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アキレス腱

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 へえ~、こんな所に。女房と連れだってのアドリア海・エーゲ海クルーズ。船が案内してくれたゴルフ島でアキレウスの像を見た。「アキレス腱」の語源になったアキレウスの像だ。ゴルフ島は同じギリシャでもエーゲ海の島々とは雰囲気を異にした島。


 
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 古代、中世から19世紀に至るまで、東地中海の海上交通の要衝として歴史の表舞台にも登場した島である。オーストリアの皇后・エリザベートが愛し、頻繁に訪れた島としても知られ、エリザベートの夏の離宮・アヒリオン宮殿やギリシャ正教会の大聖堂・聖スピリドン教会などでも有名。


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 アキレウスの像はエリザベートの夏の離宮・アヒリオン宮殿の裏庭のような所にあった。小高い丘のような所なので、そこからは周囲に海も見える。アキレウスの像は、そんな海を眺めるように建っていた。


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 そのアキレウスの像を眺めながら、ふと、二人の仲間の顔を思い浮かべた。


 「アキレス腱が切れる時の音というのは凄いんだよ」


 10年以上も前の話だが、高校時代の同級生がそんな話をした。シニアの仲間達がサッカーの試合をしていた。「バシっ」という鈍い大きな音がしたと思ったらイレブンの一人がピッチに倒れ込んだ。左足のアキレス腱を切断してしまったのである。その音は試合中のみんなに聞こえるほど大きかったという。


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 アキレス腱を切ったのも同じ高校の同級生。二人とも日川高校が山梨県高校サッカーの王座、または、それに準ずるポジションに君臨していた時代のエース級。一人は全日本チームの選手にも選ばれた。二人とも教育大(現筑波大)や日体大に進んで教員に。山梨県の高校サッカー指導の先頭に立った。




 アキレス腱を切った横森巧氏は教員時代、韮崎高校を山梨県の覇者に育て、全国の頂点を目指す国立競技場に導いた。あの中田英寿を育てたのもこの男。退職後は請われて山梨学院高校の監督になり、無名の同校をやはり国立競技場に導き、全国制覇を成し遂げたのである。そんな横森氏や高校時代、全日本チームへはせ参じた三枝志郎氏(旧姓広瀬)は、教員時代はサッカーのクラブチーム「甲府クラブ」のメンバーだった。同クラブは今でこそJ2に降格しているが、そこへの復帰を狙う「FV甲府」の前進である。アキレス腱切断、というアクシデントに見舞われたもののサッカーを楽しんでいたのは、そんな往年の選手達である。



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 アキレウスはギリシャ神話に登場する英雄。トロイア戦争で活躍するが、敵のハリス王に弱点の踵を射貫かれ、これが原因で、命を落とすのである。この伝説からアキレス腱は「致命的な弱点」の代名詞に。そもそもは王妃である母親が我が子を不死身の肉体にしようと赤子の頃、冥府の川に体丸ごと漬けるのだが、母親が掴んでいた踵が水に浸らず、踵の部分だけが生身のまま残った。


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 因みにアキレス腱を切った男・横森氏は、そんなことがあったことがウソのように70歳になろうとしている今も山梨学院高校のサッカー場に立っている。

 (横森氏は、現在は78歳。同校サッカー部の総監督を務め、先の全国高校サッカー大会でチームを2度目の全国制覇に導いた)



※再掲載=「クルーズ船の旅」シリーズ」
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アクロポリスの丘

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 これが財政破綻の国? そう思えるほどギリシャの首都・アテネ活気に溢れていた。もちろん国家財政の破綻が街の表情にそのまま反映するものではないことは分かっているが、短絡的というか、瞬間的にそう思った。




 国会議事堂前のさもない公園を囲むように軒を連ねる商店街は、たくさんの人を飲み込み、タクシーやマイカー、営業車の往来も激しかった。時計はまだ午前9時を少し回ったばかり。国会議事堂を中心にしたこの付近は最近、日本の茶の間でもテレビニュースとして登場して来るのでお馴染み。政治の混乱、住民生活の不具合やシワ寄せに抗議する相次ぐデモの場面である。その財政危機はEU諸国・経済圏にとどめず、身近な日本にまで円高などの形で影響を及ぼそうとしているのだ。


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ギリシャの国会議事堂前


 ギリシャの国会議事堂周辺は、霞ヶ関の官庁街を従えた永田町、つまり、国会議事堂や首相官邸など日本の政治の中枢の有り様とは、大きく違っていた。



 「あそこに立つ衛守は、ギリシャ警察のエリートなのです」


 エクスカーションのバスガイドは、国会議事堂玄関口の両脇に立つ衛守を指さしながら言った。そこに立つ衛守は、全て身長190㎝以上だという。そんな余談を聞きながらバスは、そこから目と鼻の先とも言えるアクロポリスの丘へ。私たちの知識でもお馴染みのアクロポリスの丘に立つ神殿は、アテネの市街地からも望むことが出来る。


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 もちろん、これも世界遺産だ。ユネスコ(UNESCO=United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization=国際連合教育科学文化機構)のマークでもお馴染み。皆さんに笑われるかもしれないが、ここで気づいたのは神殿の柱が6本(U・N・E・S・C・O)ではなかったことだ。

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 「あれねえ、UNESCOの頭文字6本になぞらえただけ。実際の柱の本数は8本だったり、17本だったりするのです」



 たわいもない質問に現地ガイドさんは、こんな説明をしてくれた。小高い丘の上に建つ神殿跡は、やはり地震で壊れ、復元作業中。その作業ぶりは日本人ではおよそ考えられないほど、のんびりしていた。その日に訪れたオリンピア遺跡もそうだし、もう10年ぐらい前に訪れたスペイン・バルセロナのサクラダファミリア建設作業もそうだ。何百年計画で建設したり、復元したりする西欧人の胆の長さに敬服どころか理解に苦しむのである。せっかち人間は困ったものだ。


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 ギリシャの古代遺跡は、みんな大理石の建造物。そういえば、この国は古くから大理石の輸出国。日本の建造物にもギリシャの大理石が使われている。アクロポリスの丘から遙か向こうに、その採石場が見える。



 恐らく5キロ以上、10キロ近くもあるのだろう。そこから大理石を切り出し、この丘まで運び上げ、壮大な古代都市を作り上げた人たち。全てが人力だ。古代ギリシャの人たちに果てしないロマンを募らせた。(次回に続く)



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フォーマルナイト

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 女性はイブニングドレス、男性もフォーマルスーツに身を整えてやって来る。カジュアルウエアでのエクスカーションとうって変わってディナーを含めた夜の時間は、乗客達は気分も雰囲気も異にするのである。女房も“それなりに“お洒落してフォーマルな世界に。私? 根っからの田舎者だからわざとらしく着替えるのは嫌。“失礼にならない程度”で済ます。




 クルーズでは「フォーマルナイト」の習慣がある。今度の地中海クルーズで、お世話になった「コスタ パシフィカ号」のケースでは8日間の期間中、2回。レストランでの食事、免税店での買い物、シアターでのショー、カジノでの遊び、ラウンジやバーでの語らい…。乗客達は思いっきりお洒落して船上での夜を楽しむのだ。


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 船が訪問先の港に着き、エクスカーションに出掛けてしまう日中とは違って、いっぺんに船の中は華やいだ雰囲気になる。ざっと3、500人の乗客が、みんな思い思いに“船の中の街”に出て来るのだから免税店が並ぶ通路も、どこもかしこも混雑するに決まっている。ベッドメイクや洗濯、厨房など船の裏方さんを入れれば、この船の乗客乗員は5、000人近い。




 もちろん、この裏方さん達は、レストランやバー、ラウンジ、カジノのデーラーなど管理的な立場にある者以外は表には出てこない。船の中の“街”はお客達の舞台であることは言うまでもない。男子はタキシードに蝶ネクタイ。女性はワンピースのイブニングドレス。その二人が仲むつまじく腕を組み、“街”を歩く。欧米人は体が大きく全体にスマートだから“さま”になるのである。



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 そんな見方をしていること自体、気劣りしている証拠。私たちばかりではない、ある年齢以上の日本人には少なからずある欧米人に対するコンプレックスであり、“位負け”か。とはいえ、日本人だって負けてはいない。私たちのツアーグループのご婦人の中には和服を見事に着こなして登場。堂々と振る舞って見せた。一緒にいる者としても嬉しくなった。




 欧米人のイブニングドレスと違って和服はスーツケースの中でガサ張る。その努力に敬意を表す一方で、日本人女性がみんなそんな気持ちになったら日本の着物文化をアピール、文化交流の絶好のチャンス、などと真面目くさって考えてもみた。



 「お前達、夫婦はどうしたって?」


 そう、私たち田舎者夫婦の出発一週間前の会話。


 「お父さん、フォーマルナイトの服装、何にしたらいいの」


 「勝手にしろよ。そんなもの、何でもいいんだよ。荷物が多くなるばかりじゃないか」


 「お父さんは、そんなこと言うけど、女性はそうも、いかないのよ。全く野暮天だから」


 フォーマルナイトには、通路のちょっとしたスペースやラウンジの階段付近に臨時の写真スタジオが。フォーマルスーツに身を包んだご夫婦や恋人達は、そこで思い思いのポーズで記念写真に収まるのだ。写真屋さんも手慣れたもの。翌日、展示コーナーに並べられたそのポーズ、出来映えを見るとつい手が出てしまうのである。(次回に続く)



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日本人サービス

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 その船には、二つの日本人グループが乗っていた。一つは私たち「クラブツーリズム」の20人、もう一つは「JTB」の23人。乗客は、ざっと2,500人だから、日本人の数は全体から見れば、ほんの僅か。1・7%に過ぎなかった。この二つの日本人グループ、大きな船の中なので、ほとんど顔を合わすこともない。旅行社が違うので自ずと行動のプログラムが異なる。船の中では、どこかに部屋を取っているのだが、寄港地でのエクスカーションも、まちまちなのである。


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 それでも朝、昼、晩の食事時のビッフェやレストランでは時々、顔を合わすことがある。


 「どちらからいらしたんですか?」


 「東京です」


 「どちらの旅行社で?」


 「JTBです」



 外国人ばかりの中にいると、なぜか日本人に出会うとホッとした気持ちになるのだ。ここでは「外国人」と言う表現は当たらない。私たちだって外国人だ。ほとんどが欧米人で、これまた、なぜか中国人や韓国人はいなかった。東南アジア人もだ。



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 わずか43人とはいえ日本の旅行社がエントリーしているせいか、この船ではあちこちに日本人向けのサービスが。「JTB」は少なくとも日本の旅行社の大手。「クラブツーリズム」も近畿日本ツーリストの子会社だ。そんなことはともかく、日本の旅行社がお客を連れて来ている以上、船会社だって、それを無視するわけには行くまい。販路拡大の下心だって?




 例えば、乗務員の中にわずか一人だが、日本人の職員をおいていた。世話役であり、諸々のガイド役なのだろう。レストランでは、英語やイタリア語に日本語を併記したメニュー表を用意してくれていた。



 「Please Japanese Mene  (日本語のメニュー表をくれ)」


 この一言で、ウエーターやボーイは分かり易いメニュー表を持ってきてくれるのである。乏しい語学力でメニュー表とにらめっこ、“翻訳”をしなければならない煩わしさや、オーダーの失敗もない。


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 「お父さん、この方が楽だわよねえ」


 私たち山梨からの弥次喜多の相棒・女房の喜多さんが言うように外国旅行の場合、よほどの語学力に自信がない限り、日本人ツアーで旅行するに限る。



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 これまでのクルーズ(ハワイ島巡り、アラスカ、大西洋―パナマ運河―太平洋)では、怖い者知らず、直接、米国のツアーにエントリーしてしまった。いずれの船にも日本の旅行社はおろか、日本人は誰も乗っていないものだから、船会社も日本人に対するサービスだって考えっこない。



 山梨の田舎者・弥次喜多夫婦の戸惑いは、想像していただけるだろう。それに比べれば至れり尽くせりの日本からのツアーは楽だ。ただ緊張感はない。後になればだ。(次回に続く)

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テレビの録画と棚ざらしのCD

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 お天気が悪く、畑にも出ることが出来ないし、さりとて出かける所もない。コロナ禍は、緊急事態宣言の発出の如何(いかん)を問わず、人々の足を止めた。誰もが心理的にも外出をためらうのである。



 「お~い、なにか(テレビの)面白いビデオ、録ってないか!」




 台所で、昼餉の後片づけをしていた女房に声をかけた。どうせ、この時間、テレビは、どのチャンネルも「ワイドショー」とやらで、コロナ一色だろう。≪もっ繰り返し≫のコロナの話題は正直言って、もうウンザリだ。第一、心が暗くなる。


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 「そんなこと(リモートの操作)、ご自分で、おやりになればいいのに…」


 濡れた手をエプロンの裾で拭きながら、ブツブツ独り言を言いつつも慣れた手つきでテレビのリモコンを。女房は、そんなこともあろうと、いつも「相棒」などのテレビドラマや洋画、邦画を問わず≪私好み≫ものを録画しておいてくれるのだ。「お父さん、好きでしょう。『OK牧場の決闘』、録っておいたわよ」。懐かしい西部劇だ。 しばらくして、また…。



 「お~い、コマーシャル飛ばして(先送り)くれよ」



 「まったく~」。ここでも、ブツブツ言いながらもリモコンでコマーシャルの先送りを。無理矢理の先送りに一抹の後ろめたさがないでもないが、録画は便利。それにしても一つの番組に仕込まれているコマーシャルの、何と多いことか。女房が先送りしてくれる回数から、改めて実感した。少なくとも全体の3分に1はコマーシャル?と思えるくらいだ。




 ともあれ、録画の機能はありがたい。そん時、今では自他ともに認める「縄文大工」の雨宮国広氏(山梨県甲州市塩山)からこんなメールが。


雨宮国広 (3)


 「『所さんの目がテン 縄文時代の丸木舟作り』というテレビ番組(日テレ・朝7時)で(1月)17日、24日、31日の3週連続、私の丸木舟づくりが放送されます。是非ご覧を」

所さん (1) 
  


 「縄文大工」の雨宮さんは自らも≪縄文人≫になり切って?の生活を試み、自ら作った丸木舟で太平洋への漕ぎ出しを試みるなどユニークな男。先頃は平凡社から縄文大工を題材にした本も上梓した。雨宮さんが言う番組の録画を女房に委ねたことは言うまでもない。

雨宮国広★ (1) 




 一方、似て非なるCD(コンパクトディスク)。私の本棚の片隅には沢山のCDが重ねてある。大きな声では言えないが、中身を見たことがない。ざっと50枚ぐらいあるだろう。何時かは見る書籍の≪積ん読≫と違って、全く見ることなく、いただいた時のまま埃を冠っている。費用対効果の面からも「無駄の産物」と言ったら叱られる? みんな、お金が掛かっているCDだ。




 インデックスから多くは企業や団体の記念行事など。それなりに≪当事者≫にとっては意義深いものに違いない。私が所属しているロータリークラブも創立50周年を記念して、実行委員会が、そのCDづくりを進めている。50年の歩みや記念事業を収録しようというものだ。

 確かに、動画でまとめることは、記念誌と違った意義がある。でも、そのCD、果たしてどれだけの人が見てくれるか、と考えると、甚だ疑問。少なくとも、録画の映画やドラマのように好んで見たくなる性格のものではないことだけは確かだ。もし、雨宮さんがCDを作ると言ったら「そんなこと…」と言うだろう。







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新婚旅行

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 私たち山梨の弥次喜多夫婦が参加させていただいた日本からのツアーは、総勢20人。旅行社「クラブツーリズム」の添乗員・Fさんの誘導で、7泊8日のアドリア海・エーゲ海クルーズを中心にした12日間の旅を楽しんだのである。クルーズは空路でイタリアに飛び、そこからの発着だ。

 秋田の方もいれば、仙台や東京、横浜、つくば、金沢や福岡の方も。顔ぶれは全国からで、私たちのように70歳を前後したシニアの夫婦4組と、やはりシニアの女友達、母娘連れ、それに4組の新婚カップルだった。




 みんな二人連れ。大まかに言うなら職場をリタイアしたシニア達と新婚さんの道中でもあった。親子以上に離れたジェネレーションである。


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 「お父さん、私たちの世代の新婚旅行と、えらく違うわね。ヨーロッパ、それも船旅なんて考えも及ばなかったよねえ…」



 「そうだよなあ~」


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 女房は、何事にも溌剌と行動する新婚カップルを横目にしみじみと言う。



 「お前と結婚、新婚旅行をしてから、もう40年以上、経ってしまったんだよなあ~」



 言葉にこそ出さないが、そんなことを思い出した。娘も40歳を過ぎた。


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 私たちが新婚旅行をしたのは昭和45年1月。この年は、作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で、衝撃的な割腹自殺を図った年である。一人娘が生まれたのは、その前の月の10月であった。




 そんなことはどっちでもいいのだが、新婚旅行の行く先は南紀白浜。もちろん、この時代、外国への新婚旅行など考えられなかった。後に、ロータリークラブの懇親の場で、お酒を酌み交わしながら話してくれたロータリアン氏はこんなことを言った。




 「私はねえ、ささやかに挙げた結婚式の後、『やっぱり、新婚旅行ぐらいはしなきゃあいかん』と、思いつきで国内を旅行した思い出がありますよ。その時は、結婚式に出席してくれた仲間まで着いてきて…」


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 この方は私より6~7歳、お若い方。「トリスを飲んでハワイに行こう」。テレビからはそんなコマーシャルが流れ、ハワイへ行くのがステータスの時代だったのである。「ノーキョーさん」などといった言葉が出てきたのはその後。小金を蓄えながらも外国旅行などしたことのない農家の人たちが、添乗員の掲げる小旗を先頭に懸命に歩く様。




 とにかく、遅かれ早かれ、そんな時代だった。私の新婚旅行は車。皇太子(現天皇)のご成婚、東京オリンピック、大阪万博…。日本が高度成長へ走り始め、モータリゼーションと言う言葉が生まれた頃でもあった。車は女房が持って来てくれた嫁入り道具の一つ。


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 たまたまかもしれないが、私たち20人のツアーのうち8人が新婚さん。「年休にゴールデンウィークの休みをくっつけて15日の休みをもらいました」。そんなカップルも。女房が言うように「えらく違う」。私たちの場合、新婚旅行に1週間の休暇、と言ったら「帰ってきたら机がないかもしれんぞ」と、冗談とも本気ともつかない言葉が。今の若い方々はいい。女房ならずとも羨ましく思った。そのカップル達、主導権は早くも、みんな女性?(次回に続く)

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海の夕日

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 山頂の街からはケーブルカーで降りた。白亜の山頂の街・サントリーニ島のフィラからは、港に一直線のケーブルカー。海抜4~500㍍の頂から乗るゴンドラの窓越しに見る海は、船から見るそれとはまた違う趣がある。眼下の港。かなり距離を置いて停泊する船。そこと港とを往復するボート(テンダーボート)。それが、みんな小さな点のようにみえる。


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 急降下するゴンドラの旅はあっという間。5分足らずだ。船はサントリーニ島を散策した乗客を再び飲み込んで、また次の寄港地に向けて出航するのである。「乗り遅れたら大変」。そのことはお客さんを引き連れている旅行社の添乗員ばかりでなく、私たち一人一人、みんながそう思っている。


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 船は時間通りに出航する。次の寄港地でのエクスカーションが組まれているからだ。私たちもそうだが、乗船時間に遅れる者は誰一人といない。それが証拠に船は、いつの日もスケジュール通りに運行している。仮に、そのリズムを壊したら船自体にとどめず、船の寄港を待ち受ける、多くの関係者を混乱に引きずり込むのである。港の受け入れ体制だってその一つだ。


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 定刻の午後5時半。船はサントリーニ島沖を動き出した。エーゲ海を静かに走り、ミコノス島へ。ちょうど5時間の航海。午後7時半。太陽は西に傾いていた。この島でのエクスカーションのお目当ては、その夕日。時間がずれ込んだら、お目当ての夕日は沈んでしまう。船は接岸と同時にタラップを開け、乗客はどっと下船するのだ。



 港には40台近いシャトルバスが待ち受け、そこから10分足らずの所にある絶景ポイントに次々と運んでくれるのである。



 ミコノス島「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」と言われる島。海縁から小高い丘に向かって立ち並ぶ家々は真っ白。紺碧の海と真っ白い家並みのコラボ。まさに「海に浮かぶ白い宝石」だ。白い家並みの真正面に広がる、その海に大きな太陽が沈んでいくのである。


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 その頃になると、白亜の家々は明かりをともし始め、海縁に軒を連ねる商店街の光が海面に影を落とす。海岸地帯でありながら都会的な、おしゃれな雰囲気を醸し出してくれるのだ。そんなお洒落な街でショッピングを楽しむ者もいれば、風車のある小高い丘まで足を延ばす人も。いずれも海に沈む夕日がお目当てである。


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 昇る太陽と沈む太陽。人は昇る太陽を朝日と言ったり、日の出と言ったりする。反対に沈む太陽を夕日と言い、日没という。日の出は一日の始まりを意味し、日没はその終わり。朝日が新鮮であるのはそのためで、それに向かって手を合わせもする。元日の日の出を「初日の出」といい、万歳を叫んだりする。夕日は感傷的にもなる黄昏である。


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 20代の若い頃だった。何度か富士山に登った時、雲海から昇る朝日に感動し、思わず万歳を叫んだことを思い出す。一方、夕日。女房と一緒に数年前、ハワイで見た見事な夕日が、なぜか印象に残っている。確かワイキキの浜辺からちょっと離れた所にあるプリンスホテルの窓からだった。ヨットハーバーを前衛に大きな太陽が海に沈むのである。(次回に続く)

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サントリーニワイン

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 エーゲ海に浮かぶ島の一つ、サントリーニ島には、観光客を喜ばせる、いくつかのスポットが。島の中心にはフィラ(Fira)の町、北西にはイア(Oia)の村があるが、そのたたずまいは全く違う。

 
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 海から見れば、まるで山の頂に雪が積もったように見える白い家並み。この島で採れる石灰岩を使った四角い箱のような建物である。伝統のキクラデス建築というのだそうだ。山の頂に街を造っている。そんなイアの街並みと対照的なのがフィラの街並み。山の中腹の断崖絶壁のような所に、これまた白亜の家並みを造っていた。見事な造形だ。



 
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 山梨の片田舎からやって来た私たち弥次喜多夫婦ならずとも、誰しもが「よくもまあ、こんな所に」と思うほど。海抜300㍍の火山灰の崖の上にアトランダムに並ぶ家並みは、眼下に広がる紺碧の海に、それは、それはよく似合う。サントリーニ島はギリシア本島から約200㌔南にあるエーゲ海の小さな火山島。正式の名はティラ島といい、キクラデス諸島の南端に位置しているのだという。この島はサントリーニワインでも有名。


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 その原料となる葡萄の木が面白い。バスでつづら折れの山道を上っていくと、その沿道に葡萄の木が。ここでは簡単に葡萄の木というが、説明がなければ、ガレ場のあちこちに生える雑木、いや雑草。その土壌は、およそ葡萄畑なんてシロモノではなく、野山の、それもまさにガレ場だ。規則正しく植えてあるのではなく、所々に自生しているといった感じ。芽吹きのこの時季だからか、ツルもなく、直径30㎝ぐらいの株。高さも30㎝に満たない。海風にさらされ、大きくなれないのだろう。


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 「お父さん、あれが葡萄の木なの?」


 隣のシートに座り、現地ガイドの説明を聴いていた女房は、信じられないと言った表情で言った。山梨の我が家の葡萄園とオーバーラップしたのだろう。日本とヨーロッパの葡萄作りの違いくらいは、女房だって知っている。日本は梅雨があるから、雨が葡萄の房に跳ね上がらないように、世界でも希な棚栽培方式をとっている。それもワイン用ではなく、生食用が主体。

葡萄畑
我が家の葡萄棚



 果樹農家の倅に生まれた私にだって、サントリーニ島の“葡萄畑”は咄嗟には理解できなかった。緻密な日本人と、何事もおおざっぱな欧州人の違いか。収穫量を向上させたり、収益性を考える、そんなことは全く考えていないように見える。自然の恵みとの共存なのだろう。逆から見れば、それが成り立つ流通や経済の仕組みがいい。


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 その夜、船のディナーで、サントリーニワインをオーダーしてみた。うまい。「お父さん、私にも…」。普段、お酒など、ほとんど飲まない女房も「これおいしいわね」。つい、数時間前、島で見たへんてこな葡萄の木から連想したのだろう。船のレストランでのディナーの飲み物は日本酒がないので、私は冷たいビール。サントリーニ観光に合わせて、船のレストランが、そこのワインを用意してくれているのも嬉しい。帰りがけに付いてくる確認のためのレシート。請求金額はユーロだからピンとこない。(次回に続く)

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コロナのワイドショー、もう、うんざり

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 コロナ禍で行き場を失ったオレ達は、ストレスが溜まる一方。暇つぶしにテレビを点ければ、どのチャンネルもコロナ、コロナ。それもコメンテータと言われる先生方は決まって「政府は何をしている!」、「総理の記者会見は中身がない」、「総理は『後の日程』を口実に記者会見から逃げた」と、口を揃えてののしるのだ。ばかばかしくなってチャンネルを変えると、そこも同じ。不思議なことに「こうしたらどうだ」といった前向きの意見は出て来ない。悪口にも聞こえる批判ばかり。




 うんざりしてインターネットを開けば、ここでは政治家先生がコメントを。まるで申し合わせたように政府批判や総理批判。その顔ぶれは、かつては与党・自民党の幹事長を務めた小沢一郎氏や民主党政権で総理大臣を務めた鳩山由紀夫氏、菅直人氏ら。テレビのコメンテータより≪分かり易い単純批判≫。私のような市井の盆暗オジサンですら「これが一国の指導者を経験した人達?」と思えるような内容だ。


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 中にはニュース番組をリードするキャスターを非難するコメントも。その内容は、総理大臣をスタジオに招いての一問一答が「提灯持ちだった」というのだ。「どんな場でも批判的でなければおかしい」というのだろう。キャスターを委縮させないか。それを狙ってのコメントに見えないでもない。どう見たって建設的なコメントではない。




 新聞を開いても批判記事だけが踊っている。記事はともかく、見出しは良くも悪くも「端的」だから私たちにストレートに響く。それほど忙しくもないのに、私なんか見出しだけで紙面を斜め読みすることが多い。それでも記事の内容が一瞬にして分かるからありがたいのだが、この見出し、付け方によっては肯定にも否定にも読める魔物。そこには「批判」を装った「悪意」を感ずることがないでもない。

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 そんなテレビや新聞、インターネットを見ている私のような平々凡々のオジサンたちは、いつしか≪洗脳≫されて行き「そうだ、そうだ」の大合唱。≪一億総評論家≫にもなる。そうでしょう。明けても暮れてもテレビや新聞で「これでもか」というほどやってくれれば、いくら盆暗オジサンでも、そうなりますよ。その勢いが内閣支持率を動かすことぐらい簡単。




 コロナ禍は、上滑り以外の何物でもない議論、意見をよそに、あっちこっちに致命的な打撃を与えているのだ。ロータリークラブでご一緒させていただいている観光バス会社の会長は「バスはむろん、従業員を維持して行くことも難しくなった」と言い、中華料理店の経営者は「クラブの活動どころではない」と、音を上げた。みんなが四苦八苦だ。コロナの抑え込みと経済の維持は、まさに諸刃の剣。コロナ対策の決め手は「神のみぞ知る」であることは間違いない。




 こんな柄でもないことを綴っているオジサンは、年金暮らしだからまだいい。それにも増して、テレビや新聞で≪大活躍≫の評論家先生たち。≪口先だけで≫でメシが食え、遜色ない収入に守られて、生活破綻の危険もない。揚げ足取りに終始しているように見える政治家先生方も同じだ。よく考えたら私のような市井の盆暗オジサンだって言いたい放題だ。そうしている間にもコロナは人間どもをあざ笑うように、あっちこっちで牙をむく…。





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富士には雪化粧が良く似合う…

富士山


 雪が降った。甲府盆地にも。盆地の東北部に当たる、この辺りは12日の昼前から降り始め、アッという間に一面を銀世界に変えた。野も山も、畑も…。一面が真っ白。庭の植え込みには、寒さを知らないのか、小鳥が…。小さいのも大きいのも。ちょっと見ただけでも3~4種類はいる。いずれも二羽ずつ。番(つがい)だろう。小鳥は、寒さなど平気なのだろう。




 一方、普段なら、やって来る、ご近所の飼い猫や、我が家に住み着いた野良の「ミーコ」は流石に出て来ない。「♪猫はこたつで丸くなる…」とはいかずに、軒先の発砲スチロールの箱の中で丸くなっている「ミーコには不憫(ふびん)だが、野良を家の中には…。ごめんね。

ネコ

 「シ~ン、とする音」がする。雪は人の足ばかりでなく、全ての動きを止め、あたりを静まり返すのである。そんな時、山梨県教委から一本の電話が。「今月終わりに予定している社会教育振興会の研修会と、来月の理事会、いかがいたしましょう」。むろん、話は降りしきる雪ではなく、コロナ禍絡み。電話は「山梨市の、そちらの雪は?」の≪前置き≫をしながらも、研修会や理事会開催の是非についてだ。


 雪は辺り一面を純白に変えても、コロナ禍は隠せない。緊急事態宣言下の東京を中心とした首都圏4都県や、大阪を中心にした関西7府県ばかりでなく、ここ山梨も感染者の増加は例外ではない。連日、二桁前後の感染者を記録している。人口90万人に満たない小さな県だから、その数は他県と比べて、決して少なくない。


  「不要不急」とはいかないまでも、この時点では大勢の人たちを集める研修会の中止はやむを得ない。理事会は書面開催とした。時の経つのは早い。中国・武漢に端を発したコロナ騒ぎから丸一年。世界中を混乱の渦に叩き込んで、なお衰えを知らない。混乱は有形、無形に広がるのだ。


雪

 その正月も、早くも十四日正月。日本人は何かにつけ吉日として祝い事をする。一年のはじめを「元日」として祝い、「三が日」、「七日正月」、「小正月(十四日正月)」…。大きくは1月を「正月」として祝うのである。





 祝い事ばかりではない。人の縁(えにし)も大事にする。人が逝けば、「初七日」、「七七忌」、「一周忌」、「三回忌」、「七回忌」と、故人を偲び、線香を手向けて手を合わせる。そんな純心な心を持つ人間どもをコロナウイルスは容赦もなく叩きのめすのだ。スポーツや文化、芸能などのイベントはもちろん、親しい仲間たちの飲み会、日常の外出に至るまで待ったをかけるのである。忘年会や新年会が一つもなかった年末年始は初めてだ。そんな中での山梨学院高の高校サッカー全国制覇は、山梨県中の人々を励まし、「負けてたまるか!」という≪元気≫をもらった。

雪景色2

 こんな≪たわいもない≫ことを綴っている間にも雪は降り続く。この分だと、普段雪が少ない甲府盆地でも山付き地帯は20cmぐらいの積雪があるだろう。群馬県出身で甲府に赴任中の友は「上州の冬は空っ風が吹き、乾燥する」とメールして来た。「甲府の方が住み易い」とも。果たしてどうか。「甲州名物、かかあ天下に空っ風」。そう言えば空っ風はめっきり少なくなった。一方、我が家の「かかあ天下」は変わらず、健在だ。





 もちろん、今日は窓越しの富士山は見えない。こうしている間にも長く≪スッピン≫だった富士山は、雲の向こうで懸命に雪化粧をしているに違いない。太宰治の「富士山には月見草が良く似合う」は夏の富士。今は何といっても雪化粧が良く似合う。明日は≪べっぴん≫の顔を見せる筈だ。





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富士山の七面変化

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 こうしてパソコンに遊んでもらいながら、ふと、顔を上げて窓越しに外を見ると、そこには何時も富士山がある。前衛の御坂山塊の上にどっかりと腰を据え、佇んでいるのだ。我が家の門柱の間に堂々の姿を見せてくれるのである。庭木も剪定を済ませ、しかも、この時季、樹々は葉を落としてスリムなので、富士山への視界もいい。手入れされた手前の植え込みが反って向こうの富士山を引き立てているようにも見える。


富士山


 富士山とは不思議な山だと、つくづく思う。ここ(拙ブログ)でも、これまで何度か書いたことがあるが、この山は見る度に表情を変える。春夏秋冬、季節はむろんのこと、一日を≪輪切り≫しても、その都度、表情を異にするのだ。明け方だと、真っ黒く連なる御坂山塊を従えて、やはり薄黒くどっしり構えて朝日を待つ。御坂山塊よりずっと手前になるが、笛吹川との気象関係が作用するのか、雲海をもたらして神秘的な光景を見せることもある。

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 私が勝手にパソコンの師匠だと思っている同級生の萩さん、こと萩原直樹さんは、この雲海をカメラでとらえ、メールで送信してくれた。私のような≪ずくなし≫と違って、今の寒空もなんのその、毎朝決まって山梨市の西部高台にあるフルーツパークを散歩する。

フルーツパーク雲海


 その一番高い所には、ちょっとおしゃれなフルーツパーク富士屋ホテルもあって、この一帯からは甲府盆地の、ざっと3分の1ぐらいは一望できる。人気の展望スポットでもある。チャームポイントの富士山がひと際、存在感をあらわにすることは言うまでもない。

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 薄暗闇の中に浮かぶ富士山は、御坂山塊の向こうを昇り始める太陽が、その稜線辺りを帯状に紅く染め、やがて富士山の東側の頬を赤く輝かせるのだ。ここから見ると富士山の左側の頬である。ゆっくり昇る太陽は次第に富士山だけをクローズアップ。やがて甲府盆地一帯と同化する。


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 時には山頂・真上に大きな白いキノコ雲を載せることもあるし、側面に荒々しい雲を呼ぶことも。こんな時の甲府盆地は風に見舞われる。その強弱は山肌に沸く雲の量によって変わるのである。「今日は風が吹くぞ!」。私たちは、そんな富士山を見ながら大きくなった。




 太陽は毎日飽くことなく、半円を描きながら夕方にはゆっくりと西の空に沈んでいく。もちろん、その間にも富士山は顔色と表情を変えるのだが、夕暮れの表情はまた格別だ。当たり前のことだが、富士山の東側を染めるのが朝陽なら、夕陽は西側。その夕陽は、それまでの雄大な富士山を見事な「赤富士」に描き直すのである。


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 その夕陽は朝焼けの御坂山塊ではなく、南アルプスの稜線を紅く染めるのだ。近くの家々や森、林の向こうがまるで、ドでかい火事のように燃える。不気味な光景にも見える。そんな景色も束の間。富士山は、いつものように暗闇に沈む。


 それにしても今年の富士山は雪が少ない。いつもの年だと、山頂と言わず、でかい体をスッポリと厚い雪で包むのだが…。これも異常気象の影響なのだろうか。化粧をしない富士。大雪に見舞われている日本海側とは対照に乾燥続きの太平洋側。特に首都圏における夏場の水不足など、嫌あ~な予感がしないでもない。




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消防団は今…

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 「お父さん、明日は8日。消防団の方がおいでになる日よ」


 女房は七草粥を食べながらの朝餉の箸を止めて、そんなことを言つた。女房が言う「消防団が来る」とは地区での寄付金集め。七日正月が終わって、社会全ての日常が再起動する8日、この地域では、消防団の代表が各戸を回って寄付金を仰ぐのが恒例となっているのだ。

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 「ご苦労様ですね。ことしも一年、よろしくお願いしますね」。法被姿の若い消防団員と新年のあいさつを交わした後、ご祝儀にも似た、のし袋を手渡すのである。消防団の運営には経費が伴うことは当然。むろん、その経費は当該市町村が賄うのだが、すべという訳ではない。一朝有事の後の慰労や夜警巡回の後のお茶など、目に見えない経費も少なくない。住民が戸別に賄う「区費」からの助成もあるが、寄付金は、それとは別個で、あくまで任意の「思いやり予算」である。


 東京など都市部では、とっくに自治体消防が定着して、「消防団」という言葉すら住民から忘れられたに違いない。死語になった、と言った方がいいかも。もちろん、山梨だって自治体消防はネットワークされている。しかし、県土の75%が山林原野という地域性から、全てを自治体消防がカバー、フォロ―することは、時間的にも物理的に不可能だ。


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 距離は当然のことながら出動時間に比例する。火事という緊急性から時間的な距離は万一の場合の致命傷であることは言を待たない。そんな場合、分署を置いて対処する手立てがないでもないが、その場合の経費が追い付かない。勢い、地域の法被組、つまり消防団に頼らざるを得ないのだ。


 その消防団が、また悩みの種。地方に行けば行くほど、人口の減少が進み、若い人たち、つまり消防団員のなり手が少なくなるのである。若者の中には消防団への入団を嫌う人だっている。兎に角、地域の消防団は人数的にもやせ細る一方。そんなこととは関係なく、火事や、最近では異常気象も手伝って集中豪雨、それに伴う水害など自然災害の危険度も増しているのである。

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 山梨市の郊外、むしろ田舎と言った方がいい、私たちの地域も例外ではない。そこで、もう10年ぐらい前だろうか、消防団をバックアップするための「消防協力隊」が出来た。私も、その初代本部長(隊長)を務めたが、一度は消防団を退役した年齢の人達が仕切り直しで、消防団を応援しよう、というもので、地域に住まいする75歳までの男性で組織した。

 主力部隊ではないが常時、臨戦態勢を整えておかなければならないのは当然。毎月交代で消防車の操作や、消火訓練も欠かさない。立派な法被も作った。ただ、この消防協力隊は原則、出動は地域内の有事に限る。




 一方、消防団は、その地域に限らず、近隣の有事にも出動する。自治体消防にとって、≪法被組≫との関係は大きなポイント。自らの手で全てをフォロー出来ない以上、そことのスクラムは欠かせない。ただでも広範囲をカバーしなければならない地方の自治体消防は消防団なくして成り立たないのだ。しかし、その消防団は隊員の減少に歯止めがかからない。政治が忘れがちな?地方には、そんな深刻な現実がある。事は一朝有事の時、場合いによって生命や財産に関わることなのだ。




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思いもよらないメール

降矢組人

降矢組人さん個展:サンニチ電子版より


 「昨年、三月に義兄・降矢組人が、八月に姉・降矢美子が永眠しました…」


 突然、こんなメールが。あえてお名前をそのまま書かせていただいたのは他でもない。降矢組人さんは、知る人ぞ知る洋画家。かつて奈良県の高松塚古墳の壁画「美人群像」の修復・復元チームの先頭に立たれ、ご苦労をされた人でもある。東京芸大を卒業後、画家となり、数々の作品を残した。その作風は力強さの中にも優しさにあふれ、多くのフアンに親しまれた。飛鳥文化にも精通された学者タイプの人でもあった。


 

 訃報を寄せてくれたのは、メールの内容から降矢夫人の弟さん。タイミングからみて、それとは知らずにお出しした年賀状から辿っていただいたのだろう。「晩年のお二人はご夫婦二人っきりの生活だったのか…」。もちろん、弟さんご一家は別にお住まいだろう。兎に角、懇意にさせていただいた方の唐突な訃報に驚かない筈がない。それも何か月も前のご逝去を知らされたのである。



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飛鳥歴史公園HPより


 降矢さんとの出会いは40数年前に遡る。お兄さんは、降矢敬雄さんといって当時、参議院議員をお務めになっていた。この方は、県議を経て、田舎の小さな農協の組合長から政治的にも大きな力を持っていた山梨県農協中央会の会長に君臨した後、≪赤じゅうたん≫を踏んだ。





 そんな道のりを歩んだ敬雄さんとは仕事柄、永田町の参議院会館でもしばしばお会いした。そのお人柄は、後で触れることにして、そこでお目にかかったのが組人さんご夫妻であった。兄・敬雄議員の秘書役をお務めになっていたのである。




 組人さんと敬雄さんは兄弟でありながらもタイプは違って見えた。スリムな体形のお兄さんに対して、弟の組人さんは、どちらかと言えばがっちり形。お兄さんは政治家らしく、弁舌も爽やかだった。政治家と画家。住む世界も違った。そんな二人を何時も優しく見守っていたのが組人夫人の美子さんであった。




 仕事の場を山梨に移し、甲府に戻ってからもお付き合いが続いた。東京・銀座などで度々開く個展にも顔を出した。年賀状の交換は言うまでもない。降矢兄弟の生まれ故郷は山梨県上野原市の西原。もうみんな忘れてしまっただろうが、甲府市の医師・古守豊甫氏が食生活と寿命の観点から「長寿村」として全国に紹介した「棡原」の、さらに奥の≪村≫である。「そこの公民館に組人さんの絵がある」と聞けば、足を運んだりもした。チャンスを失ったが、見たかったのは高松塚古墳の飛鳥壁画修復の作業だ。




 一方、お兄さんは唇の下にトレードマークの≪ヤギ髭≫を蓄え、眼光は鋭かったものの穏やかな性格の方であった。剣道の達人で、教師七段。衆参合わせた国会の剣道愛好会の会長でもあった。書も卓越していた。そうかと思えば、勝負事の花札遊びが大好き。当時、赤坂の清水谷公園に近くにあった参議院議員宿舎で一晩中、それに興じたこともある。




 そのお兄さんは、ずっと前に鬼籍に入った。今度は弟さん夫妻も相次いで…。六年ぐらい前だったか、私は腰の手術で入院中の東京の病院で、敬雄氏と参院議員が同期だった降矢敬義氏と奇遇にもお会いした。「敬義」氏は山形県選出で元は自治事務次官。「敬雄」氏とは一字違い。二人は大の仲良しだった。その人も数年前、私が再会した病院で逝った。みんな逝ってしまう。




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エーゲ海の島々

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 船はベネチアからアドリア海のど真ん中をどんどん南下。途中、イタリア半島、つまりブーツ(長靴)にも似た半島の踵(かかと)のようなところにあるバーリに立ち寄った後、ギリシヤのカタコロンを経て、エーゲ海に入るのである。カタコロンはペロポネソス半島にある港町。古代の儀式にのっとり、オリンピックの聖火が採火されるオリンピアの近郊にある。



 オリンピアは、言うまでもなく、オリンピック発祥の地。その名の由来は、聖山・オリンポスにあると言われる。かつてゼウスの神に捧げられた古代世界で最も重要な聖域であった。


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 星の数と言ったら言い過ぎだが、地図で見れば、エーゲ海にはたくさんの島がある。船はそのうちサントリーニ島とミコノス島に寄ってギリシヤの首都・アテネに向かうのである。


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 「お父さん、あの島、雪が降ったのかしら・・・。頂が真っ白じゃない」


 「バカ言え。こんな時季に雪が降るわけないじゃないか」


 そうは言ったものの、標高300㍍の山の頂は、綿帽子を被ったように真っ白。船はアドリア海からエーゲ海に。それまで何も見えなかったエーゲの海にサントリーニ島が大きな陸地のように浮かんで見えた。腕時計は午前7時を回っていた。午前8時の到着に向けて船は島にだんだん近づいているのだろう。


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 前の寄港地、ギリシヤのカタコロンを出たのは前日の午後5時半だから、ここまで14時間半の航海。言ってみれば一晩中、走り続けてきた訳である。レストランで夕食をした後、シアターでショーを見、カジノでゲームを楽しんで、ぐっすり眠り、朝になったら次の目的地。だから船はいい。



 船が島に近づくにつれ、うちの女房・喜多さんが言う「雪」の正体が分かった。山の頂の「雪」は、白亜の家。高い所に住む。先人たちの知恵だ。咄嗟に東日本大震災を思い起こした。イタリア、ギリシヤ、トルコ・・・。この一帯は過去、何度も地震を経験している。津波の危険にもさらされたのだろう。


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 トルコはエーゲ海を挟んで反対(東)側だ。サントリーニ島はギリシヤとトルコのちょうど真ん中にあってエーゲ海とクレタ海の境のような所に浮かんでいる。クレタ島が一番南側でエーゲ海とクレタ海を包み込むように位置しているのだ。




 船はサントリーニ島沖2~3㌔の所に停泊。そこからモーターボートで上陸するのである。港から山の頂にある白亜の街へのルートは、ロバの背に揺られるか、ケーブルカー、それとも、つづら折れの岸壁をバスで行くかの3ルート。ロバは距離こそ短いが、石段のような所を上り下りする。

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 「ロバの背に揺られたり、石段を登るのも一興ですが、石段はきつく、ロバの糞で臭い。一方、ロバは日和見で振り落とされでもしたら…」。ガイドさんの注釈。(次回に続く)

※再掲載=「クルーズ船の旅」シリーズ







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とんがり帽子の家

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 最初の寄港地はバーリだった。南イタリアの玄関口。アドリア海・エーゲ海クルーズの2日目の午後1時。約3,500人の乗客、乗員を乗せた船は、スケジュール通りバーリの港に到着した。航海の出発点、ベネチアを出たのが前日の午後5時半だったから19時間半の時間を要したことになる。



 船は、イタリア半島を形作るブース(長靴)の付け根のような所にあるべネチアから、アドリア海のど真ん中を進む。バーリは、そのブースの踵(かかと)に近いところ。19時間の所要時間のうち3分の1は、私たちが寝ている時間だ。


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 日本からずっと西なので日没が遅い分、日の出も遅い。この時季、この辺りは、午前5時半はまだ真っ暗。6時を過ぎて、やっと辺りがしらじらとし始め、水平線に太陽が顔を出すのは6時半過ぎ。ずっと東の日本と比べれば、朝のたたずまいは2時間近く遅い。




 水平線に顔を出す太陽はまん丸ではなく、丸く燃えているように見える。その淡い赤は肉眼で直視できるほど優しい。気温は9度前後。頬をなぜる風は、ちょっぴり冷たいが、それがむしろ心地いい。

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 乗客はみんな寝ているのだろう。甲板は日中の賑わがウソのように閑散とし、早起きして散歩する僅かな人影だけだ。若い何人かの乗組員がデッキの塗装など補修箇所の点検に回っていた。その頃、ビッフェやレストランでは朝食の準備が慌ただしく進んでいた。




 お昼過ぎ、つまり到着間近になってくると、遠くに陸地が見え始める。飛行機で言えば、着陸態勢に入ったのだろう。アドリア海のど真ん中を進んでいた船は陸地にだんだん寄りながら航行するのだ。この頃になるとスピードもダウンしてくるので、誰しも到着が近いことを実感するのである。




 バーリは最初の寄港地であると同時に、最初のエクスカーションの地なのである。接岸して間もなく、船はタラップを開け、乗客は列を作って下船するのだ。もちろん、この時間に合わせて、誰もがビッフェやレストランで昼食を済ませている。外には50代前後の大型バスがスタンバイしていた。それぞれがエントリーしておいたコースで思い思いに観光を楽しむのである。


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 私たち日本からやって来たツアーの“ご一行様”20人は、専用のバスでアルベロベツロへ。ここは、とんがり屋根の民家が建ち並ぶ街として知られ、ユネスコの世界遺産にも登録されているところ。港からはざっと1時間の距離だ。




 アルベロベッロとは、イタリア語で「素晴らしい木」という意味を持つのだそうで、街には緑の木々が茂り、標高415㍍の小高い丘にとんがり屋根の民家が。「トウルッリ」と呼ぶのだという。まるで申し合わせたように白壁で、屋根は灰色をした円錐形のとんがり帽子のよう。山梨から来た無粋な私たち弥次さん喜多さんでもメルヘンチックになる。


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 「お父さん、写真、撮ってよ。早く、早く」。うちのかみさん、カメラに収まってご満悦だ。因みにこの民家は別荘として4~5,000万円で売り買いされるという。(次回に続く)

※再掲載=「クルーズ船の旅」シリーズ

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変わるお正月

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 コロナは当たり前のように私たち地域の人達の新年の門出も変えた。「新年あけましておめでとうございます」。元日の朝、人々が集い、氏神様に一年の平安を祈り、併せて新しい年を寿ぐ「拝賀式」。2礼、2拍手、1礼。代表(区長)に合わせての参拝は同じだが、氏神様の前にずらりと並ぶ人たちはソーシャルディスタンス。むろん、みんなマスク姿だ。




 区長の年頭のあいさつもコロナで始まりコロナで終わる。もう10年以上前になるだろうか、私も、その立場にあったが、新しい一年への夢や抱負を語ったことを覚えている。そこにみんなが、新しい年への期待をかみしめもした。でも、今年は区長ばかりか、誰もの頭にこびりついているのは紛れもなくコロナである。
神酒


 何時もの年なら、拝礼が済むと氏神様の広場と隣り合わせにある公会堂へ。ところが、ここでも…。室内に入らず、≪露天≫の互例会。区の役員が用意したお神酒の一升瓶と、茶碗ではなく「盃」は紙コップ。そこに注がれたお神酒は≪舐める≫ほどの形だけ。次第はお決まりの乾杯と続く。いつもなら、ここからが互例会だが、今年は乾杯の後、間髪を入れずに「万歳の三唱」で解散だ。




 ここでの互例会は元来、地域の人達が茶碗酒を酌み交わしながら、三々五々、改めて新年のあいさつを交わし、地域の絆を深める。お酒好きの人なら、お神酒というより茶碗酒の酌み交わしである。つまみは「尾頭付き」になぞらえた煮干し。家庭で用意されているおせち料理に出会う前の朝一番、この「尾頭付き」のお酒が、何と美味いことか。いつもの年が恨めしい。

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「お父さん、早いわね…」


 女房は、おおよその見当がついていたらしく、居間のテーブルには、お節料理が。「紅白歌合戦」を見ながら、夜更かししていた娘夫婦や孫娘も起きていた。早速≪家族≫全員が揃っての新年の朝餉。「これはお屠蘇替わり…」と言いながら女房は神棚のお神酒を振舞った。改めて乾杯。小学校1年生の孫娘は、むろん形だけだ。




 私は、この歳まで「お屠蘇」なるものを飲んだことがない。何故か、我が家では「お神酒」という名の日本酒で代替してきた。お屠蘇とは、酒やみりんに5つから10種類の生薬を付け込んだ薬草酒だ。一年の邪気を払い、長寿を願ってお正月にいただく祝い酒である。お屠蘇をいただく習慣は私の世代で既に失われてしまったのか。いや我が家だけかも知れない。




 一方、お神酒は、祭礼で神社や神棚などに備える供物のお酒。神事の最後に参加者一同で飲むのだ。むろん≪酔っぱらう≫ほど飲むお酒ではないことは言うまでもない。拝賀式の後の新年互例会では決まって酒飲みが最後まで残って、「たかが煮干し、されど煮干し」の肴を噛みしめながら盃を重ねるのである。
酒


 孫娘にとって、それが何たるかは、まだ分かっていないかも知れないが、お正月に欠かせないのがお年玉。女房・おばあちゃんが用意しておいてくれたお年玉袋を手渡すと「ありがとう」。何とも可愛らしい。その笑顔は小学一年生の無邪気な顔だった。この子がお神酒をいただける頃のお正月は、どんなお正月だろう。期待の一方で、体のあちこちが傷みだした自らの健康が気掛かり。孫娘とお神酒を飲めたらいいなあ…。





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おきてがみ
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やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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