウソのように忘れてしまうに決まっている。でも、この時の女房の気持ちはウソでもなければ、かりそめでもない。本当の気持ちだろう。これじゃあダメだと、思うのは女房だけでなく、女房の前では言わないが、俺だって同じだ。





 日本人が多いハワイだったらまだいい。あっちこっちで日本語は聞こえるし、日本人が多いから、相手側も日本語で話てくれる。タクシーに乗っても、買い物のお店に入っても、あまり心配にならない。仮に相手が日本語を話せなくても「日本語、話せませんか」で済む。人間の心理とは不思議なもので、ここでは「なあ~んだ、日本語、話せねえのか・・・」と、なぜか日本人としての主体性を持っているのである。


ハワイ


 ところがどうだ。文字通り海の中に放り出された今度のクルーズでは、右を向いても左を見ても一日中、聞こえてくるのは英語ばかりだ。ノルウエーの船だそうだが、この船には約2,500人の乗客と約1,000人のスタッフが乗り組んでいるのだという。たまたまだったかも知れないが、日本人は私たち夫婦を除いてほとんどゼロ。カルチャーショックなんてもんじゃあない。それを通り過ぎてコンプレックスだ。普段、いくらうるさくても日本語を話してくれる女房が、無性に可愛くなる。女房も女房で普段と打って変わってなんでも「お父さん、お父さん」と、従順だ。


クルーズ1


 豪華賞品に目がくらんで?女房と早速、ビンゴゲームに参加した。広いホールの、ふんわりした豪華なボックスシートで、大勢の人達が日本でもおなじみのあのビンゴゲームを楽しむのだ。ところが、数字くらいなら・・・と思いきや、これだって一筋縄ではいかない。最初は数字の発音が聞き取れないのである。20がトエニーくらいならまだいい。40をホーリー、41をホーリーワンとやるから女房なんかハナからカードの枡を潰せないのだ。




 このビンゴゲームくらいだと早い数字の発音に慣れればなんとか大丈夫。とこらが、シアターでのコントショーとなると、チンプンかんぷん。あの掛け合い万歳のようなものだから話のテンポが命。当然のことながら早口だ。そんなヤツを聞き取れるはずもない。一緒に行った90歳近いハワイの老夫婦は、大好きで、みんなと一緒に笑っている。しらけている私たち夫婦を除いてみんながどっと笑うのだ。その度に悲哀を感ずるのである。





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アルミ脚立の功罪

桜  


 「庭先にある駐車場の屋根のトイを掃除しようと梯子で屋根に上がったのですが、波形のスレートの屋根が抜け落ち、コンクリートの床面に叩きつけられました。スレート板の屋根は弱いので、繋ぎ目の鉄骨部分以外は上ってはダメと言われていたのですが…。私は腰を強打。地面に這いつくばったまま、しばらく呼吸が出来ず、死ぬかと思いました」




 いつもお邪魔させていただくブログ「
『洋楽』と『雑学』」のオーナー・悟空さんが、こんな失敗談を綴っていた。それを読んで、一瞬、笑ってしまった。失礼な意味ではなく、私にも似たような失敗が何度もあったからだ。



 私の場合は庭の植木の剪定中。脚立ごとひっくり返って、地面に叩きつけられた。悟空さんも、その時の様子を綴っているが、倒れる時はまるでスローモーションのよう。植え込みの中なので、咄嗟とはいえ、近くの枝に飛びつくのだ。むろん、その枝は折れるが、確実に瞬時のクッションになる。悟空さんのように救急車を呼ばなければならないような事態は免れている。



脚立


 こんなトラブルを起こすのは素人の証拠。植木屋さんが梯子や脚立から落ちたなどと言う話は聞いたことがない。屋根屋さんだってしかりである。素人は、つい身の程知らずに«欲»を出す。つまり、自分の今置かれている「立場」を忘れて、右や左に乗り出すのである。「もうちょっとで、あの枝が落とせる…」。「あとちょっと…」は、脚立の位置を変えたり、昇り直すのが面倒だからに他ならない。何十㌔もの体重がかかるのだから、脚立がバランスを崩すのは当たり前だ。




 植木屋さんは、絶対にそんなヘマはしない。その都度、梯子や脚立の位置を変えたり、架け替えて、何度も何度も昇り降りをする。それより以前に、縄や紐で梯子を固定しているのだ。そこがプロと素人の違うところ。それが証拠に、植木屋さんが梯子から落ちたり、屋根屋さんが屋根から落ちた、などと言う話は聞いたことがない。あったら、それこそ笑い草だ。




 植木の手入れに留まらず、特に木製の梯子は、いたるところで、どんどん姿を消している。それに代わっているのはアルミ製。木製と違ってすこぶる軽く、移動や持ち運びに便利だからだろう。山梨は全国有数の果樹王国。桃の生産量は日本一だ。山梨市のこの辺りはサクランボの産地。言うまでもなく、それらのもぎ取りには脚立や梯子は欠かせない。果樹農家は、みんな、移動に便利なアルミ製に替えた。むろん、お客さんを集める観光農園も。

 農村部、都市部に関係なく、ご家庭にも高さこそ違え、この脚立は少なからずあるはず。天上の電球を取り換えたり、ちょっとした高い所の掃除をする時などに使うあれだ。かつての木製は姿を消してアルミ製に変わった。特にご婦人の皆さん、注意が肝心ですゾ。




 梯子や脚立に留まらず、世の中、便利と危険は裏表のようなもの。それを、どのように使いこなすかだろう。もう一つ、悟空さんも言っているように、使う人間の「年」(年齢)。私だって若い頃は脚立や梯子をひっくり返したり、ましてや、そこから落ちるようなことは絶対になかった。ところが今では高い所に上ること自体が怖くなった。我が家のアルミ脚立は8段、または10段。高さにして3mぐらいだが、てっぺんどころか、その下の段に上ることも怖くて怖くて…。




 悟空さんのブログは一見、«助平»そうに見えるが、実にウイットに富んでいるのだ。生業は眼医者さんとお見受けする。因みに、私は白内障の手術を受けた。結果?どうも思わしくない。人間の老いの順番を表す男性言葉に「歯、××、眼」とか「歯、眼、××」と言うのがある。人によって、その順序は異なるだろうが、おおよそ共通しているのだ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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