毒舌

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 「そんな、つまらん質問するなよ」


 石原慎太郎は東京都知事の時代、記者会見で、よく、こんな言葉を吐いた。むろん、市井の私たちは、そんな光景を知るのはテレビしかない。それを受け止める記者さん達は、さておいて、テレビの前の人達の受け止め方は、さまざまだろう。「乱暴だ」と言う人もいれば「いいじゃないの」「小気味いい」と受け止める人もいるかも知れない。




 ただ一つ言えるのは、テレビカメラを前にした記者会見で、こんな“毒舌”を吐く政治家はあまたいない。「吐く」というより「吐ける」といった方がいい。時に、小気味がいい、と感ずることもあるのだ。報道だから、取材記者だから何を言ってもいい、と言う理屈は少なくともないはずだ。百歩譲って、唐突だったり、失礼な質問をぶつけることによって相手の本音や人間性を引き出す狙いがあったとしても、一定の節度とか礼儀があることも、また確かだろう。




 「首が飛ぶ」などと言ったら、少々、乱暴だが、閣僚などが辞任に追い込まれる原因の一つに「失言」がある。むろん、ご本人の不用意な発言が、その災いの源だが、一面、報道側の理不尽と思える、いわゆる「言葉狩り」に遭ったと言ってもいいケースもないでもない。政治家、特に閣僚の失脚パターンは、多くが「金」か、この「失言」。むしろ、新聞やテレビを賑わすのは失言問題の方が多いように見える。


国会議事堂


 確かに政治家は言葉が命。誰が考えても、その通りだろう。でも政治家だって人の子。うっかり、不用意なことが口を突いて出てしまうこともあるだろう。私のようなお人好しの田舎者は、そんな同情的な受け止め方をしてしまうこともあるのだ。マスコミの「言葉狩り」や政治家同士、党利党略の具にしているように見えるからである。ジョークと失言は違うが、日本人は欧米人と違ってジョークが通じない国民だと言われる。そもそも日本人は堅物なのだろう。




 政治家が失脚に導かれる要因は総じてスキャンダル。その多くが週刊誌のすっぱ抜き。それを新聞やテレビが上塗り、野党は、ここぞとばかり国会論議の中で問題視するパターンだ。私達、市井の野次馬達は、それを茶の間で面白おかしく見ている。そうかと言って痛快とは決して思えない。




 石原慎太郎は田中角栄をモデルにした小説「天才」(幻冬舎刊)の中で、田中と神楽坂芸者の関係に留まらず、いわゆる“隠し子”の存在まで書いている。田中は、今なら確実に週刊誌の格好の餌食になっていただろうし、その“スキャンダル”は、ロッキード事件以前に田中の首をぶっ飛ばしていたに違いない。




 石原は政治家を退いて、本来の小説家としての道を歩んでいるのだろう。ただ、若き「青嵐会」の時代はともかく、東京都知事時代、一度も、あの「言葉狩り」に遭わなかったのが、ある意味では不思議。“毒舌”を当たり前にしてしまったのが功を奏したのか。ガード一辺倒の政治家より、石原が「天才」の中で言うように豪腕な政治家が必要かも。(敬称略)




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「費用対効果」の矛盾

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 「今のままで自然成長して行けば、大都市は機能マヒしてしまうだろう。故に生産手段も含めて企業を地方に分散しなければならない。そのために新幹線を日本中に走らせ、どの県にも県都の近くに飛行場を作り、国民の移動の時間と距離を短縮させる。それによって総生産量が向上し、利益が増大すれば、これから多分、進むであろう国民の高齢化にも対応できる社会保障のための予算も…(後略)」





 石原慎太郎が田中角栄元総理をモデルに書いた一人称小説「天才」(幻冬舎刊)の中の一節。田中の言葉だ。いわゆる「日本列島改造論」の根底を成す部分である。田中の「日本列島改造論」は、もう40年も前のこと。田中が言うように、我が国の都市機能は、もはやパンクする寸前。その一方で、地方は疲弊し、その落差は増大するばかりだ。田中が同改造論で掲げた高速道路網や新幹線は、地方と都市の距離を短くした。先頃開通した北陸新幹線や本州と北海道を結んだ新幹線は、地方の人達に大きな夢と期待を与えたことは間違いない。




 当時、「人間ブルドーザー」と揶揄され、大方の国民に支持されようとした田中とその「日本列島改造論」は、あのロッキード事件による自らの失脚を境に潰(つい)えた。田中の言う「地方から田舎をなくす」構想は、少なくとも泡と消えたのである。ただ、その頃描かれ、各地で続けられて来た高速道路の整備や北陸新幹線などは、田中政治が仕掛けた産物であることもまた事実だ。




 時代が変わって「公共事業は悪」とでも言いかねない風潮さえ生まれた。ある政権下では「事業仕分け」などと言う付け焼き刃のパフォーマンスまでも演じて見せた。「脱ダム宣言」という響きのいいフレーズで、見え見えの人気取り政策?を掲げた落下傘知事もいた。確かにひと頃、市町村が競った「箱物行政」には、大方が首を傾げたが、地方のインフラ整備、洪水対策や下流域の飲料水の恒久的な確保など長期的な視点に立ったダム建設は必要不可欠。脱ダムのツケは各地で起こる河川の氾濫に証明され、将来もツケを背負うに違いない。治山治水は戦国の昔から普遍の政治哲学とされて来たはずだ。



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 政治家や評論家、行政官は、公共事業の計画や、その予算付けに「費用対効果」という言葉を使う。うまい言葉で、いかにも科学的、合理的に聞こえる。しかし、この言葉ほど矛盾をはらんだ言葉はない。費用対効果至上主義で公共の事業を進めたら、資本の投下は人口の多い都市部に集中するに決まっている。その一方で、地方は疲弊して行く。地方の過疎化は、裏腹に都市部の人口増大を招き、都市機能を低下させるという悪循環を招くのだ。




 地方では、道路網の整備の遅れなんかは序の口。未だに下水道すら整備されていない地域がいっぱい。「卵が先か、鶏が先か」。現時点の費用対効果を言うのではなく、将来を見据えた費用対効果を考えた資本の投下をしないと地方は、絶対に生き返らない、と考えるのは私だけだろうか。「天才」を書いた石原は元東京都知事。口が裂けても地方への資本投下による地方創生など口にすまい。

 一方、本当に地方の実態を代弁をしなければならないはずの地方選出の先生達は、何故か口を閉ざしたまま。選挙で「票」を集めなければバッジを付けることが出来ない政治家。「票」の少ない過疎の地域は勢い二の次、三の次?そして普段は東京に住み、選挙が近づくと地方に…。実感だって沸きっこないよね。(敬称略、次回に続く)




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「天才」と石原慎太郎

田中角栄


 幻冬舎出版の「天才」という本を読んだ。石原慎太郎が田中角栄をモデルに、彼になりきって、一人称で書いた小説だ。言うまでもなく石原は小説家であり、政治家。学生時代に「太陽の季節」で芥川賞を受賞、後に政治家となって運輸大臣や東京都知事も務めた。




 「太陽の季節」は映画化され、慎太郎は弟の石原裕次郎を銀幕に導いた。野球界の王貞治、長島茂雄と同じようにスーパースター・石原裕次郎を生み出すきっかけとなったのである。後に裕次郎の妻君になる北原三枝は、この映画に次いで制作された「狂った果実」がご縁だった。私なんか、そんな裕次郎の映画に魅せられ、学校をサボって見歩いた世代の一人。根っからの裕次郎ファンだったのである。




 一方、田中も言わずと知れた我が国の総理大臣経験者。最後は日本に激震を走らせたロッキード疑獄で、「宰相の犯罪」として法の裁きを受けながらも「闇将軍」と揶揄され、政治の裏舞台に君臨した。ロッキード事件は、もう40年も前の出来事だから、事件そのものを知らない世代も多いだろう。小説「天才」は、ロッキード事件を書いたものではない。政治家・田中角栄を、その生い立ちも含めて描いたものだ。




 「天才」を読んでいて「おやっ?」と思ったところが随所にある。その第一は石原が田中を極めて好意的に描いている点だ。石原は時の権力・田中政治と真っ向から対立した政策集団「青嵐会」の中心的な人物。自らも本の中で「田中に弓を引いた男」と書いている。当時、ことある度に繰り返した派閥抗争などという泥臭い政治力学ではなく、政治に対する考え方、言ってみれば政治哲学が全く違う二人なのだ。


石原慎太郎


 実は、この石原さんとは、何度かお目に掛かってお話もしたことがある。国会担当をしていた34,5歳の若造の時分だった。国会議事堂、と言うより衆議院第一議員会館と目と鼻の先に「十全ビル」というのがあって当時、青嵐会の座長をしていた山梨県選出の代議士・中尾栄一の私設事務所があった。そこが石原ら青嵐会メンバーのたまり場になっていたのである。むろん、石原も今より40歳も若い精悍然とした政治家であった。石原や中尾たち青嵐会の強者達は予算委員会であれ、どこであれ、真正面から田中政治に食いついた。国会に近い地の利のいい中尾の私設事務所は、その策略会議の場でもあったのだ。




 中尾の事務所の表札には「中尾」の「な」の字もなく、あるローカルCATV局の表札が架かっていた。そこには美人で、聡明な秘書さんがいて、青嵐会の強者達の世話もしていた。その秘書さんはある大学の経営紛争に巻き込まれた気の毒な人であった。ここでは、そんなことに触れない方がいい。兎に角、石原は精悍であるばかりか、貴公子然としていた。




 小説の「あとがき」が面白い。小説本体の田中一人称の書き方と違って、むろん、ここは石原の考えを綴っている。「面白い」と言ったのは、石原が小説の標題にしたように、田中を「天才」と位置づけ、「田中角栄のような政治家が今の世にこそ必要だ」と述べていることだ。「田中政治」の根幹は「日本列島改造論」に象徴される。高速道路網計画や新幹線構想を打ち出し、地方の公共事業推進を奨励した。このことも「あとがき」で書いているが、この「あとがき」が何と16ページにも及ぶ。そのタイトルは文字通り「長い後がき」。そこに綴られた石原の本音部分が、また面白く、興味深い。(敬称略、次回に続く)




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万歳の明暗

 こんな言い方をしたら叱られるかも知れないが、師走の「政治ショー」は終わった。街角はむろん、テレビを囲んだ茶の間を巻き込んで日本中が大騒ぎした総選挙が幕を閉じた。でも、もう一騒ぎしないと年は越せない。3年3ヶ月ぶりに政権を奪還した自民党が安倍首相のもとで内閣を発足させ、名実ともに新政権を樹立して一区切りだ。




 選挙開票の真っただ中で、「万歳」を叫び、その余韻もさめやらないまま登院の準備をする先生達。その一方で永田町の議員会館事務所を引き払う落選組。師走の寒空の下で繰り広げられた政治ショーの舞台裏は悲喜こもごも。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は落ちたら只の人」。ある老政治家が残した有名な言葉だが、まさにその通り。自ら選んだ道とはいえ、心中はお察しする。


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 「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」


 衆院議長のその一言を合図に一斉に起立して「万歳」を叫んだ480人の先生達。あれから1ヶ月。当たり前の事ながら明暗を分けた。特筆すべきは8人もの閣僚の落選。内閣の半分が討ち死にしたのだから、前代未聞の出来事である。市井の私たち、ちょい悪“雀”どもが「大臣も地に落ちたものだ」と罵っても反論すら出来まい。



 「お父さん、国会という所はおかしな所ね。無理矢理、解散されたのに、どうして万歳、万歳と嬉しそうに叫ぶの?一人一人の国会議員の先生達は、本当は解散などして欲しくはないんでしょう?」



 茶の間で、国会解散を伝えるニュースを見ていた女房が独り言のように言った。



 「あの万歳には“ふてくされ”もあるようにみえるよなあ~。それはともかく、解散国会の万歳には諸説あって、来るべき選挙戦に勝ち抜いて再び、この本会議場に戻ろう、つまりそんな願いを込めての気勢というのが、どうやら一般的らしい。いつからかは定かではないが、歴史は古く旧憲法下の帝国議会から続いている衆議院解散時の伝統だそうだ」



 「へえ~、でもピ~ンと来ないわね…」



 日本人は「万歳」が大好き。忘年会や新年会の座敷でも最後の締めは万歳。間もなく迎える元日の拝賀式でも「この一年、皆様にとって…」と、やっぱり万歳。結婚式や竣工式でもそうだ。「三本締め」とか「一本締め」という“締め方”もあるが、やっぱり万歳の方が…。「一本締め」は「関東の…」と、前置きするくらいだから関東地方特有かも知れない。


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 「万歳」は、お隣の中国や韓国、北朝鮮でも。その国の新聞報道を伝えるテレビで、ちょいちょいお目に掛かる。元はといえば“本家”はそちら。中国などを旅した時、街角の看板でしばしばお目に掛かる。「万歳」は中国からの“輸入品”なのだ。

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 衆院選開票日の夜、当選を伝えられた先生達は、支持者達の「万歳」の嵐の中で平身低頭。「国家、国民のために…」、「党や国の有り様を変え、皆さんの生活を…」と、まるで天下を取ったように大見得を切る。「本当にそんなことが出来るの?」と、茶の間で冷ややかに観ている“観衆”を尻目に選挙戦を熱く戦った支持者達は「万歳」に沸いた。その一方の陣営は…。




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本末転倒

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 テレビを点ければ、やれ新党がどうの、第三極がどうの、とかしましい。


 「お父さん、政治ってどうなってるの?わたしなんかにや~さっぱり分からないわよ。銀行や生保の合併と同じね。お父さんは生い立ちや、それぞれの考え、順序だってみんな言える?」


 女房は藪から棒に言った。


 「オレに分かるわけ、ねえじゃねえか」


 女房のみならず、私だって「どうなってるの?」と言いたいくらいだ。原発、TPP、増税…。政府・与党を除けば総じて反対。原発に到っては経済政策との絡みや国民の電気料という名の経済負担などそっちのけで、反対、反対。その裏にはなんとなく作られたオバケのようなポピュリズムに乗って「勝たんかな」が、見え見え。堂々と将来に向けた原発政策を掲げ、論ずることが怖い? 


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 しかし、訳も分からない“ポピリュズム”に陥ったら…。選挙に勝つため?の各党の思惑、戦略だから百歩譲って、これもいい。政治家の離合集散。これも“先生達”の保身の術だから気持ちも分からないでもない。




 でも、ちょっと待てよ。「政治主導」、「官僚支配の打倒」、「霞ヶ関との戦い」。政治家先生が党派を超えて口をそろえていらっしゃる、この言葉。ちょっとおかしくありませんか。政府を担っている民主党でさえ同じことを言う。




 財務省、外務省、国土交通省、厚生労働省…。いわゆる霞ヶ関は今も昔も内閣・行政府の事務局、事務部隊のはず。「官僚支配の打倒」も「霞ヶ関との戦い」も、全くの本末転倒。国権の最高機関にいらっしゃる衆参両院の先生方が言う言葉ではない。主客転倒ともいう。


国会議事堂


 主の言うことを聞かない使用人、部下は一般にはあり得ない。内閣総理大臣は行政府の長。その行政府、つまり内閣の仕事を分担する大臣は、それぞれの担当分野の長なのだ。




 「政治主導」。当たり前の事。その当たり前の歯車がどこで狂ったのか。「政治主導」という言葉は、よく考えたら民主党政権が言い出した新しい言葉。政権交代した民主党は「よう~し、オレ達が霞ヶ関を変えてやる」と、すごんで見せた。




 ところが、おっとどっこい。「変えれるものなら変えてみろよ」。霞ヶ関からそんな声が聞こえてきそう。それもそのはず。3年数ヶ月の民主党政権中、総理大臣は3人目。霞ヶ関の現場を預かる大臣は「改造」という“洗礼”を受けるから、その任期はもっと短い。「私は素人です」。何処かの大臣が言ってひんしゅくを買った。




 この大臣、正直ですよ。1年足らずで、内政はおろか外交、果ては防衛まで理解し得たらスーパーマン。政治家先生が「政治主導、政治主導」とハナから粋がること自体がどだい無理。そのために「事務局」の霞ヶ関があるのであって、官僚のしっかりしたレクチャーを受け、それを基に判断を下すのがトップたる大臣の取るべき姿。




 分からないのに「オレがやるからいい」と言ったら、部下は「それならやってみろよ」と言うに決まっている。巨大なシンクタンク・霞ヶ関をしっかりと動かさなかったらこれこそ税金の無駄遣いだ。官僚は、“一夜限り”の政治家と違ってキャリアですものね。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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