個性と平均主義
「風小僧」さんからこんなコメントを頂いた。5日付の私のブログ「校歌と郷愁」に対してである。私も早速、お礼方々、こうコメントを送らせていただいた。
「(前略)全く、人間とは面白いものです。私のように学生時代、これといって勉強したわけでもなく、どちらかといえば劣等性だった部類の人間が妙に愛校心を持ったりして。(中略)でも、そんな人間の方が仲間が多いような気がします。塾。私学。勉強。勉強。果たしてこれだけでいいのでしょうかねえ。若い時こそ、もっと大切な事があるような気がするのですが・・」
「風小僧」さんが言うように、確かにどの高等学校にも校風というものがなくなってきている。なぜだろう。良い、悪いは別にして、今の世の中に蔓延する平等主義というか平均主義というか、そんな風潮が後押ししているような気がしてならない。そして、だんだん複雑化している社会環境の中で、子供たちは幼い頃から「あれは危ない」「これも危ない」といった具合に育てられているから、冒険心はもちろん、個性も希薄になって当然だ。
山梨県の場合、この平均主義を助長し、校風をなくしていった決定打は「総合選抜」という名の入試制度にあったことは間違いない。この制度は同県内をいくつかの学校群に分け、同一試験で合格者を選抜して機械的に、その学校群の高校に振り分けるというものだ。
学校間の格差は一遍に是正され、平均化した。合格者を成績順に均等に振り分けるのだから当たり前のこと。ところが、この学校間格差解消の一方で、県立高校のレベルダウンを招いたことも確か。意欲的な子供は通学距離にかまわず、私学に流れた。悪循環というか、それが県立高校のレベルダウンに拍車をかけたのである。
自らの意思で高校を選ぶ権利を奪われ、機械的に振り分けられた生徒達の中には「俺は好きでこの学校に来たのではない」と、校歌すら歌わない生徒も。校風はおろか、愛校心なんか生まれるはずがない。
呼び名はまちまちだが、この「総合選抜制度」はひところ全国いくつかの都道府県で実施された。東京都の「学校群制度」がモデルだった。ところがいち早く同制度は破綻。名門進学校といわれた麻布高校や新宿高校などが、どんどんレベルダウン、制度への悪評を買ったためである。東京都に習ったはずの全国各県も、後を追うように同制度を廃止した。ところが山梨県は今も、基本的にはこの制度を引きずっている。
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