一本の河津桜
山梨で「河津桜」と言っただけでも、ちょっぴり違和感を覚える方もお出でだろうが、我が家の植え込み越しの「ふれあい広場」にある一本の河津桜が満開。周りに何本となく植えてあるソメイヨシノや枝垂れ桜は、まだ蕾を固くしているだけに、何となく≪場違い≫の感がないでもない。
何年ぐらい前だっただろうか。女房と二人して静岡県は伊豆の河津を旅した折、背丈1mにも満たない苗を買って来たのが発端。今では高さ10m、幹は太く、枝も横縦に大きく伸ばして立派になった。開花も早いし、ソメイヨシノなどと比べると逞しさも感ずる。でも正直言わせてもらえば、花全体が醸し出す風情はソメイヨシノにはかなわない。
花は桜。巷に、また四季折々に花は数々あれども、わが国では古来、花と言えば桜。その桜の代表格がソメイヨシノかどうか私には定かなことは分からないが、少なくとも私はそう思っている。河津の皆さんには悪いが河津桜ではないことだけは確かだ。しかしソメイヨシノには見ることが出来ないピンク色の、やや小ぶりの花は、これはこれで風情がある。第一、世の中、桜などと言わない内に花を開いて人々を楽しませてくれるのがいい。
全国的に見れば、河津は、ほんの点でしかないし、知らない人がほとんどだろう。でも、山梨に住む私たちにとって伊豆は馴染みの地。≪海なし県≫の人間にしてみれば、ちょっと大げさに言うと、あこがれの地である。若い頃、子供を連れての海水浴と言えば、まぎれもなく伊豆だ。遡れば、千葉の時代もあったが、受け入れる環境は確実に変わった。
桜と一口に言っても、この河津桜もあれば、ソメイヨシノ、その間に挟まる彼岸桜もある。間もなく4歳になろうとする孫娘を連れて先祖の霊に手を合わせた彼岸も、あっと言う間に過ぎて、今度は≪本当の≫桜、ソメイヨシノの季節。人は何故か、この時を「春本番」という。
河津の桜は兎も角、桜とは面白い。季節を代表したり、大きくは国を代表したりもする。「♪さくら、さくら…」と、童謡に歌われたかと思えば「♪貴様と俺とは同期の桜…」と軍歌にも歌われたりもする。軍歌というと、すぐ戦争云々と教条主義的に、お考えになる方もお出でだろうが、歌は、その時代を語り継ぎ、偲ぶものでもある。今は小学校でも中学校でも見かけなくなったが、男の子の制服の金ボタンと言えば、桜であった。
これも今では、ほとんど影を潜めてしまったが、時代劇映画には必ずと言っていいほど桜のカットが登場した。「遠山の金さん」や「忠臣蔵」の浅野内匠頭の切腹前のカットシーンが典型かも知れない。外交的にも桜は古くから使われ、米国のいくつもの都市には「友好の印」として、しっかりと根付いている。私も罪滅ぼしの女房との外国旅行で、その桜を何か所かで見た。
WBCの「侍ジャパン」は米国に準決勝で惜敗。勝敗は兎も角、個人的には「今時、≪侍≫でもあるまい…」と思うのだが、外(外国)から見れば、「フジヤマ」、「ゲイシャ」と並んで「サクラ」、「サムライ」は、日本の代名詞かも知れない。良い、悪いは別だ。
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