弟の文句
「おまん(お前)は、いつまでも兄貴ヅラするな」
母親の三回忌のため向かった菩提寺でのことであった。弟は、どちらかというと今時珍しい堅物。いいモノはいい、悪いモノは悪い。はっきりモノをいう。「オレは表もなければ裏もない」とも。信念のようなものだろう。だから時には、その人の心にグサっと響くような事まで平然と言ってしまうことも珍しくない。
三男坊の弟に,そう言わしめたのは、さもないことだった。お寺さんの奥さんとの、ちょっとした会話の中味が発端。「お前ねえ、人には触れて貰いたくないモノって一つや二つあるんだよ。余計なことを言うもんじゃあないよ」。“純真“な弟には、その忠告が気にくわなかったのだろう。むろん奥さんとのやり取りは冷やかしや悪気があってのことではない。
「オレはオレで責任を持って言っているんだよ。(いくら弟とはいえ)60歳も半ばを超えた人間に何時までも兄貴ヅラしてくれるなよ」
真顔だった。兄弟とはいえ,何とも言いようのない冷たいものを感じた。ムシの居所が悪かったのか。いやそうではない。これまでの鬱積が貯まっていたのだろう。振り返ってみれば、この弟には何故か苦言めいたことを言うことが多かった。それを心よしとしなかったのだろう。苦言は長男としてではない。肉親の兄弟としての思いやりの忠告だ。
私とは五つ違い。大学を出て,当時、小さな印刷会社を立ち上げて間もない次男の会社に身を委ねた。従業員の数、僅か数人の町工場にすぎなかった会社は、今では7~80人規模に成長した。三男坊は専務として兄である社長を支えている。この二人の弟の違いは,社長である次男が他人の会社勤めの経験があるのに対し、三男坊には“他人の飯を食った”経験はない。その違いかどうか分からないが、その振る舞いはまるで違う。
私の兄弟は四人。二人の弟の他に姉がいる。昨年夏、他界したから厳密には「四人だった」という方が正しい。同じ母親から生まれながらも顔も違えば、性格も違う。当たり前の事だが、考えようによっては不思議でもある。その兄弟がみんな孫を持つようになった。私の孫はまだ10ヶ月を過ぎたばかりだが、弟たちの孫の中には大学生もいて、間もなく成人式を迎える。ふと振り向けば自分に関わる四人の親はむろん、40人近くいた伯父(叔父)や叔母(伯母)も皆無に等しくなりつつある。それどころか、姉を亡くし,兄弟まで欠けた。
無邪気に兄弟喧嘩をしていた子供のころが懐かしい。親父やおふくろに叱られながらも喧嘩をし、泣いたり、笑ったりした。広い田舎家の中で追いかけっこ、取っ組み合いの喧嘩も。今はそんな喧嘩がたまらなく懐かしい。今の子供は兄弟が少ないから,喧嘩をしようにも、しようがない。昔の子供は兄弟喧嘩をし、いたずらをしては親に叱られながら大きくなった。そこから知らず知らずに“学んだ”ことも少なくない。喧嘩の一方で、兄弟愛のようなものも育んだ。
大人になってからの兄弟喧嘩は,場合によって“致命的”。修復しない事もあるという。くわばら、くわばら。兄弟って何だ、肉親って何だ。弟とのさもないやり取りを通じて、ちょっぴり考えさせられた。(次回に続く)
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