校歌の郷愁
「天地の正気 甲南に 籠りて聖き 富士が根を 高き理想と 仰ぐとき 吾等が胸に 希望あり」
母校日川高校の校歌の一番である。左手を腰に、こぶしを握り締めた右手を斜め上下に振りながら老いも若きも歌うのである。新制高校の卒業生ばかりではなく、80代、90代の旧制中学卒業の大先輩もいる。ざっと500人はいるだろう。会食テーブルのまにまに広い体育館を埋めた同窓生達の歌声は母校の構内に大きくこだました。
年に一度11月3日を定例日として開く同窓会のひとこまである。ひとこまというより、集いのフィナーレを飾る最後のクライマックスと言った方がいい。ステージで指揮を執るのは往年の応援団。同窓会は45~6歳の年代がひとまわり下の学年卒業生を補佐役に当番制で幹事役を務める仕組みをとっていて、応援の指揮もその世代の応援団が担当するのである。
10人ほどのリーダー役はいずれも学ランに破れ帽子姿。45~6歳ともなるとお腹が出っ張ったメタボ?もいるから、ちょっぴり窮屈そう。それでも汗だくで指揮を執る。それに合わせて歌う同窓生達は何十年も前の旧制中学時代や高校時代にタイムスリップ、それぞれのよき時代とオーバーラップさせるのである。その顔はみんな純真に見える。同窓会の開幕行事である「校旗入場」のバックで流れる校歌とは、また違った興奮がある。
この日を前後して、学年によっては、それぞれの同級会やゴルフ会を開いているところもある。そこでもみんな校歌を歌い、またの再会を約束しながら別れるのだ。「こうしてみんなで校歌を歌うと、俺は妙に心が洗われるような気持ちになるんだよ」という仲間がいた。私も全く同じだ。
同校は数年後に創立120周年を迎える。その校歌は校章とともに創立以来変わっていない。そのわけは多分こうだ。まず校歌。四番まである歌詞の中に校名、つまり「日川中学」「日川」がどこにも入っていない。こういう校歌は全国的にも稀だという。新制高校にそぐわない字句が歌詞に入れてあった多くの学校は、旧制中学から新制高校に変る時、校歌を変えざるを得なかったのである。
校章の場合も同じ。同校は、山梨県で最も古い歴史を持つ甲府中学の「ニ中」として生まれたことから「中学」の「中」の文字を縦横に絡ませてデザインした、いわゆる金平糖が校章だから、これも変える必要がなかった。
結果的だが、この二つがもたらしている効果は大きい。旧制中学の卒業生も、新制高校の卒業生も同じ土俵に立てるばかりでなく、母校に対して共通の認識がもてるということである。それは勢い、母校愛のようなものを持続させたり、ひいては同窓生の結束にも繋がる効果を生んでいる。もちろん、母校なんてどこ吹く風、といった同窓生だっているし、いて当たり前。ただ、そんな同窓生バカがいたっていい。少なくとも、同窓会の常任理事を仰せつかっている私はそう思っている。
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