ポール・アンカは生きていた

 ポール・アンカは生きていた。こんな表現をしたら、往年のファンからお叱りを受けるかも知れないが、友人のお宅に行く途中、カーラジオから流れて来た「ポール・アンカ来日」の話題に正直言ってびっくりした。もう≪過去の人≫になっていると思ったからだ。



 ご存知の方はご存知。ポール・アンカはアメリカの1950年代、60年代を代表する歌手の一人。自作自演、いわゆるシンガーソングライターの草分け的な存在で、決して戦争を美化しなかった歌手としても有名だ。



 実は、ポール・アンカは私にとって青春の思い出であり、青春の1ページであった。アメリカ音楽にハマった訳わけでも、そんなに歌ったわけでもない。高校1年の頃だった。親しい友がハマっていたのである。学校からの帰り道、家に誘われては、ヒット曲「ダイアナ」「君はわが運命」をよく聴いた。


ポール・アンカ1


 友は私のような田舎者と違って、秀才型のお坊ちゃんといった感じで、経済的にも恵まれていたのだろう。たいしたお金にもならない農地を沢山抱えた百姓に対して、父親は山梨市の市長を務めるなど、子どもながらにスマートな家庭に見えた。お小遣いを沢山もらっていたのか、親におねだりしたのかは分からないが、次から次えとレコードを買ってくるのである。

★ポール・アンカの曲・試聴


 昭和33年頃のことで、レコードプレィヤーを持っている友達はいなかつたから、私にも珍しかった。当時、この友達がどうしてポール・アンカにハマったのか、分からなかったが、ドライブ中のカーラジオで聞いた「ポール・アンカの初来日は1958年」という話を聞いて、「ああそうか、彼はこれに影響されたのか」と頷けた。



 つまり、ポール・アンカが来日した1958年は昭和33年。時期がぴったり符合する。ポール・アンカは16歳のとき「ダイアナ」を歌い、アメリカに先駆けて日本で空前の大ヒットを飛ばしたのである。この頃、日本では、三橋美智也の「夕焼とんび」島倉千代子の「からたち日記」フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が茶の間の人気を集めていた。



 1958年といったら分かりにくいかも知れないが、その2年後は皇太子、つまり、今の天皇のご成婚、4年後は東京オリンピックである。北京オリンピックで高度成長を遂げる中国と同じように日本が発展を遂げようとしている時代であった。東海道新幹線や首都高速道路が開通した時代だったり、「貧乏人は麦を食え」と、励ましたはずの時の首相の首がとんだ時代でもあった。



 田舎者の我が家を振り返れば、レコードプレィヤーならぬ、蓄音機があった。その扉を開けると、ポール・アンカどころか「浪花節」のレコードがいっぱい入っていた。そんなレコードには興味がないから、みんなおもちゃのように叩き割った。ある時、この蓄音機を見た専門家が「これは100年以上前のアメリカ製のもの。大切にしなければいけませんよ」と言われて、「へえー、そうですか」といった程度のもの。ポール・アンカに魅せられたとはいえ、音楽オンチの人間とはこんなものだ。


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Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
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