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気まぐれな石楠花

石楠花3


 庭先のシャクヤク(石楠花)が、いくつもの花を付けた。直径20cmぐらいはあるだろうか。淡いピンクの大きな花だ。我が家のシャクナゲはもう古木。親父が生前、植えたものだから、少なくとも40年以上は経つのだろう。



 なのに、これまで花を見たことがなかった。職場をリタイアして、ここ実家に戻って10数年。身体も心も花を愛でるぐらいの余裕は出来たはずだが…。モノの本によれば、シャクナゲは暑さに弱い植物だという。このところ毎年のように続く夏の猛暑が影響しているのではないかと、勝手に思ったりした。

 石楠花2


 ツツジ科のツツジ属。原産は中国だという。夏の暑さに弱いのも原種は高山に自生するため。しかし、園芸用の改良品種はどんどん開発されていて、今では世界で5000種を超すシャクナゲが栽培されているのだそうだ。そう考えると、我が家のシャクナゲは改良前の極めて古い品種ということか。そればかりではなく、シャクナゲは毎年咲かない花らしい。




 丁度、今頃の季節。ワラビやウドなどの山菜採りで近くの里山を飛び歩いた子供の頃、時々、野生のシャクナゲの花を見た。ポピュラーな山ツツジや山桜と違ってシャクナゲの花は、子供心に、なんとも神秘的に映ったものだ。

石楠花  


 中学生時代の同級生が、このワラビと冷凍にした稚鮎を持って来てくれた。ワラビは奥さんが友達と一緒に山に出かけ、採って来たものだという。「オレ?もう、山を飛び歩くのはきついよ」。コロナウイルス感染症予防を気遣って家の中に入るのをためらった友を居間に誘い、茶飲み話にひと時の花を咲かせた。




 この男、趣味は多彩。釣りもやれば山菜採りもする。花卉園芸にも興味を持ち、何年か前には立派な月下美人の鉢植えをいただいたこともある。体もしっかりしていて、若い頃から続けて来た柔道は六段。今では指導的な立場にあって、締める帯も白や黒ではなく、珍しい「紅白」の帯だ。釣りだって半端ではない。そんな男だから地域漁協の役員も長年勤めた。




 言ってみれば、山や川は自分の庭みたいなもの。ワラビに限らず、タラの芽やコシアブラなどを採っては食べさせてくれるのだ。タラの芽やコシアブラは天ぷらがいい。コシアブラは酢漬けにしても美味い。酒の肴にはうってつけだ。




 去年までは、いつものように山菜採りで山を飛び歩いていたこの男も、どうやら歳には勝てないらしい。同い年なのに私は、とっくに脱落である。この男、釣りはまだ現役。アユの稚魚は、今年も富士川の下流で今年も釣って来たものだ。そこは山梨の県境を越えた静岡分。遡上する天然のアユの稚魚である。知る人ぞ知る稚鮎釣りの«穴場»は、川の構造からそれ以上の上流への遡上が出来ずに稚魚が«プール»している所だという。




 「稚魚は餌釣りをするんだよ」。そう教わったのは数年前のこと。目から鱗だった。鮎は「友釣り」が一般的。餌釣りは出来ない魚とばかり思っていたからだ。川虫など餌は一切食べず、食べるのは川底の石などに張り付いている水苔だけ。だから、はらわたはきれいで、人は鮎を丸ごと食べる。同じ川魚でもヤマメやアマゴは空中を舞う虫なぢ何でも食う。アユの稚魚が何故、餌を食べ、成魚になると何故食べないのかは、この男も知らないらしい。シャクナゲの花が気まぐれで、毎年花を付けない理由は聞き損ねた。





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カラスと女房

ネコ


 「お父さんねえ、カラスだけはいじめない方がいいわよ。しっぺ返しが怖いんだって…」
何処で聞いて来たのかは知らないが、女房は真顔で、そんなことを言う。





 いつも裏庭の駐車場の隅っこに置いてやる猫の餌を横取りする2羽のカラスを横目にしながらの話だ。カラスは他の小鳥にはない「何か」を持っていることは確か。




  「バカ言え。追っ払わないとミー(猫)が可哀そうじゃないか」


 「ダメよ。ミーには、また後で(餌を)やればいいじゃないの…」




 カラスは他の小鳥と違って獰猛だ。知恵もある。猫の一匹や二匹、押しのけてでも我がもの顔で餌を横取りする。意気地がないもので、当の猫はカラスの横暴を「指をくわえて」遠巻きに見ているだけ。「こん畜生」。判官びいきで咄嗟に追い払おうとするのだが…。

ねこ2


 知り合いが、カラスなどの鳥獣被害について、こんなことを話してくれたことがある。


 「シカやイノシシはいいが、カラスとサルだけは、どうにも手の施しようがない」


 シカやイノシシの場合は、有刺鉄線や電流柵で防ぐことが出来るが、知恵があるカラスやサルにはそれが通用しないという。特にカラスは種蒔きをするのを上から見ていて、後からみんなほじくってしまう。作物が実れば、片っ端から食い荒らすのだそうだ。「自家製の野菜を全てハウス栽培に頼るわけにも行かないし…」。頭を抱える。




 この方のお住まいは県境の町・山梨市三富町。すぐ隣は埼玉県の秩父地方。いわゆる奥秩父の一角である。県境の町と言っても我が家から10数㌔。地図の上では牧丘町をはさんで、いわば、目と鼻の先だ。平成の合併で山梨市と一緒になる前の三富村の収入役を務めていた。のちに人権擁護委員をご一緒して親しくさせていただいた間柄である。




 役場の現役当時は、この鳥獣対策に本気で取り組んだだろうことは言うまでもない。でも、そこには動物愛護の建前との板挟みもあって限界が。今では成すすべがなく、お手上げ状態だという。「今や«共存共栄»ですよ」。諦めきっている。




 私たちが住む、この地域だって決してよそ事ではない。シカやイノシシは既に勢力範囲を広げて我が地域にも来ているし、サルがやって来るのも時間の問題だろう。カラスはとっくからのさばっている。何故か、カラスの天敵?である鷹やトンビはほとんど見かけなくなった。以前は大空をぐるりと輪を描いて舞い、そうかと思えば急降下。餌を捕るトンビが姿を消してカラスは今や我がもの顔。気のせいか、そのカラスが最近とみに増えた。




 そこのけ、そこのけ。横暴ガラスを指をくわえて観ているしかない我が家のミーは、実を言うと10数年前から住み着いている野良猫。女房は毎日三度、三度のメシであるキャッツフードを買い込むのはむろん、動物病院に連れて行って去勢手術を施しもした。毎朝、夜が明ける頃になると勝手口に来てニャン、ニャン餌を求めるのだ。




 私が畑で仕事をしていると、近くで寝転んだり、転がったり…。可愛い。何時しか、野良と話をしている自分がいた。女房が言う「カラスのしっぺ返し」とは、どんなものか知らないが、我が家の野良は知っているのかも。今日も餌をカラスに横取りされているのだ。




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叱らない?大人たち

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テレビ東京HPより


 テレビで「三匹のおっさん」というドラマを見た。仲良し三人組の「おっさん」が街の不良どもを身体を張って叱るのだ。不良と言っても、実は反抗期の若者たち。「子供たちの脱線を、観て観ぬふりは出来ない」とばかり「おっさん」たちは、乱暴な子供たちと真正面から向き合う。体力的には若者たちにかなわないのだが、「おっさん」たちの心意気は通じた。




 この「おっさん」たちの振る舞いに何故か感動にも似たものを覚えた。私たち大人は「叱る」ことをいつの間にか忘れてしまった。「昔は」と言ったら、また懐古趣味に聞こえるかも知れないが、子供が悪いことをすれば、親ばかりではなく、近所の大人たちや通りすがりの大人ですら叱った。叱られる側の子供達だって、当然とまでは思わなかったにしても、それなりに納得した。叱られたことが大人になって懐かしい思い出だったりすることもある。




 いつの世の子供だって心の片隅では大方の善悪の区別はついている。でも、調子に乗っていたずらをしたり、粋がった反抗心から善悪をはき違えて行動することだってある。それを「良し」とするものではないが、子供とはそんなものであり、むしろ、それでいい、とさえ思う。「反抗期」という言葉が示すように親や大人たちに意味もなく抵抗したり、反抗してみたくなる時期だってある。私たち大人が自らも通って来た道かも知れない。




 子供を叱らなくなった親…。その一方で、「モンスターピアレント」が生まれた。自分の子供が学校で先生からゲンコツでも食おうものなら大変。学校に押し込んで猛烈な抗議をするのだ。モンスターピアレントに閉口し、先生たちも子供たちを叱らなくなる。近所のオヤジも同じ。こんなパターンは今や当たり前になりつつある。




 それどころか、「パワハラ」という言葉が、それを後押し。まるで水戸黄門の印籠のように威力を発揮するのである。小学校や中学校の日常に限らず、高校や大学の運動部にまで波及。マスコミの「後押し」も手伝って監督は血祭りに挙げられたりもする。監督さんに同情したくもなる。いわゆる親心や「愛のムチ」とみるのは間違いか。可愛い選手をもっと、もっと伸ばしてやりたい。チームを強くしたい。そんな情熱の発露ではないのか。




 でも、そんな情緒的な見方は、今は通用しないらしい。文部科学省や都道府県、市町村の教育委員会は「暴力」という名の下に子供たちに「手を挙げる」こと自体を厳に戒めている。「暴力」は悪いに決まっている。でも、そこには「教育的な指導」は存在しないのか。先生の「ゲンコツ」は全て体罰なのか。怖いのは指導的な立場にある教師に子供たちを叱ることを放棄させてしまうことだ。

三匹のおっさん2


 統計では、少子化は世代が変わるごとに進み、今や2人を大きく割り込んでいる。平均ではどの家庭にも1・25人ぐらいしか子供がいない。一方で教育への投資は増える。一見「いい子、いい子」で、親からも先生からも、ましてや周りの「おっさん」からも叱られずに大きくなる。叱るのではなく褒めるのが「教育」だそうだ。きっと次の世代には叱る親も、先生も近所のオヤジもいなくなる。テレビの「三匹のおっさん」は、そんな世の中の風潮に警鐘を鳴らしているようにも見えた。子供はわんぱくでいい。叱られて大きくなるのだと…。




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巣作りも鉄筋?

鳥の巣


 あれは何だろう?


 暇つぶしに読んでいた本から目を離して窓越しに外を眺めたら、植え込みの向こうに立つ電柱のてっぺんで、2羽の小鳥が何やらせわし気に行ったり来たり。どうやら、巣作りのようだ。藁屑のようなものをいっぱい貯め込んで、その屑の塊は、上から下へ4~50㎝ぐらいのところまで膨らみを見せていた。小鳥は産卵の季節なのだろうか。


鳥の巣2


 考えてみたら巣作りの素材は、やっぱり藁屑ではないらしい。一昔前なら、いざ知らず、この辺りは、それまでの米麦、養蚕からブドウやモモ、スモモ、サクランボなど果樹地帯に変貌を遂げて久しい。藁など、一本たりともお目に掛かれない。だから素材は、あちこちにある何でも使うらしい。針金も、その一つ。今や小鳥の巣も「鉄筋」なのである。




 ブドウ園には針金は欠かせない。ブドウの棚に張り巡らすアレだ。果樹地帯ならではの素材だ。小鳥たちは、農家が時として残しかねないブドウ棚用の針金の切れ端をも見逃さない。一方で、この針金の切れ端が、停電の原因になることもしばしばだという。

鳥の巣3


 いつか、東京電力の知り合いが、こんなことを話してくれたことがある。


 「私たち、分かり易く言えば電線を管理する部署の人間にとってカラスなど小鳥は、いわば天敵なのです。針金など紐状の金属で電柱に巣作りしたり、それを咥えて運ぶ途中、電線にとまり、そのことが原因でショート、停電を起こして私たちの生活を混乱させるのです」




 小鳥が巣作りした電柱は庭の植え込みを挟んで5~60m先。高さ15m前後のコンクリート製の円柱である。電線は2段になっていて我が家はむろん、付近の家庭に配線されている。巣作りの様子を知りたいのだが、わざわざ見に行くのも面倒。机の脇に転がっていたデジタルカメラ(望遠)で覗いてみた。ものぐさ人間のなせる業。十分に分かるはずがない。

鳥の巣5


 巣作りをしているのは2羽。恐らく番の夫婦だろう。大きめの鳥だ。カラスのようにも見えるのだが分からない。私が毎日のようにお邪魔するブログの主・country walkerさんなら一目見るだけで何の鳥かすぐに分かるだろう。country walkerさんは毎日、小鳥の写真を紹介している。いずれも見事なシャッターチャンスで捉えたキレのある写真。その種類は多岐にわたる。




 私は数ある生きものの写真の中で小鳥ほど難しい被写体はないとさえ思っている。窓辺の机で、こうしてパソコンを叩いたり、本を読んでいて、ふと庭先に見る小鳥。植え込みを飛び回る、そのさまは、いかにもせっかちで落ち着かない。1秒たりとも羽を休めないのだ。羽を休めることがあるとすれば、電線に2羽、3羽ととまる雀ぐらいのもの。そんな意味で
country walker さんのブログを拝見する度に被写体に立ち向かう執念のようなものを感じ取りもするのである。ズボラ人間には絶対に真似の出来る技ではない。





 庭先にやって来る小鳥をよく見ると、みんな2羽ずつ。夫婦仲良く植え込みの木から木へ、枝から枝へと飛び回っている。その種類は多く、10種、20種にも及ぶ。そんなことに気付いたのも暇人になった証拠。でも、その種類となると、全く分からない。分かるのはスズメとカラス、ハトぐらいのものだ。country walkerさんが羨ましい。 




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ツツジと祭り

ツツジ


 毎年、5月の声と共にツツジが花開く。我が家の庭先でもツツジが咲き始めた。色鮮やかな赤もあれば、淡いピンクもある。周囲の新緑といかにもマッチし、小気味のいいアクセントを醸し出すのだ。あと一か月もすれば、このツツジの後を追ってサツキが咲き始める。むろん、ツツジは花を散らして、サツキに後を譲るのである。


ツツジ3  


 我が家から、そう遠くない所に「大石神社」という名の神社があって、社(やしろ)に上る石段の両側にはたくさんのツツジが群生。時季になると一帯は見事なツツジの花で埋まる。神社の例大祭は5月5日。子供の日でもある。私が子供の頃、つまり、60年、70年前のことだが、神社の鳥居付近には綿菓子やおでん、ヨーヨー、金魚すくいなどの屋台が並んで、祭りをいやが上にも盛り上げるのである。
  大石神社
大石神社


 一方で、鳥居に近い傾斜地の一番下には特設の芝居小屋が出来て、祭り客は一面に咲き誇るツツジと共に演芸のひと時を楽しむのだ。演ずるのは村の青年団。三度笠やカッパ(合羽)姿の「旅がらす」を演じて見せる時代劇やスマートな水兵さんのマドロス姿もあって、その一幕、一幕に村人は拍手喝采する。ツツジが群生する境内の傾斜地は格好の観客席になるのである。




 社がある小さな山の上には、社を囲むように、それは大きな石があって、神社の威厳を高めているようにも見える。石の大きさはいずれも周囲30mぐらいはある。「大石神社」の名前の由来も、そこにあるのだろう。アマチュアのロッククライマーは、この大石を見逃さない。専門誌にも取り上げられるせいか、一年を通じて愛好者が集まって来る。




 山の下・神社の鳥居近くの広場には、いつも何台もの車が並ぶ。品川、足立など東京ナンバーのほか、埼玉や千葉、神奈川などのナンバーもある。車には岩の下に敷くマットなどロッククライミングの練習に欠かせない「装備」を積み込んでいる。「東京から100キロ圏。しかも平地にある小山だから、手軽に行くことが出来る«穴場»なのです」。フアンは、そんなことをいう。




 私は、東京など県外から我が家に来てくれるお客さんを、しばしば、この大石神社にお連れする。お客さんが決まって口にするのは「どうして、こんな山の上に、こんな大きな石があるの?」だ。そんな時、私は「昔、この村には、それは、それは、とんでもない力持ちがいて、この石を下から投げ上げたのです。天の岩戸伝説のタジカラオウノミコトより力持ちだったんです」と、真面目顔で話してやる。お客さんは半信半疑で聞いている。むろん作り話。理屈は極めて簡単。地球の草創期、隆起現象がもたらした遺産に過ぎない。

つつじ0


 ツツジの管理は地域ぐるみでやっている。花が散る5月下旬には地域の有志が草刈りをしたり、剪定もする。枯れるものがあれば、補植もする。しかし、祭りは確実に衰退。祭りの演出に一役買った屋台も影を潜めた。コロナウイルスの影響ではない。時代の趨勢と言っていい。どこの祭りも少なからず同じだ。祭りに花を添えた芝居小屋は言わずもがな。それどころか青年団は跡形もなくなった。ツツジと共に楽しんだ祭りは、今は昔の話である。

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ジャガイモの種蒔き

じゃがいも


 ジャガイモが芽を出した。芽というより、もう葉っぱという方がいい。周囲の新緑と歩調を合わせるかのように日に日に、その緑を増していく。




 我が家では毎年、彼岸に種蒔きをする。


 「お父さん、もうジャガイモの種を蒔かないと遅くなるわよ」


 女房も今では、その時季を覚えていて彼岸が来ると「のんびり屋」の私のお尻を押すのである。種芋は黙っていても昨年暮れのうちに注文で確保しておいてくれるのだ。この辺りでは、ありがたいことに農協が回覧板で注文を取ってくれる。




 その量は毎年、決まって5㌔。種芋の5㌔は10倍にも20倍にも増える。夫婦二人暮らしでは食べきれるはずがない。甲府に住む娘夫婦と孫娘、女房の姉夫婦、それに親しい友に差し上げることを想定したものだ。玉葱やサトイモ、大根やキューウリ、ナス、トマトも同じである。田舎がゆえに幸か不幸か、作付けする畑には事欠かない。


じゃがいも2


 都会にお住まいの方はご存知ないかも知れないが、ジャガイモは、種芋を二つ、または三つに切って蒔き付けをする。大きいものなら三つ、小さいものは二つ切りにするのだ。発芽率が極めていい野菜だから、一芽だっていい。二芽残しは凍霜害を想定した、いわば「安全弁」。蒔き付けする時、切り口に灰を付けるのがコツ。腐ったり、病気を防ぐためだ。




 収穫は毎年、6月下旬から7月。あまり、のんびりしていたり、天気の悪い日に収穫すると腐り易いのもジャガイモの特性。ジャガイモの腐った匂いは鼻つまみものだ。兎に角、新ジャガは美味い。「探し堀り」といって本格収穫を前にしたジャガイモの味は一入だ。




 ジャガイモを追っかけるように先頃、サトイモも蒔いた。種芋は隣村に住む中学時代の同級生が毎年届けてくれる。種芋は、もう芽を出している。国鉄(現JR)を定年でリタイア、実家に戻って始めた農業だが、私のような生くら者と違って、しっかり者。主体の桃も、それは見事なものを作る。ジャガイモの種芋だって冬中、簡易のビニールハウスで、しっかりと管理、それを届けてくれるのだから、只々頭が下がる。




 一口にサトイモの種芋と言っても、厳密に言えば2種類。よく見ると、サトイモは芽が青白く、一方のトウノイモは赤みがかっている。芋自体もトウノイモの方がサトイモより大柄で、ゴツイ。成長すると、その違いは歴然で、サトイモの茎が緑色なのに対して、トウノイモは紅い。トウノイモは茎(つる)を食べる。そう。巻きずしの芯に使うアレだ。

サトイモ


 ジャガイモやサトイモに限らず、根菜類の野菜は総じて逞しい。サツマイモ、大根、ゴボウ、さらにはコカブに至るまで、全てに言えることだ。発芽率は100%と言っていい。サツマイモの場合は、種芋から切り取った苗(茎)を盛り土に挿しておくだけで時期には立派な芋を付けてくれる。




 逞しさは大根もしかりで、「ど根性大根」などという言葉もそこから来ているのだろう。時として都会の舗装道路の割れ目からも芽を出すのである。大根は殺菌作用が強くあたらない。「大根役者」の例えが、それだ。我が女房の「大根足」とは意味が違う。




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殺し文句

都会

 
         ※この記事は2009年5月に掲載したものです。今度のコロナ
         ウイルス騒動とスケールこそ違え、ちょっと似たところが。
         そんな意味で再掲載してみました。傍観者の意味ではあり
         ません。

 

 物騒なものの言いようだが「殺し文句」という言葉がある。ちょっとした事で議論になった時、往々にして楽観論と慎重論が交錯する。安全や安心に関わる事柄だったらなおさらだ。「そんなことで、大騒ぎしていたら、かえってパニックを招いたり、後に禍根を残す」という意見に対して出てくるのが「万一、間違いが起きたらどうする」という反論だ。




 この勝敗の帰趨は大方決まっている。この議論で勝つのはほとんどが慎重論だ。「一・・・」を強く言われれば、どんな人間であれ「絶対に大丈夫」と断言できないからだ。もちろん、その事柄によってだが、万一を主張されたら、どうにもならない。




 日本中をパニック寸前にまで追い込んだ新型の(豚)インフルエンザがそうだ。まるで日本中がインフルエンザに感染するような騒ぎになり、店頭という店頭からマスクが消えた。笑い話ではない。買い物など外に出ることが出来ないことを想定して、大量の水や食糧まで買い込んだ人もいるという。街ゆく人達はみんなマスクをかけ、異様な雰囲気を醸し出した。


エスカレーター

 幼稚園や保育園、小中学校、高校は相次いで休校策を取り、企業までも時差出勤や休業策をとる所も。一方、時あたかも修学旅行シーズンの学校は、相次いで計画を中止した。みんな「万一」だ。ここまで来ると人間、はたと考える。例えば、修学旅行での売り上げを当て込んでいた京都や奈良などのホテルや旅館、土産物屋さんはたまったものではない。




 こうした経済界に生きる方々だって所詮は人の子。政府やマスコミから連日、どかすかと流れる情報を目の当たりにすれば、インフルエンザが怖くないといったらウソになる。しかし、経済活動への影響が出始めて来ると話は別。得体の知れないインフルエンザ騒ぎにばかり震え上がっているわけにもいかない。当然の事ながら政府や自治体に「慎重な対処」という名の「圧力」をかける。




 政府だってこれを無視するわけにもいかない。これでもかというほど大量のニュースで「怖いインフルエンザ」のイメージを国民に焼き付けたマスコミも一転、今度は火消し役に。「怖い」を前提にニュースや番組を作ってきたマスコミは「冷静に」へと舵を切り、そこに登場する学者先生や評論家の先生方も、かつてのトーンと手のひらを返すのだ。ニュースはマスクから、元気に登校する子供たちをことさらにアップするのである。そして、あと何日かすると、インフルエンザの「イ」の字もなくなるのだ。俺たちは≪情報という名の魔物≫に踊らされたのか、勝手に踊ったのか・・・。


街

 慎重と過剰は、相反するようで、実は紙一重。必ずしも適当な例えではないかもしれないが、毎朝、毎晩、日常的にお目にかかる天気予報がそれだ。気象庁が発表する警報は、決まってオーバー気味。これだと、多少差し引いて受け止めればい。



                     
 正直言うと私はちょっと前、騒ぎの震源地・メキシコにいた。女房との旅行の途中だが、そこはいたって冷静だった。今度の騒ぎの根底には、万一を考えたお役人の事なかれ主義や保身術が潜んでいないいか。それがあったとしたら踊らされる国民は迷惑千万だ。今度の騒ぎで一番気の毒なのは犯人扱いされた感染者だろう。「たかが風邪」と言ったら、慎重派?に叱られるよね・・・。






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消えたピンクと御坂山塊

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 ここから直線で15㌔近くはあるだろうか。御坂山塊の襟元まで染めていたピンク色が消えた。そこは日本一の桃の産地・笛吹市一宮町の東部一帯。甲府盆地の底辺部から織りなして来たピンクのジュータンは、時と共にゆっくりと高地へと移動。やがては当たり前のように姿を消して行く。自然は一日たりとも足踏みはしない。




 御坂山塊の上にどっかりと腰を据える富士山は、まだ真っ白。甲府盆地と富士山麓の間の「屏風」のようなこの山塊は、何時ものように青黒く佇み、真っ白い富士山を今日も際立たせているのだ。これといった変哲もない前衛の「屏風」が実は富士山の引き立て役になっているのである。

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 「何の変哲もない」などと言ったら叱られる。御坂山塊は歴史に何度も記された富士山噴火でも溶岩流の防波堤の役目を果たして来た。想像しただけでもゾッとする、あの溶岩流を「体」でがっしりと受け止め、甲府盆地に一滴も入れなかった。何度となく繰り返された富士山の噴火は、遠く江戸八百八町まで溶岩流をもたらしたという。しかし、目と鼻の先の甲府盆地には、それを全く許さなかったのだ。




 そんな御坂山塊の上に腰を下ろしているかのように見える富士山も時と共に表情を変える。真っ白く雪化粧したままとは言え、どこか違う。厳冬期の荒々しい顔とは明らかに異なるのだ。「どこが?」と問われても答えようがないのだが、光線がそうさせているのだろう。




 日常に人々が交わす挨拶の「枕詞」も、ひと頃の「寒いですねえ」が、いつの間にか「暖かくなりましたねえ」に。確かに日差しも目に見えて穏やかになり、第一、一日の陽もグ~ンと長くなった。朝は5時を待たずして明け始めるし、夕方もしかり。6時半過ぎまで明るい。ひと頃と比べれば、一日が4時間以上長くなっている。いつもなら何か得をした気分にもなるのだ。でもコロナウイルス騒動の影は深刻で、今年はそんな気分にはなれない。




 御坂山塊は、向かって左側に奥秩父山系が連なり、そのすそ野を一級河川の笛吹川が流れる。最上川(山形)と球磨川(熊本)と並んで日本三大急流に数えられている富士川の支流だ。笛吹川の源流は山梨市の三富町。埼玉県と隣接する奥秩父山系の一角にある。そうした山や川が醸し出す気象が実はこの地方の特産を生み出しているのだ。




 まだ、そのシーズンには早いが、枯露柿はその典型。笛吹川を挟んで向かい側には、甲府盆地をぐるりと囲む連峰の山々から、ちょっと突き出す岬のように岩手、八幡の小山が連なる。そんな地形や自然が枯露柿づくりに恰好な条件を生み出しているのだという。つまり、この地域を大きく囲む山々が、笛吹川の川風と絡んで、枯露柿造りに適した環境を生んでいるのだという。特産のブドウやモモにもそんな因果関係があるのかも知れない。

農鳥


 一方、御坂山塊の向こうで、雄大にすそ野を引く富士山は、あとしばらくすると中腹に「農鳥」を見せてくれる。「農鳥」は富士山が、ゆっくりと雪解けを始め、その過程で起こる残雪現象。大きな鳥の姿を形成するすることからその名がついた。人々は古来、この「農鳥」の出現を契機に夏の農作業を始めた。初夏。コロナウイルス騒動の中で甲府盆地の農家は今年も本格的に動き出す。でも、その表情は、いつもの年とは違う。




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山が萌える

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 季節の移ろいは確かだ。いつの間にか周囲の山々が萌え始めた。山と言っても標高が低い里山。遠くに見える高い山は、まだ、どす黒く見える。むろん新緑への準備を始めているのだが、里山とのタイムラグは当然だ。一方、私たちが暮らす里は新緑へピッチを上げている。






桜、桜と言っていたのがウソのよう。一足早く葉桜に変わった河津桜はもちろん、牡丹桜や枝垂桜、ソメイヨシノも、すっかり花びらを散らし、新緑への移行に余念がない。


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甲府盆地は桃の一大産地。桜を追っかけて花開く桃の花は、盆地一面をピンクの絨毯に変えるのだが、その絨毯も標高の低い所から高い所に移行するのである。桃畑が集中する盆地の東部。ピンクの絨毯は御坂山塊の「襟元」まで登って行く。毎年繰り広げられる大自然のパノラマショーだ。






一口に新緑と言っても、その様相はさまざま。一概に緑ばかりではない。特に楓はこの時季、多彩な「顔」を見せる。我が家の庭には何本もの楓があるが、みんな色が違う。赤いもあれば黄色いのもある。赤と言っても深紅だったり、紅色であったり…。みんな「顔色」を異にするのだ。


 黄色いものも同じで、中には赤みがかった黄色から次第に真っ黄色に顔を変えるなど「七変化」を遂げるものも。この楓、赤みがかった黄色で芽吹き、次第に真っ黄色になり、夏ごろには緑に。そこが折り返し点なのか、秋に向けて、また黄色く、赤く。いわゆる「紅葉」を織りなすのである。


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松やモミなどの常緑樹はさておき、押しなべて辺り一面の新緑の中でコントラスト豊かなアクセントを施して見せるのである。あと少し経てばツツジが咲き始め、6月になればサツキが花開く。その頃になれば花の先陣を切った梅が実を膨らませ、北海道を除く日本列島は、いわゆる梅雨のシーズンを迎えるのである。

 楓は紅葉狩りの秋より今の方がずっと美しい。


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これらは毎年繰り返す自然界の悠然のドラマ。しかし今年は、そんなドラマが空虚でしかない。少なくとも、この時季特有の爽やかな気分にはなれない。それほどコロナウイルス感染症騒動は人々の心に負の重荷をもたらした。遡って桜にしても、「花見で一杯」などという風流は望むべくもなかったし、第一、そんなことをしたら悪者扱いされたに違いない。






風流の花見酒どころか、ネオンの盛り場でのお酒ですら飲めない始末。一事が万事。人々の行動が、ことごとく抑制されるのだから、ストレスが蓄積されない方がおかしい。家に居たって毎朝の新聞も居間でのテレビもコロナ、コロナ…。ほかに話題はないのか、と思えるほどコロナ騒動一色。今はコロナ感染症に視点を充てれば何でもニュースになる?そう邪推したくもなる。






そんな中で山梨日日新聞に桜や桃、菜の花など各地の「花だより」の写真が載る。ハナミズキの街路樹も。「おうちでお花見」のカットが付いた、いずれもワイドに扱った見事な写真。「こんな時だからこそ」。編集者の嬉しい心遣いが伝わって来る。コロナ一色と言ってもいい紙面や日常の中にあって心を和ませる計らいだ。新聞も決して捨てたものではない。






先が見えないどころか、ますます深刻さを強めるコロナウイルス騒動。そんなことには関わりなく悠然と季節の移ろいを続ける自然界。人間どもの慌てふためきぶりを笑っているかも。新聞やテレビがコロナウイルス感染の終息を伝えてくれるのは、一体いつなのか…。








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人事の季節にも異変

宇和島城  
宇和島城=友人撮影


 サラリーマンは春の人事異動からボツボツ一か月を迎える。行く人、来る人。そこには当たり前のように、初々しさや惜別の念があった。毎年繰り返される、この人事の季節は人々の心をリセットする格好のチャンスでもある。「よし、頑張るぞ」。大なり小なり、そんな決意を心に秘めないサラリーマンはいまい。




 若手やベテラン、平社員や管理職…。そんな立場に関係なく、辞令を手にした人たちは家財道具ごと新天地に移動するのだ。「よろしくお願いします」、「頑張って…」。一方、新入社員は新調したスーツに身を固めて未知なる世界に飛び込んでいく。入社式では緊張しながらも、心を一つにして社長や、それぞれの代表の訓辞を胸に受け止める。




 ところが、こんな当たり前の光景が今年は、ことごとくに、何処かにすっ飛んだ。みんなマスク姿。挨拶の交換もそこそこに辞令のポジションへ。新入社員の場合、当たり前の入社式までカットされるのだから、誰もがかみしめる筈の「感慨」や「意気込み」などというものは沸く筈もない。コロナウイルス感染症は、人事の季節をも一変させたのである。




 「この春から愛媛県で公証人役場を開設することになりました」


 コロナウイルス騒ぎが勃発する前、友人から、こんなメールが。この男は国家公務員。昨年3月までの2年間、甲府で国の出先機関の局長を務め、その4月、岡山の局長に異動した。実家は広島。「定年まで、あと一年あるが、縁あって愛媛の宇和島で公証人役場を開設することになった」のだという。

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宇和島・「天赦園」の藤棚。下り藤ならぬ珍しい上がり藤のアーチ=友人撮影



 因みに公証人役場は、法務省が管轄する国の機関の一部。市町村役場など地方自治体とは異なる。様々な公正証書の作成、例えば協議離婚による養育費などの契約や各種の示談契約書の作成など業務は多岐にわたる。全国には300もの役場があるのだそうだ。新天地に挑むこの男性にもコロナウイルスの拡大が影を落とさなければいいが…。




 コロナウイルスの影は学校にも及んでいることはみんながご存知。うちの孫娘の場合も、小学校に入学したまではいいが、入学式だけで、その翌日からずっと休校。入学式も時間短縮で、いわば形だけ。お母さんやお父さんの参加も制限する始末だった。




 「私も行きたかったんだけど、ダメだって…」


 「当たり前じゃないか」


 ただ一人の孫娘の入学式だけに女房は後ろ髪を引かれる思いらしい。大人気ないが、私だって「行ってやりたい」と思う。孫娘の晴れ姿を一目でも見たいし、記念写真の一枚も撮ってやりたい。「親ならいざ知らず孫の入学式に爺婆でもあるまい」。確かにその通りだが…。

 小学校はおろか大学の入学式や卒業式に両親が付き添うご時世である。私たちが子供の頃は考えられなかったが…。時代はどんどん変わっている証かも。


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 そんな大人の感慨はともかく、当の孫娘。形だけの入学式を済ませただけだから、入学の実感どころか、小学校がどんな所かすら分かるまい。お友達だってできる訳がないし、幼稚園の延長線上に置かれたまま。むろん幼稚園も卒園式を済ましているので、幼心にも釈然としないに違いない。大人も子供も人生の節目をコロナウイルスに翻弄されっ放しなのだ。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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