鈍感力

 鈍感力。なぜか深みがあって惹かれる言葉だ。近くは数年前、当時の小泉首相がテレビの中で、ふと漏らしたのを覚えている。多分、自戒を込めて言ったのだろう。元々この言葉の元祖は作家の渡辺淳一。その著書「鈍感力」のズバリのタイトルだ。渡辺淳一は、その著書のキャッチコピーで、こう言っている。

鈍感力



 「些細なことで動じない≪鈍さ≫」こそ、今を生き抜く新しい知恵」



 この人は元々は整形外科医。「光と影」で直木賞を受賞したほか、それを前後して文壇でさまざまな賞を受賞している。異色作家の一人だ。お歳もかなりになるのだろう。私はその作風は好きだが、熟年の恋愛や恋心をリアルに書くものだから、「この助兵衛オヤジ」と悪口を叩く人もいる。でも「鈍感力」は人間が生きていく上で欠かせないかもしれない。


海



 助兵衛云々はともかく、渡辺淳一は「鈍感力」の中で、こんなことを書いている。


 「鈍感力は恋愛においても欠かせません。男が女を口説く時、鈍感であることは有力な武器となる。誠実さに鈍感力、この二つがあれば鬼に金棒・・・」




 なるほど言い得て妙だ。まだ渡辺淳一がこの「鈍感力」を書いていないから仕方がないが、もし私がもっと若い頃、この本に出会い、その極意を教わっていたら、もっと違った人生があったかもしれない。不謹慎? かみさんが年甲斐もなくツノを立てるかも。




 「じゅんいち」「恋愛」と聞くと、字こそ違うがタレントの石田純一を思い出す。渡辺淳一と石田純一。このお二人は、お歳も生業も全く違うのだが、何か共通項を持っている。幾つになっても失おうとしない「恋愛」への心だ。それをしっかり支えているのは「鈍感力」にほかならない。「鈍感力」の裏には必ず「敏感力」が培われているのだろう。


風景  


 石田純一は「鈍感力」を武器にして恋愛を楽しみ、そればかりか「不倫も文化」などとしゃあしゃあと言ってのけるのだ。世のご婦人、奥様方もこれといったバッシングをしないのだから、それ程の嫌悪感を覚えないのだろう。むしろそのキャラクターを当て込んで、クライアントは宣伝イベントにこぞって引っ張り出すのだそうだ。人が言う助兵衛オヤジは、今や奥様方からも人気者なのである。




 小泉元首相が引用した渡辺淳一の「鈍感力」。きっと小泉さんもこの言葉に身につまされたのだろう。政治家、とりわけトップに立たなければならない人達は、この「鈍感力」を身に付けていなければ一日も過ごせまい。あっちからもこっちからも追及、反論と言う名の鉄砲玉が飛んでくる。馬耳東風、馬の耳に念仏、品のない言い方だが「カエルの面に小便」でいなければならないこともあるだろう。「鈍感力」がないからか、自殺に追い込まれた大臣や大物政治家、さらに近くは酒に溺れて不慮の死を遂げた政治家だっている。


海2  


 「鈍感力」の大切さは仲間やご近所、もっと身近な家庭にも言えそう。私たち夫婦に、この「鈍感力」が備わっていたら、日常茶飯事に繰り返される夫婦喧嘩もなくなるだろうに。私たち凡人には「鈍感力」は簡単に身に付きそうもない。ただ我が家では、この夫婦喧嘩がめっきり少なくなった。歳のせいだろうか。考えてみればこれも寂しい。




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醤油の味

醤油
画像:ヤマサ醤油

 「珍しい苗字ですね。どちらのご出身?」



 九州の大分です。元々は岐阜県の郡上八幡。その昔、先祖は稲葉一徹の国替えに従って移り住んだようです」



 「へえ~、そうなんですか。では、世が世だったら・・・」



 「いや、いや。下っ端の家臣だったんでしょう」


 石和温泉郷のリハビリテーション病院で、ムチウチ症のマッサージ・PT(理学療法)治療を受けながら、療法士の先生と、たわいもない会話を交わした。電流も含めたハリ治療は約1時間。首の牽引が10分。PT治療が30分。週に一度のハリを除いて、こちらは2日から3日置きに受けている。首を吊られている牽引の時は話をするすべもないが、それ以外はたわいもない話をするのだ。年恰好から見れば50歳代後半とお見受けした。




 大分と言えば別府温泉のある所ですねえ」



 「私の所は、そことは少し離れていて、ちょっとした醤油の産地として九州では知られた所です。関東の人達には馴染みがないと思いますが、私なんか、こちらの醤油は、どうしても馴染まないんです。味も風味も全く違うからです。山梨に来てもう7年になりますが、醤油だけは今でも大分から取り寄せています。家の女房は栃木県宇都宮。関東の出身です。その女房も同じことを言うのですから、やっぱり歴然と違うのでしょう」

かつおしょうゆ       花嫁      ゴールデン紫      
画像:大分フンドーキン醤油さんから


 「へえ~、同じ醤油でも所変われば、そんなに違うんですかねえ」



 「ある時、関東の大きなメーカーが大分への進出を図ったのですが、失敗に終わりました。人間、長い間慣れ親しんだ味と言うものは、簡単には代えられないんでしょうね。ひとつ大分の舌と言うより九州の舌と言ってもいいかも知れません」



 この理学療法士さんは、こんな話もしてくれた。


 「私は学生時代、関東で寮生活をしました。当然のことながら、そこには全国から学生が集まりますよねえ。そこで何とも驚いたのはです。お正月に食べるアレです。出てくるのは四角というか、長方形の切り餅でした。私達の九州では餅といえば、みんな丸いんです。お正月に飾るお供えの一番上にあるようなアレです。みんなで焼いて食べる時、角切りされた平べったい切り餅がプ~っと膨らむのを見て、不思議でなりませんでした」


四角餅


 逆に私達、関東の人間からすれば、丸い餅など信じられないし、ましてや、その焼き餅がプ~っと膨らむことを想像しただけでも滑稽でしかない。所変われば品変わる。風俗も習慣も、また細かく見れば、日常でさりげなく接している、さまざまなものの形や、人間が味覚として感ずる舌も違うのだ。


丸餅


 醤油ばかりではない。食の味付けひとつとっても関東と関西は、まるで違うと言う。その境はどこなのだろう。わずか一日とはいえ、時の政権を賭けて東西両軍が激しく戦った、あの「天下分け目」の関が原の合戦。その舞台・岐阜県に近い名古屋あたりと言う人もいる。狭い日本。でも、やっぱり広い。




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ヘンな坊さんの逆さ論理

1


 は上手に書くな」は上手にするな」。

 口を開く度にこんなことを言った坊さんがいた。この坊さん、と言ったらちょっと失礼かも知れないが、この方は、その世界ではちょっと知られた書家である。サラリーマン時代のある時期、職責上、山梨県内に拠点を置いた、ある書道会の新年会に招かれた時のことだ。






 この会合・宴席には会派の隆盛を誇示するかのように、傘下の社中の代表が揃う。毎年、甲府市内の名門ホテルのホールに300人前後の書家が集まるのだ。秘書らしい女性を伴ってやってくるこの坊さんは、来賓の筆頭だから主催者の挨拶に続いて、いわゆる祝辞を述べるのである。




 その中身は、いつも決まっている。「字はまずく書け」だ。そこに集まっているのは、私を除いて全てが書家だ。続いて若輩の私が立場上、ご挨拶を申し上げるのだが、ステージから戻ってくると、この坊さん、恐れ多くも私にお酌をしてくれながら、同じことを言うのである。「話は上手にしてはいけない。まずくするんです」と。 自らを愚庵と号してはばからなかった。


習字


 諭すようで、また一面、唐突のように言う。一切それへの説明は加えない。まるでふざけているような口調で言うものだから、聴いている方は分かるようで分からないのだ。その翌年、この坊さんのお話と直接関係はないのだが、私はつい、こんなことを言ってしまった。




 「画家に狂人あれど、書家に愚者なし」と。ここで詳しいことを書くわけにはいかないが、書道会の中でのある公的な出来事を、ちょっぴり皮肉ってしまったのだ。40歳も半ばの頃。今考えれば若気の至りだった。当然のことながらそれへの反応はあった。会の主催者でもあり、家元的な存在の会長さんは、お酒を酌み交わしながら「厳しいことをおっしゃいますね・・・」と。一方、坊さんは「私の言わんとしていることと同じなんですよ」。当然、これをお読みの方々には、この禅問答のような会話は分からないだろう。


秋


 「まずく書く」「まずく話す」。裏返しの言葉で、まずく書いたり、まずく話すためには、それぞれの基本をしっかりとわきまえていなければ出来ない。この坊さんは、書家というからには、しっかりと字を勉強し、その上に立って自らの字を書くことだ、とハッパをかけたのである。極めるとは行かないまでも、努力をしなければ自分の字を書いたり、話したりすることは出来ない。





 私のような生くらの人間には死ぬまでそんな域には到達など出来っこない。若い頃、ピカソの絵を見たり、有名人の字を見て「これが・・」と思ったことがある。しかし、スペインのピカソ美術館でピカソの若い頃の絵に出会った時、まさに目から鱗だった。私たちが普段目にするピカソとは180度違う、きちっとしたデッサンがあった。書家も臨書を繰り返し勉強しているのである。巷にもある≪変人の個性≫とは全く違う。当たり前かもしれないが基礎が出来た人間はすごい。そして怖い。でも怖さを見せないから不思議だ。


ピカソ      ピカソ2

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手鼻と大根の種蒔き

トマト


 キュウリやインゲンの棚は枯葉が目立ち、やはり夏野菜のトマトやナスもひところの勢いをなくし、我が家の畑も夏から秋への衣替えの準備を始める。大きく伸びた雑草を取り、石灰をまくなどして、そのための圃場整備をするのである。石灰はとかく陥りがちな土壌の酸性化を防ぐための散布だ。特に、ほうれん草作りには欠かせない。


インゲン


 うかうかしているとすぐに大きくなってしまうキュウリも、また田舎では「食いっこ生りっこ」と言われるほど次から次へと生るインゲンも、もう形無しだ。「秋茄子は嫁には食わすな」という言葉があるくらいだから、ナスは夏から秋にまたがる野菜なのだろう。ひところの勢いはなくしたものの、まだまだ健在。我が家ではぬか漬けにしたり、煮物や味噌汁の具にしたりして今も食卓に載っている。



茄子1      茄子2


 「秋の陽はつるべ落とし」と言われるように、これから日はどんどん短くなっていく。朝は4時といえば明るくなり、夕方も7時半過ぎまで明るかったひと頃がウソのようだ。まさに「つるべ落とし」。これから急ピッチで日が短くなる。人生の落日にオーバーラップはしたくない。実りの秋への移行と前向きに受け止めている。残暑が緩んで、いつの間にか朝夕は涼しくなった。秋は確実にそこまでやって来ている。

畑


 野良に出て大根の種蒔きの準備をしながら、「手鼻(てばな)」をかんだ。




 「お父さん、汚い事をしないでくださいよ。いつもそうなんだから・・・。まったく・・・」



 嫌々ながらだが、畑仕事を手伝ってくれた女房がいかにも汚いものを見るように、嫌~な顔をしながら言った。「手鼻(てばな)」。都会の方々やお若い方々は見たことも聞いたこともないだろう。鼻の片方を押さえて「ち~ん」とやるのだ。ポケットからテッシュを出して鼻をかむ面倒もないし、第一、鼻をかんだ後、意外とスッキリするのだ。野球選手がフィールドで唾をするのと同じように、見ている側からすれば、お世辞にもいいものでも、褒められたものではない。百姓のフィールドは畑。わが女房よ、ここは大目にね。


キュウリ 


 今はそんな事を言わなくなったが、田舎には「五(御)膳箸」という言葉があった。むすびを食べるのも、漬物を食べるのも箸を使わずに文字通り、5本の指を持つ手で食べるのだ。子供の頃だが、こんな思い出がある。農業の繁忙期ともなれば、朝、学校に行くまで子供たちも親父と一緒に野良に出て仕事を手伝うのだ。夜明けとともに畑に出るのだから朝飯はもちろん畑の中。今のように爪楊枝や箸、ましてやおしぼりなど用意するような余裕も、生活のレベルでもなかったのだろう。何を食べるのも5本の指なのである。


トマト2


 のどかなものだった。衛生云々などともいわなかった。それによって免疫を作ったのか病気にもならなかった。ただ、この五膳箸はともかく、私たちのの学業成績は言わずもがな。朝も早いし、畑仕事で疲れているから授業中は居眠りだ。それが高校時代まで続くのである。広い農地を抱えて、そうでもしなければ間に合わない親父の心の内が今ではよく分かる。幸か不幸か、おふくろからも今時の教育ママのように「勉強、勉強」などといわれなかった。しかし、今考えれば、そんな親父やおふくろで良かったと思っている。少しばかりの勉強より大切なものを教わったような気がする。




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草食人間

風景


 民族を大別してよく言われるのが狩猟民族農耕民族。この分類からすると私達日本人は農耕民族だといわれる。ただ、農耕に対比する言葉は狩猟ではなく、牧畜だという分類が正しそう。農耕民族は土地への執着が強く、それとは対照的に牧畜の餌を求めて移動を余儀なくされる牧畜民族は、当たり前だがへ執着する。




 一方、動物を大別すると、肉食草食に分類できるのだろう。こちらの分類は分かり易い。体の部分的な構造が明らかに違うからだ。哺乳類で見た場合、ものを食べる歯の形が違うし、はっきり違うのは目の位置である。例えば、ライオンやハイエナのように肉食動物の目は正面についているし、馬や牛のように草食動物は横についている。肉食の奴らに狙われた時の危険察知に備えて視界を広くしている。足の爪だって違う。肉食の爪は前足に鋭いものを持ち、草食のそれは蹄を持っていて、長距離を走る、つまり敵から逃げる備えを持っているのだ。

ライオン   牛

 

 

 農耕民族と狩猟民族はともかく、肉食動物と草食動物では明らかに逞しさが違う。草食動物は肉食動物に狙われる立場にあり、うっかりしていると食われてしまう。サファリなど大自然の中では食うか食われるかの闘争を繰り返しているのである。そんな動物界、自然界を例えたのだろうか、最近「草食人間」などという言葉がよく言われるようになった。主には覇気や闘争心のない男達、また転じて異性の女性に興味を示さず、結婚などにも関心を持たない若い男性たちのことを言うのである。

うさぎ

 私が歳を取っているせいかもしれないが、この言葉はいい得て妙。お若い男性からお叱りを受けることを覚悟して言えば、確かにそんな若者が増えている。何も男性中心のものの考え方をしているわけでもないし、男性社会を標榜しているわけでもないが、覇気をなくした男性があまりにも目に付く。同じ世代の若者達がいるとする。そこでリーダーシップを取るのはおうおうにして女性のことが多い。それが生まれてもう久しいが「アッシー」などという言葉が現代若者像を物語っている。




 先頃、子供キャンプに加わった時の茶飲み話で、たまたま私と同世代のスタッフの一人が子供たちを横目にこんなことを言った。




 「今の子供たちは男の子より女の子の方が元気があるよなあ。男は男らしく、もっと覇気を・・・」

女の子


 ここまで言ったら隣にいた女性がすかさず口を挟んだ。もう60歳に近いベテランの女教師である。




 「男だから、女だから、かくあるべき、というのはおかしい。私は双方を人間と観て、その結果が男だったり、女だったりするんです.。そう考えなければいけません」

子供たち


 私は頓珍漢かもしれないが、最近よく言われる「ジェンダーフリー」という言葉を思い起こした。とにかく、教育界の中に、この女教師の言う考えがあることは間違いない。男と女の概念も時代とともに変わってくるのだろうか。でも男と女は構造的にも違うし、だからこそ男性は女性をいたわる心を持たなければいけないと思っている。

 



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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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