パナマ運河の感動
感動した。思わず拍手したくなった。どでかいホテルのような客船が山の上の人造湖から流れる水をせき止めた運河を次々と渡って、標高約27mの丘陵を越えて別の海に出るのである。大西洋・カリブの海から82㌔、そこはもう太平洋だった。ざっと100年前にやってのけたアメリカ人の開拓魂の逞しさと男達のロマンに思いをはせる一瞬でもあった。
カリブ海を挟んで大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河。PNAMA CANALだ。完成が1913年というから、その計画を思い立ったのはさかのぼって1800年代。今のような重機もなかった時代、アメリカ人は人力で大西洋と太平洋を繋げてしまうという途方もないことを思い立ったのである。山のてっぺんに人造湖を作り、その両側に掘割の運河を作った。
当時、大西洋と太平洋を行き来するには南アメリカの南端をぐるりと廻るしか方法がなかった。それへの船舶の所要日数はさっと65日。それを、わずか8時間に短縮したのだ。経済効果ひとつとっても計り知れない。マラリア、黄熱病。その舞台裏でさまざまの苦難と犠牲があったことも事実。一方で、その利権を巡って隣接国の紛争やアメリカを中心にした関係国の綱引きが行なわれたのも無理はない。経済効果にとどまらず、軍事戦略まで絡むのだから、一口には言い表せない複雑は歴史があったのだろう。
北アメリカ大陸の南端、フロリダのマイアミを出港した船は、大西洋を航行、細長く横たわるキューバ沖を這うように進んでカリブ海へ。途中、南米・コロンビアに寄った後、このパナマ運河を渡るのである。出港から4日目の午後。船内アナウンスはパナマ運河航行を告げた。マイアミからロス・アンゼルスまで15日間のクルージングのいわば第一のクライマックスなのだ。
ある者は自分の部屋のテラスから、ある者は7階のデッキや13階、14階の甲板から一斉に外を。誰ともなく歓声が上がり、みんな思い思いにデジカメのシャッターを切った。船はタグボートに両側を押され、ゆっくりと進んでいく。閘門と呼ばれる堰に入ると、また別の機械が。その間、船内アナウンスは運河の構造や建設、完成までの歴史を説明する。
アナウンス嬢は船の職員ではなく、運河の広報担当職員だ。走行中の客船に、どこからともなく、やって来た一艘のモーターボートが沖あいでピタリと張り付き、広報担当者を乗せるのだ。この広報担当は運河を渡りきり、太平洋の沖あいに出ると、また走行中の船からモーターボートに乗り移って帰っていくのである。
説明によれば、パナマ運河は二重のコンクリート壁と導水管からなる代表的な閘門式の運河。水深は一番浅い所で14m。幅は33~109m。川(チャグレス川)をダム(カトゥン・ダム)でせき止めて、水面標高27mの人造湖(カトゥン湖)を設け、その丘陵(ゴールド・ヒル)地帯の両側に深さ14メートルの掘割を造ったのである。
分かり易くいえば、閘門式といわれる仕掛けのプールに乗って、徐々に山に登り、また降りていくのである。へえ~、よくこんなことを考えたもんだ、と感心せざるを得ない。詳しくは次回にお話しすることにしよう。
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