どんど焼き
私だけかもしれないが、一年中で時があっという間に過ぎるのが正月のような気がする。三が日、七日正月が過ぎたと思ったら、もう小正月。何事にも「今年こそは」と心を新たにした元日が昨日のような気がする。考えてみれば「今年こそは、今年こそは」と言いながら一年が過ぎ、今にいる。人間とはそんなたわいもないものかもしれない。しかし、そんな短い一年という空間の中で人間何をするか、何をしたかを問われるのかもしれない。
七日正月と言えば七草粥、小正月、つまり十四日正月と言えば、どんど焼き。この地方では道祖神祭りの一環である。その風習は地域によって異なるが、私たちの地域・山梨市のこの辺りでは「きっかんじょ」と言って子ども達が灯篭を持って各戸を回り、その後で「どんど焼き」をする。各戸を回る子ども達には、それぞれの家でご祝儀を包む。
「きっかんじょ」の灯篭は立方体で、子ども達はその時代、その時代に合った文字や絵を書き込む。今も昔も変わらないのが「家内安全」。私たちが子供の頃、灯篭の四面のうち一つに必ずあった「五穀豊穣」の言葉が姿を消して「交通安全」が。競って大きな灯篭をつくり、担ぐ形態だったものが当たり前の時代から、その灯篭は小型化したばかりか、いつの間にか手提げに。しかもそれを持つのは、主役のはずの子ども達ではなく、付き添いのお母さんたち。重い?ものは親が持ってやるのである。
「五穀豊穣」の五穀は、言うまでもなく米、麦、粟、稗、豆(大豆)。今の子供たちは米、麦、大豆は知っていても粟や稗など知るはずがない。もっともこの五穀は時代によって変化する。この辺りはかつての米麦養蚕の農業形態から一変、果樹地帯に変わって久しい。しかも勉強優先の親の教育も影響して家業の農業を手伝うことをしない子どもが多いから、粟や稗どころか米や麦すら知らない子ども達だっていっぱいだろう。「五穀豊穣」などという祈りの言葉は、子供達にとって「そんなの関係ねえ」ことかもしれない。
子ども達が各戸を巡回する「きっかんじょ」が終わると「どんど焼き」が始まる。所は笛吹川に近い河川敷。広いスペースの中央にストームが築かれ、午後7時半を期して点火される。真っ赤な火が夜空を焦がすのだ。見上げる火柱の先には満天の星が。田舎に生活していても普段こんな綺麗な星を見たことはない。一等星もあれば、ニ等星、三等星も。冷え込んで空気が澄んでいるからひと際鮮やかに見える。
三々五々集まった大人も子どもも赤々と燃える大きな火の周りを取り囲む。しめ縄などお正月飾りを火の中に投げ込む者もあれば、書初めの文字を燃やす子どもも。数珠状に竹竿に針金で吊るした幾つもの団子を火の中で焼くお父さんもいる。大人には一升瓶のお神酒が振舞われる。火の力とお神酒が手伝って、いつしか身体全体が温まるのだ。
「きっかんじょ」もさることながら、この「どんど焼き」もだんだん様変わりしている。自然保護の観点から松飾りの松はなくなり、水田がなくなったから藁束もなくなった。勢い、火種の主役は桃や葡萄の剪定クズ。養蚕もなくなって団子も繭玉を模ったものはなくなり、まん丸に。無邪気な子ども達にとって、そんなことはどっちでもいい。
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