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喪中はがきと年賀状

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 光陰矢の如しという。時の経つのがやたらに早い。つい、この間まで「暑い、暑い」と悲鳴を上げていたのがウソのように、朝夕の冷え込みは日に日に増して、アッという間に12月。12枚あったカレンダーも、気付いてみればあと1枚。挨拶の枕言葉は「寒いですね」に。考えてみれば、私たち人間とは勝手な生き物だ。




暑い夏の後にあったはずの秋も束の間。そう言えば、自然豊かな田舎に住みながら、今年はいつもの年のような虫の音をほとんど聞かず仕舞い。不思議な年であった。一時期、大雨が降ったと思ったら、猛暑、猛暑の連続。そんな気象異変のせい? 地球が丸ごと狂ってしまったのか…。






この辺りの果樹農家は,そんな≪異変≫を薄々とはいえ、早くから感じ取って、いつもの年より消毒回数を増やすなど病害虫対策を講じた。しかし結果は効き目なし。主力の葡萄は軒並みバンプやベト病にやられた。桃も灰星病などに。枯露柿の原料となる甲州百目に至っては、その比ではない。落葉病などで成熟前に葉と実を落とした。行楽客の足を止めたコロナ禍と重なって、葡萄や桃の「もぎ取り園」を営む果樹農家にとってはダブルパンチだ。



桃 


「喪中につき年頭のご挨拶を失礼させていただきます」。友人、知人からの「喪中ハガキ」が連日のように飛び込んで来る。これも年中行事なのだが、何故か、この喪中ハガキの数が今年はやたらと多いような気がする。ハガキの数は、受け取る側からすれば、お葬式への立ち合いの回数を意味するのだ。半端ではない夏の暑さなど「気象異変」が、ここにも反映しているのか。






喪中のハガキは年賀状の前哨戦。年賀状書きの時季がやって来たことを暗に告げる。ハガキは冒頭に決まり文句のように記される文言の通り、「ぶく」を相手の家に持ち込まないように年頭のあいさつの欠礼を伝え、新年を待たずに今年一年の親交に感謝する挨拶状なのである。


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もちろん、相手が喪に服しているのだから、こちら側も「新年…おめでとう」などと年賀状は遠慮する。外国、主に欧米ではクリスマスカードだが、年賀状と喪中ハガキの風習は日本人の機微ともいえる思いやりの習慣でもある。ただ、この喪中ハガキ、何故か手書きのものは全く見たことがない。しかも、みんな決まりきったパターンと文言なのだ。






考えてみれば、年賀状だって手書きは希少価値になった。パソコンの普及で、家庭で簡単に印刷まで出来るからで、仕事を減らす印刷屋さんには同情したくなる。喪中のハガキだって同じことだろう。第一、今の若い方々は「喪中のはがき」どころか、年賀状す出さないか…。デジタル化、web化の波は日本人が古くから続けて来た習慣や風習を日常から、どんどん消してゆく。






政府が今進めようとしているハンコ行政などのデジタル化は、まさに時代の流れ。ハンコの産地でもある山梨県の人間がそんなことを言うのは気が引けるが、今さらハンコ、ハンコでもあるまい。本音では多くの人達がそう思っている筈。デジタル化の新しいシステムや枠組みを作って行かねばなるまい。デジタル化、web化は若者たちを中心に年賀状離れを促し、年始の習慣まで変えようとしているのだ。







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自然界の衣替え

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 ※再掲載の「クルージングの旅」シリーズは、ちょっとひと休み…。

「空高く…」。そんな形容をするのは秋の空。雲一つなく、まさに「抜けるような蒼い空」をいう。肌で感ずる冷え込みと共に蒼い空は「どんよりとした空」に変わって行く。「小春日和」という言葉が一抹の安らぎを演出さえしてくれる時季だ。



 赤や黄色に染まった周囲の樹々は徐々に葉っぱを落とし、庭先では硬い木の葉が「カラコロ」と風に舞う。「♪落ち葉くるくる風に舞う ♪バスの車掌の襟ぼくろ…」。確か、石原裕次郎と浅丘ルリ子のデュエット曲の一節だったか? そんな歌の情景が良く似合う季節になった。




 「もみじのような手」、と形容されるように一般的なものもあれば、細く髭のように枝垂れるものもあるカエデ。色や形を異にする我が家の植え込みのカエデも日に日に葉っぱを落として、あられもない姿になった。花梅や豊後、シラカガ、甲州小梅など梅の木は、とっくに葉っぱを落とした。気ままに徒長枝を伸ばした梅の木は一日も早い剪定を待っている。




 近くの御所柿は「子守り柿」だけを残して丸裸。葉っぱ一つない木に一つ、二つ残された黄色い柿の実は「子守り柿」と言って、人間の思いやりの証だ。様々な虫や、野や山の樹々や雑草などの実(種)がなくなってゆく季節。「小鳥たちに心ばかりでも食べ物を残してやろう」。人間らしい心がもたらす、この時季ならの光景なのである。夏場は、その勢いに苦しめられる畑の雑草も増殖を止めて「捲土重来」、春を待つ。全てが毎年繰り返される自然界の営みである。

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 人間どもはそれに合わせて時には骨を休めて「明日への」英気を養う。葡萄や桃、サクランボやスモモなどが産地のこの辺りの果樹農家は、この時季はちょっとした「農閑期」。いつもの年なら仲間たちや家族の旅行を楽しむ人が多いのだが、今年はコロナ禍で二の足を踏んでいる。割引率が得点のGoToトラベルも雲行きが怪しくなって、また足踏みだ。




 そんな農家にとって「農閑期」は束の間。年明けを前後して、剪定作業に入る。木々、特に果樹にとって選定作業は、消毒や摘果、摘粒などとともに欠くことの出来ない作業の一つ。決して重労働ではないのだが、寒風に晒されながらの作業はきつい。頬かむりをしながら、枝の切り取りや配置調整をするのである。




 一方、やはりこの辺りが産地の枯露柿づくりは天日干しの真っ最中。主には甲州百目と呼ばれる柿を皮むきしたもので、硫黄燻蒸で色の見栄えをよくしたり、「芯きり」、「手もみ」など欠いてはいけない工程を経て、製品に仕上げるのだ。今年は異常気象も手伝ってか、原料の柿が不作。例年の50%減だという。農家の表情は暗い。店頭価格にも反映されるのか。

枯露柿

 そんな中でも女房が、ご近所からいただいた甲州百目を皮むき、300個前後を天日干ししている。友人、知人や、東京や埼玉に住む弟たちに送ってやるためだ。その量はともかく、手数のかかる作業も喜んでくれる人たちを考えると労はなんでもない。枯露柿のミソは、その表面を覆う「粉(こ)」。外国人には理解できないらしい。カビや細菌と勘違いするのだそうだ。



 枯露柿づくりの要件は適度の冷え込みと風。つまり低温乾燥が絶対条件である。この辺りで枯露柿が産地形成されたのも、その気象条件にマッチしているためだ。御坂山塊や奥秩父の山並みと笛吹川がもたらす絶妙な気流にあるという。葉っぱを落として裸になった我が家の植え込みの落葉樹。季節の移ろいは、一方で無言のうちに剪定作業を促すのだ。そうだ。「寒い」などとばかり言ってはいられない。






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胃袋の違い

 よくあんなに食べれるもんだ。日本人が食べる3倍、とはいかないまでも倍以上、平気で食べてケロッとしているのである。



 ハワイ滞在中、従兄弟夫婦はランチやデナーに街の大衆レストランへ連れて行ってくれた。そこでいつも目にする白人たちの食べっぷりである。例えば、ランチ。お皿の上には幾重にも重なったハンバーガーとポテトチップス。そのポテトチップスの量も半端ではない。日本ではあんきに3人分である。

ハンバーガー


 それに飲み物もだ。セルフサービスのカウンターの端にコーラや日本では見慣れない飲み物のセルフコーナーがあって、思い思いに持ってくるのだが、その紙コップの大きさもどでかい。ハワイではコカよりペプシが強いのか、ペプシコーラコーラばっかり。他の飲み物も同じように甘い。ハンバーグをパクパク食べながら、その甘い飲み物をがぶがぶ飲み、またお変わりを持ちに行く。



 その食べっぷりにビックリしたのは私ばかりではなかった。隣に座っていた女房は日本語が相手に分からないことをいいことに「この人たち、よくあんなに食べれるわね。だからみんなあんなにデブになっちゃうんだよね」。日本ではけして人のことを「デブ」などといえた柄の体形ではない女房がまるで人ごとのように言う。アメリカを旅している間中≪デブ≫の女房が確かにスマートに見えたから不思議だ。そんな女房はこれまた人ごと、「お父さんもスマートに見えるわねえ」と、ニヤニヤしながら言った。




特に白人女性のデブっぷりは私たちの目からすれば桁外れにすごい。そもそも身長があるから若いときにはスマートで綺麗だ。しかし、ある年齢になるとぶくぶく太り出す。自分だってデブの女房が「夜寝るときベットが壊れないかしら」と、心配するほど。余計なお世話というものだが、その私もあっちこっちで出会うそのデブたちにあっ気に取られる、というより圧倒されたものだ。



 女たちほど気にならないが、男たちも同じだ。とにかくよく食べる体もでっかい。日本人とアメリカ人の胃袋の違いだろうか。5,6年前、ロス・アンジェルスに行った時も同じような光景に出っくわしたことを思い出した。そして、そこから空路ラスベカスに飛んだ飛行機の窓から延々と続く台地を見下ろしながら「こんな国のやつらと戦争をしたら勝てっこない」と、直感的に思ったものだ。食いっぷりも、第一、国土のスケールも違う。


肉



 ラスベカスはかつては緑一つない砂漠だった。そこにアメリカ人は≪ラスベカス≫という世界的といっていい歓楽街を造ってしまった。人が住む上でもっとも大事なのは水である。当然のことながら砂漠には水がない。100㌔も150㌔も先から水を引いたのである。その水で、街路樹などの緑も育てた。



 アメリカ人の開拓精神は逞しい。あの広大な国土に人口は3億前後。そのアメリカが世界の超大国たらしめている根底は、このフロンテア精神、その源は大きな胃袋かもしれない。そんなことまで考えさせられるアメリカ人の食いっぷりであった。


アメリカ星


※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)

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ジョギングと夜明けの富士山

※再掲載の「クルージングの旅シリーズ」を、ちょっと一休みして…。
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夜景2


 どす黒く佇む御坂山塊の上に、どっかりと腰を下ろす富士山。その富士山の下から黄金色の光が言いようのない淡さで照らす。御坂山塊は、あくまでも前衛。主役の富士山をいやが上にも荘厳に浮かび上がらせるのだ。やがて、そんな光景がウソのように、あたり一面が明るくなって、いつもと変わらない朝になる。その富士山の真上には幾重にもの吊るし雲が。光の具合で不気味にも見える。




 友人がメールで送ってくれた夜明けの富士山の写真の一コマである。ジョギング中に甲府盆地のど真ん中・JR甲府駅の目と鼻の先にある舞鶴城址から撮ったものだという。この人は群馬県の出身。勤務先の人事異動で甲府にやって来た。健康づくりのため毎朝、ジョギングを欠かさないのだそうだ。「自分の足で赴任先の甲府を少しでも知ろう」。そんな真摯な思いもあったのだろう。




 ジョギングの後には出勤という「日常」が待っている。甲府盆地の夜明けに感動しながらも「もう、家に戻らなくては…」。帰りに向かおうとしながらフと振り向いたら、それまではなかった荘厳な光景が。「咄嗟にシャッターを切った」のだそうだ。恐らく、そのカメラはジョギングウエアに忍ばせた携帯スマホだろう。


夜景


 今は山梨市の片田舎に住むが、私もかれこれ40年、仕事絡みで甲府に住んだ。しかし、こんな甲府盆地の夜明けを体感したことはない。私のようなズボラ人間には無理。無理。確実に言えるのは、何かに関心を持ち、それが些細なことでも「挑戦」しない限り、新たな「発見」は望めない。ズボラ人間には、それが出来ないのだ。長い間住んでいて、目の前にあっても気付かなかったり、何の体感もしないことはいっぱいあるに違いない。




 それとは反対に、そこに住んでいるからこそ、体験と体感で裏打ちされた知識や知恵もある。富士山を巡る気象現象もその一つ。例えば、吊るし雲は富士山に限らないが、高山を取り巻く気流の変化がもたらすものであり、雪解けが始まる初夏の富士山で毎年見せてくれる「農鳥」は残雪現象。「農鳥」は雪が解ける過程で山肌にくっきりと鳥の形を形成するもので、山梨の農家は古来、この「農鳥」の出現を合図に田植えなど初夏の農作業を始めた。




 「富士山の周りに雲が沸くと風が吹く」とも言った。事実、その雲は、山麓はむろん、甲府盆地に風をもたらした。雲は甲府盆地から見ると左側に沸き、その大小によって風は強弱を異にした。人々は、そんな雲を相手にそれ相応の対応をするのだ。富士山の表情は、人々の生活や対処の仕方の鏡になったのである。




 富士山は、かつて我が国の気象観測の拠点でもあった。コンピュータによる衛星観測の技術が進んで、今は姿を消した富士山頂の測候所は長い間、計り知れない役割と恩恵をもたらした。数々のヒット作を世に送り出した新田次郎。作家以前は、そこの職員でもあった。


舞鶴城址
画像:富士の国やまなしより


  一方、松本清張は小説「波の塔」で麓の青木が原樹海をミステリアスに描き、結果的に樹海を今も消えない「自殺の名所」に。「波の塔」は若い検事と人妻の愛の物語。樹海は、その≪末路≫だった。今も樹海の中で毎年、何体もの遺体が発見される。因みに日本の自殺者の数は、混乱の渦の中にあるコロナ禍の死者より多いことをご存知?「富士山の夜明け」の写真を撮った友は、そんな様々な富士にも思いをめぐらしたのかも知れない。





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やっぱり日本がいい

  「おとうさん、やっぱりこれがいいね」


 ハワイ、アラスカの旅を終えて帰国、家に帰った翌朝、約20日ぶりの我が家の飯を食べているとき、女房はニヤニヤしながら、それでいてしみじみと言った。



 食卓に並んでいたのは、炊き立てのご飯味噌汁、うちの畑で取れたナスとキュウリのぬかみその漬物、それに焼き魚。うまい。やっぱり、これがいい。正直、私もそう思った。


ご飯味噌汁
 ハワイからシアトル、そこから船に乗ってアラスカ、途中、カナダのビクトリアに寄って、シアトルに戻り、再びハワイへ。日数ではハワイが前後8日、シアトルがやはり前後2日、ビクトリアを含むアラスカクルーズが8日間。そのほとんど毎日がパンやチーズ、ステーキやローストビーフ、チキンなどの肉類、それにロブスターなどの海鮮料理。そしてフォークとナイフの生活である。
ロブスター
 クルージング中のディナーはいつも豪華版。前菜からスープ、メーンデッシュ、デザートまで一流レストラン並みのメニューを用意、オーダーに応じてくれる。純白のクロースがかけられたテーブルの中央には、いかにも高級らしいワインやシャンパン。これだけは、というより、飲み物はすべてオプション料金である。めいめい渡してくれるメニュー表は、もちろん、みんな横文字。レデーファーストの国だから女性からオーダーを取る。
食4点



 女房は開き直ったのか、メニュー表を片手に「これとこれ」といった調子で、指でオーダー。そこまでは良かったが、メーンデッシュを二つも三つも。冷や汗ものである。二日目、三日目となると、ちょっぴりメニュー表の見方にも慣れて、部分的に分かる横文字から料理をイメージして、オーダーするのである。それまでが一苦労。でも料理が来てしまえばこっちのもの。食べるときだけは自信たっぷりである。  



 
 こんな気苦労をしなくてすむのが、日本で言うバイキング方式のレストラン。所狭しと並べられている単品の料理や果物、それにジュースやミルクを好きなだけ持ってくればいいのだから簡単だ。気が楽になったのか、それとも欲なのか、食べる、食べる。いつもお皿一杯に持って来ては平らげるのである。「腹も身のうち」と笑ってみたが、そう言う自分にも、その≪欲≫があるのに気づいて内心、苦笑いしたりもした。




 とにかく、その食べっぷりも3,4日経つとダウン。「お父さん、インスタントラーメン か カップめんでも持ってくれば良かったね」と、もう沢山、といわんばかりにニヤニヤしながら言った。「そのとおり。俺もうんざりだ」と、思ったが「あんなに嬉々として食べまくっていたじぁないか」と、からかってやったら「もういいよ」と、うんざり顔だった。




 今年の春頃だっただろうか、ご主人と8日間のフランス旅行に行ってきたという隣の奥さんが土産をくれながら「山田さんねえ、私ゃ、うちに帰った翌朝、手抜きで菜っ葉の味噌汁を作って食べたら、そのおいしこと。こんなうまいものが我が家にあったのかと思いましたよ」と、話してくれたのを思い出した。事実、私も、成田からの帰り道、石川のパーキングエリアで食べた 立ち食いそばが一番うまかったこと。やっぱり日本人だよねえ。


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※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)



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欲望と不夜城のカジノ

ラスベガス夜景



 全体が煌びやかなネオンで埋まり、夜を知らない、いわゆる不夜城の街と言ったらラスベカス。この街のもうひとつの顔はカジノ、つまりギャンブルだ。5、6年前ロス・アンジェルスを経て、このラスベカスに行った事がある。宿泊したのはホテルベネチアンだった。宿泊というよりはカジノにどっぷり浸かったと言う方がいいかもしれない。


ベネチアン
ベネチアン



 ベネチアンはホテルというより、それ自体が一つの大きな街といった感じで、そのスケールに圧倒された。ホテルの中にショッピングロードやくつろぎ、散策の広場があり、ホテルやカジノがあるといった感じである。ビルの中の街が、大掛かりな照明効果によって昼間ばかりでなく、夕暮れや朝まで演出する。また一つカジノを例にとっても、そのスペースはとんでもなく広い。ゲームの途中トイレに立ったら、その帰り、自分のテーブルを見失ったくらいだ。




 ラスベカスはカジノのメッカ。しかし、その規模ではマカオがラスベカスをしのいだとも言う。マカオのカジノには30年ぐらい前、会社の同僚と行った事があるが、もう街全体ががらりと変わっているのだろう。私は自分が根っからの勝負事好きではないかと思うことがある。ちょっと誘われればソウルぐらいならいつでも飛んでいってしまう。今月の終わりに、中学時代の同級生と、またソウルのカジノに行くことになっている。




 今度のハワイ、アラスカの旅でもラスベカスに足を伸ばす予定だった。それを取りやめたのは今回のアラスカクルーズで存分にカジノを楽しめたからだ。クルージングの大型客船は6階に大きなスペースを割いてカジノを設けていた。バカラやブラックジャック、ポーカー、レット・イット・ライドなどのカードゲーム、それにクラップスやビンゴ、ルーレットやスロットルマシーンなど何でも楽しめる。


ラスベカス



 カジノの雰囲気とは不思議で、そのすべてをやってみたくなる。だが、残念なことにルール、つまり遊び方を熟知していないので、いつも比較的気軽に出来るブラックジャックのテーブルに着く。カードゲームのテーブルはみんなランク別、つまり1回の掛け金が10ドル以上、50ドル以上、100ドル以上といった具合に分けてある。私の場合、所詮は貧乏人。10ドル~500ドルのテーブルが遊び場である。ランクでは一番低いテーブルだ。


  カジノ



 テーブルはいずれも6,7人掛け。100ドル紙幣5枚をテーブルに出すとデーラーはまず紙幣をテーブルの上に並べて客の見ている前できちっと確認した後、それに見合ったチップを客の手元に出してくれる。カードの配り方を含めて、その手さばきは鮮やかだ。賭けるチップの量はリミットの範囲内であれば自由。客はカードの流れを見ながらチップの量、つまり賭ける金額を加減するのである。ブラックジャックは日本のオイチョカブとやり方は同じ。ただカードと花札の違い、それに上限の勝負数字が21と9の違いである。オイチョカブを知っていれば遊べるゲームだ。



 オイチョカブも同じだが、統計学からいってもデーラー(親)が強いに決まっている。お客の方は勝負勘とツキ以外のなにものでもない。結局は負けてしまうのだが、≪好き≫と≪欲が≫後を追わせる。いつも女房が嫌がるのも無理はない。でもギャンブルとはそんなものだ。しかし、ギャンブルを死ぬまでやる人はいないのも、また事実。


ドル山積み

※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)


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クルージングの魅力と出稼ぎ


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 ハワイ諸島めぐりのクルージングがきっかけで、船に乗るのが癖になったのか、昨年は海上自衛隊の体験航海に応募、横須賀や清水に飛んで、護衛艦に乗った。水平線に向かってすべるように進む船での航行はいかにもダイナミックで、気持ちがいい。体験航海だから操舵室や船橋(ブリッジ)にも入れてくれる。「面舵いっぱーい」。海上らしいスマートな白の制服に身を包んだ自衛官が双眼鏡をのぞきながら前方を確認し、操舵室に運行指示を出している。肩と胸には階級章がついていて、それぞれの立場が一目で分かるようになっている。

自衛隊2

 面舵とは右旋回、これに対して取り舵は左旋回のことを言う。「いっぱーい」は30度のことをいうのだそうだ。つまり、船は左右30度の旋回が限度ということか。護衛艦は昔の駆逐艦。自衛隊は「駆逐」という言葉を避けているのだろうか。戦艦も客船も多くはタグボートを使って接岸したり、離岸する。しかし最近ではこのタグボートを使わすにすむ機能を備えた船が増えているのだそうだ。


自衛隊3

 護衛艦と客船は目的が異なるから、もちろん見た目も中身も違う。性能は別にして、双方ともレーダーを積載、船橋や操舵室もほぼ同じだろう。当然のことながら根本的に違うのはミサイルなどの搭載。外観の色も違う。客船が極めてカラフルなのに対して護衛艦は相手の視界から見えにくいメタリック色だ。呼称は異なるが、客船でもキャプテン(艦長)以下、幹部は肩、または胸に階級章を付けていて、担当別のクルーの指揮を執っている。

自衛隊5

 例えばレストラン。クルーは幾つかのレストランを日替わりで担当しているようで、あっちこっちで同じ顔ぶれに出っくわして顔馴染みになったりもした。そのクルーばかりでなく、全艦の乗務員に言えることだが、白人より東南アジア人が多いように見えた。主にタイ、マレーシア、フィリピン人のようで、中には黒人もいた。



 日本で言うバイキング方式の大衆レストランはともかく、テーブルに高級ワインやシャンペンを並べ、個々にメニューを渡し、前菜からメーンデッシュ、デザートまでオーダーを取るレストランで、もたもたする私たちに「ジャパニーズ?」と声をかけてきた。「イエス」とこたえると「おげんきですか?」「こんにちは」と、愛想よく片言の日本語で返してくる。グアムの出身だというその男はそのクルーのチーフで、数年前、東京のホテルで接客の研修を受けたという。「研修ではなく、一度は日本に行きたい」とも。



 東南アジア系のクルーといえば、ハワイの行き帰りの飛行機の中でも同じような現象を見た。日航機だったが、かつてはスチュワーデスといった客室乗務員のほとんどがタイ人だった。この人たちをリードする日本人のアテンダントに内緒で聞いてみたら、日航では10年ぐらい前からタイ人女性を採用しているのだそうで、さらにフリピン女性の採用を検討しているという。東南アジア系の採用は何れも人件費削減策に他ならない。ことの良し悪しは別に日本を除く東南アジア人の≪出稼ぎ≫範囲はあっちこっちに広がっている。そのみんなが、それぞれ夢を持って頑張っているのである。


海

自衛隊4



※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)



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クルージングの魅力

クルージング


 凝っているといったら、ちょっと大げさだが、今、クルージングにはまっている。3年前のハワイ諸島めぐり、昨年のアラスカクルージングに次いで、今度はマイアミからロス・アンゼルスまでの旅を女房と一緒に楽しむことにしたのだ。前2回は8日間だったが、今回は15日間である。クルージングは豪華客船の旅ということもさることながら、毎たび、ホテルを変えずに旅行を楽しむことが出来るのがいい。




 陸の旅だとバスや汽車で移動し,その行く先々でホテルを変え,あの重いトランクを持ち運ばなければならない。それに比べ船の旅だと、そのわずらわしさがない。しかもお客が眠っている夜の時間に目的地まで移動してくれる。決まった船室が旅の期間中のホテルであり、行動拠点である。面倒がり屋にはこんな好都合はない。


部屋

 船はざっと20万トン。収容人員は乗客数2,500人。それに1,000人の乗務員が乗り組んでいるのだそうだ。14階建ての船には3箇所のエレベーターホールがあって、それぞれ6基のエレベーターが稼動している。船の全長は300メートル近い。いってみれば、どでかいホテルが海に浮かび、太平洋を動いていると考えればいい。その大きさゆえか、少しもゆれないから快適だ。船酔いなどの心配は全くない。
船

 船の中には大小13のレストランをはじめ,1,500から1,600人収容できるシアターやボーリング場、大人も子供も一緒に楽しめるゲームコーナー、インターネットルームや静かに本を楽しめる読書室、子供専用の遊戯室や大人の遊技場・カジノもある。普通のホテルではロビーに当たる部分は7階にあって、8階まで吹き抜けになっているこの空間には、大小の豪華なソファーがアトランダムに並び、お客同士の待ち合わせや団欒の場となる。
船の中
 また様々な問い合わせに応ずる案内カウンターやドリンクコーナー、それに大型のスクリーンを見たり、歌や楽器のライブを楽しめるようゆったりした空間を演出している。夜のひと時ともなると、臨時の写真スタジオがお目見えして、気軽に記念写真を撮ってくれる。若者たちのグループや老若を問わず、カップルたちがお気に入りのコスチュームに着替えてやってくる。どの顔もみんな楽しそうだ。
ボーリング

 このロビーがある7階は主にシアターや読書室などの娯楽施設、それに大衆レストランなどがある。長い通路の両側にはバックや香水、時計、めがね、ネクタイ、男性、女性用の衣類など各種のブランド店やお土産品店が並んでいる。その通路の一角では、臨時のスタジオばかりではなく、レストランやロビーなどでプロのカメラマンが撮ったお客さんの写真が翌日には展示される。沢山のアングルの中からお気に入りの写真だけをチョイス出来る仕組みだ。

クルーズ3



 屋上には大小のプールがあって、家族連れや若者たちが水しぶきを上げている。ちょっと気温が下がる日には温水に代わる。プールサイドには沢山のビーチチェアが置かれ、人々はサングラスをして日光浴を楽しんだり、透けるような青空の下で読書を楽しんでいた。ドリンクコーナーもある。


ジム

※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)



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日本人米軍属の母国進駐

浜辺


 海面はいつも波静かだった。遠くからだったかもしれないが戦艦の姿は一艘も見えず、どこにでもありそうな平凡なクリークでしかない。旅行中、その真珠湾を見下ろす高台の住宅街に滞在中、直感的に頭をよぎったのはあの日本軍の奇襲作戦だ。真珠湾は日米開戦、そして第2次世界大戦の口火を切った舞台である。1941年、昭和16年12月8日の出来事である。私が生まれる1年前のことだ。この事実を知らない日本人も、またアメリカ人もいないだろう。日本とか、アメリカではなく、世界中の衝撃だったはずだ。



「当時、僕は19歳。まだ兵役していなかつた。その日は日曜日の朝だった。真上を何機もの飛行機が飛んだ。一瞬はなんだか分からなかった」




ハワイ滞在中いろいろ面倒を見てくれた従兄弟は私と20歳違いの85歳。れっきとした日本人だが、ハワイ生まれで国籍はアメリカ。2歳違いの日本女性と結婚、今は、もちろん成人した1男1女と、孫4人が近くに住んでいる。夫人はかつて松竹映画の女優として活躍した人。83歳とは思えないほど若く、美しい。とんちも効いた秀才型の女性だ。結婚式の写真には小林桂樹や今は亡き船越英二らの若き日の姿があった。



銀髪に染まった頭に手をやりながら従兄弟は複雑な思いの戦争について話してくれた。



「戦後、マニラやシナを経て日本に進駐した。軍属、もちろんアメリカ軍だ。横浜で船を降り、東京に向かった。見渡す限り、一面の焼け野原だった。真っ先に探したのは、上野桜木町の実家。戦争前、日本に帰っていた親爺とおふくろは私の顔を見てビックリ仰天した。甲府にも行った。ここも鉄筋のビル(松林軒)が一つ、ポツンと焼け爛れて残っているだけで一面の焼け野原だった。薄汚れた衣服を着て、すすけたような顔の中に二つの目だけが鋭く光った少年たちがチュウインガムやチョコレートをほしがって集まって来る。あっちこっちで、そんな象徴的な光景に出っくわした」



相次ぐ空襲、果ては広島、長崎への原爆投下。見る影もなく叩きのめされた日本。住まいはおろか今日のメシにも事欠く人々。それが母国・日本の姿だった。れっきとした日本人の血が流れながら、全く立場を異にした米軍としての日本進駐。同じ日本人だから、その心の複雑さは十分すぎるほど分かる。言葉に言い尽くせぬ切なさを味わっただろう。



5年ぐらい前、やはりハワイを訪れたとき、その従兄弟は真珠湾に浮かぶ戦争記念艦・アリゾナ号に案内してくれた。日米開戦を象徴する、あの真珠湾攻撃の放火を浴び、その日の出来事をつぶさに見ていたアリゾナ号。今なお、この船の底から流れ出る油は不気味だった。あの忌まわしい第二次世界大戦をもたらした66年前の出来事を「真珠湾は忘れないぞ」といっているようであった。



昭和17年11月19日。いわゆる戦中生まれの私も今年66歳になる。わずか3歳足らずでの戦争体験。田舎に住んでいたせいか、記憶は全くない。いわゆる戦争を知らない子供たちである。忌まわしい戦争がどんどん風化されてゆく。その真珠湾と目と鼻の先にあるワイキキの浜辺ではナイスバデイの日本の若者たちが波に戯れ、はしゃいでいた。
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真珠湾が見える丘


ハワイ家2

 アメリカ旅行でハワイ滞在中は従兄弟の家にお世話になった。そこは真珠湾が見下ろせる閑静な住宅街であった。それぞれかなりのスペースを持った住宅はいずれも平屋建て。上手に区画整理されていて、街路も広く、圧迫感が微塵もない。のどかな感じを受ける。申し合わせたようにそれぞれの家には木で出来た自動シャッター付きの車庫がついていて、屋根は瓦ではなくブロックの木造りである。木造りのシャッターはどこの家も格子模様だ。




 平屋建てと併せて屋根に重量感がないのも街全体に圧迫感を感じさせない理由かも知れない。木のブロックを重ね合わせた屋根は雨の音をうまく吸収してくれるようだ。時々スコールのような雨が降ったが、少しもうるさく感じなかった。

 

ハワイ家


 これも申し合わせたように庭には刈り込み形の植木が幾種類も植栽してある。平屋建ての住宅との調和のためなのか大きな樹木は植えていない。玄関ドアを開けて中に入ろうとすると、従兄弟から「待った」がかかった。靴は外に脱いで家に入るのだそうだ。少なくともこの住宅街の家のつくりは同じだが、みんなが玄関の外で靴を脱いで入るのではない。従兄弟夫婦は日本人。欧米人のように外と内が土足の生活様式ではない。そんな詳しい説明はしなかったが、頭ではすぐうなづけた。でも、その違和感は滞在中ずっと消すことは出来なかった。ちょっと改良したらいいのにと思ったのは一緒に行った女房も同じだろう。玄関に上がりかまちがないのだから靴は外に脱ぐしかない。





 車庫はどの家も車2台が入るスペースを確保しているが、家の前の道路にはそこに入り切れない車が止まっている。夕食後、散歩がてら広い住宅街を20分ほど歩いてみた。何気なくそれぞれの家の前に止まっている車をみているうちにその車種を調べてみたくなった。結果は何とここでは90パーセントが日本車だった。ちなみにトヨタ車が大半を占めた。



車中

 ハワイには定期バスはあるが、鉄道も地下鉄もない。だから日本の田舎のように車がなければ1日とて過ごせないのである。一家に2台、3台はあたり前。成人の数だけ車を持たなければならないから、その量が多いのは当然だ。この国の車の所有率はすごく高いだろう。朝夕のラッシュ時は日本と同じようにすごい。ただ日本と違うのは道路が10車線、12車線と広いからまさに車の洪水だ。その解消策かどうか分からないが、時差出勤を採用している企業が多いのだそうで、朝4時、5時に出勤するサラリーマンも多いという。組合が強いこの国のこと、きっちり8時間労働だから帰りも早い。午後1時、2時には帰宅しているサラリーマンも多いのだ。




 ハワイは小さな島の集まり。アメリカ全土で見た場合、国土が広いから鉄道や地下鉄、それに定期バスをくまなくネットワークするわけにはいかない。車産業が発達したゆえんがそこにあるし、車がなければ一日も過ごせない現実がそこにある。ただ、この車産業、トヨタやホンダ、日産、マツダ、三菱など日本車に40パーセントのシェアを取られ、さらに追い上げられているのだから心中穏やかではないだろう。現に経営危機に陥っている有力メーカーも出てきているという。さてオバマ大統領はどんな救援策を取るのだろう。

※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)




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日本車が自動車王国を席卷

車

 約20日間のハワイ、アラスカ、ヴィクトリア、シアトルの旅を終えて日本に帰ったら、ちょうど、その日の新聞はトヨタ自動車のアメリカでの売り上げダウンと販売計画の修正を伝えていた。アメリカ経済の落ち込みが原因の一つらしい。




 トヨタ社の販売計画の修正はともかく、私は20日近くの旅でアメリカにおける日本車の多さに正直ビックリした。トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、三菱、いすず。片側1車線、2車線の日本と違って、5車線、6車線と道路の構造こそ違え、そこを埋める車を見る限り、日本の国内を走っているような錯覚に陥りもした。




それもそのはず。シアトルで聞いたガイドの説明では全米の日本車の占有率は40パーセントを超すのだそうだ。ハワイでは日本車はもっと顕著で、完全に逆転しているように見えた。日本車に混じって、アメリカの国産車やベンツ、BMW、アウデイなどの外車が走っているようにすら見える。




そのタイプというか大きさも日本車とほとんど同じ。その昔、羽根を後ろに広げたような大型で、デラックスなアメ車は1台も見られない。日本で時々見かけるそのキャデラックやフオードなどの存在がむしろ不思議なくらいである。ただトラックのタイプは日本とちょっと違う。日本のトヨタ車などもアメリカ車に合わせているようで、いかにもゴツイ。広い国土がゆえに、長距離を走らなければならないからだろうか。




キャデラックやフオードなど大型のアメリカ車が姿をけす一方で、顕著なのは日本のような小型車が走っていないことだ。したがってここでは小型車という区分すらないのだそうだ。これとは対照的に数年前に行ったフランスでは小型車のオンパレードであった。シャンデリゼ通りや凱旋門などまで小型車であふれていた。原油高は進む一方。アメリカも小型車時代を迎えることは間違いない。いかに道路が整備され、自動車の国といっても庶民は原油高には勝てないだろうし、はしこい日本の自動車産業はこの機を逃すまい。

シアトルの道路

 もう一つ車の色だ。日本では落ち着いた、というより汚れにくいといったほうがいいかもしれないが、白が多い。しかしここでは赤、青、黒、黄色、もちろん白もあるが、きわめてカラフルである。両側で10車線を超す日本では高速道路並みの道路が立体で、縦横に走る。カラフルな車の広い帯は周囲のビルや木々の緑と見事に調和していた。すべて一般道のこの道路の制限速度は日本の高速道路並みである。



 自動車王国アメリカ。これに対して日本はいわば後進国。日本がボツボツ車社会に突入しょうとしたのは昭和40年前後だろう。それを照明するような歌がある。昭和39年(1964年)に発売された小林旭の「自動車シヨー歌」がある。その歌詞にはトヨタ,日産など日本車を盛り込んでいるが、パッカード、シボレーなどアメリカ車のウエートが大きく、ベンツ、ジャガーなど英国、ドイツ車の群を抜いている。アメリカが栄光の時代であったことは間違いない。それから40年を過ぎた今、日本は、その座をアメリカと変わろうとしているのである。

※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)


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ハワイと8の因縁

 ハワイ王室最後の女王の婿となったビショップ氏の冠がつけられたミュウジアム(博物館)の建物は威厳をも漂わせる見事な建築だ。その年は1889年というから日本の明治中期である。中身も2,400万点をも所蔵、当時のハワイ原住民の生活や風俗、習慣が一目で分かるよう気を配っている。


ミュージアム

 ハワイの原住民には生活の中に文字というものが無かった時代があった。カメハメハ大王の後を継いだ2世の王(カメハメハの息子)は、このことを憂い、12の文字からなる言葉を作った。いわゆるハワイ語である。アルハベットが26字だからその構成は極めて少ないが、人々に文字による言葉が初めて生まれたのである。3世(2世の弟)は土地を住民に解放する一方、コイン(通貨)や切手を発行、ホノルルをハワイの首都に定めた。


 こうしてハワイ王朝は国家としての体裁をだんだん整えていくのである。さらに4世(3世の甥)は病院を作り、5世(4世の兄)は日本と平和条約を締結して外交への足がかりを作った。6世は老人ホームを造り、7世はサトウキビ農場を奨励して住民の経済基盤を確立したのである。特に7世は平和条約を足がかりに日本の皇室との縁組を提案している。しかし、この提案は実らず、8世の民間アメリカ人迎え入れにつながっていく。そのころ日本の天皇家がハワイの皇室と縁組をするはずがない。





 王を王室だけで継承したのは5世まで。6世から議会から選ぶ、いわゆる公選制にしたのである。血縁による婚姻から起きる弊害で王位の継続すらままならないハワイ王朝の裏側が透けて見える。例えば2世の兄から王位を継承した3世は、若干10歳であった。



海

 ビショップ・ミュウジアムのエントランスホールには、左側にハワイ王朝最後の女王8世の肖像画が、右側にその婿ビショップの肖像画が大きく掲げられ、その右側の大きな部屋には威厳と威儀をただしたカメハメハ大王から7世までの肖像画が展示されている。エントランスをはさんで右側、さらに2階、3階の大きな展示ホールにはざっと2,400万点といわれるハワイの歴史、文化、自然にかかわるコレクションが並んでいるのである。その一つひとつにハワイと南太平洋諸島の逸話をはらんでいることは言うまでもない。


ミュージアム2
 

 8という数字。ハワイ王朝8人の王が統治したハワイ諸島8つの島。その統治期間が98年、その終焉、つまりアメリカ合衆国入りの年が1889年みんな8絡みなのである。そしてハワイの州都ホノルルの人口は、今80万人だ。




 ホノルルを中心にハワイには日系人が多い。ひところ3分の1を占めるといわれたが、最近やや減っているという。それにしても、これほど日本の影響が大きい島も世界にあるまい。現に、私たち夫婦がお世話になっている真珠湾が望める高台・ローヤルサミット近くの丘には従兄弟夫婦が暮らしているし、ブログ仲間で、いつもネットを通じて交流させて頂いているマダムさんも、このハワイのどこかにお住まいだ。

ハワイ景色


 ここでは、私のように英語がヘタな人間でも苦にならない。日本語で通じるからで、こんな便利な島はない。無理して英語をしゃべらなくてもいいからだ。

                                                       ※(再掲載=クルーズ船の旅シリーズ)





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クルーズ船のマジック

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 世界のクルーズ船は、大型化の傾向にあるという。背景にあるのは、それへの人気に他ならない。コロナ騒動に巻き込まれて日本へ寄港したあの「ダイヤモンド プリンセス号」ショックも世界的には何のその、らしい。


 多くの船の規模は全長で200m、300m、高さで14階、15階建ては今や普通。ただ、船会社にしてみれば、需要があるからと言って、むやみに大型化に踏み切れない理由もあるのだそうだ。船を受け入れる港側の対応が間に合わないからで、実際には«頭打ち»という。
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 広さはもちろんだが、問題は港の水深。十分な水深がなければ、船はお腹を擦ってしまうし、安全であるはずの停泊地で「座礁」の憂き目にも遭いかねない。そんな事故を防止するためにも、須らく港が持っていているのが自前のパイロット。




 分かり易く言うと、寄港を求める、いかなる船の船長といえども勝手には入港も出港もさせない。船が入港する時にはどの港も自前のパイロットを沖合まで出して船に乗せ、港に入れるのだ。出港も同じで、沖合に船を出す。万一、事故でも起こされたものなら、その瞬間、港としての機能を失う。損害は言わずもがな。港の安全確保は港湾労働者の掟でもある。

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 言い換えれば、パイロットとはそれが仕事。航空機の場合、船のように途中の乗り換えや乗り降りが出来ないので、離陸から目的地着陸まで全ての操縦を担当するのだ。パナマ、スエズなど世界には多くの運河がある。この運河の航行も同じ。ここでも、それぞれの運河のパイロットが運航を担う。「勝手知ったる…」で、港のそれと理屈は同じ。




 大西洋―パナマ運河―中南米―太平洋の旅(15日間)でパイロットの«妙技»を見たことがある。船の両側が、僅か1mにも満たない運河の隙間を見事に通してしまうのだ。まかり間違えば、船ばかりでなく、運河そのものを壊して、後に待機する船の航行を麻痺させてしまうのである。大型化は、お客の需要ばかりではなく、港や運河との相関関係があるのだ。

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 日本へのクルーズ船寄港が少ないのは、実は港の構造にあるという。大型のクルーズ船を呼び込むには、それへの抜本的な対策を講じなければならない。乗員を含めて、一度に3,500人から4,000人近いお客さんを運んできてくれるのだから観光産業に与える影響は半端ではない筈だ。




 この、国を跨いでのお客さんの往来はIDカード一枚。飛行機のそれと違ってパスポートは一切、関わらない。経済活動や人の往来を自由にしているEU圏ならいざ知らず、IDカード一枚で全てがOK。不思議なことに乗船時に作ってくれる、このIDカード一枚がありさえすれば、あの税関や検疫の煩わしさもない。クルーズを終えて下船するとカードが効力を失うだけで、航空機の場合のパスポートと違って「記録」もあとに残らない。




 例えば、私たちが成田を飛行機で出発、米・ロスアンジェルスからクルーズ船に乗り、メキシコやウルグアイ、パラグアイ、パナマなどの中南米、チリなど南米を回って再びロスに戻ってもパスポートには何の記録も残らないのだ。ミステリー小説ならトリックのネタにも十分使えそうなクルーズ船のマジックである。

 ※次回から12月にかけて「海の旅」をテーマに過去のクルージングの記事を再掲載して特集します。全てが≪再掲載≫です。




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クルーズ船の魅力

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 前回にも言ったようにクルーズ船は、«ものぐさ人間»にはうってつけだ。「午前零時までにスーツケースなどの荷物は部屋の前の廊下に出しておいて」とか「明日の出発は○○時。30分前にロビーに集合」と言った煩わしい注文が一切ない。着替えなど乗船時に持ち込んだ荷物は、それが何日間のクルーズであろうと、下船時まで箪笥の中に入れて置けばいい。クリーニングだって何時でもしてくれる。バスや鉄道、航空機などの乗り換えの煩わしさも一切ない。




 移動は主には夜。寝ている間に動いてくれるから、時間の有効性もある。ツアーは寄港地からのバス。幾つものメニューが用意されているので、お好み次第。好みや、その日のコンディションで自由に選ぶことが出来るのだ。もし、体調が悪ければ、自分だけ船に残って船内で余暇を楽しんでいればいい。図書館もあれば、映画館やバスケットボールのスローイングなどの軽スポーツ、国や州によってオープンが異なるが、カジノだって楽しめる。

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 船の中には、多彩な施設が整っているので少なくても退屈はしない。夜は2000人以上が入れるシアターが日替わりで上演される。ただ、私のように英語に弱い人間には困ることも。とりわけ、トークのテンポが速いコントなどは全く聞き取れないのだ。会場いっぱいの笑いを生んでもチンプンカンプン。これ、笑い事ではありません。




 船の構造は、下から機械室や食材などの貯蔵庫、クリーニングなどの洗浄施設や乗務員用の居室。客室は4階、または5階かららしい。主には7階から上のようで、上に行くほど料金が高くなる仕組みだ。6階は大抵、シアターやカジノなどの遊興施設。ダンスを楽しめる大きなホールも。船は下に行くほど揺れが激しくなることをご存知?

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 ハワイには8つの島がって、「ハワイ8島」というのだそうだ。しかし、その中には無人島や個人所有の島もあってクルーズ船が立ち寄るのは、そのうちの5つ。州都・ホノルルがあるオハフ島、それにマウイ島、マルカイ島、ハワイ島、カウアイ島だ。カウアイ島は映画「ブルーハワイ」や「青の洞窟」でも有名な島。ハワイ島は、ハワイ諸島の中でも最も大きい島で、クルーズ船は2か所、2日にわたって寄港する。元祖・カメハメハ大王の銅像もある。




 タミー夫妻、とりわけタミー夫人との出会いは«英語音痴»の私たち弥次喜多夫婦にはこの上ない福音であった。日本人が乗っていないから、それへのサービスがない船内の諸々の不都合の助けや、旅先での解説、例えばカメハメハ大王が築いたハワイ王朝が8代で滅び、米国50番目の州になった経緯(いきさつ)、血族結婚の弊害に気付いた王朝が日本の皇室に縁組を求めたこと、夫妻が住むネバダ州のラスベカスは、元々は砂漠で、その昔、100㎞も先から水を引き、世界のラスベカスを築きあげたアメリカ人のパイオニア精神など、など。

船上

 当時は60代ちょっとだったナイスバディのタミー夫人も今は70代の半ば。ネバダ州で、日本の自衛隊と違って退職後も生活面の優遇措置があるという米国にあって悠々自適の生活を送っているに違いない。「この拙ブログを読んでくれれば…」。でも日本語バージョンがないからダメか…。(次回に続く)




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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