ゆく年くる年

 門松


 大晦日からお正月。何事もないように時は流れるのだが、一年中でもこの時が最も新鮮で、心が改まる時期でもある。新しい年を迎えるスタイルは人さまざま。共通しているのは来る年こそはいい年でありますようにと願う気持ちだろう。嫌なことは全て忘れ、新しい年へ心を新たにする。



大石神社

 我が家では家族揃って菩提寺に参り、除夜の鐘を突いた後、近くの神社に初詣をする。大石神社と言って250段近い石段を登ると、その名の通り直径30m以上もある奇岩に囲まれた社がある。無住の神社だから地域の人たちが交代で管理しているのだ。長く、急な石段を登るのが年々きつくなる。若い時とは違う。残念だが、歳は正直に反応するのだ。


   大石神社       
      
 
 NHKは恒例の紅白歌合戦を終えると、流れるように、これまた恒例の番組「ゆく年くる年」に。全国の寺社仏閣を結んで、新年を迎える各地の表情を伝えるのである。テレビから流れる除夜の鐘の音に暮れ行く年を身体に感じながら防寒の身支度をして初詣に出かけるのだ。厳松山信盛院まで車で2~3分。




 参拝者が代わる代わる鐘を突く。寒い。鐘楼前の広場では赤々と大きな焚き火が。未明の夜空には満天の星が光る。いつもと同じようにある空だが、ゆく年くる年の夜空はいつものそれとはなぜか違って見える。焚き火を囲みながら振舞われる甘酒がうまい。寒風にさらされたからだが温まる。「明けましておめでとうございます」。会う人ごとに新年の挨拶を交わし「今年も宜しく・・・」。ほとんどが顔なじみだ。




 除夜の鐘は大晦日から元日に掛けての古くからの慣わし。煩悩を鐘に託して打ち払う。その数は108つ。私達は、面白がってと言ったら不謹慎だが、みんなで思いのままに突いている。しかし、正しくは大晦日のうちに107回を突き、年が明けたら最後の108回目を突くのだそうだ。しかも、そのペース配分も大切で、1回目から大晦日分の107回と新年の108回目までが均一になるのが正式だという。しかも鐘を突く力のバランスも強弱を交互にするのが作法だそうだ。「ゆく年くる年」のテレビに登場する全国の名刹から流れる除夜の鐘は、恐らくそんな作法にのっとっているのだろう。


鐘

 108つ目の鐘が鳴るとお正月。新しい年の始まりだ。一般家庭では少なくなったが、会社、官庁の玄関先にどんと居座る松飾り。「松竹梅」が誰の目にもお正月の到来をいやが上にも印象付ける。言うまでもなく「松竹梅」はおめでたいものの代表格。モノの本によれば、松と竹と梅は「歳寒の三友」と言われ、この三つが一枚の絵に描かれているものを「三友図」という。


松飾り

 さて、この三つの順序。昔から松・竹・梅の順で、これをイレギュラーして言う人はいない。その理由は単なる語呂という説もあれば、最初のは、季節によって葉っぱを落とす竹や梅と違って厳寒にも強く、いつも緑を蓄えるからだという説も。まあ、そんなことはどっちでもいい。お正月は、また旨い酒が飲める。2日は母校(日川高校)の同級会だ。卒業以来、欠かさず開いていて、57回目を迎える。懐かしい友との酒が楽しみだ。




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


年の瀬のキーワード

神社

 ある年代以上の方なら誰でも知っている。テレビの人気番組に「連想ゲーム」というのがあった。その連想ゲームならずとも「すす払い」とか「大掃除」といえば、誰しも年末を思い起こすに違いない。文字通り一年の垢を払い落として、すがすがしい気分で新年を迎えようという行事なのだ。神社やお寺でのすす払いは、テレビや新聞などで歳末の風物詩としてクローズアップされ、それを見た人々は改めて年の瀬を実感するのだ。




 このすす払いとともに一般家庭の年末行事のひとつに、障子の張り替えがあった。子供の頃だった。この辺りでは「うどん粉」と言ったのだが、おふくろが小麦粉(うどん粉)で作った糊で家中の障子を張り替えるのだ。その頃の田舎家は間仕切りといえば、ほとんどが障子かふすま。もちろん、贅沢なケヤキの帯戸もあるが、その数は少ない。



障子12


 おふくろと言うより、母親、いや、お母ちゃんといった方がいい。鍋にいっぱい作った糊とハケを巧みに使って障子を張替えて行くのである。破れたり、汚れた紙を剥ぎ取り、障子の桟(さん)を綺麗に洗ってからの作業であるのはいうまでもない。




 冬休みの子供たちも母さんの手伝いをするのだが、なにしろわんぱく盛り。今のように一人っ子、二人っ子ではなく子供が多いものだから、一人がいたずらすれば、脱線は停まらない。昭和20年代も終わりの頃、モノクロのテレビでは力道山がオルテガやライト兄弟、ルーテーズといった外国人レスラーを相手に空手チョップで活躍するプロレスが子供たちの人気だった。夕方は大相撲中継だ。もちろん画像は今の地デジなどとはほど遠く、粗末なものだった。時々、ジャー、ジャーと音を立て、波打った。


力


 力道山人気。子供たちが真似しないはずがない。母親が丹念に張ったばかりの真新しい障子の升目めがけて、みんなで空手チョップの嵐。快いと言うか、手頃の音を伴うものだから、いたずら盛りの子供たちにとっては痛快至極。母親にとってはたまったものではない。張り替えたばかりの障子は4人も5人もいる悪ガキの手で穴だらけになってしまうのである。叱られるのは言うまでもない。しかし、今のお母さんたちのそれとはちょっと違った。今にして思えば、おふくろは子供たちのいたずらを、ある程度、許容していた。そんな母親の気持ちが分かってか、やがて上の子は下の子のわんぱくを戒めたりもした。考えてみれば昔の親は偉かった。子供たちにいたずらの良し悪しを考えさせるゆとりがあった。ゆとりというより、沢山の子供を怒りきれなかったのかもしれない。


襖  


 障子は一般家庭からどんどんその量を減らしている。畳の和室がフローリングの洋間に変わるなど住宅構造が大きく変化しているからだ。我が家を見ても障子の面積は半分どころか3分の1に減った。個室化で壁やドアに姿を変えた。数少なくなった障子だって子供が少なくなったり、核家族化によって家族そのものが少ないから、破れもしなければ、汚れもしない。我が家ではここ何年も障子の張替えなんかしてない。大掃除も同じで、高性能の掃除機があるから女房が時々、その掃除機を掛ければいい。障子の張替えも大掃除も年末の風物詩足り得なくなった。面倒な仕事はゴメンだが、それもなんとなく寂しい。


フローリング


.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


焚き火と焼き芋

青空


 昨日の終日の雨とうって変わって今日はいい天気になった。空は雲ひとつない。秋の時期なら「抜けるような青空」と言うのだろうが、この時期だとそうはいかない。地上からの放射熱が上昇して空中に水蒸気の層を作るから秋の空とはどこか違う。




 「冬の空は下から見上げるといい青空に見えるが、空の上から見るといつも霞がいっぱい。特に都市部、つまり、住宅街の上空はそれが顕著。オフイスや家庭から放出される暖房熱のためだ。航空写真をとる場合、雨の少ない冬の時期は好都合のように思われがちだが、案外駄目。こうした暖房熱が少ない山間部はすっきりと下が見えるのですが・・・」



 ヘリコプタやセスナ機で航空写真を撮ることが多い知り合いのカメラマンがこんな話をしてくれたことがある。


飛行機と空



 今、朝の8時半。窓越しに見える富士山は、下界では雨だった昨日、雪の衣を厚くして青い空にくっきりと浮かび上がっている。東側の四分の一ぐらいの部分を朝日でまぶしく輝かせている。残る影の部分は青白い。そのコントラストが壮厳な富士を演出してくれる。下界と違って、そのうち、この富士の上空で風が起これば東斜面の雪が吹雪となって舞い上がる。その光景もまたいいものだ。





 こうしてパソコンを叩いているデスクの窓越しに見える富士は、30mぐらい先にある石の門柱のちょうど左側の肩に浮かんでいる。門柱の手前には種類の異なるカエデやイチョウがあるが、今は枯葉を落とし出して、みすぼらしい姿をさらけ出そうとしている。一ヶ月ほど前だと、イチョウは黄色に輝き、種類の異なるカエデはあるものは黄色に、またあるものは真っ赤に燃えていた。高く伸びた棕櫚(しゅろ)や各種の常緑樹の緑とマッチして見事な紅葉を見せてくれた。


富士山



 地面を見れば、その残骸ともいえる落ち葉がいっぱい。一足早く落とした柿の葉っぱなどとともに枯葉のじゅうたんである。ものの哀れさすら覚えるのだが、そんな感傷的な事ばかり言ってもいられない。厄介者を熊手でまとめては燃やすのである。そう、あの童謡にもある落ち葉焚きだ。


落ち葉 秋 紅葉_convert_20121206193103


 「お父さん、サツマイモを持って来ましょうか」



 普段、気が利かない女房がこんな時ばかりは嬉しそうに飛び回る。そのためでもないが、今年は我が家でサツマイモを作ったからいいが、昨年などは3~4㌔先のスーパーまで行ってサツマイモやホイル用の銀紙を買って来るのである。普段、用事を言いつければ、なんやかやと理由をつけては逃げてしまうのに、嬉々としながら率先するのだ。



サツマイモ3



 女という動物は元来、焼き芋が好きなのか。まあ、それはともかく、濡れ新聞紙やホイルに包んで焚き火の中に放り込んで置くと、確かにうまい焼き芋が出来る。濡れ新聞紙やホイルの銀紙まで用意して焼き芋をしたい女房の気持ちも分からないでもない。何より、冷え込む一方の冬空の下では、焚き火は暖かい。この機会に剪定で切り落とした植木の枝も処分するのだ。焚き火。そういえば、都会では味わえないかも知れませんね。





.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


冬に向かう里の秋

もみじ_convert_20101205223620


 里の秋は、どんどん深まって行く。深まるというより冬へとバトンタッチしているのだ。街路樹のイチョウ並木は黄色い葉っぱをハラハラと風に落とし、我が家の植え込みのカエデも紅葉の盛りを通り過ぎた。常口の前を東西に伸びる3尺程度の細い古道沿いに垣根代わりに植えられた山茶花が「今度はこちらの出番」とばかり開花し始めた。秋は山から里へ。ついこの間まで紅葉狩りの行楽客で賑わった山間の渓谷は人影をなくし、もはや冬のたたずまいである。自然界は季節の移ろいを見事に表現してくれる。


山茶花_convert_20101205223708


 紅葉を織り成す代表格は、何と言ってもカエデであり、ナナカマドウルシだろう。とりわけナナカマドは鮮やかだ。ナナカマドは火に燃えにくい木だそうで、七回も釜戸に入れないと燃えないことからその名が付いたという説がある。ウルシなどと共に真っ赤に染まり、周囲の松や杉など常緑樹と、これまた見事なコントラストを見せるのだ。


もみじ2_convert_20101205223801


 「もみじ」という植物はない。一般に「もみじ」と言われるのはカエデだ。このカエデにもさまざまな種類がある。我が家にも大小10本近いカエデがあるのだが、それぞれがみんな違う。真っ赤に色付くものもあれば、深紅や淡い赤、茶色っぽいものもある。それぞれが独自の色合いを表現するのである。初夏、若葉の色合いもまた異なる。ほとんどが緑の葉を付けるのに、まるで黄金色の葉っぱを付けるものもあるのだ。




 逆から言えばカエデは「もみじ」とも言われ、紅葉を「もみじする」とも言う。可愛い赤ちゃんの手を「もみじのような手」などという。若い女の子達は紅葉したカエデの葉っぱを栞代わりにする。カエデは古来、人々の心や生活に深く溶け込んでいる。料亭の会席料理にしばしば添えられるのもこのカエデ、つまりもみじだ。街路樹のイチョウが落とす銀杏も茶碗蒸しの具の定番。


イチョウ_convert_20101205223910


 イチョウが葉っぱを落とす頃になると、なぜか東京・永田町のイチョウ並木を思い出す。国会議事堂と衆・参議員会館の間を走る街路樹である。この辺りを毎日、仕事で歩き回っていた若い時分のことである。35~6歳、東チョン時代であった。品川に近い泉岳寺にある知り合いのホテルで仲間たちとしこたまお酒を飲み、朝帰りした。出勤にはちょっと早いが、なにせ単身赴任。そのまま仕事場に直行。地下鉄国会議事堂前で降りると、そのイチョウ並木の下で通勤途中のOLたちが競うように銀杏を拾っているのである。場所が場所。OLたちは国会職員や議員秘書だ。あっという間に落ちた銀杏は跡形もなくなる。


国会議事堂_convert_20101205222706


 「へえ~、こんな所に銀杏のなる木があったのか」。普段、何気なく歩いていた街路で再発見させられた思いだった。ご存知のようにイチョウは全てが銀杏を付けるのではない街路樹は一般的に実を付けないイチョウを植える。実が入り、落ちた銀杏は表現し難い異様な臭いを放つ。これが嫌われるのだろう。でも珍しさが先行するのかOL達はなんのその。「この銀杏、美味しいですよ」とお訪ねした議員事務所の秘書さん。「これは首相官邸から何本目のイチョウの木の下から拾ってきたものだね」と言ったらびっくりしていた。ともかくお陰でこの街路のイチョウで実を付ける木を今でもみんな覚えている。





.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


冬への助走 里の秋

4df04458e82d28eaedc89de43639492b_s_convert_20171205130909.jpg



 街路樹のイチョウ並木は、黄色い葉っぱを次々と落とし始め、我が家の植え込みの落葉樹も何時の間にか葉っぱの数を減らし始めた。紅いもの、黄色いもの。一口に言ってしまえば、それまでだが、その二つでは割り切れない微妙な色の違いを見せるカエデ。晩秋と言うのか、初冬と言うのか、そんな中途半端な時季の樹々の表情は多彩であり、また風情もある。




 木枯らしと言うには、まだ実感が沸かない風に揺られ、三枚、四枚と葉を落としていく落葉樹。まだ紅葉の域にはあるとはいえ、流石にひと頃の鮮やかさはなくなった。あと一週間、10日もすれば、全ての葉っぱを落とし、丸裸に変身するのだろう。ひと頃までは紅く、黄色く燃えていた周囲の山も茶色の枯葉になったばかりか、枯れ木に変化を見せ、こちらは見るからに寒々しい冬の佇まい。私たちが住む里へと季節のリレーを終えている。



1473316cd79119fbe05b28ab920aa6ce_s_convert_20171205131326.jpg


 植え込みで、一足早く葉っぱを落とした百日紅やザクロ、カリン、杏子…。畑の柿やリンゴ、ブドウも次々と葉っぱを落としている。こちらは篤農家と、そうでない農家との違いは、くっきり。篤農家のブドウ棚は、確実に葉っぱを落とすのが遅い。それだけ木に勢いがある証拠だ。肥料の施しなど日ごろの管理の良し悪しの表れで、私のような素人でも周りを見渡せば一目で、その違いが分かる。





 樹々の勢いの良し悪しは、来年の収穫に影響を及ぼすことは言うまでもない。街路樹にせよ、植え込みにせよ、ブドウやモモのように果実の収穫とは関係のない樹木だって同じこと。施肥や土壌によって落葉は前後する。イチョウやケヤキの街路樹。紅葉はむろん、次々と葉っぱを落とす様は、晩秋、初冬の寒々しさを演出、それはそれなりに風情をもたらすが、沿道のご家庭やオフィス取っては、どちらかと言えば厄介者。毎日、掃除を強いられるからだ。




 4反歩ほどのブドウ園(ピオーネ)を全て切り、«百姓もどき»を決め込んだ私にも、その後の除草や、野菜作りは残されているし、母屋やお蔵を囲んだ表と裏の植え込みはいつも通り管理しなければならない。それにブドウ園の跡地とは別に甲州百目や富有、御所など結構の広さの柿畑も二か所ほどある。こちらは、もう、とっくに葉っぱを落として丸裸。



葡萄畑1



 果樹地帯のこの辺りは枯露柿の産地でもある。ところが、今年は«裏年»なのか、天候不順の影響なのか、原材料となる甲州百目などが不作。もちろん、富有など柿全般だ。我が家の
畑も例外ではなく、しっかり実る前に黄色くなって落ちてしまった。僅かに残った柿の実は「子守り柿」として小鳥の餌に。それでも剪定作業はしなければならない。




 剪定は夏の間に伸びた徒長枝の切除が中心。むろん木づくりが狙いであることは言うまでもない。毎年のことだが剪定は梅や杏子、百日紅の木から始め、カリン、ザクロ、葉を落とすのが遅いカエデなどの順に進めて行く。梅は早咲きのものは蕾を膨らませているので、剪定の時期としては遅いのだろう。




 落葉樹の中で一番特異なのは柏の木。この木だけは葉っぱを枯らしながらも一枚たりとも落とさない。春になり新しい芽吹きを待つのである。「逞しい子供に育って欲しい」。端午の節句に用いられる「柏餅」の由来はそこにある。柏の木の生命力に因んだものだろう。



.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!



ランキング参加中です!
人気ブログランキング【ブログの殿堂】
おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
ブログ成分解析
ブログランキングならblogram
検索フォーム
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

全国からアクセスありがとう!

ジオターゲティング
最新トラックバック
アルバム
リンク
忍者ツール
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!