日常生活の鏡

蛸


 「たこ」。一口に「たこ」と言ってもさまざまだ。大空を地上からの糸に引っぱられて果敢に舞う「凧」もあれば、大空とは反対に、海の底で外敵に追われれば真っ黒い墨を吐いて逃げる「蛸」もいる。また、その人の生活習慣の証のように手足など身体の一部に出来る「胼胝(タコ)」だってある。





 お正月の風物詩でもあった凧揚げは、今ではすっかり影を潜め、その一方で静岡県浜松市のように子供たちの健やかな成長を願って大々的に繰り広げる凧揚げもある。遠州灘の砂丘を舞台に繰り広げる、この凧揚げ祭りは爽快だ。誰もが一度は見てみたい行事の一つだろう。


凧揚げ


 花より団子。「たこ」は「たこ」でも「蛸」は食べられる。酢蛸もよし、生の刺身で食べる蛸も旨い。あのたこ焼きには欠かせない具にもなる。祭りや夏の縁日で食べる、たこ焼きは格別だ。子供の頃は、ねじり鉢巻をしたオジサンが、今の年になったら屋台の活きのいいオニイサンさんが売ってくれるたこ焼きは、祭りや縁日には欠かせない味の一つ。都会の街角でのたこ焼き屋さんも街ゆく人達と見事に息が合う。


祭り


 一方、同じ「たこ」でも「胼胝(タコ)」は風情もなければ、味もそっぺもない。OLのかかとに出来る靴擦れのタコのように邪魔者であり、無用の長物だ。しかし、見方を変えれば良くも悪くも、その人の人生の証かもしれない。ちょっと大げさなモノの言いようかもしれないが、そうなのだ。例えば、畳屋さんには肘に、大工さんには手に・・・。およそ職人と言われる方々には、身体のどこかに、この「胼胝(タコ)」がある。考えようによれば、これほど尊いものはない。その人の生き様であり、年輪なのだ。


手


 私にも三箇所にタコがある。いずれも右手。その一つは麻雀タコだ。職人さんの尊いタコと一緒にしたら叱られる。「良くも悪くも・・・」と書いたのはそのためだ。学生時代の4年間、サラリーマン時代の40年間、そしてリタイア後の現在まで、ざっと50年間のろくでもない男の証なのである。言い訳のようだが、職人さんたちに失礼なので繰り返しておく。自慢のできるシロモノではない。


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 胼胝(タコ)というものは、同じ習慣を繰り返していれば、成長するのである。場所によっては邪魔になる。私の場合、右手の中指の第二と第三の節に出る。大きくなるので時々、爪切りで削り取るのである。その手を見て女房は、馬鹿にし、あざけるようにこう言う。




 「どこで死んでいてもこの手を見れば麻雀好きの人間とすぐ分かりますよねえ」



 あと二つのタコは、若い時のペンダコと勤めをリタイアした後に出来た農作業によるタコ。時代が一変、今はパソコンだからペンダコなんか出来っこない。そんなものを見せたら「オジサンはいつの人?」と笑われるのがオチ。自分だって今はこうしてパソコンを叩いている。自らは心の底では勲章と思っているペンダコもやせ細る一方だ。もう一つ農作業でのタコは、鍬や立ち鉋を使うからで、こちらはどうやらまとも。野菜作りが主で、ささやかな汗の結晶である。でも我が家の経済にはそれほど結びついてはいない。


トマト            畑



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大きさを増す女房の座

3


 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃあありませんよ。まったく・・・」

 時々、女房ははき捨てるようにこう言う。風向きによってご機嫌斜めの時だ。世の中の半分を占める女性の皆さんにバッシングを受けることを覚悟で言えば、女というものは単純なものだと思っている。わが女房だけかもしれないが、とかくその時の感情だけでモノを言うのだ。





 しかし、このことに限れば、女房の言う通りだ。確かに、女房は私のお母さんではない。女房を「お母さん」と呼び始めたのは何も今に始まったことではない。恐らく一人娘が生まれた頃からだろう。もう38年近くになる。我が家ではそれが定着したかのように普段は「お母さん」で通っているのだ。




 そういえば、私が女房を「お母さん」と呼び始めた頃、おふくろがキョトーンとした顔をしたことを今でも覚えている。逆算すれば、おふくろはその頃、50台も半ば。息子が嫁を「お母さん」と呼んだのには、違和感を覚えただろうし、面食らったに違いない。よく考えてみれば、そういう私は娘が生まれて、子供を中心の家庭を無意識のうちに考えたのかもしれない。待てよ、「わたしゃあ、あなたの・・・」と言う女房だって私のことを「お父さん」と呼んでいる。


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 嫁と姑。古くから、確執の代名詞のように言われてきたが、私が見る限り我が家にはそれがなかった。おふくろは若い頃からなぜか隣近所で起きる嫁、姑間のトラブルの調整役をすることが多かったせいか、その徹を踏んではいけないと、女房に一定の気配りをしていたことも事実だろう。女房との喧嘩や諍いは、後にも先にも見たことがない。しかし女房にしてみれば姑であることに間違いないし、おふくろもそれを意識していただろう。


嫁姑  


 人間、当たり前のことだが、それがいつの間にか逆転するのである。それがいつ頃であったかは定かではない。一つ言えるのは、おふくろ自身が老いを感じ、身体に偏重を覚え始めた頃だろう。大きくなるお尻と並行するように、女房の存在感が増して行くのである。うっかりしていると亭主すら尻の下に敷くのだ。




 おふくろは大正5年生まれ。93歳を過ぎた。今は介護医療の病院にお世話になっている。ほとんど毎日のように行って話し相手になったり、身の回りの世話をしている女房には、全く頭が上がらないようで、息子の私より頼りにしている。それは今に始まったことではなく、おふくろは丈夫の時からも、女房を相談相手にし、その立場を立てていた。やがて面倒を見てもらうのは嫁、と考えていたのだろう。
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 おふくろは足腰が不自由になっているばかりか、痴呆も始まっている。しかし、残り少なくなった自らの兄弟や、次男坊や三男坊など息子たちのことは忘れても、私の女房、つまり嫁のことは忘れない。世話になっている、また世話にならなければならないという気持ちの一方で、姑としての嫁に対する緊張感があるのかもしれない。姑を子供のように優しく扱う女房。片やおふくろは息子の私より頼りにし、感謝していることは確かだ。




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変わる原風景

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 時代が、その時々の原風景や人々の生きざまを変えていくのは自然の成り行き。だれにも止めることは出来ない。でも、ふと立ち止まって考えると一抹の寂しさを覚えることも確かだ。「あの日」、「あの時」。それが1年前であろうが、10年、20年、50年前だって同じ。人それぞれが見た原風景や体験が蘇って来る。だれもが持ち合わせる郷愁の世界なのである。




 もう50年ぐらい前。安給料をものともせず、毎日を我武者羅に飛び歩いた新米サラリーマン時代。赤い灯、青い灯。仕事が一段落ついた夜ともなれば、薄っぺらな財布を胸に、盛り場にも繰り出した。




 その界隈は「錦町」と呼び、その隣は「裏春日」と言った。いわば甲府の夜の歓楽街である。街にはスナックバーがひしめき、ラーメン屋さんや寿司屋さん、お茶漬け屋さんもいっぱいあった。「赤黒」「ローズ」「チャイナタウン」「ムーラン」といったキャバレーも盛況を極め、所々には特殊浴場の「トルコ風呂」も。夜の帳が下りると同時に、それらが一斉に赤い灯、青い灯を点し、酔客で活況を呈していた。


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 その頃はスナックバーを今のように「スナック」と言わずに「バー」と言った。店の中には有線放送で流行歌が。園まりの「夢は夜ひらく」が、なぜか耳の片隅に残っている。よくしたもので貧乏サラリーマンは、それなりの安い店を探す。仲間同士、政治や経済など今考えれば青臭い議論をしたり、カウンター越しに同じ年頃のホステスと話を弾ませもした。それが昂じてゴールインした仲間も。赤い灯、青い灯の歓楽街にも、それなりの青春があったのである。昭和40年代初頭、世の中は戦後の貧しさを忘れ、経済成長へと舵を切っていた。




 県都・甲府。山梨県の玄関口・甲府駅前から南に延びる平和通りの両側には毎夜、赤提灯の屋台が並んだ。特に寒い冬、コートの襟を立てながら飲む熱燗のコップ酒はうまい。冷えたからだの五臓六腑に染み渡った。おでんのからしがツ~ンと鼻をつく。お燗はおでん鍋の隅っこでつけてくれるのだ。




 時代の荒波は、そんな酔客の原風景を何時までも残してくれるはずがない。屋台は跡形もなく消えたし、「錦町」や「裏春日」も様相を一変した。「赤黒」も「ムーラン」などキャバレーもなくなった。




 サラリーマンの悲哀を知り尽くしたホルモン焼き屋の偏屈親爺や屋台の親爺も、おふくろのような赤提灯のおかあちゃんも、みんなどこかに消えてしまった。「昔はみんな、もっと人間臭かったよなあ・・」。歳をとったせいなのだろうか。




 当時、「錦町」「裏春日」の歓楽街を核にした甲府は、なぜか人口1000人比で飲み屋・飲食店が最も多い都市とされていた。飲ん兵衛が多かったのか、はたまた人々の遊戯や娯楽を満たす施設が少なかったからか、とにかく今は、往時の賑わいは見る影もない。確実に言えるのは世相の変化。モータリゼーションの進化が酔客と飲み屋の間を割き、人々の趣味や趣向の変化が新たな産業を生んで、人々の行動を変えた。インターネットなどICT の急速な進歩もその一つだろう。ケイタイやスマホ、PCもない世界が今となっては懐かしい。




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酔客の原風景

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 人間には忘れられない味や店、忘れられない人が一人や二人はいるし、一つや二つあるものだ。もう50年ぐらい前になるのだろうか。学校を出てサラリーマン稼業に就いて間もない22~3歳の頃だった。甲府警察署や裁判所、検察庁など官庁街と目と鼻の先に「ホルモン焼」の看板を出した、さもない店があった。看板などという、たいそうなものではなく、店自体もお世辞にも綺麗ではなかった。




 今のように猛暑日だとか熱帯夜などという言葉はなかったが、その夜もめちゃくちゃ暑かった。間口が一間半ぐらいで、奥行きが深く、鰻の寝床のような店であった。店の中は「ホルモン」を焼く煙と、えもいわれぬいい臭いが安物の扇風機に煽られていた。そこの親爺は目つきが悪く、まるでテキヤの親爺かチンピラやくざといった感じ。下着のような白いシャツを着て胴巻きをつけ、下はステテコのようなものを履いている。頭は坊主刈り。およそ客商売のタイプではない。


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 この親爺、注文の「ホルモン」を焼くまではいいが、その皿をテーブルに投げるように出すのだ。愛想などというものはまるでない。でも何故か憎めないのだ。それよりも出てきた「ホルモン焼」のうまいこと、うまいこと。これを大ジョッキのホッピーを飲みながら食べるのである。ホッピーとは焼酎を「ホッピー」というビールに似た清涼飲料で割ったもの。焼酎が今のように≪市民権≫を得ていない時代たった。今、若者や女性の間で人気が復活中のハイボールと同じ。ハイボールはウイスキーを炭酸飲料で割る。両方ともアルコールの量を調節出来るので、それが弱い人にとっても強い人にとっても都合がいい。私達は焼酎の量を特別に増やしてもらうのである。貧乏サラリーマンにはうってつけだ。


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 ホルモン焼は、その名前のイメージからいかにも栄養がありそう。でも、何の事はない。豚の内臓、つまりモツを焼いたものだ。胃袋もあれば、腸もある。後に知ったのだが「ホルモン」とは「放るもん」、つまり「棄てるもの」から来た言葉だという。毎月25日の給料日。飲み屋のツケを払って回れば薄い給料袋は一晩で空っぽ。そんな人間にとって安くて、うまいホルモン焼きは魅力だった。




 何故か、この店の親爺とは気が合った。ちょっとお金があって、バーやキャバレーに行こうと店の前を通りかかると、うちわ片手に店先で夕涼みをしていた親爺は「おめえら、ここ、素通りするのかい。寄ってけよ」。普段、口数が少なく、偏屈親爺というのがぴったりの人だが、どこか人間臭い。時には「どうせカネなんかもうねえんだろう。給料貰ってからでいいよ」。偏屈親爺が一瞬、神様にも見えるのだ。その一方で、酒癖が悪いお客や見るからにチンピラ、ヤクザのような客が来ると「てめえたちのようなヤツが来る所じぁあねえ」と一括。追い払ってしまうのである。いかにもドスが利いているので相手は黙って帰って行く。「親爺、自分の方がヤクザのようじゃあねえか」と、からかうと「バカ言うんじゃあねえ。俺は客を選ぶんだ」と真顔で言うのである。この界隈は「錦町」という。先日、社友会の二次会で久しぶりに歩いた。もちろん、その店の跡は一変していた。




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一匹のハエ

うちわ

 暑い。汗びっしょりになって野良から帰ったら、かみさんと娘がなにやら大騒ぎしているのだ。それほど広くもない茶の間をうちわ片手に飛び回っているのである。部屋の中は程よく冷房が効いている。



 「お前達、何やってるんだ?」

 「ハエよ、ハエ・・・」


 「たかがハエ一匹。大騒ぎすること、ないじゃあないか」

 「だって汚いじゃあない・・・」


ハエ


 見れば大きなハエが一匹。むきになって追い回す二人をあざ笑うように右に左に、上に下にと飛び回っている。ハエだって命は欲しい。バカな二人に易々捕まってたまるものか、と思っているのだろう。女二人とハエの闘いだ。第一、うちわなんかでハエが獲れるはずがない。女どもは単純だ。

ハエ


 「サッシ戸を開けてやれば外に逃げるじゃあないか」

 「ダメよ。こいつは死刑よ。絶対逃がさないわよ。絶対・・・」

 「勝手にしろ・・・」



 女は執念深い。


 この辺りは、山間部とまではいかないまでも山梨市の片田舎。そういえば、ここしばらくハエにお目にかかったことがない。かつては、わんさといたハエは、いったい何処に行ってしまったのだろう。子供の頃を思い出した。リフォームしてイメージこそ違ってはいるものの、夏のこの時期、我が家の部屋という部屋、ハエがブンブン飛んでいた。



 何処の雑貨屋さんにもハエタタキはもちろん、ハエ取り紙というヤツが売っていて、どの家でも1ダースのケースごと買って来るのだ。それを天井からぶら下げるのである。モチのような油紙にハエが張り付く仕組みなのだ。しばらくすると真っ黒になるほどハエが捕れる。

  実はこのハエ取り作戦も焼け石に水。ハエは次から次へと湧いてくるのだ。だから正直、ハエを気にしていたら一日も過ごせない。うかうかしていたら、ちゃぶ台(食卓)に置かれた麦飯ご飯もハエで真っ黒に。習慣とは恐ろしい。みんなビクともしなかった。

 ヘンな例えだが、ある意味で農村の風物詩のようなものだった。「わあ~、汚い」。娘はもちろん、農村育ちではない、かみさんはそんな話に顔をそむけるのだが、田舎育ちの私なんかハエ一匹、どっちだっていいのである。ハエ取り紙もハエ叩きも完全に姿を消した。


リボンハエ取り
リボンハエ取り


 農業形態や生活環境の変化が確実にハエを駆逐した。農耕用の馬や牛。それに家畜の豚や山羊、鶏もいなくなった。番犬として外で飼った犬もほとんど姿を消し、代わって可愛い猫や犬が座敷に上がった。米麦、養蚕に代わって家の周りを埋めた果樹園では病害虫駆除のための消毒が。ハエなんか住める環境ではない。

 目に見えるハエ。目には見えない消毒の影響。さて、どっちの方が・・・。かみさんや娘が追い回す一匹のハエを見ながら暮らしの変化を思い知らされた。ただ、いっぱいいるハエより、時々紛れ込む一匹のハエの方が確かに気になる。不思議だ。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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