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暑中見舞いの文化

スイカ

 一葉の暑中見舞いが舞い込んだ。「暑中お見舞い申し上げます」。なんの変わりばえのしない文面だが、「明けましておめでとうございます」の年賀状と同じように、なぜかその季節を感じさせる不思議な魔力を持っている。コロナ禍で気分的にもさっぱりしない日常にありながらも、暑~い夏の到来をいやがうえにも髣髴とさせ、その反対に一抹の涼をも運んでくれる。年賀状からもう半年以上。一方で月日の経つのが早いことを実感させられたりもする。



風鈴

 暑中見舞いの送り主は、ロータリークラブの仲間で、ガス機器の販売会社を手広く営むオーナー会社の社長さん。「平素は格別のご愛顧を賜り・・・」の、これまたお馴染みの文面からしても、商いを主眼にしたご挨拶状に違いない。




 「お父さん、早速、お返事のご挨拶をしてくださいよね。それにしても暑中見舞い、珍しくなりましたねえ」


蚊取り線香  

 女房がいみじくも言うように、まったく暑中見舞いの習慣が日本人の日常から音を立てて崩れ、忘れ去られようとさえしている。商いというか、商取引上の儀礼はともかく、一般での暑中見舞い状のやり取りは、本当に少なくなった。暑中見舞いをいかにも珍しそうに言う女房だから、それを書いている姿なんか見たこともないし、ましてや娘にいたっては、その存在すら知っていないだろう。そういう自分だってもう何年も書いたことがない。何年どころか、何十年かもしれない。



花火

 暑中見舞いは、季節的には寒中見舞いと対極にある。一年中で最も暑い時期、寒い時期に親しい仲間、親戚や知人の健康を気遣う慣わしだ。その期間は暑中見舞いの場合、梅雨明けから立秋、一方、寒中見舞い寒の入りから立春の前の日、つまり節分までの間に出すものとされている。




 年賀状の後に来る寒中見舞いは、二十四節気で一定しているが、暑中見舞いは「梅雨明けから」とされているので、その期間は一定していない。今年の立秋は8月7日。つまり最後は固定しているが、梅雨明けはその地方によって流動的だから、梅雨が明けるのが遅れれば、その期間は勢い狭まることになる。暑中見舞いの後には残暑見舞いがある。



うちわ

 どうして暑中見舞いや寒中見舞いの習慣が希薄になっていくのだろうか。人々の日常がせわしくなったこともさることながら、ケイタイやパソコンの普及が、それに拍車をかけたことは間違いない。いわゆるメールに依存し、人々が手紙そのものを書かなくなった。単なる儀礼のような暑中見舞いや寒中見舞いは、簡単に忘れられるだろうし、今はまだまだ存在感がある年賀状だって、やがてはその運命をたどるのだろう。




 そして絵文字。ケイタイやパソコン、インターネット上で絵文字はアメーバーのように広がっている。絵文字も文字の文化として認知されるのかも。「浮気、不倫も文化」と、しゃあしゃあと言う芸能人も現れるくらいだ。俺だって内心そう思いたいが・・・。とにかく今は、何でもありだ。暑中見舞いのように忘れられる文化もあれば、新たに登場する文化もある。ジェネレーションギャップなどと嘆いてみたところで、止められるもんじゃない。





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脱ダム思想の弊害

雨 


 今年の梅雨は確実に月を跨ぐ。関東甲信地方は6月中旬に梅雨入りし、普段の年だと7月中旬、遅くても下旬には明けてくれたのに、今年は梅雨明けを8月に持ち越す。新聞の週間天気予報は、時折の曇りマークがあるものの8月に入っても傘(雨)マークばかり。




 「梅雨の合間の晴れ間」。鬱陶しい梅雨にもホッとするひと時なのだが、今年はこれも少なかった。梅雨は広い地球上で、日本など地域限定の産物。それも毎年繰り返されるのだ。でも、自然は、梅雨の合間に「晴れ間」をつくり、その地域の人間どもに、いくばくかの「安らぎ」を与えてくれる「優しさ」をも持ち合わせてもいる。




 でも今年は明らかに違う。6月中旬の梅雨入り以来、曇りか、ほとんど雨ばかり。山梨県地方では2日2晩、3日3晩、雨の日もあった。列島の各地に大雨を降らせ、洪水や地滑りなどの災害をもたらもした。毎年やって来る台風シーズンと勘違いするくらいだ。


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 私たちは「梅雨だから」お天気が悪かったり、雨が多いのは当たり前、と考えている。しかし、その雨の降り方は例年と明らかに違う。台風ならいざ知らず、梅雨の雨で大災害をもたらしたケースは、これまでにあまりなかった。これも地球を取り巻く、いわゆる気象異変の現れなのだろうか。だとしたら単なる梅雨の雨による災害よりもっと怖い。




 長梅雨と言われながらも月が替われば暑い夏が…。そしてまた、いつもの台風シーズンがやって来る。私は台風シーズン、と聞いただけで「洪水」を連想する。それは子供の頃からのトラウマと言ってもいい。夏休み中の8月からそれが終わった9月にかけた頃、近くを流れる一級河川の笛吹川が氾濫。堤防を決壊させ、収穫間近い水田を一瞬のうちに「河原」と化してしまうのである。




 台風一過。農家は翌日から家族総出で、流木や流れ込んだ石や砂利の片付けに奔走するのだ。今のように重機などがない時代だから、みんな手作業である。その年は被害の水田からの収穫はゼロであることは言うまでもない。洪水がもたらす水害は年中行事だった。


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広瀬ダム:山梨県HPより


 度重なる被害が教訓になったのだろう。上流に二つのダム(広瀬ダムと琴川ダム)が出来た。以来、笛吹川沿川の洪水被害はウソのようになくなった。笛吹川とともに富士川の支流である釜無川にも同じことが言える。笛吹川など、幾つかの支流を抱えて甲府盆地を縦断する富士川は、先に大雨による洪水被害をもたらした熊本県の球磨川や山形県の最上川と並んで日本三大急流の一つだ。



 かつてお隣の長野県では「脱ダム宣言」なる政策を引っ提げて知事選に挑み、当選した落下傘知事がいた。しかし再選はならなかった。単なる目新しさや住民受けしそうな政策は、いずれは地域住民にバレるものだ。国政でも「脱ダム」を大声で叫んだ時期があった。ダムの建設場所は人里離れた河川の上流。下流域の人達がダムの実効性を体で分からないのも無理はない。




 しかし水の被害に遭うのはダムの有難さを日常に実感しない下流域の人達なのだ。戦国の武将・武田信玄は「国を治るは、人を治め、水を治め、山を治めることなり」と説いた。信玄に限らず、戦国の政治家たちは須らくそれを哲学として実践した。小さなことに目くじらを立てては揚げ足取りに狂奔、災害が起きて始めて、しかも他人事のように大騒ぎするだけの政治家たちに、果たして本当の水の怖さを知り、「水」を治めることが出来るだろうか…。




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一匹のハエ

うちわ

 暑い。汗びっしょりになって野良から帰ったら、かみさんと娘がなにやら大騒ぎしているのだ。それほど広くもない茶の間をうちわ片手に飛び回っているのである。部屋の中は程よく冷房が効いている。



 「お前達、何やってるんだ?」

 「ハエよ、ハエ・・・」


 「たかがハエ一匹。大騒ぎすること、ないじゃあないか」

 「だって汚いじゃあない・・・」


ハエ


 見れば大きなハエが一匹。むきになって追い回す二人をあざ笑うように右に左に、上に下にと飛び回っている。ハエだって命は欲しい。バカな二人に易々捕まってたまるものか、と思っているのだろう。女二人とハエの闘いだ。第一、うちわなんかでハエが獲れるはずがない。女どもは単純だ。

ハエ


 「サッシ戸を開けてやれば外に逃げるじゃあないか」

 「ダメよ。こいつは死刑よ。絶対逃がさないわよ。絶対・・・」

 「勝手にしろ・・・」



 女は執念深い。


 この辺りは、山間部とまではいかないまでも山梨市の片田舎。そういえば、ここしばらくハエにお目にかかったことがない。かつては、わんさといたハエは、いったい何処に行ってしまったのだろう。子供の頃を思い出した。リフォームしてイメージこそ違ってはいるものの、夏のこの時期、我が家の部屋という部屋、ハエがブンブン飛んでいた。



 何処の雑貨屋さんにもハエタタキはもちろん、ハエ取り紙というヤツが売っていて、どの家でも1ダースのケースごと買って来るのだ。それを天井からぶら下げるのである。モチのような油紙にハエが張り付く仕組みなのだ。しばらくすると真っ黒になるほどハエが捕れる。

  実はこのハエ取り作戦も焼け石に水。ハエは次から次へと湧いてくるのだ。だから正直、ハエを気にしていたら一日も過ごせない。うかうかしていたら、ちゃぶ台(食卓)に置かれた麦飯ご飯もハエで真っ黒に。習慣とは恐ろしい。みんなビクともしなかった。

 ヘンな例えだが、ある意味で農村の風物詩のようなものだった。「わあ~、汚い」。娘はもちろん、農村育ちではない、かみさんはそんな話に顔をそむけるのだが、田舎育ちの私なんかハエ一匹、どっちだっていいのである。ハエ取り紙もハエ叩きも完全に姿を消した。


リボンハエ取り
リボンハエ取り


 農業形態や生活環境の変化が確実にハエを駆逐した。農耕用の馬や牛。それに家畜の豚や山羊、鶏もいなくなった。番犬として外で飼った犬もほとんど姿を消し、代わって可愛い猫や犬が座敷に上がった。米麦、養蚕に代わって家の周りを埋めた果樹園では病害虫駆除のための消毒が。ハエなんか住める環境ではない。

 目に見えるハエ。目には見えない消毒の影響。さて、どっちの方が・・・。かみさんや娘が追い回す一匹のハエを見ながら暮らしの変化を思い知らされた。ただ、いっぱいいるハエより、時々紛れ込む一匹のハエの方が確かに気になる。不思議だ。





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野麦峠の感慨

野麦峠  


 どこから聞こえてくるのかウグイスの鳴き声が。標高1672m。夏といってもそこの空気はひんやりしていた。峠道の脇の杉木立では、可愛らしい一匹の小猿がくりくりした目で、愛嬌たっぷりにこちらを見ていた。




 野麦峠。長野県松本市と岐阜県高山市の境に位置する。山本茂美の小説「ああ野麦峠」の舞台になった所だ。昭和54年、山本薩夫監督が確か大竹しのぶを主演女優として映画化、多くの人達に感動を与えた。


ああ野麦峠


 小説「ああ野麦峠」は明治から大正にかけた時代のルポルタージュのノンフィクション。この時代、岐阜県の飛騨から長野県の岡谷や諏訪の製糸工場にいわば身売り同然に駆り立てられた娘さんたちの峠越えを描いた作品である。この野麦峠は、その時代の女工哀史を語る上でも悲しい物語を秘めた所なのだ。




 北アルプスを横断して信州と飛騨を結ぶこのあたりは昔から積雪の多い所。この一帯の主要道路・野麦街道の難所だった。積雪で峠を越えられずに死んでいった人達もいたといい、そこには現在も「お助け小屋」というのが残っている。もちろん、今は車の時代。「お助け小屋」はお土産や食事所に姿を変えてはいるが、何とはなしに哀愁を残している。


お助け小屋2


 そこを訪れる私たちの胸をいやがうえにもジ~ンとさせるのは「お助け小屋」の前庭に建てられている「ああ飛騨が見える」の石像だ。等身大とはいかないまでも大きな石像は、製糸工場で病に倒れて里に突っ返される妹を背負い子で担ぐ兄を形作ったものだ。石像の裏面に刻まれた解説によると、病の娘は政井みね。20歳。兄は11違いの辰次郎。みねは明治42年12月20日、この野麦峠の頂上で、やっと見ることが出来た故郷に「ああ飛騨が見える」と言って息を引き取った。


お助け小屋


 この野麦峠行きは、仲間に誘われての木曽路へのワラビ採りの帰り道だった。御嶽山の目の前のような所にある岐阜県高山市高根町の山には太いワラビがいっぱい。我が家は女房と二人、2時間余りで大きな籠にどっさり、近所に木曽の香りをおすそ分けした。




 木曽といっても山梨から車でちょうど3時間。そんなに遠くない。伊那ICで中央自動車道を降り、権兵衛トンネルを経て、国道19号をしばらく走る。そこから林道に入るのだが、目の前には御嶽山、その向かいには穂高が見える。到着は7時。朝もやの木々は、まだ朝露に濡れていた。林道脇には松本ナンバーの車が3~4台。先客がいた。帰り道、御嶽山の麓で、ウド採りを試みたが、こちらはさすがに時期遅しだった。




 そこから野麦峠までは約1時間。帰りは、もちろん、道そのものは違うのだが、飛騨の娘達が歩んだ信州に降り、国道19号を中央自動車道塩尻ICに向かうのである。途中、あの有名な奈良井宿が。平日だったが、現存するわが国でも最大級の宿場町は散策する観光客で賑わっていた。






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人間の舌

ビール


 ウイスキーとワイン業界の大手・サントリーがビール業界に参入したのは昭和30年代。キリンやアサヒ、サッポロなどが、し烈なシェア争いをしている最中への«殴り込み»であった。味に既存のビールとは明らかに違う「個性」を引っ提げての挑戦。後発ならではの戦略だったのだろう。先発各社が消費者の「舌」に植え付けて来た「味」を問い直す、と言わんばかりの新規参入であった。




 ビールの味を文字で説明することは難しい。平たい言葉で言えば飲み口も味も「なるい」ものであった。飲み易さの半面、キリンやサッポロなど既存のビールに比べると「物足りなさ」を感じさせたことは間違いない。ホップの加減?それともアルコールの度数? 素人には分かりようもないのだが、兎に角「なるい」。口の悪い呑んべえ雀たちは当時、口々にこんなことを言った。




 「酔い覚ましに丁度いいビールだ」。この程度ならまだいい。中には「馬の小便みたいじゃあないか」と、辛辣な反応を見せる雀さえいた。これに対してサントリーの社長・佐治敬三は「日本人の舌を変えてみせる」と豪語して憚らなかった。強気の業界参入であったことがここでも覗える。しかし、結果的には「消費者の舌を変える」ことは出来ず、数年後には現在の「味」、つまり大まかに言えば既存のビールの味に変えた。当初の戦略は完全に失敗したのである。




 「おふくろの味」という言葉があるように、人間は習慣で一度覚えた味は簡単には忘れられないものだそうだ。醤油の話だが、大分県出身の方に、こんな話を聞いたことがある。


醤油


 それによると、九州地方には地場の醤油メーカーがあって、人々は長い間、その醤油を食べていた。そこへ、関東を拠点とした大手メーカーが殴り込みをかけた。その時の意気込みは、サントリーのそれと同じように「消費者の舌を変えてやる」であった。しかし、結果は大手メーカーの完全敗北。撤退に追い込まれたという。消費者の舌は長年慣れ親しんだ味を、新しく飛び込んで来た味に切り替え、受け入れることは出来なかったのだ。




 全国制覇を目指す大手メーカーにとって、«九州征伐»は懸案であったに違いない。その失敗にホゾを噛んだだろうことは容易に想像できる。消費者の「舌」は、それほど頑固で、恐らく、今に至るも「よそ者」を寄せ付けない力を持っているのだろう。




 そんな醤油秘話をしてくれた方は結婚で山梨市に定住。«山梨県人»になったのだが、「醤油だけは今も九州から取り寄せている」のだそうだ。考えてみたら、醤油は日本人の毎日の食生活に欠くことの出来ない調味料。その味が突然変わったら…。習慣と人間の舌は摩訶不思議な存在なのである。

ビール


 現役のサラリーマン時代のことだ。納涼会の宴席で、ビールの銘柄を当てるゲームをしたことがある。銘柄のラベルを隠して飲み比べをするのだ。キリン、サッポロ、アサヒ、サントリー…。参加者は50人ほどいたのだが、全正解者は一人もいなかった。「ビールやお酒には自信がある」と豪語した«つわもの»達も全滅であった。




 一方、お酒(日本酒)の場合も全く同じ。今はなくなったが、特級、1級、2級のランク付けがあった頃。銘柄やランク表示を隠して同じ試みをしたのだが、結果は同じ。見方を変えれば作る側は、人間の舌が極めて保守的で、極端な「個性」や「変化」を嫌うことを知り、«平均的»な味を作っている証かも知れない。「大衆(消費者)迎合」をし損なったらメーカーの明日はないのだ。




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貴腐ワインの芳香

ワイン
画像:サントリーHPより


 もう40年以上前のことだった。所は甲府市の中心街の一角にある老舗ホテル・談露館の座敷であった。今は故人となられたサントリーの社長・佐治敬三は、同社が山梨県の登美の丘ワイナリーで開発に成功した「貴腐ワイン」を片手に得々と話し始めた。ワイナリーは茅が岳山麓に広大な面積を誇るサントリーの試験農場。いわば同社のワイン造りの«メッカ»だ。




 「このワインは、わが社の試験農場・登美の丘で発見された葡萄の«菌(カビ)»で造った貴重なワイン。この発表会の後、発売を開始しますが、程よく甘口なので、老若男女を問わず主にデザートワインとして楽しんでいただけるものと考えています…」

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佐治敬三:サントリーHPより


 グラスに注がれた貴腐ワインは、見事な琥珀色をしていて、口に含むと濃厚な甘味が快く広がる。確かに、それまでのワインの概念を著しく超えたものであった。同席したワイナリーの農場長・大井一郎によれば、「貴腐」とは、白ワイン用品種の葡萄の皮が「ボトリティス・シネレア」という菌(カビ)に感染することによって糖度が高まり、芳香を帯びる現象を言うのだという。佐治はご存知、サントリーの前身・寿屋の創始者である鳥居信治郎の次男だ。




 同席したのは10数人。30歳、40歳代の人達で、多くが山梨以外の出身者。私のように生粋の山梨県人も何人かいた。あえて「山梨県人」と言ったのは、少なからず、葡萄やワインを知っている人たちという意味からだ。生まれながらに、何らかの形でブドウ作りやワイン造りを見て来た。むろん専門的な知識を持ってるわけではないが、「少なからず知っている」人たちなのだ。皮肉っぽい質問も飛び出した。

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 「通常のブドウ栽培では、そんな菌(ボトリティス・シネレア)は生まれません。丹念な消毒で、あらゆる病害虫退治をするのですから…。貴腐葡萄は失敗の産物では?第一、菌(カビ)に侵され、水分を奪われた葡萄からの醸造は大変でしょうね」




 ワインはウイスキーや日本酒と違って全てが果汁。水は一切添加しない。言うならば、菌に侵されて干からびた葡萄からワインを作れるのか、という疑問だ。その時の佐治や大井の答えは定かに覚えていない。ただ、試験農場では以前から日本特有の「棚栽培」ではなく、収穫をワイン用だけに特化した「垣根栽培」(立木栽培ともいう)に挑戦していたことは事実。



  むろん、栽培品種はワイン用だ。生食用品種の栽培だったら絶対に「貴腐」の元となる菌など発生する余地は作らない。「貴腐」の菌に限らず、丹念な消毒を施すので、病害をもたらす菌という菌を全て排除してしまうからだ。もう一つ、釈然としないのは干からびた葡萄からのワイン造りだ…。




 一方、ちょうどその頃、同社は南アルプスの山麓・山梨県北巨摩郡白州町(現北杜市)にウイスキーのディステラリーを開設。佐治は「この白州ディステラリーを京都の山崎に代わるウイスキーづくりの拠点にしたい」と言明した。同社のワイン造りの拠点は「登美」、先発のウイスキーの拠点は京都の山崎であった。サントリーの看板銘柄「山崎」と並ぶ「白州」を新たに売り出したのである。山梨への進出、それに伴う拠点づくりは間違いなく本気だった。


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 ウイスキーは水が命。「白州」は南アルプスの水が「売り」であることは言うまでもない。サントリーが、この地でのウイスキーづくりをするにあたって、それまで町を流れていた「濁川」が、いつの間にか「神明川」に変わった。たかが川といえども名前が「濁」はイメージ的に水が命のウイスキーづくりの邪魔?と考えたのだろう。町を動かした。山梨へのウイスキー工場進出へかけたサントリーの気構えがこんなところにも覗える。因みに「濁川」は全国あっちこっちにある。字面ががイメージする「濁」ではないらしい。



 「50年後にはウイスキーの生産拠点を白州に移す」。佐治がそう語ってから、ボツボツ50年が経つ。しかし…。地元の人たちによれば、その背景にはどうやら蒸留過程で排出する蒸気が周囲の松林に及ぼす影響があるとかないとか? サントリーウィスキーの「山崎」から「白州」の製造拠点と銘柄の移行は«幻»に終わるのか…。




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女性を狙え!

tobiの丘
サントリー登美の丘ワイナリーHPより


 40代に入ったばかりの頃だった。あるワインメーカー、悪いことではないので、ここでは名前を出してもいいのだろう、サントリー社に招かれてワインの試飲会に出させていただいたことがある。今は呼び名がちょっと変わったが、山梨県の北部・北巨摩郡双葉町(現在の甲斐市)に「登美の丘ワイナリー」というのがあって、そこが試飲会の会場であった。

  


 言うまでもなく、サントリーはウイスキーと共に我が国ワイン業界の草分け。登美の丘ワイナリーは、その拠点農場。八ケ岳の向かい側・茅が岳山麓にある登美の台地に広大な試験農場を持ち、名実ともにワイナリーとしての機能を発揮しているのである。ひと頃、サントリーが大々的に売り出した「貴腐ワイン」も、この試験農場から生まれたものだ。


貴腐ワイン


 試飲会に顔を揃えたのは10人ぐらいだっただろうか。いずれもその世界の専門家ばかり。始める前の自己紹介によれば、ワインに関わる技術者や学者たち。ワイン評論家もいた。門外漢は私だけであった。いわば「素人の代表」ということだったのだろう。





 審査員は主催者が用意した白衣姿。テーブルの上には幾つものワインのボトルが並ぶ。いずれも表示は何一つなく、区別のための番号だけ。審査員は、その都度違った容器を使っては香りをかぎ、口に含んでは味や風味を確かめながら、審査を進めるのだ。



 私の場合、所詮は素人。口に含むだけでは「もったいない」とばかり、みんな飲んでしまうのだ。子供の頃から«盗み酒»で鍛えた自信?があったこともある。第一、ワインに限らず、お酒は「のど越しの味」を楽しむもだと思っていたからだ。まあ、そんなことはどっちでもいい。審査員は与えられた審査表に、それぞれの採点や感想を記していく。


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画像:登美の丘ワイナリー



 審査結果。私の審査は他の審査員に比べて、厳しいものだったという。ストレートと言った方がいい。後に、審査委員長でもあり、事務局の立場にもあった同ワイナリーの農場長・大井一郎さんは、こんなことを言った。大井さんは農場長というよりワイン学者。何故か以前から懇意にさせていただいていた方だった。残念ながら、もう故人となられて久しい。




 「あなたの意見は、ワインを知っている人の声。ワインを飲み慣れている方の声、と言った方がいいかも知れません。特徴や弱いところをズバリ指摘された気がします。でも、私たち造る側からすると、«売れる»ものでなければならないのです。ワインを好きだったり、飲み慣れている人の評価と«売れる»ものとは全く別もの。私たちメーカーのターゲットは«素人さん»なのです」




 親しいお茶のみ話で語った大井さんのひと言にハっとした。今風に言えば、主催者が何を求めているかの「忖度」が全くなかったのである。大井さんによれば、消費拡大のターゲットは女性。お酒を飲む習慣のない奥様層や若い女性にワインを飲んでもらったり、身近なものに感じてもらうことが消費拡大の絶対の条件だというのだ。試飲会はそれを探ることにあった。


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 「美味い」はもちろん「飲み易い」ものであり「上品な味」でなくてはならない。「コク」だの「キレ」などは二の次、三の次だという。確かにそうだ。世の中、半分は女性。ワインに限らないが、女性の支持なしにどんな消費も拡大しまい。家庭でも夕餉の食卓を支配するのは、かあちゃんだ。女性への「忖度」を欠いたら家庭ばかりか、社会は成り立たない。





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蛍の復活

 太鼓1


 ホタルが姿を消し始めたのは昭和30年代だった。わが国が「戦後」に別れを告げ、高度成長期へと突っ走り始めた頃と符節を合わせた。私たちの田舎、山梨県の峡東地方では他の地域に先駆けて葡萄や桃の産地化が始まった頃だ。それまでの米麦、養蚕の農業形態からある意味、革命的とも言える転換だったa。それまでの水田や桑畑はあっという間に姿を消し、その跡に果樹園が広がった。


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 果樹栽培には病害虫を駆除するための消毒が欠かせない。40年代に入ると除草剤が登場するのである。言うまでもなく、果樹栽培は米作と違って人手と手間がかかる。農家にとって除草剤の開発はまたとない福音だった。この除草剤は元々米軍が、あのベトナム戦争で開発したというシロモノだから威力は抜群。人手不足の農家に諸手を上げて歓迎され、省力化に貢献したのである。




 消毒薬は病害虫を殺すばかりではないし、除草剤も雑草を枯らすばかりではない。残留物は付近の川に流れ込み「小鮒釣りしかの川」まで死の川に変えた。どの川にも鮠や鮒、鯉は当たり前、シジミも取れたし、この時期には大きな鰻も遡上した。小川は地域の子供たちの遊び場だった。




 川を殺したのは農家ばかりではない。一般家庭も家庭雑廃水という名の排水で川を汚した。三種の神器とか3C(カー、クーラー、カラーテレビ)という言葉が生まれ、どの家庭にも洗濯機も当然のように登場した。急激な高度成長は、至る所にちぐはぐな現象をもたらした。下水道などインフラの整備なんか追いつくはずがないから、洗剤をいっぱいに含んだ家庭排水は、そのまま川に流れ込んだ。川だってたまったものではない。農薬と家庭雑廃水のダブルパンチは、川の生き物を死滅させたのである。か弱いホタルの幼虫なんかひとたまりもない。



太鼓
   

 そんな現状を放って置くほど人間、バカでもノロマでもない。消費者には分からないだろうが、急速に農薬規制が行なわれ、雑廃水たれ流しへの反省も徐々に進んでいる。もちろん死の川が蘇えっているわけではない。しかし、場所によってはホタルが一匹、二匹。


 根津


 山梨市ではこの十年、万力公園を舞台に毎年、ホタル観賞会が開かれている。この公園は、かの戦国武将・武田信玄が治水のために築いた「信玄堤」が今も残るところで「万葉の森」とも言っている。一画には地元が生んだ、あの鉄道王・根津嘉一郎の銅像も。



 


 今年もつい先日、この、ホタル観賞会が開かれた。昼間、市長を先頭に各界の代表が集まってにぎやかに開会行事が。子供たちの「岩手太鼓」で幕を開け、夜の帳が下りると浴衣姿の家族連れなどホタル見物の人達で賑わう。公園の広場には終日、屋台も並んでちょっとしたお祭りムードだ。


蛍まつり


 ホタルはこの時期の環境の良し悪しを測るバロメーター。市をはじめ関係者はこの祭りを環境改善の起爆剤、導火線と位置づけている。小川に鮒や鯉が戻り、夏にはホタルが舞う、そんなふるさとが帰ってきて欲しいものだ。


屋台


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蛍狩りとガキ大将

蛍

 「ほ~ほ~ホタル来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ・・・」

この時期になると、周りの田圃は田植えが済んで、夕方ともなればこの青田からは蛙の鳴き声が・・・。そして夜の帳が下りると、一帯にはホタルが舞った。





 子供たちは小さなホタルかごを片手に田圃のあぜ道や小川の淵を飛び回った。浴衣などといったカッコいいものではなかったが、着物姿。もちろん、田舎の夜道に街灯なんかありっこない。あるとすれば、害虫を集める誘蛾灯の光くらいのものだ。




 ホタル草というのがあった。子供たちは誰に教わるともなく、ホタルかごの中にこの草を入れ、水を与えた。ホタル草にたかって光を点滅するかごに向かって、口いっぱいに含んだ水を霧状に吹き付けるのである。ホタル狩りは田舎の子供たちが織り成す夏の風物詩だった。


蛍2


 乱舞するホタルを追いかけているうちに小川に転げ落ちる子も。闇の中を上ばかり見ながら飛び回るのだから転げ落ちるのも当たり前だ。子供たちは川に落ちることを「川っ飛び」といって、特段、苦にもしなかった。親達も、それを叱らなかったし、今の親のように「危い」などとも言わなかった。




 地域にはガキ大将というヤツがいて、幼い子供たちの面倒を見た。ホタル狩りばかりではない。子供たちは知らず知らずのうちに、このガキ大将から遊びを覚え、自らの体験や失敗から、危険や怖さのポイントも知った。その子供たちが、やがてガキ大将になってゆく。そんな子供たちを遠巻きに見ていた親達も、みんな「来た道」だったのだ。


麦わら帽子  


 そんな田舎からホタルが消えて久しい。いつの間にかガキ大将もいなくなった。子供たちの遊びやいたずらを遠目に見ていた親達のスタンスもガラリと変わった。親達の多くは「あれも危ない」「これも危ない」と、子供たちの行動に注文をつけ、ちょっとした事象にも目くじらを立てる。


船


 勢い、子供たちは家に籠るようになった。親達が言うのは「危ない」ばかりではない。「勉強」「勉強」の言葉を年がら年中、子供たちに浴びせるのである。子供たちが家に籠れば、ガキ大将だっていなくなるのは当然。ガキ大将は、縦割りの子供たちがいなければ生まれないのである。横割りだと、知恵も腕力も拮抗するからお互いにつぶしあってしまうのだ。 一方で、わが国の少子化は進む一方だ。





 そんな子供たちに、間もなく夏休みがやってくる。どこにもあるのだろうが、私たちの山梨市にも「青少年育成のための市民会議」というヤツがある。区長会、育成会、民生委員、人権擁護委員など子供たちを取り巻く各界の代表達で構成するのだ。もちろん小中学校の代表も。


虫取り


 言うまでもなく、そこでは夏休み中の子供たちの非行防止や安全対策を話し合うのだ。この市民会議を受けて、近く地区ごとの会議も開かれる。その内容はこと細かく話し合われるのだが、総じて言えば、子供たちを危ないことから遠ざけることだ。こんなにお歴々が協議しなくてもガキ大将がいれば、かなりの部分を・・・。ちょっと楽観的かな?







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ワインの歴史

赤玉ポートワイン



 我が国のお酒の歴史の中でワインは、大衆化と言う意味ではそんなに古くはないはずだ。サントリーの「赤玉ポートワイン」の宣伝ポスターをご存知の方もお出でだろう。むろん作られた当時のことではない。大正の末期に製作されたポスターだから、誰だって知らない筈。後の時代にまで注目を浴びたポスターだった。主題の「赤玉ポートワイン」が注目を浴びた訳ではなく、そのデザイン、つまり«大正髪»の女性が胸まで露出したセミヌードの奇抜さが話題となったのだ。今では何でもないアングルなのだが、そんな時代だったのである。




明治の終わりに近い頃、発売された「赤玉ポートワイン」は«和製ワイン»の第一号だった。人気の寿命が長く、私の年齢でも飲んだことがある。でも、およそワインと言われる代物ではなかった。はっきり言わせていただければ、葡萄ジュースだ。こんなことを言えるのも、百姓の倅で、子供の頃から葡萄酒の«盗み酒»をしていたせいかも知れない。


 いずれにしても日本のワインの歴史はそんなに長くはない。時を重ね、我が国の消費者たちの間には「ヌーボー」などという言葉が一般化するほどフランスやイタリヤ、中南米など外国産ワインを飲むことが日常化するようになった。ウイスキーを含めたお酒の自由化が拍車をかけたのである。


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「トリスを飲んでハワイに行こう」。サントリー社が作った、そんなキャッチコピーのCMがヒットした時代があった。時は我が国が高度成長に動き出した昭和30年代半ば。同時に「ノウキョウさん」などという言葉が生まれ、小旗を掲げた旅行社のガイドさんに引率されて、農家の人たちもハワイ旅行を楽しむようになった。私たちが学生時代、街には「トリスバー」の看板があっちこっちに目立った。


  サントリーがビール業界に参入したのもこの頃。サントリービールの味は今と違った。後に今の味になったのである。一方、酒場を今のように「スナック」とは呼ばずに「バー」といった時代である。人々はスコッチなどの洋酒やビールを好んで飲んだ。しかし洋酒は値段が高く、私たち貧乏学生は焼酎をホッピーというビールに似た飲料っ割った、いわゆる「ホッピー酒」を飲んだりしたものだ。






ハワイなどへの外国旅行者は、ウイスキーなどの洋酒をお土産に持ち帰った。当時、「ジョニ黒」、「ジョニ赤」といったジョニーウォーカー社のラベルが人気だった。今のように洋酒が自由化されていなかった時代だから、免税ギリギリの本数を隠すように持ち帰ったものだ。その頃、ワインは今のように大衆化していなかった。しかし次第に、その地位を確立、セレブの婦人層にも飲まれるようになって大衆化の道を歩むようになるのである。


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「世界で良質ワインの醸造を競ったら、間違いなく日本が一番」と断言する人は多い。その根拠は原料。ワイン通の人達が言う「何年物」というのは製造された年が古いことを言うのではなく、原料の葡萄が豊作の年を言う。原料が良ければ、いいワインが出来るに決まっている。商品化する場合、当然、壁に突き当たるのがコスト。我が国の場合、葡萄の栽培方法の違いや栽培にかけるコストから採算に合わないことは素人でも分かる理屈だ。。






日本と欧米諸国とでは葡萄の存在意義が全く違うのである。日本の生食用に対して、ほとんど全ての国々がワインの原料用。用途が全く異なるのだから、栽培方法も、それにかける手数や経費も比べ物にならないほど違う。そこから生まれる葡萄も、それを使ったワインのコストがが違って当たり前なのである。






知り合いの篤農家が自らの愛飲用として巨峰種で«密造»したこだわりのワインをご馳走になったことがる。実に美味い。時季になって珍重がって飲むヌーボーなど足元にも及ばない。






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ワインと日本酒

ジュエリー


 山梨県民が「おらが県の特産品」と言って憚らないのはジュエリーとワイン。もちろん葡萄や桃は言うまでもないが、「地場産業」といったら、やっぱりジュエリーとワインなのだ。ジュエリーとワインは、その生産量でシェア日本一。ジュエリーは、その昔、金などと共に採掘量に恵まれた水晶が元となって加工技術が発達、この地に根付いた。一方、ワインは供給量を見込んだワインメーカーが山梨・特に勝沼や塩山に進出して産地化したのである。


ワイン

 欧米人にとって飲料の嗜好品と言えば、やっぱりワインやウイスキー。その歴史は古い。一方、我が国は言わずもがな、日本酒である。主食としてのコメの量産。その米が加工され、日本酒として定着したことは誰も想像に難くない。日本酒は日本人の食生活、つまり欧米人と比べて淡泊な食生活が導いたともいわれている。




 嗜好飲料の多様化によって、今は日本酒の消費量は落ち込んで造り酒屋は減る一方。若者をターゲットにしたり、健康志向を売りにした焼酎の人気が伝統の造り酒屋を根底から脅かしたのである。しかし、その造り酒屋が全盛を極めた時期があったのだ。



造り酒屋



 造り酒屋は、かつての大地主であった。ふんだんにあるコメが日本酒、つまり酒に姿を変えて人々に愛されたのである。ただ、食糧難で、「供出」などと言う言葉が当たり前だった時代は「合成酒」が代用されたことも確か。合成酒は、その名の通り、エチルアルコールを添加した質の良くないお酒であった。



 日本酒は蒸し上げたコメに酒麹を加えて発酵させ、良質の水を加えて作る。古来、人々は、そのまま飲んだ。やがて、それを«こす»ことを覚え、現在のいわゆる「清酒」を作り上げたのである。そこで生まれた「酒かす」は甘酒や漬物の素材など幅広く活用されているのだ。「酒を絞る」という言葉もそこから生まれたことは言うまでもない。ワインの場合も同じで「絞る」という。




 「絞る」前のお酒を「どぶろく」といった。親父やおふくろは冬場、居間の炬燵の余熱を利用して密かに、この「どぶろく」を作っていた。「これは毒だから、子供は飲んではいかんぞ」と言われたことが返って子供心に好奇心を誘い「盗み酒」をしたものだ。ワインも同じ。この辺りでは「葡萄酒」とい言ったが、多くの農家が税務署に隠れて«密造»をしたのである。すくなくとも「ワイン」というイメージではなかった。


日本酒



 農家が「葡萄酒」(ワイン)の原料にするのは、決まって屑葡萄だ。生育が不良で房に色が着かなかったり、病害虫に侵された、いわゆる出荷出来ない不良品である。私たち子どもには原因など分かるはずもなかったが、房の所々に収穫期になっても色が着かず、疎らに、いわゆるツートンカラーになってしまうものもあった。それでも農家は「お金にしたい一心」で、疎らに残る青い粒をハサミで丹念に切り取っては出荷した。




 そこで生じた屑葡萄が葡萄酒の原料なのだ。理屈から言ってもそんな悪い原料で良質のワインが出来る筈がない。しかし、現実は現実。世界的に生産されているワインは日本のように手をかけて栽培された葡萄が原料ではないことだけは確かだ。(次回に続く).




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シャインマスカットの魅力

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 梅雨の季節は真っ盛り。日本列島を覆った梅雨前線は各地に大雨を降らせ、熊本などで甚大な被害をもたらした。この異常気象はともかく、毎年繰り返される梅雨は、我が国の葡萄栽培の在り様にも決定的な影響を与えて来た。




 日本列島は毎年、北海道を除いて6月から7月にかけて梅雨という名の雨に見舞われる。丁度この時季、実を結んで房を形成するのが葡萄。房が低い所にあると地面に堕ちた雨がいやが上にも跳ね返り、結実して間もない葡萄に病害をもたらすのである。このため、我が国は梅雨のない国々のような立木のいわゆる「垣根栽培」は全くの不向きなのだ。




 そこで確立されたのが今の「棚栽培」。棚を作り、葡萄の木を高い棚の上に上げて房を雨露の跳ね返りから守ったのである。ツルを棚の上に這わせることによって房を付ける面積を増やし、収穫量も増大させた。耕地面積が狭い国土にも合い、いわば一石二鳥の栽培方法として広く根付いたのである。

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 栽培に手をかけることもした。生食が目的だから、栽培農家は一房一房、丹念に育てるのだ。結実したばかりの段階で、一粒一粒、粒抜きして房の形を整えた上で二度のジベレリン処理を施すのである。さらに雨がかからないようにパラフィンの傘や袋をかけるのだ。病害虫を避けるための消毒作業は当たり前。ジベレリン処理は促成と種抜きである。




 百姓のなれのはて。フランスやイタリア、アメリカのロスアンジェルス、中南米などを旅した時、葡萄の圃場を注意して見るのだが、まさに月とスッポン。垣根のように整然と管理されている「圃場」は決して多くはなく、野生のような栽培方法であった。所詮は醸造用。形や色、虫食いも気にしない。糖度だって人工の糖分で調整すればいい。生食用としてテーブルでお目にかかったこともないではないが、正直言って食える代物ではなかった。




 棚栽培と立木栽培。葡萄の作り方に留まらず、果樹栽培の基本である圃場づくりから全く違う。いわゆる土づくり。こちらは有機肥料で圃場をしっかりと管理する。生育を補う丹念な剪定も欠かさない。野生同然と言ってもいい立木栽培と違って全てに「手の掛け方」が違うのだ。その上に開発されたジベレリン薬が我が国のブドウ栽培に「革命」をもたらした。

葡萄

 ジベレリンは葡萄を食べる時、邪魔になる種を無くしたばかりでなく、特有の酸味も減らせたのである。桃でもミカンやリンゴでも言えることなのだが、果実の酸味は種(核)の周りに強い。ジベレリン剤による処理は、消費者にとって厄介な種と酸味を同時に消したのだから一石二鳥の役割を果たしたことになる。




 ここまで来ると今度は皮。そこで開発された品種がシャインマスカット。「皮まで丸ごと食べられる葡萄」を作ったのだ。口の中で実と皮を選別、皮を出さなくてもいいとあって、これはありがたい。その上、CLIMB_AGAINさんが言うように皮に含まれているポリフェノールが摂取出来るとあって人気が出ない筈がない。市場ではその人気を反映して価格も上昇。これまでの大房系の巨峰やピオーネをはるかにしのぐ価格で取引されているのだ。葡萄の種なしは既に確立。今は皮ごと食べられる品種の開発競争に視点が移っている。




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葡萄の種の裏話

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 「葡萄の種まで食べてしまうのですか。消化されずに、そのまま出てしまうんでしょうね。自分は葡萄も西瓜も種はしっかり取ります。でも一番気になるのはメロンの種ですね。これもしっかり取りますが、そうすると真ん中あたりの身がほとんどなくなってしまいます。(中略)葡萄は、皮まで食べられて種のないものが好きです。葡萄の皮はけっこう栄養分があるっていいますよね。ポリフェノールとか。(後略)」




 CLIMB_AGAINさんから、こんなコメントをいただいた。先頃、「葡萄の種」をテーマに書かせていただいた拙ブログへのコメントである。




 「鶏と卵」の例えはともかく、どんな植物・果物も種なくして繁殖は望むべきはないことだけは確か。しかし、日本の葡萄は一部の品種を除いて、ある時期から種が消えた。考えてみたら、もう50年・半世紀も前のことだ。お若い方々だったら「葡萄に種があるの?」とおっしゃる方々もおいでになるだろう。

葡萄

 「ジベレリン」という薬の開発が成せる技であった。もう大分前のことだが、そのジベレリンの開発に携わった研究チームのお一人に、その「秘話」をお聞きしたことがある。この方は、今は鬼籍に入られて久しいが、生前、山梨市にお住まいだった。雨宮毅さんと言った。




 「私たちは、果樹試験場で、数人の研究チームを組んで葡萄の促成栽培の研究に取り組んでいました。対象品種は、当時、栽培の主流だったデラウエアー種。研究は試行錯誤を繰り返したことは言うまでもありません。ところが、この促成研究の過程でデラウエアーから種がなくなったのです。まさに瓢箪から駒です。正直言ってビックリしましたねえ。『促成』が研究のテーマでしたから…」




 雨宮さんら研究チームの感激というか、驚きようは、今考えても想像に難くない。以来、研究は「促成」にとどまらず、「種の除去」にもシフトしたことは言を待たない。だから、ジベレリン処理は必ず2回やる。一度目は小さな房に結実したところでやり、二度目に種を抜くための処理をするのである。一度目はもちろん「促成」が狙いだ。


葡萄


 世界的に見れば、葡萄の消費は今もワイン醸造用といっていい。フランスやイタリヤ、中南米など世界の産地は葡萄と言えばワインの原料。主な消費はワイン用なのである。その生産面積も半端ではないはずだ。日本のように良質の水の恵まれないお国柄かも知れない。




 「れば、たら」で言ったら笑われるかも知れないが、もし世界のブドウ栽培がワイン用ではなく、生食用だったら雨宮さんらのジベレリン開発は恐らく、ノーベル賞候補になっていただろう。私は今でもそう信じている。やがては他の果物の種の除去を導くに違いない。




 雨宮さんは東京農業大学の第一期生。「私の卒業証書ナンバーは1番。大学を1番で卒業したんですよ」とニッコリ笑いながら「葡萄の種」ならぬ「ユーモアのタネ」あかしを。「『雨宮』は五十音順で一番先でした」と。雨宮さんとは山梨ロータリークラブでご一緒させていただいた。今、葡萄王国・山梨のこの辺りは2度目のジベレリン処理を済ませて、収穫の秋を待つ。もちろん、消毒など収穫への手厚い作業は続くのだ。(次回へ続く)




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仲間の死

菊

 親しい仲間が逝った。享年69歳。癌だった。手術と入退院を繰り返しながら癌と闘った。必死だっただろう。桃や葡萄など広い果樹園も一部を人に委ね、栽培面積を縮小した。行く末を案じたのだろう。それがまた痛々しい。それでも暗い顔は微塵も見せずに畑にも出、仲間たちとも明るく振舞った。


葡萄畑


 そんな人柄の男だったから、地元にいる特に同級生達は、入院中も自らの仕事の合間を縫って農作業を補った。「うちのことなんか、心配するな。そんな心配より、治療に専念することだよ」。みんなで励ました。しかし、不敵にも癌は強かった。日ごとにこの人の体を蝕み、最後は骨と皮といってもいいほどに肉体まで食い尽くした。


インゲン


 この人には、これまでも身の回りに相次いで不幸が襲った。早くに愛する奥様を亡くし、二人兄弟の弟も何年か前に亡くした。この弟さんは三つ違いで、私と同ない歳だった。どうしてこうも不幸は集中攻撃するのか・・・。この世には神も仏もないのか。





 それでも男手ひとつで一人娘を育てて嫁がせ、二人のお孫さんにも恵まれた。自らの行く末を覚悟しながらも愛らしいお孫さんに目を細め、可愛がった。心の中ではこのお孫さんの成長をもっともっと見届けたかったに違いない。それもふびんでならない。


光


 告別式。仲良しトリオのうちの一人が弔事を読んだ。自他共に認める無二の親友だったこの人は「俺は○○ちゃんと呼ばせてもらうよ」と祭壇の遺影に語り掛け、在りし日の思い出や、その人柄を切々と話した。




 それによると、身の回りを相次いで襲った不幸、その上、自らにも襲い掛かった病魔との闘いにも愚痴ひとつ漏らさなかった。いつも明るく振舞い、周りの仲間達を気遣った。古めかしい言葉かもしれないが、義理人情にも厚かった。「気遣うのはお前ではなく、むしろ俺達だったのに・・・」。そんな故人は息を引き取る数日前、この人の手を握り、弱々しい声で「俺はもうだめだ。あとを頼む。みんなを・・・」と言った。手にはもう力がなかったと言う。無二の親友が読む弔辞は参列者の涙を誘った。


空


 たまたま時期を同じくしたのだが、この告別式の翌日、別の友人の父親が逝った。こちらは98歳だった。69歳の告別式とは対照的だった。年齢差は親子ほどもある。同じ弔辞の中でも「天寿をまっとう・・」という言葉が。人間誰しも、かくありたいと思うのだが、そうはいかないのがこの世の常。




 「人間、60歳を過ぎれば、後先の順番はないんですよ」



 うまい事を言った人がいた。そう思いたくはないが確かにそうだろう。仏教用語で「諸行無常」という言葉がある。人の寿命は神様しか分からない。ただ言えるのは、その人間がどう生きたかなのだろう。寿命の長短だけではない。仲間や周囲を愛しみ、仲間達からも愛された69歳の男を送りながらそうも考えた。


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 梅雨の季節は真っ盛り。その後には暑い夏が待っている。みんなが健康で、仲良くありたい。それが若くして逝った友に報いる道だ。行とし生きるものの鉄則だ、と思っている。





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過剰包装

 それ程、外国を歩いているわけでもないが、そこで、ふと考えさせられることがある。包装の仕方の違いだ。中国やアメリカ、それにフランスやスペインなどヨーロッパの国々。どこで買い物しても、その包装や入れ物は極めてラフ。日本のように包装を過剰にする国はない。その違いは誰が見ても歴然としている。習慣や国民性の違いといってしまえば、それまでだが、やっぱり合理感覚の違いだろう。


包装紙


 わが国の場合、お土産物一つとっても包み紙入れ物に細心とも言える気配りと工夫をする。高級果物のメロンやマンゴーに到っては桐の箱にまで入れてしまうのである。高価イメージのシールやリボンなんかも当たり前。消費者側もそれが当然と思っているし、むしろ、それを求める場合だってある。一流デパートのように包み紙そのものがブランドの証だったりする。ただ、この一流デパートの包み紙は時の流れの中で、地殻変動も。山梨で言えば「岡島」、東京で言えば「三越」もその一つかもしれない。

メロン

 消費が経済成長の原動力、などと分かったようなことを言われると返す言葉もないが、よく考えてみると、間違いなく無駄。なにも立派な紙を使ったカラフルな包み紙や桐の箱を食べるわけでもなく、開いた後はただのゴミ。当然、この包装にはそれなりのコストが。この過剰包装の習慣は、日本人が長い間に身に付けさせられた「見栄」の裏返しなのか。それとも形や外見にこだわる日本人の特性なのか。


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 そんなたわいもない事を考えていたら茶の間のテレビで「見た目の損得論」などと、これまたたわいもない番組をやっていた。晩酌をしながら何気なく見ていたバラエティー番組。何人かの人気タレントさんに囲まれた経済アナリストが真面目顔で話していた。それによると、人間、イケメンだったり、感じのいい風貌やイメージを持った人は、それと反対の人と比べると一生のうちでは、お金で換算すると4,000万円の得をするというのだ。




 番組は「実験」と称して街頭にイケメンと、そうでない男の人を二人並べて広告入りのティッシュを道行く人に配らせた。どちらの方が沢山配るか、言い換えれば道行く人たちがどちらからティッシュを受け取るかだ。隠しカメラでそれを追って見せるのだが、結果はイケメン男性に圧倒的な軍配。その差は歴然としていた。女性の場合の就職試験面接にもその差は知らず知らずに現れているのだそうだ。




 「見た目」というのは理屈では分からない不思議な力を持っている証。過剰包装はそんな日本人の心理を商いの中に捉えているのだろうが、考えてみればやっぱり無駄。ゴミの山への貨物列車だ。そんなことを考えるともなく晩酌を重ねていたら、うちのかみさん、「お父さん、これをお中元として送りたいんですけど、包み紙、これでいいかしら。これだと安っぽく見えるかしらねえ」。


ゴミの山


 ひと頃、イケメンの代表格のようにオバサマ方から人気を集め、追っかけに囲まれた、あのヨン様は・・・。どうやら日本の奥様方は包装紙ばかりでなく、マスコミにも弱い。マスコミに取り上げられなくなると、あっさりと忘れてしまうのだ。 国政、地方を問わず、選挙だって「見た目」やマスコミによって作られる「人気」というレッテルにも左右されていく。「総理大臣にふさわしい人」がいい例だ。その人を支持するのもしないのも気まぐれなのだ。



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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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