祭りと人々の素朴な心

  
お天神講


 そもそもの祭りは、氏神さんの祭りや辻々にある道祖神の祭りなど地域の人たち、言い換えれば、村人たちの神への畏敬の念や、五穀の豊饒、家内の安寧など素朴な心の集積によって作られ、伝えられて来たものだろう。それが証拠に大きなビルの谷間での祭りは似合わない。やがて村おこし、町おこし、地域おこしの具としても活用され、発展して来た。祭りは時代のその時、その時の世相を反映しながら後世に受け継がれていくのである。


氏神様


 山梨の信玄公祭り「甲州軍団出陣」も、その一つ。誕生には時代の変化が背景にあったことは確か。祭りが出来た昭和40年代初頭、山梨県を東西に走る国鉄(現JR)中央線は、それまでの蒸気機関車を捨てて電化。それに合わせて地元経済界は県都の玄関口・甲府駅の駅舎を全面改築、駅前を大きくリニューアルした。中央線に特急「あずさ」が走ったのもこの時。すぐに「かいじ」も加わった。停車駅を増やし、利用者に《小回りが》効く特急だ。




 その先頭に立ったのは、地元の新聞社・放送局のオーナー社長で、経済界のトップ・甲府商工会議所の会頭を務めていた野口二郎。野口の剛腕とも言える指導力で、ちっぽけだった駅舎は、沢山のテナントを収容した駅ビルに姿を変え、駅前広場は当時とすれば見違えるような変化を遂げた。駅前(南口)に信玄公の大きな銅像が出来たのもこの時。信玄公祭り「甲州軍団出陣」は、その集大成でもあった。




 背景とする時節もよかった。昭和30年代後半からの高度経済成長の波は祭りの滑り出しや、定着への足掛かりに大きく影響したと言っていい。経済界はこぞって祭りを協賛の名のもとに後押し。2,000人にも及ぶ軍団編成に企業が先頭に立った。しかし、世の中、そんなに甘くはなかった。その後に起きるバブルの崩壊は、少なからず祭りの華やかさに影を落としたことも、また事実。




 一つ、二つと企業が手を引き、それまで民間主導の実行委員会に行政が顔を出さざるを得なくなったのである。言い換えれば、行政に《助け》を求めた感もないとは言えない。そこには先祖来々、人々が素朴に続けて来た村祭りとは、イメージも中身も違ったところがある。でも武田信玄は山梨県民にとって《永遠の》英雄。祭りのシンボルとすることに誰も異存はない。




 山梨では「甲府盆地に春を告げる」祭りとして節分会でもある「大神宮祭」(2月3日)、「猫の卵と馬の角以外は何でもある」と言われる「十日市祭り」(2月10~11日)、一日に限って、どんな願い事でも聞いてくれる」という「厄よけ地蔵尊祭」(2月13日正午から14日正午)がある。祭りの舞台となる寺や神社の周辺には、さまざまな屋台がズラリとならび、いやが上にも祭りを盛り上げる。



大神宮祭


 ところが、こうした祭りに警察が介入したことがある。「交通上の障害」を理由に屋台を全面撤廃させたのである。住民は猛反発。一年で規制は撤廃された。屋台がなくなったら祭りのムードは丸つぶれ。地元住民はむろん、近郷近在からやって来る人たちが怒るのも無理はない。背景には暴力団やテキヤの排除への思惑があったのだろうが、住民の素朴な祭りに公権力の介入は似合わない。第一、テキヤを排除して屋台の秩序が守れるはずがない。




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Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
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