親が子に家業を譲る時
ロータリークラブでは週一度の例会で「卓話」という名のミニ講話をする。メンバーが交代で2~30分、思い思いのテーマで話すのだが、これがなかなか面白い。さまざまな職種やさまざまな分野で豊かな経験を持った人達が集まっているからだ。
私たちのクラブは地域柄、果樹農家もいるし、医者や公認会計士、行政書士、商店主、僧侶、もちろん会社経営者も多い。一口に会社経営者といっても、さまざまで、不動産会社もあれば測量会社、家電や清涼飲料、保険などの販売会社、また機械部品の製造メーカーや観光自動車会社のオーナーもいる。
私のように会社をリタイアして農業の真似事をしている者もいるし、学校の校長を定年で辞めて葡萄作りに励んでいる人もいる。農業と一口に言っても、この葡萄ばかりか桃、サクランボ、また花卉栽培農家もいる。その花卉を商う花屋さんも。ロータリークラブはそうした職業を通じての社会奉仕を標榜しているのである。だからメンバーの職業分類もしっかりしている。
過日の卓話では清涼飲料の販売会社を営む会員が、我が子に自らが苦労して育て上げた会社を譲る親の心境を話した。この人は私と同い年の66歳。高校時代の同級生で、私が勤めをリタイアしたのをきっかけに、このクラブへ導いてくれた人でもある。「俺も早く会社を卒業したいよ」。私が3年前、役員定年で会社を辞めた時、こんなことを言ったものだ。この人は卓話の中でもそんな心の内を話した。
「サラリーマンには定年がある。でもオーナー社長には定年がない。≪その時≫は自分で決めなければならない。それは傍が考えるほどやさしくはない」
確かにそうだろう。サラリーマンなら、その立場がどうであれ「定年」という問答無用の掟があるから簡単。しかし粉骨砕身、企業を育ててきた、しかも創業のオーナー社長が、いつまでも子供と思っている我が子にバトンを譲るのだから、タイミングは難しいに違いない。
この人は20代で脱サラして牛乳販売店を起こし、年商2億円の清涼飲料の販売会社に育て上げた。父ちゃん、母ちゃんとアルバイトを使っての、いわゆる町の牛乳屋さんだった。しかし、この人の着眼は良かった。当時は今のような普及を夢にも考えなかった自販機による販売に,いち早く戦略を切り替えていった。その中身も時代とともにコーヒーやジュース、お茶などの飲料に変えていったのである。
今では山梨県下の至る所に自販機を設けて、毎日、数十人の従業員が保冷トラックで同県下を飛び回っている。「事業は走りながら考えるもの」がモットーで「まず自販機を置くことが先。営業効果の理由付けは後でいい」が口癖だった。大学を出たての息子さんを取引先でもある大手飲料メーカーに預けて実戦の経営学や帝王学を学ばせた。5年間の≪勉強≫も終えて結婚、一児の父親となった。今では専務として実質的に会社の経営を立派に担っている。
世相の乱れ。急成長を遂げたこの自販機ビジネスも多発する自販機荒らしが嫌な予感を感じさせないでもない。いずれにせよ、間もなく親父に代わって息子さんの出番だ。自らの会社にとどまらず、業界へのデビューも意味する。
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ありがとうございました!
私たちのクラブは地域柄、果樹農家もいるし、医者や公認会計士、行政書士、商店主、僧侶、もちろん会社経営者も多い。一口に会社経営者といっても、さまざまで、不動産会社もあれば測量会社、家電や清涼飲料、保険などの販売会社、また機械部品の製造メーカーや観光自動車会社のオーナーもいる。
私のように会社をリタイアして農業の真似事をしている者もいるし、学校の校長を定年で辞めて葡萄作りに励んでいる人もいる。農業と一口に言っても、この葡萄ばかりか桃、サクランボ、また花卉栽培農家もいる。その花卉を商う花屋さんも。ロータリークラブはそうした職業を通じての社会奉仕を標榜しているのである。だからメンバーの職業分類もしっかりしている。
過日の卓話では清涼飲料の販売会社を営む会員が、我が子に自らが苦労して育て上げた会社を譲る親の心境を話した。この人は私と同い年の66歳。高校時代の同級生で、私が勤めをリタイアしたのをきっかけに、このクラブへ導いてくれた人でもある。「俺も早く会社を卒業したいよ」。私が3年前、役員定年で会社を辞めた時、こんなことを言ったものだ。この人は卓話の中でもそんな心の内を話した。
「サラリーマンには定年がある。でもオーナー社長には定年がない。≪その時≫は自分で決めなければならない。それは傍が考えるほどやさしくはない」
確かにそうだろう。サラリーマンなら、その立場がどうであれ「定年」という問答無用の掟があるから簡単。しかし粉骨砕身、企業を育ててきた、しかも創業のオーナー社長が、いつまでも子供と思っている我が子にバトンを譲るのだから、タイミングは難しいに違いない。
この人は20代で脱サラして牛乳販売店を起こし、年商2億円の清涼飲料の販売会社に育て上げた。父ちゃん、母ちゃんとアルバイトを使っての、いわゆる町の牛乳屋さんだった。しかし、この人の着眼は良かった。当時は今のような普及を夢にも考えなかった自販機による販売に,いち早く戦略を切り替えていった。その中身も時代とともにコーヒーやジュース、お茶などの飲料に変えていったのである。
今では山梨県下の至る所に自販機を設けて、毎日、数十人の従業員が保冷トラックで同県下を飛び回っている。「事業は走りながら考えるもの」がモットーで「まず自販機を置くことが先。営業効果の理由付けは後でいい」が口癖だった。大学を出たての息子さんを取引先でもある大手飲料メーカーに預けて実戦の経営学や帝王学を学ばせた。5年間の≪勉強≫も終えて結婚、一児の父親となった。今では専務として実質的に会社の経営を立派に担っている。
世相の乱れ。急成長を遂げたこの自販機ビジネスも多発する自販機荒らしが嫌な予感を感じさせないでもない。いずれにせよ、間もなく親父に代わって息子さんの出番だ。自らの会社にとどまらず、業界へのデビューも意味する。
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