卒業式の変化

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 「一組、○○、○○…、2組、○○、○○…、3組、○○、○○…4組、…」


 クラスを受け持った先生が6組まである生徒たち全員の名前を次々と呼んでゆく。卒業式の冒頭行なわれる光景だ。正式には「卒業証書授与式」という。母校(高校)の卒業式に招かれ、来賓席に座りながら自らが経験した卒業式と重ね合わせながら、式場となった体育館にこだます卒業生名簿の呼び声を聴いていた。




 まず気付くのは卒業生の数。私たちの時代(昭和36年)、400人いた卒業生は239人に。私たちのような戦中生まれの子供たちから、戦後、いわゆる「団塊の世代」と言われる頃の450人、500人の時代と比べると、半分に減った。わが国を襲う人口減、少子化の影響は母校の卒業式にも確実に反映していた。クラス編成も、かつての50人から40人に。




 「ハイ!」。名前を呼ばれた卒業生は元気よく、しかも規律正しく起立していくのだ。そこでまた、気付かされるのは女性の数。どのクラスも女性が前に、男性が後ろに座っているのだが、女性の占める割合は全体の半分、いや半分を超えるかも知れない。統計上の、出生率から見れば、女性の方が高いのだから、不自然でも何でもない。




 しかし、この高校は旧制中学の時代から《男の学校》として続いて来たものだから。そんなところにも《違和感》を感ずるのだ。昭和の終わりの頃だったか、山梨県教委は高校の入学者選抜制度を大きく転換。「総合選抜」の名の基に、大枠で割り振った地域ブロックの学校間で順次、成績順で複数校に入学者を振り分ける選抜制を取った


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 公立高校の学校間格差の是正が狙いで、結果的に真の意味での男女共学も実現した。この選抜制度は東京都の「学校群制度」を習ったもの。その導入は全国的に流行った。私学が台頭したのも、この時期である。結果的に同制度がそれを後押ししたことは間違いない。




 ところが、脚光を浴びたはずの東京都の「学校群制度」は間もなく破綻。山梨での「総合選抜」導入は、そのずっと後。私学の台頭と、塾産業も含めた新興は山梨も例外ではなかった。その裏では東京都と同じように伝統校の著しい《地番沈下》を招いた。




 次々と呼ばれる卒業生の名前を聞いていて、改めて日本人の名前の付け方の変化をも思い知らされた。男性、女性を問わず、何と奇抜な名前が多いことか。もちろん、このことは今に始まったことではなく、ずっと以前からだが、何百人と言う大勢の名前を一度に耳にする機会はないので、その変化を改めて思い知ったのである。




 昔は男の子の名前と言えば「○○男」(雄、夫…)や「○○郎」(朗、…)…。女の子では「○○子」や「○○枝」(恵、江、…)などが多く、《定番》と言ってもよかった。そんな名前の《パターン》は全くない。少なくとも「子」の突く女の子は一人としていなかった。「翔、元気、大、…」。「優香、沙織、…」。全く様々で、親御さんの我が子に対する素直な気持ちがストレートに反映されている。かなり前のことだが、わが子の入籍を巡って「悪魔」と言う名前が話題になったことがある。「悪魔を跳ね除ける力を持て」。親の願いだったかも知れない。しかし名前と言うものは、いつの世も《付けられる側》は知らない。




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チドリ足の酒

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 大したお酒の量ではなかった。恐らく4合程度だっただろう。先輩に自宅まで送っていただき、車を降りて家に入ろうとするのだが、足がもつれてフラフラ。「これがチドリ足…」。お送りいただいた先輩に何とか礼を言い、家に入ったのだが、迎えに出た女房は「お父さん、どうなさったの…」。無理もない。女房と一緒になって40数年。こんなことは一度もなかった。「このくらいの酒で…」。歳のせいか。それとも体調のせいか。酔っ払いながらも、自らの不甲斐なさをつくづく感じた。「やっぱり歳のせいかなあ~…」。




 隔世遺伝なのか。お酒をこよなく愛した母方の祖父譲りで、私もお酒が大好き。こう言うと大げさに聞こえるかも知れないが、若い時分は《浴びるほど》のんだ。決して自慢できる話でもなければ、人様に大きな声で言えることでもない。ただ祖父を見ていて「酒の飲み方とはかくあるべきだ」と若いながらも思ったことがある。「飲まれるな」と言うこと。


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 今考えれば、祖父の年齢は80前後の歳だっただろう。お酒は、きちんと燗を付けさせ、猪口でゆったりと飲む。つまみにも拘った。そんな祖父を見ていて、若造ながら燗に拘り、徳利や猪口に拘った時期もある。「カラスミ」を覚えたのもこの頃。仕事関係の会議で金沢や佐賀に行けば、九谷焼や有田焼を買って帰った。なけなしの安給料をはたいての自分としては《密かな道楽》であった。




 「オイ、大事にしてくれよ。オレのお気に入りだからな…。(値段が」高かったんだぞ」


 「分かっていますよ」。そんな女房の返事が終わるか、終わらないうちに台所から聞こえて来た音は「ガチャ~ン」。説明するまでもない。不思議なことに、大事に思っているものほど、紛失したり、簡単に壊してしまったりするものだ。「バカヤロー。大事に扱え、と言ったばかりじゃあないか」と、一度は叱ったものの、壊れてしまった徳利が戻ってくるわけでもない。《後の祭り》とは、このことだ。




 祖父に影響された、お酒の飲み方も、何時しか「コップ酒」に。コップ酒、と言うと、何かしら品性を問われそうだが、どうして、どうして。第一、飲酒量が分かっていい。家で飲む時には、これに限る、とさえ思っている。しかも、燗にこだわることなく、《常温》で飲むようになった。「お酒の本当の味はこれだ」。今ではお酒は常温に限る、と思っている。自分もあと何年かすれば祖父の年齢になる。困ったことに、その自覚は全くないのだ。




 「チドリ足」とは、よく言ったものだ。交互に運ぶ足が中へ中へと入ってフラフラになるのである。「酒飲みが今更…」と、おっしゃるだろうが正直言って《このくらいの酒》で、こんなことはなかった。強がりではない。それどころか言いようのない自信喪失を覚えた。




 「チドリ足」の、そもそものきっかけは夕刻から開かれた母校(高校)に関わる会議の後、「まだ夕飯前。寿司でもつまんで帰ろう」と、言うことになって4~5人連れで校門前の寿司屋へ。ここが問題で、根っからの酒好き人間が飲まずにいられるわけがない。「車、置いて行けばいいじゃない。オレが送ってあげるよ」。その言葉に調子に乗ったのが運の尽き。それより何より、かつて経験したことのない「チドリ足」は痛烈な《反省材料》だ。




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世界の方言

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人口が僅か85万にも満たない小さな山梨県でさえ、その地方、地方で、微妙に言葉が違う。方言や言葉の《なまり》だ。もう故人となられたが、甲府の郊外とも言える竜王という町の出身で、衆参の国会議員や地元の町長をお務めになった方がいた。




 この方は、というより、この地域では「ぞ」と「ど」を違えるのである。「雑巾(ぞうきん)を「どうきん」と言い、「どうぞ」を「どうど」、「全然(ぜんぜん)」を「でんでん」と言うのだ。つまり、「さ行」と「だ行」が入れ替わってしまうのである。このほか山梨県では「ございます」を「ごいす」と縮めたり、「ら」抜き言葉も。「帰られない」を「帰れない」、「考えられない」を「考えれない」と言った具合である




 方言や、言葉の「なまり」は、なにも日本ばかりではない。あの大きな国土を持つ中国や米国。地方によって言葉が変わらない方がおかしい。サラリーマン現役の若い時分、仕事と絡みで中国を半月余り旅したことがある。上海、北京、西安、杭州、蘇州、桂林…。むろん、私に中国語が分かる訳はないので、言葉は通訳のお世話になる。


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 終始お世話になる通訳は北京(標準語?)からの現地通訳だ。上海はむろん、西安、蘇州ぐらいなら、なんとかなるが、桂林となると、その通訳さんも、さすがに音を上げる。言葉が分からないのだと言う。中国人同士、通訳が通訳に頼らなければならないのである。桂林は、標準語を使う?首都・北京から見れば、ずっと西。ベトナムに近い。顔も中国ではなく、ベトナム人の顔といっていい




 一方、米国。と言うより英語圏。私は職場をリタイアした後、2年に一度、少なくとも3年に一度の割合で外国旅行をして来た。現役時代は、仕事、仕事で、何処にも連れて行ってやれなかった女房への、いわば「罪滅ぼし」でもある。移動や宿泊に手のかからないクルーズ旅行に味を占め、このところずっと船の旅ばかりだ。クルーズは幾つかの国にまたがるが、船内の言葉は、みんな英語。ざっと1,500人の乗員とは別に、3,500人もの乗客がいるのだから、乗客の人種もまちまち。ほんの少し、とはいえ、私たちのような日本人もいれば、中国人(台湾)や韓国人も。ほとんどが米国人や欧州人だ。


船  


 船内アナウンスや、各種の手続き、ショーに至るまで、船内はみんな英語。「世界の公用語」ということだろう。その英語。そこで戸惑うのは英語と一口に言っても、イングリッシュ・イングリッシュではなく、アメリカン・イングリッシュなのだ。例えば「ジェントルマン」を「ジャルマン」、数字の「20」を「トゥエニー」、「40」を「フォーリー」という。つまり文字にした場合の「t」を発音しないのだ。




 私たちが学校で習ったのはイングリッシュ・イングリッシュ。記者会見などに出て来る米国のトランプ大統領も「ジェントルマン」ではなく、「ジャルマン」と、発音している。数字も含めて、これらは言葉の入口だから、すぐ慣れるのだが、ただででも語学力がない私なんか、いわゆる「ブロークン」(方言や、なまり言葉)になったらチンプンカンプンだ。恐らく、同じ英語でも地方へ行けば比べものにならないほど言葉は変わって来るのだろう。




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方言の味

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 若者言葉とか流行語と違って、その地方、その地方に伝わって来た方言には、言うに言われぬ味がある。一方で、難解なものもあれば、それぞれの聴く立場、立場で違和感を覚えるものもある。しゃべる側、話す側に立てば、それが全くの自然であり、心地良いのだ。




 方言を大きく分ければ、関西弁と東北弁が代表格? むろん、方言の分類は、そんな単純なものではなく、その地方、地方でみんな違う。一口に関西弁と言っても大阪弁もあれば、京都弁もある。神戸に行けば、また違う。大阪と東京に挟まれた名古屋には、これまた、れっきとした名古屋弁・河内弁がある。東北弁と言ったって福島弁もあれば、青森や秋田、山形…。微妙どころか大きく違うのである。標準語と言われる東京は、その集積地。




 山梨は、もちろん甲州弁。山梨は時に関東という枠組みに組み入れられたり、中部という枠組みにされてり…。そんなことはともかく。長野、山梨、静岡には「な・や・し言葉」と言って、共通の方言・イントネーションがある。「な・や・し言葉」とは、長野、山梨、静岡の頭文字を取ったもので、「すら言葉」、「じゃん言葉」が、その代表格。


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 例えば、「そうずら」は「そうでしょう」、「行くじゃん」は「行きましょう」。体系的に言うなら「ずら」は、いわば念押し的な要素が多く、「じゃん」は、行動を促すような場合に、よく使う。今では若者たちの間で全国広く使われ、その意味合いも幅を持つようになって来ている。ただ、若い人たちは方言を使わなくなった。背景にはマスメディアがある。




 「な、や、し言葉」は、長野、山梨、静岡三県の交流が源と言えないだろうか。むろん、そこには地理的な要素があって、その交流という観点に立てば、「な、や、し」の中間「や」、つまり山梨が双方への架け橋になった、と見るのが自然のような気がする。交流とは物を媒介とした人の交流を意味する。




 日本列島、東西に細長い国だから、国土面積の割には東と西の距離があるし、その上、国土の70%近くが山林原野。山で生活圏が遮断されていたので、今のように交通網や情報網が乏しかった時代は、なおのこと、その土地、その土地の方言だって育ったはずだ。一口に方言と言っても、言葉自体の違いばかりでなく、《なまり》は、言葉の中身の省略だってある。




 そればかりではない。朝鮮半島など近隣国との人の交流がもたらした言葉もあるだろうし、鹿児島弁のように藩(薩摩)政策?によって生まれたものもある。もう50年も前の話だが、学生時代、鹿児島は指宿出身の友がいた。その男が郷里の友達と電話しているのを耳にして、まるで、どことも知れない外国語を聴いているような不思議な気分になった思い出がある。全くチンプンカンプン。藩政策が、それだけで理解出来たような気がした。




 「方言、結構じゃあないか」と思っている私なんか、普段、方言丸出し。仲間からは、「甲州弁は言葉が荒い」と、よく言われる。これに対して、同じ方言と言っても京都弁は、何故か綺麗で、耳障りもいい。女性がしゃべると、何とも言えない「色気」すら感ずるのだ。ところが「荒っぽい言葉」に慣れた私から見れば、男性の京都弁はいただけない。(次回へ)




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友からのカレンダー

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 月日の経つのがなんと早いことか。そう感ずるのは歳のせいかも知れない。ついこの間、元日・新しい年を迎えたと思ったら、三が日や七日正月、十四日正月(小正月)は、あっという間に過ぎ、節分や立春も過ぎて、短い2月もぼつぼつ終わる。12枚綴りのカレンダーも2枚目を破らなければならない。一年の6分の一が過ぎることになる。




 「甲府盆地に春を告げる」と言われる節分会の「大神宮祭」、長い伝統を誇る「十日市祭り」や「厄よけ地蔵尊祭」も終わった。寒い、寒いと言いながらも陽は一日一日と長くなり、日差しもなんとなく変わって来た。庭の梅も蕾を膨らませ、早咲きの梅は花を開いて、その下では水仙が芽を出した。あっという間に桜への季節へとリレーして行くのだろう。


芽


 過ぎ去る月ごとに一枚、一枚破って行くカレンダー。我が家には、それが沢山ある。大相撲の地方巡業(地方場所)の勧進元などに携わる友からの大相撲のカレンダーやロータリークラブでご一緒する家電店の社長から頂いたもの、割烹旅館や建設会社を営む友からのものもある。朝に夕に、様々な顔を見せる富士山の写真や、見事な日本画を題材にしたもの等々。大相撲のカレンダーは横綱・白鵬や稀勢の里など人気力士が。中には海上自衛隊の護衛艦や潜水艦など船のカレンダーもある。




 一風変わった船のカレンダーは、海上自衛隊で活躍、南極観測隊の先導にも何回も携わったことがある高校時代の同級生からだ。船を12か月、月捲りにしたものと、一枚のカレンダーにまとめたものの2種類。贈り主の、この男は月捲りのものには、それぞれ船の解説・説明を付けてくれた。「へえ~、なるほど…」と、新しい知識を授かるのだ。




 30数年間の海上自衛隊での生活はダテではない。船のことも、海のことも知り尽くしている。それに南極観測隊にも関わっているので、こちらも詳しい。一連の功績が認められて叙勲も受けた。海上に留まらず、陸や空の防衛にも詳しく、ミサイル防衛の実態にも話が及ぶ。彼に言わせれば「日本のミサイル防衛など、能力は、まだまだ子供同然」。




 米国、ソ連を核とした東西冷戦の時代は、とっくに終わり、逆に核を失った世界は、経済はむろん、外交、安全保障など、あらゆる面で《地殻変動》を起こしている。まるで休火山が次から次へと活火山となり、地球のあちこちで噴火をもたらしているようなものだ。テロが各地で起きたかと思えばEUのように離脱が起きたり、経済破綻で混乱する国も。




 経済面、軍事面での中国の台頭は目覚ましく、公海を埋め立てての領土主張や軍事基地?造りまでやってのける。韓国とも絡む尖閣諸島問題もしかりだ。東京都の小池知事の「都民ファースト」ではないが、世界全体が「自分ファースト」、「自国ファースト」に変わって来ているようにも見える。日本でも蔓延する個人主義の延長線上にも見えないか。




 カレンダーの友は、そんな国際背景をも見据えているのだろう。「平和ボケ日本」を、しばしば口にする。「世界の警察官」を標榜していた米国は、新政権で態度を一変、《自国ファースト》に転じたかに見える。《立場上》、戦艦とは言わない海上自衛隊の護衛艦群をカレンダーで観ながら「平和とは何だ」を考えさせられた。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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