蛍の復活

 太鼓1


 ホタルが姿を消し始めたのは昭和30年代だった。わが国が「戦後」に別れを告げ、高度成長期へと突っ走り始めた頃と符節を合わせた。私たちの田舎、山梨県の峡東地方では他の地域に先駆けて葡萄や桃の産地化が始まった頃だ。それまでの米麦、養蚕の農業形態からある意味、革命的とも言える転換だったa。それまでの水田や桑畑はあっという間に姿を消し、その跡に果樹園が広がった。


budou.jpg


 果樹栽培には病害虫を駆除するための消毒が欠かせない。40年代に入ると除草剤が登場するのである。言うまでもなく、果樹栽培は米作と違って人手と手間がかかる。農家にとって除草剤の開発はまたとない福音だった。この除草剤は元々米軍が、あのベトナム戦争で開発したというシロモノだから威力は抜群。人手不足の農家に諸手を上げて歓迎され、省力化に貢献したのである。




 消毒薬は病害虫を殺すばかりではないし、除草剤も雑草を枯らすばかりではない。残留物は付近の川に流れ込み「小鮒釣りしかの川」まで死の川に変えた。どの川にも鮠や鮒、鯉は当たり前、シジミも取れたし、この時期には大きな鰻も遡上した。小川は地域の子供たちの遊び場だった。




 川を殺したのは農家ばかりではない。一般家庭も家庭雑廃水という名の排水で川を汚した。三種の神器とか3C(カー、クーラー、カラーテレビ)という言葉が生まれ、どの家庭にも洗濯機も当然のように登場した。急激な高度成長は、至る所にちぐはぐな現象をもたらした。下水道などインフラの整備なんか追いつくはずがないから、洗剤をいっぱいに含んだ家庭排水は、そのまま川に流れ込んだ。川だってたまったものではない。農薬と家庭雑廃水のダブルパンチは、川の生き物を死滅させたのである。か弱いホタルの幼虫なんかひとたまりもない。



太鼓
   

 そんな現状を放って置くほど人間、バカでもノロマでもない。消費者には分からないだろうが、急速に農薬規制が行なわれ、雑廃水たれ流しへの反省も徐々に進んでいる。もちろん死の川が蘇えっているわけではない。しかし、場所によってはホタルが一匹、二匹。


 根津


 山梨市ではこの十年、万力公園を舞台に毎年、ホタル観賞会が開かれている。この公園は、かの戦国武将・武田信玄が治水のために築いた「信玄堤」が今も残るところで「万葉の森」とも言っている。一画には地元が生んだ、あの鉄道王・根津嘉一郎の銅像も。



 


 今年もつい先日、この、ホタル観賞会が開かれた。昼間、市長を先頭に各界の代表が集まってにぎやかに開会行事が。子供たちの「岩手太鼓」で幕を開け、夜の帳が下りると浴衣姿の家族連れなどホタル見物の人達で賑わう。公園の広場には終日、屋台も並んでちょっとしたお祭りムードだ。


蛍まつり


 ホタルはこの時期の環境の良し悪しを測るバロメーター。市をはじめ関係者はこの祭りを環境改善の起爆剤、導火線と位置づけている。小川に鮒や鯉が戻り、夏にはホタルが舞う、そんなふるさとが帰ってきて欲しいものだ。


屋台


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蛍狩りとガキ大将

蛍

 「ほ~ほ~ホタル来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ・・・」

この時期になると、周りの田圃は田植えが済んで、夕方ともなればこの青田からは蛙の鳴き声が・・・。そして夜の帳が下りると、一帯にはホタルが舞った。





 子供たちは小さなホタルかごを片手に田圃のあぜ道や小川の淵を飛び回った。浴衣などといったカッコいいものではなかったが、着物姿。もちろん、田舎の夜道に街灯なんかありっこない。あるとすれば、害虫を集める誘蛾灯の光くらいのものだ。




 ホタル草というのがあった。子供たちは誰に教わるともなく、ホタルかごの中にこの草を入れ、水を与えた。ホタル草にたかって光を点滅するかごに向かって、口いっぱいに含んだ水を霧状に吹き付けるのである。ホタル狩りは田舎の子供たちが織り成す夏の風物詩だった。


蛍2


 乱舞するホタルを追いかけているうちに小川に転げ落ちる子も。闇の中を上ばかり見ながら飛び回るのだから転げ落ちるのも当たり前だ。子供たちは川に落ちることを「川っ飛び」といって、特段、苦にもしなかった。親達も、それを叱らなかったし、今の親のように「危い」などとも言わなかった。




 地域にはガキ大将というヤツがいて、幼い子供たちの面倒を見た。ホタル狩りばかりではない。子供たちは知らず知らずのうちに、このガキ大将から遊びを覚え、自らの体験や失敗から、危険や怖さのポイントも知った。その子供たちが、やがてガキ大将になってゆく。そんな子供たちを遠巻きに見ていた親達も、みんな「来た道」だったのだ。


麦わら帽子  


 そんな田舎からホタルが消えて久しい。いつの間にかガキ大将もいなくなった。子供たちの遊びやいたずらを遠目に見ていた親達のスタンスもガラリと変わった。親達の多くは「あれも危ない」「これも危ない」と、子供たちの行動に注文をつけ、ちょっとした事象にも目くじらを立てる。


船


 勢い、子供たちは家に籠るようになった。親達が言うのは「危ない」ばかりではない。「勉強」「勉強」の言葉を年がら年中、子供たちに浴びせるのである。子供たちが家に籠れば、ガキ大将だっていなくなるのは当然。ガキ大将は、縦割りの子供たちがいなければ生まれないのである。横割りだと、知恵も腕力も拮抗するからお互いにつぶしあってしまうのだ。 一方で、わが国の少子化は進む一方だ。





 そんな子供たちに、間もなく夏休みがやってくる。どこにもあるのだろうが、私たちの山梨市にも「青少年育成のための市民会議」というヤツがある。区長会、育成会、民生委員、人権擁護委員など子供たちを取り巻く各界の代表達で構成するのだ。もちろん小中学校の代表も。


虫取り


 言うまでもなく、そこでは夏休み中の子供たちの非行防止や安全対策を話し合うのだ。この市民会議を受けて、近く地区ごとの会議も開かれる。その内容はこと細かく話し合われるのだが、総じて言えば、子供たちを危ないことから遠ざけることだ。こんなにお歴々が協議しなくてもガキ大将がいれば、かなりの部分を・・・。ちょっと楽観的かな?







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梅雨と紫陽花

紫陽花  


 雨には紫陽花が良く似合う。雨というより梅雨と言った方がいいかもしれない。我が家の紫陽花は今が見ごろ。植え込みのあっちこっちで花を咲かせている。直径20cmを超すような大きなものもあれば、ひと回りもふた回りも小さいものも。白っぽい花がやがて青く、また紫にも変わる。紫陽花とはよく言ったものだ。その表情は、その時々、見事に変化する。梅雨の合間、夏の日差しを浴びれば、いっそう爽やかに、雨に打たれれば梅雨空の鬱陶しさをぶっ飛ばしてくれもする。


紫陽花3

 紫陽花は思ったより逞しい植物である。放って置くとどんどん枝を増やすし、大きくもなる。だから私は花が終わった後の夏以降、秋口に毎年、かなり乱暴ぐらいに傷めてやる。株が大きくなると周りの植え込みとの調和を損なうからだ。ただ、ここ1~2年の経験からすると、あまり傷めすぎると花は確実に小ぶりになる。


紫陽花2


 初春が梅なら、春爛漫は桜。そしてこの時期の梅雨とくれば花は間違いなく紫陽花だ。日本の四季の中で欠くことのできない存在である。梅や桜と間を置いて全国の紫陽花の名所がテレビや新聞で紹介され、名所はどこも見物客で賑わう。見物客は梅雨空なんて何のその。傘を差してでも足を運ぶのである。梅や桜には雨は似合わないのだが、不思議と紫陽花には雨傘がよく似合うのだ。


雨傘  


 「○○には○○がよく似合う」。どこかで聞き覚えのあるフレーズだ。そう。あの太宰治が「富嶽百景」の中で書いた「富士には月見草がよく似合う」である。その碑は山梨県の御坂峠にある天下茶屋のすぐ近くにある。御坂峠は富士五湖のひとつ・河口湖の高台にあって、正面に雄大な富士を望むことが出来る。


富士には月見草が良く似合う

 この付近には月見草の姿は見えない。太宰が富士によく似合うとした月見草がどこのものだったかは私には分からないが、ここに、その碑が建立されたのは天下茶屋が拠り所であることは間違いない。太宰は天下茶屋に2ヶ月あまり滞在、未完の小説「火の鳥」を執筆。その時の体験を基に書いたのが「富嶽百景」だ。だから、この天下茶屋には一年を通して太宰をしのぶ人達が訪れるし「桜桃忌」には大勢の太宰ファンが集まる。



 月見草は、その名の響きからロマンチックにも聞こえるが、どこの野辺にもありそうな、しがない花だ。夕方に咲き、日中は花を閉じるから人の目には付きにくい。紫陽花のように、どこにでもありそうでいて、どこにでもない花とは違う。いわゆる野辺の花である。甲府盆地のど真ん中を流れる富士川の支流・笛吹川の土手には、かつていっぱい咲いていた。しかし、いつの頃からか、その姿をほとんど見かけなくなった。


紫陽花4

 紫陽花のような逞しさや人気もない。太宰が「富士には月見草がよく似合う」と書かなかったら、とっくに人々の頭の中から忘れ去られていただろう。俳句や短歌にもしばしば登場する紫陽花。一方、太宰に取り上げられて永遠に残る月見草。この二つの花は、はっきりと明暗を分ける。紫陽花に向けてカメラのシャッターを切りながらそう思った。






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オオデマリとコデマリ

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 真っ赤に咲き誇るツツジの目と鼻の先で、コデマリ(小手毬)とオオデマリ(大手毬)が白の競演を見せている。ツツジの赤と「テマリ」の白のコントラストも、またいい。同じ白ながらコデマリとオオデマリは、まるで風情が違う。ボタンのような大きな花を付けるオオデマリに対して、コデマリは、枝垂れた枝に小さな花をいっぱい付ける。小さな花は幾つか集まって「群」をなし、その一つ一つが、まさに「手毬」のように見えるのだ。




 名前のイメージからして、この二つは同じ科・属、と思っていたら実は、全く違った。オオデマリはスイカズラ科の植物の一種。別名「テマリバナ」というのだそうで、わが国原産の「ヤブデマリ」の園芸品種。これに対してコデマリはバラ科・シモツケ属の落葉低木。別名「スズカケ」。原産は中国の中南部だという。つまり、何の関係もないのである。


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 ツツジとオオデマリ、コデマリの《競演》が終わる頃になると、今度はサツキが咲き始める。オオデマリ、コデマリは色も形も、それぞれ一つだが、ツツジは花の色も違えば、形も違う。鮮やかな赤もあれば、ピンク、それも白に近いものもあるし、純白な花を付けるものもある。




 ツツジとサツキ。これも私のように無粋な人間には咄嗟に区別がつかない。ただ分かるのは咲く時期が異なることぐらい。5月に咲くのがツツジ、一か月遅れで花開くのがサツキぐらいの認識ぐらいしかない。「時は今、雨がした散る五月かな」。後に「本能寺の変」と言われた«謀反»で、織田信長を討った明智光秀の結果的に辞世となった句である。謀反の日は6月3日。旧暦の五月である。


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 日本列島は東西に長い。だから地域によって開花の時期は、もちろん微妙に異なるだろうが、日本列島のど真ん中・山梨県ではサツキの開花は、やっぱり6月。大雑把にツツジの一か月遅れである。裏を返せば、ツツジとサツキが連続して楽しめるのだ。




 このツツジとサツキには、グレード的に差があるのか。私がいつもお世話になっている割烹旅館のご主人はサツキの盆栽のマニア。専門家と言った方がいい。挿し木から育て、手塩にかけて立派な盆栽に作り上げて、見事な花を咲かせるのである。その数は半端ではない。「正直言って、子供より可愛いんだよ」。そう本音を漏らしたことがある、




 このご主人、何故かツツジには目もくれず、サツキばかり。やっぱり、専門家にとってはツツジとサツキのグレードが違うのか。確かに、名のある盆栽展を覗いてもツツジではなくサツキ。その辺は野暮天には分からない。

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 今が盛りのツツジやオオデマリ、コデマリが散るとサツキが。その頃になると、梅雨の季節がやって来る。人々は、ついこの間まで「サクラ、サクラ」と、「花はこれだけ」と言わんばかりにサクラを愛でていた。周囲はいつの間にか緑に変わり、そこに彩を添える花々も知らず知らずに姿を変える。季節の移ろいは確実に進み、人間の生きざままで変えてゆく。オオデマリ、コデマリの違いやツツジやサツキの違いなどどっちでもいい。サツキの後には鬱陶しい梅雨が控え、暑~い夏ヘと、アッという間にリレーするのだ。。




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初夏への移ろい

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  「お父さん、もう、掛け布団を薄くしましょうか。冬の布団では、暑いんじゃあないかしら…」


  「バカ言え。まだ4月だぞ…」


 そんな、どっちでもいい夫婦の会話をよそに、このところの気温は暑かったり、寒かったり。「掛け布団を…」。女房が、こんなことを言うのも無理はない。茶の間のテレビが伝える、この日の気温は6月初旬並みだと言う。そうかと言って、そんな気温がずっと続くわけではない。「三寒四温」とはよく言ったものだ。




 こうしてパソコンを叩きながら窓の外に目をやると,丸裸だった庭の落葉樹も、いつの間にか芽吹いて、初夏への序奏を印象付けている。何種類もある楓は、あるものは緑色に、あるものは赤く。黄色く芽吹くものもある。芽吹く色が何であれ、その色はどれも淡く、弱弱しい。柔らかい、と言った方がいいかも知れない。桜は日に日に散って葉桜に変身、一足先行している紅梅や白梅は、よく見ると青く、小さな実を結び始めた。

梅 全体  


 地面では水仙が黄色く、チューリップが真っ赤な花を付け、中には《この世》の峠を越したものもある。赤やピンクの椿の花も周りで芽吹く落葉樹の緑にアクセントを添える。植え込みと畑の境には除草の際、取り残したタンポポの花が。その近くでは、何というのか名前は分からないが、白く、小さな可憐な花が周囲に風情を添えている。




 かつての日本タンポポは、すっかり姿を消して、いずれも西洋タンポポ。見るからに逞しく、花が散る頃になると、羽毛のような白い、無数の種を風に飛ばす。私達百姓にとっては、それをロマンチックと捉えられない《シロモノ》繁殖力も凄い。。野にあるタンポポもみんな西洋タンポポに変わった。《首》の短い日本タンポポは駆逐されてしまったのだ。




 目を植え込みの向こうに向けると、富士山も心なしか雪化粧を薄くした。前衛の御坂山塊の稜線にポッカリ浮かぶ富士の容姿は、いつ見てもいい。この時季、雪解けはジワジワと進み、「農鳥」が《姿》を見せる日も近い。「農鳥」は富士山の雪解けがもたらす自然現象。周りの雪が消え、残った雪が「鳥」の形で浮かび上がる時季があるのだ。古来農家は、この自然現象を《合図》と捉え、農作業を始めたことから、いつしか「農鳥」と呼ぶようになった。

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 古来、初夏の農作業と言えば、米作りだったのだろう。しかし、この辺りでは、すっかり、と言っていいほど水田は消え、ブドウや桃、スモモ、所によってはサクランボ、つまり果樹地帯に変わった。だから「農鳥」は農家の《羅針盤》としての役割を薄くしているが、人々に初夏を告げる風物詩であることは間違いない。




 果樹農家は桃やスモモの人工授粉に精を出し、良質の果実の収穫に思いをはせる。冬の間、重油を焚いて丹精込めたハウスサクランボは市場に顔を見せ、一足早く初夏の味と香りをお届けしている。庶民と言っては失礼だが、そうそうみんなの口に入らないお値段だろう。


サクランボ


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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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