入道雲と百日紅

入道雲  


 山梨県、とりわけ甲府盆地は周囲を山に囲まれている。だから「盆地」と言うのだろうが、富士山や南アルプスの前衛の山々の上に入道雲が。梅雨が明けて、それまでの空がウソだったように、でっかい青空が広がり、その空を蹂躙するように発生する入道雲は迫力がある。入道雲とはよく言ったものだ。ぼこぼこした坊主頭を連想するし、食いしん坊の子供なら綿菓子を思い起こすかもしれない。



入道雲2

 入道雲は夏の象徴だ。その夏の空の下で、今年も百日紅の花が咲き始めた。すぐ近くではキョウチクトーの花も。この二つは少なくとも夏の花だ。我が家の植え込みでは毎年、梅雨が明けると咲き始める。いずれも淡いピンクというか、紅い花である。白いくちなしや梅雨の時期によくに合う紫陽花とバトンタッチするように咲き出す。今年は開花が早い。

百日紅  

 百日紅は観ようによっては不思議な花。太い幹や枝に新しく伸びる枝の先っぽに花をつけるのだ。いってみれば勢いのいい若い穂先に幾つもの花を凝りのようにつけるのである。誰が名づけたかは知らないが「百日紅」と書いて「さるすべり」と読ませるのだ。


百日紅2

 幹はその名の通り、サルも滑りそうなツルツルした肌をしていて、長い間、花を咲かせる。百日とはいかないまでも、2ヶ月、60日以上は入れ替わり、立ち替わり咲いている。梅雨が終わって7月の残りと8月いっぱい、そして9月の中ごろまで花を付けているのだ。紅い一つ一つの花は時期が来れば、朽ちてひっそりと落ち、そのあとに別の花びらを付けるから、花全体ははじめから終わりまで色あせない。


百日紅3

 百日紅もそうだが、自然界には百とか八がつくものが少なくない。百日草もそうだし、あの天狗がうちわのように使うヤツデ(八つ手)もそうだ。山梨県と長野県の境にある八ヶ岳連邦、また神話などに出てくる、やおよろずの神もそうだ。いずれも単に百とか八、八百万ではない。




 ご存知のように、この数字の意味するところは「多い」「沢山の」という意味合いがあるのだ。例えば八ヶ岳だって、単に八つの峰から成り立っているわけではないし、七里ケ岩とか七里ケ浜というのも単に七里というわけではなく「長い」ことを形容した呼称なのである。九十九里浜も同じだろう。



入道雲3

 我が家の百日紅の根っこにあるヤツデ(八つ手)は、既に花を落としたが、この花のつけ方が珍しい。ご存じない方がおいでかもしれないので、あえて触れさせて頂くが、6月頃、天狗のうちわのような葉っぱの上に垂直に白い棒状の花をつけるのである。花というにはふさわしくないような奇妙な花なのだ。




 百日紅と共に紅い花をつけるキヨウチクトーは、案外ポピュラーな花で、ドライブ中、高速道路の脇などでよく見かける。逞しく幹が何本も出るので、自動車の遮音に役立つのだろう。いずれにしても、この二つの花が咲くと、本格的な夏の到来。山梨でも間もなくアブラゼミガ鳴き始め、8月の半ば、終戦記念日の頃になると、あの粘りつくようなミンミンゼミが鳴く。暑い夏。あまりご馳走ではないが、それが夏なのだろう。

 


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メタボ人間とビール

ビール


 「お父さん、昼間から、飲むの、止めたら・・・」

 山梨県地方もここ連日、30度を超す猛暑続きだ。畑仕事から帰り、汗びっしょりの身体をシャワーで流し、昼飯を食う。その前のビール一杯がなんと旨いことか。サラリーマン時代、会社帰りによく行ったビヤガーデンの生ビールよりはるかに旨い。当然のことながら、夜も飲むのだから、昼間は飲まない方がいいに決まっている。


トマト



 仕方がなくやる農作業の一方で、頭の隅では「汗をかき、身体を使うことで、多少なりともダイエットが出来、メタボの改善に繋がれば・・・」と、淡い期待もあるのだ。そんな私の心のうちを見透かしている女房だから、ブレーキをかけるのは分かりすぎるほど分かる。


ビール2


 「いくら汗をかいたって、ビールを飲んじゃったら元の木阿弥。ダイエットになんかなりませんよ。まったくっ・・・。意志が弱いんだから・・・」




 その通りだ。内心、そう思うし、私の身体を気遣う女房の心の内をありがたくさえ思う。しかし、私の口を突いて出る言葉は違う。




 「バカ言え。シャツを搾るほど汗を掻いているんだから、ビールの一本や二本、どうってことねえよ。第一、お酒は旨い時に飲むのが一番なんだよ」




 ヘンな理屈である。日曜日で勤めが休みの時なんか、娘も一緒になって


 「お父さん、お母さんの言う通りよ。言うこと聞かなければダメよ。お父さんの体考えているんだから・・・」




 なぜか娘にいわれると弱い。女房のブレーキより効く。タバコのブレーキと同じだ。



ジャガイモ


 自分では、汗を掻く、と言うのだが、一日中でも日差しが最も強い昼日中に野良仕事をするなど、愚のごっちょうなのだ。しっかりした農家は、今時だと午前4時ごろの夜明けを待って畑に出て、暑くなる前の8時、遅くも9時には引き上げてくるのである。





 「こんな暑い時に畑にいたら身体に毒ですよ」




 いつも近所の人から注意を受ける。注意と言うより笑われるといった方がいいかもしれない。しかし、ぐうたらオヤジ、長い間のサラリーマン時代のくせが簡単には抜けないのである。夜更かしなら何時だって平気。だが、早起きとなると、からっきしダメなのだ。勢い、ちゃんとした農家が半日分の仕事を終えて帰ってくるころから、こちらはようやく畑に。暑い最中の仕事、と言う悪循環である。「ええ~い、これもダイエットのためだ」とばかり、ペットボトルの水をがぶがぶ飲みながら頑張るのだ。


プチトマト


 農村地帯でも夕方や夜、ウォーキングをする人達が増えている。肥満防止やダイエットのためだ。糖尿病の改善を狙っている人もいる。機械化が進み、農業もかつてのように力の仕事ではなくなった。畑に行くのは軽トラック、除草や耕運も機械。買い物など普段の用事はもちろんだ。実は田舎の人間ほど歩いていないのである。メタボの量産は田舎から、と思えるくらいだ。俺のやり方は、一足早く原点に・・・などと悪あがきをしてもみた。






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メイドイン外国

朝


 ロータリークラブの早朝例会で、メンバーの一人がこんな話をした。
早起きは3文の得と言う言葉がありますが、その通りなんです。朝一番の陽を浴びると、人間、健康にいいんです。特に、メタボ人間には最適なのです」





 私たちの山梨ロータリークラブは、毎週1回の例会は昼休みの時間、つまり午後零時半から1時半までの1時間を原則にしているが、夏の時期だと午前6時半からの早朝例会、冬場だと午後6時半からの夜間例会を年何回かは実施する。いずれも水曜日だ。



朝2



 例会では、会員が交代で「卓話」という名の講話をする。メンバーの職域は多岐にわたっている。医者もいれば、機械金属、建設、不動産、測量、旅行、ワインなど会社経営者や、家電時計文房具、花キなどの商店主、公認会計士司法書士学校の校長先生新聞記者のOB銀行マン僧侶だっている。もちろん、果樹地帯のど真ん中だから、桃や葡萄の栽培者だって少なくない。




 目の前の医者をちょっとはばかりながらも、この日の卓話の担当者は「聞いた話」と前置きしながら朝日、早起きとメタボ改善の医学的な因果関係を説いた。この人はアパレル業界で会社を営む人だから、話の中心はファッション



1


 「今、女性物、男性物を問わず、値段はどんどん安くなっている。その秘密は外国での生産だ。われわれ専門家から観れば、技術は劣るが、そこそこのファッション性があるから消費者にとって安さは魅力。男性者のスーツが9,000円台で売っているんですねえ。そんな人はいないとは思いますが、この背広を5年も6年も着られたのでは、われわれはたまったものではないんです」





 そう言ってこのアパレルメーカーの社長は、苦笑いした。確かに、安かろう、悪かろうと言ってはいい過ぎかもしれないが、ファッション製品にとどまらず、わが国で売られているのは≪メイドイン外国≫。中国や、タイ、フィリピンなどの東南アジアは当たり前。このアパレルメーカーの社長によれば、ファッション製品の中には、欧州のブルガリアなどで作らせているものもあるのだそうだ。「ヨーグルトだけでたくさん」。この社長は本音とも思えるオチをつけた。


ヨーグルト


 そんな話を聞いた日の昼間、テレビを見ながら飯を食っていたら「思いっきりDO~N」という番組で、ニシオカ何がしというタレントさんが商店街を歩いて買い物した衣服を「生着替え」するという中継番組をやっていた。買って着替えた下着はもちろん、ワンピースや帽子から靴まで、値札を貼って、その金額をトータルしてみるのだ。




 なんとその合計金額は5千数百円。一部の千数百円を除いてほとんどが千円未満。テレビだから、その素材だとか仕立ての技術は分からないが、見るからにカッコいいし、イケてる。




 早朝例会でのアパレルメーカー社長の話とオーバーラップさせながら「なるほど」とヘンなところで納得した。その一方で、苦境に立たされる日本のメーカーに同情したくもなった。日本の製造業はまだまだ空洞化が進むのか・・・。






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花火の臨場感

隅田川花火大会1


 「わあ~、綺麗・・・」
大人も子供も、男も女も口をあんぐり開けて夜空を眺める。そう、花火だ。この時期、各地で繰り広げられる花火大会は、夏の夜の風物詩である。7月25日。居間のテレビは、毎年恒例の東京・隅田川の花火大会を中継していた。スケールもでっかい。





 あの「桃太郎侍」で人気者だった高橋英樹や若く綺麗な局アナが浴衣姿で、花火を解説していた。コンクール方式をとっているようで、参加花火店が腕前を競う自慢の創作花火は見ごたえがある。花火の光に照らし出される隅田川の水面と、そこに浮かぶ小舟。恐らく花火見物のための屋形舟だろう。その上に架かるいくつかの橋。そして、夜空に浮かぶ両国などのマンション群。全体が絵になる。


花火大会3


 ド~ン、ド~ン。我が家の窓越しでも花火の音が。たまたま一緒になったのかもしれないが、山梨市恒例の笛吹川花火大会の日だった。花火大会は夜を待っての催しだから、開始時間はほぼ同じ。テレビで放映される隅田川の花火に後ろ髪を引かれながらも、女房と二人して外に出てみた。




 見える、見える。打ち上げ地点は、直線で4㌔ぐらい先だが、目の前の大空に次々に花火の大輪が。見物席は家の前の植え込みを離れた常口前の古道。植え込みは暑い夏の夜には涼しいのだが、こんな時には邪魔な存在だ。大きな石の上に、これまた大きなお尻を下ろし、うちわで仰ぎながら女房が言った。


花火4


 「お父さん、テレビの隅田川の花火もいいけど、やっぱり、花火は生で観るこれだよね。でも、ちょっと離れているせいか、光と音が合わないわね」



 その通りだ。花火の醍醐味は臨場感。打ち上げられては消える大輪の色彩、それもさることながら体の芯に染み渡る、あの音だ。ド~ン、ヒュ~ル、ヒュ~ル、ド~ン、ド~ン。夜空のキャンパスを彩る花火の芸術を立体的に総仕上げするのがこの音である。4㌔先の花火の音は確実にズレるのだ。


花火2


 花火は音と光の競演だ。打ち上げの真下といわないまでも、やっぱり近くで観るに限る。音と光が一体となるので、臨場感は全く違う。不思議な事に、夜空の花火を見上げるどの顔も、みんなあんぐり口を開けているのだ。夜空の星を眺める時と違って物思いにもふけらないし、何の考え事もしない。確実に、みんなが無心で上を眺める。頭の中を空っぽにして、あんぐりと口を開けている。これ、本当に間違いないんです。




 私達夫婦には、隅田川花火大会にはヘンな思い出がある。確か娘が女子大時代の20歳頃だった。花火を観に行く途中で、慣れない下駄に浴衣姿だったためか、転んで足を骨折、東京・品川の外科病院に担ぎ込まれたことがある。親バカの私たちは山梨から大慌てで駆けつけたものだ。もう20年近くも前のことだ。


浴衣


 そんな事を覚えているのかいないのか、この時期、毎年のように大学時代の仲間の家に泊まっては、花火見物としゃれ込んでいる。その子は酒徳さんといって、隅田川近くの両国に住んでいる。山梨の我が家にもご夫婦で遊びに来てくれる。今度、山梨に来たら、うんともてなしてやりたいと思っている。幾つになっても親バカは親バカ。幾つになっても娘達は可愛い。




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野麦峠の感慨

野麦峠  


 どこから聞こえてくるのかウグイスの鳴き声が。標高1672m。夏といってもそこの空気はひんやりしていた。峠道の脇の杉木立では、可愛らしい一匹の小猿がくりくりした目で、愛嬌たっぷりにこちらを見ていた。




 野麦峠。長野県松本市と岐阜県高山市の境に位置する。山本茂美の小説「ああ野麦峠」の舞台になった所だ。昭和54年、山本薩夫監督が確か大竹しのぶを主演女優として映画化、多くの人達に感動を与えた。


ああ野麦峠


 小説「ああ野麦峠」は明治から大正にかけた時代のルポルタージュのノンフィクション。この時代、岐阜県の飛騨から長野県の岡谷や諏訪の製糸工場にいわば身売り同然に駆り立てられた娘さんたちの峠越えを描いた作品である。この野麦峠は、その時代の女工哀史を語る上でも悲しい物語を秘めた所なのだ。




 北アルプスを横断して信州と飛騨を結ぶこのあたりは昔から積雪の多い所。この一帯の主要道路・野麦街道の難所だった。積雪で峠を越えられずに死んでいった人達もいたといい、そこには現在も「お助け小屋」というのが残っている。もちろん、今は車の時代。「お助け小屋」はお土産や食事所に姿を変えてはいるが、何とはなしに哀愁を残している。


お助け小屋2


 そこを訪れる私たちの胸をいやがうえにもジ~ンとさせるのは「お助け小屋」の前庭に建てられている「ああ飛騨が見える」の石像だ。等身大とはいかないまでも大きな石像は、製糸工場で病に倒れて里に突っ返される妹を背負い子で担ぐ兄を形作ったものだ。石像の裏面に刻まれた解説によると、病の娘は政井みね。20歳。兄は11違いの辰次郎。みねは明治42年12月20日、この野麦峠の頂上で、やっと見ることが出来た故郷に「ああ飛騨が見える」と言って息を引き取った。


お助け小屋


 この野麦峠行きは、仲間に誘われての木曽路へのワラビ採りの帰り道だった。御嶽山の目の前のような所にある岐阜県高山市高根町の山には太いワラビがいっぱい。我が家は女房と二人、2時間余りで大きな籠にどっさり、近所に木曽の香りをおすそ分けした。




 木曽といっても山梨から車でちょうど3時間。そんなに遠くない。伊那ICで中央自動車道を降り、権兵衛トンネルを経て、国道19号をしばらく走る。そこから林道に入るのだが、目の前には御嶽山、その向かいには穂高が見える。到着は7時。朝もやの木々は、まだ朝露に濡れていた。林道脇には松本ナンバーの車が3~4台。先客がいた。帰り道、御嶽山の麓で、ウド採りを試みたが、こちらはさすがに時期遅しだった。




 そこから野麦峠までは約1時間。帰りは、もちろん、道そのものは違うのだが、飛騨の娘達が歩んだ信州に降り、国道19号を中央自動車道塩尻ICに向かうのである。途中、あの有名な奈良井宿が。平日だったが、現存するわが国でも最大級の宿場町は散策する観光客で賑わっていた。






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一匹のハエ

うちわ

 暑い。汗びっしょりになって野良から帰ったら、かみさんと娘がなにやら大騒ぎしているのだ。それほど広くもない茶の間をうちわ片手に飛び回っているのである。部屋の中は程よく冷房が効いている。



 「お前達、何やってるんだ?」

 「ハエよ、ハエ・・・」


 「たかがハエ一匹。大騒ぎすること、ないじゃあないか」

 「だって汚いじゃあない・・・」


ハエ


 見れば大きなハエが一匹。むきになって追い回す二人をあざ笑うように右に左に、上に下にと飛び回っている。ハエだって命は欲しい。バカな二人に易々捕まってたまるものか、と思っているのだろう。女二人とハエの闘いだ。第一、うちわなんかでハエが獲れるはずがない。女どもは単純だ。

ハエ


 「サッシ戸を開けてやれば外に逃げるじゃあないか」

 「ダメよ。こいつは死刑よ。絶対逃がさないわよ。絶対・・・」

 「勝手にしろ・・・」



 女は執念深い。


 この辺りは、山間部とまではいかないまでも山梨市の片田舎。そういえば、ここしばらくハエにお目にかかったことがない。かつては、わんさといたハエは、いったい何処に行ってしまったのだろう。子供の頃を思い出した。リフォームしてイメージこそ違ってはいるものの、夏のこの時期、我が家の部屋という部屋、ハエがブンブン飛んでいた。



 何処の雑貨屋さんにもハエタタキはもちろん、ハエ取り紙というヤツが売っていて、どの家でも1ダースのケースごと買って来るのだ。それを天井からぶら下げるのである。モチのような油紙にハエが張り付く仕組みなのだ。しばらくすると真っ黒になるほどハエが捕れる。

  実はこのハエ取り作戦も焼け石に水。ハエは次から次へと湧いてくるのだ。だから正直、ハエを気にしていたら一日も過ごせない。うかうかしていたら、ちゃぶ台(食卓)に置かれた麦飯ご飯もハエで真っ黒に。習慣とは恐ろしい。みんなビクともしなかった。

 ヘンな例えだが、ある意味で農村の風物詩のようなものだった。「わあ~、汚い」。娘はもちろん、農村育ちではない、かみさんはそんな話に顔をそむけるのだが、田舎育ちの私なんかハエ一匹、どっちだっていいのである。ハエ取り紙もハエ叩きも完全に姿を消した。


リボンハエ取り
リボンハエ取り


 農業形態や生活環境の変化が確実にハエを駆逐した。農耕用の馬や牛。それに家畜の豚や山羊、鶏もいなくなった。番犬として外で飼った犬もほとんど姿を消し、代わって可愛い猫や犬が座敷に上がった。米麦、養蚕に代わって家の周りを埋めた果樹園では病害虫駆除のための消毒が。ハエなんか住める環境ではない。

 目に見えるハエ。目には見えない消毒の影響。さて、どっちの方が・・・。かみさんや娘が追い回す一匹のハエを見ながら暮らしの変化を思い知らされた。ただ、いっぱいいるハエより、時々紛れ込む一匹のハエの方が確かに気になる。不思議だ。





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瓢箪の芸術

天地人


 土曜日の昼下がり。野良から戻って、昼飯を食いながら観るともなくテレビを見ていたら、NHKの大河ドラマ「天地人」をやっていた。前の週の日曜日の再放送だった。そこに登場していたのは、もちろん主人公の直江兼続。大坂城での、時の天下人・豊臣秀吉とのやり取りが大写しにされていた。




 その豊臣秀吉を見ながら、なぜか、ある人の顔を思い出していた。この人は山梨県ひょうたん愛好会の副会長をされている方で、それは見事な瓢箪をお作りになる。瓢箪は、ご存知、豊臣秀吉の馬印だ。秀吉の瓢箪は千成瓢箪。私が懇意にさせていただいている、ひょうたん愛好会のこの人は、千成に限らずあらゆる種類の瓢箪を自らも作り、それを見事に加工してしまうのである。作業する所を工房と言ってはばからない。筆や彫刻刀。そこには道具もいっぱい。


瓢箪2


 甲府市の中心街に程近いところにあるご自宅に隣接した畑には、瓢箪作りのための棚を設け、春先の種蒔きから始める。もちろん、小さくて可愛い千成もあれば、大きいヤツ、長いヤツ、これが瓢箪?と思うような珍しい種類もある。



瓢箪1


 大きなものは、紐で吊るすように支えたり、日の光がムラにならないように部分的に葉っぱを摘んでやったりもする。もちろん、ツルを適正に伸ばしてやるために、丹念に芽かきもするし、ま~るい瓢箪を四角にだってする。小さいうちに型にはめて、思い通りの形の瓢箪を作ってしまうのである。


瓢箪7


 畑の棚にぶら下がっている瓢箪は、まだ青い。秋に実ると表面を硬くする。収穫した瓢箪はツルとの付け根に穴を開け、そのまましばらく水に浸けておくのだ。中身を腐らせて、出しやすくするためである。中身が腐ると、瓢箪を逆さにするだけで、種ごと液状になって出てしまうから、瓢箪の中は簡単に空っぽになるのだ。


瓢箪5


 ここまでは特段、難しいことでもない。私にだって出来る。この人の真骨頂はここから先だ。中身を抜いて、コチコチに硬くなった瓢箪を磨き上げ、そこに絵や文字を施してゆくのである。絵は七福神であったり、観音様であったりさまざま。文字も「壽」のような縁起物であったり、格言であったりする。それに房付きのカラフルな組みひもを巻いて仕上げるのだ。


瓢箪3    瓢箪4


 そんなことは、いわば朝飯前。細工を施して、枕元に置くスタンドを作ったり、幾つもの瓢箪を組み合わせて、鶴や亀など鳥や動物をも作る。小さな千成を使って木にいっぱいのフクロウ軍団を演出したり、女性用のペンダントや男性用のループタイまでも創作する。へえ~、これが瓢箪の創作、と感心するものばかりだ。


瓢箪6  

 ひょうたん愛好会は年に一度、甲府市の総合市民会館で、愛好家達の一年間の集大成を発表するための展示会を開く。いくら見ていても飽きないほど見ごたえのある作品ばかりだ。そのうちの優秀作品は全国大会にも。81歳になる副会長さんの作品「鶴と亀」はそこでも最優秀賞に輝いた。趣味の域を超えた匠の技と言ってもいい。




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蛍の復活

 太鼓1


 ホタルが姿を消し始めたのは昭和30年代だった。わが国が「戦後」に別れを告げ、高度成長期へと突っ走り始めた頃と符節を合わせた。私たちの田舎、山梨県の峡東地方では他の地域に先駆けて葡萄や桃の産地化が始まった頃だ。それまでの米麦、養蚕の農業形態からある意味、革命的とも言える転換だったa。それまでの水田や桑畑はあっという間に姿を消し、その跡に果樹園が広がった。


budou.jpg


 果樹栽培には病害虫を駆除するための消毒が欠かせない。40年代に入ると除草剤が登場するのである。言うまでもなく、果樹栽培は米作と違って人手と手間がかかる。農家にとって除草剤の開発はまたとない福音だった。この除草剤は元々米軍が、あのベトナム戦争で開発したというシロモノだから威力は抜群。人手不足の農家に諸手を上げて歓迎され、省力化に貢献したのである。




 消毒薬は病害虫を殺すばかりではないし、除草剤も雑草を枯らすばかりではない。残留物は付近の川に流れ込み「小鮒釣りしかの川」まで死の川に変えた。どの川にも鮠や鮒、鯉は当たり前、シジミも取れたし、この時期には大きな鰻も遡上した。小川は地域の子供たちの遊び場だった。




 川を殺したのは農家ばかりではない。一般家庭も家庭雑廃水という名の排水で川を汚した。三種の神器とか3C(カー、クーラー、カラーテレビ)という言葉が生まれ、どの家庭にも洗濯機も当然のように登場した。急激な高度成長は、至る所にちぐはぐな現象をもたらした。下水道などインフラの整備なんか追いつくはずがないから、洗剤をいっぱいに含んだ家庭排水は、そのまま川に流れ込んだ。川だってたまったものではない。農薬と家庭雑廃水のダブルパンチは、川の生き物を死滅させたのである。か弱いホタルの幼虫なんかひとたまりもない。



太鼓
   

 そんな現状を放って置くほど人間、バカでもノロマでもない。消費者には分からないだろうが、急速に農薬規制が行なわれ、雑廃水たれ流しへの反省も徐々に進んでいる。もちろん死の川が蘇えっているわけではない。しかし、場所によってはホタルが一匹、二匹。


 根津


 山梨市ではこの十年、万力公園を舞台に毎年、ホタル観賞会が開かれている。この公園は、かの戦国武将・武田信玄が治水のために築いた「信玄堤」が今も残るところで「万葉の森」とも言っている。一画には地元が生んだ、あの鉄道王・根津嘉一郎の銅像も。



 


 今年もつい先日、この、ホタル観賞会が開かれた。昼間、市長を先頭に各界の代表が集まってにぎやかに開会行事が。子供たちの「岩手太鼓」で幕を開け、夜の帳が下りると浴衣姿の家族連れなどホタル見物の人達で賑わう。公園の広場には終日、屋台も並んでちょっとしたお祭りムードだ。


蛍まつり


 ホタルはこの時期の環境の良し悪しを測るバロメーター。市をはじめ関係者はこの祭りを環境改善の起爆剤、導火線と位置づけている。小川に鮒や鯉が戻り、夏にはホタルが舞う、そんなふるさとが帰ってきて欲しいものだ。


屋台


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蛍狩りとガキ大将

蛍

 「ほ~ほ~ホタル来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ・・・」

この時期になると、周りの田圃は田植えが済んで、夕方ともなればこの青田からは蛙の鳴き声が・・・。そして夜の帳が下りると、一帯にはホタルが舞った。





 子供たちは小さなホタルかごを片手に田圃のあぜ道や小川の淵を飛び回った。浴衣などといったカッコいいものではなかったが、着物姿。もちろん、田舎の夜道に街灯なんかありっこない。あるとすれば、害虫を集める誘蛾灯の光くらいのものだ。




 ホタル草というのがあった。子供たちは誰に教わるともなく、ホタルかごの中にこの草を入れ、水を与えた。ホタル草にたかって光を点滅するかごに向かって、口いっぱいに含んだ水を霧状に吹き付けるのである。ホタル狩りは田舎の子供たちが織り成す夏の風物詩だった。


蛍2


 乱舞するホタルを追いかけているうちに小川に転げ落ちる子も。闇の中を上ばかり見ながら飛び回るのだから転げ落ちるのも当たり前だ。子供たちは川に落ちることを「川っ飛び」といって、特段、苦にもしなかった。親達も、それを叱らなかったし、今の親のように「危い」などとも言わなかった。




 地域にはガキ大将というヤツがいて、幼い子供たちの面倒を見た。ホタル狩りばかりではない。子供たちは知らず知らずのうちに、このガキ大将から遊びを覚え、自らの体験や失敗から、危険や怖さのポイントも知った。その子供たちが、やがてガキ大将になってゆく。そんな子供たちを遠巻きに見ていた親達も、みんな「来た道」だったのだ。


麦わら帽子  


 そんな田舎からホタルが消えて久しい。いつの間にかガキ大将もいなくなった。子供たちの遊びやいたずらを遠目に見ていた親達のスタンスもガラリと変わった。親達の多くは「あれも危ない」「これも危ない」と、子供たちの行動に注文をつけ、ちょっとした事象にも目くじらを立てる。


船


 勢い、子供たちは家に籠るようになった。親達が言うのは「危ない」ばかりではない。「勉強」「勉強」の言葉を年がら年中、子供たちに浴びせるのである。子供たちが家に籠れば、ガキ大将だっていなくなるのは当然。ガキ大将は、縦割りの子供たちがいなければ生まれないのである。横割りだと、知恵も腕力も拮抗するからお互いにつぶしあってしまうのだ。 一方で、わが国の少子化は進む一方だ。





 そんな子供たちに、間もなく夏休みがやってくる。どこにもあるのだろうが、私たちの山梨市にも「青少年育成のための市民会議」というヤツがある。区長会、育成会、民生委員、人権擁護委員など子供たちを取り巻く各界の代表達で構成するのだ。もちろん小中学校の代表も。


虫取り


 言うまでもなく、そこでは夏休み中の子供たちの非行防止や安全対策を話し合うのだ。この市民会議を受けて、近く地区ごとの会議も開かれる。その内容はこと細かく話し合われるのだが、総じて言えば、子供たちを危ないことから遠ざけることだ。こんなにお歴々が協議しなくてもガキ大将がいれば、かなりの部分を・・・。ちょっと楽観的かな?







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仲間の死

菊

 親しい仲間が逝った。享年69歳。癌だった。手術と入退院を繰り返しながら癌と闘った。必死だっただろう。桃や葡萄など広い果樹園も一部を人に委ね、栽培面積を縮小した。行く末を案じたのだろう。それがまた痛々しい。それでも暗い顔は微塵も見せずに畑にも出、仲間たちとも明るく振舞った。


葡萄畑


 そんな人柄の男だったから、地元にいる特に同級生達は、入院中も自らの仕事の合間を縫って農作業を補った。「うちのことなんか、心配するな。そんな心配より、治療に専念することだよ」。みんなで励ました。しかし、不敵にも癌は強かった。日ごとにこの人の体を蝕み、最後は骨と皮といってもいいほどに肉体まで食い尽くした。


インゲン


 この人には、これまでも身の回りに相次いで不幸が襲った。早くに愛する奥様を亡くし、二人兄弟の弟も何年か前に亡くした。この弟さんは三つ違いで、私と同ない歳だった。どうしてこうも不幸は集中攻撃するのか・・・。この世には神も仏もないのか。





 それでも男手ひとつで一人娘を育てて嫁がせ、二人のお孫さんにも恵まれた。自らの行く末を覚悟しながらも愛らしいお孫さんに目を細め、可愛がった。心の中ではこのお孫さんの成長をもっともっと見届けたかったに違いない。それもふびんでならない。


光


 告別式。仲良しトリオのうちの一人が弔事を読んだ。自他共に認める無二の親友だったこの人は「俺は○○ちゃんと呼ばせてもらうよ」と祭壇の遺影に語り掛け、在りし日の思い出や、その人柄を切々と話した。




 それによると、身の回りを相次いで襲った不幸、その上、自らにも襲い掛かった病魔との闘いにも愚痴ひとつ漏らさなかった。いつも明るく振舞い、周りの仲間達を気遣った。古めかしい言葉かもしれないが、義理人情にも厚かった。「気遣うのはお前ではなく、むしろ俺達だったのに・・・」。そんな故人は息を引き取る数日前、この人の手を握り、弱々しい声で「俺はもうだめだ。あとを頼む。みんなを・・・」と言った。手にはもう力がなかったと言う。無二の親友が読む弔辞は参列者の涙を誘った。


空


 たまたま時期を同じくしたのだが、この告別式の翌日、別の友人の父親が逝った。こちらは98歳だった。69歳の告別式とは対照的だった。年齢差は親子ほどもある。同じ弔辞の中でも「天寿をまっとう・・」という言葉が。人間誰しも、かくありたいと思うのだが、そうはいかないのがこの世の常。




 「人間、60歳を過ぎれば、後先の順番はないんですよ」



 うまい事を言った人がいた。そう思いたくはないが確かにそうだろう。仏教用語で「諸行無常」という言葉がある。人の寿命は神様しか分からない。ただ言えるのは、その人間がどう生きたかなのだろう。寿命の長短だけではない。仲間や周囲を愛しみ、仲間達からも愛された69歳の男を送りながらそうも考えた。


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 梅雨の季節は真っ盛り。その後には暑い夏が待っている。みんなが健康で、仲良くありたい。それが若くして逝った友に報いる道だ。行とし生きるものの鉄則だ、と思っている。





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おきてがみ
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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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